フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

9月の記事

2006-09-30 11:29:55 | Weblog
2006-9-30 もし・・・が起こっていなかったら SI ... N'AVAIT PAS EU LIEU
2006-9-29 人生が自分に近くなる JE ME SENS PROCHE DE LA VIE  
2006-9-28 捨象する FAIRE ABSTRACTION DE ...
2006-9-27 マルセル・コンシュ MARCEL CONCHE (III)
2006-9-26 マルセル・コンシュ MARCEL CONCHE (II)
2006-9-25 マルセル・コンシュ MARCEL CONCHE (I)
2006-9-24 「いまなぜ青山二郎なのか」 POURQUOI JIRÔ AOYAMA MAINTENANT ?
2006-9-23 青山二郎の眼 "L'OEIL DE JIRÔ AOYAMA" AU MUSÉE MIHO
2006-9-22 京都へ ALLONS À KYÔTÔ !
2006-9-21 言葉の奥を覗く EXAMINER LA BASE DE MOTS
2006-9-20 秋の日の・・・ UN JOUR D'AUTOMNE
2006-9-19 初心に返る SE RAPPELER LE PREMIER ENTHOUSIASME
2006-9-18 ランダム演奏で新空間 ÉCOUTER LE CD DE MANIÈRE ALÉATOIRE
2006-9-17 ブレーズ・サンドラール BLAISE CENDRARS
2006-9-16 フランス語の試験再び EXAMENS DE LA LANGUE FRANÇAISE
2006-9-15 遠くなる蝉の声 DÉJÀ LOINTAIN, LE CHANT DES CIGALES
2006-9-14 旅を終えて VOYAGER, C'EST...
2006-9-13 パリの研究室での一コマ UNE SCÈNE DANS UN LABO À PARIS
2006-9-12 ある日のパリ  UN JOUR À PARIS
2006-9-11 アルフレッド・ドレフュス展 DREYFUS - LE COMBAT POUR LA JUSTICE
2006-9-10 マルモッタン美術館 AU MUSÉE MARMOTTAN MONET
2006-9-09 仏版ブログが1周年 LA VERSION FRANÇAISE A UN AN
2006-9-08 40年前 IL Y A 40 ANS
2006-9-07 パリの研究者との再会 UNE RENCONTRE AVEC UN CHERCHEUR PARISIEN
2006-9-06 ある作家とのソワレ UNE SOIRÉE AVEC OLIVIA CHAM
2006-9-05 変えるということ LE CHANGER, C'EST...
2006-9-05 譜めくりの女 LA TOURNEUSE DE PAGES
2006-9-04 再び古本市へ AU PARC GEORGES BRASSENS
2006-9-03 ある日曜の朝 UN DIMANCHE MATIN
2006-9-02 ケ・ブランリー美術館へ AU MUSÉE QUAI BRANLY
2006-9-01 パリ到着 ARRIVÉE À PARIS

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もし・・・が起こっていなかったら SI ... N'AVAIT PAS EU LIEU

2006-09-30 00:18:44 | フランス語学習

今週来た Le Point の ベルナール・アンリ・レヴィ Bernard-Henri Lévy によるエッセイ "Le bloc-notes" が、文法のお勉強にぴったりの文章で埋め尽くされているのに驚いた。

タイトルは 「もし9・11 (2001) が起こっていなかったならば、・・・」。エッセイはこれに続く 「・・・であった (ではなかった) だろう。」 のオンパレード。例えば、こんな具合である。

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"Si le 11 septembre n'avait pas eu lieu ..."

Le monde serait plus simple. (世界はもっと単純であっただろう)

Il aurait moins peur de son ombre. (自らの影にこれほどおびえることはなかっただろう)

La semaine aurait sept dimanches. (毎日が日曜日だっただろう)

Kerry serait président des Etats-Unis. (ケリーはアメリカ大統領だっただろう)

On arriverait dans les aéroports à la dernière minute. (空港にはぎりぎりで着いてもよかっただろう)

Les gens ne vous regarderaient pas de travers, dans le métro, quand vous êtes basané. (あなたが日焼けしていても地下鉄で疑いの眼で見られることはなかっただろう)

L'économie mondiale se porterait bien. (世界経済は順調だっただろう)
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条件法が1ページに溢れていると、何となくその感触が掴めるような気がしてくるから不思議だ。フランス語学習者にとっては、ありがたいエッセイであった。


ベルナール・アンリ・レヴィさんについては以前に触れています。
10 mars 2006 映画 Le Jour et la Nuit - ベルナール・アンリ・レヴィ

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人生が自分に近くなる JE ME SENS PROCHE DE LA VIE

2006-09-29 20:31:37 | Marcel Conche

なぜかわからない。人生がこれまでになく自分に近く感じられるようになっていた。自分を包んでいる空気、時間、人、すべてが自分にとって大きな意味を持っているという感覚である。それらすべてが自分にとって唯一無二だということを心底感じ始めたのだろうか。その時、時間の流れをつかみ、その時間に乗っているかのような感覚が襲ってきてそのことに気付いた。

この感覚の自覚は、2日前の夕刻、コンシュの言葉を理解しようとしてどっぷりとその中に浸っている時に訪れた。彼だけではなく、これまでにこのブログで読んできた人の営みが一気に迫ってきたのかもしれない。彼らの精神活動 (魂?) が自分の周りに広がっているかのような感覚に囚われ、軽い興奮状態に陥っていた。コンシュの話にあった 「行動」 しているわけではないが 「活動」 は何とか続けられている証だろうか。観ることを主眼にしてきたこの空間での活動の成果なのだろうか。それにしても不思議である。

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捨象する FAIRE ABSTRACTION DE ...

2006-09-28 21:40:53 | Marcel Conche

昨日のコンシュさんのインタビューを読んでいてピンとこないところがあった。Philosophie Magazine のインタビューワーの以下の発言である。一つ目は "anhistorique" という言葉で、これは Olivia さんにサジェスチョンをいただいた。感謝したい。もう一つは、後半部分にある abstraction という言葉であった。

Votre rapport à l'histoire semble contradictoire. D'un côté, vous montrez que c'est la profonde instabilité du siècle qui a orienté votre philosophie. De l'autre, le philosophe doit, selon vous, faire abstraction de son temps. La vrai vie serait-elle anhistorique ?

「あなたの歴史との関係は、矛盾しているように見えます。一方で、あなたの哲学を導いたのは世紀の極度の不安定さであると言い、他方哲学者はその時代を考慮に入れてはいけないと言っておられます。真の人生は歴史性のないもの (anhistorique) なのでしょうか。」

最初、この abstraction を 「抽象化すること」、つまり時代を相手にして抽象化しなければならないと訳していた。それでどうして矛盾するのかが全く掴めなかったのだ。

おかしいと思う時には辞書を引かなければ駄目ですよ、という教訓再びである。"faire abstraction de" とは、抽象化をさらに進めて不要なものを捨て去る、捨象する、考慮に入れない、という意味になる。それで歴史と彼の関係が矛盾するということがよくわかるようになった。こういう時は、本当にすっきりとする。

しかし、まだどこかに支えがあるようだ。この問いに答えてコンシュさんが話していることはよくわかるのだが、問いとどう繋がるのかが未だにしっくりと来ない。どなたかのお知恵を拝借したいところである。


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3 octobre 2006 問と答の溝を埋める TROUVER LE FIL LOGIQUE

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マルセル・コンシュ MARCEL CONCHE (III)

2006-09-27 23:52:03 | Marcel Conche

マルセル・コンシュのインタビュー、最終回になりました。

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Philosophie Magazine: あなたは熱烈な平和主義者ですが、その平和主義は個人的な倫理の問題なのか、あなたが絶対的なものという道徳に関わることなのでしょうか?

Marcel Conche: 私はそれがどんなものであれ、いかなる戦争にも参加しない。正義の戦争があると考える罠には嵌らない。正義の爆弾と不正儀の爆弾がわからない子供のように、私はそれを区別することを拒む。しかし、もし敵が国境に迫っていたらどうするか。そこでは平和主義のプロパガンダをする権利は私にはない。なぜならそれは普遍的なものだから。敵がそこにいたら平和主義は自己矛盾に陥る。敵に組することで (おそらく、道徳に従うと他人を人間として敬うことになるので) その普遍性を失うからだ。しかし私は個人的に平和主義に徹する。私の立場は普遍的になりうるが、普遍化し得ないので抽象的で矛盾するものである。基本的に政治的人間のすることは平和を実現すること。ドゴールはそのことをよく理解していた。戦争を輸出して民主主義を実現しようとするのは犯罪である (Vouloir réaliser la démocratie en l'exportant par la guerre, c'est criminel)。

PM: あなたの歴史との関係は、矛盾しているように見えます。一方で、あなたの哲学を導いたのは世紀の極度の不安定さであると言い、他方哲学者はその時代を考慮に入れてはいけないと言っておられます。真の人生は歴史性のないもの (anhistorique) なのでしょうか。

MC: その点についてですが、行動 (l'action) と活動 (l'activité) とは区別しなければならないと思います。哲学者は行動する人である必要はありません。哲学者は行動する必要はなく、考えなければならないのです。一度に両方をやるのは難しい。老子 Lao-tseu (Lao Zi) の 「道徳経」 (Tao Te King) では両者の違いが根本的なものとして書かれている。行動に参加しなくても活動的でいることができる。その活動は創造的自発性 une spontanéité créatrice からなっている。私が教師をしている時は行動することに縛られていた (J'étais assujetti à une action) が、今は一日を即興的に過ごす (J'improvise mes journées)。まるで生きるということが (日々を) 詩的にすることであるかのように (Comme si vivre, c'était poétiser ...)。

活動とは、驚きや予想もしないことに委ねることが多くなる。もし真の人生が社会の出来事の中にあると考えるならば、それはヘーゲル的になる。社会の中の誰かとして自らを捉えることになる。もしあなたが詩人ならば、現実的になるためには編集作業 (詩的な心の状態を現実に戻す作業?) が必要になるだろう。ただ私はそれとは違う見方をしたい。それは、他人との関係において微妙なニュアンスを加えなければならないということである。人生の実体は友情のニュアンス、愛情のニュアンスでなっている (La substantialité de la vie est faite des nuances de l'amitié, de l'amour)。私の年になると愛情と言っても性とは無縁であるが (A mon âge, l'amour s'est purifié de la sexualité...)。

余り性急にあなたにレッテルを貼る人は信用すべきではない (Ceux qui vous cataloguent trop rapidement, il faut s'en méfier)。私の無神論にしても、それがアンチ・キリスト教になるわけではないのだから (Mon athéisme ne me rend pas antichrétien)。私の妻はカソリックだった。人をじっくり見ることの方が信仰や意見より重要である (Le discernement de la personne est plus essentiel que toutes les croyances et opinions)。このことは、左右の対立の中でしばしば忘れられることである。そこには人格の化石化 (une fossilisation des personnalités) が行われており、そういう固定化の中には真の人生はない。

PM: あなたの新著 "Journal étrange" で、今日突然死が襲ってきても最早人生を奪うものではないと言っていますが・・。

MC: 今や平均寿命が男で77歳、女で83歳にまでなっている。私は84歳まで生きているので今日死んでも失うものは何もない。死はもはや私から人生を奪うことはできない (La mort ne peut plus m'enlever ma vie)。エピキュロス Epicure は死の後には何もないと言っている。しかし死 (la mort) と死ぬこと (le mourir) とは別物である。どんな死に目に会うのかはわからない。それゆえモンテーニュをも悩ませていて、彼は気付かないうちに死ぬことを望んでいた。

数日前に発見したエミール・シオラン Emile Cioran がパリのオデオン通りで会った94歳の女性の話を語っている。彼女は死ぬことは何も怖くない、ただこのオデオン通りと別れなければならないのが辛い、と言ったという。人間は死後が怖いのではなく、今まで最も執着し、愛着を覚えていた人生に別れを告げなければならないことに恐れを感じるのではないか、とシオランは言っている。
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彼は老子の 「道徳経」 のフランス語訳を出している。
人生を詩的にし、ニュアンスを加えるという彼の生き方には共鳴するところ大である。
最後に私もつい最近発見したシオランが出てきたのもうれしい。


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この記事の2番目の質問と答 (歴史と哲学者の関係) についての記事があります。
3 octobre 2006 問と答の溝を埋める TROUVER LE FIL LOGIQUE

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マルセル・コンシュ MARCEL CONCHE (II)

2006-09-26 22:51:47 | Marcel Conche

彼のインタビューから再び。

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デカルト、カント、ヘーゲルは、形而上学としての哲学を理解していなかった。彼らにとって哲学とは科学の形態をとっていなければならなかった。それは根本的な誤りである。なぜなら、形而上学としての哲学は、すべての実在についての真実を発見する試み (la tentative) であり、科学の本性とは異なっている。哲学の本質は試みること (un essai) であり、何かを所有・把握すること (possession) ではない。形而上学とは何かを証明すること (démonstration) ではなく、瞑想・沈思黙考すること (méditation) である。形而上学で確認・肯定することは、いつでも変わりうる意見 (opinions) ではなく、真の体験から生れた信念 (convictions vécues) である。
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これまでにも 「哲学と科学」 の対立や 「研究と瞑想」 の違いについて考えが及んでいた。哲学と科学ははっきりと異なるものであることが、彼の言葉からよくわかる。最近、瞑想の世界に遊ぶ機会が増えているが、そういう時には科学的思考から離れる傾向が強くなるように感じる。ある意味、科学を進める上で邪魔になるようにも思える。しかし、この両者をうまく結び付けられないか、少なくとも両方の立場を意識しながら思索を続け、どこかの高みに辿り着かないかという途方もない願いも芽生えてくる。

彼は、体系立ったもの、ドグマ、認知された哲学というようなものを信じない。懐疑主義者 (sceptique) である。そして彼の哲学は常に発展し、発展しながら一貫性を求めているという。それから自然を第一に考えている naturaliste ようだ。

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私にとって絶対的なものは自然である。物質という概念は私にとっては不十分に見える。物質の創造性を考えるのは難しい。そこに自然の天才がなければならない。原因だけであれば、この世は何とつまらないものだろう。原因が結果を生み出す過程は単純な繰り返しではなく、そこには革新 (innovation) がある。そこに、エピキュロス Epicure は原子のいたずらが働く空間 (l'espèce d'espièglerie de l'atome) を想像していた。

自然は原因の連続 (enchaînement ou concaténation de causes) としてではなく、即興 (improvisation) として理解すべきものである。自然は詩人なのである。自然を詩的に捉えなければならない。この見方はソクラテス以前の自然主義哲学者に最も近いベルグソンに通じるものである。

このような考え方になったのは、子供の頃から農民として働いていた私の育ちと関係がある。この自然との関係は、私にとって根源的な (foncier, constitutif) ものである。大学以降の抽象的な哲学の影響でこのことを忘れていたが、モンテーニュのお陰で自然との関係の上に成り立つ私の存在の根の部分に再び触れることになった。
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マルセル・コンシュ MARCEL CONCHE (I)

2006-09-25 20:29:43 | Marcel Conche

二三ヶ月前だろうか、IFJ のメディアテークに行ったところ新しい雑誌に目が行った。PHILOSOPHIE MAGAZINE という哲学雑誌である。いくつか面白そうな記事があったが、モンテーニュを師と仰ぐ、無神論者 athée (この言葉については異議があるようだが) のこの人について読んでみることにした。

マルセル・コンシュ MARCEL CONCHE (27 mars 1922 - )

御年、84歳。今年に入って "Avec des « si ». Journal étrange" という新しい本を出したのを機に、アン県 Ain の自宅でインタビューを受けている。タイトルは、« La mort ne peut plus m'enlever ma vie » (「死はもはや私の人生を奪うことはできない」) となっている。印象に残った件を数回に分けて紹介したい。

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「自ら哲学する」 とは、まず最初に根底を揺るがすような一つの経験に動揺し、圧倒されることである。ショーペンハウアーは、すべての哲学はただ一つの (特異な) 考えを発展させたものにしか過ぎないと言っているし、ベルグソンもその考えを引き継いだ。

Philosopher par soi-même, cela veut dire être initialement voulversé par une expérience fondamentale. Schopenhauer a dit que toute philosophie n'était que le dévelopement d'une unique pensée. Bergson a repis cette idée.

私の哲学の元になった経験は、アウシュビッツや広島の子供たちの苦しみを絶対悪 (mal absolu) 、すなわちどんな視点からも正当化できないものとして自覚したことと関係している。それは神の存在を疑わせるのに充分ではないか。私は神学哲学者 philosophes théologiens や神の正当化を非難するが、啓示を信じる人に私の非難は向かわない。

私はキリスト教の中で育ったが、信じることなく早い時期から神学的な世界の見方を拒否していた。それで青春時代に哲学に傾斜していった。

哲学とは、人間の理性のなせる技で神に出会いようがない。それゆえ、真の哲学はギリシャのものである。神なき精神性。デカルト、カント、ヘーゲルなどはキリスト教信者で、信仰を見つけるために理性を用いた人たちである。その意味で、彼らは影響力から言っても偉大な思想家ではあるが、真の哲学者とは私は考えていない。近代の真の哲学者はモンテーニュである。彼は信仰と全く離れて、特に当時の社会に浸透していた一神教から全く独立した視点で作品を書いた。

La philosophie, c'est l'œuvre de la raison humaine et elle ne peut pas rencontrer Dieu. C'est pourquoi la vraie philosophie est grecque. La spiritualité sans Dieu. Les philosophes de l'époche moderne -- Descartes, Kant, Hegel -- sont des chrétiens qui utilisent la raison pour retrouver une foi pré-donnée. Je ne les considère pas comme des philosophes authentiques. Ce sont de grands penseurs par leur influence. Mais le vrai philosophe de l'époche moderne, c'est Montaigne. Il a écrit son œuvre dans une grande indépendence à l'égard des croyances collectives, notamment à l'égard de la croyance monothéiste qui imbibait la société.

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彼が無神論者という言葉に抵抗があるのは以下の理由による。

J'hésite, cependant, à me dire athée, car le mot "Dieu" a peu à peu perdu, pour moi, toute signification. Il me paraît sans objet, et je ne cois pas qu'il y ait lieu de nier ce qui n'est rien." ("Le destin de solitude")

「しかし私は自らを無神論者と言うことに躊躇を感じる。なぜなら、「神」 という言葉が私にとって徐々にそのすべての意味を失ってきたからだ。それは私には根拠のないものに見え、したがって実体のないものを否定する理由はないと考える。」 (「孤独の運命」から)

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「いまなぜ青山二郎なのか」 POURQUOI JIRO AOYAMA MAINTENANT ?

2006-09-24 21:14:05 | 日本の作家

昨日の新聞で、プライスコレクションの若冲展が京都で始まったことを知る。東京では見ることができなかったので、「京近美」 こと国立京都近代美術館へ向かうためバス停まで行ったところ、長蛇の列。それを見ると疲れを押し戻すだけの力は残っていなかった。また昨日の余韻を楽しんでおこうと考えたこともあり、今回は諦めて帰ることにした。

新幹線に乗り込むとタバコの煙がむんむんと立ち込めている。禁煙席を買ったはずだが、どうしたことだろう。一瞬戸惑ったが、またやってしまったことに気づく。切符売り場が混んでいたため自動販売機で買ったのだが、そこで禁煙と喫煙を確かめずに何気なく選んでいたのだ。これで2回目になる。徐々に何かが進行しているようだ。3時間余り、たっぷりと passive smoking をしながら白洲正子の 「いまなぜ青山二郎なのか」 を読んで帰ってきた。

この本では、骨董、装幀、絵 (個人的には好みではなかったが)、文章をものした青山の人となりを、彼が付き合っていたいろいろな人とのやり取りを通して語っている。彼の4人の奥さん、小林秀雄 (との友情と破綻)、河上徹太郎、中原中也、永井龍男、大岡昇平、今日出海、野々上慶一などなど。その中から印象に残ったところを抜き出してみたい。

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 銘柄にとらわれず、外観に惑わされず、本物の中の本物を発掘するのが青山二郎が志したことである。「創造」 といったのはそういう意味で、一旦悟得すれば万事に通ずる眼を持つことであったから、命を賭けることも辞さなかったに違いない。

 「絵から何かを感じとることと、絵が見えるということとは違う。」 絵を見るのには修練が要る。では、眼を鍛えるにはどうすればいいか。「私の場合、それは目を頭から切り離すことだと思う。批評家に借りた眼鏡を捨てて・・・自分の裸の眼を使うこと。考えずに見ることに徹すること」 ― これは青山さんの持論でもあった。

 もちろん知識はあるに越したことはないが、ものを見るときは忘れなくてはいけない。すべてを捨ててかからねばならない。ジィちゃん (青山のことを白洲はこう呼んでいる) のいう 「感じ」 なんてものはとうの昔に私は卒業していたが、「感じ」 から 「物」 が見えるところへ移るまでに、たとえば此岸から彼岸へ渡るほどの飛躍が要る。・・・人間にとって、目玉だけになることがいかに難しいか、ジィちゃんが教えてくれたのはそういうことであった。

 何事につけてジィちゃんは 「意味深長」 という言葉を嫌っていた。精神は尊重したが、「精神的」 なものは認めなかった。意味も、精神も、すべて形に現れる、現れなければそんなものは空な言葉にすぎないと信じていたからだ。

 文章というのはおかしなもので、自分で書く場合はむろんのこと、人のを写しても、ただ漠然と読むのよりよく理解できるものである。私の頭がにぶいのかも知れないが、昔の人たちは肉筆で書写することによって、文章の裏側にあるものまで読みとったのではあるまいか。

「ぜいたくな心を清算する (はぶく) 要はない。ぜいたくに磨きを掛けなければいけないのだ。」

 ジィちゃんは畸人でも変人でもなかったが、卓越した人間であったことは確かである。生きることに命を掛けた、といってはおかしいが、その日その日が真剣勝負であり、そんな素振りを見せることさえ恥辱としたといえようか。「僕たちは秀才だが、あいつだけは天才だ」 と、小林さんはいつもいっていた。
  「天才は寧ろ努力を発明する。凡才が容易と見る処に、何故、天才は難問を見るといふ事が屡々起こるのか。詮ずるところ、強い精神は、容易な事を嫌ふからだといふ事にならう。」
 これは小林さんの 「モオツァルト」 の一節であるが、そのまま青山二郎の生きかたに通ずる。

 この時、ジィちゃんはまたしても小林さんといっしょに大仁と湯河原に滞在し、「富岡鉄斎」 を書いた。今、それについて述べている暇はないが、「大雅の及ぶべからざる所は、その画を描くつもりがなかったと云ふところにある」 と語った鉄斎の言葉が耳に残っている。別言すれば、それは 「余技」 であったということで、「余技」 にこそ人間の真実があるとジィちゃんは信じていた。州之内徹さんが、「装幀もする青山二郎」 といみじくも評したように、文章も書く、絵も描く青山二郎であり、彼の人生そのものが余技であった。

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この中で、赤瀬川原平の 「千利休」 (岩波新書) が面白いと書いてある。「いずれ」 のリストに入れておきたい。

今回、古代ギリシャの 「劇場」 に向かう人を気取り、場所を変えて観察しようという魂胆で京都に足を伸ばしたが、いろいろとよい刺激を受けたようである。

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青山二郎の眼 "L'OEIL DE JIRO AOYAMA" AU MUSEE MIHO

2006-09-23 22:38:52 | 展覧会

パリに向かう機内だろうか。雑誌の広告にあった写真に惹きつけられた。その美術館は山奥の森に埋もれるように写っていた。その設計者が I.M. Pei さんということで、一体どんな美術館を創っているのかに興味が湧いた。彼はルーブルのピラミッドの設計もしている建築家であるが、私がニューヨークにいた20年ほど前に、アヴェリー・フィッシャー・ホール Avery Fisher Hall であったニューヨークフィル演奏会の中休みにワイングラス片手に取り巻きと話しているのを見かけ、アジア系で活躍していたということもあり、親近感を覚えていた人でもある。

今回京都に来た目的の一つは、その美術館を訪れることであった。未だに疲れが抜けないせいか、午後から出かけることにした。出る前に近くのカフェに寄り、予定を立てる。お勘定をした後、レジの女性が私の手の甲を支えるように軽く触れておつりを渡してくれた。不思議な感じがしたが、何かが通じた。その時、同じ経験を5-6年前鹿児島でもしていることを思い出した。マニュアルでもあるのだろうかとその時に思ったが、どうなのだろう。東京では、触るのも汚らわしいとでもいうように、手のひらの上から落とすようにおつりを渡されることが少なからずある。今日はなぜか心が和んでいる。

石山からバスで小一時間揺られる。川に白鷺?を見かける。渓谷を抜けるように登っていく。対向車が来ると止まって待ったりしながら。「体」 の感覚が蘇ってくるようだ。大脳皮質のコントロールから少しだけ解き放たれるようである。深山幽谷にその美術館はあった。紅葉がほんの少し始まっているのを見つける。バスが止まったところから、なだらかな坂道を登っていくと山をくり貫いたトンネルがある。その形と中の照明を楽しみながら10分ほどゆっくりと歩く。先日訪れたケ・ブランリー美術館のジャン・ヌヴェル氏ではないが、建物を取り巻くすべてが建築になっているということを感じながら。

Miho Museum
(novembre 1997 -)

建物もしっかりとした立派な美術館である。中高生の団体がいてにぎやかである。南館は常設の展示のようだ。エジプト、西アジア、南アジア、中国、ペルシャなどの彫刻・絵画・織物などが置かれている。数は多くないが、仏像や古代の人の表情などを見ていると何か大きな心に触れたような印象を受ける。北館では秋季特別展の 「青山二郎の眼」 が行われていた。

青山二郎 (1901年6月1日 - 1979年3月27日)

入り口にあった 「眼は言葉である」 というフレーズを見て、その心がまさにこのブログにぴったりであることを悟る。集めたものをいろいろ見させていただいた。目利きではないのですべてがピンと来るわけではなかったが、見ながら青山二郎という人の生き方に思いを馳せていた。中に本阿弥光悦の 「山月蒔絵文庫」 と 「鹿図蒔絵硯箱」 があったが、その構図 (デザインと言ってもよいだろう) の斬新さに驚いた。今作られたと言ってもおかしくないほどである。北大路魯山人の食器も展示されていた。私の好みではなかったが、美味いものを人に食わせるために焼物を始めたという彼の心には感じるものあり。

仏語版ブログに、木喰 Mokujiki の彫刻がいいという Aurele 様のコメントが最近入っていたが、その一つ 「地蔵菩薩像」 が集められていた。何とも幸せそうな、嬉しそうなお顔で手を合わせている像で、確かに親しみが持てる。

また、今回彼が本の装丁にも手を出していたことを知る。その装丁もさることながら、当時の作品が今ほとんど読まれていないものも含めて並べられているのを見て、懐かしさを禁じえなかった。

小林秀雄 「無常といふ事」
ランボオ 「Bateau ivre (酩酊船)」 (小林秀雄訳)
小林秀雄 「ドストエフスキイの生活」
アラン 「精神と情熱に関する八十一章」 (小林秀雄訳)
河上徹太郎 「道徳と教養」
ギュスタァフ・フロオベル 「ジョルジュ・サンドへの書簡」 (中村光夫訳)
中村光夫 「文學論」
アンドレ ジイド全集
中原中也 「在りし日の歌」
北條民雄 「いのちの初夜」
大岡昇平 「俘慮記」
・・・

いくつかの言葉が紹介されていたが、メモにあるものの中から。

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優れた画家が、美を描いた事はない。
優れた詩人が、美を歌ったことはない。
それは描くものではなく、
歌ひ得るものでもない。
美とは、それを観た者の発見である。
創作である。
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帰りがけに、彼の生き方に触れたくなり、白洲正子の 「いまなぜ青山二郎なのか」 を仕入れる。その帯には 「俺は日本の文化を生きているのだ」 とある。早速、バスを待つベンチで読み始める。装丁が気が利いているので後ろを見てみると、「装画・題字 青山二郎」 となっていた。

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京都へ ALLONS A KYOTO !

2006-09-22 23:53:30 | 

仕事以外で意識して来るのは、おそらく初めてである。観光趣味はもとからなかったのだから仕方がない。駅に向かう電車の中で勤め帰りの人の群れに会う。その顔をじっくりと見入る。こういう経験もほとんどなかった。どの顔も疲れ、輝きが感じられない。そこでガラスに映る自分の顔を眺めてみた。同じようにくすんでいる。人々に生気がないように見えたのは、自分の内面の反映を見ていたのか。若さと希望に満ち溢れている時には、それ以外の思いを抱いている人がいることなど想像もできなかったように。

新幹線の中で週刊誌を眺める。いつものように何かが飛び出して来ないかを期待して。その中に、「安部首相の時代と気分」 と題して2人の人に解読してもらうという記事があり、「安部晋三なるモノ」 についての中条省平氏の考察があった。そのフレーズにまず反応した。何のことはない、このブログのサブタイトルに 「フランス的なもの」 という言い回しを使っているからだ。

どういう意味で使ったのだろうか。意味を問うことなく言葉を選ぶことはしばしばである。当初はフランスに関係のあるもの、ということだったのだろう。この1年半余りの間、ただただ観察することに費やした結果、「フランス的なものから呼び覚まされること」 という中には、そもそもものを知らないという自覚 (la prise de conscience) のもとに、ものを疑ってかかることから始めましょう、あるいは疑いから出てくるもの、時には批判的な精神でものを見た時に出てくるもの、というようなニュアンスも含まれていたことを感じる。

ところで中条氏の考察によれば、「安部晋三なるもの=現状肯定」。私はまだ読んでいないが、「美しい国へ」 の中に見えるものとして、その大部分が日本の現状を肯定するものだという。さらに、今の若者には現状への否定的反抗心は薄いと見ている。そんな中、ソフトな語り口で語られるうちにことが進んでいく可能性があるのではないか。大きな転換点を何の論争もなしに通過してしまうのではないか、と危惧していた。日本の哲学者 (余り多くはないらしい) が論争を起こしたり、加わったりする時は来るのだろうか。

確かに、現状肯定から思考をスタートする人を見かけることがある。その前に批判的な精神で、ものを見たという形跡を感じることができないような。そこにはどうしてもある体制の中で何とか生きていきましょうという心が見えてしまう。そういう時にはいつも驚くのだ。

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言葉の奥を覗く EXAMINER LA BASE DE MOTS

2006-09-21 23:20:05 | フランス語学習

町を歩くと景色が見える。これまではただそれを見て終わっていた。しかし最近、町を見たり、大きく言えば社会を見たりする時、今に至るすべての過程がそこに詰まっているということを感じ始めている。その奥行きを感じるようになっている。これを真面目にやっている時間は今のところないのだが、それを感じることができるようになっている。

そういう実感を得るに至ったのは、フランス語を始めたことと関係がありそうだ。それは、ある人のインタビュー記事を一つ一つの言葉の意味を探りながら、彼の本当に言いたいことは何なのか、と言葉の意味を丁寧に手繰り寄せている自分に気づいた時にはっきりした。

その時、単に言葉の意味だけではなく、その言葉の奥の奥に詰まっている歴史をも覗こうとしていたのではないか、という思いが過ぎった。日本語ではそういう意識的な読み方をしなかったはずだから、もしフランス語をやっていなければそういう認識には達していなかったかもしれない。そう感じる時、現在が即ち過去になり、過去の蓄積が現在になる。このことを感じてしまうと、それこそ時間がいくらあっても足りなくなる。

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秋の日の・・・ UN JOUR D'AUTOMNE

2006-09-20 20:23:03 | フランス語学習

本日、お昼の散策を再開する。時差ぼけとは、向こうの時間の余韻を楽しみたいために (余韻が残っているため)、今の時間についていかない (ついていけない) 状態なのかもしれない。やっと今の時間と空間に戻りつつあるようだ。

快晴である。風はない。緑が映えている。蝶が飛んでいる。ネコが背中を掻いている。蝉の声がまだ聞こえる。汗がじわーっと滲む。行き交う人もしゃがみ込んで話をしている人も穏やかに見える。ムスタキ Georges Moustaki の歌声がしっくりときそうな空気が漂っている。peaceful だ。この時期、この風景はずーっと以前からあったのだろう。今まではほとんど気付かずに通り過ぎていた。

ところで peaceful に当たるフランス語は?
辞書で見てみる

calme
serein
tranquille
doux
paisible

どれも心が和む

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初心に返る SE RAPPELER LE PREMIER ENTHOUSIASME

2006-09-19 23:03:26 | フランス語学習

仏語版が1周年を迎えたこともあるのだろうか。フランス語を始めた当初、異常に興奮していたことを思い出している。その音を発すること、その音を聞くことに。ただどうしても向こうが全く見えないというもどかしさを2年ほど引きずっていた。触れようとしても触れられないもどかしさである。

それが消え始めたのはおそらく初めてフランス語で向こうの人とやりとりをした時だろうか。調べてみると、つい最近の昨年3月のことである。ずーっと今の状態だったのかと思っていたが、ほんの一年ほど前まではフランスとの実質的な交わりはほとんどなかったのである。そのことに驚いている。この記事を読んでみると、当時はブログを始めたばかりで、他の人のものを読むこともなく、ただただ自分に向けて、虚空に向けて言葉を発していたことがわかる。この記事を読んでいるうちに、当時の感覚が甦ってきた。そんな中、大胆にもフランスの人にメールを出したのだ。すぐにその返事が戻ってきた時には、フランスの肉の部分に接したように感じて非常に嬉しくなったことも甦ってきた。ストレートな、無垢な喜びである。

たまには節目に昔を振り返り、当時の自分の中の変化を具体的に捉えようと努めるのも面白い。試みるとその感覚は甦り得るものだということもわかる。ブログはそのためにも役に立つようだ。そして、「初心に返る」 というのはこういう作業をしなければならなかったのか、と初めて感じている。

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ランダム演奏で新空間 ECOUTER LE CD DE MANIERE ALEATOIRE

2006-09-18 21:10:31 | MUSIQUE、JAZZ

車でCDを6枚聞いている。順序良く聞いていると、一曲が終わると繋がりで次がわかるようになる。不思議である。なぜかこのスタイルを頑なに守ってきた。ひとりの音楽家の世界を味わいたいという思いが強かったようだ。

先日、iPod で何かの手違いでランダムに曲が流れていた。そうすると今まで慣れ親しんでマンネリになりつつあった一つ一つの曲が急に新鮮に聞こえてきたのだ。そこで車でも同じことをやってみたところ、効果覿面であった。車の中が全く新鮮な空間に感じられるようになってきた。丁度、一つ一つのブロックはすでに見ているのだが、その組み合わせを変えてみると全く別の建物になるという感じである。これまでは6枚のCDから流れる繋がりが一つの作品として聞こえていたことがわかる。

これも 「何を今さら」 のひとつかもしれないが、私にとっては発見であった。想像して理解できることと実際に感じることができたことの違いだろう。今のCD、もうしばらくは楽しめそうである。

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ブレーズ・サンドラール BLAISE CENDRARS

2006-09-17 09:51:11 | 哲学

仏語版ブログのブルース・チャトウィンについて触れた記事に対して、チャトウィンも悪くはないがこちらの方がいいというコメントが入っていた。今日のタイトルの人である。

ブレーズ・サンドラール Blaise Cendrars (1er septembre 1887 - 21 janvier 1961)

スコットランド人の母とスイス人の父との間にスイスで生まれる。本名、Frédéric-Louis Sauser。16歳のときに家を出て、モスクワへ行く。それからシベリア鉄道 transsibérien でアジアへ。それから1907年までサンクトペテルブルグ Saint-Pétersbourg の宝石商 joaillier で働く。そこの図書館に通い、書くことを勧められる。それから読書や思索の記録を残すようになり、この作業を生涯続けることになる。

スイスに戻ってからベルンで医学の勉強をするも、そこには人間の抱える問題、精神現象、行動様式などについての答えは見出せなかった。この時期に最初の詩を書く。それからパリに短期間滞在した後、再びサンクトペテルブルグに戻り最初の小説を書き(1922年まで出版されなかった)、ショーペンハウアーにのめり込む。

アメリカでは、機械的で、忙しい、現代性に溢れる世界に触れる。1912年、再びパリに戻り、詩人を天職と確信する。そこではアポリネール Apollinaire、シャガール Chagall、フェルナン・レジェ Fernand Léger、モディリアーニ Modigliani などと友情を暖める。第一次大戦に参加し、1915年右腕を失う。1916年にはフランスの国籍をとる。

アフリカに魅せられ、ブラジルに招待され、第二次大戦ではイギリスの従軍記者になる。戦後はフランス、イタリア、アメリカで映画にも手を出す。まさに世界中を歩き回ったような人生。1956年に書かれた "Emmène-moi au bout du monde !" 「世界の果てまで連れてって」 が最後の作品となった。Transsibérien. La Prose du transsibérien et de la petite Jehanne de France などの彼の作品にインスピレーションを与えていたのは、現実あるいは想像上の旅であったようだ。

またひとり過去から蘇ってきた。ロベール・ドワノー Robert Doisneau (14 avril 1912 - 1er avril 1994) との作品 "La Banlieue de Paris" なども読んでみたい。

Centre d'Etudes Blaise Cendrars de l'Université de Berne

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(14 octobre 2006)
何気なく昔の記事を読んでいたところ、この人について流れの中で触れていることを見つける。それはミッテランがサルコジーと文学談義をした時に話題に上げた人として書かれてある。全く記憶になかったので、なぜか嬉しくなる。

13 janvier 2006 ミッテラン没後10年 10 ANS APRES LA MORT DE MITTERRAND

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