フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

新しい場所から一言

2007-10-27 01:32:27 | ブログの効用

8月末にパリに来てから2ヶ月経った。資料を探しに、たまにはこちらにも訪問している。今、9月以降の訪問者数を見て驚いた。更新を止めると徐々にアクセスが減ってくるのではないかと思っていたが、これまでと全く変わらない 12,000 を超える方々が訪問されたことになっている。この状態が続くと年に7万くらいの方々の目に触れることになる勘定だ。ここがデータベース的役割をしているのではないかと9月に一時休止をする段階で疑っていたが、これ程だとは思わなかった。

ブログを始める前にどこかで読んだ 「あなたのブログを毎日読んでくれる人がいるなどという幻想を持ってはいけません」 という専門家の言葉が思い出される。この数字から、それ以前にもこれだけの不特定多数の方々が訪れていたと考えるのが理に叶っているのだろう。もしそうだとすると、私の想像を遥かに超えてこの場所が開かれていたことを意味している。喩えてみると、今やこのハンモックが一つの命を持ち一人で歩き出しているような、あるいはここが地図の案内に載った資料室のようなものになったと言えるのかもしれない。始める時には考えも及ばなかった展開に大きな満足を覚えている。

アクセス元の検索に使われているキーワードで引っかかってくるサイトを眺めていると、このブログが最初のページにリストアップされていることが多い (もちろん、そういうケースだからアクセス元として出ているのだろうが)。場合によっては、キーワードそのものよりも上に来ていることもある。検索画面に出てくる順番がそこを訪問するかどうかの最大の決め手になり、ネットで商売をしているような方はこの順番が一つ違うだけで売り上げに響くという話を聞いたことがある。もちろん企業秘密なのだろうが、どういう基準でグーグルやヤフーがその配列を決めているのか知りたくなる。冷静に見ると、この場所が生かされている大きな理由はそのあたりにあるのかもしれない。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仏版ブログが1周年 LA VERSION FRANCAISE A UN AN

2006-09-09 14:50:28 | ブログの効用

昨年の9月10日にフランス語ブログを始めた。いつまで続くのか全く考えてもいなかったが、とにかくここまで来ることができた。最初の記事に Sophie 様からコメントをいただいたのには驚くと同時に力づけられた。それからしばらくすると、これも驚いたことにフランスからコメントが届き始めた。限られた方たちだがいつも率直なコメントが送られてくる。後半はそれに引っ張られるようにして書いてきたように思う。

私の場合、何気なく書くということができない。体で覚えた言葉でないからだ。いつも頭の中で言葉を組み合わせながら書いている。そういう精神状況になるためには余裕が必要になるのでなかなか難しい。しかしその拙いフランス語で曲がりなりにも意見交換ができるということがわかってきた。しかもその過程で今を生きる人や過去の人々との不思議の出会いがあり、そのつど世界が大きく広がっている。これがある限り、しばらくは続けられそうである。

----------------------
(version française)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブログを読み直す RELIRE LE BLOG, C'EST TROUVER ...

2006-08-02 20:58:05 | ブログの効用

このブログでは読まれた記事の一部がわかるようになっている。今まで何気なく見ていたが、今回アクセスのあったページを読み直してみた。そうすると、文章がおかしなところやタイプミスが結構見つかる。その時点ではこの書き方でわかるだろうと思っているのだが、時間が経ってみると意味がつかめないところが出てくる。タイプミスに関しては、どうしてこんなことに気が付かないのかと愕然とする。頭にあることを手がちゃんとやってくれていると決め付けているところがあり、読み直す時には目が節穴になっていることが多いようだ。

もう一つの発見は、フランス語で書かれているところを読んでいると、結構フランス語の勉強になるということである。また細かい内容などは忘れていることが多いので、こんなことも書いていたのかという驚きにも出会うことができる。これからはアクセスされたページだけでも読み直しておきたいという気持ちにさせられた。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仏版ブログでは CE QUI SE PASSE DANS LE HAMAC DE TOKYO

2006-06-20 21:30:41 | ブログの効用

フランス語版ブログを始めてから、すでに9ヶ月以上経過していることを確認する。まさに予想もできなかったことで、大きな驚きである。フランス語で綴るのはなかなか大変なのだが、どういう訳か何人かの方がいつもコメントを入れてくれるのでどうしても返事を書かなければならないという状況に追い込まれ、それが励みになっている。訪問者数は多くないのだが、日本版に比べて発言する方の割合が高いようだ。最近では私のブログでフランス人同士がやり合う(冗談混じりだろうが)場面に出くわし、興味深く眺めていた。また数日前には作家のオリヴィアさんからコメントをいただいた。何年か前に2週間ほど日本に滞在し、最近日本を知るために日本語を勉強したくなっているという。拙いフランス語に対して真剣なコメントをいただくと、このような日本に興味のあるフランコフォンのためにも、これからも頭を絞っていかなければならないな、と感じている。

-------------------------------
今、リンクがうまくいっているか確かめるためにオリヴィアさんのサイトに行ってみて驚いた。昨日の出来事として、私のサイトを訪れたことが以下のように記されている。どこかと繋がっていることを実感させてくれる不思議な感覚が襲ってくる。

"Pour découvrir les pensées d'un observateur dans le hamac de Tokyo et voir de très belles photos du Japon"
(「東京のハンモック」 にいる観察者の考えを発見し、日本の美しい写真を見るために)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

串刺しにして読み直す RELIRE CE BLOG APRES LE CLASSEMENT

2006-05-22 00:53:36 | ブログの効用

最近、ブログの記事を分類してみたが、これまでに書いたものをある視点で串刺しにするという印象である。今回選び出された項目をそれぞれ読み直してみた。そうすると、通して見てた時とは違った景色が広がるようだ。同じ材料でもその組み合わせによって全く新しい味がしてくる。新鮮な経験であった。

これから1年ほどはこれまでの分類に囚われることなく、その時々に入ってきた材料を蓄えておきたい。時を経ると、また違った視点で分類されることになるのだろう。どんな味の串刺しができるのか、楽しみである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

分類して自分を覗く CLASSER DES BILLETS ET ...

2006-05-18 20:11:12 | ブログの効用

ハンモックの中でこれまでのブログを最初から見直し、その分類を試みた。そうすると、自分が何に目を向け、何に開かれていたのかが、おぼろげながら見えてくる。そのカテゴリを見ていると、興味の核のようなものがそこに見つかる。今まで気付かなかった、あるいは新たに開発されていた内なるアンテナに触れる思いがする。

私は何者か、と大上段に構えるのではなく、日々反応していたものを見直すことで、自分の中にあるもの、あったものが見えてくる。こういうもののとらえ方こそ、現象学的なのかもしれない。現象学については、ハイデッガーとフッサールを少しずつ読み始めているところで、確かなことは言えないが、、。確かなことは、これらの核を頼りにこれから少し掘り進んでみたいような気がしていることである。

そう言えば、サルトルの「嘔吐」に、ものの見え方を日々観察し、その時どんなに意味がないように見えても書き記せ、そしてそれを分類せよ (classer) という言葉があった。今回、このブログに溜まっていた獏としてものを分類することにより、はっきりと見えてきたものがいくつかある。classer の意味を体感できたような気がする。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一年前と併走する RELIRE MES BILLETS DE L'AN DERNIER

2006-05-03 00:33:07 | ブログの効用

連休で精神的に余裕ができたせいか、ブログを一年間やったということは一年前の自分と一緒にものを見ることができるということにも繋がることに気づく。あたかも昔の自分と併走するかのように。

ぱらぱらと記事を読み直してみて、これがまだ一年前のことなのか、もっとずーっと昔のことではないのかという感慨を抱くものがある。そうかと思えば、つい最近の出来事のように感じるものがある。時間軸にうまく収まらないのだ。自分の中に生きる糧として残っているものもあれば、どこかに流れ去ってしまったように感じるものもある。この場で展開された脳の活動が、どこか別々の引き出しに収められていて、そのために相互の時間的な関係が掴めなくなっているような印象を受ける。

先日、ボタンの押し間違えから 「音楽のある風景」 という番組 (CDを売るためのものらしい) に行き当り、二日続けてお付き合いした。そこでは、30‐40年前の内外の音楽のさわりが次から次に流れていた。覚えようとしたわけでもないのに、流れていた音楽のすべてが記憶に残っていた。昔の記憶が呼び起こされると、脳の中が清水で洗われるような感覚を覚える。カタルシスに陥るかのようだ。

それにしても、時の流れはよく掴めない。しかし、いやそれだけに面白い。その時の流れを超えて何かが記憶の網に引っ掛かっている。その恐るべき仕掛けに驚いていた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あるブログの終わり LA FIN D'UN BLOG

2006-02-26 00:18:43 | ブログの効用

"Respirer Paris, cela conserve l'âme." (Victor Hugo, 1802-1885)
「パリの空気を吸う、それで精神が保たれる」

Les Misérables にあるこの言葉を掲げる Journal d'un Vrai Parisien 氏のブログが終わりを迎えたことを知る。何かが終わる時というのはいつも名状しがたい感情が沸き起こる。本人が一番それを感じているのだろう。読みながらそれを感じ取ることができる。

彼のサイトは仏版でブックマークしていて、本人からもコメントをいただいたことがある。私のブログタイトルを訂正していただき、今度パリに来た時には会いましょうと言ってくれていたが、果たせなかった。

01 octobre, 2005 16:46
Vrai Parisien さんのコメント... (記事はここです)

bonjour, je découvre aujourd'hui ton blog et le lien que tu as fait vers le mien... Merci beaucoup et plus encore, bravo pour ton français merveilleux, un peu exotique encore, mais vraiment très sympathique (juste une toute petite remarque : on écrit "dans le hamac" et non "dans l'hamac"... Mais c'est une petite nuance qui ne change rien.
Quand tu passeras à Paris, bien sûr fais moi signe. je serais très très heureux de te saluer personnellement. Amicalement.


15 octobre, 2005 20:19
Vrai Parisien さんのコメント... (記事はここです)

Bonjour en passant... Que tes billets sont agréables à lire ! Quelle délicatesse, et en effet, la photo avec la fumée des bouilloires est celle d'un moment de grâce !


読み直してみると、優しい言葉をかけてくれていたことがわかる。やはり寂しい気持ちになる。新しいタイトルとフォーマットで再び現れることを期待したい。

----------------------------------
(version française)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

365回目のブログ LE 365e BLOG

2006-02-21 00:03:25 | ブログの効用

気が付くと、去年の2月16日に始めて以来、今日で365回目の記事を書いたことになる。当時のことをぼんやりと思い出すことができるが、それから自分の中身も大きく変わってきているようだ。1年しか経っていないのだが、実際にカバーした期間は2001年春からほぼ5年間に及ぶ。その記憶を頼りに脳の中を穿り回していたことになる。疲れるわけである。

この間、いろいろの方に訪問していただき、コメントをいただいた。そのお陰で力を得、私の世界も広げることができた。ただただ感謝したい。

そろそろ自分の中から抜け出して、また生きてみようかという気にもなりつつある。もう少し様子を見てみたい。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フォトブログ

2006-02-15 00:05:23 | ブログの効用

先日の神戸の会合で一緒になった M 氏が 「がんばってますね」 と声を掛けてくれた。何のことかと思いきや、どこで調べたのか私のブログをたまに見ているらしい。彼の印象は、文章はともかく写真がきれいですね、というもの。自分ではわからないのだが、以前にもそう言われたことがある。文章は長くて回りくどくて読む気がしないらしい。それはそれとして、写真についてのお言葉、ありがたく受け入れることにした。

初めてのことについて文章を書くのは大変なので、写真に少しの文章というスタイルも面白いかもしれない。つい最近の出来事ながら、ブログがそのように変容してきているようでもある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プロとアマ PROFESSIONEL OU AMATEUR

2006-02-10 00:01:05 | ブログの効用

このブログを書くようになり、新聞や雑誌の文章を書き手の立場から読むようになっている。以前は印刷物の力か、感心しながら読むことが多かったが、今はこれでお金を取っているのか、と思うものもある。マスコミの志の低さが目に付く。この程度なら、見識と言い、文章と言い、プロを凌ぐ素晴らしいものが素人の世界に溢れていそうだ。ブログの普及はある意味で、プロとアマの差を縮めているのかもしれない。

以前に触れたことがあるが、吉本隆明がどこかで面白いことを云っていた。エッセンスは 「何ごとも10年続けていればプロですよ」 ということ。すべての人がアマから出発していることを考えれば当たり前なのだが、目を開かせてくれる。それができれば素晴らしいのだが。


コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

現実と想像のバランス ENTRE LE REEL ET L'IMAGINATION

2006-01-24 23:06:03 | ブログの効用

ブログをつけ、過去のものを読み、いろいろ考えていて気付いたことがある。

過去のものを読み、美を愛で、想像の羽根を羽ばたかせることは、現実をより深く、別の次元から見ることにつながり、大きな収穫となっている。それ以前は、現在という非常に細い綱の上を歩いているような感じで、そこを如何に渡るのかという現実問題にのみ注意が集中している状態だったことがわかる。ものを読んでいる暇や、人間の遺産などに目をくれる暇など生れてこない。時間が惜しいという感じである。

最近では、想像や空想に身を委ねることができるようになったためだろうか、別のところから現在を見ている状態で、なぜか喜びがある。しかし同時に、そういう状況に身を置いていると現実に対応するのが疎かになっているようにも感じる。現実に向かう鋭さがなくなっている、とでも言うのだろうか。この両者のバランスをうまくとることが意外に難しく、それができれば素晴らしいのだが。どちらかに行き過ぎてはまた戻るということになってしまう。

最近のいろいろな出来事を見ていると、社会的にもバランスを失してきているように思えてしかたがない。比重が余りにも現在に、現実にかかり過ぎているようだ。前後左右を見ると現在も見え方が変わってくるはずで、そういう見方がもっと出てきてもよさそうだ。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ASHITA の Paule さん PAULE D'ASHITA

2006-01-10 00:33:03 | ブログの効用

先日、赤ん坊の自分に会ってみたい気がする、ということを書いたが、昨日フランス版にも出してみた。その記事に対して、早速 ASHITA というブログを書いている Paule さんから以下の書き込みがあった。

"La lune? Ce n'est plus la même,
Le printemps? Ce n'est plus
Le printemps d'autrefois.
Moi seul
N'ai pas changé."

Ariwara no Narihira
Kokinshû

この歌は言うまでもなく、

「月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして」 (在原業平)


Paule さんは日本文学の造詣が深く、ブログ ASHITA もその話題で溢れている。私のフランス版ブログによくコメントを残してくれるありがたい存在だ。日本文学をはじめとして、いつも目を見開かせてくれる。ブログの効用の一つだろう。

ところで私が感じていたのは、業平が感じていたのとは違い、月や春と同じようにわが身ももとの身ではない、ということ。それ故、昔の自分に会ってみたいと思ったようだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブログの効用 (III) BLOG POUR CULTIVER AUTRE CARACTERE

2005-09-02 19:04:43 | ブログの効用

このブログの右手(Weblog)を見ると、これまでに 200 の記事を書いたことがわかる。2月中旬から始めたので、ほぼ毎日書いたことになる。よくもここまで続いたものだと感心させられる。また絞れば何かが出てくる人間の脳の底力にも驚いている。余り絞り慣れていないせいか、最近脳が疲れているようにも感じるが、、。

このようにブログとして書きつづけていると、意識するかしないかは別にして、前に書いたことに影響され、それを繋ぐような形になっていることが多い。そうしていると、あたかもそこに一つの人格が存在するようになり、前にも触れたが、脳の一部が外に出て、そこにあるのはもはや自分ではないように感じてくる。そのためか、そういう感受性を持った人間を育てていきたいという心持ちがどこかに生まれているようだ。

100回目には中世学者のル・ゴフさんと格闘していた。今や懐かしい昔のことのようである。300回目には何が頭を過ぎり、この画面にどんな形で出てくることになるのか、楽しみでもある。

ブログの効用 (I)
ブログの効用 (II)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブログの効用 (II) BLOG COMME UN APPREIL PHOTO

2005-08-17 08:01:54 | ブログの効用

この1週間ほど、フィリップ・フォレストの目から山端庸介の人生を見てきた。私のフランス語力ではなかなか辛い作業であった。しかし得るものも多かったように思う。

その一つ。現実に意味を持たせるには、見たと思っていたものを一度何らかの形に移し変えることが必要であるということ。山端の場合は、昼間自分の裸の眼で見たことを写真という形で見直すことによって初めてその意味を悟ったとフォレストは想像している。

この視点から自らを振り返ってみた。そうすると、ブログを書く過程で日常(およびその時の自分の中に起こった変化)を切り取っていること、しかもそれを書き留めるという作業とその結果のブログを読み直すことによって、現実だと思っていたことの意味を理解するということが無意識のうちに行われていることに気付いた。

これはまさに、ブログが山端にとってのカメラ(真実を写し取る « fixer la vérité » ための道具)と同じ役割を担っているのではないだろうか。そんな思いが過ぎった。

ブログの効用(I)
ブログの効用(III)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする