フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

SPINOZA 哲学に革命をもたらした男 (VII)

2007-08-31 00:58:33 | Spinoza

スピノザ年表

1632年11月24日: アムステルダムに生れる。
1654年 3月28日: 父親が亡くなる。
1656年 7月27日: ユダヤ人社会から追放される。
1660年-1662年: "Court traité sur Dieu, l'homme et la béatitude" 執筆。
1661年: ライデン Leyde 近くのラインスブルフ Rijnsburg で 「エチカ」 l'Ethique を書き始める。
1663年: ハーグ La Haye 近くのフォールブルフ Voorburg に引っ越す。
1670年: ハーグに転居し、"Traité théologico-politique" 「神学政治論」 を匿名で出版。
1673年: ハイデルベルグ大学哲学教授の職を断る。
1674年7月19日: 「神学政治論」 がオランダ地方政府により発禁処分に。 
1675年: 「エチカ」 完成。"Traité politique" の執筆開始。
1676年: ライプニッツ Gottfried W. Leibnitz の訪問。
1677年2月21日: ハーグで亡くなる。享年44。
1677年: "Traité politique"、"Traité de la réforme"、"Ethique"、書簡集の一部などが匿名で発表される。
         
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SPINOZA 哲学に革命をもたらした男 (VI)

2007-08-30 21:38:40 | Spinoza

今朝のパリは肌寒く、すでに秋の気配がある。東京のあの蒸し暑い異常な夏から一晩寝ただけでこのような別世界である。今朝は久しぶりにのんびりし、ホテル近くのカフェに入り、残っていたスピノザさんのお話を朝の光の中、辞書片手に読み進む。

道徳の扱い Que devient la morale ?

スピノザの考えこそ、すべての教義の中で最も不道徳で、最も不快なものと言えるだろう。もし罪人が罪を負うことなく、もし英雄が他にやり様がなかったとしたら、善悪が相殺され、罰や褒美も正義さえも消え去るだろう。またスピノザの笑い声が聞こえる。それこそ、良しと判断したり破門したりする悪臭のする満足感や誤謬に導く発言である。道徳的判断は無用であり、現実的な根拠もなく、有害でさえあるのだ。人間の悪意や冷酷さを非難する代わりに、人間がどのようなものなのかを理解しようとする方が有益だろう。

だからと言って、法廷や罰や牢獄を否定することには全くならない。少し教育を受けた人であれば、嵐を呼ぶ雲に意思があるなどとは誰も考えない。雲には雹の責任もなければ、収穫を駄目にした罪などもない。ここでのスピノザの力強さは、道徳を退けるが正義は維持することである。善悪についての延々と続く所謂論拠を無益なもの、笑止なものとする。道徳にノン、倫理にウィである。ここ言う倫理とは、価値の体系を意味するのでは全くなく、誤ったものの見方がなくなるような生き方を指している。そこから賢い生き方が可能になる。現世の放棄や犠牲ではなく、それは欲望、理解、活力が絶頂に達した生き方である。

欲望の絶頂 Plénitude de désir

スピノザは欲望を断罪しない。欲望を本質的に悪として抑圧したり (brider, juguler) もしない。むしろ、彼はそこに人間の本質さえ (l’essence même de l’homme) 見る。好ましいものとして認める。私はそれが美しいから求めるのではなく、私が求めるから美しいのであるというスピノザによる根源的な逆転こそ、欲望に溢れる世界を操縦席につかせることになる。

それではすべての欲望は実現されるべきものなのか。われわれの衝動を誇りに思い、われわれを導くままにしておけるのか。スピノザがまた笑うだろう。なぜなら、それも新たな誤解だからだ。問題は欲望を道徳的義務の法廷に引き出すことでは最早なく、理解の方法として欲望を活力に変容させることだからだ。それはどういう意味だろうか。

われわれがそれを知らない間は、われわれの中やわれわれの上に働きかけてくる原因に従うだけである。しかし、それを知れば知るほど状況が変化してくる。嵐や発熱のメカニズムがわかったからと言って、われわれを守ることにはならない。しかし、時には真の原因を知ることにより有効な行動をとることができる。発熱がある感染によることを知ることは、自らの間違いで呪われ (maudit) 罰を受けたための病気だと信じることとは全く違う。

その過程を修飾することはできないが、見方が完全に変わるのだ。どのように事が動いているのかや避けられないことを理解することにより、盲目的にその原因に従うことを止めるのだ。この世が、人の行いがどのようにして成り立っているのかを理解する者は、ある意味において自然である神 (Dieu la Nature) の活動にさえ参加しており、ぶつぶつ文句を言ったりすべてを混同することを止めるだろう。その者こそ十全に生きることになるのだ。

悦びと至福 Joie et béatitude

そしてこの記事のタイトルにもなっている 「悦びの哲学」 に至る。スピノザ思想の究極の姿がここにある。高まる行動する力の悦び、心身が一体になる悦び、理解が行動になる悦び。反対に悲しみは足かせをかけられ、狭められる。道の最後に辿り着いた哲学者の至福、それは自然である神 Dieu la Nature を外に置くことなしに理解をする恒常的な悦びである。ここが一般的に宗教や智慧を授けるとするすべてのものとの根本的な違いになる。世界から逃避することなく、生と、体と、物質と隔絶することもない。反対に、幻想を持たず現実の中にいることの溢れる悦び。スピノザの至福は知の静謐の中にある。それは理性により身体と同様に思想の中にある永遠に参加するものである。もちろん、そこに至るのは至難の業であり (ardu)、その道のりは険しい (escarpé)。しかし、「エチカ」の最後の言葉を強調しておきたい。「美しいものすべては、稀であると同様に困難なものである」 (Tout ce qui est beau est aussi difficile que rare.)

スピノザの体は埋められたが、彼の真の読者は秘密信徒団のように持続的に形成され、彼らは必ずしも著作について論評を加えるようなことはなく、著作を真に愛するだけで満足する。この男が生きていたこと、彼が静かな悦びをもって逆境に抗することを知っていたことに安堵を見出し、彼が充分な正確さを持ってこのように力強い思想を打ち立てることができたことに感謝する。そして、その思想を生き生きとしてあるために使おうとするのである。これこそ彼に対する価値あるオマージュになるだろう。

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SPINOZA 哲学に革命をもたらした男 (V)

2007-08-19 10:11:50 | Spinoza

人は自由ではない L'homme n'est pas libre

それでは人間はどうか。自らの行動の主ではないのか。その成功や失敗の責任を負うべきではないのか。その徳を褒めたたえ、その悪は非難するべきものではないのか。スピノザの笑い声が聞こえる。これらはまだスピノザを何も理解していない人の疑問である。なぜなら人は自然の一部だからだ。人が考え、感じ、欲することは、どれも自らの力の内にはないのだ。われわれ自身は、自らの主人ではないのだ。われわれは信じるが、それは単に無知から来るものだ。われわれの自由の行使として行うすべてのこと ― われわれの決定や選択は、われわれの中で原因が作用する結果以外の何物でもない。今日であれば、それはホルモンや酵素、あるいは神経結合の問題であり、精神の決定論、欲望のメカニズム、無意識の秘密の機構などと言うことができるかもしれない。

しかし、われわれは自由であると信じている。われわれの中で作用する原因の効果を感じているが、それが何であるのかは知らない。したがって、われわれの行動を決めているのは自分であると考えている。酔っ払いは自分の秘密を打ち分け始めるが、それはアルコールのせいである。彼は自分で選択権があるような気でいる。しかし、われわれ自身、ある意味で多かれ少なかれ酔っ払いである。われわれは決定された存在であることを知っても、われわれが自由であるという印象を拭い去ることにはならない。これは消すことのできない幻想である。

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SPINOZA 哲学に革命をもたらした男 (IV)

2007-08-18 22:29:20 | Spinoza

哲学する自由 La liberté de philosopher

では、知に至る道をどのように歩むのだろうか。先ず、理性の行使を介して行う。彼が尊敬するデカルトとともに開かれた古典的合理主義の偉大な星座に名を連ねる。批判、議論、論証のすべての能力を開発することなく何事も不可能で、真に耐え得るものにはならない。理性の上に位置して理性が跪くべきものは何もない。これは、宗教に対する戦いなのか、王権への反乱になるのだろうか。

そんなことは全くない (Nullement)。反対に、この哲学する自由は信仰心にとっても公共の安全にとっても害にならないことをスピノザは示そうとする。それが彼の存命中に出された第2作 "Traité théologico-politique" 「神学政治論」 (1670) の目的である。またこの大著出版には、彼が無神論者であるという風評を論駁する意味も含まれていた。彼の同時代人は、「神が哲学的にしか存在しない」 "Il n'y a de Die que philosophique." ということを受け入れることができなかった。

神は自然 Dieu est la Nature

"Deus sive natura" (sive = ou bien, si tu préfères) この言葉にスピノザの精神革命のすべてがある。神、即ち自然。これは神についてのすべての見方と対立する。スピノザの神はいずれのものの外にもなく、その外にも何物もない。厳密には (stricto sensu) 宇宙と同一とみなされる。このユニークな見方によると、神はもはや人ではなくなり、何かの神 (Providence) とも関係がない。意志はなく、如何なる決定もしない。神がある出来事が起こるとか起こらないということを決めていると想像することは愚か以外の何物でもない、。

スピノザにとっての神は、始りも終わりも、外面も内面もない 「無限に無限な実体」 "substance infiniment infinie" である。すべては必然で起こる。今ある、あるがままのものはそれ以外ではありえない。他の世界を夢見たり、何かがうまく行かなかったり、失われたりすることを想像することは無駄である。世界は十全なのである。彼は言う "Par perfection et par réalité, j'entends la même chose." 「私は実体と完全を同一のものと理解している」

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SPINOZA 哲学に革命をもたらした男 (III)

2007-08-17 23:49:28 | Spinoza

知は救済 Le savoir, c'est le salut

1661年、ユダヤ社会からの排斥の5年後、アムステルダム南のラインスブルフ(Rijnsburg)にある小さな家に落ち着き、非常に小さい部屋で書き、その横で望遠鏡のレンズを磨き、狭苦しい部屋で寝ていた。それからフォールブルフ(Voorburg)、そしてハーグ(La Haye)に移動。部屋から部屋へ、富も快適さもなく、技術者として働き、ほとんど出版されることのなかった本を書き、知識人や学者と力強さと明晰さに溢れた手紙による交流をしたのが彼の人生と要約されるだろう。彼は20数年の人生と数百ページの本により思想を一変させ、近代性を新たに創り出すことになる。後世の人はそれを見逃すことはなかった。

無口で、謙虚で、名声を気に掛けることはなかったが、思想の普及に無関心ではいられなかった。彼は世捨て人だったわけではない。プロテスタントの仲間などと定期的に会って、活発な討論をしていた。その対談が1661年に最初の作品 "Court traité" に結実する。彼の省察はまだデカルトの影響下にあるとはいえ、すでに紛いもないスピノザの特徴が現れている。それから "Traité de la réforme de l'entendement" へ。彼はすでにその主著にして世界の思想史における重要作品の一つである 「エチカ」 l'Ethique に取り掛かっていた。存命中には出版されることはなかったが、その名声には影響はなかった。ルイ14世は彼の作品の献呈を望み、1673年にはハイデルベルグ大学が哲学講座の職を提示したが彼はそれを断り、レンズ磨きを続けた。ライプニッツは彼を訪問したが、用心深さの故に、後にそれを否定することになる。

スピノザにとっての哲学は、理性により世界を全的に説明すること、その理解をもとに自らの存在を根源的に変容させること。その目的は知るために知るのではなく、知によって不安や狂信、誤った期待や無知から生れる幻想を引き起こすすべての悪を取り除こうとした。世界を理解することにより幸せになることができる、知の先には救済があると彼は考えていた。

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SPINOZA 哲学に革命をもたらした男 (II)

2007-08-16 23:58:22 | Spinoza

恐るべき異端 Horrible hérésies

1656 年7月27日 (23歳)、彼は歴史に登場する。この日、溢れんばかりの (pleine à craquer) アムステルダムのシナゴーグにおいて、ラビのモルテラはスピノザを不品行 (l'inconduite) を理由にユダヤ人社会から排斥する文を読んでいる。これはカトリック教徒が異端に課した火刑には及ばないが、社会的死を意味する重罪である。具体的には・・・彼と如何なる関係を持ってもならない。何人も彼の2メートル以内に近づいてはならなず、彼と同じ屋根の下に住んではならない。彼の書籍も読むべからず。キリスト教徒の間では仕事ができない時代にあって、ユダヤ人に対して彼を働かせてはならないとしたこの決定は、単なる象徴的な断罪ではなかった。しかも普通は期限を切って行われるのが普通であったが、この刑は無期であった。

彼が霊魂の不滅を否定したことが問題だったのか。神と自然が同一だと主張したことが原因なのか。祈りや儀式を批判しただけではなく、宗教そのものを拒否したことなのか。記録がないので何とも言えない。「恐るべき異端行為」 の実態はわからないままである。

彼は、私の前に開かれた道に喜んで入る "J'entre avec joie dans le chemin qui m'est ouvert." として、それ以来ユダヤ教徒でもキリスト教徒でもなく、彼の理性だけを携えて歩むことになる。彼自身は拒否していたが、父親の商売を継ぐことは不可能になり兄弟に譲る。友人からの経済的支援も断り、一時的に行方が掴めなくなる。

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SPINOZA 哲学に革命をもたらした男

2007-08-15 23:47:11 | Spinoza

久しぶりの Le Point 特集である。7月にパリを訪れた時に宣伝を見たもので、こちらに帰ってきたら届いていた。今まで読みたいと思いながらも忙しくその気にならなかった。記事のタイトルは、以下のようになっている。

 「スピノザ ― 悦びの哲学者」 SPINOZA -- Le philosophe de la joie

宗教改革と資本主義の始まりのヨーロッパにおいて、アムステルダムのユダヤ人にして博識の若き商人は、すべてが神により考えられる世界を疑う。その名をバルーフ・スピノザ Baruch Spinoza (24 novembre 1632, Amsterdam - 21 février 1677, La Haye) という。彼の座右銘は "Prends garde" (用心せよ)。彼は社会から排斥され、優れたメガネレンズ磨きの職人、そして自由の最も過激な思想家になる。自然の目的論を拒否し、精神と身体の統一を説き、信教の自由の道を示した。ヘーゲルに、「スピノザでなければ哲学でなし」 "Spinoza ou pas de philosophie" と言わしめた。今日においても 「エチカ」 の著者は情熱を掻き立て、あらゆるところで引き合いに出される。左派でも右派でも、作家でも科学者でも、宗教家と同様に非宗教家にも。スピノザはそれほど一般向けなのだろうか。

世代を超えてこれほど激しく愛され、しかも嫌悪されている。一体彼は何をやり、何を言ったのだろうか。350年に亘り、侮辱され、あるいは賞賛を浴びる。スピノザは、聖人として崇められるかと思えば、悪魔として恐れられる。彼は最高の脅威であるか、比類なき救済者であるか、中途半端はない。

この比類なき思想家は、逆説に溢れている。44歳という若さでほとんど何も出版せず、オランダから出ることもなく亡くなった。しかし、彼の名声はヨーロッパ全土に広まり、高まり続けた。宗教を非難し、聖職者を嫌悪したが、神について語るのを止めなかった。彼が無神論者かどうかは厄介な問題である。

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以下に、リヨンENSの哲学者ピエール・フランソワ・モローによるスピノザ像を。

 誰かに対する時、われわれはいつもスピノザ主義者 spinoziste である。スピノザ主義 spinozisme は多数派に対する少数派の哲学、主流派の思想に対する代替の思想である。スピノザは目的論的イデオロギーに反対。スピノザ主義はアフォリズムや標語の思想ではなく、もし自分が同意しないとするならば、その明確な理由を自ら提示するという論証の思想である。彼はマキャべリやマルクスに比肩される政治的な思想家である。ただ、制度や行動そのものについて解析するが、そこに倫理的な視線は投げかけない。例えば、政治的腐敗を見る時、彼は決してそれを一つの悪として糾弾はせず、腐敗が権力の安定を害するのかどうか、市民にとって有害ではないのかを自らに問いかける思想家である。

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スピノザを外から COMMENCER A REGARDER LE SPINOZA DE LOIN

2005-12-22 21:04:54 | Spinoza

先日の週末、何気なく入った本屋でスピノザの解説書に目が行く。スピノザについては、最近読んだアインシュタインの本で、科学を突き詰めていくとどうしても科学では説明のできない宗教性のようなものに突き当たる。ただそれは一般に信じられている神ではなく、スピノザの言うところのそれである、という言葉を読んでいたこと(23 novembre 2005)が背景にあるのだろう。ただそれだけではなさそうだ。家の本をひっくり返してみると、スピノザに関する本が出てきた。以前に科学雑誌で紹介された時に興味を持ったようだ。

Roger Scruton  "Spinoza: A Very Short Introduction"
Antonio R. Damasio "Looking for Spinoza: Joy, Sorrow, and the Feeling Brain"

今回手に取った本は、上野修著「スピノザの世界 神あるいは自然」(講談社新書 2005)。

暇を見つけて読み始めているところで確実なことはまだ言えないが、彼の世界観に非常に近いものを感じている。彼の原典とともに手元にある本をもう少し読み進んでみたい。彼もしばらくは私の周りにいそうな予感がする。

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