フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

続々・アインシュタインの言葉から LA PENSEE D'EINSTEIN (III)

2005-11-24 00:09:10 | Einstein

アインシュタインの言葉をもう少し。

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「ほとんどすべての人にとっては、一時的な成功のほうが原理的な深い考察よりもずっと説得力があるもので、それゆえ流行は人々の耳を聞こえなくするのです。たとえごくわずかな期間ではあっても。」


「教師が子どもたちに伝えなければならない最も大切なものは、知識や認識それ自体ではなく、知識を得たり理解することへの憧れであり、芸術・科学・道徳といった精神的な価値に寄せる深い敬意です。考えることが持つ遊戯のような楽しさや、教える対象である事実や出来事に対する好奇心が前もって呼び起こされないままに、知識を教え込むことは全く有害です。なぜならそうした教育は、食欲がない時の食事が料理に対する不快感を引き起こすのと似た、不快な感情を学習者に起こさせるからです。それとは逆に、ひとたび生き生きとした関心を喚起できれば、その関心は学校という枠を越えて働きかけ、人生全体にわたって精神の活力を高めることになります。」


「学問の研究、そして一般に真理と美の探究は、私たちが一生の間、子供であり続けることを許される領域です。」


「知識は重い負担にはならない――
 そう信じている人は大変な思い違いをしている。
 古くさいガラクタで一杯になった人は、
 めったに新しいことを思いつけなかった。
 頭はカラッポにしておくほうがいい。
 知識のためには図書館がある。
 そこでなら、いつだって知識が君のために待ちかまえているし、
 君が行くまでは口をつぐんでいてくれるのだから。」


「音楽は研究活動に<影響>はしませんが、両者とも同じ憧れという泉によって養われており、それぞれがもたらす慰めにおいて、互いに補いあっています。」


「眺める喜びと理解する喜びは、自然の最高の贈り物です。」


「一人一人の人生が自然な限界の中に収まり、その結果、最後にはそれが芸術家の作品のように見えてくることで十分満足すべきではないでしょうか。」

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アインシュタイン・ドキュメント「私は神のパズルを解きたい」(哲学書房、1992)から

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続・アインシュタインの言葉から LA PENSEE D'EINSTEIN (II)

2005-11-23 00:07:11 | Einstein

「科学に真剣に取り組んだ人は皆、科学を通じて、世界の法則性の中に人間的なものを遥かに越えた精神がはっきり表れているという確信で満たされるようになります。そのような精神と向かい合ったら、ささやかな力の私たちはへりくだらなければなりません。
 このように科学の研究は、特殊な宗教的感情へと通じていますが、とはいえそれはもっと素朴な人々の信仰心とは本質的に異なっています。
 人間が経験できる最も美しく深遠なものは神秘的な感情です。それは宗教同様、芸術や科学におけるあらゆる深みのある探求の基礎にもなっています。これを経験しなかった人は、私には死人とまではいわずとも、盲人のように思われます。」

 (私語) 今読んでいる « Dieu et la Science (神と科学) » の冒頭には、ルイ・パスツールの次の言葉が引用されていた。
 « Un peu de science éloigne de Dieu, mais beaucoup y ramène. »
 (少しだけ科学をやっただけでは神から遠ざかる、しかし打ち込むと神に近づく。)


「存在するものとその法則性には、卓越した精神がはっきりと現れています。私の考えでは、この思いに満たされた状態が本当の宗教性なのです。不滅なものと私が見なすのは、あくまでスピノザの言う意味においてのみの存在であり、スピノザの言う意味で、存在の『属性』である思惟と延長であって、個々の事物ではありません。
 ただ要するに言えるのは、私はスピノザとほとんど同じ意見であり、確信を持った決定論者として、一神教的な考え方にはなじめない、ということです。」

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アインシュタイン・ドキュメント「私は神のパズルを解きたい」(哲学書房、1992)から
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アインシュタインの言葉から LA PENSEE D'EINSTEIN

2005-11-22 00:07:26 | Einstein

昨日、アインシュタイン・ドキュメント「私は神のパズルを解きたい」(哲学書房、1992)という本が届いた。今読んでいる « Dieu et la Science » の繋がりだろうか。その中からいくつか引用してみたい。

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「人間は馬よりも暗示にかかりやすいものです。そしてどんな時代も一つの流行に支配されており、大半の人々は彼らを支配している暴君に気づくことさえありません。」


「私自身には特別な才能などないことを私は十分よく知っています。好奇心とものにとり憑かれたようになる心、そして辛抱強い忍耐力が自己批判と結びつき、私を私の思想へと導いたのです。」


「知識それ自体のための知識の探求、ほとんど熱狂に近い正義への愛、そして個人の独立性の追及―これらはユダヤ民族の伝統のモチーフです。それゆえに私は自分がユダヤ民族に属していることを運命の賜物と思い知らされるのです。」


「私は正真正銘の『一頭立て馬車』であり、国家にも、故郷にも、友人関係にも、いや自分の家族に対してさえも、心の底から帰属することはなく、むしろこうしたあらゆる絆に対して、いつまでもやむことのない違和感と孤独を求める気持ちを感じ続けてきました。こうした感情は年をとるとともにますます強まっています。」

 (私語) 少し通じるところがありそうである。その違和感に。


「概念と観察の間には橋渡しできないほどの溝があります。観察結果をつなぎ合わせることだけで、概念を作り出すことができると考えるのは全くの間違いです。

 あらゆる概念的なものは構成されたものであり、論理的方法によって直接的な経験から導き出すことはできません。つまり、私たちは原則として、世界を記述する時に基礎とする基本概念をも、全く自由に選べるのです。」

 (私語) ここが真の創造性の発揮される場所なのだろう。概念(仮説)を立てる時にこれほど自由でいられるということに気づくというのは大変なことだ。それができるかどうかでその後が大きく変わってくる。その概念が本当かどうかを確かめることに費やされるその後の生活は充実していそうである。最後には落胆が待っているかもしれないが、一つの科学者の生きる道を示しているようだ。

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