フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

カンディンスキー芸術の開花 EPANOUISSEMENT ARTISTIQUE

2006-05-28 00:27:43 | Kandinsky

Kandinsky

Périodes artistiques
1 Jeunesse et inspirations (1866-1896) ~30歳
2 Épanouissement artistique (1896-1911) 30歳~45歳
3 Les quatre bleu (1911-1914) 45歳~48歳
4 Retour en Russie (1914-1921) 48歳~55歳
5 Le Bauhaus (1922-1933) 56歳~67歳
6 La grande synthèse (1934-1944) 68歳~78歳

30歳にしてミュンヘンの美術学校に入ったため、クラスの中では一番年を取り、一番経験もあった。そこでは自分の作品について深く考えながら、芸術の真の理論家になるべく絵の勉強を始めたようだ。

1906年から1908年にかけて、ヨーロッパを巡るたびに出て、バイエルン地方の小さな町ムルナウ Murnau に住むことになる。この町の名前は、昨年のロンドンで見たガブリエル・ミュンター展で覚えていた。この時期の作品 « La montagne bleue » 「青い山」 では、抽象に向かう彼の傾向が見られる。形とは独立して色を使うという彼の姿勢の変化もこの時期に起きている。

1909年からは « chœur des couleurs » 「色のコーラス」 ということを言い始めるが、それはゲーテの Traité des couleurs (Farbenlehre) 「色彩論」 に影響を受けたものだろう。1910年には最初の抽象絵画を描いたが、その底には 「現実に見える物質世界の真実の表示や模倣を、芸術家の内的な芸術的発露 « la nécessité intérieure » によってのみ生れた精神性の純粋な表現で置き換えよう」 という目論見があった。
"substituer à la figuration et à l'imitation de la « réalité » extérieure du monde matériel une création pure de nature spirituelle qui ne procède que de la seule nécessité intérieure de l'artiste"

哲学者のアンリ・ミシェル Henry Michel の言葉によれば、「外的世界の目に見える様を生命の見えざる悲壮な内的真実で置き換える」 ということになる。
"substituer à l'apparence visible du monde extérieur la réalité intérieure pathétique et invisible de la vie"

Henry Michel (le 10 janvier 1922 à Haiphong, Viêt Nam, et décédé le 3 juillet 2002 à Albi, France)

絵を描く時に、自分の内から真に湧き出るもの、それだけを頼りに描くことを目指したのが抽象画への道を開く考えだったようだ。自分に重ねて考えてみると、7年に及ぶアメリカ滞在のある時点から (今となっては特定できないが、おそらく4年ほどしてから) それまでの外に影響されながらの生活から、真に自分の中から湧き出るもの、自律的に自らを動かすことのできる基準あるいは動力、そういうものに基づく生活を理想とするように変化していった。それが重要であると感じ取ったという意味では、カンディンスキーの言いたいところはよくわかるような気がする。別の視点に立つと、真に内から湧き出るものを基準に生きることができるような状態になるのを待っていたところ、7年が経っていたと言えるかもしれない。

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この時代の代表的な絵は以下のサイトで見られます。あるものは、ミュンターのものと非常によく似ているという印象を持った。なぜか仏版ウィキペディアにはミュンターの名前は出てこない。

Dimanche, Russie traditionnelle (1904)
Couple à cheval (1906-1907)
Le cavalier bleu (1903)
La montagne bleue (1908-1909)

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2006-5-26 カンディンスキー事始 PREMIER COURS SUR KANDISKY
2006-5-27 若き日のカンディンスキー KANDINSKY: JEUNESSE ET INSPIRATIONS

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若き日のカンディンスキー KANDINSKY: JEUNESSE ET INSPIRATIONS

2006-05-27 00:32:43 | Kandinsky

Kandinsky

Périodes artistiques
1 Jeunesse et inspirations (1866-1896) ~30歳
2 Épanouissement artistique (1896-1911) 30歳~45歳
3 Les quatre bleu (1911-1914) 45歳~48歳
4 Retour en Russie (1914-1921) 48歳~55歳
5 Le Bauhaus (1922-1933) 56歳~67歳
6 La grande synthèse (1934-1944) 68歳~78歳

子供の頃のカンディンスキーは色に魅せられていた。それから "synesthésie" と呼ばれる、色を見て音を感じたり、音を聞いて映像が浮かんだりというような異なる領域の間で 「共鳴」 するような現象が彼の中で起こっていたようである。これが後の作品に大きな影響を与えている。それはタイトルに音楽の領域の言葉を用いるところにも現れていて、考え抜いて描いたものを composition、即興で描いたようなものには improvisation と言っている。

23歳の時には民俗学研究グループに入り、農民の慣習を調べるためにモスクワ郊外を訪問する。その地方の家や教会に飾られていた絵の最もきらびやかな色 "les couleurs les plus chatoyantes" に強い感動を覚える。それからモスクワを去る前に展覧会で見た、干草の山が実物とは関係のないような色で描かれているモネの絵を見て、色の持つ力に感銘を受ける。

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2006-5-26 カンディンスキー事始 PREMIER COURS SUR KANDISKY
2006-5-28 カンディンスキー芸術の開花 EPANOUISSEMENT ARTISTIQUE

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カンディンスキー事始 PREMIER COURS SUR KANDINSKY

2006-05-26 00:23:25 | Kandinsky

先日の Liguea 様のコメントが相当強烈だったようだ。それ以来、「現象学、フッサール、ハイデッガー、カンディンスキー」 が頭から離れない。お薦めいただいたハイデッガーの 「『ヒューマニズム』 について」 を読み始めたり、フッサールの 「デカルト的省察」 をぱらぱらとしたりしながら、時間を潰すこともある。その印象については、読み終わってからまとめてみたい。

今回、プリントアウトすると10ページほどになる Wikipédia のカンディンスキーを読んでみて、ものの見方や考え方が私に近いところがあるという印象を持つ。Liguea 様が私の拙いフランス語からそれを察し、注意を喚起してくれたことをありがたく感じている。

Wassily Kandinsky
Né à Moscou, 4 décembre 1866 du calendrier julien (16 décembre 1866 du calendrier grégorien) -
Mort à Neuilly-sur-Seine, 13 décembre 1944

ピカソ、マティスと並び20世紀の最も重要な芸術家とされるカンディンスキーは、抽象芸術のパイオニアである。"Première aquarelle abstraite" 「最初の抽象水彩画」 と題された1910年の作品が最初の抽象画とされてきたが、彼がその功を焦り、"Composition VII" (1913年) の下絵だったかもしれないこの絵を1910年作とした疑惑が持たれているという。

彼の人生をざーっと見てみたい。1866年にモスクワに生れたが、少年時代をオデッサ Odessa で過ごす。モスクワ大学では法学と経済学を学び、その道での成功も考えられたが、30歳で絵画の勉強を始める決意をする。

1896年、ミュンヘンに落ち着き、そこの美術アカデミー l’Académie des Beaux-Arts で学んだ後、1918年にロシア革命が終わるとモスクワに戻る。しかし当時の正統とされる芸術理論と意見が合わず、1921年にはドイツに戻り、バウハウスで教鞭をとる。1933年にナチにより閉鎖されたため、フランスに亡命。1939年にはフランスの国籍を取り、1944年に亡くなるまでフランスで過ごす。

彼の創造世界は、その中心に "la nécessité intérieure" (内的な欲求の発露、精神的な深いところにある美を求める渇望のようなものか) が置かれ、時間を経て成熟してきた思索の賜物である。その成熟過程は、便宜的に次の6期に分けられている。

Périodes artistiques
1 Jeunesse et inspirations (1866-1896)
2 Épanouissement artistique (1896-1911)
3 Les quatre bleu (1911-1914)
4 Retour en Russie (1914-1921)
5 Le Bauhaus (1922-1933)
6 La grande synthèse (1934-1944)

昨年、ロンドンでカンディンスキーを見た時には、その背後にある考えなど知る由もなかった。しかし最初に作品に触れ、そこから何らかの揺らぎを感じ取ったものについて、深入りするというやり方でよいのだろう。まず解説から入るのは、絵画に限らず、音楽や文学・哲学でも私には向いていないようだ。そのあたりが現象学的なのか。

これからぼちぼちと彼の足跡を辿ってみたい。

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2006-5-27 若き日のカンディンスキー KANDINSKY: JEUNESSE ET INSPIRATIONS
2006-5-28 カンディンスキー芸術の開花 EPANOUISSEMENT ARTISTIQUE

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