フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

堂本印象美術館にて AU MUSEE INSHO DOMOTO

2006-12-14 20:32:07 | 展覧会

雨の中、先日のアンリ・ルソー展で発見した堂本印象の作品を見るために美術館に向かう。

立命館の真ん前にある。この美術館は府立だが、今年6月から立命館が指定管理者という立場になり、今回が最初の展覧会になるという。

印象さんの物語絵

まず歴史上の文人を描いた絵を見る。ゆったりとした人柄や彼らの生活が滲み出ていて楽しくなる。そういう文人がいたということ、そして彼らに思いを馳せている印象さんを思いながらじっくりと時を過ごす。

松花堂昭乗 (1584 - 1639): 真言宗の僧侶で文化人。絵画、茶道、それに書道は近衛信尹 (のぶただ)、本阿弥光悦とともに 「寛永の三筆」 と言われる。彼の草堂 「松花堂」 には小堀遠州、石山丈山、狩野山雪などが集った寛永の文化サロンだったという。

明恵上人 (1173 - 1232): 鎌倉前期の僧。鳥羽上皇から山城国栂尾 (とがのお) を下げ渡され、高山寺を開山。紅葉の名所。学問研究と実践修業の統一をはかったと説明には書かれてあったが、その意味するところを知りたくなっている。本棚には
白洲正子の 「明恵上人」 と河合隼雄の 「明恵 夢を生きる」 があるのだが、未だ意識的には読んでいない。

石山丈山 (1583 - 1672): 江戸初期の文人。もとは武士だったが、大阪夏の陣で軍律を破ったため妙心寺に入る。漢詩の代表的人物にして、儒学、書道、茶道、庭園設計にもその才能を発揮した。「詩仙堂」 の主。1641年に建てたもので、90歳で亡くなるまでの31年間ここで生活。その名は、狩野探幽に描かせた中国の詩家36人の肖像が掲げられている 「詩仙の間」 から採られた。

松尾芭蕉 (1644 - 1694): 金福時は天台宗の寺として始るが、元禄年間に鉄舟和尚が再興し臨済宗の寺となる。芭蕉が和尚を訪ねている。

池 大雅 (1723 - 1776): 江戸中期の文人画家。漢学、南宋画。「真葛庵」。

以上の日本の文人は1930年に描かれている。いにしえびとの中に身近な人の表情を見出すとき、思わず笑みがこぼれる。

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さらに、仙人図 (1922年) へと続いている。こちらの絵は、色使いといい、顔の表情、目の表情といい、どこか西洋を感じていた。仙人に纏わるお話と名前の発する音を楽しみながら見る。

「黄初平」 (こうしょへい): 葛洪 「神仙伝」 に出てくる仙人。少年の頃、羊を牧していたが、ある時道士と出会い、長い間姿を隠していた。その兄が山中で再会し、羊がいるという場所に行ってみると、そこには白石だけがあった。黄初平が 「羊よ起て」と声を掛けると白石が全て数万頭の羊になったという。長谷川等伯や小川芋銭なども描いている。

「陳泥丸」 (ちんでいがん): 内丹派の南宋五祖のひとり。唐代までの外丹術 (炉などでを使う) を用いた道教に代わり、宋代では神仙道教と禅宗が融合した内丹術 (人体内の呼吸法で丹を練る) が発達した。  

「西母王」 (せいぼおう): 中国で古くから信仰された女仙の統率者。道教では長寿の仙桃を管理する艶やかにして麗しい天の女主人。孫悟空が西母王の目を盗んで仙桃を食べている。

「老君」: 春秋時代の思想家。老子、李耳。唐の皇帝から宗室の祖と仰がれた。老子の思想が道教に発展するとともに、老子は道教の祖と崇められるようになる。唐代には道教の最高神である三清の一柱、「太上老君 (たいじょうろうくん、だじょうろうくん)」、別名、「道徳天尊 (どうとくてんそん)」 となっている。

東王公」 (とうおうこう): 東王父とも言われる。西母王が女仙を統率していたのに対して、こちらは男仙を統率。

「鬼谷子」 (きこくし): 秦、楚、趙など7国が天下を争った時代に、権謀術数の外交策を説いた縦横家である蘇秦張儀の師とされる。

「藍菜和」 (らんさいわ): 破れた藍色の長衣をまとい、片方は裸足で歌いながら物乞いをしていたという、人間から仙人になった道教八仙のひとり。

「孫子貌」 (そんしぼう):唐代の医学者。没後、「薬王」 と讃えられる。「人命の重さは千金の貴さがあり、医者の方剤がこれを救うのは徳高きことである」、「病苦にて救いを求められたなら、その貴賎貧富、幼若、美醜、敵味方、同族異族、愚智なるを問うてはならない。普く至親の感情をもって自己の身命を惜しむことなく、病者の苦悩を己の苦として深く同情し、一方に救済に当たれ。為にする心や人に身せる心があってはならない 」

「玄真子」 (げんしんし): 唐代、水辺の仙人。

「李鐡拐」 (りてっかい): 本名、李玄。太上老君(老子)から仙術を授かったという。彼が太上老君に会うために天宮に赴いた時に弟子がその肉体を誤って焼いてしまい、片足の不自由な乞食の遺体にもぐりこんで甦ったという。乞食が持っていた竹の杖を仙術で鉄の杖に換え持ち歩いていた。

「許宣平」 (きょせんへい): 唐の隠士。李白とも面識があり、彼の来訪に答えて詩を残しているという。太極拳の創始者とも言われる。

「東方朔」 (とうほうさく): 機知とユーモアで武帝に愛されたが、はっきりものも言った。西母王の仙桃を盗んで食べたため長寿を得ていたという。

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余りお客さんがいない美術館とのお話だったが、この日は中学生の団体が模写をしていたり、あとからは中高年の団体が入ってきたりで、結構賑わっていた。

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