今朝のパリは肌寒く、すでに秋の気配がある。東京のあの蒸し暑い異常な夏から一晩寝ただけでこのような別世界である。今朝は久しぶりにのんびりし、ホテル近くのカフェに入り、残っていたスピノザさんのお話を朝の光の中、辞書片手に読み進む。
道徳の扱い Que devient la morale ?
スピノザの考えこそ、すべての教義の中で最も不道徳で、最も不快なものと言えるだろう。もし罪人が罪を負うことなく、もし英雄が他にやり様がなかったとしたら、善悪が相殺され、罰や褒美も正義さえも消え去るだろう。またスピノザの笑い声が聞こえる。それこそ、良しと判断したり破門したりする悪臭のする満足感や誤謬に導く発言である。道徳的判断は無用であり、現実的な根拠もなく、有害でさえあるのだ。人間の悪意や冷酷さを非難する代わりに、人間がどのようなものなのかを理解しようとする方が有益だろう。
だからと言って、法廷や罰や牢獄を否定することには全くならない。少し教育を受けた人であれば、嵐を呼ぶ雲に意思があるなどとは誰も考えない。雲には雹の責任もなければ、収穫を駄目にした罪などもない。ここでのスピノザの力強さは、道徳を退けるが正義は維持することである。善悪についての延々と続く所謂論拠を無益なもの、笑止なものとする。道徳にノン、倫理にウィである。ここ言う倫理とは、価値の体系を意味するのでは全くなく、誤ったものの見方がなくなるような生き方を指している。そこから賢い生き方が可能になる。現世の放棄や犠牲ではなく、それは欲望、理解、活力が絶頂に達した生き方である。
欲望の絶頂 Plénitude de désir
スピノザは欲望を断罪しない。欲望を本質的に悪として抑圧したり (brider, juguler) もしない。むしろ、彼はそこに人間の本質さえ (l’essence même de l’homme) 見る。好ましいものとして認める。私はそれが美しいから求めるのではなく、私が求めるから美しいのであるというスピノザによる根源的な逆転こそ、欲望に溢れる世界を操縦席につかせることになる。
それではすべての欲望は実現されるべきものなのか。われわれの衝動を誇りに思い、われわれを導くままにしておけるのか。スピノザがまた笑うだろう。なぜなら、それも新たな誤解だからだ。問題は欲望を道徳的義務の法廷に引き出すことでは最早なく、理解の方法として欲望を活力に変容させることだからだ。それはどういう意味だろうか。
われわれがそれを知らない間は、われわれの中やわれわれの上に働きかけてくる原因に従うだけである。しかし、それを知れば知るほど状況が変化してくる。嵐や発熱のメカニズムがわかったからと言って、われわれを守ることにはならない。しかし、時には真の原因を知ることにより有効な行動をとることができる。発熱がある感染によることを知ることは、自らの間違いで呪われ (maudit) 罰を受けたための病気だと信じることとは全く違う。
その過程を修飾することはできないが、見方が完全に変わるのだ。どのように事が動いているのかや避けられないことを理解することにより、盲目的にその原因に従うことを止めるのだ。この世が、人の行いがどのようにして成り立っているのかを理解する者は、ある意味において自然である神 (Dieu la Nature) の活動にさえ参加しており、ぶつぶつ文句を言ったりすべてを混同することを止めるだろう。その者こそ十全に生きることになるのだ。
悦びと至福 Joie et béatitude
そしてこの記事のタイトルにもなっている 「悦びの哲学」 に至る。スピノザ思想の究極の姿がここにある。高まる行動する力の悦び、心身が一体になる悦び、理解が行動になる悦び。反対に悲しみは足かせをかけられ、狭められる。道の最後に辿り着いた哲学者の至福、それは自然である神 Dieu la Nature を外に置くことなしに理解をする恒常的な悦びである。ここが一般的に宗教や智慧を授けるとするすべてのものとの根本的な違いになる。世界から逃避することなく、生と、体と、物質と隔絶することもない。反対に、幻想を持たず現実の中にいることの溢れる悦び。スピノザの至福は知の静謐の中にある。それは理性により身体と同様に思想の中にある永遠に参加するものである。もちろん、そこに至るのは至難の業であり (ardu)、その道のりは険しい (escarpé)。しかし、「エチカ」の最後の言葉を強調しておきたい。「美しいものすべては、稀であると同様に困難なものである」 (Tout ce qui est beau est aussi difficile que rare.)
スピノザの体は埋められたが、彼の真の読者は秘密信徒団のように持続的に形成され、彼らは必ずしも著作について論評を加えるようなことはなく、著作を真に愛するだけで満足する。この男が生きていたこと、彼が静かな悦びをもって逆境に抗することを知っていたことに安堵を見出し、彼が充分な正確さを持ってこのように力強い思想を打ち立てることができたことに感謝する。そして、その思想を生き生きとしてあるために使おうとするのである。これこそ彼に対する価値あるオマージュになるだろう。
最初から、幾分かは、france-culture経由のご縁でしたが、また一つ音声ファイルへのリンクを送信に及びます。どっさり特集されている哲学者Jacques DERRIDAは、カンギレムの生徒だったこともあるようで。講義が始まるまでの時間に何本かお聞きになる間があるかも、と想像しつつ。
http://www.radiofrance.fr/chaines/france-culture2/dossiers/2004/derrida/emissions.php
「どっさり」の中で、まだ楽しく迷子状態なのですが、開講前にと、取り急ぎお送りした次第。Jacques DERRIDAのビデオ・ファイルもあることを忘れていたので、以下にリンク。サイト自体も有効利用できそうです。
http://www.paris4philo.org/article-3752041.html
②私もJ.DERRIDAはこの夏以降に読み始めたばかりなのですが、"SUR PAROLE" /édition de l'aube/poche essai (7,80€)は、france-cultureで放送されたインタビュー番組が文字になったもので、カルチィエ・ラタンの本屋なら多分どこでも買えるし、メトロの中でも読めるので、時間の倹約にも。(これのためにFNACに行くのは時間の散財)。
③ソルボンヌの図書館がすでにお使いになれるなら、 édition galiléeの中の「どっさり」を手に取られて、アメリカの大学での講演体(40分程度?)や会話文体が、すぐお役に立ちそうです。
スピノザ哲学、そして東西古今の思想を下敷きにした予防医学の二次文献blogを立ち上げております。
よろしかったらご意見賜りたく、よろしくお願いいたします。
スピノザは神学・政治論で日本について書いていると聞きました。何からどのようにして日本を知ったのでしょうか。スピノザは江戸日本からどのような影響を受けているのでしょうか。17-18世紀のヨーロッパの変化について関心があり調べています。
お分かりでしたらお教え願えれば幸いです。
大変ありがとうございます。
ベールについてはカントの永遠平和に先んずること100年の日本評価がありました。日本語訳の寛容論です。あとは歴史批評辞典の”日本”と”スピノザ”
項目でした。今 住んでいないので17世紀の歴史全体状況が分かりませんとスピノザが何を知っていたのか分からないので、それが知りたいと思っています。
ベールはスピノザの思想がどうして日本に伝わったのか不思議だというようなことを書いていたと思います。全く逆だと思いますが。
よろしくお願い申しあげます。