フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

5月の記事

2006-05-31 19:42:08 | Weblog
2006-5-30 ミハイル・カンディンスキーを聞く ÉCOUTER MIKHAIL KANDINSKY
2006-5-29 嵐の夜、東京の空を見つける LE CIEL DE TOKYO A UNE NUIT ORAGEUSE
2006-5-28 カンディンスキー芸術の開花 EPANOUISSEMENT ARTISTIQUE
2006-5-27 若き日のカンディンスキー KANDINSKY: JEUNESSE ET INSPIRATIONS
2006-5-26 カンディンスキー事始 PREMIER COURS SUR KANDINSKY
2006-5-25 本文か注釈か LE TEXTE OU L'ANNOTATION
2006-5-24 木村伊兵衛、荒木経惟、そして写真とは IHEI KIMURA ET NOBUYOSHI ARAKI
2006-5-23 牧野富太郎を再発見 REDÉCOUVRIR TOMITARÔ MAKINO, BOTANISTE
2006-5-22 串刺しにして読み直す RELIRE CE BLOG APRÈS LE CLASSEMENT
2006-5-21 「ピカソ 天才の秘密」を覗く "LE MISTÈRE PICASSO"
2006-5-20 ジャン・フランソワ・ルヴェル再び REVEL L'INSOUMIS
2006-5-19 フランス語、イメージ、詩、音楽 FRANÇAIS, IMAGE, POÈME, MUSIQUE
2006-5-18 分類して自分を覗く CLASSER DES BILLETS ET ...
2006-5-15 DANS LE HAMAC DE ...
2006-5-14 ジャジィーな一夜、深い溝 UNE SOIRÉE JAZZY OU UN GRAND FOSSE
2006-5-13 パブロ・ネルーダの追想 PABLO NERUDA SE SOUVIENT
2006-5-12 「全ての人は過ぎて行く」から QUELQUES MOTS DE SHIN-ICHIRÔ NAKAMURA
2006-5-11 思わぬ再会 RETROUVAILLES IMPREVUES
2006-5-10 雨の日はバルバラ BARBARA AU JOUR PLUVIEUX
2006-5-09 「全ての人は過ぎて行く」 "TOUS LES GENS SE PASSENT"
2006-5-08 ある雨の日曜日 UN DIMANCHE PLUVIEUX  
2006-5-07 大岡信コレクション展 LES YEUX DE MAKOTO Ô-OKA
2006-5-06 旅をするとは PARTIR, C'EST MOURIR UN PEU
2006-5-05 「先送り」 再考 ATTENDRE JUSQU'A CE QU'IL MURIT
2006-5-04 「熱狂の日」音楽祭での出会い RENCONTRES A LA FOLLE JOURNÉE 
2006-5-03 渡辺恒雄をテレビで見て LE SECRET DE TSUNEO WATANABE
2006-5-03 一年前と併走する RELIRE MES BILLETS DE L'AN DERNIER
2006-5-02 二巨星逝く DEUX GEANTS SONT MORTS
2006-5-02 ジャック・ブレルによる人生 LA VIE SELON BREL
2006-5-01 年をとること、大人になること ÊTRE VIEUX SANS ÊTRE ADULTE

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ミハイル・カンディンスキーを聞く ECOUTER MIKHAIL KANDINSKY

2006-05-30 00:12:55 | MUSIQUE、JAZZ

先日の 「熱狂の日」 音楽祭で話題に上がったミハイル・カンディンスキーさん Mikhail Kandinsky (1973- ) が日立交響楽団のコンサートに出るという連絡がY氏から入り、日立市まで出かける。ミハイルは、このところ思いを馳せていたワシリー・カンディンスキーの家系で、モスクワ音楽院、ロンドンの王立音楽院で学んだピアニスト。ロンドンで出会った日本女性と結婚して2001年から日本に住んでいるという。

この日のコンサートは、ラフマニノフのピアノ・コンチェルト第3番。長身で細身の彼は、礼儀正しい几帳面なお辞儀をしてピアノに向かう。このようなお辞儀は日本の日常ではもちろん、コンサートでも見掛けたことがない。昔の日本の家にいるような気分にさせられる。

音楽的なことはわからないのだが、演奏する姿勢から感じるものはたくさんあった。まず体の派手な動きや表情の変化がほとんどない。自らの内なる世界との対話を楽しむかのように、淡々と弾いている。何事もないような穏やかな表情で。気負いや衒い、コマーシャリズムに乗ろうなどという色気など微塵も感じさせない。とにかくラフマニノフの音楽に打ち込んでいるだけという印象を受けた。そこにワシリー・カンディンスキーの 「内なる迸りなしには芸術は成り立たない。それこそが重要なのだ。」 という声が聞こえてくるようだ。

この曲はロシアの自然を思い浮かべて演奏するように、とミハイルさんは団員に話したそうだ。ロシアの自然にはまだ触れたことがないので何ともいえないが、うねるような音の流れの中にラフマニノフの特徴的な旋律も聞くことができた。

日本的な儀礼を日本人以上に身につけているせいか、最後の指揮者との挨拶では頭をごつんとぶつけ合っていた。額が赤くなっているのがオペラグラスではっきり見えた。その後拍手に答えてアンコールを2曲も弾いてくれた。残念ながら私には曲目まではわからなかったが、自然に出てくるサービス精神のようなものを感じ、ありがたく鑑賞させていただいた。

ミハイルさんはまだ30代前半である。これからゆったりと熟成して大成してほしいものである。演奏する姿を見ていると求道的なところも感じることができ、その継続が何かを生み出しそうな気がしてくる。今回の出会いは、元を辿るとLigueaさんが引き合わせてくれたようなものであるが、心が洗われるようなものになった。

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(version française)

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嵐の夜、東京の空を見つける LE CIEL DE TOKYO A UNE NUIT ORAGEUSE

2006-05-29 00:29:50 | 映画・イメージ

先日の嵐の夜、雷と雨がひどかった。偶然車に乗っていたので、雷を写真に撮ろうとしたが遂に果たせず。カメラに収まっている写真を見て驚いた。われわれの空はこんなにも電線に溢れていたのか、と。そこにあるものが、全く目に入っていなかった。今まで何も観てこなかったことがここにも現れている。同時に、眼の前にあるものが見る側の条件によって全く見えなくなるという知覚の不思議と恐ろしさも感じた。

仏版ブログでこのことに触れ、東京の景色は余り美的ではないと書いたところ、東京に来てまだ数週間というパリジャン Pierre さんからコメントが入った。この景色が美しい。混沌とした東京の景色の中にエネルギーを感じるというのだ。美をどこに見出すかによって評価は変わってくるのだろうが、こうも人によって評価が違うものかと驚いた。ただ、写真を撮り始めて1年、今まで気にも留めなかったものにも美しさが宿っていることに気付き始めているので、彼の言うことを頭から受け付けないという状態ではなくなっている。存在そのものが美しいという立場が理解できるところまで行っているのかもしれない。

そのやり取りはこちらから。

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カンディンスキー芸術の開花 EPANOUISSEMENT ARTISTIQUE

2006-05-28 00:27:43 | Kandinsky

Kandinsky

Périodes artistiques
1 Jeunesse et inspirations (1866-1896) ~30歳
2 Épanouissement artistique (1896-1911) 30歳~45歳
3 Les quatre bleu (1911-1914) 45歳~48歳
4 Retour en Russie (1914-1921) 48歳~55歳
5 Le Bauhaus (1922-1933) 56歳~67歳
6 La grande synthèse (1934-1944) 68歳~78歳

30歳にしてミュンヘンの美術学校に入ったため、クラスの中では一番年を取り、一番経験もあった。そこでは自分の作品について深く考えながら、芸術の真の理論家になるべく絵の勉強を始めたようだ。

1906年から1908年にかけて、ヨーロッパを巡るたびに出て、バイエルン地方の小さな町ムルナウ Murnau に住むことになる。この町の名前は、昨年のロンドンで見たガブリエル・ミュンター展で覚えていた。この時期の作品 « La montagne bleue » 「青い山」 では、抽象に向かう彼の傾向が見られる。形とは独立して色を使うという彼の姿勢の変化もこの時期に起きている。

1909年からは « chœur des couleurs » 「色のコーラス」 ということを言い始めるが、それはゲーテの Traité des couleurs (Farbenlehre) 「色彩論」 に影響を受けたものだろう。1910年には最初の抽象絵画を描いたが、その底には 「現実に見える物質世界の真実の表示や模倣を、芸術家の内的な芸術的発露 « la nécessité intérieure » によってのみ生れた精神性の純粋な表現で置き換えよう」 という目論見があった。
"substituer à la figuration et à l'imitation de la « réalité » extérieure du monde matériel une création pure de nature spirituelle qui ne procède que de la seule nécessité intérieure de l'artiste"

哲学者のアンリ・ミシェル Henry Michel の言葉によれば、「外的世界の目に見える様を生命の見えざる悲壮な内的真実で置き換える」 ということになる。
"substituer à l'apparence visible du monde extérieur la réalité intérieure pathétique et invisible de la vie"

Henry Michel (le 10 janvier 1922 à Haiphong, Viêt Nam, et décédé le 3 juillet 2002 à Albi, France)

絵を描く時に、自分の内から真に湧き出るもの、それだけを頼りに描くことを目指したのが抽象画への道を開く考えだったようだ。自分に重ねて考えてみると、7年に及ぶアメリカ滞在のある時点から (今となっては特定できないが、おそらく4年ほどしてから) それまでの外に影響されながらの生活から、真に自分の中から湧き出るもの、自律的に自らを動かすことのできる基準あるいは動力、そういうものに基づく生活を理想とするように変化していった。それが重要であると感じ取ったという意味では、カンディンスキーの言いたいところはよくわかるような気がする。別の視点に立つと、真に内から湧き出るものを基準に生きることができるような状態になるのを待っていたところ、7年が経っていたと言えるかもしれない。

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この時代の代表的な絵は以下のサイトで見られます。あるものは、ミュンターのものと非常によく似ているという印象を持った。なぜか仏版ウィキペディアにはミュンターの名前は出てこない。

Dimanche, Russie traditionnelle (1904)
Couple à cheval (1906-1907)
Le cavalier bleu (1903)
La montagne bleue (1908-1909)

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2006-5-26 カンディンスキー事始 PREMIER COURS SUR KANDISKY
2006-5-27 若き日のカンディンスキー KANDINSKY: JEUNESSE ET INSPIRATIONS

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若き日のカンディンスキー KANDINSKY: JEUNESSE ET INSPIRATIONS

2006-05-27 00:32:43 | Kandinsky

Kandinsky

Périodes artistiques
1 Jeunesse et inspirations (1866-1896) ~30歳
2 Épanouissement artistique (1896-1911) 30歳~45歳
3 Les quatre bleu (1911-1914) 45歳~48歳
4 Retour en Russie (1914-1921) 48歳~55歳
5 Le Bauhaus (1922-1933) 56歳~67歳
6 La grande synthèse (1934-1944) 68歳~78歳

子供の頃のカンディンスキーは色に魅せられていた。それから "synesthésie" と呼ばれる、色を見て音を感じたり、音を聞いて映像が浮かんだりというような異なる領域の間で 「共鳴」 するような現象が彼の中で起こっていたようである。これが後の作品に大きな影響を与えている。それはタイトルに音楽の領域の言葉を用いるところにも現れていて、考え抜いて描いたものを composition、即興で描いたようなものには improvisation と言っている。

23歳の時には民俗学研究グループに入り、農民の慣習を調べるためにモスクワ郊外を訪問する。その地方の家や教会に飾られていた絵の最もきらびやかな色 "les couleurs les plus chatoyantes" に強い感動を覚える。それからモスクワを去る前に展覧会で見た、干草の山が実物とは関係のないような色で描かれているモネの絵を見て、色の持つ力に感銘を受ける。

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2006-5-26 カンディンスキー事始 PREMIER COURS SUR KANDISKY
2006-5-28 カンディンスキー芸術の開花 EPANOUISSEMENT ARTISTIQUE

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カンディンスキー事始 PREMIER COURS SUR KANDINSKY

2006-05-26 00:23:25 | Kandinsky

先日の Liguea 様のコメントが相当強烈だったようだ。それ以来、「現象学、フッサール、ハイデッガー、カンディンスキー」 が頭から離れない。お薦めいただいたハイデッガーの 「『ヒューマニズム』 について」 を読み始めたり、フッサールの 「デカルト的省察」 をぱらぱらとしたりしながら、時間を潰すこともある。その印象については、読み終わってからまとめてみたい。

今回、プリントアウトすると10ページほどになる Wikipédia のカンディンスキーを読んでみて、ものの見方や考え方が私に近いところがあるという印象を持つ。Liguea 様が私の拙いフランス語からそれを察し、注意を喚起してくれたことをありがたく感じている。

Wassily Kandinsky
Né à Moscou, 4 décembre 1866 du calendrier julien (16 décembre 1866 du calendrier grégorien) -
Mort à Neuilly-sur-Seine, 13 décembre 1944

ピカソ、マティスと並び20世紀の最も重要な芸術家とされるカンディンスキーは、抽象芸術のパイオニアである。"Première aquarelle abstraite" 「最初の抽象水彩画」 と題された1910年の作品が最初の抽象画とされてきたが、彼がその功を焦り、"Composition VII" (1913年) の下絵だったかもしれないこの絵を1910年作とした疑惑が持たれているという。

彼の人生をざーっと見てみたい。1866年にモスクワに生れたが、少年時代をオデッサ Odessa で過ごす。モスクワ大学では法学と経済学を学び、その道での成功も考えられたが、30歳で絵画の勉強を始める決意をする。

1896年、ミュンヘンに落ち着き、そこの美術アカデミー l’Académie des Beaux-Arts で学んだ後、1918年にロシア革命が終わるとモスクワに戻る。しかし当時の正統とされる芸術理論と意見が合わず、1921年にはドイツに戻り、バウハウスで教鞭をとる。1933年にナチにより閉鎖されたため、フランスに亡命。1939年にはフランスの国籍を取り、1944年に亡くなるまでフランスで過ごす。

彼の創造世界は、その中心に "la nécessité intérieure" (内的な欲求の発露、精神的な深いところにある美を求める渇望のようなものか) が置かれ、時間を経て成熟してきた思索の賜物である。その成熟過程は、便宜的に次の6期に分けられている。

Périodes artistiques
1 Jeunesse et inspirations (1866-1896)
2 Épanouissement artistique (1896-1911)
3 Les quatre bleu (1911-1914)
4 Retour en Russie (1914-1921)
5 Le Bauhaus (1922-1933)
6 La grande synthèse (1934-1944)

昨年、ロンドンでカンディンスキーを見た時には、その背後にある考えなど知る由もなかった。しかし最初に作品に触れ、そこから何らかの揺らぎを感じ取ったものについて、深入りするというやり方でよいのだろう。まず解説から入るのは、絵画に限らず、音楽や文学・哲学でも私には向いていないようだ。そのあたりが現象学的なのか。

これからぼちぼちと彼の足跡を辿ってみたい。

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2006-5-27 若き日のカンディンスキー KANDINSKY: JEUNESSE ET INSPIRATIONS
2006-5-28 カンディンスキー芸術の開花 EPANOUISSEMENT ARTISTIQUE

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本文か注釈か LE TEXTE OU L'ANNOTATION

2006-05-25 00:46:06 | Schopenhauer

ショーペンハウアーの言葉に 「人は、先の40年で本文を記し、続く30年で注釈を加える。」 というのがあるという。この言葉を聞いた時、私も1年ほど前から注釈を加え始めたのか、と感じた。それは何かが終わりつつあるという感触を得て、意味付けを求めたからだろうか。

この言葉は同時に、以前に考えたことのあるサルトルの "vivre ou raconter" 「生きることか語ることか」 にも少し通じているような気がしてきた。

それにしてもこれから30年もの間、注釈だけでは疲れそうだ。再び注釈を加えるべき本文を書いてみては、という声も聞こえる。

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科学フランス語のサイト LE SITE DU FRANCAIS SCIENTIFIQUE

2006-05-24 07:00:17 | 日仏のために

ここ半年ほど、パリにあるパスツール研究所のプレスリリースの翻訳を依頼されています。まさに厚顔無恥極まりないのですが、こちらも公開しながら教えを乞おうと考えました。仏版ブログには語法の誤りなどの貴重なコメントをいただき、目を開かされているからです。サイトは以下の通りです。

パスルーツからのフランス語

この分野の専門家の方にはご批判を、専門家をご存知の方にはこのサイトを紹介していただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

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木村伊兵衛、荒木経惟、そして写真とは IHEI KIMURA ET NOBUYOSHI ARAKI

2006-05-24 00:41:57 | 写真(家)

週末、テレビをつけると写真家木村伊兵衛の特集をやっていた。

木村伊兵衛 (1901年12月12日 - 1974年5月31日)

木村には 「コンタクト」 と題する何気ない日常を撮ったシリーズがあり、主にそれが取り上げられていたようだ。以前に秋田のシリーズをどこかで見た記憶がある。とにかくひとつの流れの中でフィルムに写 (移) している。ある一瞬に賭けるというのではなく。これは荒木が本の中で語っていたこととも通じる。

私も最近感じていることがある。写真を撮り始めて1年ほど経つが、最初はとにかく美しいというよりは綺麗なもの、あるいはそう思われているものを撮ろうとしていた。そのうちに、それまで全く気付かなかったところに美しい形や色を持ったものがあることに気付き始める。それを写真にとり、眺めているうちに現実の見え方が変わってくる。写真に現れたものに影響を受けているのだ。それから、ある考えで写真を撮ったつもりが、後で見直すと全く違った雰囲気や思考が誘発されるということが意外に多いことに気付く。本当に何気ないものの中にも何かが見えてくることがある。それがわかった時、写真を撮るその時点の自分には余り拘らなくなった。

こういうところに考えが至ると、木村の 「コンタクト」 シリーズの意味が非常に身近に迫ってくる。去年の木村伊兵衛賞受賞者の鷹野隆大は木村の写真を見せられて、「記録として意味がある、私も50年後のために撮っている」 というようなことを言っていた。そのエッセンスには全く同感である。ある時点をフィルムに留めることが最も重要なことで、あとは後の自分に任せる。これがどういうふうに見えてくるのか、という大きな楽しみが増えるのだ。そう考えるようになってから、写真の意味が変容し、自分にとって非常に大きな存在になりつつある。

メランコリックな眼をした荒木がコメントしていた。

「木村の写真を見ると懐かしさを感じる。懐かしさを感じない写真は駄目だね。その写真家は人間をやってこなかったんだ。」

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(version française)

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牧野富太郎を再発見 REDECOUVRIR TOMITARO MAKINO, BOTANISTE

2006-05-23 00:19:44 | 自由人

先週末、近くに寄ったついでに昭和記念公園に向かう。朝の空気を吸いながら、人のいない道を歩くのは気持ちがよい。まず"花みどり文化センター"があったのでその中に入る。入り口近くに牧野富太郎についての展示があり、その昔在野の植物学者として新種を見つけマスコミに取り上げられていたことを思い出す。展示のパネルにあった彼の笑顔が妙に印象に残った。私のそれまでぼんやりと思い描いていた彼の印象と違ったからだろう。

牧野富太郎 (1862年5月22日 - 1957年1月18日)

さらに奥の方に進むとミュージアムショップがある。何気なく目をやっていると、高知県立牧野植物園発行の 「牧野富太郎写真集」 や彼の蔵書についての本が並べられている。写真集をぱらぱらと捲っていると、彼の心の底から出たと思われる笑顔がよく出てくる (家族といる時の表情は硬いが)。こういう笑顔にはなかなかお目にかかれないためだろうか、その顔を見ているとなぜか心が和んでいる。それから高齢になってからも飽くことを知らない活動の様子も紹介されている。その根底には、いつまでも失われなかった遊び心があるかのようだ。

今日の写真は彼が78歳の時ものだという。こんなことが80歳近くになってもできるだろうか、と自問する。もしその時があれば、この記事を思い出してみたい。

写真集に 「牧野富太郎に、とうとう時代が追いついた。」 という書き出しで始まる荒俣宏のエッセイ 「マキノ的笑いに寄せて」 を見つけて、同じようなことを感じているな!、と思わず膝を叩いた。博物学的な興味で仕事をしている荒俣氏の共感もあるのだろうか。

それから彼の5万冊にも及ぶと言われる蔵書についての本もあわせて眺めながら、以前にも少しだけ触れたことがある博物学の評価についてもう一度考えていた。博物学的研究というのは専門の中枢からは余り評価されにくい分野という印象を持っており、それは今も変わっていない。どうしても分析的な研究が中心になる。したがって、その方が社会で生きていきやすいということにも通じる。しかしどうだろうか。人の一生を眺めてみる時、どちらの方の仕事が残るのだろうか。当時の学会中枢にいた人たちはほとんど忘れ去られ、彼のような生き方がある評価を受けて現在まで生き残ってある。

このお話は、これも最近触れた「先送り」 の件ともどこかで繋がっていそうである。博物学はある結論を出そうというのではなく、ものに浴びつづける生き方に通じるように感じる。とにかくこの世のものに触れ、何かを見つけ、その過程を楽しむ。何かに向かうのではなく、とにかく浸リ続けるのである。そこに本当の満足を見出すことができれば、この世は素晴らしいところになるのだろう。彼の笑顔がそれを語っているようにも感じた。その後の公園の散策がどことなく晴れやかなものになっていた。

そう言えば、若くして南米に渡り植物の採集と分類をひたすら続けている日本人 (おそらく橋本梧郎さん) が何年か前のNHKテレビで紹介されていたことがあり、不思議な感動を覚えながら見ていたことが甦ってきた。

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ネット検索の結果、橋本氏の番組は平成9年9月15日のNHK-TV特別番組「人間ドキュメント」 だった可能性が高い。もう9年も前のことになるとは、驚きである。

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串刺しにして読み直す RELIRE CE BLOG APRES LE CLASSEMENT

2006-05-22 00:53:36 | ブログの効用

最近、ブログの記事を分類してみたが、これまでに書いたものをある視点で串刺しにするという印象である。今回選び出された項目をそれぞれ読み直してみた。そうすると、通して見てた時とは違った景色が広がるようだ。同じ材料でもその組み合わせによって全く新しい味がしてくる。新鮮な経験であった。

これから1年ほどはこれまでの分類に囚われることなく、その時々に入ってきた材料を蓄えておきたい。時を経ると、また違った視点で分類されることになるのだろう。どんな味の串刺しができるのか、楽しみである。

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「ピカソ 天才の秘密」を覗く "LE MYSTERE PICASSO"

2006-05-21 00:39:20 | 映画・イメージ

テレビのチャネルをひねり、偶然に流れていた映画に引き込まれる。ピカソの製作過程を追った記録映画だ。

Pablo Picasso (né à Malaga le 25 octobre 1881 - mort le 8 avril 1973 à Mougins)

アンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督 Réalisateur : Henri-Georges Clouzot
ミステリアス ピカソ / 天才の秘密」 "Le Mystère Picasso" (1956年)


見始めた時は彼が時間を決めて何かを描かされている。どういう条件なのかわからない。裸で筆を持ち紙に向かっている。

その絵は、花かと思いきや魚かと思いきや鶏かと思いきや人の顔と思いきや猫の顔に見え、その外に人が現れる。遊び心たっぷりの彼の頭の中が垣間見えて、面白い。

無の空間が線によって区切られるとそこには予想もできない姿が現れる。不思議な雰囲気が醸し出される。次にどんな世界が現れるのか、スリリングである。フランス語でのやり取りも面白い。

映像と音楽。一つの形があり、そこにいろいろな筆遣いを加えては消し加えては消していく。その度に全く違ったイメージになる。一つの形が多様な、ほとんど無限と言ってもよいだろう印象を与えることができることを教えてくれる。一つの道はどこまでも深い。

外出しなければならず、ほんの20分ほどの触れ合いであった。

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ジャン・フランソワ・ルヴェル再び REVEL L'INSOUMIS

2006-05-20 00:10:10 | 哲学

少し前の Le Point の特集に最近82歳で亡くなったジャン・フランソワ・ルヴェルさん Jean-François Revel (19 janvier 1924 - 30 avril 2006) が取り上げられていた。このブログでも数回に渡って触れている。

「ルヴェル:不服従の哲学者」 "REVEL -- Le philosophe insoumis"

これが彼を特徴付ける言葉なのだろうが、他にもいくつかあった。例えば、

un de nos rarissimes grands dissidents intellectuels
(稀有の偉大な知的異端者のひとり)
un des esprits les plus fermes et les plus libres de notre époque de pensée conforme
(規範的思想の時代における最も毅然とした、最も自由な精神の持ち主のひとり)

彼はデカルト嫌いで、"Descartes, c'est la France, hélas !" と言っている。さらに l'antigaullisme, l'anticolonialisme, l'anticommunisme の立場を取り、ポルトガル語、英語、スペイン語、イタリア語、それにドイツ語を操り、五つの大陸で話ができる。朝の5時からお好みのBBCを聞き、5-6種の外字新聞を読む。旅をする。書くためにフランスを離れ、ホテルで仕事をするのを好む。繭の中に入る (se retirer dans son cocon = 隔離された、孤独に引きこもる) ような感覚が好きのようだ。外国に着くと、ラジオ、テレビをつけ、匂いを嗅ぎ (flairer)、街の雰囲気に浸る (s'imbiber de l'atmospèhre des rues)。このあたりは私の好みと一致する。

よく無器質な(情のない)知識人と誤解されるが、実は、un sensoriel, un sensuel, un instinctif, un intuitif, l'homme des chose vues, respirées だという。感覚、本能、直感を、見たり呼吸したりして得るものを大切にする人だった。

Comme le poète, "il aimait, le jeu, l'amour, les livres, la musique, la ville et la campagne..." さらに競馬 (le turf)、闘牛 (la corrida)、ブイヤベースも。bon-vivant だったことがわかる。

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彼は語っている。

"J'ai croisé beaucoup de gens remarquables qui ne sont jamais devenus célèbres et beaucoup de gens célèbres qui n'étaient pas remarquables du tout."
(僕は決して有名にはならなかった多くの傑出した人にも、全く大したことのないたくさんの有名人にも会った。)

モンテーニュのエッセイにある「哲学するとは死に方を学ぶこと」 (Que philosopher, c'est apprendre à mourir.) ということについて。
"Mais je ne suis pas tellement d'accord... Cela ne s'apprend pas. On ne peut apprendre que ce qu'on peut répéter. La mort est un fait unique et un fait brut. "
(しかしその考えにはあまり同意できない。..死に方を学ぶことはできない。人は繰り返されることは学ぶことはできるが、死は一度きりの野蛮なことだから。)

"Ce n'est pas la langue qui crée le poème, c'est le poète. Et le poète n'est, n'a jamais été, ne sera jamais qu'une éventualité."
(詩を作るのは言葉ではなく詩人だ。そして詩人は、これまでも、今も、そしてこれからも必然にすぎない。)

"Il n'est pas certain que l'homme ait le goût de la liberté et de la vérité, même si c'est contre son intérêt. Parfois l'homme est très désintéressé."
(人が自由や真実を大切にする気があるのか、確かではない。たとえそれが自分の利益に反することになるとしても。人はしばしばどうでもよいと思っているのだ。)

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彼のお気に入りは "Pourquoi des philosophes" だったようだ。いずれ触れてみたいものである。

コメント (4)
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フランス語、イメージ、詩、音楽 FRANCAIS, IMAGE, POEME, MUSIQUE

2006-05-19 00:35:08 | 俳句、詩

久しぶりに Amateur d'art 氏のブログを訪問。素晴らしいサイトの紹介があった。その中に、丁度このブログの核のようなものと共鳴しているところが見つかった。それは "au jour le jour" と題されたところで、「イメージ、詩、音楽」 が絡み合い、フランス語の朗読がさらにその上に音楽を奏でていると言った趣があり、美しい。興味のある方は触れてみてはいかがでしょうか。

タイトルはこのようになっています。
1 mai: A défaut
2 mai: presque le printemps
3 mai: J'ai rêvé...
4 mai: car on ne pouvait pas l'oublier
5 mai: La fidélité
6 mai: La réalité
7 mai: Le rendez-vous
8 mai: Cette chanson triste
9 mai: Le ciel
10 mai: Le Moyen-Age
11 mai: Les gens
12 mai: Une image
13 mai: La pensée glisse comme les fleuves

お楽しみください。

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分類して自分を覗く CLASSER DES BILLETS ET ...

2006-05-18 20:11:12 | ブログの効用

ハンモックの中でこれまでのブログを最初から見直し、その分類を試みた。そうすると、自分が何に目を向け、何に開かれていたのかが、おぼろげながら見えてくる。そのカテゴリを見ていると、興味の核のようなものがそこに見つかる。今まで気付かなかった、あるいは新たに開発されていた内なるアンテナに触れる思いがする。

私は何者か、と大上段に構えるのではなく、日々反応していたものを見直すことで、自分の中にあるもの、あったものが見えてくる。こういうもののとらえ方こそ、現象学的なのかもしれない。現象学については、ハイデッガーとフッサールを少しずつ読み始めているところで、確かなことは言えないが、、。確かなことは、これらの核を頼りにこれから少し掘り進んでみたいような気がしていることである。

そう言えば、サルトルの「嘔吐」に、ものの見え方を日々観察し、その時どんなに意味がないように見えても書き記せ、そしてそれを分類せよ (classer) という言葉があった。今回、このブログに溜まっていた獏としてものを分類することにより、はっきりと見えてきたものがいくつかある。classer の意味を体感できたような気がする。

コメント
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