フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

メトロにて DANS UN METRO

2006-12-26 19:17:29 | パリ・イギリス滞在

メトロに乗る。車内ではいつも立っているか、strapontin (この言葉はオリヴィアさんの小説で覚えた。本来の座席の背中に付いている折り畳み式の補助椅子で乗り込むところにある) に坐るだけであるが、その日は空いているので座席に坐ってみた。その背には少し出っ張りがあり腰の少し上の辺りを支えてくれ、非常に坐り心地がよい。こういう小さなことにでも体が反応するようになっている。"ergonomiquement correct" とでも言いたくなるような感じである。それ以来他の車両も注意してみているが、必ずしもすべてがそうなってはいないようだ。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅を終えて VOYAGER, C'EST...

2006-09-14 23:43:15 | パリ・イギリス滞在

パリ出発の朝、ホテル周辺を散策。小さな雑貨屋でフローベール Gustave Flaubert (Rouen, 12 décembre 1821 - Canteleu, au hameau de Croisset, 8 mai 1880) の小説、 "Un cœur simple" (邦題は「純な心」) が目に入る。挿絵も入って、1.5ユーロ。このように直接手にとって気に入るかどうか読むという経験は、ネットではなかなか味わえない。またどんな小さな店でも何かが待っている可能性があると思い知らされる。

日本に着く。小雨が降っている。日本に行ったことのあるパリジャンも言っていたがそこは全く違うところである。自分を支えているエネルギーのベースのレベルが一段下がるように感じる。それはここが自分に近いところのせいなのか。あるいは東洋と西洋の本来持っているエネルギーの違いなのか。

旅とは、違う土地に行って新しいものを見ることだった。これまではそう思っていた。しかし実は、違うところに行って自分の外にあるものに反応する自分を見ながら、頭の中にある過去の記憶の海を歩き回っているに過ぎないのではないかと感じるようになっている。だから旅とは自分に出会うことだと言われてきたのだろう。その意味では、毎日でも場所を変えるということは可能。そして、旅に出ることは目的ではなく、あくまでも手段であることがわかる。新しい自分に会うための。

----------------------
(version française)

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パリの研究室での一コマ UNE SCENE DANS UN LABO A PARIS

2006-09-13 22:00:41 | パリ・イギリス滞在

ある昼下がり、訪問した研究室でお菓子を摘みながら話をする。ヴァカンスから帰ってきたPが、買ってきたヌガー nougat をどうぞと勧めてくれる。ヌガーという言葉を聞くのも久しぶりで懐かしい。彼の故郷はモンテリマール Montélimar という町で、そこはヌガーの里とでも言うべきところとのこと。初めて聞く名前だ。ウィキペディアによれば、アーモンド30%、ラベンダーの蜂蜜を25%以上含むものは、「モンテリマールのヌガー」 という商標を使ってもよいことになっている。

L'appellation « nougat de Montélimar » est réservée aux produits contenant au moins de 30 % d'amande et 25 % de miel de lavande.

ネット・サーフしていると、nougat も出てくる Georges Brassens の Montélimar という歌が現れた。


もうひとつの町も話題になった。マルグリット・デュラス Marguerite Duras のシナリオ、アラン・レネ Alain Resnais 監督の映画、"Hiroshima Mon Amour" (邦題は、なぜか 「二十四時間の情事」) の 「彼女」 が青春時代を過ごした町がヌヴェール Nevers。それがMDの奥様の少女時代の町だという。話の繋がりが魅力的だ。アラン・レネ監督も1922年の生まれなので、もう84歳になる。


何かの拍子に金沢の金箔の話になった。そこで私の発音に問題があることが判明。フランス語の 「金」 "or" が全く通じないのだ。今までは何の意識もせずに省エネで 「オール」 と言っていたが、これでは駄目。早速、MDによる発音練習となってしまった。10回のうち3回くらい、それだ!と言われたが、これは口を大きく開き、奥の方から出すような 「オー」 で、むしろ 「アー」 に近く聞こえる。私のフランス語にここまでお付き合いいただけるのは、本当にありがたい。   

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ある日のパリ  UN JOUR A PARIS

2006-09-12 23:15:30 | パリ・イギリス滞在

メトロでよく飛び乗っては歌い出したり、音楽を演奏したり、物乞いをする人たちがいる。その日は体が悪く困っているのでお金を、という男が乗り込み、颯爽と車内を歩き回っていた。それから次の駅からは初老の男が静かに語るように歌い出した。最初は詩の朗読でもしているのかと思ったが、

La bohème, la bohème
Ça voulait dire on est heureux
La bohème, la bohème
Nous ne mangions qu'un jour sur deux

ここを少し節をつけるように歌ったのでシャルル・アズナブール Charles Aznavour のラ・ボエーム LA BOHÈME だとわかった。メトロを降りて地下を歩いていると、老人がアコーディオンを弾いている。その曲もラ・ボエーム。私の中でアコーディオンの音はパリと切り離せない。

駅のカフェでサンドイッチを頬張りながら、近寄ってくるすずめや通り過ぎる人を眺めていると、丸々と太った女性が寄ってきてお金を、と言っている。髪の手入れも行き届き、イアリング、指輪も立派なものをしている。生活に追われているようには見えない。間違ってお金を出す人がいるのだろうか。お相撲さんのような足取りで立ち去っていった。

お店に入り、2ユーロのものを買う。店員の発するその音がなぜか心地よかった。「ドゥズーロ」。体が反応する音を聞くのが、私にとっての外国語を学ぶ楽しみのひとつだ。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

変えるということ LE CHANGER, C'EST...

2006-09-05 20:22:35 | パリ・イギリス滞在

昨日はこちらで研究を始めたばかりの若手研究者の方と食事をご一緒させていただいた。いくつか興味深い話題があった中、場所を変えるということについてのお話が特に印象に残った。自分を取り巻く環境を変えることで考えや精神状態だけではなく体も大きな影響を受けるという。おそらく体への影響は頭 (心) の中からきているものだと思われるが、ご本人も驚かれるほどの効果を示したという。この話を聞いている間、今年始めに知ったパブロ・ネルーダさんの詩を思い出していた。心を鼓舞してくれる彼の声を思い出していた。

心と体のつながりも現象としては経験する。確かにそこにある。そのつながりが科学的に説明できるまでにはどのくらいの時間がかかるのだろうか。

コメント (5)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

再び古本市へ AU PARC GEORGES BRASSENS

2006-09-04 00:30:55 | パリ・イギリス滞在

ホテルから歩いていける距離に去年も行ったジョルジュ・ブラッサンス公園がある。そこで年中やっている古本市に再び顔を出してみた。曇っていて風が強く、時折小雨模様の天候なのでお客さんは少ない。そのためか、店主たちは酒盛りを始めている (今日の写真)。

どんなものに目が行くのか、ぼんやり眺めながら歩いてみた。あるテーブルにベルギーの本が集まっているところがあり、その中の "Notre Pays" という本を手にとって見る。最初に次の言葉で始まるシャルル・ポトヴァン Charles Potvin という人の 「わが祖国」 "Ma Patrie" という詩が出ている。

---------------------------------
Oui, j'aime ma patrie et j'y reviens sans cesse,
 Comme l'hirondelle à son nid;
J'y mets quelque fierté, mais beaucoup de tendresse,
 Et j'y trouve un charme infini.
...

そう、私はわが祖国を愛す、そしていつもそこに帰ってくる
 ツバメが巣に戻るように、
私は祖国を誇りに思う、しかし多くの優しさを込めて
 そして私はそこに尽きることのない魅力を見い出す
---------------------------------

ベルギーの歴史を詩や散文と多くの挿絵を交えながら書いている本のようだ。このような本を日本で出すと国威発揚の本ということになるだろう。表紙の裏には1915年7月14日創立のブリュッセルの公立図書館所蔵の紙が張り付けられ、本を読む時の事細かな注意書きが載っていて興味深い。こんな具合である。

「まず、読む前には、本の傷みを図書の人に伝え、衛生的な配慮と保存のために紙の表紙で覆うように。本を読む時には、本が汚れないように周りのものをすべて除けてから始めるように。製本が乱れるので本を開いて重ねたりしないように。本に跡が残るので濡れた指でページを捲ることのないように。本に書き込みをするなどはもってのほかである。"C'est le profaner." (神を冒涜するものである)。ページの端を折って読み進む人がいるが、それは紙を挟めば充分である。本を読み終わったら破損を避けるために家具に入れて保存するように。それから家で感染症が出た時には図書館の人に通報すること。」


さらに別のテーブルに足を進めると、1935年4月7日に出版された "Rouen" (初版本) という本に目を引かれる。ルーアンの Henri Defontaine という出版社からのもので、文章にはこの町に誇りを持っている様子が伺え、しかも詩情に溢れている。宗教的な過去と大聖堂 (クロード・モネが連作を物した) のことを紹介しながら、工業化が進みつつある当時の状況を憂る気持ちも強く滲み出ている。それはフランスのみならずアメリカも意識して書かれていて、いつの時代も変わりないのか、という思いで読んでいた。丁度店主が寄ってきたのでこのことを話すと、これは永遠の問題だね、"C'est perpétuel !" という相槌が帰ってきた。店主との話で、この町でジャンヌ・ダルクが火炙りの刑で散ったことを思い出していた。こちらの本にもデッサンが多数入っていて、なかなか味わい深い。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ある日曜の朝 UN DIMANCHE MATIN

2006-09-03 18:24:58 | パリ・イギリス滞在

朝、昨日仕入れたばかりのアフリカの音楽を聴きながら周辺を散策する。言葉も音楽としてしか聞こえない。これも面白い。また道に迷ってしまう。方向感覚がなくなるといった方が正確だろう。新聞を買うために歩き始めたがなかなか見つからない。20分ほど歩いたところでやっと開いているところがあったので中に入る。Le Figaro の日曜版を買う。この新聞を見たときに、成田からの飛行機の中で読んだ広告にこの新聞社が特集でサン・テグジュペリを取り上げていることを思い出す (このブログでも彼についての記事があります)。店の人に聞いてみると目の前にあった。表紙には、

Entre ciel et terre
Saint-Exupéry
Le Petit Prince a 60 ans

空と大地の間
星の王子さまが還暦

とある。日本でも記念の本や新訳が出されたという話を読んでいた。写真が新鮮で美しく、ひとつひとつの記事も短く読みやすそうである。

日曜の朝、カフェで日曜版の新聞を読みながら時間の流れを味わう喜びを知ったのは、ニューヨーク時代だろう。海外に出る時には、その再現をどこかで求めているところがあるようだ。1時間ほど経ったところでホテルに戻り、テレビをつけると討論番組をやっている。テーマは "L'homme est-il programmé pour croire ?" 「人間は信じるようにプログラムされているか?」 である。これが番組のテーマになりうるのはやはりフランスか、と改めて思う。ちなみに参加者は、哲学者の Luc Ferry、神経科学者の Lucy Vincent (この方、外国人のアクセント-英語?-あり)、それからプロテスタントとカトリックの神学者であった。内容を理解できるところまで行っていないが、司会者の 「今日の結論は?」 との問いに、Luc Ferry が "Impossible !" と笑いながら答えたところで終わっていた。

信じるかどうかを迫られると、人は哲学的にならざるを得ないのかもしれない。アメリカにいる時に研究室で働いている私より若い女性から、信仰について考えなければまともな人間になれませんよ、というようなことを言われたことがある。考えたことがない、あるいは考えることを避けてきたのだからいかんともしがたい。今になってみると、そのあたりに深みを欠く一因があるのかと思うこともある。

いずれにせよ、私なりのフランスの日曜の朝を味わう。

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パリ到着 ARRIVEE A PARIS

2006-09-01 20:19:32 | パリ・イギリス滞在

今日、成田からパリに到着した。成田空港では、南伸坊、赤瀬川原平の両氏が楽しそうに話しているのを見かける。最初の驚きは、飛行機の隣の席に私がたまに顔を出すフランス語学校の先生が駆け込んできたことだった。バカンスで3週間ほどノルマンディの Caen に帰るという。道中、雑談をして退屈を紛らわす。また空港で買った2冊の新書を交互に読む。まだ途中だが、前者は大量の引用をもとに書いていて、少々退屈。後者は自分の頭で消化されているためか読みやすくわかりやすい。大いに目を開かされる。読み終わった段階で、それぞれについて書いてみたい。

ラース・スヴェンセン 「退屈の小さな哲学
山折哲雄 「ブッダは、なぜ子を捨てたか


パリに着くと何か高揚感や解放感があるかと思いきや、先日の萩原朔太郎の 「猫町」 ではないが、相変わらずの日常が流れているのを見て、以前のような気持ちの高鳴りは感じない。ただ、不思議の出会いはありそうな予感がしている。

コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エアコンのない夏 L'ETE SANS CLIM

2005-07-31 22:10:50 | パリ・イギリス滞在

7月中旬にフランスから帰り、パリの暑さに湿気を加えた夏を経験している。パリでは仕事場でさえエアコンなし (sans climatisation) であった (ただ管理部のようなところは絨毯敷きでエアコンが入っていると文句を言っている若者もいたが)。皆さん Volvic の1.5 リットル入りを机において仕事をしていた。暑いと言いながらやっていた。街を歩いて 「この店にはエアコンがあります (climatisé)」という貼り紙をたまに見た。sans clim 方が体によいというのが彼らの感じ方らしい。

この経験以来、エアコンなしでやってどうなるのか様子を見ているが、体から流れ落ちる汗を感じながら何かをするというのも一興であることを見つける。先日の山頭火の俳句ではないが、お臍に汗が集まってきて、小さな水溜りができる。また朝起きるとパジャマも体も汗でびっしょりである。そんなものだ、と思ってしまえばどうということがなくなる。不便なことも含めすべてを何気なく受け入れ、自然のままに生きるのもなかなか面白い。

コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2週間が過ぎて 2 SEMAINES APRES EUROPE

2005-07-28 23:55:02 | パリ・イギリス滞在

ヨーロッパから帰って2週間が過ぎた。ようやく時差ぼけも取れ始め、仕事にも集中できるようになってきている。出発前とはその集中力が違っているようにも感じる。この一ヶ月に会った人たちが目に見えない影響を与えているのだろう。どこまでこれを維持できるのか、それを維持すべくいろいろと考えながらやっていくことになるのだろう。やはり異物に触れ続けなければならないということなのだろうか。

先週末久しぶりに近くの語学学校に行ってフランス語の勉強をした。すぐに感じたことは、話すことに抵抗がなくなてきているということであった。上達したという感触ではなく、少々間違っても話すという姿勢が取れるようになっているということ。会話とするという点ではよいのだろう。中身はまだまだで、お勉強が必要だ。丁度今年から新しくなったDALFの案内が置いてあった。もう少しやってみようという気になってきている。ヨーロッパのよい影響のひとつになるのだろうか。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シャルル・ドゴール空港へ A ROISSY

2005-07-15 11:50:44 | パリ・イギリス滞在

パリの空港に向かうタクシーの中で、チュニジア出身でパリ在住25年の運転手と話をした、と言っても殆ど彼が話し続けていたのだが。

最初は四方山話であった。パリのアパートも10年前まではどうということもなかったが、それ以降値上りが進み、今ではロンドンに追いつかんばかりだ、中国人は仕事を家族まとまってよくやり、いろいろな職種で活躍の幅を広げている、ホテル業界ではアルジェリア人もよくやっている、などなど。世界は争いに満ちている、イラク、少し前の東欧、アフリカ(アフリカはほとんどが独裁制だ)、それに中東、パレスチナなど。パレスチナは歴史が始まって以来続いているのではないのかと言うと、そんなことはないと持論を展開し始めた。

口角泡を飛ばすという話し方を久しぶりに見た。あるいはまじかで見たのは初めてかもしれない。今のイラクはフセインが問題なのでもなく(そうであればなぜ彼だけを狙わないのか)、石油でもなく、宗教でもなく、大量破壊兵器でもない(そんなもの最初からないのだから。持てる国になぜ文句を言わないのか)、民主主義でもない(そうであればアフリカに、北朝鮮にどうして行かないのか)。今世界中で起こっているテロの源は戦後イスラエルの建国とそれ以降今に至るまでパレスチナ人の土地(la terre)を奪って行く一握りのユダヤ人とアメリカの覇権主義的なやり方にあるのだという。アメリカでも特に今のGWブッシュは fou、クリントンはまだ人を結び付けようとする話し合いの精神を持っていたが、とも。それがなくならなければ、この流れは止まらない。一つの主張が終わると、Vous comprenez? を連発(私が使う、わかっていただけましたか、というニュアンスではなく、わかるか、わかるだろう、という同意を求める感じである)。彼はイスラム教徒 musulman だが、non pratiquant 。しかし Il n'y a pas de justice dans la politique américaine. C'est pour ça que je suis avec Bin Laden, je suis avec Al-Qaida とまで言っていた。この問題の根っこに la terre の問題があるという彼の言い分にも一理あるような気がしたが、、。

余り声を荒げたので、最後に声が大きい (parler fort)のは受けた教育のせいで、人にわからせるためだという。体全体を使って、体を楽器のように共鳴させて声を出す彼を見ていて、自分の口だけを使っての話し方でどれだけ人に伝えることができるのかという大きな疑問符が頭の中を廻っていた。

-----------------------------------------------

空港では不思議は若者に会った。免税店でシガーを買った時のこと。caisse でキューバ産のシガーだけ箱の蓋が開いているのに気付き、おかしいのではないと問いただすと、その若者はキューバ産だけは中身を調べるのだ、他の箱も見てみるかと言う。今までキューバ産は買ったことがなかったので、彼の後についていったところ、確かにすべての箱は開けられている。納得して買うことにした。そうすると、彼が日本語で話し始めた。私(俺という感じ)は日本にいたことがある、あと数ヶ月で又日本に行く予定だという。それで終わりのはずだった。

それから買い物をするために下の売り場に向かうと丁度昼休みを取っていたその若者がエスカレータのところにいて、10分程度話をする。聞いてみると、17歳で学校を辞めて日本に行き、六本木や新宿で働いていたらしい。学校教育の枠にはまっていないせいか、少し野生の感じがする。パリにいる日本の女の子とも話をすることがあるが、パリにいるだけで何か自分は人と違いますよ、という感じの子がいてどうも好きになれない。この前、私の日本語が汚いと言われたが、それはあなたのフランス語が私の日本語よりうまくなってから言ってくれとけんかになったという。高田馬場にフランス人が集まる情報交換できる場所がありますよ、と教えてくれたり、日本にフランス人の友達が沢山いるので、今度日本に行ったら居酒屋に一緒に行きましょうなどと話していた。六本木などで日本の大人に接していたせいだろうか、物怖じしない。

今回の滞在で普段全く使わない tutoyer を要求されることがあり苦労したが、この若者も vouvoyer には抵抗があったらしく、私若いんだから tu でいいよ、と言っていた。これをうまく使わないと、フランス人は違和感を感じるのだろうが、その感覚がまだぴんとこない。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フランス革命記念日 LE 14 JUILLET

2005-07-14 23:44:52 | パリ・イギリス滞在

今日、革命記念日のパリに戻ってきた。

ロンドンからの機内ではフランスの小学生 collégiens が乗り合わせ、私の周りに座った。聞いてみると、イギリスに10日間ほど滞在して英語を勉強に行ってきたとのこと。私がフランス語で話しかけると彼らは英語で話したがっていた。パリの方がロンドンより進んでいるんだから、というのが彼らの主張。リヨンから参加した子も町の素晴らしさを強調していた。

パリに着いてすぐに感じたのは、アングロサクソンの理性の世界から、少し sentuelle な、やや退廃 decadance を感じる世界へ戻ってきたということであった。夜、ケンブリッジで一緒だったST氏と夕食に出かけ、サン・ミシェルの辺りを歩いていると、ロンドンでは感じられなかった気だるい雰囲気が漂っていた。お祭りで相当の盛り上がりを期待したのだが、それほどの騒ぎにはならなかった。

約一月のヨーロッパ滞在もついに終わりを迎え、いよいよ明日日本に向かうことになる。あっという間に過ぎたというのが常套句なのだろうが、今回は余りにもいろいろな人との出会いがあり満ち足りていたようで、短かったという感覚がない。いずれじわじわと感慨が生まれてくるのだろう。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

PUNTING

2005-07-13 23:56:07 | パリ・イギリス滞在

今日の午後の休みに、お勧めのケンブリッジ名物パンティングに出かける。カナダからの CP と現在ニューヨークでこの10月からインディアナに移る ZYZ の3人で。ケンブリッジの街中を流れる小さな川をボートで移動しながら大学や川にかかっている橋についてのお話を聞く。街中の暑さをひんやりとした川風で忘れ、のんびりとした1時間を過ごした。こういう時間から将来の話が出てくるから、人間のつながりも面白い。

会の最後の夜なのでバンケットがあった。私の前には会のオーガナイザーの DA、左の横には7年前にここを訪ねた時にお世話になった NH、そして右横にはハイデルベルグに BS を訪ねた時に話したことのある YS が座った。YS は私の顔を見ても知らん振り。名札を見て思い出したようであった。彼女曰く、私は顔をよく覚えられないの、道には絶対に迷わないのだが。さらにこの両者は逆相関するというのが私の持論、あなたは地図を見ても目的地にすぐに辿り着けないでしょう、と聞いてきた。そういえば、昼のパンティングに行った時も2人の後について行ったことを思い出し、あるいはそういうこともあるのかと思い相槌を打っていた。

彼女の個人的な趣味を今回初めて聞いたのだが、世界中で人間がどういう生活をしているのかを見ることに興味が湧いて尽きることがないという。どうしようもなく curious な女なの、とのこと。卒業後、クアランプールで仕事をしたことがあり、その時に周辺の国を旅行したのが始まりだという。この会の後にドイツに帰ったら友人と一緒に寿司を食べに行くことになっているくらいに、日本食も大好きとのこと。この秋にはチベットへの旅行が予定されているようなので、時間があれば日本にも寄るように伝えた。人間、話してみないとわからないことがあり、話すと誤解も解けることがある。すっきりした夜になった。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

成果の発表 PRESENTATION DE NOTRE TRAVAIL

2005-07-12 20:41:04 | パリ・イギリス滞在

10日の夜にはノーベル賞をもらうのは時間の問題といわれている MB 氏の講演を聴く。南アフリカ出身だがイギリスに長い人で、広がりが感じられる仕事について、すっきりと締まりのある話にまとめていた。話を聞いていると謙虚な人柄がにじみ出ていて感銘を受ける。昨日11日の午後には私も20分程度のお話をした。その後、関連のある人と一緒にやれることはないか、ざっくばらんに交換。150人程度の参加者が泊り込みで集まるよいところである。

先日も触れたが、人間の頭の中には膨大な情報が詰まっている。人との接触はその頭の中との交信である。ネットでの接触では得られない刺激に満ちている。日本から6-7人の参加。この他、イギリス、カナダ、チェコ、スイス、オランダ、ノルウエー、ドイツ、イスラエル、アメリカなどからの参加者と専門のお話から他愛のないお話まで。francophone の人とはできるだけフランス語で話すようにした。人間の凄さとそれゆえの直接接触の大切さを痛感。いつものことながら大きな収穫を得る。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人生は夢 LA VIE N'EST QU'UN SONGE

2005-07-11 23:44:09 | パリ・イギリス滞在

昨日はロンドンから会合があるケンブリッジへの移動日。ホテルのチェックアウトまでの時間を利用して、前日訪れた Courtauld Institute of Art Gallery に再び向かう。前日の余韻を味わいたいと思ったのか、ホテルから近いせいもあったのだろうが、そこまで思うのは初めてである。開館の10時から約2時間堪能させてもらった。ありがたいことに入館している人の数は前日と変わりなく各階10人足らずで、鑑賞するのには願ってもない環境であった。

改めて入ってみて前日と少し違う印象を受けるものがあった。例えば、カンディンスキーはそれほど悪くないなと思う。それとカンディンスキーに限らず、遠くから他の絵も視界に入れて見ると近くで見ている時には感じられたかったものを感じることもあった。余りすぐに決め付けない方がよさそうだ。さらに部屋をつないでいる空間を通して隣の部屋、さらにその先の部屋にある絵も一緒に視野に入れると、それ全体がひとつの芸術作品になってくるということも今回発見。美術館の醍醐味の一つだろう。また、本来の順序とは逆に回ると、最初に見た時とは全く違うコンテクストで絵が現れるので、はっとすることがあった。意外な効果である。混みあっているとこういう楽しみは味わえなくなるので、日本での名画展では楽しみが半減するかもしれない。

昨日見られなかった絵の中でいくつか面白そうな画家がいた。

André Derain (1880-1954) : 大作 « La Danse »
やや東洋の神秘的な、原始的な、不思議な印象を与える絵であった。他には、
Pêcheurs à Collioure
Paysage de I'Ile de France
があった。

Maurice de Vlamick (1876-1958)
Pêcheurs à Argenteuil
Paysage au bois mort
Nu couché
Bords de la Seine à Carrièrre-sur-Seine

Robert Delaunay (1885-1941)
顔のない走者を描いた大作 Les coureurs (1924-25)は色合いが淡く明るく、快活で躍動感を感じる。面白い絵だ。1920年のオリンピックでフランス人が金メダルを取ってからこのテーマでいくつか描いていたらしい。1924年にはパリでオリンピック開催。

ルーベンスの一部屋はじっくりと見ることができなかったが、昨日見た印象派の絵は充分に堪能した。やはり素晴らしい美術館である。このような場所が何気なくあるロンドンも捨てがたい。

------------------------------------------------

昼から Cambridge に行くため King's Cross 駅に向かう。報道陣(イギリスのみならずイスラム系、KBSまで)が集まっていて、アメリカ映画のシーンによくあるリポーターがニュース・クリップを作っている現場に立ち会う。日程がずれていたら、状況は変わっていたかもしれない。

ケンブリッジまでは1時間弱。途中、雲の姿の変化を楽しみながらぼんやりと過ごす。旅のメカニズムで書いたことを敷衍すると日々の生活がまさに旅。すべて頭の中に、記憶の中に消えていく。突き詰めると、今の生活は一瞬は現実だが、すぐに過去へ消えていく。現実が夢になるのだ。まさに、La vie n'est qu'un songe. (人生は夢でしかない)。雲を見ながら、そんなことを考えていた。

ケンブリッジは7年ほど前に一度訪れたことがあるが、大学町。夏季大学のコースでもあるのか、世界中から若い人が来ているようで、観光地のような様相を示している。

宿泊施設に着くと向こうに手を上げている女性がいる。昔一緒に仕事をしたことがあり、今はモントリオールにいるNUさんだった。1年ぶりの再会である。ヨーロッパのホテルの狭さを経験しており、大学の学生寮に泊まると聞いていたので心配していたが、部屋のスペースをたっぷりとってあるのでほっとした。ただ、ネット世界からは完全に隔離されてしまった。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする