フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

8月の記事

2006-08-31 23:25:18 | Weblog
2006-8-31 建築と哲学 ARCHITECTURE ET PHILOSOPHIE
2006-8-30 ある日の夕食 - 大人の日本 UNE SOIRÉE - LE JAPON MÛR  
2006-8-29 「悪魔のささやき」 を聞く ÉCOUTER LE MURMURE DU DIABLE
2006-8-28 本を読むのは・・・ POURQOUI LIRE ? SELON MOI...
2006-8-27 ニーチェとナチ NIETZSCHE, INSPIRATEUR DES NAZIS ?
2006-8-26 二コラ・シャンフォールとは QUI EST NICHOLAS CHAMFORT ?
2006-8-25 ニーチェはモンテーニュの仲間 NIETZCHE, UN COUSIN DE MONTAIGNE
2006-8-24 フランスの哲学教育(その弐) L'ENSEIGNEMENT DE LA PHILOSOPHIE
2006-8-23 ミシェル・オンフレの本届く MICHEL ONFRAY, HÉDONISTE-ANARCHISTE
2006-8-22 萩原朔太郎-画・金井田英津子 「猫町」 LA VILLE DES CHATS
2006-8-21 坂田藤十郎とシガー TOJURO SAKATA ET CIGARE
2006-8-20 棟方志功名品展-神々への賛美 SHIKO MUNAKATA
2006-8-19 シャガール 「アレコ」 とアメリカ亡命時代 CHAGALL, SES ANNÉES AMÉRICAINES
2006-8-15 夏休み始まる  LES VANCANCES D'ÉTÉ COMMENCENT
2006-8-14 浜口陽三に再会 TROUVER YOZO HAMAGUCHI
2006-8-13 「骨唄」 を味わう GOÛTER "LA CHANSON DES OS"
2006-8-12 カマの中で遊ぶ KAMA, LA PARTIE SOUS DES OUIES DE POISSON
2006-8-11 古代の思想家 LES PENSEURS ANTIQUES
2006-8-10 エグザイルとして生きる VIVRE COMME EXILÉ
2006-8-09 清水登之を見つける RENCONTRER TOSHI SHIMIZU
2006-8-08 フランスは哲学の夏? L'ÉTÉ DE PHILOSOPHIE EN FRANCE ?
2006-8-07 発見: 野田九浦 J'AI DECOUVERT KYUHO NODA
2006-8-06 禁欲主義者あるいは快楽主義者 SUIS-JE ASCÉTIQUE OU HÉDONISTE ?
2006-8-05 哲学教師という職 PROFESSEUR DE PHILOSOPHIE
2006-8-04 エミール・シオラン EMIL MICHEL CIORAN
2006-8-03 こんもりとした木々 DES ARBRES ÉPAIS
2006-8-02 ブログを読み直す RELIRE LE BLOG, C'EST TROUVER ...
2006-8-01 シンディ・ローパー TIME AFTER TIME - CYNDI LAUPER

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建築と哲学 ARCHITECTURE ET PHILOSOPHIE

2006-08-31 19:04:28 | 哲学

今日は、昨日のお話の続きになる。先日の食事の席でご一緒させていただいた精神科の先生の奥様が面白いことを言われていた。私が例によって哲学教育について話したところ、カナダで建築家をされているお兄様からの話として、向こうでは建築を哲学科で教えている (ところがある?) ということを教えていただいた。その逆であれば驚かないはずなので、酩酊のなかの聞き間違えではないと思うが、。その不思議な組み合わせの背景を知りたいところである。


明日から9月。そして私は10日間ほど本当に Dans le hamac de France になる。今回はどんなことに刺激されるのだろうか。いつものように身を晒してみたい。

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ある日の夕食 - 大人の日本 UNE SOIREE - LE JAPON MUR

2006-08-30 20:01:22 | 哲学

久しぶりに食事に出る。お酒が回ってきた頃だろうか、丁度同席になった方と何となく話が始まった。まさに山頭火の世界に入ってしまった。

一杯東西なし
二杯古今なし
三杯自他なし


話は科学、哲学から日本の現状に及び、そのいずれに対しても的確で鋭い言葉を発せられるので、その関係のお仕事をされているのだろうとは思っていたが、シェフのお話で精神科の先生であることがわかる。日本の現状を憂える心は私にも響いてきた。どうしてこうも今の日本人は子供じみてしまったのだろうか。どうしてこうも今の日本人は日本文化の良さ・奥深さを忘れてしまったのだろうか。どうしてこうも今の日本人は自分の頭で考えなくなったのだろうか。「今の」 が重要なのだ。特に戦後に日本人は骨抜きにされてしまったとお考えのように受け止めたが。以前は自分の分野の人に限ってこの傾向とは無縁だろうと勝手に思っていたが、今ではこれは広く日本に広がっているものではないかと感じている。

一時、経済は一流だが政治はどうして駄目なのかと言われた。しかし、その経済もひどい有様であることが明らかになるにつれて、それは日本のあらゆる分野に蔓延っている病理の表現型ではないかと疑わざるを得なくなった。その大元は、自分の頭で考えなくなったからだろう。日本文化を深く理解することをしなくなったからだろう。

欧米に追いつき追い越せとやっている間は、外のモデルに合わせて、言わばオートマティックに競争をやっていればよかった。その枠の中で頭を使っているだけでよかった。しかしこれから重要になるのはその枠組みを考え出すことではないだろうか。そのためには 「個」 のぶつかり合いによる激しいが冷静な議論が求められるはずであり、何ものにも囚われない精神の自由とそれを維持できるだけの精神の強さが必要とされるはずである。さらに荒野をひとり行くが如き、言ってみれば志の高さが底で支えていなければならないのだろう。

先日、「小学校教育における英語、是か非か」というディベートが衛星テレビで流れていたが、論点をしっかりと据えて話している人はひとりもいなかった。特に酷いと感じたのはこの動きを政府の立場から進めようとしている方の、グローバリゼーションに備えて日本人として発信するために重要だというふわふわとした論拠であった。政府の立場に立った時に、完全に思考停止に陥っているかのようであった。ただこれがおそらく日本の現状なのだろうと思ったのは、他のディベーターの方も質問する方も考えの筋道が見えないことが多かったからである。このままで、本当にこれから大丈夫なのだろうか。そんなことを考えていた。


お酒なしではこうはならなかっただろう、貴重な一夜となった。

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「悪魔のささやき」 を聞く ECOUTER LE MURMURE DU DIABLE

2006-08-29 00:19:08 | 日本の作家

昨日は歯医者に行く前に時間があったので本屋に入り、加賀乙彦氏の 「悪魔のささやき」 を読む。口述によるもののせいか、読みやすい。加賀氏の憂国と警告の書で、遺言としても読めた。

日本の病理のもとにあるものについて考察している。斜め読みで恐縮だが、結局のところは、「個」 が確立していない、自分の頭で考えようとしない、したがって流されてしまう、そのことが日本人の過ちの一番の要因ではないかと分析し、それを改めるのが如何に難しいかについても指摘している。その点はまったく同感。そうなってしまった歴史的背景についても触れている。

まず第一に、1400年来の 「和を以って貴しとなす。忤(さから)うことなきを宗とす」 精神がある。それから温暖なモンスーン型気候で食物に恵まれているため、生存のための争をする必要がなかったので温厚な性格が育まれてきた。また灌漑水田稲作をするためには個人や家単位では無理で、周辺の人たちの協力が不可欠であった。それに追い討ちをかけたのが徳川三百年にわたる固定化した身分制度の中での平和な生活で、これによって日本人は完全に骨抜きにされてしまったと見ている。  

そういう人たちの集合なので、いつでも一色に染まりやすい。第二次大戦直後の人々のあっけらかんとした変わり身の早さは、われわれが如何に自分の考えとして深めることがなく、どんな色にでも染まり得る存在であるのかを物語っている。同様の感触を大学紛争の時、オウム真理教事件の若者たちを見る時などにも味わっているという。

それと本当の危機の時にほとんどの知識人といわれる人、マスコミが役に立たなかったことを指摘しているが、その実例は滑稽でさえある。これまでも書いてきたが、今威勢良く語っている人たちがある日突然まったく逆のことを言い出さないとも限らないという不信感を常に抱かせる。今のマスコミのどこかに権力に媚を売るようなところがあるように感じるのは私だけだろうか。マスコミこそ最も厳しく 「個」 を確立しなければならないはずなのだが、、。しかしそれを見ているわれわれの方にもその原因がありそうだ。結局すべては自分のところに返ってくる。

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本を読むのは・・・ POURQUOI LIRE ? SELON MOI...

2006-08-28 00:37:51 | 出会い

私の場合、無意識に本を読んでいるような気がしていたが、どこかに自分の頭にあることを言葉にしてくれている人がいないかと探しているようなところがあることに気づく。吉田兼好ではないが、ご同類を求めているのだろう。そしてぼんやりと頭にあることが見事に言葉になっているのを見つけた時には、それまで形がはっきりしなかったものが一瞬にして立ち上がるようで爽快な気分になる。どちらかと言うと、何かの事実を知るために読むということは、それがどうしてもお勉強の匂いがするためだろうか、少ないような気がする。それは仕事の時だけで充分とでも思っているかのようだ。

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ニーチェとナチ NIETZSCHE, INSPIRATEUR DES NAZIS ?

2006-08-27 01:21:53 | 哲学

今日は Le Point のニーチェ特集からナチとの関係について。ニーチェの死後、彼の思想は彼の妹エリザベート Elisabeth によって国民社会主義者 (nationales-socialistes) のために歪曲されていった。

ヒットラーからムッソリーニへの贈り物は革で製本されたニーチェ全集であった。ナチによってニーチェは偉大な先祖 (grand ancêtre)、ドイツ人の天才の礼賛者 (chantre du génie allmand)、浄化のための暴力の預言者 (prophète de la violence purificatrice) に変質させられるが、その過程でエリザベートの果たした役割は決定的であった。

彼女は1884年に当時 「ドイツで最も代表的なユダヤ人ハンター」 といわれていたベルンハルト・フェルスター Bernhard Förster と結婚し、夫に従ってアーリア人のコロニーを作るためにパラグアイに向かう。しかしその試みは完全な失敗に終わり、ベルンハルトは自殺する。この辛い経験からエリザベートは復讐の気持ちも手伝い、ニーチェが植物状態になるや彼の全作品を押さえ、自伝となる 「この人を見よ (Ecce Homo)」 や手紙類を削除したり、ナチのイデオロギーに合うように文章を改ざんしたりしていたようだ。

その手紙には、ニーチェの人種差別、反ユダヤ主義に対する立場がはっきりと書かれている。例えば、こんな具合である。

エリザベートに宛てた1887年12月26日の手紙では、彼の名前を利用するだけの政党に虫唾が走ること、フェルスターとの関係や彼の前の出版社が反ユダヤ主義であったことなどから、彼が不快な政党の一員であると信じられていること、さらにこれが如何に彼を今まで傷つけ、今も傷つけ続けているのか、お前はわからないだろうと書いている。彼が反ユダヤ主義に対してはっきりとした嫌悪 (répulsion envers l'antisémitisme) を抱いていたことがわかる。

また広く人種差別全般に対しても確固とした曖昧さのない態度をとっている。

« Maxime : ne fréquenter personne qui participe à la mensongère escroquerie raciale. »
「箴言:人種的な嘘偽りに組する人とは付き合わない」

« Qui hait le sang étranger ou le méprise n'es pas encore un individu, mais une sorte de protoplasme humain. »
「外国の血を忌み嫌ったり軽蔑するものはまだ一個の人間になっていない、一種の人間の原形質にしか過ぎない」

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二コラ・シャンフォールとは QUI EST NICHOLAS CHAMFORT ?

2006-08-26 20:21:11 | 哲学

ニーチェが愛したという18世紀フランスのモラリスト、シャンフォールさんの言葉を少し。

Sébastien Roch Nicolas Chamfort (Clermont-Ferrand le 6 avril 1741 - Paris le 13 avril 1794)

« Tout homme qui à quarante ans n'est pas misanthrope n'a jamais aimé les hommes. »
40歳にして人間嫌いでない人は人間を愛したことがない人だ。

« Pour être heureux en vivant dans le monde, il y a des côtés de son âme qu'il faut entièrement paralyser. »
この世に生きて幸福であるためには、精神面で完全に麻痺させなければならない側面がある。

« La justice des hommes est toujours une forme de pouvoir. »
人間の正義はいつも力の一形態である。

« L'amour, tel qu'il existe dans la société, n'est que l'échange de deux fantaisies et le contact de deux épidermes. »
この社会にある愛とは、2つの空想の交換と2つの表皮の接触に過ぎない。

« Apprendre à mourir! Et pourquoi donc? On y réussit très bien la première fois! »
死ぬことを学ぶ。どうして(そんなことをするのか)?それは1回でうまく行く。

最後の言葉は以前に読んだルヴェルさんの言葉とも通じる。

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ニーチェはモンテーニュの仲間 NIETZSCHE, UN COUSIN DE MONTAIGNE

2006-08-25 20:09:40 | 哲学

先日触れた LE POINT のニーチェ特集号を電車の中で読む。その囲み記事に面白い指摘がされていた。シカゴ大学のロバート・ピピン Robert Pippin 教授のインタビューがあり、ニーチェをドイツの哲学者というよりフランスのモラリストの系譜に繋がるという見方をしている。彼はハイデッガーがニーチェを形而上学者 métaphysicien として見ていたことがニーチェの中にある興味ある点をぼかしてしまったと考えている。

ニーチェはその明晰さ la clarté、誠実さ la honnêteté、それから文体の美しさ la beauté de leur prose のゆえに、ラ・ロシュフーコー La Rochefoucauld、ヴォーヴナルグ Vauvenargues (この前初めて出会ったばかり)、シャンフォール Chamfort (初めてである) らの作品を礼賛しているという。

ニーチェによれば、ロシュフーコーは偏狭なエゴイズムを至るところに見るために人間を不等に矮小化しているし、パスカルの精神の高貴さは人間の弱さや退廃をキリスト教から理解することで凡庸なものになっているという。ニーチェの問題意識に最も近かったのがモンテーニュである。彼がまず知ろうとしたことは、モンテーニュがどのようにしてあれだけ深い懐疑主義と 「人間的な、あまりに人間的な (humain, trop humain)」 過ちや弱さについて、パスカルの絶望や諦め、ラ・ロシュフーコーの冷やかな軽蔑に陥ることのない洞察力を持つことができたのかということである。モンテーニュこそ、ニーチェが最も重要と考えていた自由で快活、そして思いやりと徹底して誠実な精神 un esprit libre et allègre, prévenant, férocement honnête の持ち主であった。

ピピンさんの考えを詳しく知るためには以下の本を読むのがよさそうです。

"Nietzsche, moraliste français"
序文はこれまた最近触れたばかりのマルク・フュマロリ Marc Fumaroli さんが書いている。

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フランスの哲学教育(その弐) L'ENSEIGNEMENT DE LA PHILOSOPHIE

2006-08-24 19:13:25 | 哲学

以前に哲学を高校の課程に組み込んではどうかということを書いたが、そのフランス版にいつもの Ligeau 様から長いコメントが入っていた。エッセンスは以下のようなことになる。

ヨーロッパの哲学の教育事情に触れて、イタリアでは3年間、ハンガリー、チェコ、ブルガリアでは2年間、ポルトガルでは何と5年間も教えているという。哲学をまったく教えていないのがイギリス、アイルランド、ドイツとのこと。したがって、哲学を高校の3年目に教えるフランスはヨーロッパの平均以下であると言っている。ただどのように考えるかを国家が教えるのはどんなものかと警告している。いつでもプロパガンダの餌食になる可能性があるためだ。これは余談だが、私の分野にいるポルトガル出身の研究者 (知っているのは僅か数名だが) の設問の仕方にどこか哲学的な匂いを感じていたが気のせいだろうか。

この数字が本当かどうかわからないが、1996年OECDの報告によるとフランスの15歳の何と40%が文盲 illettré だという。概念を教える前に文字を教える方が先ではないかと皮肉っている。昨年暮れの暴動も何かを語っているのではないか。国家に組み込まれた教科書を読んでいるだけの公務員による哲学という目くらまし (la poudre aux yeux) では子供じみた蛮行 (des barbares infantilisés) に対して思考や意思の自立 (l'autonomie de penser et de la volonté) を与えることはできないだろう、と手厳しい。

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ミシェル・オンフレの本届く MICHEL ONFRAY, HEDONISTE-ANARCHISTE

2006-08-23 19:51:52 | 哲学

先日の話題から。ヘドニストにして、それがゆえにアナーキストの立場をとらざるを得ないミシェル・オンフレの本が届いた。予期せぬ出来事であった。最近では珍しくなくなったが、注文したことを忘れていたのである。いずれにせよ、ヘドニストとアナーキストの関連を見出し、それを自分と結びつくものと感じた時に、今人気のこの哲学者のことが知りたくなったのだろう。

届いたのは以下の4冊。いつ読むのかという感じだが、最近は気になった人は身の回りに置いておきたくなるという傾向が強くなっている。

Traité d'athéologie : Physique de la métaphysique

L'Archipel des comètes
De la sagesse tragique - Essai sur Nietzsche
L'Invention du plaisir : Fragments cyrénaïques

この4冊に加えて、私をヘドニストでアナーキストと定義したフランス人の友人Dが薦めてくれた本も一緒に入っていた。私が最近興味を持っていること (智と信、科学・宗教・哲学などの境界で起こっていること) を話したところ、この本の名前を出してきた。英語からの訳である。

"Le Code de Dieu : Le secret de notre passé, la promesse de notre avenir" par Gregg Braden

読書の秋への蓄えだろうか。

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萩原朔太郎-画・金井田英津子 「猫町」 LA VILLE DES CHATS

2006-08-22 21:44:23 | 日本の作家

青森で空港に向かう前に本屋に入り、この本に出会う。すぐ横の喫茶に入り読み始め、青森を出る頃には読み終える。

猫町 HAGIWARA Sakutarō, "La ville des chats" roman en forme de poème en prose

「散文詩的なロマン」 との副題がある。冒頭にショーペンハウエルの引用が出ている。

蠅を叩きつぶしたところで、
 蠅の 「物そのもの」 は死にはしない。
  単に蠅の現象をつぶしたばかりだ。

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私は旅に対して昔感じたようなわくわくするような気持ち (ロマン) を感じなくなっていた。それはこれまでの経験から、旅とは 「同一空間における同一事物の移動」 に過ぎないことを悟ってしまったからだ。別のところに行っても、そこにあるのは同じ人間が同じような景色の中で同じような人生を歩んでいることを見てしまったから。それで私は drogue に頼るようになるが、健康を害してやめる。医者の言葉に従って散歩を始める。

私はいつも同じ道を歩いていたが、その日は違う道に入り、道を間違えてしまう。そして自分がどこにいるのかわからなくなる不思議な感覚を味わう。私が北陸に逗留した時に散策に出て、完全に道に迷ってしまった。その時に、同じような、しかしもっと驚くべき経験をする。あるところに迷い込んだ時に猫で溢れた町を見ることになる。まるで異次元の世界に迷い込むように・・・そこから覚めてみるとあたりは以前のままの静かな町なのである。どちらが本当の姿か、猫町など存在するのか。

 「しかし宇宙の間には、人間の知らない数々の秘密がある。ホレーシオが言うように、理智は何事をも知りはしない。理智はすべてを常識化し、神話に通俗の解説をする。しかも宇宙の隠れた意味は、常に通俗以上である。だからすべての哲学者は、彼等の窮理の最後に来て、いつも詩人の前に兜を脱いでいる。詩人の直覚する超常識の宇宙だけが、真のメタフィジックの実存なのだ。」
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そんなお話である。理と不知・信との対立、「狐に化かされる」 と言われるような経験がテーマになっているかのようだ。私もよく散歩に出て、同じような経験をする。家からほんの10分くらいのところでさえ。視点が変わると現実と思っていたものが全く違った様相を呈してくる。不思議の世界である。

そう言えば先日の深夜、ある哲学者が、戦後のある時期から 「狐に化かされる」 という話を聞かなくなってきたが、その原因についてラジオで話をしていた。夢の中だったので結論はほとんど覚えていないが、おもしろいことを考えている人がいるなと思ったことは覚えている。

青森で 「猫町」 を読むと何の違和感もなく私の中に入ってきた。今東京に戻ってみると、理の世界が私の周りをがっちりと包んでいることを感じる。もはや、このお話が入り込む隙間もないかのようである。

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坂田藤十郎とシガー TOJURO SAKATA ET CIGARE

2006-08-21 23:41:12 | 映画・イメージ

先日、待合室で雑誌を見ていたら、予期せぬ組み合わせに目が行った。昨年暮れに四代目坂田藤十郎 (←中村鴈治郎←中村扇雀) を襲名し、231年ぶりにその名跡を蘇らせたが、その藤十郎 (昭和6年 1931年12月31日 - ) が葉巻を燻らせている。写真を見た時には誰なのかわからなかったが、記事を読んで扇雀であることがわかった。私が驚いたことには、葉巻を口に銜えているその姿に全く違和感を感じないのだ。この不思議なコンビネゾンを知り、なぜか嬉しくなる。ホテルオークラのバー 「ハイランダー」 に行って、お好みの Davidoff No. 2 を味わうという。

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棟方志功名品展-神々への賛美 SHIKO MUNAKATA

2006-08-20 22:17:46 | 展覧会
             左・優婆離の柵、右・富樓那の柵(釈迦十大弟子から)

県立美術館には特別展のほかに常設展として、棟方志功、写真家の小島一郎 (初めてであったが、なかなかよかった)、澤田教一、版画家関野準一郎 (「棟方志功像」 の創作過程がわかる展示が教育的でよかった)、それから奈良美智 (最初に見た時にはあれっと思ったが、実際に見てみると作品そのものから受ける印象はそれほど強いものではなかった)、今和次郎、今純三兄弟の作品 (兄和次郎の民家の詳細な調査、弟純三の版画にも感じるものがあった) などが展示されている。

翌日、棟方志功記念館があることに気づく。作品は徐々に県立の方に移されるような話も聞いていたが、出発までに数時間あったのでこちらも覗いてみることにした。確かに県立には多数の作品が展示されていたが、人が多いのとややディズニーランド的な雰囲気もあり、なかなか味わうというところまでは行かなかったこともそうさせた一因だろう。

入り口を入ると、静かな日本庭園が迎えてくれた。予想もしていなかったので、すぐに来たことが正解だったことを悟る。本当にこじんまりした会場で、人も多くはないが棟方に会いに来ている人ばかりなので、落ち着いてゆっくりと彼の息遣いなどを感じながら対面できるという雰囲気である。

夏の展示:棟方志功名品展 I ― 神々への賛美 (6月27日~9月24日)

展示作品から:
華厳譜 板画 1936年 (昭和11年)
観音経曼荼羅 板画 1938年 (昭和13年)
釈迦十大弟子 板画 1939年 (昭和14年)
門舞頌 (かどまいしょう) 板画 1941年 (昭和16年)
般若心経 板画柵 (はんにゃしんぎょうはんがさく) 板画 1941年 (昭和16年)
道祖土頌 (さやどしょう) 板画 1950年 (昭和25年)
湧然する女者達々 板画 1953年 (昭和28年)
基督の柵 板画 1956年 (昭和31年)
流離抄 板画 1953年 (昭和28年):吉井勇の歌が印象深く残る。

彼の作品のごく一部が展示されているのだが、そこに彼の中に詰まっている無尽蔵ともいえる蓄えを感じることができ圧倒される。彼の仕事振りや語りは以前にテレビで見て知っている。半盲目のため顔を板に摺り寄せるようにして板の声を聞き (そのため彼は版画ではなく板画という)、ほとんど無意識と思える手さばきで作品を仕上げていく。今回会場で流れていた映像を改めて眺めながら、彼がイタコのようにも見えてきた。彼の天才は、板の中にある声を聞き、その声に従って彼の底から迸り出る純真のエネルギーで形にできるところにあるのではないかと考えていた。

出来上がった作品を読み、見ていると、知らず知らずのうちに日本文化の奥の奥に誘われる。単なる 「いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむ・・・」 が地の底から音を立てて歌いだすかのようだ。日本の中に引き込まれるようでもある。宗教、土着の言い伝え、詩、短歌、などなど。彼のうねるような情念の世界は俳句ではなくやはり詩や短歌の世界に共振する。

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驚いても  オドロキキレナイ
喜んでも  ヨロコビキレナイ
悲しんでも カナシミキレナイ
愛しても  アイシキレナイ

 それが 「板画」 です

          (棟方志功)
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折りしも旅行中に読んでいた三島由紀夫の対談集 「源泉の感情」 で、三島が日本文化について深く考えている人が如何に少ないかを嘆いている。上っ面を撫でるだけの日本理解が罷り通っていると嘆いている。日本文化の奥深さ、良さを強調すると誤解されるこの社会に苛立っている。確かに振り返ってみると、日本文化について真面目に考えたことは余りなかった。棟方の板画に触れていると、向き合うに値するものがそれこそ無尽蔵に詰まっていそうな気がしてきた。また土着ということ、土地に根を張った生き方に目を向けていた。それがなければ本当の日本理解には至らないのかもしれない...などと思いを巡らせていた。

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記念館での展示予定は以下のようになっています。

秋の展示:棟方志功名品展 II ― 女性への賛美 (9月26日~12月27日)
冬の展示:板画の中のものがたり (平成19年1月4日~4月1日)

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シャガール 「アレコ」 とアメリカ亡命時代 CHAGALL ET ALEKO

2006-08-19 23:20:30 | 展覧会

夏休みを利用して、青森県立美術館開館記念展 "Chagall, Exile in America and the Aleko" に出かけた。

会場に着くと子供づれが多く、和やかな会場であった。先月開館したばかりの美術館を皆さんが盛り上げているという印象である。展覧会はシャガールがアメリカに亡命した1941年 (54歳) から7年に及ぶアメリカ滞在の時期の作品が中心になっている。バレエ 『アレコ』 の壮大な背景画、「月光のアレコとゼンフィラ」、「カーニヴァル」、「ある夏の午後の麦畑」、「サンクトペテルブルグの幻想」をはじめ、彼の世界を存分に味わう。

最後に、イディッシュで書かれた詩のロシア語訳からの翻訳が壁に書かれていた。彼の世界観が現れているようだ。


「私の国」

私の魂の中にある国
それだけが私の祖国。
彼の国に生を受けた私は、
そこに身分証なしで足を踏み入れる。
彼の国は私の悲しみと孤独を解し、
私を眠りにつかせ
香しき石で私を覆う。

私の中の庭では私が創り出した花が咲き誇る。
私の中に広がる私だけの路地、
しかしそこに家々は無い。

それらは子供の頃に壊されてしまった。
住んでいた人々は居所をもとめて私の中をさまよう。
彼らは私の魂の中に住まう。

そのせいなのだ。
太陽がわずかに輝いただけで、私が笑みをたたえ、
あるいは、泣くときでさえ
夜雨のごとくやさしく涙するのは。

かつて二つの頭部を持っていた時があった。
かつて両の顔が愛のヴェールで覆われていた時があった。
かれらは薔薇の香のように空中に消え入った。

今では想う。
後ろに歩いている時でさえ、前に進んでいるような ―
高い城門に向かって ―
門の向こうでは、壁という壁が崩れ落ちている。
力を失った雷鳴が眠る場所、
そして、砕かれた稲妻もまた ―

私の魂の中で生きている国
それだけが私の祖国。


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最近、目が少し弱ってきているようでガラスの反射にはいらいらする。中がよく見えないのだ。ガラスはないのが理想なのだが、少なくとも反射しないガラスにはならないものだろうか。予算の関係もあるのだろうが、関係者には是非ご一考願いたいところだ。

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(26 août 2006)
県立美術館の翌日に訪問した棟方志功記念館でもガラスのことを感じたので、県立美術館に問い合わせを出したところ、今日三好徹様から丁寧なお返事をいただいた。美術館側でも当然のことながらガラスのことは考え、無反射ガラスをできるだけ使うようにしているが、予算などの関係ですべてをこの方式でやるのはやはり難しいようである。これから他の美術館でもできるだけのご努力をいただければ幸いである。

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夏休み始まる  LES VANCANCES D'ETE COMMENCENT

2006-08-15 21:08:24 | Weblog

本日から夏休みになりました。しばらくお休みになりますので、よろしくお願いいたします。

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