台風が関東にも接近している。このまま行くとフランスへの旅が危なくなる。その旨パリの友人に伝えると、直ちに次のような反応があった。ところで、ジョゼフ・コンラッド Joseph Conrad (3 décembre 1857 - 3 août 1924) の "Typhon" を読んだことがあるか、アンドレ・ジードが訳している素晴らしい小説だ、というもの。こういうやりとりは、いつも私に爽快感をもたらしてくれる。早速何軒か巡ってみたが残念ながら見つからなかった。向こうに行ってからということになりそうだ。
本屋巡りの中、あるタイトルに目が引き付けられた。
「記憶する水」 (新川和江という方の詩集)
このお話もパリの友人から昨年聞いた。フランスの免疫学者ジャック・バンヴェニスト Jacques Benveniste (12 mars 1935 - 3 octobre 2004) は、アレルギーを起こす元になる抗体 (IgE) を含む血清をどんどん薄めていき、その中に抗体の一分子も含まないところまでもっていく。その上でこの希釈された血清を用いてアレルギー反応が起こるかどうか調べたところ、彼の手によると反応が見られたとして、1988年に雑誌 Nature に発表した。この現象をマスコミは、水には記憶する力があるとしてセンセーションを巻き起こした。その後、公開実験までやったらしいが再現性は見られず、バンヴェニスト事件として記憶に留められている。
この話を聞いた時に、うまく説明できないが不思議な気分が私を襲っていた。まだ詳しく読んでいるわけではないので確かではないが、こういう実験は偶然驚くべき事実を見つけたというよりは、最初に水には記憶があるはずだ、そのためにはどのような実験をすればよいのか、という思考の流れがあったのではないかと想像される。もしそうだとすれば、彼がなぜそのような考えを抱くに至ったのか、そこに強い興味が湧いていた。
今日手にした本のタイトルは、まさにバンヴェニストの考えに触発された詩 「記憶する水」 から取られている。そこには次のような一節がある。
覚えていておくれ
地上のすべてがわたしを忘れても
わたしがわたしを忘れてしまっても
おまえだけは記憶にとどめておいておくれ
今度会うときは
ぼうと霞んだ向う岸かも知れないが
「はげしく生きてきた者だけが・・・ ―― 故矢川澄子さんに」
恋も愛も名声も富も (おお自分さえ)
こわれやすい 移ろいやすい あてにならぬ不確かなものばかりが
溢れている地上は永住に価しない
死の中にしかゆるがぬ実在は無い
はげしく生きてきた者だけが
やはりはげしく わが手でそれを獲得するのだ
「あんかおろして ―― 川崎洋さん追悼」
あったかい血の通った
ことばを求めて蒐められた方言の中でも
釧路の漁港の居酒屋で耳にしたという
<あんかおろす> が私は好きだ
つまり 錨 (アンカー) をおろす
あんかおろして いっぱいやっか
板子一枚下は地獄の荒海で
体を張って漁をする男たちが
陸へあがってほっとひと息
仲間の肩を叩いて いかにも言いそうなことば
「良寛 ―― 組曲」
五合庵
みなもとを求め
川上へとさかのぼって行ったが
みなもとと呼ぶたしかな場所は
どこにも無かった
ひとあし ひとあし 踏みしめる足もとから
水が湧いて
<今 ここ> がつねにみなもと ―― そうと知った
世を捨て 名利を捨て
国上山のふところに身を寄せた
冬の庵の
はらわたも凍える寒さ
薪も尽きたが 雪が止めば
こうこうと月が 冴えわたる
さしこむ光に
書を読み 詩歌をつづるのだ
諸国をめぐり 修行も積んで
悟りを得たが
それさえももう 超えてしもうたよ
あるがままに生きる
<今 ここ> で
自然と共に あるがままに