フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

3月の記事

2005-03-31 23:00:52 | Weblog
2005-03-31 高齢 - Activite (I)
2005-03-30 ゲオルグ・ショルティ - シカゴ妄想 (III)
2005-03-29 ゲオルグ・ショルティ - シカゴ妄想 (II)
2005-03-27 ゲオルグ・ショルティ - シカゴ妄想 (I)
2005-03-26 頭打ちのTEF
2005-03-25 ルイ・パスツール
2005-03-23 瓢箪から駒
2005-03-22 針穴写真
2005-03-21 山頭火 - 酒 - 俳句 SANTOKA - SAKE - HAIKU
2005-03-20 ジョルジュ・ド・ラ・トゥール
2005-03-18 知らないということは恐ろしい
2005-03-17 健康とは - ビールの最初の一杯
2005-03-15 花粉症 - Chicago
2005-03-13 Flaneur
2005-03-11 ヘルメス vs ヘスティア
2005-03-10 Daniel Barenboim vs スペシャリスト
2005-03-10 PHILIPPE FOREST - SARINAGARA - 小林一茶
2005-03-09 Blogalisation
2005-03-08 オリヴィエ・アサイヤス - Clean
2005-03-07 仏文サイト - ジャンケレヴィッチ
2005-03-06 4回目のTEF - 「我が心のパリ」 - 「新人生論ノート」
2005-03-05 Bernard Pivot - 源氏物語
2005-03-03 フランス語3年が終わって
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高齢 - Activite (I)

2005-03-31 19:20:46 | 年齢とヴィヴァシテ

50 歳を過ぎた頃からだろうか、高年齢でアクティブな人に目がいくようになってきた。自分もそうありたいということだろう。90 歳になるというジャン・ピエール・ヴェルナン (JEAN-PIERRE VERNANT) の記事を最近読もうと思ったのも、彼がどういう人生を歩んできたのかに興味が湧いたためだった。同業者の中にも、90 歳、100 歳まで現役の人がいた。そこまでとはいわないが、あと10-15 年は仕事をしたいものである。

以前に生け花作家中川幸夫のドキュメンタリーを見たことがある。彼が 38 歳で奥さん 49歳 (子供3人を嫁ぎ先に置いて出たという) の時、一緒になったらしい。現在 86 歳?。昭和 59 年奥さんを 77 歳で亡くす。6 年前からアルツハイマーの症状。彼の写真集を撮った写真家が今でも面倒を見ている。早坂曉の [華日記―昭和生け花戦国史」に彼の話も出ている。最初は流派に属していたらしいが、6 年くらいで飛び出し、それ以来一人。孤独に中で花に耳を傾けながら創作を続けてきたと言う。それ以前にも彼を紹介する番組を見たが、心の持ち方として自分にも取り入れたいところがある。

彼岸花は生けてはいけない花だそうだが、彼は頻繁に生けている。燃えるような赤。鶏頭の花、かっこ悪い、田舎くさい、若さがない、そういうものは駄目だという。86 歳にして、年齢を感じさせない。むしろ、「年齢を重ねるに従って、益々自在になってきている」と早坂暁は言う。奥さんが置いてきた次女(72 歳)が彼の展覧会を見に来ていた。「何とか生きてきたということを示すようなささやかな仕事ができたように思います。実を言えばこれからという人生かもしれない。どうでしょうか?」

翻って自分を見れば、これから先何もなければ 86 歳まであと4半世紀以上ある。新しい人間に生まれ変われる長さである。中川が言うように、これからが面白いのかもしれない。

« Ce qui m'importe, c'est l'éternelle vivacité, et non pas la vie éternelle » (Friedrich Wilhelm Nietzsche, 1844-1900)
(「重要なのは、永遠の生ではなく、永遠の活力である」 - フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ)

ただ、永遠のヴィヴァシテを活かすためには、それなりの仕掛けが必要になりそうだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゲオルグ・ショルティ - シカゴ妄想 (III)

2005-03-30 00:10:39 | 自由人
Solti on Solti (続き)

彼のサイトを覗いてみると、冒頭に次の言葉が飛び出した。

«My life is the clearest proof that if you have talent, determination and luck, you will make it in the end : NEVER GIVE UP. » 

勇気付けられる言葉である。しかし、成功の条件に「才能」を入れているところがいかにもショルティらしく(変な謙遜はない)、「運・鈍・根」とは似ているが非。彼の指揮に見られる執拗さ « ténacité » 、激動の人生などを思い起こさせる言葉でもある。幾つになっても、自らに厳しく向き合い努力を積み重ね、激しく生きてきたことは、この本を読むとよくわかる。音楽家は生涯現役が可能なので、ある意味羨ましくも思う。

彼の見たシカゴは、次回以降になりそうだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゲオルグ・ショルティ - シカゴ妄想 (II)

2005-03-29 00:10:42 | 自由人

Solti on Solti (続き)

それから、2度目の奥さんになる Valerie との劇的な出会いがある。当時、スイスで一緒になり 20 年余り連れ添った Heidi と別居中であったが、ニューヨークのビジネスウーマンとの短い出会いの後、ロンドンでその出来事は起こった(テレビでは 2 人がこのドラマを再現していたように思う)。

A few months later, in September 1964, Valerie Pitts, a young journalist and television personality, came to the Savoy to interview me for the BBC. As usual, I was a little behind schedule, and I had to shout, from the shower, “Wait a moment, I’m not dressed.” I eventually came to the door, in my bathrobe and asked Valerie to help me find my socks, which I had mislaid. I think we both fell in love within minutes. After the interview, I invited her to lunch, and a passionate love affair began. We very soon decided that we wanted to liver together, but we were both married. Understandably, the situation created great difficulties not only with her husband but also with her parents, who at the time did not approve of her love affair with a man twenty-five years her senior – nearly their age – and still, technically, married. She wanted to end everything, but I would not let her go; I pursued her ruthlessly.

…..Valerie and I married on 11 November 1967―Armistice Day.

(数か月後の1964年9月、若きジャーナリストでテレビ・パーソナリティのヴァレリー・ピッツがBBCの私のインタビューのためにサヴォイ劇場まで来た。いつものように私は少し時間に追われていて、シャワーから「少し待ってください。服を着ていないので」と叫ばなければならなかった。そして浴衣のままドアまで行き、ヴァレリーにどこかに置き忘れた私の靴下を探すようにお願いした。二人ともすぐに恋に落ちた私は思っている。インタビューの後、私は彼女を昼食に誘い、情熱的な情事が始まった。すぐに一緒に住みたいと思うようになったが、二人とも結婚していたのだ。当然のことながら、彼女の夫だけではなく、彼女の両親にも大きな問題を齎すことになった。当時、彼女の両親は彼らと同年代の25歳も年上の男との実際には結婚しているような情事は認められないものであった。彼女はすべてを終わらせたいと望んでいたが、私は彼女を離したくなかったので執拗に追うことになった。・・・ヴァレリーと私は1967年11月11日、第一次世界大戦休戦記念日に結婚した)

彼が55歳の時のことである。

次に、1970年ロイヤルオペラとのドイツ・ツアーの最中に起こった忘れられない出来事。

… while the company was in Berlin, Valerie gave birth to a baby girl, and I made a special trip back to London to see Gabrielle a few minutes after she was born. At the age of fifty-seven I had become a father, and when I held the baby in my hands I felt I was looking into my mother’s eyes again. Three years later, a second daughter, Claudia, was born. The existence of these two dear creatures, who came into my life when I was old enough to be a grandfather, altered me profoundly, I cannot be grateful enough to Valerie and to my God for giving me so much joy with these two wonderful girls.

(・・・ベルリンで公演している時にヴァレリーは女の児を産んだ。私は生れてすぐのガブリエルを見るためロンドンに特別に戻った。57歳にして私は父親になったのだ。私がその赤ん坊を抱いた時、再び私の母の目を覗くように感じた。3年後、二人目の娘クローディアが生れた。もうお爺さんでもおかしくない老齢になって私の人生に現れたこの二つの愛しい存在は私を深く変えることになった。二人の素晴らしい女の子によってこのような悦びを私に齎してくれたヴァレリーと私の神にはどんなに感謝してもし尽くすことはできない)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゲオルグ・ショルティ - シカゴ妄想 (I)

2005-03-27 08:24:42 | 自由人

これまで何度か読み直した本の中に、ゲオルグ・ショルティ Sir Georg Solti (1912-1997)  の85歳を記念して出された « Solti on Solti : a memoir » (Vintage, 1998) がある。この本が出されてすぐに亡くなっている(自身の人生にある意味付けをしたところだったのではないだろうか)。読むきっかけは、彼がまだ存命中、劇的な放浪の人生を振り返るテレビ番組を見て感動したからだろう。この番組のもとになった本で、音楽界の噂話がふんだんに盛り込まれているので、興味を失うことなく読み進むことができた。今回再び思い出したのは、最近の「シカゴ妄想」のせいである。彼が世界一流のオーケストラに育て上げたシカゴ響でどんなことがあったのか、シカゴにどんな思いを持っていたのかなどを確認したくなったためだろう。

シカゴの前に、心揺さぶられる父親との別れのシーンから。

 On 15 August 1919, at the age of twenty-six, I said goodbye to my mother and sister, picked up a little suitcase containing a pair of shoes, some clean shirts and underpants, and my Harris Tweed suit from London, and with my father took the train to Budapest’s Western Railroad Station. My father was the mildest, sweetest man imaginable. He had never scolded me or denied me anything. I was the light of his life, and he cared more about me than about anything else in the world, just as I now feel about my own daughters. I loved him, too, but was not as devoted to him as he was to me. (I now understand, as a parent, that children can never love their parents as much as their parents love them.)

(1919年8月15日、26歳の時、私の母親と妹に別れを告げ、靴、きれいなシャツ、下着、それにロンドンのハリス・ツイードの背広が入った小さなスーツケースを持ち、父親と一緒に汽車に乗りブダペストの西駅へ向かった。私の父親は非常に穏やかで優しい人だった。一度も私を怒ったことはないし、私のやりたいようにやらせてくれた。私は彼の人生の光で、私が自分の娘に感じているように世界のどんなものより私を大切にしてくれた。私も父を愛していたが、彼が私に対したものには及ばなかった [今、一人の親になってわかることだが、親が子供を愛するほどには子供は親を決して愛せないものである]。)

When we got to the station, we stood on the platform, chatting, as the train arrived. Just as I was about to climb aboard, my father began to cry. I was very embarrassed. “Why are you crying?” I asked him. “Look, can’t you see I’m only taking this one little suitcase? I’m coming back in ten days’ time!” But it was as if he knew with certainty we would be parted forever.

(駅に着いてホームに立って話していた時、汽車が入ってきた。私が乗り込もうとした丁度その時、父親が泣き始めた。私は本当に困ってしまって、父親に聞いた。「どうして泣いているの?この小さなスーツケースを持って行くだけなのがわからないの?あと10日くらいで帰ってくるから」 しかし、父親はもう永久に離れ離れになってしまうことを確信しているようだった。)

The sight of his tears and the harsh tones of my voice have haunted me ever since. I have never forgiven myself for my abruptness. I was never to see him again.

(父親の涙と私が激しい調子で父親に対したことが私の心から離れない。私のつっけんどんな態度を許すことはなかった。父親にはもう二度と会うことはなかった。)

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

頭打ちのTEF

2005-03-26 00:08:44 | フランス語学習

この2月に受けたTEFの結果が届いた。今回受けた印象では、全く進歩の跡を感じなかったが(6 mars 2005)、結果は正直である。前回より下がっていないことが唯一の救い。

これまでの軌跡をまとめてみた。フランス語を始めて1年後から受けたことになるが、3年目まではまだ伸びる余裕があることに驚き、喜んでいた。今回の結果は、今のやり方では大体限界まで来ているということを示している。あとはフランス語圏で生活するか、フルタイムでフランス語とともにいる以外にないかもしれない。今年は最初に決めた4年目になり、大体の様子がわかったので、これが最後のTEFとなるような気がする。


2002.11: 439/900=N3; ecrite 140/300=N3、 orale 203/360=N3、 lexique  96/240=N2
2003.04: 509/900=N3; ecrite 181/300=N4、 orale 200/360=N3、 lexique 128/240=N3
2004.04: 619/900=N4; ecrite 181/300=N4、 orale 246/360=N4、 lexique 192/240=N5
2005.02: 629/900=N4; ecrite 187/300=N4、 orale 250/360=N4、 lexique 192/240=N5


Niveau 3: 中級の下 (361-540/ 900)
Niveau 4: 中級の上 (541-698/ 900)

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ルイ・パスツール

2005-03-25 00:15:39 | 科学、宗教+

Il y a plus de philosophie dans une bouteille de vin que dans tous les livres...

Louis Pasteur (1822 - 1895)

« In Vino Veritas » にも通じるものがある ?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

瓢箪から駒

2005-03-23 00:12:09 | 科学、宗教+

先週パリジェンヌの講演会に行き、この夏私がパリに行く旨を伝えたことを19日に書いた。本日、以下のようなメールが入っていた。僅か5分程度の出会いがこのように繋がってくることは本当に感激もので、この世に生きている喜び (la joie de vivre) を感じる。大袈裟ではなく。若干のからかいの気分も含まれているのか、私のフランス語を過大評価しているようだ。いずれにしても、フランス語で話をする機会が訪れることなど考えてもいなかっただけに、驚くと同時に、折角のお誘いなのでできるところまで準備してみようかとも考えて始めている。間に合うかどうかは別にして。いやはや、恐ろしい展開である。

************************************************
Bonjour,

Tout d'abord félicitations pour votre français.

Je serai heureuse de vous accueillir à Paris. Je suis simplement absente du 15-18 juin.

Nous serions tous heureux si vous pouviez faire un séminaire. Nos séminaires généralement ont lieu le lundi à 12H30. Si vous acceptez de donner un séminaire (en Français ou en Anglais), soyez gentil de me donner un titre.

Dans l'attente de vous recevoir à Paris.

Amitiés

*************************************************

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

針穴写真

2005-03-22 00:01:25 | 映画・イメージ

先日、「針穴写真」の協会 (日本針穴写真協会: Japan Pinhole Photographic Society) が設立されたとのニュースを見る。このニュースに目がいったのは、パリジャンがアパルトモンの一室をカメラにして写真を撮る過程を扱ったテレビ番組 (どこの局のものか、一緒に出ていた日本の女優?も今思い出せない) を見たからだ。写真を撮っている人がカメラの中にいるという不思議な位置関係。写真を撮るという作業を分解して考えることができ、しかも景色の肌触りを感じさせる素晴らしい写真が出来上がっていた。まさに風景を写し取ってくるという感じ。私自身はカメラをやらないので何とも言えないが、これほどの手間をかけて一瞬の風景を紙に写し留めることは写真家に大きな喜びをもたらすのだろう。ハマると止められない世界なのかもしれない。ネットで調べた印象では、意外に多くの愛好者がいるようだ。 

pinhole 写真とは

------------------------------
(25 février 2006)
この番組のことがわかりました。これはテレビ朝日で流れていて、国仲涼子さんが自ら写真も撮っていました。今読み返してみてわかったことは、この時期はまだ写真をやっていないこと。私が写真を意識して始めたのは、本当につい最近のことのようです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山頭火 - 酒 - 俳句 SANTOKA - SAKE - HAIKU

2005-03-21 00:25:07 | 俳句、詩

Le saké est pour Santoka un moyen privilégié pour se mettre dans l'état de disponibilité et d'ouverture envers le monde qui conditionne l'expérience poétique.

« Le saké pour le corps, le haiku pour le cœur. Le saké est le haiku du corps, le haiku est le saké du cœur.»

« Les jours que je n'apprécie pas sont le jours où je ne marche pas, les jours où je ne bois pas de saké et les jours où je ne compose pas de haiku.»


一杯東西なし
二杯古今なし
三杯自他なし

une coupe, plus de différence entre l'est et l'ouest
deux coupes, plus de différence entre jadis et aujourd'hui
trois coupes, plus de différence entre moi et autrui

[ Extrait de « SANTOKA : zen saké haiku » (Moundarren, 2003) ]

酒には、「今・ここ」 に縛られている想像力を時空を超えて解き放つ、人との間にある見えない垣根も越えさせる、そういう囚われのない世界に遊ばせてくれる力があるということか。

--------------------------------
SANTOKA - BLEU - SUEUR (26 juillet 2005)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール

2005-03-20 10:32:54 | 展覧会

去年、国立西洋美術館アンリ・マティス (Henri Mathis) 展を見に行った。NHK テレビ『色彩の画家マティスの世界~幸せ運ぶ色の旅人』 や『世界美術館紀行 南フランス・最も美しい礼拝堂』で、改めて彼の芸術と人となりに触れたからだ。ついでにフィレンツェ展を見るために東京都美術館に立ち寄った。そのロビーで、闇の中の光に包まれた不思議な絵が載っている展覧会のチラシを見つけて、すぐに惹かれた。それがジョルジュ・ド・ラ・トゥール (Georges de La Tour, 1593-1652) という、17世紀以来3世紀に渡って埋もれていた、フェルメールにも喩えられているというフランスの画家であったのだ。

私にとって全くの発見だったので、すぐに画集を仕入れ少しずつ見ては楽しんでいる。なぜだろうか、どの絵もこちらに届く何かがある。おそらく、光と陰影もさることながら、絵の中でどのような物語が広がっているのか、ということに想像力が掻き立てられるからではないか。文才があれば、一つの絵から novella でも書けそうな感じである。ひょっとするとすでに書いている人がいるかもしれない(もしあれば、是非読んでみたい)。

ネットでも彼の作品はいろいろと紹介されているが、こちらのサイト (1, 2) が揃っている。TV東京「美の巨人たち」でも、『ラ・トゥール 「常夜灯のあるマグダラのマリア」』 が放送されているようだ(2005.2.19)。花粉が収まってから上野まで行ってみたい。

先日広告に釣られて買ってしまったアンドレ・マルロー (André Malraux) の « Ecrits sur l'art» (古今東西の美術について縦横無尽に論じつくしているような感じで、到底読みつくせない。)に何か書いていないかと feuilleter して (ページをぱらぱらとめくって)いたら、La Tourに関する記述が見つかった。拾い出してみる。

Latour ne gesticule jamais. En un temps de frénésie, il ignore le mouvement. Qu'il soit capable de le représenter bien ou mal ne vient pas même à l'esprit : il écarte. Son théâtre n'est pas le drame de Ribera (1591-1652), c'est une représentation rituelle, un spectacle de lenteur.

「ラ・トゥールは、絵の中ではどのような状態にあっても決して人を動かさない、動きを無視する、ひとつの静謐な儀式なのだ」 と書かれている。確かに彼の絵には何かをやっているようでも動きがなく、それが故に見るものをそこに引き込む強い力を持っていると薄々感じてはいたが、マルローがこの本の中でラ・トゥールの本質を的確に表現してくれていた。


ラトゥール展にて (7 mai 2005)

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

知らないということは恐ろしい

2005-03-18 05:18:39 | 映画・イメージ

暇に任せて以前の BLOG に張ったリンクをじっくり読んだり、何か気になる文章があれば手を加えるということを始めている。Wikipedia のように。昨日の BLOG の中でリンクしてみて驚いた。ジャン-ピエール・カッセル (Jean-Pierre Cassel) がヴァンサン・カッセル (Vincent Cassel) の親父だったとは。「クリムゾンリバー」 は親子競演だったのだ。ヴァンサンは、「ジャンヌ・ダルク」、「アレックス」 や 「クリムゾンリバー」 の印象でしかないが、アメリカの俳優では見たことのない、何者にも止められないような危険な野性味に溢れているので気にはなっていた。奥さんが 「アレックス」 や 「パッション (キリストの受難: The Passion of the Christ)」 のモニカ・ベルッチ (Monica Bellucci) であることは知っていたのだが。それにしても全く気付かなかったところから、こういう繋がりがわかるというのも小さな楽しみの一つかもしれない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

健康とは - ビールの最初の一杯

2005-03-17 00:02:42 | 科学、宗教+

3月はじめ、突然パリから友人が訪ねてきた。3年前パリで会い、去年モンレアルの会合でも話をした仲である。彼は Chocolat (boîte には Pascal Souci と書かれてあった)とともに、パスツールの伝記 "Louis Pasteur: L'empire des microbes" と以前から気分に任せて CD で聞いていた "La première gorgée de bière" 「ビールの最初の1杯」 (novembre 2004) の本をお土産として持ってきてくれた。フランス語の先生をしている彼の奥さんが選んだという。うれしくなると同時に、その偶然に驚いた。CD は誰が吹き込んでいるのかと聞いてきたが、気にかけていなかったので答えられなかった。帰って調べると、ジャン-ピエール・カッセル (Jean-Pierre Cassel) という俳優である。映画、舞台と幅広く活躍している。何とクリムゾンリバー (Les rivières pourpres) にも出ている。最後には殺される Cherneze という眼科医の役で。その語り口は très bon et séduisant !

彼が東京の街に降り立ち異様に感じたのは、マスクをした人の多さだったようだ。そこで早速健康談義になった。病気は進化の過程を経て今の形になったもので、それ自体に存在意義があるとする進化医学のことを少し話すと、哲学者のジョルジュ・カンギレム (Georges Canguilhem, 1904-1995)を知っているかと聞いてきた。もちろん初めて耳にする名前だと答えると、カンギレムの健康の定義を教えてくれた。Selon G. Canguilhem, la santé « c'est la capacité de surmonter les crises ». カンギレムによれば、健康とは病気にならないことではなく、なってもそれを治すことのできる能力である、という。元の状態に戻ることができなくなったのが病気ということになり、病的状態とのバランスで健康を捉えているようだ。また、こういうことを言っている人もいると言って、次の言葉を紹介してくれた。 "La vie est une maladie sexuellement transmissible et constament mortelle".

カンギレムは余り知られていないが、パリの高等師範学校 (l'Ecole normale supérieure) ではサルトルなどと一緒で、哲学を修めた後に医学についても勉強し、正常と病的状態 (Le normal et le pathologique) の問題を中心に考えを深め、発展させて行った人のようだ。少し読むとよいと薦めてくれた。なぜ病気があるのか、という問いにヒントは得られるのか。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花粉症 - Chicago

2005-03-15 00:16:07 | 科学、宗教+

今や花粉症の真っ只中である。この時期いろいろな考え(妄想)が浮かんでくることはすでに書いたが、フランス語を始めることになった季節から数えて4度目である。医学の中に、進化医学という考え方が出てきているという。よく読んではいないが、簡単に言ってしまえば、すべての病気には存在価値・意義があるという立場のようだ。この立場に立つと、病気はなくならないし、われわれの生存に不可欠なものかもしれない。それでは、なぜ病気があるのかということになる。ある意味、医学、生物学を越えて哲学の領域にも足を踏み入れる感がある。そこで敢えて、非科学的なことを言わせてもらえば、花粉症という病気は、少なくとも私にとっては自分の中に潜んでいたフランスへの愛を呼び覚ますために在った、ということになるかもしれない。それを呼び覚ますためには、体がいつも通りでは駄目だったということだろう。意識も朦朧とするような、日常の生活から完全に切り離され、頭の中をうろつき回ることができる状態が必要だったのではないか。そう考えて、毎年の辛い季節を耐えるようになってきた。

フランス語に足を踏み入れた翌年の2002年の春から、2003年、2004年と毎年どんな妄想が出てくるのか楽しみに待っていたが、特別なことはなかった。しかし今年は明らかに違っている。「ここではないどこか (quelque part ailleurs)」という、私の奥深く basso continuo (basse cifrée) のように鳴り響いていたものがここに来て噴出してきているようだ。今はシカゴに想いを馳せているところ。東海岸と西海岸から遠く離れたアメリカの懐の中にあり、どこか隔離された印象がある。"The biggest small town" と形容する人もいるように、大都市なのだが小さな町のような人との関係を保つことができ、親しみが湧いてくる街なのだろうか。しかし、日本にはほとんど情報が入ってこない。

もう20年以上前にシカゴを訪れたことがあるが、自分の心象風景と重ったのか、まだ春なのに寒々とした印象しか残っていない。7-8年前に再訪する機会があった。空気が澄み切っていて空は高く、ニューヨークなどとは異なり、確かに大きいのだが小都市の趣があり好感を持った。優れた劇場、美術館、博物館、オーケストラなどがあるが、よそよそしさがない [今日の写真は、その時に The Art Institute of Chicago で発見した Edward Hopper(1882-1967) の画集の表紙]。冬はどんな景色になるのだろうか、などと考えながら街を歩き回った記憶が蘇る。まさに Flâneur として。また、海のようなミシガン湖も素晴らしかった。「ここに住むことができれば、」、心のどこかにそんな子供のような夢が宿ったのか。

早速、Chicago に関する文章が載っている anthology « Chicago Stories » やシカゴ出身の作家ステュアート・ダイベック (Stuart Dybek) の小説 « The Coast of Chicago »「シカゴ育ち」の題で訳本が出ている)、写真集 (一般的なものから公園を扱った « The City in a Garden »、Frank Lloyd Wright の館を集めた « Frank Lloyd Wright’s Chicago » など) を仕入れて、密かな楽しみを味わっている。

今回 BLOG なるものを始めたのも、ひょっとすると花粉の影響かもしれない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Flaneur

2005-03-13 00:01:08 | 海外の作家

Flâneur?山口翼編「日本語大シソーラス」で的確な日本語を探すが、なかなか見つからない。散歩なのだが、散歩ではない。プロムナード、ウォーキング、足任せ、彷徨(うろつ)く、彷徨(さまよ)う、ぶらつく、当て所もなく足の向くまま気の向くままなのだが、これらすべてを含んでいるようなこと。そういうことを、昔マンハッタンでの週末にやっていた。そんな時に自分の中にある変化が起っていることに気付いてはいた。何か宙を舞っているような、ある種の恍惚感と言ってもいいものかも知れない。しかし、それは意識の中で形にされないままであった。

4-5年前になるだろうか。紀伊國屋新宿南店(フランス語の本も揃っている)で何気なく手に取ったポール・オースター (Paul Auster) (私と同年代の New Yorker。若い時に Paris で生活した経験があり、フランス語を操る)の « New York Trilogy » に収められていた « City of Glass » の数ページを読んだ時だった。今でもその感動をはっきりと思い出す。ニューヨークで感じていたことが私の眼の前に形として現れた瞬間であった。それはまさに、Rodin の手が大理石の中から形を浮かび上がらせるような仕業にも思えるものだった。その後、日本語訳も読んでみたが同じ感動は得られなかった。というわけで、少し長くなるが原文を引用してみたい。

... More than anything else, however, what he liked to do was walk. Nearly every day, rain or shine, hot or cold, he would leave his apartment to walk through the city-never really going anywhere, but simply going wherever his legs happened to take him.

New York was an inexhaustible space, a labyrinth of endless steps, and no matter how far he walked, now matter how well he came to know its neighborhoods and streets, it always left him with the feeling of being lost. Lost, not only in the city, but within himself as well. Each time he took a walk, he felt as though he were leaving himself behind, and by giving himself up to the movement of the streets, by reducing himself to a seeing eye, he was able to escape the obligation to think, and this, more than anything else, brought him a measure of peace, a salutary emptiness within. The world was outside of him, around him, before him, and the speed with which it kept changing made it impossible for him to dwell on any one thing for being very long. Motion was of the essence, the act of putting one foot in front of the other and allowing himself to follow the drift of his own body. By wandering aimlessly, all places became equal, and it no longer mattered where he was. On his best walks, he was able to feel that he was nowhere. And this, finally, was all he ever asked of things: to be nowhere. New York was the nowhere he had built around himself, and he realized that he had no intention of ever leaving it again.

この経験以来、彼の作品をいくつか読むことになるが、いつもどこかに迷い込むという印象が強く、少々疲れてしまうものが多かった。

(オスターのフランス語を含め、外国人のフランス語を TV5 のサイトで体験できる。インタビューワーは今年2月の話題に取り上げた Bernard Pivot

Flâneur といえば、エドマンド・ホワイト (Edmund White) という人のエッセイ « The Flâneur: A Stroll through the Paradoxes of Paris » がある。パリの中に眠っているものを感じることができる。最近、日本語訳(「パリ遊歩者のまなざし」)が出ているのを本屋で見た(「大シソーラス」で遊歩という言葉に辿り着けなかった)。今日のお話はこの記憶に誘発されているようだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする