フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

SS さんとの再会 RETROUVAILLES AVEC UN PROFESSEUR DE TURC

2007-05-07 00:45:12 | 出会い

この連休中、以前に数ヶ月間トルコ語を教えていただいたSSさんと再会する。お友達同伴であった。習っていたのは、この先生が大学を休学して行ったトルコ留学から帰ってきた時のことで、以前に触れたことがある。何年前になるのか確かめてみると、もう4-5年前になるという。そんなに経っているのかと驚くと同時に、最近時の流れがつかめなくなってきていることにも気付く。これから何でもできそうに感じている人たちと話をすると、それがこちらにも感染してくるので精神衛生上、非常によい。人生がパラ色であるかのような錯覚に陥る。話の中で、SSさんは私のことをマイペースの人と見ていたことが判明。これには自分でも納得していた。今でもトルコやトルコ語には興味を持っているが、フランスに深入りしているためか、なかなか手が回らない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「谷間のゆり」 あるいは "LE LYS DANS LA VALLEE" OU ...

2007-03-29 23:03:57 | 出会い

今回フランスに来て花粉症の目の症状は2-3日で治まったが、鼻の詰まりは1週間ほどかかってやっととれた。今回の訪問の目的の一つは達成できた。他にもいくつかあったが、そちらは未だ形は見えていない。そしていつものように思いもかけない出会いから多くのものを学ぶことができた。帰る日に向けて、これまでは感じていた別れの感情は今回は生まれてこず、淡々とした心の動きしか観察されなかった。ホテルのコンシエージュと一言二言別れの言葉を交わす。日本ではなかなかできない、彼らの軽快な心から出てくる言葉とのやり取りはいつも体をも軽やかにしてくれる。

帰りの飛行機では、非常に稀なことに女子大生と隣り合わせる。こういうことは2年ほど前に一度あったきりである。つい最近までは半分などとショックを受けていたが、もはや大学に入りたての場合、年齢は私の三分の一にもなる人たちである。早速話してみると、フランス文学の専攻で、プルーストを勉強することに決めたという。今回はパリでの語学研修の帰りとのこと。彼女は私が話をすると私の目を覗き込むようにしている。丁寧に聞いてくれていることがわかると、つい話に熱が入る。

彼女は最近バルザックを読んだというので、彼の昼夜を逆転させてとにかく書きまくった仕事振りや女性遍歴などについて話していると、・・夫人とのエピソードは自伝的要素が強いと言われる 「谷間のゆり」 の話とそっくりですね、という返答が帰ってきた。その小説の中味は何も知らない私は逆に、「谷間のゆり」 とはそういう作品だったのかとお勉強をする。もし将来読む機会が訪れれば、このエピソードを思い出すだろう。

"Le Lys dans la vallée"

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三軒のリブレリーで DANS TROIS LIBRAIRIES

2007-03-28 23:18:00 | 出会い

先日取り上げた Figaro Littéraire の対論で話題になっていた Diam's。読んでいる時は飛ばしていたが、ラップの歌手で聞いてもわからないだろうとR さんに言われていた人である。その日歩いているうちにどんな感じの歌なのか気になりだしていた。近くの店に行くもなし。店員に聞くとすぐに売り切れるのだという。それからメトロでクリュニ・ソルボンヌまで出て、CD を売っていそうな店を探す。丁度 Gibert Jeune が目に入ったので中に入る。

rappeuse の Diam's があるかどうか聞いてみると、少し怪訝そうな顔をしながら、それなら地下にありますよという。行ってもなかなか見つからない。ラッパーのイメージから男を捜していたからである。再度店員に言うとそんなはずありませんよと言わんばかりに、颯爽とその場所まで案内してくれた。そこで R さんの口から出た言葉を考えずに使っていた rappeuse の意味が一気に氷解。これだから困るのである。中古でお得な2枚組みを仕入れる。その後聞いてみたが、言葉の意味はさすがにわからないものの、音楽としては新鮮で結構楽しめる。

それからソルボンヌへ。例の建物の前には広場があり、向かって右にはレストランが並び、左には本屋がある。その中に昨年暮に別のところで出会っていた J. Vrin (哲学書専門店) があったので入る。去年のよりは数段美しく品揃いしている。先日講義で聞いた Ernst Mach の "Analyse des sensations" があるかどうか聞いてみたが、1998年訳のものがもう絶版になっているという。読む人がいないのだろうか。そうして痩身の老練そうな店員が低い通る声で、「それじゃドイツ語で読むしかないですね。Pourquoi pas !」 と事も無げに付け加えていた。それから近くのカフェで、Crudités というトマト、卵、ハムのサンドとまたしてもコーラ (しかもそれがビンで出てきて、何と4.20Eで主食より高い) で昼食。

カフェの近くの La Librairie Compagnie という本屋に入ると、地下に充実した哲学セクションがあった。ニーチェの本がテーブルにまとめて並べられている。それを見ているうちに、以前このブログで取り上げた本のことを思い出した。題名は思い出さなかったがどういう本かは覚えていたので、こう若い店員さんに聞いてみる。「ニーチェをフランスのモラリストとして捉えて、今はアメリカの大学で研究しているフランス人が書いた本はありませんか」 と。その店員さんがどうしてよいのか困っていると、後ろの方で仕事をしていた老練の店員さんがそれを聞いていたらしく、音もなく棚からその本を取り出し持ってきてくれた。

いずれの店員の応対も本当に気持ちよく、その余韻を楽しみながら再び雨の街に出ていた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マレー地区散策 UNE PROMENADE DANS LE QUATIER DU MARAIS

2007-03-23 06:20:52 | 出会い

今週初め、R というフランスの方から次のようなメールが届いた。私のフランス語版のみならず日本語版ブログの忠実な読者で、毎日幅広いテーマについて触れられ、フランス語をどこまでも理解したいという執拗さが見えていて感心している。今回パリに滞在されているようなので、もしよろしければお会いしたい。また興味があればマレー地区などを案内したい。ところで先日の記事にあった Finkielkraut さんはFrance Cuture で放送されているので、以下のサイトで聞くことができます、と書かれてあった。それを読みながら、私の日本語版に目を通しているフランスの方がいるということに興味を覚え早速返事を出したところ、電話で打ち合わせましょうということになる。話してみると、何と先日の Gallo-Finkielkraut 対談の日本語訳に誤りがあるので、できれば日本語版をプリントアウトしてきてほしいというのである。これにはさすがに驚いてしまった。

その日は午前中に仕事を済ませ、待ち合わせ場所のマレー地区にあるカフェに出かける。見回すと笑顔でこちらを見ている方がいるのですぐに R さんだとわかる。それから Figaro-Littéraire の記事と私の記事を読み比べながら検討が始った。そうすると、私が辞書で確認せずに勝手に決め付けていたところ (自分の中ではそのことには気付いていた) が全く逆の訳になっていた。それから対談をしている両者の言葉の使い方に皮肉が込められていたり、フランス現代社会の風潮が反映されているところが指摘されるのを聞きながら、その内容が紙面から立ち昇るようで気持ちよく、同時に深く汲み取るという作業の難しさを肌で感じていた。また、私がミコ様の俳句を訳した中に本来の意味から云うと少し外れる言葉の使い方があったが、詩的に聞こえるのでよいでしょうというようなことまで指摘される。このように単に目を通すというのではなく、掘り下げて日本語版を読んでくれているフランス人がいるというその事実に感動さえ覚えていた。

R さんは自らを autodidacte だという。この言葉を知っているかと聞かれたが、それはなぜか忘れられない不思議な印象を残す経験から私の中に残っていた。その言葉に最初に触れたのはフランス語を始めた当初、サルトルの « La Nausée » をパラパラとめくっている時で、その響きに何か訴えかけるものがあったからである。これこそ人間のあるべき姿ではないのかという想いが私のどこかにあり、それがフランス語の言葉として目の前に現れたということに共振したのかもしれない。R さんは若いときに短期間日本に滞在したことはあるが、学校で日本語を習ったことはないという。また研究のためパリに来られる日本の大学の先生のお世話をすることがあるようなお話であった。独学でここまでになれるのである。学校の意味を考えさせられる。

それから今思い出せないくらい多くの文学者、芸術家が話題に上がった。記憶に残っているのは、例えばフィリップ・ミュレー Philippe Muray (1945 à Angers - 2 mars 2006 à Paris) という人。実はこの人とはその前日ラスパイユ街のリブレリーで出会っていた。迷った末に入ったその店では、彼の著作と自らの詩の朗読CDが一つのテーブルに並べられていて、その中から手ごろな小冊子を仕入れていたからである。Gallo-Finkielkraut 対談を読んでいる時に M. Morin ですかと声をかけられたが、その名前の人が対談に出てきたり、前日に出会った人が飛び出してきたりと不思議なものである。最近 R さんは岩波新書 「翻訳家の仕事」 を興味深く読んだという。私もどこかで立ち読みした記憶があるが、もう少しじっくり読んでみようかという気になっていた。

カフェでの話が一段落したところで、マレー地区を案内してもらう。それから3時間ほど散策しながら、街の現在とそこに眠る歴史に耳を傾ける。結局4区をほぼ歩き回ることになった。まず、Shoah の記念館、ユダヤ人街のロジエ通り Rue des Rosiers へ。カシェールの店が沢山あると言われて私が首をひねっていると、ニューヨークにいたことがあるのではと言われ、コーシャー (Kocher) のことだと気付く。看板を見てみると Kasher と書かれてあった。それからヴォージュ公園 Place des Vosges では、数年前に1週間ほど滞在した折、オランダ人ジャーナリストとスイスの会社員と待ち合わせて散策した記憶が蘇る。その時坐っていたベンチと再会した時、私は過去の中にいた。

R さんは歩きながら日本語の電子辞書を示し、私にとっては初めての 「ひっこうけんでん (筆耕硯田)」 などという表現を教えてくれたりする。それが筆で硯の田を耕す (→ 文筆で生計を立てる) という意味であることを知り、なぜこの言葉を教えてくれたのかを考えていた。それから5-6軒の魅力あるリブレリーに立ち寄る。そこでも多くの人を紹介された。例えば、ナチスに捉えられた夫を救出した対独レジスタンスの女性闘士で94歳で亡くなったばかりのリュシー・オブラック Lucie Aubrac (29 juin 1912 - 14 mars 2007) さん、やはりレジスタンスの全国組織を纏め上げたが最後はゲシュタポの手で殺されたジャン・ムーラン Jean Moulin (20 juin 1899 - 8 juillet 1943) という人など。そして別れ際になりわかったことだが、訪ねた中にあった Les Cahiers de Colette というリブレリーで、私にプレゼントを用意してくれていたのである。私の atypique で幼稚なフランス語に付き合っていただいた上にこのような心配りである。何と感謝してよいのかわからない。帰って開けてみると、カフェで話題になった bien-pensance という言葉と私が質問した républicain (共和主義者) と royaliste (王政主義者) との対立の歴史などに関連したところから出てきたジョルジュ・ベルナノス Georges Bernanos (20 février 1888 - 5 juillet 1948) という人の « Les Grands Cimetières sous la lune » であった。裏表紙によるとスペインの内戦について書いてあるようだ。

これまでも経験しているように、一つの出会いから世界がぐっーと広がることがある。今回もいろいろなところにつながる扉が開かれそうな気がして、大きな刺激を受けていた。すべてブログのお陰である。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

モンマルトル散策 SE PROMENER A MONTMARTRE

2007-03-14 23:19:50 | 出会い

数日前に、仏版ブログを見たと言って、東京でフランス語の先生をしていたFがメールをくれた。時間があれば、お気に入りのモンマルトル界隈でも散策しないかというのである。両者の都合のよい時間がこの日の午後に一致したので待ち合わせ場所のBarbès へ向かう。メトロを降りて外に出ると、マルボロ・マルボロ・・・・と呪文を唱えるかのごとく唸り続けながらタバコを売る男たちで溢れている。周辺は多人種が溢れている騒々しいカルティエだ。約束の時間に1時間ほど余裕があったので辺りを歩きまわる。どこか殺伐とした印象がある。警官が態度の悪い運転手を怒鳴りつけている。もはや住みたいと思うカルティエではなくなっている。

駅の近くに Virgin Megastore があったので入ってみる。すると入り口に久しぶりに出会う谷口ジローの本が並べられていた。その中の « Le Ciel Radieux » 「晴れゆく空」のページを開くとそこには忘れられない谷口の世界が広がり、あっという間に引きずり込まれる。彼の作品には、記憶、夢、子ども時代、異次元の世界の同居、それに仕事の意味を問うところがどこかにあり、いつも懐かしさととともに心に染み入る。こちらでその世界にもう一度浸ろうと思い手に入れた。

長身のFとは昨年春に東京で会って以来だ。まずモンマルトルの急な坂を上るところから始った。最近ではきついのはわかっているが、体のためと思いどんな所も厭わないことにしている。結局、その界隈を上ったり下ったりとしながら2時間以上は歩いていた。Paul-ailleurs に姿を変えているエリク・サティー Erik Satie (17 mai 1866 - 1er juillet 1925) の家の隣にはミュゼ・ド・モンマルトル。モンマルトルのぶどう畑、その前のラパン・アジル。今日の写真になったムーラン・ド・ラ・ギャレット。これからアメリカ行きを考えているFは、歴史や芸術家についてよく説明してくれていた。作家のマルセル・エイメ Marcel Aymé (29 mars 1902 - 14 octobre 1967) の住んでいた建物とその小説を絡ませたジャン・マレ作の壁を通り抜ける男の彫刻。


パリ・コミューンで重要な役割を果たしたルイーズ・ミシェル Louise Michel (29 mai 1830 - 9 janvier 1905)。サン・ピエール・ホールの本屋では、神秘主義について書いている8ヶ国語に堪能なルーマニア出身の作家にして宗教学者ミルチャ・エリアーデ Mircea Eliade (9 mars 1907 à Bucarest - 22 avril 1986 à Chicago) を紹介してくれた。そこでは印度の芸術家が特集されていて、その中のクリシュナムルティ Krishnamurti (12 mai 1895 – 17 février 1986) という人の書いているのを読んで、私が最近考えていることと同じ方向を見ているのに驚き、早速 « Le sens dun bonheur » (原題 « Think on these things ») を仕入れた。歩き疲れたところで、丘の上のカフェに入る。そこではざっくばらんにいろいろなことを話す。例えば、文学や哲学、人生はどう歩むべきか、これから1年後は一体どこで何をしているのか、さらにもっと遠い将来は?などなど。夕方、再会を期して丘を降りた。


-------------------------------
エリク・サティーについては以前に触れています(2005-06-25)。昨年彼の家を見ておきたいと思っていたが時間がなく断念。こんな風に思いがけず辿り着くとは、、不思議である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カート・ヴォネガットとの遭遇 RENCONTRE AVEC KURT VONNEGUT

2007-02-15 00:06:30 | 出会い

その夜、私はニューヨークのアッパー・イースト・サイドにある日本レストランで食事を終え、三番街に向かって歩いていた。その時、サーカスの足長おじさんのような歩き方をする陰鬱な目をした長身の中年男と出会った。

  カート・ヴォネガット Kurt Vonnegut (11 novembre 1922 -)

すぐに彼だと分かったのは、その数週間前NHK教育テレビで大江健三郎と対談をしていたのを見ていたからだ。

 "Are you Kurt Vonnegut ?"
 "Yes."
   [...]
 "I saw you on the TV with Ooe the other day."
 "I felt too tall in Japan."

彼はそう言い残して、この世界には適応できそうもない生物のような歩みで三番街を下りていった。


その時までに彼の本は何冊か読んでいた。

  Slaughterhouse-Five, or The Children's Crusade (1969)
  Slapstick or Lonesome No More (1976)
  Jailbird (1979)
  Palm Sunday, An Autobiographical Collage (1981)

今その内容をはっきりとは思い出せないが、気だるい日曜の午後の光の中、長くなったアメリカを受け入れるべきか否かをぼんやりと考えながら、Palm Sunday を読んでいたことは覚えている。彼の作品に現れる皮肉屋の一面を見て取ることができた時、少し大人になったような気分を味わうことができ、嫌いな作家ではなかった。

  あの遭遇から、もう20年も経っているとは、、、。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カナダからの友人 MES AMIS DE MONTREAL

2006-11-22 23:52:30 | 出会い

モントリオールから10年来の友人MT氏と5-6年前に一緒に仕事をしたことがあるNUさんが立ち寄ってくれた。台湾での会議に向かう途中とのこと。彼らの仕事の話をしてもらった。Mは熱烈なフランス系でそれを隠さない。エネルギッシュで人生に常に前向きに立ち向かうその姿にはいつも感動する。人生の一瞬一瞬に全力をつぎ込むという感じである。それとちょっとしたところから彼の心の優しさが垣間見え、嫌いになれない人である。今、脂が乗り切っている40代後半。最近Uさんと一緒になったという。夜はI氏も加わって、お祝いのソワレになった。久しぶりにフランス語を使う。お酒が入ると間違いが全く気にならないので哲学的な話もしていた。最初はやや別世界の人を見るような感じであったが、しっかりと聞いてくれていたようである。子供の心をいっぱいに持っているM。Uさんの父親に挨拶に行く前夜でやや緊張気味ではあったが、その幸せいっぱいの様子が素直に発散されていて、われわれにもそれが感染していた。

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボージョレ・ヌーボ解禁 LE DEBLOCAGE DU BEAUJOLAIS NOUVEAU

2006-11-17 21:16:33 | 出会い

ブルゴーニュのボジョレー地区で収穫された葡萄からの新酒は、11月の第3木曜日に解禁される。日頃から世の盛り上がりとは無縁で生きているのだが、昨日はフランス人御夫妻からお声がかかり、神楽坂のフレンチレストランまで出かけた。日本の方も二人同席されていた。一人はお仕事仲間で、もう一方はお寿司屋さんで隣り合わせた仲とのこと。そのお話を聞いた時、偶然の出会いを楽しんでいる姿勢は私と通じるものがありそうだと思っていた。私にはわかりにくかったが、お店の方によるとバナナ banane の香りがするというそのワインは飲みやすく、久しぶりにリラックスした一夜となった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

40年前 IL Y A 40 ANS

2006-09-08 20:57:09 | 出会い

先日、中学、高校、大学をともに過ごした友人S君から、中学のクラス会をやるので参加してほしい旨のメールが届いた。思い返すと40年ほど前のことである。最近は20年、30年前という数字にも驚かなくなってきているが、さすがに40年前のことを話す時が来ようとは夢にも思わなかった。

当時のことを今思い出そうとしてもなかなか出てこない。昔のことはたくさん頭に詰まっているはずだが、引き出せないのだ。何かに触れるとそれが一気に出てくるということはよく経験する。そして思いもしないものが出てきてそれを確認する時、頭の中に風が走る。爽やかな風が。今回その風を感じることができないのは非常に残念である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パリの研究者との再会 RENCONTRE AVEC MD

2006-09-07 23:16:37 | 出会い

今回の会議の前日に、昨年一月滞在した研究所を訪れ、ホストであったMDとメンバーに挨拶をする。昼食を皆さんと一緒にとった後、彼と2時間ほど話をする。最近、15ほどあるセクションを束ねる役になったため、いかに活力と魅力のあるところにするのか頭を絞っているようであった。それからいつものように話はいろいろと飛んだ。彼の場合は、仕事以外のことに非常に情熱を持っていて、他のことをやりたいと強く思っているようだ。

まず、今年のバカンスに面白いことをやったといって、写真とビデオを見せてくれた。ギリシャの島に10日間ほど篭って大理石の彫刻を教えてもらってきたという。地元の彫刻家が世界中から人を募集して毎年やっているらしい。手ごろな石を運び出すところから始まるのだが、まずその重さに驚くという。それからデッサンから立体感を持たせた形を想像しながら、見よう見真似で石を削っていく。この過程がものすごい集中力を要求されるので、忘我の境地になるらしい。また石のかけら・灰が飛び散り、真っ白になりながらの作業で、完全に日常から隔絶するのでよかったと言っていた。サックに入れて持ち帰った、その重い作品はどうなっているのか聞いてみたが、まだガレージに入ったままで仕上げの時間がないと嘆いていた。

それからこれまでの人生についても話が及んだ。私が高校時代は哲学者になりたかったのだが、最後の決断の時にはあっさり諦めて今の道に入ったと言うと、彼もそうだという。違いは、「だから」 科学の道に入ったのだというところだろう。去年も感じたのだが、仕事に対してもそういう姿勢を感じるし、彼の日常を見ていても、いつも考えているように見える。やや強迫観念に囚われているようにさえ見えることもある。

これから先の生き方については、これまでの蓄積を生かすのか、全く違うことを始めるのか、実際の生活のことを考えるのか、気にしないでやっていくのか、などなど考えているようで、私とも重なるところがある。これから選択の幅が一気に増え、将来性豊かな時を迎えるような錯覚に落ちいる。実際には一つしか進む道はないのだろうが。「それは別にして、フランス語やフランス的なるものについては、これからも深めていくのでしょう?」 との問いかけとも励ましとも受け取れる言葉には同意していた。

今回も新しい人がお話の中に出てきた。ひとりは画家の二コラ・ド・スタール Nicolas de Staël (Saint-Pétersbourg, 5 janvier 1914 - Antibes, 16 mars 1955)。ロシア出身でフランス人になった人で、彼のオフィスにあった絵を見ると少しだけムルナウ時代のカンディンスキーを思わせるところがあった。最後はアンティーブで自殺したらしい。作品はこちらで見ることができます。

また彼も知っている神経科学者で、少し哲学的なことも書いているという Hervé Chneiweiss さんの話も出てきた。調べてみると以下の本を出している。
"Neurosciences et neuroéthique : des cerveaux libres et heureux" 「神経科学と神経倫理-自由で幸せな脳」
"Bioéthique" 「生命倫理」


昨夜はパリ5区の静かな住宅街にある、彼に言わせるといかにも parisien なレストランにご招待いただき、初秋の肌寒さと時の流れを感じながら話に花を咲かせた。奥様は中学のフランス語の先生をされているので、年に14週間はバカンス (家にいることができる) とのこと、だから私と違って若いだろうという MD の皮肉を込めた言葉でお開きになった。"14 semaines de vacances !" が今でも私の頭でこだましている。

----------------------
(version française)

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ある作家とのソワレ SOIREE AVEC OLIVIA CHAM

2006-09-06 23:55:59 | 出会い

これも不思議の出会いの一つだろう。私の仏版ブログに数ヶ月前からコメントを残してくれていた人と今回会うことができた。その人の名は、オリヴィア・シャム OLIVIA CHAM さん (今日の写真。パンテオンの前で、ピエール・キュリーさんと一緒に写っている方)。彼女についてはケ・ブランリー美術館のことで以前に触れたことがある。

本日、仕事が終わった後、ルクセンブルグ公園で待ち合わせて会うことになった。地図で見ると間違いようがないと思っていたが、例によって私の方向音痴が出て、本当に迷ってしまった。20分くらいは遅れただろう。しかし快く迎えていただいた。

フルタイムで作家活動をされているのかと思っていたが、お話によると本職は法律家で官庁にお勤めのようである。ただ作家になるのは子供の頃からの夢で、いつかは作家で立ちたいとのお話であった。私の原始的なフランス語にもじっくりと耳を傾けていただき、非常に優しい方とお見受けした。

先月彼女の最初の作品 "La Nouvelle Ada" を読み始めたのだが、私にはとてもコメントできるだけの力はない。驚いたことに、私の名前にちなんで選んだというアンリ・ミショーの本をプレゼントしていただき、本当に恐縮してしまった。詩人の名前は聞いたことがあるような気もするが、読んだことはない。

Henri Michaux (Namur, Wallonie, 24 mai 1899 – Paris, 19 octobre 1984)
"Ailleurs:
Voyage en Grande Garabagne
Au pays de la Magie
Ici, Poddema
"

さらに、生物学者にして哲学者のジャン・ロスタンも読むと面白いですよと薦めていただいた。ウィキペディアを見ると、かなりの作品を残しているようである。

Jean Rostand (Paris, 30 octobre 1894 - Ville-d'Avray, 4 septembre 1977)

多くの宿題を抱えることにはなったが、彼女の大きな人柄に触れ、ブログなしにはありえなかった爽快なソワレに感謝している。

----------------------
(version française)

22 septembre 2006
アンリ・ミショーの名前を聞いたことがあると書いているが、以前に触れたエミール・シオランのパリ時代の友人として出てきている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本を読むのは・・・ POURQUOI LIRE ? SELON MOI...

2006-08-28 00:37:51 | 出会い

私の場合、無意識に本を読んでいるような気がしていたが、どこかに自分の頭にあることを言葉にしてくれている人がいないかと探しているようなところがあることに気づく。吉田兼好ではないが、ご同類を求めているのだろう。そしてぼんやりと頭にあることが見事に言葉になっているのを見つけた時には、それまで形がはっきりしなかったものが一瞬にして立ち上がるようで爽快な気分になる。どちらかと言うと、何かの事実を知るために読むということは、それがどうしてもお勉強の匂いがするためだろうか、少ないような気がする。それは仕事の時だけで充分とでも思っているかのようだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バルテュスの世界に遊ぶ JOUER DANS L'UNIVERS DE BALTHUS

2006-07-23 23:20:49 | 出会い

数日前、何を思ったかバルテュスの世界を味わいたくなり、奥様の本を注文していた。彼の画集は何冊か持っているのだが、別の視点で見たいと思ったのかもしれない。

節子・クロソフスカ・ド・ローラ 「グランシャレ 夢の刻
バルテュスの優雅な生活

以前に彼女の 「見る美 聞く美 思う美」 を休日に電車の中で読んだことがある。馴れ初めのところ (50代と20歳の出会い) や息子を亡くすところの話が印象に残っている。それと美しい落ち着きに溢れた姿と心が充実していることを想像させる彼女の表情が気に入ったことも大きい。

どういうわけか、今回も電車の中での出会いとなった。全体の印象は前回と変わりはない。ただ、バルテュスの作品と生活の断面が美しい写真で残されていて、より具体的な想像が可能になっている。それにしても彼の世界は時間が凍りついたように見えたり、永遠の世界 (時間) が切り取られているように見えたりする。その静謐な印象が気に入っている。また彼の大きな生き方にも共振するものがある。

この本には最近触れたマルク・フュマロリさんが子供時代をすごしたモロッコのフェズ Fès のことも出てくる。

「フェズはユネスコで世界文化遺産に指定されている古都。」

「この街は容易にその本性を表示しない神秘的なところとされ、その本体に入り得るには、目に見えるようで見えない神聖の門を潜らなければならないと伝えられています。スフィ派教徒間では、この地を尊び、聖所と呼んで、何世紀もの間、政治と有智人の首都、文化と知性の交流と出会いの地点として栄えたのでした。」

「シルウェステル二世は若いときフェズに学び、アラビア数で数年を過ごしコーランを学びました。ユダヤ教徒の哲学者マイモニデスもこの地で数年を過ごしコーランを学びました。そしてこのことは、ユダヤ教と回教が共存でき得る証でもあります。」

フェズはいずれ訪れてみたい街のひとつになりつつある。

-----------------------------
シルウェステル二世 (フランス人初の教皇、在位999-1003年)
マイモニデス (30 mars 1135 - 13 décembre 1204)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松田理奈さんをテレビで RINA MATSUDA A LA TELE

2006-06-07 20:55:39 | 出会い

BSなど余り見ることもないのに、何気なく入れたBS Hiで以前に何度か触れた松田理奈さんが出ていた。丁度イザイの無伴奏ソナタを弾き始めるところだった。以前よりもふくよかな感じで、まだ20歳だが少しだけ大人びてきたようだ。これからも目的をもってそれに向かうことの大切さを若い人に伝えて生きたいという抱負を語っていた。私などこれだけ齢を重ねても、なかなか次世代に伝えることなど出てこないものだが、立派な心がけである。ところで彼女は人気もあるのだろう。このブログにある彼女に関する記事には毎日のようにアクセスがあり、おそらく最も読まれている記事になるかもしれない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

思わぬ再会 RETROUVAILLES IMPREVUES

2006-05-11 00:15:20 | 出会い

お昼を少し離れたところで取ろうとして、以前に顔を出したことのある、若者がやっているカフェ風のレストランを思いつく。以前とは違った人が働いているようだ。サービスに現れた女性を見た時、少し変な感じがした。なぜか初めてではないような雰囲気を感じたが、その時は別のことを考えていた。そのうちどこかで会った人ではないかという気がしてきた。しかし、相当前だろうからもっと老けていてもよいのではないか、それにしても似ている、どこで会ったのだろうか、もし聞いて違っていればこの親爺何を考えているのか!ということになるだろう。そんなことを考えながらの食事となった。

食事が終わって、このままにしておくのも気持ちが悪いので、こう聞いてみた。「私に似た人をどこかで見かけたことはありませんか」。そう聞いた途端に、彼女の相好が崩れた。どうも最初から気付いていたらしい。それならそうと言ってほしいものである。

5‐6年前だろうか、彼女はそれほど前ではないと言うが。彼女のちょっとした言葉で、忘れていた昔が蘇り繋がってくる。最初はある焼き鳥屋で隣り合わせたこと、その時彼女は二人組で来ていて、デイヴィッド・リンチ David Lynch の 「マルホランド・ドライブ Mulholland Drive」 の帰りだったこと、この監督の素晴らしさを教えられ早速DVDで彼の不思議の世界を味わったこと、それから何度かお見かけしたこと、などなど。

今回話してみると、彼女は家に篭っているのが好きで、海外に一度も行ったことがないという。今時の若い人では珍しいのではないか。しかしどこか足が地についているような、日々の何気ない生活に満足を見出そうとしているような、江戸の世界にいてもおかしくないような、落語や日本古来のものが好きそうな、そんな感じがした。ほっと安心させてくれる何かがあるようだ。

不思議な再会のお陰で、頭の中を一陣の風が吹き抜け、気分が晴れた昼下がりとなった。やはり、話し掛けてみるものである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする