フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

7月の記事

2005-07-31 23:57:17 | Weblog
2005-07-31 エアコンのない夏 L'ETE SANS CLIM
2005-07-30 ベルナール・ビュフェ展 BERNARD BUFFET 
2005-07-29 クロード・モネ CLAUDE MONET
2005-07-28 2週間が過ぎて 2 SEMAINES APRES EUROPE
2005-07-27 日本でのジャズ JAZZ AU JAPON
2005-07-26 山頭火 - 青 - 汗 SANTOKA - BLEU - SUEUR
2005-07-25 日仏のために? POUR LA RELATION FRANCO-JAPONAISE
2005-07-24 何語で生きるのか? VOUS VIVEZ EN QUELLE LANGUE ?
2005-07-23 フィリップス・コレクション展 THE PHILLIPS COLLECTION
2005-07-22 ブログの効用 - BLOG COMME UN TIRROIR DE LA MEMOIRE
2005-07-21 アンドレ・グリュックスマン - NIHILISME EXTERMINATEUR
2005-07-20 時差ぼけ LE DECALAGE HORAIRE
2005-07-19 気分一新 CE VOYAGE M'A DEPAYSE
2005-07-18 PIERRE BERES, LIBRAIRE, 92 ANS
2005-07-17 旅をフランス語から振り返って
2005-07-16 最後の出会い LA DERNIERE RENCONTRE - RINA MATSUDA
2005-07-15 シャルル・ドゴール空港へ A ROISSY
2005-07-14 フランス革命記念日 LE 14 JUILLET
2005-07-13 PUNTING
2005-07-12 成果の発表 PRESENTATION DE NOTRE TRAVAIL
2005-07-11 人生は夢 LA VIE N'EST QU'UN SONGE
2005-07-10 RESTAURANT SALIERI
2005-07-09 COURTAULD INSTITUTE OF ART GALLERY
2005-07-08 パリ最後の夜 LE DERNIER JOUR DE PARIS- AMATEUR D'ART
2005-07-07 旅のメカニズム、あるいは吉野建 MECANISME DU VOYAGE OU T. YOSHINO
2005-07-06 パリとの別れの感情が、、PARTIR DE PARIS, DEJA NOSTALGIQUE
2005-07-05 旧友との再会 RENCONTRE AVEC UN AMI - CONSERVATISME
2005-07-04 出会い RENCONTRES AVEC DES LIVRES ANCIENS ET DES AMIS
2005-07-03 ブルトゥイユのシャトー CHATEAU DE BRETEUIL
2005-07-02 ギュスターヴ・モロー美術館 MUSEE GUSTAVE MOREAU
2005-07-01 パリの3週間 TROIS SEMAINES DE PARIS - COSMOPOLITISME

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エアコンのない夏 L'ETE SANS CLIM

2005-07-31 22:10:50 | パリ・イギリス滞在

7月中旬にフランスから帰り、パリの暑さに湿気を加えた夏を経験している。パリでは仕事場でさえエアコンなし (sans climatisation) であった (ただ管理部のようなところは絨毯敷きでエアコンが入っていると文句を言っている若者もいたが)。皆さん Volvic の1.5 リットル入りを机において仕事をしていた。暑いと言いながらやっていた。街を歩いて 「この店にはエアコンがあります (climatisé)」という貼り紙をたまに見た。sans clim 方が体によいというのが彼らの感じ方らしい。

この経験以来、エアコンなしでやってどうなるのか様子を見ているが、体から流れ落ちる汗を感じながら何かをするというのも一興であることを見つける。先日の山頭火の俳句ではないが、お臍に汗が集まってきて、小さな水溜りができる。また朝起きるとパジャマも体も汗でびっしょりである。そんなものだ、と思ってしまえばどうということがなくなる。不便なことも含めすべてを何気なく受け入れ、自然のままに生きるのもなかなか面白い。

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ベルナール・ビュフェ展 BERNARD BUFFET 

2005-07-30 23:30:24 | 展覧会

「絵画は語るものでも分析するものでもない。感じるものだ。」
La peinture on n'en parle pas,
on ne l'analyse pas,
on la sent.

画家の言葉に従い、Bernard Buffet (1928-1999) の絵を感じに、損保ジャパン東郷青児美術館へ。再び高いところ (42階) にある美術館なので覚悟して。

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作品は、肖像画、風景画、静物画に分けて展示されていた。気に入った作品がいくつかあった。それらはいずれも、どぎつい色、黒の荒々しい縁取りで特徴付けられる私の中にあるビュフェではなかった。

肖像画では、

「父と息子 Père et fils」 (1945): 深い青・緑のなかにいる。

「自画像 Autoportrait」 (1946): 暗い無表情な。

「画家 Artiste」 (1949): この時期の特徴なのか、細長い顔と肢体、色使いが灰色がかっていて自分の中の緊張感のようなものを表しているのか。

「アトリエの中の自画像 Autoportrait dans l'atelier」 (1949): これも同様の様式であるが、窓から外が見え1階ではない、そのためかやや解放感を感じる。

静物画では、余り気に入ったものはなかった。画集の中に閉じ込められている静物を見ると面白いものも見つかったが。

「兎の静物 Le lapin écorché」 (1951): 最近パリで兎料理を食べたためだろうか、フランス的な静物なのかな、などと考えていた(日本人の画家は描かないだろう)。

風景画では、

「アトリエ L'atelier」 (1947): 大きな絵なので、そのまま彼のアトリエに入っていって同じ空間を共有できそうな錯覚を覚えた。

「村の通り Rue de village」 (1946): 人影のない通り。緑がかった色使いで暗い。昔見た風景。

「ヴェゾン・ラ・ロメーヌ Vaison la Romaine」 (1950): 薄暗い緑が基調の広大な景色が広がる。

「ボーモン・シュール・エスコ Beaumont sur Escault」 (1975): 昔見たことのある木が特徴的な雪の風景。

「ペロン・ギレック Perrons Guirrec」 (1973): 上の絵とともにブルターニュの風景。冷ややかな光の強さが家の壁の白から感じる。

「クーヴェールの城 Château de Couvert」: 先月フランスで見た景色そのもの。

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ネットで彼の写真を見てやや意外な感じがした。作品から受ける印象では、人生に打ちのめされたような、皮肉家の顔をイメージしていたのだが、健全な、幸せそうな、現世的な顔の持ち主であった。8000点にも及ぶと言われる作品を創り続け、商業的にも成功を収めたこととは無関係ではないかもしれない。ただそのことは逆に、1955年以降成功に酔い、彼の芸術がマンネリズムに陥り進化しなかったとの批判にもつながるようだ。今回の展覧会を振り返ってみると、気に入った絵はほとんど1955年以前のものであった。

晩年パーキンソン病を患い、1999年に自ら命を絶った。最晩年の 「死よ万歳 Vive les morts」 を見ていると、彼の中の芯のようなものがすでに崩れ始めているように感じ、苦しかった。彼の作品は日本から特に求められたようで、ビュフェ美術館までつくられている。今回の展覧会では、この美術館所蔵の作品70点余りが展示されている。

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クロード・モネ CLAUDE MONET

2005-07-29 23:59:57 | 展覧会

パリのブルーデル美術館訪問の記はすでに書いたが、先日(7月24日)、20年以上前のブルーデルの展覧会カタログを本棚の中に見つけて驚いた。忘れていた自分を見つけたという感じである。そして今日、同じことがモネについて起こった。

もう7-8年前になるだろうか、シカゴを訪問した際に The Art Institute of Chicago に行った。その時に、Edward Hopper の画集を購入したことは覚えていたが、モネの方は忘れていた。今日、その時にやっていたと思われるモネの展覧会 "Claude Monet 1840-1926" のカタログが本棚から出てきた。奥の方ではなく、すぐに目の届くところから。当時は有名な画家の絵は余り好みではなかった(より正確には、無関心だった)ので、どのように見ていたのかはほとんど記憶に残っていない。ただ、会場のソファの横にあったCDプレーヤーでグレゴリアン聖歌を聞いたこと(ひょっとすると全く違うところだったかもしれない)や彼の生涯を紹介するフィルムの中で動いているモネを見た記憶が蘇ってきた。

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2週間が過ぎて 2 SEMAINES APRES EUROPE

2005-07-28 23:55:02 | パリ・イギリス滞在

ヨーロッパから帰って2週間が過ぎた。ようやく時差ぼけも取れ始め、仕事にも集中できるようになってきている。出発前とはその集中力が違っているようにも感じる。この一ヶ月に会った人たちが目に見えない影響を与えているのだろう。どこまでこれを維持できるのか、それを維持すべくいろいろと考えながらやっていくことになるのだろう。やはり異物に触れ続けなければならないということなのだろうか。

先週末久しぶりに近くの語学学校に行ってフランス語の勉強をした。すぐに感じたことは、話すことに抵抗がなくなてきているということであった。上達したという感触ではなく、少々間違っても話すという姿勢が取れるようになっているということ。会話とするという点ではよいのだろう。中身はまだまだで、お勉強が必要だ。丁度今年から新しくなったDALFの案内が置いてあった。もう少しやってみようという気になってきている。ヨーロッパのよい影響のひとつになるのだろうか。


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日本でのジャズ JAZZ AU JAPON

2005-07-27 23:50:41 | MUSIQUE、JAZZ

久しぶりに近くのジャズバーに行ってきた。女性歌手とピアノの duo。パリの古本屋でも感じたことだが、どこか健全な感じが漂っている。少し堕ちて行ってもまだ安全ネットがあるという感じである。日本に慣れている時にはこれでも満足なのだろうが、外から帰ってきたばかりだと危なさが足りないようである。これはおそらくジャズに限らないことだと思うが、ある領域の幅と深さが見えてしまうのだ。底知れないという妖しさがどうしてもほしい、そう思っていた。



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山頭火 - 青 - 汗 SANTOKA - BLEU - SUEUR

2005-07-26 23:15:30 | 俳句、詩

ビルとビルとのすきまから見えて山の青さよ

à travers les ineterstices
entre les grands immeubles
les montagnes bleues

われいまここに海の青さのかぎりなし

me voilà
là où le bleu de la mer
est sans limite

岩ばしる水がたたへし青さ禊する

dans l'eau d'un bleu resplendissant
qui court sur les rochers
je fais mes ablutions

飯のうまさか青い青い空

la saveur du riz
le ciel bleu
bleu

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いっしょにびっしょり汗かいて牛が人が

ensemble
ruisselant de sueur
les bœufs et les hommes

へそが汗ためてゐる

dans mon nombril
la sueur
s'accumule

まっぱだかを太陽にのぞかれる

complètement nu
exposé
au soleil

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de « SANTOKA: ZEN SAKÉ HAIKU » (Moundarren 2003)

lundi 21 mars 2003 (SANTOKA - SAKÉ - HAIKU)

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日仏のために? POUR LA RELATION FRANCO-JAPONAISE

2005-07-25 23:23:24 | 日仏のために

先月から今月にかけて滞在したパリの職場で、その支援組織が日本にできたことをホストのMDから聞いた。すぐにパリの事務局の責任者に活動内容などを問い合わせるメールを出した。非常によくしてもらったので、何かできることはないかという気持ちからである。その後、フランスの責任者がお休みとのことで、日本の責任者MW氏から丁重なメールをいただいた。私が日本に帰ってから直接連絡しますというもの。そのことを忘れかけていたが、今日MW氏から連絡が入った。

お話によると、支援組織の活動は、日本の若手をパリに送り、向こうから研究者を招き講演会などを開くことにより、日仏交流に貢献しようとするもののようである。ただ、活動を支える人に限りがあり、財政的な支援を得るのが難しい状況が続いているのが悩みの種とのことであった。できることがあればお手伝いしたいと伝えたところ、日を改めてお話でもしましょうというMW氏のお言葉をいただき、会話を終えた。もしその活動にどのような形でも参加できることになれば、今回のパリ滞在の思わぬ副産物 (spin-off) と言うことになる。不思議な展開である。

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何語で生きるのか? VOUS VIVEZ EN QUELLE LANGUE ?

2005-07-24 17:02:36 | フランス語学習

昨日の夜 (あるいは今日の明け方。まだ時差ぼけのようだ。) のテレビで、リービ英雄が最新作「千々にくだけて」や日本語で書くことについて語っているのが聞こえた。その中で、「何語で生きているのか」、「何語で世界を受け止めているのか」という声を聞いて、はっとした。

どの言葉で世界を見るのか、ということになり、その選択によっては人生が大きく変わることを意味している。彼の場合はそれが世界文学から見てマイナーな日本語を選んでしまった。彼の人生の状況がそうさせ、その結果が今の彼を生み出したのだろう。彼によれば、いろいろな表現は動きによって生まれる。動くことにより感じるズレのようなものを言葉にしようとする欲求が生まれる。言葉はそこに住んでいる人の占有物ではない。言葉は与えられるものでもあるが、使う人が選び取るものでもあるという。

自分の場合を振り返ってみると、アメリカから帰ってから15年ほどは英語で発言するために常に準備しているような状態が続いていた。それはある意味、プレッシャーの中で生活していたことになるが、とりもなおさず英語で生きていたことになるのだろう。情報も英語世界から仕入れることになり、その論理で考え、その論理に理解されるような話し方をするように努めていた。最近の4年ほどはこの状況が一変して、フランス文化に関するものをフランス語で読み、感じてきた。しかし、それは言葉が違うだけで、精神活動のあり方自体は以前と変わらない。今はフランス語で生きているということになるのだろう。私の場合は、この言葉を全くの偶然で選んだことにより、絵画や芸術への眼が開かれ、文学や哲学の世界への憧憬が改めて呼び起こされることになった。選ぶ言葉により、確かに開かれる視野が変わってくるということを実感している。

昨日のテレビの声を聞きながら、積極的な意味において、これからも当分はフランス語とともに生きていくのだろう、などと考えていた。

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フィリップス・コレクション展 THE PHILLIPS COLLECTION

2005-07-23 23:44:31 | 展覧会

今年の5月中旬、ゴッホ展に向かった時に(実際には人が多くて入るのを止めたのだが)フィリップス・コレクションがこの夏に来ることを知った。その時のことはすでに大昔のように感じる。そして今日その展覧会に行ってきた。

4時に会場の六本木ヒルズ52階の森アーツセンターギャラリーに入る。人が多いためか、ヨーロッパの疲れが残っているためか、最初は打ち込めなかったが、徐々に気に入った絵が出てきた。フィリップス・コレクションと言えば、ルノワールの 「舟遊びの昼食」 とのこと。確かにこの絵には物語があり、光(例えば、ガラスなどへの)が素晴らしい。このほか、

バルビゾン派のコローの絵 「ファルネーゼ庭園からの眺め:ローマ」、「ジェンザーノの眺め」: この世界に憧れを感じていた。

モネ 「ヴェトゥイユへの道」、「ヴァル・サン・ニコラ、ティエップ近傍(朝)」

シスレー 「ルーヴシェンヌの雪」: 雪景色への憧れがあるのだろうか、雰囲気がよかった。

シャヴァンヌ 「ギリシャの植民地、マッシリア」、「マルセイユ、東方への門」: 初めての画家。地中海の深い青で表現され、全体に暗い印象。ただ物語がありそう。

ボナール 「開かれた窓」、「棕櫚の木」、「リヴィエラ」: 醸し出されている”南”の雰囲気がリラックスさせてくれる。

デュフィ 「オペラ座」、「画家のアトリエ」: 淡い色使いで、軽快。

ジャコメッティ 「モニュメンタルな頭部」

ルソー 「ノートル・ダム」: 先日行ったロンドンの美術館でも小さいながら独特の雰囲気を出していたが、今回も小さい作品ながら彼の世界が広がっていた。

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今回カタログの写真を見て気付いたのだが、原画から受ける印象とは明らかに違うものがあった。例えば、コローの 「ファルネーゼ庭園からの眺め : ローマ」 で右の方から来る光の強さが壁の白で表現されているのだが、カタログではそれが感じられない。同様に、クールベ 「ムーティエの岩山」 でも光の強さが岩肌の色使いで表現されているが、カタログではそれが失われている。シャヴァンヌの絵もカタログでは健康な明るい青になっている。ゴヤ 「悔悛の聖ペテロ」 は全体にくすんでいるのだが、カタログでは異常なほどよく見える。ボナールの絵はいずれも大きく印象が強いのだが、カタログではそれが感じられない。カタログでは絵のサイズがすべて同じになるので、実際に見た時には全く違う印象を受けるものがあるのは仕方がないのかもしれない。(美術作品とコピーの関連は、以前から気になっているテーマです。例えば、2005.5.72005.4.242005.4.17 など。)

会場では美術に捧げたダンカン・フィリップスの生涯も紹介されていた。父と兄を失った後、これらの芸術作品に囲まれて生活したらしいが、一つの理想の生き方であったのかもしれない。

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ヨーロッパから帰ってきたばかりのせいか、これまでに感じていたことが強調されて見える。会場側にいる人の態度が、おそらくアルバイトがほとんどのためだろうが、ロボットのように感じられ(プロトコール化されすぎている?)、人間味が出ていないのだ。パリの美術館で感じたような歓迎の心のような柔らかさ、和みのようなものを余り重要視していないようだ。本来の日本人の良さが押し殺されているようにも感じる。5時少し前だっただろうか、ドーーンと下から突き上げられるようなものすごい音がしたと同時に数分に感じられたが横にゆっくり揺れた。その間、係の人がそっと支えてくれるという自然の優しさを示してくれた。非常事態でそれまでの人工的な姿勢がよりはっきりした。

6時を過ぎたあたりから人の数が急に少なくなり、各部屋に多くて数人という状況に。展覧会をゆっくり楽しもうと、さらに1時間ほど全体を見て回った。7時から松田理奈さんのバイオリン演奏(バッハのパルティータ第3番)を夜景を見ながら聞いて帰ってきた。

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ブログの効用 - BLOG COMME UN TIRROIR DE LA MEMOIRE

2005-07-22 23:09:50 | ブログの効用

ブログを書くということは大変である。しかし、その苦労が思いもしなかった効果をもたらしてくれていることを、今回のヨーロッパ旅行中に気が付いた。

これまでお話をする時、あるいは質問された時に記憶がおぼつかなかったり、考えがすぐにまとまらなかったりして、苦労することが多かった。しかし最近、この過程が非常に楽になってきている。記憶の引き出しとでも言うべきものが目の前のすぐに手の届くところにあるという感覚が出てきているためである。以前であれば、ある出来事やある時に考えたことの記憶が散らばっているため、どこの引出しに入っているのかを探すのに時間がかかり、すぐにまともなお話ができなかった。おそらく、この旅行中に多くの人と話す機会があったためだろう。この過程が非常に楽になっていることを発見。それはその日の観察を自分なりにまとめて、曲がりなりにも公表しているため緊張感があるのだろう。その蓄えが頭の中から飛び出していて、簡単に取り出せるのだ。別の言い方をすると、すぐに使える記憶の引き出しとしてブログが機能しているらしい。ブログの効用の一つ(もし複数あるとすれば)と言ってもよいだろう。

ブログの効用 (II)
ブログの効用(III)
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アンドレ・グリュックスマン - NIHILISME EXTERMINATEUR

2005-07-21 22:09:07 | 哲学

日本に帰って旅行中に届いていた Le Point を見てみると、予想されたことだがパリで見たものとは違う内容のものがある。例えば、パリの街案内、別冊のお勧めワインリストなどはなかった。今週版に手をやると、ロンドンのテロに関連して哲学者の André Glucksmann (1937-) のインタビューが載っている。現場に2日違いで立ち(7月9日)、パリのタクシー運転手からテロの背景についての話を聞いた(7月15日)後でもあり、またロンドンで攻撃があったようなので他人事には思えず、この問題の根にあるものについて知ろうとしたのだろう。

-------------------
Le Point: あなたはロンドンのテロリストが何を狙っていたと思いますか?
Que visaient, de votre point de vue, les terroristes de Londres ?

AG: トニー・ブレアはすべての国に対する挑戦だと強調したが、逆に殺人者たちを正当化することにもなるかもしれないが、イギリスとその首相に対する罰だと見る人もいる。
Tony Blair l'a souligné, ces attentats sont une « attaque contre toutes les nations ». D'autres, à l'opposé, préfèrent lire une « punition » de la Grande-Bretagne et de son Premier ministre, quitte à justifier les assassins.

このやり取りが 9.11 以来続いている。
Depuis le 11 septembre 2001, c'est le même débat.

今回の恐怖のメッセージは、ロンドンっ子を越えて、ヨーロッパ人と地球全体に及ぶものだ。それは、「離れていろ、寝ていろ(=放って置いてくれ?)!」ということだ。
Le message de terreur, au-delà des Londoniens, s'adresse aux Européens et à la planète entière: tenez-vous à l'écart, couchez-vous !

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LP:これをどのように説明しますか?
Comment l'expliquez-vous ?

AG:9.11まではフランシス・フクヤマの理論(冷戦の終結は大きな争い、脅威、危険の終焉を意味する)が支配的であった。この間、民主主義世界の指導者たちはベルリンの壁崩壊が虚無的で皆殺しの欲動をも解放することに気付かなかった。重大な判断ミスだった。20年代にエルンスト・フォン・サロモンが言った「戦争は終わった、しかし戦士は常にここにいる」という言葉をよく考えた方がよかった。
Jusqu'au 11 septembre 2001, la thèse de Fukuyama dominait l'opinion générale: la fin de la guerre froide signifiait la fin des grands conflits, des grands défis, des grands risques... Des années durant, les dirigeants du monde démocratique n'ont pas décélé que la chute du Mur libérait aussi des tas de pulsions nihilistes et exterminatrices. Funeste erreur de jugements. Mieux eût valu méditer ces mots d'Ernst von Salomon émis dans les années 20: « La guerre est finie, mais les guerriers sont toujours là. »

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LP:それはどのような特徴を持っていますか?
Comment se caractérise-t-il ?

AG:9.11ですべてが変わり、アメリカのみならず世界が「皆殺しの虚無主義」により攻撃される。20世紀の最も殺人的なイデオロギー(共産主義とナチズム)に共通していたが隠されていた憎悪が、それ以降は大っぴらに蔓延っている。地理的、社会的、道徳的、あるいはイデオロギーによる枠組みを越えて。
Le 11 septembre 2001, tout bascule, le monde, pas seulment l'Amérique, est attaqué par un « nihilisme exterminateur ». La haine, secret commun des idéologies les plus meutrières du XXe siècle (communisme, nazisme), s'avance désormais à visage découvert. La haine terroriste perce sans frontières géographiques, sociales, morales, idéologiques.

冷戦時代は、両陣営がそれぞれ問題はあったものの、よりよい世界を約束しながら対立していた。今日、憎悪の持ち主は死以外は人間に訴えかけるものを何も持っていない。創造的ではなく破壊的なのだ。むしろ、その破壊性によって力を誇示する。
Pendant la guerre froide, deux idéologies s'affrontaient, promettant chacune un monde meilleur, même si les dêmocraties s'avêraient impartaites, même si le rêve soviétique relevait de l'enfer. Aujourd'hui, le porteur de haine ne promet rien à l'humanité sinon la mort. Sa force n'est pas créatrice mais destructrice. Il montre sa puissance par sa capacité de dévastation.

20世紀最大の3つの惨事(アウシュビッツ、広島、強制収容所)は国家構造のなせる業であったが、現在では技術革新によりこの破壊行為は誰でもできるようになっている。
Les trois plus grands drames du XXe siècle, Auschwitz, Hiroshima, le Goulag, ont été produits par des structures étatiques. De nos jours, cette faculté de destruction, favorisée par les progrès techniques, se démocratise.

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LP:この「皆殺しの虚無主義」からどのように身を守るのか?
Comment nous défendre face à ce « nihilisme exterminateur » ?

AG:それは連帯によって。9.11に関するアメリカ下院の報告によると、この戦いは少なくとも一世代は続くことを強調している。この長い戦いは軍隊や警察の関与が欠かせないが、それだけではない。第一、これは思想の戦いである。
Par la solidarité. Le rapport de la Chambre des représentants américaine sur le 11 septembre 2001 souligne que le combat mobilisera au minimum une génération. Cette guerre longue suppose des moyens militaires et policiers. Mais pas seulement. Il s'agit, d'abord, d'une guerre des idées.

自由や寛容のための戦いは、われわれすべての安全を守る前提であると思う。民主主義が人の自由を無視したり、アフガニスタンのマスードやチェチェンのマスカドフのような人間を見逃したり、独裁制を放っておくと、虚無的テロリスムへの道を開くことになる。
J'approuve: la lutte pour la liberté et de la tolérance est la condition de la sécurité pour nous et pour tous. Quand les démocraties se fichent de la liberté des peuples, quand elles lâchent un Massoud en Afghanistan, un Maskhadov en Tchétchénie, quand elles laissent prospérer les dictatures, elles ouvrent des boulevards au terrorisme nihiliste.

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この問題は私たちが生きている間は付き合わざるを得ないことになりそうだし、解決されなければ21世紀を特徴付けるものになる気配もある。これからも注目し、考えていかなければならないだろう。

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時差ぼけ LE DECALAGE HORAIRE

2005-07-20 22:27:01 | 

パリから帰って、まだ時差ぼけが続いている。そのお陰で、普段は見られないような深夜・早朝の番組などを見ることがあり、ひとつの楽しみにもなっている。今回はNHKで安藤忠雄(建築家)と奥田碩(経団連会長)がイタリアの都市を訪ねて、都市づくりについて語り合うという番組を偶然に見た。お話の内容は余り新しいことはなかったが、今回の旅行で気付いた空の澄んだ蒼と雲の美しさに改めて目を引かれた。

番組では地元に根付いた活動をする人、地元を愛する人などを紹介していた。経済成長が国家目標となっていた時代に、人は都会に流れその根を失い、家庭は崩壊せざるを得なくなったが、今その反動が来ているのだろう。人間の幸せのひとつのあり方が、その対極にもあるのではないかと考える余裕が出てきたのだろうか。私の若い時には到底考えられなかったが、親子代々同じ職に就き一緒に仕事をしている姿を見ると、そういう生き方もまた楽しいからずや、などと想像することが最近よくある。

日本に帰った日の夕方(?)には、うとうとしながら「食彩浪漫」という番組でステラ・マリスの吉野建の生き生きした姿を見る。つい最近パリで会っていたので不思議な気持ちになった。

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今日の写真には、中世の町での週末の結婚式の集いが写っている。

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気分一新 CE VOYAGE M'A DEPAYSE

2005-07-19 22:58:52 | 

一ヶ月ぶりの職場である。ヨーロッパで彼らの仕事振りを見て、自分のこれまでのやり方では物足りなくなっているのを感じる (その芽は旅の早い時期から)。さらに、この7月から新たに二人が加わり、彼らとともに仕事に打ち込んで行こうという気分の高揚も出てきている。内と外の変化が相乗的に絡み合い、旅の以前にはなかった充実感が生まれつつある。少し大げさに言うと、今回の旅は新しい自分への脱皮を手助けしてくれたことになる。出発前のブログを読み返すと、当時の自分が遠くに感じられ、この旅が予想外の効果をもたらしてくれたことがわかる。

 

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PIERRE BERES, LIBRAIRE, 92 ANS

2005-07-18 20:43:54 | 年齢とヴィヴァシテ

パリから成田に向かう機内で Le Figaro の文化欄に目が止まった。Le livre des sortilèges (= charme irrésistible qui paraît magique) と見出しにある。パリで本の売買をやっている Pierre Berès さんの紹介記事。ただ普通の本屋さんとは相当違うようだ。1913 年にストックホルムに生まれ、パリで育ったとのことなので、今年何と 92歳の現役である。昔 127, rue d'Assas に住んでいたようなので、先日訪れた Zadkine 美術館 (100, rue d'Assas) の近くである。以下は彼の述懐。

J'allais tous les jours à pied à Louis-le-Grand en descendant le boulevard Saint-Michel. Je m'arrêtais chez un bouquiniste, rue Auguste-Compte, où je feilletais les revues. J'étais âgé de 13 ans, je suppose, lorque mon copain de banc à Lous-le-Grand sor de sa poche un petit livre du XVIIe dans sa reliure en vélin, ouvrage en latin de l'imprimeur hollandais Blaeu.

(いつも学校にはサン・ミシェル大通りを歩いて行った。オーギュスト・コント通りの本屋に立ち寄り、そこで雑誌のページをよくめくっていた。その時おそらく13歳。学校の友達がポケットから犢皮紙(とくひし:peau de veau mort-né)で製本された17世紀の小さな本を出したのは。オランダの印刷所から出されたラテン語の作品を。)

そしてその友達は Je l'ai acheté 25 centimes chez le bouquiniste ! と彼に言ったという。それがすべての始まりだったようだ。

J'ai été ébloui, pas par le livre, un tout petit format, mais par l'idée que, pour 25 centimes, on pouvait avoir un témoin aussi intact et évocateur de 300 ans avant nous. Cette illumination ne m'a jamais quitté.

(私が魅了されたのは、その小さな本を見たからではなく、25サンチームあれば300 年前の生々しく想像を掻き立ててくれる証言者を手に入れることができるという考えだった。そのひらめきに今まで導かれてきたのだと思う。)

彼の古本歴(?)は 80年に及ぶことになる。世の中には凄い人がいるものだ。彼に会った人たちは、食事の時に滲み出る教養を、本に触れる時の手の美しさを、また本についてのみならず市場についての膨大な知識に裏打ちされた鋭い目、完璧主義、などを語っている。

Pierre Berès さんに関するイメージ

今回のパリ滞在で、この世界の面白さに少しだけ (123) 目を開かされたようだ。これからその興味がどのように変化していくのか、楽しみではある。

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