グーグーパンダが語る 生きる目的  

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今日、誕生日の逸見政孝さん は、墜落した日本航空123便に乗る予定だった!さんまも! 人生を深める「今日は何の日」

2018-02-16 | 今日は何の日

今日2月16日は、逸見政孝さん (司会者,アナウンサー[元](CXフジテレビ))の誕生日です。

実は、逸見さんは、墜落した日本航空123便に乗る予定でした。


逸見さんは、家族4人で大阪へ帰省するため事故機に搭乗予定だったのですが愛息の逸見太郎さんが「4人なら新幹線の方が安い」と言いだし、夫人が飛行機嫌いなこともあり、直前で新幹線に変え事故を回避したのです。

ただ逸見さんはその8年後、がんのため48歳で他界したのですが……。


芸能人で、この123便に乗る予定だった人は他にもあります。

「実はこの飛行機、私、乗ってるはずだったんですよね」と、自身の怪談ビデオで話しているのは稲川淳二さん。

本人の告白によると、事故当日は「稲川淳二のためになる話」という健康番組の収録が東京であり、立っていられないほど具合が悪かったそうです。

収録後、空の便で大阪入りするはずが、体調が悪くなって「次の日、朝一番の新幹線で大阪入ろう」ということになり難を逃れたのです。

一方、番組を手伝っていた友人の美容研究家は収録後、大阪で用があり羽田へ。

本来別の飛行機に乗るはずが、早く空港に着いたため123便に乗り、帰らぬ人となりました。


明石家さんまさんも事故当日、人気バラエティー番組「オレたちひょうきん族」の収録後、123便で大阪入りするはずでした。

ところが収録が早く終わり、1つ早い全日空便に変更して事故を免れたのです。

その夜、大阪で出演したレギュラー生ラジオ番組「MBSヤングタウン」では、「いつも使ってる便やから…」とショック。

この経験を機に、東京―大阪間の移動などは新幹線を利用するようになったといわれます。

また「生きてるだけで丸儲け」という座右の銘も、こうした過去の経験などに由来しているそうです。

愛娘のタレントIMALUさんの本名「いまる」は、この言葉を短縮し、さんまが付けた名前だと、IMALU本人が明かしています。

 

※写真:Harcmac60

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今日はお釈迦様が亡くなられた日 人生を深める「今日は何の日」

2018-02-15 | 今日は何の日

今日、2月15日はお釈迦様が亡くなった日です。


お釈迦様が出家を決意されるきっかけとなった、四門出遊(しもんしゅつゆう)といわれる有名な話があります。

お釈迦様が仏のさとりを開かれる前のお名前をシッダルタ太子といいます。「太子」とありますように、王様の子供だったのです。

太子が住んでいたカピラ城には、東西南北に門がありました。

ある時、城の東門を出られた太子は、歯が落ち、腰は曲がり、杖に頼って歩く哀れな老人の姿を見て、人間誰しも、やがて必ずあんな姿になり、老いの苦しみにあわねばならないと感じられました。

 

その後、太子は、南門を出て病に苦しむ人を見ました。太子は、いつまでも健康でいられるのではないことを知り、城へと帰りました。

 

西門を出た時、太子は、何かを担ぎ泣きながら歩く行列を見ました。それは亡くなった人を棺桶に入れて火葬場へと運ぶ人たちでした。太子は、その日、人が死ぬことを知り、いよいよ人生の無常を痛感されたのです。


最後に北門を出られた時、老いと病と死を超えた幸福を求める修行者を見て、

 

人間の苦悩の根源は何か。出家して、その解決を求め、全人類を真実の幸福に導くことこそ、最高の道である」と、固く決意されたのです。


これが有名な太子の四門出遊です。

この、生老病死の苦しみをのちにお釈迦さまは、四つの苦しみ、「四苦」で教えておられます。よく「四苦八苦した」といいますが、この「四苦」とは「四苦八苦」の「四苦」です。

四つの苦しみとは、生苦、老苦、病苦、死苦のことです。


最初の「生苦」は、生きることの苦しみです。

「人生は苦なり」といわれ、生きていくのは大変です。

あの天下をとった家康でさえ、

「人の一生は、重荷を背負うて遠き道を行くがごとし」

と嘆いています。

人生は、といっても家康自身のことでしょう。

天下統一をなしとげ、徳川幕府300年の礎をきずいても、重荷という苦しみは下せなかった、そして、遠い道、果てしない道を歩き続けなけばならなかったと言っています。


次の老苦は、年老いる苦しみです。

年を重ねると、月日の流れがどんどん速くなるといわれます。

楽しい時は駆け足で、退屈な時間も大股で時は過ぎていきます。

笑顔エステやサプリメント「10歳若く」などと宣伝しますが、

時を戻すのは重力に逆らうより難しいものです。

世界の三大美女に数えられる小野小町は、こう嘆いています。

 

「面影のかわらで歳のつもれかし

 たとえいのちにかぎりあるとも」

いつまでも美しいままで年を重ねたいと思っても、叶わぬ願いです。

 

三番目は、病苦


人間は「病の器」といわれます。

「命ひとつに、病は幾千」で、この身体はいつ、どんな病に襲われるか分かりません。

「病」という字は、やまいだれの中に「丙」と書きます。

ズキンズキンの歯の痛み、ジワジワ痛む腰痛など、病人からは苦しみに甲乙つけがたいから「丙」の字が使われているのだそうです。


「健康が元通りに回復してくれたら、あとは何もいらない」という言葉もしばしば耳にしますが、重い病にかかった人が誰しもそう思うのは、病はそれほど苦しいからに違いありません。辛いトレーニングに励むのも、食べたい物をあえて控えるのも、病苦よりましだと思うからでしょう。

 

最後の死苦は、この世を去る苦しみです。

言葉にかからない苦しみを「死ぬほどつらい」といいます。

 

アメリカの人気女優、アンジェリーナ・ジョリーさんは、遺伝子検査で、乳がんになる確率が87パーセントと告げられ、56歳で母親ががんで亡くなったこともあり、乳房の切断に踏み切りました。

それで乳がんになる確率が5パーセント以下に下がったそうです。

死の不安を減らすためとはいえ、女性の象徴部を捨てる手術です。

いかに死は、大きな代償を払わすか。

死苦の巨大さを感じさせます。

 

この四つの苦しみを知られたシッダルタは、ある日、父・浄飯王に手をついて、〝城を出てまことの幸福を求めさせて下さい〟と頼まれました。

 驚いた浄飯王は、

「一体何が不足でそんなことを言うのか。お前の望みは何でもかなえてやろう」

と言われると、太子は、

「それではお父さん、申しましょう。私の願いは三つです」

と言われています。

「三つの願いとは何か」と、不審そうに浄飯王が聞かれるとシッダルタは、こう言われています。

「私の願いの一つは、いつまでも今の若さで年老いないことです。望みの二つは、いつも達者で病気で苦しむことのないことです。三つ目の願いは、死なない身になることです」

 それを聞かれた浄飯王は、

「そんなことになれるものか。無茶なことを言うものではない」

と、あきれ返って立ち去られたと言われます。

 そこでついに二十九歳の二月八日、シッダルタは夜中密かに城を抜け出し、山奥深く入られ、私たちの想像もできない厳しい修行を、六年間されるのであります。

 

太子の出城を知った父王の驚きはもとより、

ヤショダラ妃の悲しみに至っては、気も狂わんばかりでした。

 

その時、キョウチンニョという家来が太子の探索を願い出ました。

4人の家来と共に、太子の跡を追い、路傍の大樹の下で瞑想にふけっておられる太子を発見し、城に戻られるよう、こう懇願したのです。

 

「太子さま、世に出家の動機に四通りあると聞いています。

 1つには、長い病苦で歓楽を満たすことができないから。

 2つには、年老いて身体の自由と未来の希望を喪失したから。

 3つには、財産を失い生活に困窮しているから。

 4つには、家族に死別して世を儚むから。

 

しかし、太子さまには、一つもあてはまらないではありませんか。

 なぜ、地位や財、一切を捨てられ、さとりを求められるのでしょうか。

 私たちには、一向に分かりません」

 

いぶかるキョウチンニョらに、太子はこう言われたのです。

 

「お前たちには分からないのか。

 あの無常の嵐が、

 まだ分からないのか。

 ものはみな常住しないのだ。

 いずれの日にか衰え、

 いずれの日にか亡ぶのだ。

 

 美女の奏する弦歌は欲をもって人を惑わす。

 三界は悩みのみ、

 若きを愛すれど、

 やがて老と病と死のために

 壊れ去るのだ」

 

大地のごとき固い決心に、キョウチンニョ達は、これ以上どうすることもできず、

涙をのんで城へと帰りました。

 

私たちは、老と病と死を知りながらも、太子のように真面目に正面から見据えようとはせず、目先の欲に心奪われています。人生の黄昏に、「こんなはずではなかった」と後悔の涙にくれている人ばかりではないでしょうか。

そのことを戒められた「三人の天使」という話があります。

ある男が、死んで地獄に堕ちると、赤や青の鬼たちに引き立てられて、閻魔大王の前に突き出されます。その人をにらみつけた閻魔は、大声で怒鳴りつけました。
「汝、娑婆にいたとき、三人の天使を見なかったか」

男は、三人の天使といわれてもピンときません。

閻魔大王は続けて言います。

「汝、老人を見なかったか。身体が思うように動かず、気力衰え、目も見えなくなり、杖にすがって歩む者、これこそ第一の天使じゃ」

「汝、娑婆にいたとき、病人を見なかったか。身体はやせおとり、立ち居振る舞いも自由にならず、終日、病の床でうめき苦しむ者、これこそ第二の天使じゃ」

「汝、死人を見なかったか。命、終わって息永く絶え、棺に納められ荼毘の煙となれば一つまみの白骨となる。この者こそ第三の天使じゃ」
「このように汝、娑婆において三天使にあいながら、放逸にして真剣に生きる意味を求めず、地獄へ堕ちて苦しみを受けるのは、父母の過ちでもなく、兄弟のためでもない。まさしく汝の自業自得であるぞ」

こう怒鳴ると閻魔は、獄卒に命じ、罪人を奈落へ送ると言われます。四門出遊と思いあわせて考えさせられる話です。


宗教、仏教と聞くと、「弱い人がすがるもの」というイメージを持つ人が少なくありません。しかし、この老いと病と死を真正面から見つめ、本当の幸福を求める人が仏教を求めるのですから、弱いどころではありません。

シッダルタ太子も、この大問題の解決を求め、私たちの想像もできない厳しい修行を六年間なされました。

そして三十五歳の十二月八日、ついに仏の悟りをえられたのであります。

 

三十五歳で最高の仏の悟りを開かれたお釈迦さまは、八十歳二月十五日にお亡くなりになるまでの四十五年間、すべての人が本当の幸せになれる道一つを、説き続けてゆかれました。そのお釈迦さまの教えを、今日、仏教と言われます。


お釈迦さまがさとられた真理とは、科学的真理や数学的真理ではありません。
すべての人が本当の幸福になれる真理だったのです。

仏教には、お釈迦さまがさとられた、本当の幸せが明らかにされているのです。

 

映画「王舎城の悲劇」:2600年前に起きた仏教史上最大の悲劇|予告編【チューリップ企画】 

 

いよいよ出版!? オリジナル小説『フライザイン』

 

もしかしたら、近い将来『フライザイン』が出版されるかもしれません。

 「一カ月以内に、人生の目的を見つけられなかったら自殺する」という妹を助けるために、初めて生きる目的を探究し始めた兄と、愛する人が余命一カ月と宣告された天才哲学少女が出会う。そして……」という物語です。

小説『フライザイン』の続きです!

 

※第1回はコチラ

... 


■19

龍一郎は夜空を見上げたままだ。
ああ、永遠を思わせる夜空の下、二人いて感ずる孤独……。
切なさに全身が浸された。

百億光年なのか二十億光年なのかはわからないが、ともかく二人で宇宙的距離から届く星の輝きを静かに眺めていた。

「美桜」

ふいに、とぎれんばかりの声が聞こえた。

「ん?」

じっと龍一郎がこちらを見ていた。
暗くて表情がよく分からない。
ただ何か真剣なものを感じた。

固唾を呑んで続きの言葉を待ったが「いや、なんでもない」と龍一郎は、また天の方角に顔を戻してしまった。

そっと目を閉じる。

龍一郎が弾いていたノクターン二番が耳の奥で聴こえてきた。

しばらく時の流れに身をゆだね、メロディーの中で泳ぐ。
どれくらいの時間が経ったのだろう。ぼんやりと瞼を開いた。

「なあ」と声をかけ、再び龍一郎の方を向いたとき、夜空がガラスのように割れた。

 そこには、胎児のように身体を丸め、うずくまっている龍一郎の姿があった。
 
そして、龍一郎は急に咳き込み始め、ゴボリと嫌な音とともに何かを吐き出した。鉄臭い匂いが風にのって草原に漂う。


。。。


┏━┳━┳━┳━┓
┃編┃集┃後┃記┃
┗━┻━┻━┻━┛

sayuriさんから、嬉しい感想が届きましたので、紹介しますね。
。。。。。

小説楽しみにしています。
生きる意味をテーマにした難しい内容ですね。
哲学は生きる意味を教えるものですが、大学教授に聞きに行っても教えてくれません。
私も約26年前に教授に聞きに行って、がっかりしたことをはっきり覚えています。
進一君と同じ心境で、そそくさと出ていきました。社会人となり、忙しくなると生きる意味を勉強することは自分ではとても無理なので、いろんな所で教えてもらっています。

相当いろんな情報を集めたり、本を読んで書いておられて、勉強になります。

。。。。。

sayuriさん、有り難うございました。
教授に聞きに行かれたとのこと、すごいですね。

この小説で新たな発見があれば幸いです。

 

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ではまた。  ※蓮の花のイラストはAdam Kirkham氏

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今日が命日の山本周五郎の名言です 人生を深める「今日は何の日」

2018-02-14 | 今日は何の日

今日2月14日は、小説家、山本周五郎 (代表作『樅の木は残った』『赤ひげ診療譚』『さぶ』など) が亡くなった日です。

山本周五郎の名言を聞いてみましょう。

 

人は誰でも、他人に理解されないものを持っている。
もっとはっきり云えば、人間は決して他の人間に理解されることはないのだ。
親と子、良人と妻、どんなに親しい友達にでも、人間はつねに独りだ。


人間というやつは、いま死ぬという土壇場にならないと、気のつかないことがいろいろある。

 

本当の臨終では手遅れなので、「いま死ぬ」という思いを今、抱き、生きたいものですね。

 

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。。。

■18

【百億光年の孤独】早稲田美桜の世界(3月29日)

二人を乗せたオデッセイが山道を走っている。

曲がりくねった道を、重心低く登り続けている。

夜道を照らすヘッドライトと飛び飛びに立っている街灯以外ほとんど明かりらしきものは見当たらない。
たまに光る小動物の目と、夜景が見える程度だ。フロントガラスにしがみついている虫の腹を眺め、落ちつかぬ気をまぎらわす。

車内には独自の世界を展開するサティのジムノペティが流れている。
それは言葉が出ない二人の間をとりなすかのようだった。

やがて「さあ、着いた」という龍一郎の言葉と共に、車は優しく止まった。
無邪気な<レノンスマイル>の横顔を見てから外へ出る。

そこは神戸の街が一望できる場所。壮大なイルミネーション。
しかし、それ以上に、満天の星空は美しかった。

自然の光、それは造られた明かりを圧倒する。
童心に返って、二人で草原に寝っころがった。

見上げたる大宇宙は圧巻。
まるで地球を寝床にし、大宇宙を見ているようだ。

パノラマに展開する天体を眺めていると異世界に来た感覚になる。
だが、二人きりでドライブできるのもこれが最後かもしれないという思いが頭をよぎり、たまらない気持ちになった。

その心を察するかのように、龍一郎の口からポツリ「百億光年の孤独」とつぶやきが漏れた。

「二十億光年の孤独ではないか?」冗談も含めて言うと

「いや、谷川俊太郎じゃない。スギヤマアキラだ」と真面目な答えが返ってきた。

「ふむ、スギヤマアキラ、知らんな」

「まあ、百億光年でも二十億光年でもいいんだが、孤独っていうのは心の状態によって全く意味が変わるよな」

龍一郎は寝っころがったままコチラを見た。

「〝一人〟いて、寂しく思う人もあるし、
 〝一人〟でいても、心はにぎやな人だってあるから、
 同じ〝一人〟でも感じ方によって全く違うだろ。
 逆に、たくさんの人に囲まれてチヤホヤされていても孤独を感じる人もあるから〝独り〟というのは本来、肉体的な問題じゃなくて、〝こころ〟の問題だよな。
 実際、孤独をあらわす言葉にも色々あるしな」

「うむ、寂寥とか、孤高とか」

「ああ、

 寂寥 
 寂寞 
 悄然 

 こういうのはどっちかというと、マイナスの意味の〝独り〟、
 それに対してプラスの意味の〝独り〟は

 孤高とか、
 超然
 寂静、なんかだな」

「ふむ」

「英語でもそうだ。
 lonely(ロンリー)とsolitude(ソリチュード)は違う。
 lonely は心が満たされない独りぼっちの寂しさ。
 solitudeは、だれにわずらわされることなく、独りになること。

 周り中、友人に囲まれていても、lonelyな人は寂しいし、一人いても solitude なら寂しくない。
 ちょうど音楽でも、ソロ演奏(solo)っていうのがあるけど、あの<ソロ>にマイナスイメージはないだろ。そんなsoloの状態を solitude っていうんだ。
 それはいってみれば誰の力も借りずに一人でやれるってことだ。
 だからlonelyとsolitudeは同じ<独り>でも、意味が全く違う」

「ふむ、孤独論をひたすら語ってる今の龍一郎はまさに<SOLO(独演)>だな」

 ハハっと二人で少し笑った。

「でもな、難しいのは、一人で感ずるときの孤独じゃなくって、二人いて感ずる<孤独>の方だ。その方が厄介だ」

そこで言葉が切れ、それ以上の説明はなかった。
龍一郎は吾輩に向かって語ったようにも聴こえたし、自分自身に言い聞かせたようでもあった。

<二人いて感ずる孤独>
それは一人の男性を愛して初めて知る心。
一人で感ずるのとは異質の<寂しさ>

いつも一緒にいたいのに、一緒にいれない<寂しさ>
ぎゅうと抱きしめてもらいたいのに、叶わない<寂しさ>
一緒にいても自分のことをどう感じてくれているのか分からず、どうしようもなく不安に感じる<寂しさ>

そして……

アトリエで言えなかったことを思い出し、胸がギュッとなる。

すぐ隣にいるはずの龍一郎が、何億光年の星よりも遠くに感じられた。


。。。


┏━┳━┳━┳━┓
┃編┃集┃後┃記┃
┗━┻━┻━┻━┛

いかがだったでしょうか。

結構、多くの人が孤独の問題を大きなものととらえているようですね。

あなたも<孤独論>はお持ちですか?
一人でもへっちゃらな方でしょうか?
それとも、さびしんぼ??

よかったら、こっそり教えてください☆

 

 

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ではまた。 

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有名なキリスト教研究家が僧侶を絶賛した意外な言葉 人生を深める「今日は何の日」

2018-02-13 | 今日は何の日

今日2月13日は、内村鑑三(うちむら・かんぞう)の誕生日です。


内村鑑三はキリスト教の研究で知られていますが、このような意外な言葉を残しています。


我等の友はウェスレーなるよりもむしろ法然なり。ムーディなるよりもむしろ親鸞なり。


我国の源信僧都、法然上人、親鸞上人も亦我が善き信仰の友である。


ルーテル、ウェスレー、ムーディーに対するよりも、源信、法然、親鸞に対しより近く感ずるは止むを得ない」

         (1906年12月 『聖書之研究』)

※ルーテル、ウェスレー、ムーディーはいずれも有名なキリスト教徒

 

 

 

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。。。

 


■17

突然の訪問で申し訳ありませんとか、お時間大丈夫でしょうかとか、一応、人間社会のルールと思しきことを言ってから、非常事態に追い込まれた(自分で追い込んだわけだが)僕は、懸命に頭を回転させ、とっさに思いついた言葉を吐き出した。

「あ、あの、実は、先生、えと、ちょ、ちょっと唐突に思われるかも知れませんが、えと、哲学では、えと、人生の、人生の意味について、どのように言わ、言われてるでしょうか。

今度レポートを、ええ、レポートを書こうと思ってまして、ええ、それで、なにかお勧めの本や、そのことについて教えている哲学者を、えっと、教えてもらいたなと思ってですね、それで、それでここにきたのですが」

教授は「ああ、そうですか」といった感じで、意外にもすんなり〝そうですね、何々という哲学者の何々という本なんかいいのではないかな〟と数冊、教えてくれた。

聞き慣れぬカタカナの名前と、難しい漢字をたくさん使った本のタイトルを必死にメモする。
汗が顔の側面を流れた。

さすが哲学科の教授は難しい本を読んでいるなと当たり前のことに関心しつつ、一刻も早くこの部屋を出たいという気持ちが蠢く。

メモを取り終えると僕はそそくさと「あ、ありがとうございました」とだけ言って部屋を出ようとした。すると、教授は僕を軽く呼び止めた。

「ああちょっと君ね、これだけは言っておこう」

「はい?」

「生きる意味を考えることはとても大事だけど、答えを求めてはいけないよ」

意外な言葉に思わず「えっ」と声をもらす。

「これは答えを出してはならない問題なんだ。生涯生きる意味を探究しつづける、これが哲学だからね」

「はあ」

僕は、うまい去り際を逃してしまい、なんとも中途半端な状態で部屋を出るはめになった。

廊下に出てドアを閉めると同時に、緊張を「ふう」と息に換えて吐き出す。ボブティはきちんと足をそろえて待っていてくれた。
頭をなでてやると、目を細め、グルグルとノドを鳴らす。

なぜ猫はノドをならすのだろうと考えた時期もあったが、ライオンだってノドを鳴らすと聞いてからは、《なら、猫がノドをならして当然》と、妙に納得し、以来、その疑問は出てこなくなった。

「なあ、お前の応援のおかげで教授からオススメの哲学書を聞き出せたぞ。初陣は成功だ」

ボブティに語りかけ、今度は背中をなでてやった。
ボブティは、気持ちよさそうに、鼻をなめながらノドを鳴らし続け、短い尻尾をピコンと立てた。

もう片方の手で、先ほど必死に書いたメモを取り出す。
汚い自分の字を見ていると、最後の教授の言葉が思い出されてくる。

「生きる意味は大事だから考えるのはいいが、答えは出してはならない」

《うーん、なら何の為に考えるんだろう》

どうも釈然としなかった。

図書館へと足を運び、教授が指定した本を検索用パソコンで調べると、意外にアッサリ見つかり、すぐ借りることができた。

哲学など勉強したことがない自分だが、理解できるだろうかとソロリ表紙をめくり、読み始めたが、一ページ目から、いや一行目から理解出来ないことに愕然とする。

あざけるような妹の言葉が蘇った。

《では、見つけてもらいましょう〝生きる意味〟とやらを》

 改めて大変な約束をしてしまったことが分かった。

「前途多難だ……」

暗黒のとばりに全身がスッポリと包まれたような気持ちになり、哲学書をだらりと手に持って外へ出る。名もしらぬ薄汚れた鳥が、プレハブの屋根の上をトントンと音を立て、跳ねながら歩いているのをボブティは興味津々に見つめていた。


。。。


┏━┳━┳━┳━┓
┃編┃集┃後┃記┃
┗━┻━┻━┻━┛

いかがだったでしょうか。

今後に活かしたいので、ぜひ、感想を聞かせてください。

 

 

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ではまた。 

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司馬遼太郎が万巻の書の中から、たった1冊選んだ本とは? 人生を深める「今日は何の日」

2018-02-12 | 今日は何の日

今日、2月12日は、作家、倉田百三司馬遼太郎が亡くなった日です。

倉田百三 (劇作家,小説家,評論家 代表作『出家とその弟子』は、世界各国で翻訳され、フランスのノーベル賞作家ロマン・ロランが絶賛したことでも有名。) <51歳>

司馬遼太郎 (小説家 代表作『坂の上の雲』『竜馬がゆく』など) <72歳>


二人には、共通した愛著がありました。

それは『歎異抄』です。


倉田百三『法然と親鸞の信仰 一枚起請文と歎異鈔』より
        
「歎異鈔よりも求心的な書物はおそらく世にあるまい。この書にはまた、もの柔らかな調子ではあるが、恐ろしい、大胆な、真剣な思想が盛ってある。見方では毒薬とも阿片とも、利刃ともとれる。そしてどこまでも敬虔な、謙虚な、しかし真理のためには何ものをも恐れない態度で書かれているのである。文章も日本人として実に名文だ。国宝といっていい」

「歎異鈔は、私の知っているかぎり、世界のあらゆる文書の中で、一番内面的な、求心的な、そして本質的なものである。文学や、宗教の領域の中、宗教の中でも最も内面的な仏教、その中でも最も求心的な浄土真宗の一番本質的な精髄ばかりを取り扱ったものである。(中略)歎異鈔より本質的に、内面的な書物を世界に求めてもありはしない。これは敬虔な態度で、襟を正して読むべき書であり、また燈下に親しむべき心の友である」


 


 


司馬遼太郎も、第二次世界大戦で召集された時に、初めて手にした『歎異抄』について、次のように述懐しています。

「死んだらどうなるかが、わかりませんでした。人に聞いてもよくわかりません。
 仕方がないので本屋に行きまして、親鸞聖人の話を弟子がまとめた『歎異抄』を買いました。非常にわかりやすい文章で、読んでみると真実のにおいがするのですね。
 人の話でも本を読んでも、空気が漏れているような感じがして、何かうそだなと思うことがあります。『歎異抄』にはそれがありませんでした。(中略)
 ここは親鸞聖人にだまされてもいいやという気になって、これでいこうと思ったのです。兵隊となってからは肌身離さず持っていて、暇さえあれば読んでいました。
 私は死亡率が高い戦車隊に取られましたから、どうせ死ぬだろうと思っていました」
(『司馬遼太郎全講演第1巻』より)

 

無人島に一冊の本を持っていくとしたら『歎異抄』だ。(司馬遼太郎) 
(『週刊朝日』平成8年11月1日号)

 

 

いよいよ出版!? オリジナル小説『フライザイン』

 

もしかしたら、近い将来『フライザイン』が出版されるかもしれません。

 「一カ月以内に、人生の目的を見つけられなかったら自殺する」という妹を助けるために、初めて生きる目的を探究し始めた兄と、愛する人が余命一カ月と宣告された天才哲学少女が出会う。そして……」という物語です。

小説『フライザイン』の続きです!

 

※第1回はコチラ

 

。。。

 


■16

【哲学教授たち】田中進一の世界(3月29日)

僕は、キャンパスに向かいながら考えた。
どうやって哲学科の教授と面識を持とうかと。

切り出し方さえ見当もつかない。
いきなり「生きる意味を教えてください」なんて聞こうものならどう思われるだろう。
いや、哲学やっている人なら意外にOKなのかな? 
 

いつしか、僕の足元には、一匹の野良猫がまとわりついていた。
なぜか僕は、やたらと猫に人気がある。
 

日によって大分違うのだけれど、基本的に、猫は自然と僕にすりよってくる。
子供の頃からずっとそうだ。
理由は分からない。
ただ、今の母親が猫嫌いなので、家では飼えないのだけど。
 

その猫は、よくあるクリームとオレンジと黒のモザイク柄をしていた。
いわゆる三毛猫で短く丸い尾をしている。

アメリカでは、ジャパニーズボブテイル(短い尾)と呼ばれ、オリエンタルな雰囲気が人気らしい。
この手の丸い尾の野良猫を、僕はいつも「ボブティ」と呼んだ。
 
そんな見知らぬ猫に付き添われながら、大学で哲学科の教授について調べていくと、教授たちの年齢も分かったし、部屋も知ることができた。
午前中は決心がつかず。昼食は猫と分け合いベンチで食べた。

猫と人間との付き合いは新石器時代から続いているという記事をどこかで読んだことがある。

長い舌を盛んに動かし、口の周りを舐めまわしたり、舐めた手で顔をこする愛らしいしぐさを見ていると、それくらい歴史があって当然だと思った。
猫はとても幸せそうに見えた。

笑っている箇所は目だけのように思えるのだけど、顔じゅう使って笑う人間より、嬉しそうに見えるのはなぜだろう? 

そんなことを考えているうちに、緊張が和らいでいった僕はとりあえず一番若い教授に会おうという気持ちになっていた。

昼過ぎには心の準備が整い、教授の部屋へ向かって歩き始めた。日ごろ入ることがない校舎の廊下をつたって部屋の前に着く。
いかめしい扉が、そこにはあった。
心臓が早鐘を打つように高鳴ってくる。

《これは妹のためであり、自分のためでもあるんだ!》

そう必死に言い聞かせたがドアをノックする決意が固まらない。
それはそうだ、どう切り出すかのアイディアさえまだ浮かんでいないのだから。
じっとりと腋の下から冷や汗が出てきた。

しかし、とにかくここはノックするしかないのだ! 
そう思いつつも、自分で自分がどうにもならない。
猫は首をかしげて僕を見ている。僕はかがんで、猫の頭を軽くなでた。

「ボブティ、ここでしばらく待ってろよ」

小さな声で伝え、ボブティとの握手を交わした。肉球が僕に勇気を与えてくれる。

大きく息を吸い込む。
そして、僕は拒否するもう一人の僕を振り切って、脳に《右のこぶしにノックさせろ!》と命令した。

威厳ある木のドアを『右のこぶし』が叩き「失礼します」と『口』が言う。
すると、あっさり「はい」と中から返事が聞こえてきた。

腹を据え、もう一度、失礼しますと言いながらゆっくりドアを開けると、不思議そうな顔をして僕をみている教授が座っていた。


。。。

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┃編┃集┃後┃記┃
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いかがだったでしょうか。

小学生低学年のころ、ネコはみんな化け猫だと思っていました(笑

何か小さいときに見た化け猫のアニメか何かが影響を与えたものと思われます(笑

ですが、母親がネコを飼い始めたことによって誤解が解け(笑)、今は大のネコ好きです☆

 

 

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ではまた。 

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