フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

5月の記事

2007-05-31 23:04:18 | Weblog

2007-05-31 自然な道 LA VOIE NATURELLE
2007-05-29 世界とつながる ÊTRE LIÉ AU MONDE
2007-05-27 MAP OF VISITOR LOCATIONS
2007-05-26 人間にとって記憶とは À QUOI SERT LA MÉMOIRE ?
2007-05-24 心を開いて EN OUVRANT L'ESPRIT
2007-05-22 信じたくないこと LE CHANGEMENT SÉNILE
2007-05-21 顔が変わる時 QUAND LE VISAGE CHANGE
2007-05-18 研究生活のことを話す PARLER DE MON EXPÉRIENCE DE RECHERCHE
2007-05-14 私の注意の払い方 MA FAÇON DE LIRE
2007-05-13 子供の頃の夢 UN RÊVE DE MON ENFANCE
2007-05-12 週末の読書 LA LECTURE D'UN WEEK-END
2007-05-11 INSIDE THE ACTORS STUDIO
2007-05-10 われわれの存在の意味 LE SENS DE NOTRE EXISTENCE
2007-05-09 ウィキペディア UNE ENCYCLOPÉDIA ANARCHISTE ?
2007-05-08 大杉 栄 SAKAÉ ÔSUGI
2007-05-07 SS さんとの再会 RETROUVAILLES AVEC UN PROFESSEUR DE TURC
2007-05-06 アイスランドの景色を見て EN REGARDANT LE PAYSAGE D'ICELAND
2007-05-05 ポストがプルースト POSTE ? C'ÉTAIT PROUST
2007-05-04 少しだけ時を置いて考える PENSER APRÈS UN PEU DE TEMPS
2007-05-03 中学で 「哲学」 LA PHILOSOPHIE AU COLLÈGE
2007-05-02 この人生を歩むすべての人 ALL WALKS OF LIFE
2007-05-01 「俳句スペシャル」 を見る REGARDER LE TÉLÉPROGRAMME DU HAÏKU

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自然な道 LA VOIE NATURELLE

2007-05-31 19:18:29 | Weblog

今年のこれまでを仕事の面から振り返ってみた。特に、外に向けて話しかける時に大きな変化が起こっていることを感じる。例えば、

1月 仕事場での発表 (科学を上から見る

4月 大学での講義 (気持ちの良い講義

5月 大学での講演 (研究生活のことを話す

これらの話をしていてまず気付いたのは、寝ている人が一人もいないこと。それに聞いている人の雰囲気が今までとは全く違うことも肌で感じる。話を聞いてくれているな、と実感できたのだ。自分の持っているものを真に発揮できていると感じながら話していることも大きいのだろう。とにかく、私にとって気持ちのよい時間が流れていた。科学を少し違う角度から眺め考えていくという道が、今の自分にとって一番自然なのではないか。嵐の中、そんな思いに至る。

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世界とつながる ETRE LIE AU MONDE

2007-05-29 20:29:28 | Weblog

今日、このページにある ClustrMaps に目をやると赤い点が確かに見えている。非常にいい感じである。世界とつながっていることを確認できたからだろう。

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MAP OF VISITOR LOCATIONS

2007-05-27 17:40:48 | Weblog

数日前、フランス語版ブログによくコメントをいただく Chris 様のところで、訪問者の場所がわかる地図が載っていた。ClustrMaps という。昨日、何を思ったかフランス語版に組み込んでいた。そして、今日その結果を見ている時、不思議な感覚が襲ってきた。フランスやアフリカの町の人が訪問していることが目に見える形でわかり、いろいろと想像が膨らむところが面白い。ブログを止めようと思う気持ちが少しだけ収まっている。人はどこかとつながっていることを願う生き物だということだろうか。ということで、しばらくの間日本語版でも試してみることにした。

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人間にとって記憶とは A QUOI SERT LA MEMOIRE ?

2007-05-26 07:53:10 | 哲学

夜、衛星放送に行く。優れた音楽家だったイギリスの男の物語が流れている。再放送とある。彼はキャリアの盛りに、ウイルス性脳炎で記憶を失った。正確に言うと、記憶が7秒間しか維持できなくなってしまった。その状態は想像できない。想像するだに恐ろしそうだが、実感が湧かない。イギリスのマスコミも興味を持ち、病気の初期にもドキュメンタリーを作っている。今回は、その後の彼を知りたいという思いで取材に来たと彼に説明している。

彼が自らの状態について、何度も言っていたこと。それは、意識がない、朝も夜もない、夢も見ない、死と同じだ。もう少しあったと思うが、今は思い出せない。記憶がなければそれは死を意味しているという彼の観察は、人間にとっての記憶の意味を考えさせる。死を意味していると言った後、だから非常に楽なのだなどと冗談を飛ばしている。彼の話を聞いていると、インテリジェンスに溢れ、病前の彼を髣髴とさせる。

この物語を見ながら、記憶を失い死人同然になった男を愛することができるのか、という問題を考えていた。以前に触れたパスカルの思索のことを思い出したからだ。この方の奥さんは途中で離婚しニューヨークへ。新たな関係を求めるためである。7年ほど探し求めるが、探していたのはもはや以前の彼ではなくなってしまった男だったことを悟り、イギリスに戻り再婚する。

この方の身内のインタビューも出てくる。妹さんご夫妻、それに二人の息子とひとりの娘。妹さん本人よりはご主人の方がうまく対応できると言う。子供たちは、死人同然の父親を愛することなどできなくなっている。特に娘さんにとって、父親の今の状態は耐え難いもののようだ。それに比べて奥さんの表情の、瞳の何と生き生きとしていたことか。彼女はこの男の 「私」 の部分 (本質) を試行錯誤の結果捉えることができたのだろう。そこに何かを見出した時、その存在を愛することができるのだ、と確信する。この例で見る限り、そうできるのは他人であることがわかる。身内と他人、そこにある逆説があるようにも見えてきた。すでに考えられている問題だとは思うが、自らも当ってみたい。

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心を開いて EN OUVRANT L'ESPRIT

2007-05-24 19:26:27 | Weblog

仕事をする時、これまでは心を閉ざして集中していた。周りに高く壁を張り、異空間のその中に入るのである。これからは心を開いたままで集中できないだろうか。日常の心と同じレベルを保ちながら、自らの存在と向き合う形でいろいろなものを関連付けながら事を進めるのである。もう少し自らに根ざしたものが出てきそうに感じるのだが・・・どうだろう。今日、そんな想いが一瞬過ぎった。

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信じたくないこと LE CHANGEMENT SENILE

2007-05-22 22:20:23 | Weblog

今まではゆっくり自らの体を見る気にもならなかったが、最近それが少し変わってきている。例えば、皮膚が茶色く盛り上がっているのが気になったり、足の骨が変形しているように見えたりしている。病院に行ってそれを初めて聞いた時に、軽いショックを受ける。まだ早いでしょうという感じである。それとは、「これは老人性変化ですね。老人によく見られるものですね」、「これは老人性疣贅 (ゆうぜい) ですね」 などの 「老人性」 というやつである。この言葉、何とかならないだろうか。単純に病変を記載すれば済むことではないか、という思いである。ただ、若い時には 「老人」、「老人性」 などという言葉は平気で使っていたはずである。そのような時が訪れようなどとは想像だにせずに。

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顔が変わる時 QUAND LE VISAGE CHANGE

2007-05-21 22:23:41 | Weblog

先日、たまに顔を出すお鮨屋さんに行く。そこはご夫婦でやっている小さなお店である。お客さんがいない時は、個人的なお話もできるところである。その日もお客さんがいない時があった。そこで出てきた話に驚いていた。最近 paul さんの顔つきが変わってきたというのである。それまではどこかに鎧を着けているようなところがあり近づきにくかったが、このところなぜか親しみやすくなったというのだ。それは単に年齢を重ねて丸くなったと一般に言われることか聞いてみたが、それとも違うと言う。ご夫婦揃ってそういう観察をされていたようである。私は全く気付いていなかったので、非常に興味を惹かれた。変わってきた時期を聞いてみると、丁度科学を上から眺めましょうなどと考え始めた時期に一致している。おそらく、それまでは科学の中に身を屈め、外の世界を別世界として生きていて、それが鎧を着けているように見えたのかもしれない、などと考えていた。顔や目はその人の心の状態を表しているというようなことはよく言われるが、目に見える形で自分が指摘されるとやはり驚く。この心の変化は本物だということなのだろうか。

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研究生活のことを話す PARLER DE MON EXPERIENCE DE RECHERCHE

2007-05-18 23:54:36 | 科学、宗教+

私の関係している大学で大学院の学生に向け、研究をどのようにやってきたのかというお話をするようにとの依頼があり、研究の成果だけではなく、その背後で何を考えていたのか、研究者としての歩みの中でそれぞれの時期や出来事がどのような意味を持つと捉えているのかなど、普通のセミナーでは聴けないようなことについて率直に語ることにした。これからの人に参考になることもあるだろうと願ってのことである。

このお話を受けて自らを振り返ってみると、よくもこれだけ長い間この道に携わってきたことにまず驚く。自分の中では数年前までは今にしか生きていなかったので、現在と将来しか見ていなかった。振り返ることがなかったのである。そして落ち着いてその長さを見直してみると、そこから生まれたものとの対比で異常に増強されて見え、愕然とする。また、もしあの時に何も見つかっていなければ、ここまで来ることができなかったな、という出来事もある。余り深く考えずに、がむしゃらにやってきたことの方が多いようだ。なぜここにいるのかが不思議にさえ思える、危うい歩みである。

先日、Ernst Mayr が生物学を Functional biology (生物現象がどのようにして起こるのかを解析するもので、科学者は "How?" という問題提起をする) と Evolutionary biology (生物現象がどうしてそうなるのか、その意味を問う "Why?" という疑問に答えようとする) に分けていることに触れたが、私は確実に前者の研究者であったと言える。これまでの歩みを話しながら、これからは "Why?" という問に答えようとする精神の状態を保ちたいという思いが再び湧いていた。

1時間半ほどの会が終わり、声をかけていただいた先生の部屋で15人ほどの学生さんとざっくばらんに話をする。研究を実際に動かす原動力は、やはり若い力でなければ駄目だろう。われわれができることは、これまでの経験を語ったり、「意味」 を探る思索を続け、その成果を世に問うような、若い世代、外の人々との接触の中にあるのではないか、という想いも過ぎった。このようなことは、若い人や外の人にはできないことだから。

久しぶりに時を忘れて話をした。気がついたら10時を回っていた。あっという間の4時間であった。

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私の注意の払い方 MA FACON DE LIRE

2007-05-14 21:46:39 | Weblog

最近、最も気持ちよく本を読む方法がわかってきたようである。もともと勉強というのが嫌いだということもあるが、何かを集中的に読むということを好まないということには気付いていた。最近の読書の傾向を見ていると、一ヶ所に留まってじっくりと読むということが少ないようだ。集中力が持続しない、気が多い、飽きやすいというのが原因だろう。それならこの性向を生かしてみる方法はないか、ということで、一気に読みたくないものはそのままにしておく。そしていくつかの本を気分の乗った時に読み進む。そしてある期間、半年、1年、数年という単位で、それらを全て読めばよいと考えるようになっている。これは丁度フランス語を始めた時の方針にも似ている。つまり固まった時間の中で何かをやりましょうという考えだ。フランス語の場合は4年という期間を自由に使って基礎を学びましょうと始めたが、それが私の場合にはうまく作用したという経験を生かそうという心なのかもしれない。

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子供の頃の夢 UN REVE DE MON ENFANCE

2007-05-13 23:54:41 | Weblog

母の日ということで、電話で2時間ほど話をする。こういうことは初めてである。80歳を超える母親が言うには、これからは昔のことを話してやろうと思い、いろいろと書き留めているという。今日話に出てきたのは、自分の知らない子供の頃のこと。尾籠な話で申し訳ないが、その昔、家に便所に溜まったものを取りにくる車が来ていたという。その時、臭い中興味深そうに見ている子供たちに、どうしてそんなに見ているのか不思議に思い尋ねたという。そして私が答えたこと。それは、将来バキュームカーの運転手になりたい、であったという。この手の話は、いつも私の興味を引く。そこで楽しそうに見ている自分になぜか会ってみたくなるのだ。

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週末の読書 LA LECTURE D'UN WEEK-END

2007-05-12 22:21:18 | 哲学

今日は、先日の Jean Staune 氏の本を読もうと外に出る。そして何気なく入った本屋で2つの本に手が伸びる。

  藤田正勝 「西田幾多郎 ― 生きることと哲学
  橋元淳一郎 「時間はどこで生まれるのか

本来の目的を諦め、カフェ二軒をはしごしてそれぞれの頭を読む。西田が次から次に自らに降りかかった不幸をもとに自らの思索を深めていった様子が語られている。その姿勢には 「真に生きる」 上で学ばなければならないことに溢れている。先日触れた Ernst Mayr ではないが、西田も退職後に多くの重要な仕事をしているようだ。

 「私は常に思う。我々の心の奥底から出た我国の思想界が構成せられるには、徒に他国の新たなる発展の跡を追うことなく、我々は先ずそれ等の思想の源泉となる大なる思想家の思想に沈潜してみなければならぬ、そしてその中から生きて出なければならぬ」 (西田)


橋元氏が扱っているテーマは、今までであれば全く興味を示さないものである。ところが最近、私の周りにあり、これまで何気なく通り過ぎていたことに興味が湧くようになっているためだろうか、手が出ていた。それと、この物理学者が感じている文系と理系の乖離、哲学と科学の乖離に対する違和感に共感のようなものもあったようだ。まだはじめの方ではあるが、わかりやすく解き明かそうという心が見えてどんどん入っていける。こちらの心も広がっているようだ。

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INSIDE THE ACTORS STUDIO

2007-05-11 00:05:35 | 映画・イメージ

先日のらっこ様とのコメントのやりとりで、アメリカのトーク番組、"Inside the Actors Studio" のことを思い出していたが、この連休に衛星放送で偶然に見ることができた。この番組はいろいろな俳優が出てきて、それまでの人生や仕事のことを対談で語るというもの。なぜデビューできたのか、どのような経過でその映画に出るようになったのか、その後のアップ&ダウンなどの話を聞いている時、人生の不思議な縁を感じることがある、その人の底にあるものを覗く瞬間がある、いろいろなユーモアのセンスを見ることができる。さらに、有名な俳優の逸話を直接聞くことができ、彼らがわれわれの日常に舞い降りてくる。司会者が持ち出している sense of humor が私のそれとよく合うので、気持ちが晴れることが多い。ということで、アメリカにいる時からの好みの番組であった。この番組の出演者が来日した時に、このようなお話を聞くことができないは残念である。おそらく、日本では彼らを人間扱いしていないのだろう。そう疑わずにはいられない。

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われわれの存在の意味 LE SENS DE NOTRE EXISTENCE

2007-05-10 00:59:42 | 科学、宗教+

先の連休を利用して500ページを超える本を読み始める。精神的余裕がなければなかなか手を付けられないので、今回の連休は絶好の機会であった。

Jean Staune "Notre existence a-t-elle un sens ? : Une enquête scientifique et philosophique" 
「われわれの存在に意味はあるのか? 科学的、哲学的検討」

最近の興味の対象である科学、宗教、哲学の領域にまたがる問題意識にぴったりのタイトルだったので手に入れたようだ。簡単に言ってしまうと、この世の、この存在の意味を知りたいと思うようになったことと深く関係している。その日は飯田橋の方まで出かけ、レストランの外に座り、いつもの休日とは違うのんびりとした人の流れを見ながら数時間読み進んでいた。具体的には以下の問題について検討されている。

-----------------------------------------
(1) Qu'est-ce que le réel ? (実在するとはどういうことか) --- ここでは物質の本質、量子力学 (la physique quantique) の領域を扱う
(2) D'où venons-nous, où allons-nous ? (われわれはどこから来て、どこに行くのか) --- この疑問に答えるのは、天体物理学 (astrophysique) が一番近いだろう
(3) Sommes-nous ici par hasard ? (われわれは偶々ここにいるのか) --- この疑問については進化 (evolution) の問題とともに考える
(4) Qu'est-ce que l'homme ? (人間とは何か) --- 脳 (cerveau)、神経科学 (neuroscience) の視点から検討することになる
(5) Les mathématiques ont-elles un lien avec une forme de transcendance ? (数学の超越性について) --- 数学が単なる人間の精神の産物なのか、それを超える世界を構築しているのかという問題について考える
-----------------------------------------

これらの問題について、科学的根拠のある事実 (これはレフリーによる評価を受け、科学雑誌に発表されているものと定義されている) だけに基づいて検討する。この本のテーマは哲学、形而上学の上で意味があるだけではなく、われわれの文明を考える上でも重要になる。科学の分野で新しい発見が相次いでいるこの時期、これまでにない統合 (synthèse) の可能性があるのみならず、哲学に新たな領域を開く可能性がある、とその序章を結んでいる。

この領域についての感触を得るために素人が読む本としては面白そうである。そう感じるのは、この本の著者が科学者なので、形而上学的になり過ぎないということが大きな要因なのかもしれない。われわれがここにいるのは何らかの意味があるのか、あるいは全くの偶然なのか、これこそ最も大きな疑問となって迫ってくる。

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ウィキペディア UNE ENCYCLOPEDIA ANARCHISTE ?

2007-05-09 00:42:14 | Weblog
          Proudhon et ses enfants, par Gustave Courbet, 1865

なぜか仏版ウィキペディアで Wikipédia の項目が開いていたので眺めていると、昨日の影響だろうか、次の項目が目に飛び込んできた。

  "Une encyclopédie anarchiste ?"

誰かの権威によるのではなく、共同体の規則遵守に基づいているところからアナーキズムの辞書ではないか、という指摘である。その意味で、プルードンの次の言葉を体現しているのかもしれない。

Pierre Joseph Proudhon (15 janvier 1809 - 19 janvier 1865)

  « L'anarchie, c'est l'ordre sans le pouvoir. » (Les Confessions d'un révolutionnaire)
  「アナーキズムとは権力なき秩序である」 (ある革命家の告白)

その他にもウィキペディアのプロジェクトの中にアナーキズムの傾向を見ている人がいるようだ。例えば、

  « un rêve anarcho-libéral » (Guillaume Lecointre; 28 février 1964 -)
  「無政府主義的自由主義の夢」

  « proche de l'utopie libertaire » (Le Monde)
  「絶対自由主義=無政府主義のユートピアに近い」


一方、英国版ウィキではアナーキズムの影響を受けている実験ではないとしている。アナーキズムを一般的に受け止められているような秩序なき混乱とすると、ウィキの運営はそれとは全く逆と言ってよいだろう。

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