フランス日本研究学会の第7回大会 (7ème Colloque de la Société Française des Études Japonaises) に顔を出し、"Le philosophe face à la nature" 「自然に向かい合った哲学者」 というセッションを聞く。自然科学をやっている者にとって、文系の世界がどのように動いているのかということに興味があった。
会場に行ってみると参加者が非常に少なく、自然科学で言えばごくごく内輪の研究会といった風情である。会場もラウンドテーブルで、10-20人くらいが坐っている。発表する人は5人 (スイス人、ベルギー人、日本人3名) いたが、すべてが坐ったまま15-20分原稿を読むという形態である。以前に日本でマルグリット・ユルスナーに関する会に出たことがあり、このような感じであったのでひょっとするとフランスのスタイルなのかもしれない。この日の対象は、西田幾多郎、山崎正和、和辻哲郎、西谷啓治など。日本人の皆さんはフランスで勉強されているだけあって、立派なフランス語であった。
別世界に長い間身を置いていた者としては、まさに小さな社会で言葉だけが飛び交っているという印象が強かった。私であれば自己満足に終わりそうな危険性を感じると同時に、理念ではなく現実を考える政治家が簡単に手を出してくる領域になるのがわかるような気もしていた。内容の新しさや独創性についてよく理解できなかったせいか、このような研究成果を聞く場合、門外漢としてはその現代的な意味がどのように考えられているのかということに一番興味が湧くのだが、私の理解できたところでは余り展開されていなかったようである。「意味」 が大切という点では、自然科学についても同じことが言えるのだろうが。
また私が文系について想像していた中には、真剣勝負で言葉を操りながら存在をかけたディスカッションがされているのではないかという期待感があったのだが、そのセッションではごく普通の日常が流れていた。
この日の討論の中で聞いたジョージ・スタイナー George Steiner という人の "Traduire, c'est comprendre." という言葉がなぜか頭に残っていた。そして不思議なことに、帰りに入った本屋の棚には彼の作品群が並べられていた。