フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

4月の記事

2005-04-30 11:00:01 | Weblog
2005-04-28 連休
2005-04-27 Stella Maris = 吉野 建
2005-04-26 ブログ中断 - Journal photographique
2005-04-25 フランス絵画展 (II)
2005-04-24 フランス絵画展 - モンペリエ
2005-04-23 映画に見るシカゴの街並
2005-04-22 研究者の定年
2005-04-21 谷村新司 - 伝えるということ
2005-04-20 高齢 - Activite (III)
2005-04-19 腰 痛
2005-04-18 加藤 周一
2005-04-17 ギュスターヴ・クールベ
2005-04-16 ヨーロピアン・ドリーム
2005-04-15 Paul Auster 再び
2005-04-14 武満 徹
2005-04-14 MIKE BLOOMBERG - 報道の自由 LA LIBERTE DE LA PRESS
2005-04-13 埴谷 雄高
2005-04-11 日々新た
2005-04-10 内田光子 - free woman - nomade?
2005-04-09 市俄古 - Qu'est-ce que c'est?
2005-04-08 エディット・ピアフ Edith Piaf
2005-04-07 外国語上達法
2005-04-06 赤ゲットの佛蘭西旅行
2005-04-05 高齢 - Activite (II)
2005-04-03 ゲオルグ・ショルティ - シカゴ妄想 (IV)
2005-04-02 パリのジャズマン
2005-04-01 節目 - Vivacite

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連休

2005-04-28 23:59:17 | Weblog

明日から大型の休みが始まる。今まで休みを待ち望んだということはなかったが、今年は別だ。これは週末の休みについても同じである。休みが何とも言えず、いとおしいのである。気持ちがよいのである。この変化が何を意味するのかは、まだわからない。仕事に対する姿勢が変わってきているのか。単に体の変わり目で、疲れてきているのか。あるいは、休みに待っている楽しみなことが増えたのか。いずれにせよ、悪いことではないと考えている。明日からゆっくりと休みをとり、これからのことなどを考えてみたい。
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Stella Maris = 吉野 建

2005-04-27 20:17:14 | パリ・イギリス滞在
                 "Rue de Paris. Temps de Pluie."
                  Gustave Caillebotte (1877)

昨日届いた Le Point にパリのレストラン 「ステラ・マリス(Stella Maris)」 のシェフ、吉野建 Tateru Yoshino さんが un japonais étincelant として、« Le dernier samouraï » の中で紹介されていた。étincelant という言葉の響きも、意味 (= brillant, vif: esprit étincelant きらめく才気) も素晴らしい。なぜか嬉しくなる。

パリ、料理に詳しい方はよくご存知だと思いますが、私がこのレストランを知るようになったのは、3-4年前のこと。よく顔を出していたレストランのシェフ (HH) が、もしパリに行くのなら一度行ってみてはいかがですか、と勧めてくれた時に始まる。HHさんはパリで7-8年働いていて、シラク大統領にも料理を出したこともあるという人で、最初はフランス語を教えてもらったりしていた。目に入る情報が増えるに従って、吉野さんはその道では名の通った料理人であること、若いときにパリで勉強した後日本で成功するが、それに飽き足らず再びパリで研鑽しようとする (Le succès ne l'empêche pas de revenir en stage à Paris.) 求道の人であることを理解する。Michelin の星がなかなか手に入らないらしいが、料理も星の数では計れないだろう。Le Point の記事でもその点は好意的に扱われている (Michelin ne lui accorde que deux fourchettes. Mais toute la critique est sous le charme.)。

数年前に初めて、凱旋門近くにあるそのレストランに立ち寄った。丁度横に座ったイスラエルからのご夫婦 (昔アメリカの大学で働いたが、今は悠々自適の生活をしているという) と気持ちのよい会話の時間を持つことができたことを思い出す。そんなにパリが好きだったらきっと気に入るだろう、と言って"Paris to the Moon" (by Adam Gopnik) という本を紹介してくれた (邦訳も 「パリから月まで」 としてアプオンから出版されている)。不思議なことに、その本をその時読み始めていたのだ。

帰りに吉野さんの奥様から、本 (「星をつかむ料理人」 新潮社) が出たこと、NHK-TVの 「ようこそ先輩課外授業」 に出演することなどを教えていただいた。本の方はまだであるが、「課外授業」 は幸運にも見ることができた。どの料理人も子供の時に経験した味が基本にあるということを改めて感じた。

前回の滞在では時間が取れず、行けなかった。この夏にパリを訪れた時には、是非もう一度味わってみたい。財布に余裕をもって。Le Point によれば、Les prix, eux, ne font rire personne. Mais ils sanctionnent la qualité. とのことなので。

7 juillet 2005 吉野 建
10 septembre 2006 マルモッタン美術館
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ブログ中断 - Journal photographique

2005-04-26 20:40:45 | ブログの効用

今日、このサイトに行って驚いた。以前にも触れたが、気に入っているサイトの一つで、ブックマークもしているし、著者の Wilfrid とも写真の使用に関してコンタクトをしたことがある (9 mars 2005)。

いつもは写真の下に引用があるのが、写真の上にボールドで文章がある。やる気がなくなったから中断するというのだ。

L'envie me manque de continuer ce blog, une pause m'est nécessaire.  

早速、再開を待っている旨のコメントを入れた (間違っていたら訂正をお願いします)。

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Je suis un des admirateurs de votre site et c'est vraiment triste de ne plus pouvoir regarder des photos formidables et des citations un peu piquantes. J'attend chaleureusement que vous ayez envie de recommencer ce site.

de Tokyo

Rédigé par : paul-ailleurs | 26 avril 2005 02:30

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他のコメントもこのブログを毎日続けるという大変な仕事 (オリジナルの写真とそれに対応した引用を選ぶ) に同情的である。確かに、毎日不自然な姿勢でパソコンに向かい、文章を書き、写真を選び、リンクを張ったりしていると相当に疲れが溜まるのは経験積み。最近、例の腰痛 (19 avril 2005) の原因が3ヶ月に及ぶ bloggeur 生活によるのではないかという疑いを強く抱くようになっている。いずれにせよ、彼のサイトの一日も早い再開を願いたい。

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フランス絵画展 (II)

2005-04-25 20:45:40 | 展覧会

昨日の展覧会で印象に残った絵を思い出しながら余韻を味わいたい。

1. モンペリエ生れのジャン・フレデリック・バジル (Jean-Frédéric Bazille:1814 -1870)

 Nu couché (横たわる裸婦): 70 x 190 cmと大きな絵で、そこに本当に横たわっているような錯覚を覚えた。美しい寝姿である。

 La toilette (身づくろい): お手伝いと思われる négress の黒い肌に白い指が食い込まんばかりに触れているのが印象に残っている。

2. ジャン・バティスト・アルマン・ギヨマン (Jean-Baptiste Armand Guillaumin: 1841-1927)

 Environs de Paris (パリ郊外): 印象派を思わす色彩や筆遣いで、明るい感じになる。一瞬クロード・モネの絵かと思った。手前の木の天辺が右に曲がっているのも面白い。解説には、 Le site ici représenté n'est pas identifié ; on peut le rapprocher d'un tableau de Claude Monet, « Paysage, vue de plaine à Argenteuil » (1872, Paris, Musée d'Orsay) qui représente pareillement une plaine urbane prise depuis une colline champétre. とある。「アルジャントイユ」の響きも詩情溢れていて心地よい。

3. フレデリック・アンセルム・ロッタン (Frédéric Anselme Lottin: 1867-1907)

 Réminiscence (かすかな記憶): 歌手の Cher を思わせるその顔立ちが気になった。

4. アンリ・ジャン・ギヨーム・マルタン (Henri Jean Guillaume Martin: 1860-1943)

 La veille maison (古びた家): それまでに展示されている絵と色彩が全く異なっていて、新しい世界に入ってきたような解放感を味わう。

5. アシル・ロジェ (Achille Laugé: 1861-1944)

 La toute au lieu dit “l'Hort” (通称“ロール”の道): 点描画で、前作と同様急に明るい色が広がり無条件で気分が晴れる。
 
6. ジョルジュ・リブモン・デセーニュ (George Ribemont-Dessaigne: 1884-1974)

 Paysage lacustre (湖畔の風景): この景色はどこかで見たことがある、と思った。

7. ジュール・ローランス (Jules Laurens: 1825-1901)

 Le chemin des sables à Fontainebleau -- effet d’orage (フォンテーヌブローの砂地の道、雷雨の効果): これから嵐が来るというその時、犬も察知して私の方に急いで戻ってくる。記憶のどこかに残っている風景だ。

8. ピエール・アタナーズ・ショーヴァン (Pierre-Athanase Chauvin: 1774-1832)

 Vue prise aux environs de Naples (ナポリ近辺の風景): 昼も下がったあたりだろうか、楽器を奏でる女性とそれにあわせて踊る女性が見える。遠くにヴェスヴィオの噴煙が見える。ゆったりと流れる時間。懐かしい景色。


他にも懐かしさを呼び覚ます絵が沢山あり、その中に身を沈めて静かに時の流れを味わえる展覧会であった。

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フランス絵画展 - モンペリエ

2005-04-24 22:41:41 | 展覧会

先日のギュスターヴ・クールベの展覧会 (17 avril 2005) でこの絵画展のことを知る。南仏モンペリエファーブル美術館 (Le Musée Fabre de Montpellier) 所蔵作品が展示されているという 「誘惑の17-19世紀フランス絵画展」 を見に、新宿の損保ジャパン東郷青児美術館へ出かけた。もう杉の花粉は終わり今はヒノキとのことだが、さっぱりよくならない中、Tété の À la faveur de l'automne (NHK-TVのフランス語講座で紹介されていた)を聞きながら。。

今回の展覧会のポスターに、クールベの「出会い、こんにちはクールベさん (La Rencontre ou Bonjour Monsieur Courbet)」 が取り上げられているのも興味を引いた。また、モンペリエといえば、フランスで訪れたことのある3都市のひとつであることも繋がりを感じたのかもしれない。もう18年も前になるのかと驚いているが、地中海に面した La Grande Motte というところで開かれた会に参加する前に立ち寄った。清潔で、歴史を感じさせる大学都市とともに、地中海沿岸の開放的な雰囲気が今でも忘れられない。何を思ったのか、読めもしないフランス語の専門書をこの町で買っていた。ちなみに、他の都市はパリ (juillet 2003) と7-8年前にドイツから入ったストラスブール (Strasbourg) である。パリ以外は英語を話す旅行者であった。

今回の美術館は42階にあるので見晴らしがよく、東京の街が眼下に広がる。気持ちよく中に入る。静かに日曜の午後を楽しもうという人や何かの課題でも与えられているのか、メモを取りながら見ている若い人などがいて、なぜか気持ちが清らかになる。この展覧会では、人物画より風景の中に描かれた昔の人の生活や神話の物語などに思いを馳せながら見ていた。その風景の中に入っていこうとしていた。こうして見ていくと、以前には全く興味を引かなかっただろう絵も楽しみながら見ることができた。また、絵の題名をフランス語で軽く発音しながら見て回るのも密かな楽しみになることを発見。

帰りに作品集を買う。クールベ展の時 (17 avril 2005) とは異なり、本のプリントは実物に到底及ばないことを感じた。これが普通だろう。その時の体調が関係していたのかもしれない。

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映画に見るシカゴの街並

2005-04-23 00:59:24 | 映画・イメージ

一昨日、テレビの番組紹介でシカゴを舞台にした映画が流れることを知り、内容はともかくシカゴの街を感じるために見てみた。キアヌ・リーブス (Keanu Reeves) 主演の The Watcher である。よくある serial killer のお話で、以前であればのめり込んでいただろう内容なのだが、今では全く感じなくなっている。シカゴの街並みという点でも物足りなかった。

最近、同じ目的でDVDを2本注文した。
"My Best Friend's Wedding" (Julia Roberts & Cameron Diaz)
"The Fugitive" (Harrison Ford)

前者は物語の流れといい、出ている人の物腰といい、まさにアメリカ、という映画。ただ音楽は懐かしいものも出てきていて、単純に楽しめた。球場、ホテル、シカゴ川の観覧船、などシカゴを少しだけ感じることができた。ただ、フランス映画を見るようになって早四年。最初は人間に食い込んでくる率直さと肌と肌の近さに違和感があり、とんでもないところに分け入ってきたものだと思ったが、今では丁度肌合いがよくなってきている。そのせいか、これまで素晴らしいと思って見ていたアメリカ映画(ハリウッド映画?)にどうしようもない物足りなさを感じるようになっている。新大陸と旧大陸の感受性はここまで違うのか。翻って日本映画を見ると、むしろ旧大陸にアフィニティがあるように感じてしまう。日本がアメリカに近づこうとしても到底無理だろう。それほど両者の間の溝は深くて広い。太平洋の広さがそれを象徴しているのかもしれない。

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研究者の定年

2005-04-22 00:14:34 | 科学、宗教+

あと2年もすれば団塊の世代の大定年時代が始まる。最近、この世代を標的にした新しい雇用やマーケッティングの問題、個人のレベルではこれからをどう生きるのかといったことがマスコミでも大きく取り上げられている。年度末に人事異動の退職の欄を見ているうちに、自分のことも考えていた。定年退職と勧奨退職についてネットで調べていると、K 大学の YM 先生の Blog がリストアップされてきた。まさかと思ったが、定年後いかに研究生活を維持していくのかについての悩みが書かれてあり、ついつい読んでしまった。

YM 先生とは、ヨーロッパや日本の会で何度かお会いしたことがあり、非常に率直で何の衒いも感じさせない青年の本質を残したまま、さらに骨太に成長していったというお人柄で、自負も自然に発せられるが全くいやみがなく好感を持った記憶がある。その Blog によれば、あと10年は研究者としてやっていきたいのだが、3月で定年。4月からは非常勤研究員(肩書きは特任教授)として1年間は研究ができそうだが、その後の保証は全くないとのこと。

日本の画一的環境では、各研究者の評価をして定年を延ばすというようなことは、なかなか馴染まないのかもしれない。その意味で、定年を設けずに研究体制を維持している大学のある国(例えばアメリカ、カナダ)には大きな魅力を感じる。若い時には研究の本場で最新のものを学ぼうという気持ちでアメリカに行ったのだが、ここにきて仕事を発展 (できれば展開) させる場としてアメリカが再び目の前に現れたといった感じである。実現は相当に難しそうだが。I feel like coming full circle with the US. とでも言えばよいのか。

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谷村新司 - 伝えるということ

2005-04-21 00:05:24 | MUSIQUE、JAZZ

去年の12月中旬だったか、「土曜インタビュー」というNHK-TV番組で上海音楽学院教授に就任した歌手の谷村新司が紹介されていた。彼の歌はALICEの時代から気に入ったものが多く、よくカラオケで歌ったものだ。谷村新司については、いつも大仰ではなく、静かなうちに秘めたものをマイペースで確実に出してきた人、地に足がついていてアジアにも目が行っている人、永く続きそうな人という印象を持っていた。この番組を見て、その意を益々強くした。

番組では上海音楽学院での講義の様子も紹介されていた。自分に音楽理論を求めてもらっても困る、音楽に対する姿勢のようなものは伝えられるのではないかということで教授就任を引き受けたようだ。講義でも、「音楽は伝えるということ」がテーマであったように記憶している。伝えたいという気持ちを持って、伝えるという行為をしなければならない、というようなことを、詩を書かせたりしながら伝えていた。伝えるという作業は音楽に限らず、ほとんどすべての領域で必要になるものだろう。しかし、同質の環境で長く生活していると気づかないうちに、その気持ちを持つことも実際に伝えようとすることも疎かになりがちだ。

講義を聞く学生の真剣な様子も伝わってきた。学生が書いたものを一人静かに読む時、感動するという。宝物だという。この番組を見て、自分がこれからやりたいと思っていることもこういう(何かを伝えたい)ということではないか、あるいはこういう仕事も面白い (rewarding) のではないか、とぼんやり考えていた。

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高齢 - Activite (III)

2005-04-20 00:33:11 | 年齢とヴィヴァシテ

ソール・ベロー (Saul Below) が今月5日に亡くなった。89歳。彼の小説は読んだことはないが、ピューリッツアー賞、ノーベル賞(1976年) を受賞した20世紀を代表するアメリカの作家であることは知っている。シカゴ大学のホームページによれば、1930年代にシカゴ大学で学生時代を過ごし、1962年から1993年までの30年間、大学の Committee on Social Thought で教鞭をとっていたらしい。また、今週の Le Point の記事を読んでみると、以下のような一節があった。

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... Il avait des lèvres sensuelles et des « yeux de faon ». Tout le mond parlait de son « charme », qui faisait chavirer les femmes. Des femmes, il y en eut. Officiellement cinq, qu'il épousa. Quatre divorces, dont les motifs et séquelles fournieirent plus d'une fois la trame vaudevillesque de ses livres. Trois fils. Et, à l'orée du XXIe (il avait 84 ans), la naissance de Naomi. Mort cette semaine, à 90 ans, le romancier américan aura tranversé avec alacrité son siècle.

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女性を引き付ける魅力を持ち、生涯に5回結婚している (英語で言うところの womanizer の素質があったのか?)。また84歳にして父親の気分はどんなものだったのだろう。機嫌の良い快活さを保ちながら20世紀を駆け抜けたという人生には憧れを感じる。

彼にあやかって « alacrité » という言葉も好きなフランス語に入れたくなる。ニュアンスとしては、「不機嫌ではなく、がむしゃらではなく、機嫌よく、陽気に、快活に、元気一杯に」 というような意味が込められているように感じるが、どうだろうか。陽気さという意味での同義語として、enjouement、gaieté などが、また快活さ・活気という点では、これまでもこのブログで取り上げた vivacité や entrain、allant などが辞書にあった。


vivacité のつながりで興味を引く記事が、同じシカゴ大学のホームページからのリンクで出てきた。ミルトン・フリードマン (Milton Friedman、1912-) という経済学者のインタビュー記事である。経歴を見ると、1946年から1976年までの30年間シカゴ大学で教え、1976年にはノーベル賞を受賞。1976年から現在 (92歳) までフーバー研究所 (Hoover Institute) で上級研究員として働いている。年齢で言うと、34歳から64歳までシカゴ大学で教え、64歳からほぼ30年間現役を通しているというのだから、驚異のエネルギーである。インタビュー記事を読んでみても、(経済の詳しいことはわからないが) 年齢は全く感じさせず、むしろインタビューワーの方が緊張しているような印象さえ受ける。« Il a encore un esprit lucide. » とでも言えばよいのだろうか。ただただ羨ましい限りである。

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腰 痛

2005-04-19 00:29:36 | Weblog

この1週間ほど、腰痛に悩まされている。生まれて初めてのことである。数日前には、余りの痛さに仕事に行ったものの耐えられず帰ってきた。家でいつものように座っていたのだが、いざ立とうとしたところ立つことができず、床に倒れてしまった。どう足掻いても痛くて立てないのである。痛みでのた打ち回るという表現を思い浮かべたくらい。このまま一晩過ごすことになるのかとも思った。30-40分してやっと起き上がることはできたが、その後も爆弾を腰の辺りに感じながら生活している状態が続いている。

聞くところによれば、日本人の一割くらいが腰痛の犠牲者だという。二本足で歩くようになった人間の宿命だと言ってしまえばそれまでだが、今回の経験はいろいろなことを考えさせられた。家の者がぎっくり腰でひどい格好をしているのを見て、なんて大げさなと思い、またそう言ったこともある。しかし、痛みは他の人にはわからないのだということを改めて感じた。痛み(病)を持っている人には想像力を働かせて応対しなければならないのだが、それがなかなか難しい。しかし今回の痛みと苦しみを味わう中で、例の「なぜ病気があるのか」という問題 (15 mars 2005; 17 mars 2005) を考えてみた。浮かんできた非科学的な答えのひとつは、「人に対する想像力を植えつけ、共感を増し、人と繋げるためにある」のではないか、というもの。また、こういう異常はその時の体調を知らせてくれているようだ。運動不足ですよ、腹筋・背筋が弱ってきていますよ、鍛えなければだめですよ、と。私をもっと使ってくださいよ、と体が訴えかけているようでもある。

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加藤 周一

2005-04-18 00:36:38 | 自由人

大学生の終わり頃、加藤周一の 「羊の歌」 (岩波新書)や森有正の「遥かなノートル・ダム」(筑摩書房)などを読み、世界のいろいろなところで仕事をしながら一生を送れたら、などと夢想していた。数年前に読んだ加藤周一の本からほんの少し。

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資本主義社会ですから大抵のものには正札がついていて、値段の高いものはいいとか、値段の安いものはつまらないとかなる。同じ建物でも高い家と安い家がある。そういう段階がある。ところが戦争中私が体験したように、死が迫ってくると、そういう段階は崩れるのです。どっちでもよくなる。要するに正札が取れてしまう。そうすると、これこれ特別な薔薇とか特殊な珍しい蘭は高く、庭に生えている小さな花は大事ではない安いものだという区別がなくなってしまう。
 それは一種の価値の転換です。そういうことを戦争は経験させた。
 その印象というか経験が強かったために、一種の約束ごととして世間で高いもの、安いものとされている価値づけをひっくり返してみるというか、それを無視してみるみたいなものが自分の中に定着したと思います。それはほとんど詩人の態度、あるいは芸術家の態度に近いと思う。


私のいおうとしていることは、伝統的な約束事、社会の価値の上下関係から自由になるということです。つまり価値の転換です。文学というのは価値体系を転換する事業なのです。必ずしも理論的水準ではなくて、感覚的直截的なある経験を通じて価値の転換を行う。それが文学の特徴だと思う。

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   加藤周一 『私にとっての20世紀』 (岩波書店, 2000)より

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ギュスターヴ・クールベ

2005-04-17 00:06:03 | 展覧会

クールベ美術館展 (A la Rencontre de Courbet)-故郷オルナンのクールベ 」を三鷹市美術ギャラリーで見る。ギュスターヴ・クールベ (Gustave Courbet)(1819-1877)の名前は知っていたが、どういう人なのかはほとんど知らない。去年、テレビ東京の「美の巨人たち」で紹介番組を見た程度である。写実に忠実で、権力に抵抗した、純粋でエネルギーに満ち溢れた人だったようだ。

実際に風景画を見てみると、感動が押し寄せるということはなく、むしろくすんだ色を多く使っているためか絵が薄暗く感じられ、何気なく通り過ぎてしまいそうなものがほとんどだった。ただ、入り口にあったデスマスク、石膏鋳造によるややふっくらとした彼の手、愛用のパイプ3点、さらに「オルナンの城 (Le Château d'Ornans)」、「ベラスケス風の男の肖像 (Portrait d'homme d'après Vélasquez)」、「シヨン城 (Le Château de Chillon)」とロベール・フェルニエ (Robert Fernier)作の「クールベへのオマージュ (Hommage à Courbet)」などは気に入ったのだろう。印象に残っている。

帰りに作品集を買ってきたが、本で見る方が楽しめるというのはどういうことだろうか。彼の生まれたスイス国境に近いオルナンという小さな町とそこを流れるルー川、そしてルー川沿いにある彼の生家 (La Maison natale de Courbet au bord de la Loue)を包む風景が何とも言えず美しい。彼の生家がクールベ美術館 (La Musée Courbet) となっているようだ。いずれこの街を訪れてみたいという欲求がどこかに生まれている。

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ヨーロピアン・ドリーム

2005-04-16 00:40:02 | 哲学

去年、本屋の立ち読みでフランスの雑誌をいろいろ見ている時に、Le Point が自分に合っていると思った (lundi 22 novembre 2004)。英語で言えばTIMEに当たるような感じか。今年から購読を始めた。毎週月曜に手元に届く。最初に開く時はわくわくする。まずざーっと目を通すと、嬉しいことに頭にすんなりと入ってくる記事が必ず見つかる。それを時間があるときに少しじっくりと読むということを繰り返している。観光、食事、文学、科学など、どのテーマでも視点が微妙に違うので読むと面白いし、逆に彼らはどういう頭の中をしているのか、という疑問を持ちながら読み進むということもある。中には仕事を通して知り合った友人が出てくることもあり、ついつい時間を忘れる。フランス語を始めて本当に良かったと思う瞬間だ。


今週の話題で興味を持ったのは、ジェレミー・リフキン (Jeremy Rifkin) というペンシルバニア大学教授で経済関連の財団も運営している人が最近出したアメリカとヨーロッパについて比較文化論 「ヨーロピアン・ドリーム」 (Le rêve européen)の紹介記事である。彼はこの30年間アメリカとヨーロッパを往復して生活しているという。原著の The European Dream は去年の夏に出ているが、この記事は4月にフランス語版が出たのに機を一にしている。結論的に言ってしまうと、アメリカン・ドリーム (Le rêve américan) が行き詰まりを見せているが、これからは彼が言うところの "Le rêve européen" が大いに参考になる。ヨーロッパが la nouvelle "terre de toutes les opportunités" になる可能性があるという。


...j'ai longtemps pensé que, Européens et Américains, nous étions d'accord sur les choses fondamentales. C’est faux. En fait, nous sommes deux membres de la même famille qui se sont séparés il y a deux cents ans. Nous avons deux façons très différentes de voir le monde. Le rêve américain, c'est un pays dur, mais beaucoup d’opportunités. Chacun est responsable de sa vie. Point. Le rêve européen fait passer les relations communautaires avant l'autonomie individuelle, le diversité culturelle avant l'assimilation, la qualité de vie avant l'accumulation de richesses, le développement durable avant la croissance matérielle illimitée, l'épanouissement personnel avant le labeur acharné, les droits universels de l'homme avant les droits de propriété.

(私は長い間、ヨーロッパ人とアメリカ人は基本的なことでは同意していると考えていた。しかしそれは誤りである。実際は、われわれは200年前に分かれた同じ家族の2つのメンバーである。非常に異なる2つの世界観を持っている。アメリカン・ドリームは非常に厳しいが多くの機会に恵まれる。各自が自分の人生に責任を持つこと、それだけ。ヨーロピアン・ドリームは個人の自立の前に共同体の関係を、同化の前に文化的な多様性を、富の蓄積の前に生活の質を、無限の物質的な蓄積よりは恒久的な発展を、仕事に熱中するよりは個人的な成熟を、所有権よりは人間の普遍的な権利を重要に考える。)

アメリカの機会の多さ、openness。他にはこういうところはないだろう。入り口はオープンで機会は与えるが、後は自己責任でおやりなさいということだろう。ヨーロッパは日本と同じかそれ以上に機会が少なく、閉鎖的である。裏を返せば、より共同体的発想があり、中にいる人にとっては住みやすく、生活にも潤いがあるということだろうか。


今ではアメリカ人の半分はアメリカン・ドリームを信じていないという。ただ心配するには足りない (N'ayez pas peur!)。ヨーロッパで今進行中の L'Union européene という新しい市民権 (une nouvelle forme de citoyenneté) を生み出す可能性のある革命的な (réellement révolutionnaire) 実験の成り行きを見守ることで、重要なことがわかるかもしれない。と、アメリカ人には言いたいらしい。


フランス語版でも読んでみようか、と思わせるお話であった。

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Paul Auster 再び

2005-04-15 00:34:02 | 海外の作家

花粉が終わらず、相変わらず苦しい季節が続いている。引き篭もりがちになる。ただ通り過ぎるのをじっと待っている。苛々してもしようがない。ポール・オースターでも読み直し、どこかに迷い込むのもよいかもしれない。

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from "Portrait of an Invisible Man"

The point is: his life was not centered around the place where he lived. His house was just one of many stopping places in a restless, unmoored existence, and this lack of center had the effect of turning him into a perpetual outsider, a tourist of his own life. You never had the feeling that he could be located.


It was never possible for him to be where he was. For as long as he lived, he was somewhere else, between here and there. But never really here. And never there.


The world was a distant place for him, I think, a place he was never truly able to enter, and out there in the distance, among all the sadows that flitted past him.


from "The Book of Memory"

Christmas Eve, 1979. His life no longer seemed to dwell in the present. Whenever he turned on his radio and listened to the news of the world, he would find himself imagining the words to be describing things that had happened long ago. Even as he stood in the present, he felt himself to be looking at it from the future, and this present-as-past was so antiquated that even the horrors of the day, which have filled him with outrage, seemed remote to him, as if the voice in the radio were reading from a chronicle of some lost civilization. Later, in a time of greater clarity, he would refer to this sensation as "nostalgia for the present."


It is a hermetic season, a long moment of inwardness. The outer world, tangible world of materials and bodies, has come to seem no more than an emanation of his mind. He feels himself sliding through events, hovering like a ghost aound his own presence, as if he were liveing somewhere to the side of himself - not really here, but not anywhere else either.


The room he lived in was a dream space, and its walls were like the skin of some second body around him, as if his own body had been transformed into a mind, a breathing instrument of pure thought. This was the womb, the belly of the whale, the original site of the imagination.


Yes, it is possible that we do not grow up, that even as we grow old, we remain in the children we always were. We remember ourselves as we were then, and we feel ourselves to be the same. We made ourselves into what we are now then, and we remain what we were, in spite of the years. We do not change for ourselves. Time makes us grow old, but we do not change.


The past, to repeat the words of Proust, is hidden in some material object. To wander about in the world, then, is also to wander about in ourselves. That is to say, the moment we step into the space of memory, we walk into the world.

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      Paul Auster “Invention of Solitude” (Penguin Books, 1988) より

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