フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

3月の記事

2006-03-31 22:36:24 | Weblog
2006-3-31 春宵感懐 EMOTION D'UN SOIR DE PRINTEMPS
2006-3-30 生い立ちの歌
2006-3-29 カネッティ三兄弟 LES TROIS FRERES CANETTI
2006-3-28 わがタイプライターの物語 L'HISTOIRE DE MA MACHINE A ECRIRE
2006-3-27 お堀のカフェでミカエル・フェリエ MICHAEL FERRIER AU CAFE D'OHORI
2006-3-26 行川さをりを聞く 10年ぶりにばったり SAORI NAMEKAWA
2006-3-25 ポランスキーの 「赤い航路」 "BITTER MOON" DE ROMAN POLANSKI
2006-3-24 季節の変わり目 IL FAUT TOURNER LA PAGE
2006-3-23 新しいデジカメを始める UN NOUVEL APPAREIL PHOTO NUMERIQUE
2006-3-22 本日も詩歌 ・・・ 長田弘 「死者の贈り物」 LES POEMES D'HIROSHI OSADA
2006-3-21 松島から塩釜へ ・・・ 「彼方からの風」 DE MATSUSHIMA A SHIOGAMA
2006-3-20 仙台にて ・・・ 清岡卓行 「一瞬」 A SENDAI - "UN MOMENT"
2006-3-19 春の日の、強風の日曜日の ・・・ 飯島耕一 「アメリカ」 UN JOUR DE PRINTEMPS
2006-3-18 ある自由な土曜日の PASSER LE WEEK-END COMME UN VAGABOND
2006-3-17 煙突の煙を見て EN REGARDANT LA FUMEE DE LA CHEMINEE
2006-3-16 ドミニク・アングル展 DOMINIQUE INGRES - UN REVOLUTIONNAIRE
2006-3-15 幸福 LE BONHEUR - LE FILM D'AGNES VARDA
2006-3-14 ムスタキを聞く ECOUTER MOUSTAKI POUR LA PREMIERE FOIS
2006-3-13 英語で考えようとして ESSAYER DE PENSER EN ANGLAIS
2006-3-12 初春 LE PREMIER PRINTEMPS
2006-3-11 漢詩を書き写す LE POEME CHINOIS FAIT EN 744
2006-3-10 映画 Le Jour et la Nuit - ベルナール・アンリ・レヴィ
2006-3-09 映画 "Truman Capote" LE FILM - TRUMAN CAPOTE
2006-3-08 昼と夜 LE JOUR ET LA NUIT
2006-3-07 ラジオ深夜便
2006-3-06 バルバラを聞く ECOUTER BARBARA POUR LA PREMIERE FOIS
2006-3-05 運命論者にして反逆者 FATALISTE ET ANARCHISTE
2006-3-04 荒川静香を見て LE SECRET DE SHIZUKA ARAKAWA
2006-3-03 ニセコにオーストラリア LES AUSTRALIENS A NISEKO
2006-3-02 ハインリヒ・ハイネとフランス HENRI HEINE ET LA FRANCE
2006-3-01 映画と言われて思い出すこと EN ECOUTANT LE MOT CINEMA, ...

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春宵感懐 EMOTION D'UN SOIR DE PRINTEMPS

2006-03-31 20:30:25 | 俳句、詩

「春宵感懐」

雨が、あがつて、風が吹く。   
 雲が、流れる、月かくす。    
みなさん、今夜は、春の宵。   
 なまあつたかい、風が吹く。   

なんだか、深い、溜息が、
 なんだかはるかな、幻想が、
湧くけど、それは、掴めない。
 誰にも、それは、語れない。

誰にも、それは、語れない
 ことだけれども、それこそが、
いのちだらうぢやないですか、
 けれども、それは、示(あ)かせない・・・・・

かくて、人間、ひとりびとり、
 こころで感じて、顔見合わせれば
につこり笑ふといふほどの
 ことして、一生、過ぎるんですねえ

雨が、あがつて、風が吹く。
 雲が、流れる、月かくす。
みなさん、今夜は、春の宵。
 なまあつたかい、風が吹く。

(中原中也 「在りし日の歌」 より)


« EMOTION D'UN SOIR DE PRINTEMPS »

Cesse la pluie, souffle le vent.
  Les nuages passent, cachent la lune.
Messieurs dames, ce soir est un soir de printemps.
  Très tiède, souffle le vent.

Je ne sais quel profond soupir,
  Je ne sais quelle lointaine vision,
S'éveille, et pourtant, insaisissable,
  A quiconque, indicible.

C'est une chose à quiconque
  Indicible, et pourtant, justement,
N'est-ce pas ce qu'on dit être la vie ?
  Et pourtant, inexplicable...

Ainsi, les hommes, seul à seul,
  Sentent avec leur cœur, et s'ils se regardent,
Se sourient gentiment, mais c'est tout,
  Et ainsi donc, s'en va leur vie !

Cesse la pluie, souffle le vent,
   Les nuages passent, cachent la lune.
Messieurs dames, ce soir, est un soir de printemps.
  Très tiède, souffle le vent.

(Traduit par Yves-Marie Allioux)

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生い立ちの歌

2006-03-30 23:03:38 | 俳句、詩
I

幼年時
私の上に降る雪は
真綿のようでありました

少年時
私の上に降る雪は
霙(みぞれ)のようでありました

十七 - 十九
私の上に降る雪は
霰(あられ)のように散りました

二十 - 二十二
私の上に降る雪は
雹(ひょう)であるかと思はれた

二十三
私の上に降る雪は
ひどい吹雪とみえました

二十四
私の上に降る雪は
いとしめやかになりました・・・・

II

私の上に降る雪は
花びらのやうに降つてきます
薪の燃える音もして
凍るみ空の黝(くろ)む頃

私の上に降る雪は
いとなよびかになつかしく
手を差伸べて降りました

私の上に降る雪は
熱い額に落ちもくる
涙のようでありました

私の上に降る雪に
いとねんごろに感謝して、神様に
長生きしたいと祈りました

私の上に降る雪は
いと貞潔でありました

(中原中也 「山羊の歌」 より)


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(16 novembre 2006)
この週末、中原中也記念館を訪ねて彼の一生に触れてみると、この詩の意味がより具体的に迫ってくるように感じます。

2006-11-14 記念館にて中也を想う PENSER A CHUYA AU MUSEE MEMORIAL

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カネッティ三兄弟 LES TROIS FRERES CANETTI

2006-03-29 20:48:38 | 日仏のために

半年ほど前からP協会の広報のお手伝いをさせていただいている。フランスで行われた科学研究の成果を日本語で紹介するのがその役目である。今回はカネッティ三兄弟の名前を冠した賞 (結核研究に授与される) を受賞した研究の紹介であるが、その中にカネッティ兄弟についてのお話も出ていた。

エリアス、ジャック、ジョルジュの兄弟はスペイン系ユダヤ人家庭にブルガリアで生まれ、それぞれ文学、文化、科学という異なった分野で大きな足跡を残した。ということなので知る人ぞ知る兄弟のようだが、私にとっては初めての名前。興味を持って読んだ。

彼らの両親ジャックとマチルダ・カネッティはジョルジュが生まれてからブルガリアを離れ、イギリスのマンチェスターに移住する。1912年に父親が心筋梗塞で亡くなる。その時マチルダはまだ28歳。息子たちにドイツ語を学ばせるため、1913年からウィーン、チューリッヒ、ローザンヌ、フランクフルト、ミュンヘンを渡り歩く。しかし、ナチズムが台頭してくると、マチルダはジャックとジョルジュを連れてパリに落ち着く。1926年のことである。長男のエリアスはウィーンに残り、1929年に化学の研究で博士号を授与される。ジョルジュはエリアスのもとに行き医学を勉強。1931年にはフランスに戻り、1936年にパスツール研究所に加わる。パリに留まったジャックは1932年にポリドールに入社。母親のマチルダは1937年結核のため亡くなる。

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エリアス・カネッティ Elias Canetti (1905-1994): 作家、ノーベル文学賞

最初の作品 « 眩暈 » を1931年ウィーンで書くが出版には至らず。バベル Babel、ベルトルド・ブレヒト Berthold Brecht、カール・クラウス Karl Kraus、アルバン・ベルク Alban Berg、ロベール・ムジール Robert Musil などの知識人や芸術家と付き合う。1938年、水晶の夜 (Kristallnacht; la Nuit de cristal) の後、妻ヴェザとともにドイツを去り、イギリスに亡命する。1942年から彼の人生についての作品 « 群集と権力 » の執筆に打ち込む。1960年にこの作品が発表され、ドイツのみならず世界に知れ渡る。1977年から1985年にかけて自伝的三部作が発表され、その第一部 « 救われた舌 » は弟ジョルジュに捧げられた。1981年にノーベル文学賞を受賞。1994年、チューリッヒで亡くなる。

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ジャック・カネッティ Jacques Canetti (1909-1997): レコード製作者、 3 Baudets 劇場監督

彼はポリドールでジャズのラジオ放送を指揮し、ルイ・アームストロングなどのアメリカのジャズマンを初めてフランスに招聘する。マルセル・ブルースタイン・ブランシェ Marcel Bleustein-Blanchet の側でラジオ・シテの芸術監督として、エディット・ピアフ Edith Piaf (*) やシャルル・トレネ Charles Trénet (*) を発掘した番組など多くを手がけた。ナチズムに真っ向から反対し、偽名で巡業を計画し、1942年には北アフリカに行きアルジェに劇場を建てる。"解放"とともにパリに戻る。1947年から1962年にかけて、彼はモンマルトルの中心で「3 Baudets劇場」の監督として活躍し、ポリドール、さらにフィリップスの芸術監督になり、そこで根気強く芸術家をサポートした。

ジョルジュ・ブラッサンス Georges Brassens (*)
ジャック・ブレル Jacque Brel (*)
ギー・ベアー Guy Béart
フェリックス・ルクレール Félix Leclerc
フランシス・ルマルク Francis Lemarque
セルジュ・ゲンズブール Serge Gainsbourg (*)
アンリ・サルバドール Henri Salvador (*)
ボリス・ヴィアン Boris Vian (*)
レイモン・ドゥヴォス Raymond Devos
フェルナン・レイノー Fernand Raynaud
アン・シルヴェストル Anne Sylvestre
ピエール・ダック Pierre Dac
フランシス・ブランシュ Francis Blanche
ジュリエット・グレコ Juliette Gréco (*)
キャトリン・ソヴァージ Catherine Sauvage
クロード・ヌーガロ Claude Nougaro
など。

1962年、最初の独立レーベルのレコード会社「ジャック・カネッティ・プロダクション」 « Les Productions Jacques Canetti » を設立する。そこでは次にような人のデビューアルバムを製作。

ジャンヌ・モロー Jeanne Moreau (*)
セルジュ・レジアーニ Serge Reggiani
ブリジット・フォンテーヌ Brigitte Fontaine
ジャック・イグラン Jacques Higelin

また、コラ・ヴォケール Cora Vaucaire (*)、シモーヌ・シニョーレ Simone Signoret (*)、ミシェル・シモン Michel Simon などのライブ録音を行った。

(* 聞き覚えのある名前)

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ジョルジュ・カネッティ Georges Canetti (1911-1971): パスツール研究所の研究者

パスツール研究所でボランティアから始め、彼自身も罹った結核を専門に研究を発展させ、教授のランクまで上る。結核治療の原理を確立し、研究センターを設立。1954年にはレジオン・ドヌール・シュバリエ賞を受賞している。彼は医学研究の世界に留まらず、シルヴァン・コントゥー Sylvain Contou やロラン・バルト Roland Barthes などの文学や哲学の分野の人とも固い友情を結んだ。1971年ヴェニスに死す。

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三兄弟の話を読み終わって、境界などには全く囚われない好奇心に溢れた強靭な精神が立ち上るようで刺激を受ける。エリアスの本2冊、« 眩暈 » と « マラケシュの声 ― ある旅のあとの断想 » を注文していた。

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わがタイプライターの物語 L'HISTOIRE DE MA MACHINE A ECRIRE

2006-03-28 00:28:09 | Qui suis-je

帰りに本屋に寄る。ポール・オースターの 「わがタイプライターの物語」 « The Story of My Typewriter » が目に入る。彼のタイプライターについての思いがサム・メッサーの絵とともに語られるコーヒータイムの本。バスの待ち時間に読みながら、わがタイプライターの物語を思い出していた。

最初にタイプライターを手にしたのは、中学時代、おそらくブラザー (自信がない) の叩きつけるもの。その後の記憶は抜ける。アメリカに行く時にはIBMのタッチの重いものを持って行ったように記憶している。アメリカで電動式に切り替え、その軽さに感動したことを思い出す。そしてはっきり覚えているのは、アメリカから帰る時、退職金で買った3行ほどのメモリと小さなモニターが付いたIBM。その3行分であればバックするだけで白テープが訂正してくれる優れものだった。

丁度その頃だろうか。パソコンが出始めたのは。日本で最初にしたことは、NEC98の最初のモデルを仕入れること。当時のフロッピーディスクは8インチ。プリンターとして私の IBM タイプライターをつないだ。印刷が始まるとものすごい騒音を発するが (そのためのカバーまで売られていた)、今ではよい思い出になっている。これは余談だが、当時相当に気合が入っていたのだろう。〆て100万は優に超えていたが、借金をして仕入れている。今考えると驚きである。
  
その後、デスクトップは IBM、Compaq、Dell、Epson などと変遷。ラップトップも Dynabook、Epson、Vaio、Mebius などを経て現在の Let's Note に辿り着いた。これは軽く、持久力があり、台の角度が手を置いた時の感触を心地よいものしており、今一番気に入っているものの一つになっている。紹介していただいたF女史に感謝したい。

ところでポール・オースターのタイプライターのように、四半世紀を超えて住む場所が変わっても使い続けているものが自分にあるだろうか。少し前までは爪切り、そして今でもなぜか使っているのはアメリカで仕入れた3センチほどの厚さの板2枚 (一方は金属製の足をつけてテーブルに、もう一つは2つのファイルボックスの上に載っている)、それにプラスチックのヘアーブラシ。意外に少ないものである。

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(version française)

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お堀のカフェでミカエル・フェリエ MICHAEL FERRIER AU CAFE D'OHORI

2006-03-27 00:09:50 | フランス語学習

昨日、IFJへDALF-C1の合格証書をもらいに出かける。帰りに欧明社に寄り、本を眺める。中原中也の仏語訳、Nakahara Chûya « Poèmes » (Philippe Picquier, 2005) と Michaël Ferrier という人の « Tokyo: Petits portraits de l'aube » (Gallimard, 2004) に目が引き寄せられる。

中也の本に目が行ったのは、詩に対するアフィニティが最近増してきていることもあるが、装丁と中のデザインが非常に美しかったことも大きい。Michaël Ferrier という人は初めてであるが、読んでみると雲を見るのが好きな様子が書かれていて、私も昨年雲の美しさを発見したこともあり興味を覚える。

"J'aime aussi à regarder l'immense peuple des nuages, ses multiples formes, ses compositions. Noter la variété toujours recommencée des contours, les mousses, les traînes, la pommelure ou le tranchant."

本の紹介によると、この著者の祖母はインド人で、祖父はモーリシャスの人。アルザスに生まれ、子供時代をアフリカやインド洋で過ごし、サン・マロとパリで勉学。現在は10年滞在している東京で文学を教えている、とのこと。

早速、夕暮れ迫るお堀のカフェで « Tokyo » を読む。

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(version française)


帰ってネットで調べたところ、ミカエル・フェリエさんは中央大学で教鞭をとられていることが判明。以前に仏文サイトを散策している時にお目にかかっている可能性があり、テレビの講座で見たことがあるような気もしている。昨年の暮れに食事をしたフランス人P氏の友人で、近いうちに会うことになっているという話が出ていたことも思い出した。不思議なつながりである。

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行川さをりを聞く 10年ぶりにばったり SAORI NAMEKAWA

2006-03-26 01:22:30 | MUSIQUE、JAZZ

夜、行川さをりさんのボサノバ・サンバを聞く。パーカッション以外は前回と同じメンバー。

ヴォーカル:行川さをり
ギター:小畑和彦
ピアノ:パウロ・ゴメス
パーカッション:今福健司

彼女のよいところは、音楽に素直に真摯に楽しみながら向かっているのが滲み出ていることだろう。それをメンバーが感じ取っているようで、皆さん気持ちよく演奏していて前回にも増して乗りがよかった。特にギターの小畑さんは最高に乗っていた(ように見えた)。そんな様子がお客さんにも感染するのだろう、終わりに向かって熱気が噴き出していた。Sのご主人のブログでその雰囲気がよく伝わってきます。

最後から2つ目のナンバー (Caminho das Águas?) が素朴で、少しアフリカの音楽のようにも聞こえて、はっとした。帰りにピアノのゴメスさん (日本在住20年、記憶に間違いがなければブラジルは Campinas の出身ということを今回知る) に聞いてみたところ、曲名は忘れたが、マリア・ヒタ (Maria Rita) が歌っている、彼女は有名なエリス・へジーナ (Elis Regina 1945-1982) の娘だという。少し聞いてみたくなっている。

店を出て、体をいじめてみたくなりラーメン屋を探すもどこも満員。あきらめかけていたところ、バス停の前に中がよく見えない店があったので思い切って入る。入った途端に、やあー、と言って私の名前を呼び、びっくりしましたよー、と言う。しばらく、狐に摘まれたような状態で相手の顔をじっくり見るも思い出さない。少し話しているうちに記憶が繋がってきた。もう10年ほど前になるのだろうか。私が以前住んでいたKにあったイタリアレストランで奥様と一緒に仕事をしていて、その店でしばしば会ったことをはっきりと思い出した。話をしてみると、奥様は先日パスポートの証明写真を撮ろうとした場所でカメラマンとして働いているとのこと、そこの料金がお安ければ旦那以前に遭遇していた可能性もあったわけである。不思議な出会いが続くものである (2/04/2006)。

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ポランスキーの 「赤い航路」 "BITTER MOON" DE ROMAN POLANSKI

2006-03-25 19:30:43 | 映画・イメージ

"Lune de fiel" という小説をロマン・ポランスキーが映画化した "Bitter Moon" (邦題「赤い航路」) を見る。映画の原題はフランス語の直訳だが、日本のタイトルはどうみても理解に苦しむ。

長期航海に出た結婚7年目のイギリス人夫婦とアメリカ人の夫とフランス人妻のカップルが繰り広げる大人の愛の心理劇とでもいうのだろうか。良識人には最初から受け付けない不快なところもあるだろうが、極端まで行ってしまうと崩れることもあるが不思議な繋がりが生まれる可能性もあるようだ。人間の結びつきについて考えさせられた。

アメリカ映画なのだが、ポランスキーの手に掛かるとヨーロッパの精神が表れるのだろう、少し複雑になる。しかし純ヨーロッパのものとは明らかに違って見える。二人が出会った96番のバス(モンパルナス Gare Montparnasse からポート・デ・リラ Porte des Lilas)などパリの生活を感じる景色が撮られているが、どうしても外国人が撮っているものに見えるのはどうしてだろうか。

ポランスキーの奥さんでもあるエマニュエル・セニエ Emmanuelle Seigner がいつもながら予測不能な野性味を出していてなかなかよい。

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季節の変わり目 IL FAUT TOURNER LA PAGE

2006-03-24 22:47:17 | 

人の移(異)動の季節である。そこはかとない寂しさを秘めながら、新しい芽が息吹いていく、そんな喜びもない交ぜになった時間が流れる。今日は仕事場で送別会が開かれた。今回は以前にも増してこの季節の心を感じていた。

この寂しさを乗り越えながら前に進まなければならないのが人間の歩みなのだろう。今日のフランス語 "Il faut tourner la page."(ページを捲らなければならない)は私の気になっている画家のひとりバルテュスが死の床で言ったといわれる言葉として覚えていたもの。ドキュメンタリーかの中で奥様の節子さんが語っていた、という記憶がある。私の好きな言葉でもある。

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新しいデジカメを始める UN NOUVEL APPAREIL PHOTO NUMERIQUE

2006-03-23 22:25:00 | 映画・イメージ

これまでの写真を撮っていたデジカメは10年以上前に仕入れたもので、その時の一つ前のモデルであった。普通のカメラと変わらない大きさで、後ろの画面もボタンを押さなければ見られない。普段はオフにしているので、写真を撮ってもらう時にはいつも、このカメラおかしいですよ、ということになる。

このカメラを持ち歩くのは大変なので、ポケットに入れることのできるものがほしくなった。何気ない日常で思いもかけないものが見られ、どうしても残しておきたいと思うことが増えてきたからだ。それで先日、一つ前のモデルを仕入れた。

新しいものを手にした時、説明書を読んでから使い始めるということが少なくなっている。面倒になってきているのだろう。まず使ってみて、それから説明書という順序が多い。私の人生にも似ている。まずやってみて、それから考えるという。vivre et ensuite raconter とでも言うのだろうか。

早速使ってみて驚いた。カメラのつもりで撮っていたのが、ボタンの位置が違ったのだろう。データをコンピュータに移して見ていたところ、画面が動き、しかも音が出てきた。ビデオとしての機能も備えているようだ。それに気づいた時には少し興奮していた。面白そうである。

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本日も詩歌 ・・・ 長田弘 「死者の贈り物」 LES POEMES D'HIROSHI OSADA

2006-03-22 23:49:13 | 俳句、詩

今日もお決まりのコースになった。今日はジョルジュ・ド・ラ・トゥール (1593-1652) の「聖歌隊の少年」が表紙となっている長田弘 (1939-) の詩集 「死者の贈り物」。

夜カフェに入る。入るとモーリス・アンドレ Maurice André (1933-) のトランペットがバロック音楽を奏でている。トランペットをやっていた学生時代、浴びるように聞いていた彼の演奏に触れ、当時確かに生きていたことを感じる。

そのカフェでは、コーヒーに小さな切花が添えられていた。その花を押し花にしようとして詩集に挟もうとした時、ある光景が浮かんだ。午後の講義を待っている昼休みの終わり頃、皆が教室に戻ってきた。同級の女性が小さな花を手折ってきたのだろう。何気なく私に差し出した。その瞬間、思いもかけていなかった彼女の心に触れたような錯覚に陥っていた。その花を押し花にした。今でも密かにどこかの本の中にいるはずだ。

「死者の贈り物」 を読む。死とは、人生とは、本当にあっけないもの。そんなことを言っているような。例えば、こうだ。

 『こんな静かな夜』

 先刻までいた。今はいない。
 ひとの一生はただそれだけだと思う。
 ここにいた。もうここにはいない。
 死とはもうここにはいないということである。
 あなたが誰だったのか、わたしたちは
 思いだそうともせず、あなたのことを
 いつか忘れてゆくだろう。ほんとうだ。
 ・・・

  
 『イツカ、向コウデ』

 人生は長いと、ずっと思っていた。
 間違っていた。おどろくほど短かった。
 きみは、そのことに気づいていたか?

 なせばなると、ずっと思っていた。
 間違っていた。なしとげたものなんかない。
 きみは、そのことに気づいていたか?
 ・・・
 ほんとうは、新しい定義が必要だったのだ。
 生きること、楽しむこと、そして歳をとることの。
 きみは、そのことに気づいていたか?
 ・・・


 『あらゆるものを忘れてゆく』

 ・・・
 約束をまもらず、彼は逝った。
 死に引っ張られて、息を切らして、
 卒然と、大きな犬と、小さな約束を遺して。
 いまでもその小道を通ると、向こうから
 彼が走ってくるような気がする。だが、
 不思議だ。彼の言ったこと、したことを、
 何一つ思いだせない。彼は、誰だった?
 あらゆるものを忘れてゆく。
 ・・・


 『夜の森の道』

 ・・・
 信じないかもしれないが、ほんとうだ。
 ひとの、人生とよばれるのは、
 夜の火に、ひっそりとつつまれて、
 そうやって、息を絶つまでの、
 「私」という、神の小さな生き物の、
 胸さわぐ、僅かばかりの、時間のことだ。
 ・・・
 切っ先のように、ひとの、
 存在に突きつけられている、
 不思議な空しさ。
 何のためでもなく、
 ただ、消え失せるためだ。
 ひとは生きて、存在しなかったように消え失せる。
 あたかもこの世に生まれでなかったように。

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松島から塩釜へ ・・・ 「彼方からの風」 DE MATSUSHIMA A SHIOGAMA

2006-03-21 21:41:37 | 俳句、詩

昨日の余韻を残しながら。地元のT氏が松島、塩釜まで案内して下さるとのことで、朝10時から出かける。裏松島、大高森の山に登り、松島を一望する。登り急にして、風強し。それから五大堂(国重要文化財)、瑞巌寺(国宝)へ。お寺の参道に入った途端に高く伸びる杉の林が独特の空間を醸し出す(今日の写真)。その林の中を気合を入れて本堂まで歩く。体調の変化は生ぜず。寺を出て南部鉄瓶を見る。昼食はT氏お薦めの塩釜の寿司屋で。地酒をお供に、骨と愛嬌がある親仁のにぎる寿司を味わう。そこを出て近くの小さな市場で「粒うに生造り」と「えびジャン辛」という瓶詰めを仕入れる (いずれも身がしっかりしていて出し惜しみがない、旨い、安い、肴にもってこいの買い物となった)。T氏お抱えの一日、感謝感謝。

東京に着いてからどういう訳か、今日も詩集へ引き寄せられる。息子を若くして失った仏文学者篠沢秀夫が四半世紀後に初めてそのことを詠うことのできた 「彼方からの風」。その巻頭の詩。

「野原を走る」

 子供のぼくが
 死んだぼくの子供と
 半ズボンで 野原を走る
 手をつないで 走る
 まじめに走る
 それは息子だ
 同じ背だ
 そして生きている娘が
 ぼくたちの妹になって
 うしろを走る
 皆まじめな顔で
 草を踏む 草を踏む
 風が涼しい 風を切る
 ここは軽井沢
 死の冷たさ
 煙の汽車が ゴボーッと唸る
 負けた祖国が
 負ける前の
 清澄な空気の中で
 ゴボーッと呻く
 後ろに置いて来たものがある
 子供も自分もそして祖国も
 流れる風がそれを知っている
  ああ またいつ会える
  置いて来た子供に 自分に 祖国に


そして、このように始まる 「白い波」 で終わる。

 誰そ彼に 波は沖を横へ走る
 白い手を振りかざして横へ走る
 海が飲み込んだ我が子は
 白い波と化して遠く沖を走る

 村人よ 浜辺の砂に線香を立てるな
 息子はあそこに遠く横に走る
  今 帰ったよ 面白かった
  そう言って我が子は帰って来るのだ

 ・・・・

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仙台にて ・・・ 清岡卓行 「一瞬」 A SENDAI - "UN MOMENT"

2006-03-20 23:45:24 | 俳句、詩

本日は仙台。今回新しい研究室を立ち上げることになったW氏のお祝いのためである。W氏は同じ研究領域でこれからの活躍が期待される若手のホープ。奈良の大学で研究を発展させることになる。会の前に駅前のジュンク堂に向かう。本日も詩集コーナーであった。

 それが美
 であると意識するまえの
 かすかな驚(おのの)きが好きだ。

という帯の言葉が目に留まる。この言葉で始まる 「ある眩暈(くるめき)」 が巻頭にくる清岡卓行氏の 「一瞬 un moment」 であった。詩人70歳から79歳に書かれたものだという。

 それが美
 であると意識するまえの
 かすかな驚(おのの)きが好きだ。

これは最近私が感じていることでもある。もう2年以上前になるだろうか。彼の作品 「マロニエの花が言った (Ainsi parlaient les fleurs de marronnier)」 を仕入れた。二つの大戦の間に巴里で花咲いた芸術の日々を綴った作品。それが丁度この詩集の時期に書かれている。この詩集でも取り上げられている。その二巻を贈った学生時代の友人から届いた便りに触発された、50年に及ぶ沈黙の中に横たわっていた想いが詠われる 「半世紀ぶりの音信」。おそらくもう会うこともないだろう昔の友への思いが静かに伝わってくる。

そろそろ今日のお酒の影響が出てきたようだ。改めて読み直したい。

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春の日の、強風の日曜日の ・・・ 飯島耕一 「アメリカ」 UN JOUR DE PRINTEMPS

2006-03-19 23:52:16 | 俳句、詩

外はひどい風。風に色が付いている。それでも敢えて外出。久しぶりにフランス語を話す。

昨日仕入れた飯島耕一氏の詩集 「アメリカ」 を読み終える。この方、1930年生まれというから74歳の時に発表された作品。エネルギーに溢れている。怒りも持ち合わせている。

コルトレーンがよく出てくる。バド・パウエルも、クリフォード・ブラウンも、ソニー・ロリンズも。じっくり聞いてみたい。

1941年、マルセイユからアンドレ・ブルトンとレヴィ・ストロースがぼろ舟でニューヨークへ亡命する。どこかで読んだことがある。

チュニジアへの旅が出てくる。いずれその地に足を下ろし、その景色を、その匂いを、その空気を、そして土地の人を感じてみたい。

ヘミングウェイの死も出てくる。アメリカ滞在中、彼の息子の回想録を読んだことがある。写真集や逸話集を集めたことがある。その生き方が気になったことがある。マイアミ訪問時、キーウェストまで足を伸ばし彼の家を訪ねたことがある。

闘牛が出てくる。バルセロナの闘牛が素晴らしいらしい。数年前、その闘牛場を見ながらカフェで考え事をしていたことがある。

文芸評論家と作家との対談で戦後詩・現代詩を批判され、怒りを爆発させる。

土方巽が、森下洋子が出てくる。ハカマ姿で講義する助教授森有正が出てくる。そして荻生徂徠 (1666-1728) が九十九里浜を走るのである。おもしろい。

ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ William Carlos Williams (1883-1963) というニュージャージー出身の医師にして詩人の存在を知る。エズラ・パウンド Ezra Pound (1885–1972) が出てくる。ガルシア・ロルカ (1898-1936) の影をマンハッタンに見る。アメリカに骨抜きにされている日本を、日本人を糾弾する。

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ある自由な土曜日の PASSER LE WEEK-END COMME UN VAGABOND

2006-03-18 23:44:47 | 俳句、詩

今朝、久しぶりにフランス語のクールへ。その後、飯田橋から岩波ホールまで歩く。「死者の書」 を見るためである。会場に入ると満席。折口信夫の人気なのか、この映画の評判のためなのか。正直なところ驚く。この物語の歴史的背景について、イントロで説明される。いざ本編、と期待して見始めた。

しかし、私の中には全く入ってこなかった。プレゼンテーション (プロットか) がのっぺらぼうなのである。山や谷がない。言葉遣いも、リズムも今ひとつで、面白さを感じなかった。疲れも手伝っていたのだろうか、半分は眠りについていた。私の背景理解が不足していることは間違いないので、本当は原典に当たって見なければならないのだろうが、その気にもさせてくれないくらいがっかりしていた。見た方の感想を伺ってみたい。私の視点に問題があるのかもしれないので。

ホールを出た後に欲求不満が襲ってきて、そのまま帰ろうという気にはならなかった。近くの古本屋に入ってみるが、全く効果なし。今日は受け付けなかった。そこで場所を変えて普通の本屋に入る。どういうわけか、この日は詩歌、詩集のコーナーへ足が向いていた。何人かの全詩集を手にとって読み始めると驚いたことに、詩の言葉がどんどん私の中に吸い込まれていく。今日求めていたのは、詩を浴びることだったようだ。こんなことは滅多にあることではない。飯島耕一という人の詩集を一冊買う。アメリカやジャズが取り上げられ、著者署名本ということもあり。

飯島耕一 「アメリカ」 (思潮社)

いずれじっくり読んでみたい詩人も見つかった。また思潮社が 「詩の森文庫」 というシリーズを創刊したことを知り、早速いくつか仕入れる。少し気分が盛りあがってきた。外に出ると雨模様。雨宿りのためにカフェで 「アメリカ」 を読み始める。それからSで佐久間優子さんのピアノトリオを聞く。小柄ながら、ダイナミックでリズム感が鋭く冴え、同時に叙情も湛えた素晴らしいピアノであった。店を出る時には午後の出来事が遥か彼方に消えていた。

久しぶりに、時の流れに身をまかせてたっぷりと過ごした土曜日であった。家に帰ると、私の本職で大変お世話になった、今年定年になるK教授の退官記念の業績集とエッセイ集が届いていた。エッセイにはK教授のお人柄が溢れている。そのことについては、明日以降に触れてみたい。

コメント (2)
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