フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

青山二郎の眼 "L'OEIL DE JIRO AOYAMA" AU MUSEE MIHO

2006-09-23 22:38:52 | 展覧会

パリに向かう機内だろうか。雑誌の広告にあった写真に惹きつけられた。その美術館は山奥の森に埋もれるように写っていた。その設計者が I.M. Pei さんということで、一体どんな美術館を創っているのかに興味が湧いた。彼はルーブルのピラミッドの設計もしている建築家であるが、私がニューヨークにいた20年ほど前に、アヴェリー・フィッシャー・ホール Avery Fisher Hall であったニューヨークフィル演奏会の中休みにワイングラス片手に取り巻きと話しているのを見かけ、アジア系で活躍していたということもあり、親近感を覚えていた人でもある。

今回京都に来た目的の一つは、その美術館を訪れることであった。未だに疲れが抜けないせいか、午後から出かけることにした。出る前に近くのカフェに寄り、予定を立てる。お勘定をした後、レジの女性が私の手の甲を支えるように軽く触れておつりを渡してくれた。不思議な感じがしたが、何かが通じた。その時、同じ経験を5-6年前鹿児島でもしていることを思い出した。マニュアルでもあるのだろうかとその時に思ったが、どうなのだろう。東京では、触るのも汚らわしいとでもいうように、手のひらの上から落とすようにおつりを渡されることが少なからずある。今日はなぜか心が和んでいる。

石山からバスで小一時間揺られる。川に白鷺?を見かける。渓谷を抜けるように登っていく。対向車が来ると止まって待ったりしながら。「体」 の感覚が蘇ってくるようだ。大脳皮質のコントロールから少しだけ解き放たれるようである。深山幽谷にその美術館はあった。紅葉がほんの少し始まっているのを見つける。バスが止まったところから、なだらかな坂道を登っていくと山をくり貫いたトンネルがある。その形と中の照明を楽しみながら10分ほどゆっくりと歩く。先日訪れたケ・ブランリー美術館のジャン・ヌヴェル氏ではないが、建物を取り巻くすべてが建築になっているということを感じながら。

Miho Museum
(novembre 1997 -)

建物もしっかりとした立派な美術館である。中高生の団体がいてにぎやかである。南館は常設の展示のようだ。エジプト、西アジア、南アジア、中国、ペルシャなどの彫刻・絵画・織物などが置かれている。数は多くないが、仏像や古代の人の表情などを見ていると何か大きな心に触れたような印象を受ける。北館では秋季特別展の 「青山二郎の眼」 が行われていた。

青山二郎 (1901年6月1日 - 1979年3月27日)

入り口にあった 「眼は言葉である」 というフレーズを見て、その心がまさにこのブログにぴったりであることを悟る。集めたものをいろいろ見させていただいた。目利きではないのですべてがピンと来るわけではなかったが、見ながら青山二郎という人の生き方に思いを馳せていた。中に本阿弥光悦の 「山月蒔絵文庫」 と 「鹿図蒔絵硯箱」 があったが、その構図 (デザインと言ってもよいだろう) の斬新さに驚いた。今作られたと言ってもおかしくないほどである。北大路魯山人の食器も展示されていた。私の好みではなかったが、美味いものを人に食わせるために焼物を始めたという彼の心には感じるものあり。

仏語版ブログに、木喰 Mokujiki の彫刻がいいという Aurele 様のコメントが最近入っていたが、その一つ 「地蔵菩薩像」 が集められていた。何とも幸せそうな、嬉しそうなお顔で手を合わせている像で、確かに親しみが持てる。

また、今回彼が本の装丁にも手を出していたことを知る。その装丁もさることながら、当時の作品が今ほとんど読まれていないものも含めて並べられているのを見て、懐かしさを禁じえなかった。

小林秀雄 「無常といふ事」
ランボオ 「Bateau ivre (酩酊船)」 (小林秀雄訳)
小林秀雄 「ドストエフスキイの生活」
アラン 「精神と情熱に関する八十一章」 (小林秀雄訳)
河上徹太郎 「道徳と教養」
ギュスタァフ・フロオベル 「ジョルジュ・サンドへの書簡」 (中村光夫訳)
中村光夫 「文學論」
アンドレ ジイド全集
中原中也 「在りし日の歌」
北條民雄 「いのちの初夜」
大岡昇平 「俘慮記」
・・・

いくつかの言葉が紹介されていたが、メモにあるものの中から。

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優れた画家が、美を描いた事はない。
優れた詩人が、美を歌ったことはない。
それは描くものではなく、
歌ひ得るものでもない。
美とは、それを観た者の発見である。
創作である。
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帰りがけに、彼の生き方に触れたくなり、白洲正子の 「いまなぜ青山二郎なのか」 を仕入れる。その帯には 「俺は日本の文化を生きているのだ」 とある。早速、バスを待つベンチで読み始める。装丁が気が利いているので後ろを見てみると、「装画・題字 青山二郎」 となっていた。

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