フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

5月の記事

2005-05-31 23:59:04 | Weblog
2005-05-31 薔薇の名前
2005-05-30 雨の日
2005-05-29 中世とは - ジャック・ル・ゴフ (IV)
2005-05-28 学歴より病歴 - 老年礼賛
2005-05-27 中世とは - ジャック・ル・ゴフ (III)
2005-05-26 中世とは - ジャック・ル・ゴフ (II)
2005-05-25 中世とは - ジャック・ル・ゴフ (I)
2005-05-24 「アメリカ口語教本」
2005-05-23 夢から覚めて
2005-05-22 「かのように」を読んで
2005-05-21 ジェームズ・アンソール展にて
2005-05-20 高齢 - Activite (V) - 三岸節子
2005-05-19 日々新た (II)
2005-05-18 谷口ジロー JIRO TANIGUCHI
2005-05-17 Trailblazer
2005-05-16 「千々にくだけて」 が呼び覚ましてくれたもの
2005-05-15 ルオー展にて GEORGES ROUAULT
2005-05-13 「かのようにの哲学」に触発されて
2005-05-12 高齢 - Activite (IV) - リズ・スミス LIZ SMITH
2005-05-11 仕事中毒 - リトレ - バルザック
2005-05-10 お昼の遊歩
2005-05-09 花粉明け -マザリン・パンジョ (II)
2005-05-08 マザリン・パンジョ - bouche cousue - ミッテラン
2005-05-07 ラ・トゥール展にて
2005-05-06 休みを求めるわけ
2005-05-04 Ana Vidovic - クロアチア

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薔薇の名前

2005-05-31 21:08:22 | 映画・イメージ

先日読んだジャック・ル・ゴフのインタビューの中で、中世の時代で目を見張るものとして、大聖堂、城壁、僧院(の回廊)の3つをあげていた (27 mai 2005)。図書館 (la bibliothèque) は入らないのですか、との問いに次のように答えていた。そう聞くのはウンベルト・エーコ (Umberto Eco) の 「薔薇の名前«Le nom de la rose» のことを考えているからでしょう。エーコは優れた中世研究家 (médiéviste) だが、彼の中世はその模倣でもないし、夢の世界でもない (ni imité ni fantasmagorique) と。エーコの中世は少し違うというニュアンスだろうか。

フランス語訳でも読んでみようかと一瞬思ったが、長そうなのでまず映画の方を見てみた。実はこの映画が出た時のことは覚えているが、その時は全く見る気にはならなかった。

舞台は北イタリアの僧院(雪がなかなかいい効果を出していた)。時期から言うと、教皇庁がアヴィニヨンにあった時代で、Pope John ヨハネ教皇の名前が出ていたので、14世紀前半だろう。キリスト教の本が揃っているという最大の bibliothèque と本が重要な舞台装置である。それから異端審問 l'Inquisition、魔女狩り、不寛容、拷問、火あぶり、などなど、ゴフ先生から聞いていた中世を特徴付けるもので溢れていた。アリストテレスの「詩学」第二部の中に、「笑いは人間だけのもの」というような記述があるらしいのだが、イエスも笑わなかったし、神に仕えるものは笑ってはいけない、というのが正統。そういう本は危険極まりないもので、修道僧は笑うだけで異端になる時代でもあったのがわかる。

主人公の元異端審問官フランシスコ会の"バスカヴィルのウイリアム"とその弟子"アドソ"がベネディクト会の僧院での会議に召ばれる。すでに僧一人が死んでいるのだが、その後殺人事件が続発、それが異端をめぐるものであることに行き着く。本筋の彼らの推理は映画を見ていただきたい。これに絡むように横糸として描かれているのでは、と思われるものがあった。

映画は、年老いたアドソが当時を振り返る形で語られる(初めてアメリカ映画に触れた時に感じた音の美しさ、当時は sexy とさえ感じた、その記憶が残っているのだろうか。以前ほどではないが、感じるものがある。)。彼が、偶然に若い貧しい(底辺に生きる)娘と触れあう、その記憶は時間が経っても消えない、次第に心の底から湧き出る彼女をいとおしむ気持ち。彼女はあるきっかけで魔女にされてしまうが、誰も彼女を救うことができない。ウイリアムは若者の心に彼女に対する愛が生まれていることを読んでいる。一方アドソは、本の中に生きていて哀れみの心など持ち合わせていないよう見える師の態度に苛立ちを覚える。そんな中で女性について、愛についての会話がある。

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アドソ: これまでに愛したことは?

ウイリアム: 何度も。アリストテレス、トマス、、、

アドソ: そうじゃなくて。彼女を救いたい。

ウイリアム: 愛は修道士にとって問題。トマス・アクイナスが言っている愛は神への愛。女性への愛ではない。女は男の魂を奪う。女は死よりも苦い。しかし神が創ったのなら女性にも何らかの徳があるはず。

愛がなければ人生は安寧。安全で、静かで、、、そして(しかし)退屈。
(How peaceful life would be without love! How safe, how tranquil and , , , how dull.)

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火炙りの刑にあった彼女は助かり、アドソは再び会うことになるが、逡巡しながらも別れを選び、師に付いて行く。そしてそのことを悔いてはいない、師から多くのものを学ぶことができたのだ、と語る老いたアドソの声。人生を振り返り、折り合いをつけているような声。

ル・ゴフに中世の扉を少しだけ開いて(initiation をして)もらった後だったので、この映画の根っこを捕まえているのだという感触を持つことができ、興味が尽きることなく最後まで見ることができた。エーコの中世に浸ることができたようだ。

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jeudi 2 juin 2005 20:56:38

follow-up です。

この映画のDVDの特典の中に、ドイツ語版のドキュメンタリーがあり、若き日のル・ゴフさんが時代考証について語っていた。感激。

真実味を出そうとしたら、細部 (détail) に注意して再現しなければならない。水差し、薬瓶、すり鉢、薬草、、、、

監督の Jean-Jacques Annaud は見慣れた中世ではない中世を見せることによって真実味を出したい、というようなことを言っていた。

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雨の日

2005-05-30 21:41:18 | 海外の作家

昼、小雨降る中、敢えて外に出る。どんなことがあっても出ることが気分転換にいいということに気づき始めているようだ。カフェの深いソファに腰をおろして、この春フランスから訪ねてきた友人の贈り物 La première gorgée de bière et autres plaisirs minuscules を開く。そのページは、「アガサ・クリスティーの小説」 (Un roman d'Agatha Christie) だった。

雨の日に読んでいると、静かに落ち着く。雨に絡む表現が目に入る。

la pluie sur la pelouse au-delà des bow-windows
(出窓の向こうの芝生に降る雨)

Il y a des meutres, et cependant tout est si calme. Les parapluies s'égouttent dans l'entrée, une servante au teint laiteux s'éloigne sur le parquet blond frotté à la cire d'abeille.
(殺人がある。しかしすべてが静まりかえっている。玄関では雨傘から水が滴り落ちている。蜜蝋で磨かれた床を乳白色の顔色をした召使の女が遠ざかっていく。)

目を街路に向けると、緑が一段と深くなっている。今頃から夏にかけての外国出張から帰るといつも最初に気づくのが、街の緑が濃くなっていることだ。鬱蒼とも言えるくらいに。どこか違ったところに辿り着いたような錯覚に陥る。今年の夏はどうだろうか。

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中世とは - ジャック・ル・ゴフ (IV)

2005-05-29 11:08:08 | 古代・中世

ル・ゴフさんとのお付き合いも今日で一応終わりになるので、もう一頑張りしてみたい。今回も難しい言葉 (scientificisation などという) や表現が沢山出てきて大変であったが、いろいろ勉強になった。そのいくつかを書いてみたい。

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中世は大雑把に言って、女性の地位向上 (特に結婚において) の時代であった。妻の同意が必要で、妻が夫と同等の価値を持つと決められるようになったのは中世だという。

Le Moyen Age a été, grosso modo, une période de promotion de la femme. En particulier à travers le mariage. C'est le Moyen Age qui a pris cette décision, fondamentale, que le consentement de l'épouse devait étre aussi nécessaire et avoir la même valeur que celui de l'époux.


女性と男性が平等であるということを最初に言ったのが、神学者トマス・アクイナス。昔聞いた名前であるが、このことは初めて知った。彼について、こんなエピソードを読んだことがある。

「民衆は聖者を崇拝し、その遺物を崇拝し、聖者が死ぬと争ってその骨や毛髪を手に入れようとした。十三世紀の聖者、聖トマス・アクイナスは、死んだとたんに遺体を修道士たちによって料理されてしまった。修道士たちは、聖トマスの貴重な遺物を失うまいとして、頭を切り離し、身体を煮てしまったのである。」 (村松剛 『ジャンヌ・ダルク』 中公新書)

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「これまで中世を絶賛してきたが、美化しようとばかりしているわけではない (Je ne suis pas un hagiographe du Moyen Age.)。創造性には富んでいたが、宗教裁判を考え、拷問、不寛容、階級社会、貴族階級などを導入したことを忘れてはいない。」

J'affirme que ce fut une des plus grandes période créatrices mais je n'oublie pas que le Moyen Age a aussi inventé l'Inquisition, a introduit la torture, l'intolérance, la hiérarchie et l'aristocratie.....

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中世の思想は、一般的に不吉なもの、死を連想させるもの (le macabre) と考えられているが、むしろ楽観主義 (l'optimisme) の方が優勢である。それはおそらくキリストの復活への期待が関係しているのではないか。le macabre が出てきたのは最後の方だけ。

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「最近、シャルル7世 (Charles VII :1403 - 1461) の愛妾アニェス・ソレル (Agnès Sorel :1422-1450) の骨が出てきて、彼女が殺されたのは本当なのか、どのように殺されたのか、というようなことが話題になっていますが、お考えは?」

→ 余り興味ありません。彼女の政治的役割が限られており、彼女に対する興味は、最初の王の愛妾 (maîtresse royale) であったということから来ているのではないか。しかし、聖ルイ (ルイ9世:1214 - 1270) の時代までは貴族は一夫多妻制 (polygamie) であったために愛妾がなかっただけの話で、歴史家にとっては王の私生活は問題にならない。

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最後に、自伝を書く気はないかと尋ねられて、Ah, non, ça jamais ! と答えている。自伝は虚栄のための愚行で、嘘をつくために書くのだ。Non, c'est dégueulass. (むかつく) とまで言っている。中世が魅力的なもうひとつの理由は、自伝を書くという風習がなかったことだ。数ヶ月前に奥さんが亡くなり相当に落ち込んでいたようだが、彼女については書いてみたい、それが最後の本になるだろうと話していた。

彼の本をサーチしている時に、「ル・ゴフ自伝」というのが出てきた。「自伝」とあるので思わず原題を見てみると、« Jacques le Goff : Entretiens avec Marc Heurgon » となっている。この邦題は彼の意思には沿わないのではないだろうか。

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読み終わって、余り見るべきものがないと思っていた中世の暗闇に少し光が差し込んできたように感じる。

中世とは - ジャック・ル・ゴフ(I)
中世とは - ジャック・ル・ゴフ(II)
中世とは - ジャック・ル・ゴフ(III)

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学歴より病歴 - 老年礼賛

2005-05-28 16:36:12 | 出会い

中世についての本を調べている時に、藤原書店のサイトに行くと 「老年礼賛 鶴見俊輔・岡部伊都子の対話」 (藤原書店) というDVDが目に入った。面白い話がありそうなので、見てみることにした。

二人とも80歳を越えている。鶴見は大病(カリエス)をし、岡部は病気ともに生きてきたようなものだと言う。以前に、なぜ病気があるのか、という問題について触れたが (15 mars 200517 mars 200523 mai 2005)、その答えのひとつなるようなことが話されていた。

岡部の「学歴は余りないのですが、病気だけはよくしてきました」というような発言に対して、鶴見がひとつの見識をまとめている。「病歴というのは学歴にまさる力をもつと思うんです。それは、じっと寝ていると、自分の中の自分との対話ができてくるわけ。人との対話と違うし、世の中についていくというのと、ちょっと違うんですね。自己内対話という積み重ねが加わるでしょう。それが自分の精神をつくってるんですね。」 最初の問いとの関係で言えば、病気は自分を深めるためにあるという答えを出しているようでもある。

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鶴見の父親が政治家であったためにわかるのだが、として次にようなことを言っていた。政治家は人を騙す(のが仕事な)のだが、それを声に出して言っているうちにそれを聞いている自分をも騙していくようになる。いつの時代でも(戦争に進む時でも今でも同じようなことが)起こっているという。付け加えると誰にでも起こりうることでもあるのだろう。


鶴見 「明治以前が素晴らしい。明治の人は江戸は野蛮だと言っていたが、そんなことはない。良寛などという偉大な人を出している。最後は自由恋愛までしている。」
(ルネサンスの人が中世を野蛮だと見ていたという話(26 mai 2005)ともどこか共通するところがある。新しい物を手に入れると文化的水準が上がったと錯覚するのが人の常らしい。)


最後は二人そろって、これまで死ぬと思ったことが多いので、生き過ぎたという思いが強い。だからいつ死んでもよい、死ぬのが怖くない。そうなると老年の自由を味わえる。「若さからの解放」が相当に楽しいのだという(自分でも少しわかりかけてきているか?)。最後まで機嫌よく行きたいですね、というところで終わっていた。

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死の受け止め方についてジャン・コクトーも同様のことを言っている。「あまりに耐え難い時期を何度もくぐり抜けて来たぼくにとって、死は何か甘美なもののように思えていた。そこからぼくは死を恐れず、死を凝っと正面に見据える習慣を身につけた。」 <「ぼく自身あるいは困難な存在」 (ちくま学芸文庫)>

また、「機嫌よく」という言葉を聞いて、« alacrité » とともに89歳まで生きたことを伝えていた Saul Bellow の追悼記事を思い出していた(20 avril 2005)。

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中世とは - ジャック・ル・ゴフ (III)

2005-05-27 23:35:11 | 古代・中世

ところで中世とは、どの時期を言うのだろうか。いろいろな説があるらしいが、教科書的には 「西ローマ帝国が滅亡した476年からオスマン・トルコがコンスタンティノープルを占領して東ローマ帝国が滅亡した1453年まで」の古代と近代に挟まれた時代を指すようだ。いずれにせよ、1000年に及ぶ途方もない長さなので一筋縄ではいかないのだろう。

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「一度消えた un imaginaire が今またものすごい勢いで命を取り戻しているようですが、どう説明しますか?」 <ハリーポッターやロード・オブ・ザ・リングなどを含めて聞いているようだ>
(Comment expliquez-vous que ces représentations d'un imaginaire disparu réapparaissent avec tant de force actuellement ?)

→ 簡単に言うと、われわれに今それが欠けているからで、その意味で、中世を必要としているからでしょう (Parce que nous en manquons, tout simplement ! C'est en ce sens que nous avons besoin de Moyen Age.)。われわれは l'imaginaire のある領域を失っていて、それに換わるものが出てきていないからでもあります (Nous avons perdu tout un domaine de l'imaginaire, qui n'a pas été remplacé.)。20世紀にサイエンスフィクションという新しい l'imaginaire の分野を見つけはしましたが、われわれの要求に充分に答えてはいません (Notre époque a créé, au XXe siècle, un nouveau domaine de l'imaginaire: la science-fiction. Mais la science-fiction ne répond pas à tous les besons actuels de l'imaginaire de l'humanité.)。まだ程遠い状況です (Loin de là)。

ここでも彼は、中世が想像力において最も豊かな、豊穣の時代 (la période la plus féconde de l'histoire en production imaginaire) であったことを強調している。

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「今回出版された« Héros et Merveilles du Moyen Age » で触れられている merveille とは何ですか?」

→ merveille はラテン語の "mirari" (目を大きく見開く、の意)から来ています (Merveille vient du latin mirari, qui veut dire «ouvrir grand les yeux». )。文字通り、目を見開かせるものは3つしかありません。それは大聖堂と城砦と僧院 (の回廊) です (La merveille est donc ce qui fait ouvrir grand les yeux ! Voilà pourquoi je crois qu'il n'y a que trois au Moyen Age: la cathédrale, le château fort et le cloître.)。

都市や図書館は入らないといっている。anti-urbain の気持ちや14世紀始めにはエコロジストのような動きもあったが、限られていたようだ。図書館についても古代のアレキサンドリアのものに比することのできるものはなかったようだ (Au Moyen Age, rien n'est comparable à la bibliothèque d'Alexandrie, disparue sous l'Antiquité.)。

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「あなたにとって、最も英雄らしい英雄、最も素晴らしい目を見開かされる人は?」

→ 疑いなく、それは Mélusineだ。最も人間らしく、好感が持てる(la plus sympathique)。あの世から来て、最初は恋に落ち、土地を開墾し、町を作り、城を建て、子供を生み、男の犠牲になり、、、彼女こそ中世の想像力が生み出した最も美しい感受性の持ち主である、とまで言っている。

(初めて聞く名前なので、お勉強が必要。)

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彼はさらに中世の想像力がユニークであることを強調している。中世が発明した最初の大きなマシーンが風車だ!と言っている。さらに、哲学の分野でも最も創造性が発揮された時代で、ギリシャの思想に匹敵すると捉えているようだ (Je crois ques c'est là que le Moyen Age a été le plus créateur, et je mets la pensée médiévale au même rang que la pensée grecque.)。

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とにかくものすごい迫力なので、暗黒の時代だと思っていた私も中世のことを少し知りたくなってきているようだ。

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中世とは - ジャック・ル・ゴフ (II)

2005-05-26 23:28:19 | 古代・中世

今年の2月にフランス語学習を中心に書き始めたこのブログだが、今日はその100回目に当たることが判明。今ではフランスに関連のある事がらやそこから喚起されることまで幅広く書くようになった。ほんの数ヶ月に起こった変化である。今年が終わる頃に何を書いているのか、想像もつかない。

その記念すべき日に、ジャック・ル・ゴフという凄い歴史家とお付き合いしているというのも何かの縁だろう。凄いと言うのは、エネルギーの塊のような、枯れることのなさそうな、精神・思想を鍛えに鍛えてきた、ということが紙面から感じられるというような意味合いである。彼の学問的な評価は私には無理だが、インタビューを読んでいて感心させられることが次から次に出てくる。

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「中世が長い間暗黒の時代と考えられていたのはどうしてですか?」
(Pourquoi le Moyen Age a-t-il si longtemps été considéré comme un âge de ténèbres ?)

→ ルネッサンスからそう考えられ始め、18世紀の哲学者は中世の信仰や風習の中に「粗野、野蛮さ」を見ていたようだ。中世の主要な様式に « gothique » と名づけたことを考えればわかるだろう (ゴチックとは、ゴート族のように洗練されない、野蛮な « barbare » という意味を持つ)。彼らは中世の真の思想や文明についての理解を欠いていたのだ。しかし、20世紀に入って、マルク・ブロック (Marc Bloch : 1886 - 1944)、フェルナン・ブローデルFernand Braudel : 1902 - 85)、それと不肖 (plus modestement) 私のような歴史家によって、中世は比類ない創造性に満ちた時代のひとつ (une période d'une exceptionnelle créativité) であることが発見されたのです。

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「どのような方法で l'imaginaire médiéval の歴史を理解すべきなのか?」
(Comment faut-il comprendre l'histoire de l'imaginaire médiéval ?)

→ l'imaginaire というのは、経済的、社会的、法的な現実と隣り合わせの社会 (une société à côté des réalités économiques, sociales et juridiques) を意味する。中世で重要な役割を担っていた宗教を例に取れば、神、キリスト、聖母、聖人、天国などに対する人々の vision (イメージ、見方) のすべてが l'imaginaire に属する。ひとつの時代を理解しようとしたら、人々がどう考え、感じ、夢見ていたのかを考えなければならない。そのために重要になるのが文学だ。経済的な側面を無視するわけではないが、l'imaginaire が時代の全体像を捉えさせてくれる (L'imaginaire est ce qui permet de saisir la totalité d'une époque.)。経済的・社会的側面が時代の骨格であるとすれば、l'imaginaire が肉に当たる。

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「どのような方法で仕事をしているのですか?」
(Quelle est votre méthode de travail ?)

→ 読んで、観察して、そして疑問を出すのです (Je lis, je regarde, je questionne.)。その疑問とは、その作品が何を言いたいのか?どんな価値を伝えようとしているのか?どのような感情について書いているのか?という点です。
« Qu’est-ce que cette œuvre veut dire ? Quelles valeurs véhicule-t-elle ? A quels sentiments s’address-t-elle ? »

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中世とは - ジャック・ル・ゴフ(I)
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中世とは - ジャック・ル・ゴフ (I)

2005-05-25 20:43:29 | 古代・中世

読書雑誌 Lire の最新号に、中世学者の第一人者で81歳現役のジャック・ル・ゴフ (Jacques le Goff: 1924 -) のインタビュー記事が出ていた。以前に90歳のジャン・ピエール・ヴェルナンの同様の記事について触れたことがある (11 mars 200531 mars 2005)。フランス語をやっていなければ、まず永遠に出会わなかったであろう人たちである。そのふてぶてしい、闘志溢れる面構えを見れば、こちらも気合を入れなければという気にさせられる。元気が出る。

ざっと読んでみて、«l'imaginaire (médiéval) » (「想像の産物」 というような意味だろうか)がキーワードのように感じた。現実の世界 (経済、社会、法律) ではなく、人々が何を感じ、考え、夢見ていたのか。それを知ることが、ある時期を全体として理解する (avoir une vue synthétique) のに不可欠で、そのためには文学が最も重要だと言っている。

彼が中世に興味を持ったのもやはり文学だと言う。子供の頃に読んだ Walter Scott の Ivanhoé がすべての始まりだったようだ (私の子供の頃、テレビで「アイバンホー」をやっていたような記憶がある)。後年、中世の騎士を研究することになったのもこの記憶が無意識のうちに働いていたのでは(Ivanhoé devait se trouver non loin de moi, quelque part dans mon inconscient.)と推測している。

彼が使っている « des rêves d'une société, d'une civilisation » という言葉を見て、われわれの社会の夢、文明の夢は?という視点で考えたことはなかったな、と思わず立ち止まってしまった。

この記事では、最近出版された2冊が紹介されている。
Héros et Merveilles du Moyen Age (Seuil, 240 p)
Héros du Moyen Age, le Saint et le Roi (Quarto Gallimard, 1318 p)

日本では、中世とは何か « A la recherche du Moyen Age » (藤原書店、2005)が新しく出たようだ。


今日は第一印象を書いてみた。これからフランス語の勉強も兼ねて、もう少し詳しく読んでみたい。

中世とは - ジャック・ル・ゴフ(II)
中世とは - ジャック・ル・ゴフ(III)
中世とは - ジャック・ル・ゴフ(IV)

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「アメリカ口語教本」

2005-05-24 20:17:26 | フランス語学習

フランス語を始めてから、いろいろな大学の仏文科のサイトを surfer するようになった (7 mars 2005)。今日は南山大学に行き着いた。その昔、おそらく最初に使った英語の教材のこと、そこから繋がって "Ask not what your country can do for you, ask what you can do for your country" で有名なケネディ大統領の就任演説 (1961) が録音されていたソノシートを興奮しながら聞いていたことなどが蘇ってきた。

英語の教材とは 「アメリカ口語教本」 で、少し鼻にかかった、感情を抑えた声で録音されている、45 回転のレコードが付いていた。その著者で声の主 William Clarke さんがいたのが南山大学だったように記憶している。フランス語で最初に使ったカセット [French Basic Course (Revised) Part A] と同じ単調さである (16 fevrier 2005)。ひょっとすると、Clarke さんの声の記憶がどこかにあり、その声に守られているように、あるいはこれこそ言葉を覚えるためには避けて通れない道なのだという諦め (?) とともに、ややもすると眠くなるあのフランス語のカセットを聴いていたのかもしれない。

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夢から覚めて

2005-05-23 20:41:21 | パリ・イギリス滞在

花粉症が去り、体の方は少し前から落ち着いていたが、ようやく寝覚めの悪い夢から覚めたようで精神的にも落ち着きを見せてきている。「今・ここ」 に腰を落ち着けて、という気持ちになっているようだ。今年の花粉症シーズンを今の段階で振り返ってみると、どうもブログを始めるためにあったようにも思えてくる。

現実に戻ると、来月中旬からパリへの出張が始まる。今日、年末に会ったジャズマン (2 avril 2005) からメールが入っていた。まだ準備もしていないが、何か予想もしないような新たな出会いでも待っていないものかと、ぼんやり考えたりしている。

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「かのように」を読んで

2005-05-22 12:07:20 | 出会い

先日、traumeswirren さんの 「かのようにの哲学」 に触発されて浮かび上がってきた想いを書いてみた (13 mai 2005)。しかし、鴎外の「かのように」 は知らなかったので、この機会に読んでみた。読んでみて、自分の想像していたお話とかなり違っていたので、少し書いてみたい。

主人公は歴史学を専門とする秀麿。大学を出た後ドイツでの3年の留学を終え、帰ってきたところで悩みを抱えているようだ。事の根本原理とされているものが正しいのか、よく調べてみると証明できるものはほとんどないのではないか。それにも拘らず物事を進めるためには、そこの真偽のほどは置いておいて、あたかも真実のようにやっていく、それを「かのように」 (als ob = comme si) と表現しているようだ。それを前提にしなければどうしようもないと感じている。しかし、それでは本当のものにはならないのではないか。というような迷いがあるようだ。彼の場合はこの国の歴史を書こうとしている。そうすると神話をどう扱うかが問題になる。神話は歴史的真実なのか、それは確かめられないのではないか。

同様の問題は、他の研究分野でもわれわれの実生活でも起こっている。事の本質を知るということは、それこそ一生あっても足りない大仕事。生きていくためには、ほとんどの場合「かのように」として考えずに過ごしている。そうしなければ、先に進めないから。しかし、それに違和感を持つ人は、立ち止まって物事の底にあるものを探る仕事に就くのだろう。芸術家や真理を求める科学者など。さらに、芸術家や科学者においても同質のジレンマが出てくるだろう。生活者(ある世界でやっていく人)として破綻することがあるのは、「かのように」と遣り過ごすことができないことと関係があるのかもしれない。「かのように」せずに何かをやり遂げる人は本当に凄い人なのだろう。


これは主題と外れるが、登場人物が葉巻をよく吸っている。鴎外のイメージからすると意外だったのと、私もたまに吸うので嬉しくなった。35ページくらいの短編に5箇所もそのシーンが出てくる。実際に近くになければ書けないような描写もある。

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雪はこの返事をしながら、戸を開けて自分が這入った時、大きい葉巻の火が、暗い部屋の、しんとしている中で、ぼうっと明るくなっては、又微かになっていた事を思い出して、折々あることではあるが、今朝もはっと思って、「おや」と口に出そうであったのを呑み込んだ、その瞬間の事を思い浮かべていた。


室内の温度の余り高いのを喜ばない秀麿は、暖炉のコックを三分一程閉じて、葉巻を銜えて、運動椅子に身を投げ掛けた。


秀麿の銜えている葉巻の白い灰が、だいぶ長くなって持っていたのが、とうとう折れて、運動椅子に倚り掛かっている秀麿のチョッキの上に、細かい鱗のような破片を留めて、絨毯の上に落ちて砕けた。


秀麿は覚えず噴き出した。「僕がそんな侮辱的な考をするものか。」
「そんなら頭からけんつくなんぞを食わせないが好い。」
「うん、僕が悪かった。」秀麿は葉巻の箱の蓋を開けて勧めながら、独語のようにつぶやいた。「僕は人の空想に毒を注ぎ込むように感じるものだから。」
「それがサンチマンタルなのだよ」と云いながら、綾小路は葉巻を取った。秀麿はマッチを摩った。


これまで例の口の端の括弧を二重三重にして、妙な微笑を顔に湛えて、葉巻の烟を吹きながら聞いていた綾小路は、煙草の灰を灰皿に叩き落して、身を起こしながら、「駄目だ」と、簡単に一言云って、暖炉を背にして立った。

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ジェームズ・アンソール展にて

2005-05-21 21:33:54 | 展覧会

今日の午後、オープンカフェで2時間くらい、読書雑誌 Lire に目を通す。興味深い記事がいくつかあったので、いずれ書いてみたい。それから、先週のルオー展の会場で知った、旧朝香宮邸の都庭園美術館で開催されているジェームズ・アンソール展へ向かった。管理がしっかりしているようで、入り口でチケットを持っていますかと、呼び止められた。会場は人の家に呼ばれたような感じで、やや混んではいたが落ち着いた雰囲気の中、1対1の鑑賞をすることができた。

ジェームズ・アンソールJames Ensor; 1860 - 1949) はベルギーのオステンド (Ostend) 生まれで、ルネ・マグリット (René Magritte) 、ポール・デルボー (Paul Delvaux) と並び称されるベルギーの三大画家とされているらしい。マグリットは余りにも有名で、デルボーの夢の世界は気に入っていたのですでに3-4冊の画集を仕入れてじっくり見ていた。しかし、アンソールの存在は今回初めて知った。

まず、ギュスターヴ・クールベばりの写実主義で描かれた初期の人物画や生まれ故郷の風景画が展示されていたが、余り変わり映えがしない印象でやや落胆。その後の変容振りを期待して足を進めた。鉛筆によるデッサンは、鉛筆が紙を擦る音が聞こえるようでなかなかよかった。しかし、その後のシノワズリー (chioiserie) と言われる中国趣味の絵やジャポニスム (japonisme)あるいはジャポネズリー (japonaiserie) とでも言うべき日本趣味の絵 (北斎漫画をもとに描いたりしている)は、私の趣味には合わなかった。ヨーロッパの人には、西洋的ではないということで喜ばれたのかもしれないが、こちらの目には彼の言いたい日本風には違和感を覚えた。ものの捉え方 (頭の中) が西と東で大きく違うのだろう。

その後、色使いが変わってきて淡い色や明るい色を使うようになるのと平行して、髑髏や仮面、死神、ペストなどの禍々しいモチーフが頻繁に出てくるようになる。どうしてこうなったのだろうか、不思議でならなかった。その後の人生が苦渋に満ちていたのだろうか。少し調べてみたいと思った。ただ、「黄金の戦車の戦い(The Battle of the Golden Spurs)」のように、戦場の絵のはずなのだがよく見ると人や動物の動きがほとんど漫画のように滑稽に描かれているものもあり、この画家のユーモアか風刺精神のようなものを垣間見た気がした(小さい絵が多かったので見るのに苦労した。この絵も注意していないと動きを見逃してしまうほど)。

見終わってみて、圧倒的な印象を受けるものには出会わなかった。しかし、最初落胆した初期の風景画(人物画)、例えば、

「オーステンドの大眺望(オーステンドの屋根)」 Large view of Ostend (Rooftops of Ostend)
「ブリュッセル市庁舎」 Brussels Town Hall
あるいは少し後の
「オーステンドの眺望(オーステンドの屋根)」 View of Ostend (Rooftops of Ostend)
「マリアケルクの眺め(マリアケルクの協会)」 View of Mariakerke (The Church of Mariakerke)
「ヴァン・イスゲム通りの眺望」 View of the Boulvard Van Iseghem

これらの絵には、彼の自然に流れ出た素朴な愛情のようなものが溢れていて、一番和ませてくれる絵となった。芸術家として生きるためには、変貌し続けなければならなかったのだろうか。

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高齢 - Activite (V) - 三岸節子

2005-05-20 21:03:53 | 年齢とヴィヴァシテ

先週から、昼休みには L'homme qui marche になっている。昨日は夏を思わせる暑さの中、隣の駅の本屋まで歩く。画家三岸節子(1905-1999)についての澤地久枝の ドキュメンタリー「好太郎と節子 宿縁のふたり」 が目に入る。おそらく、先日の新日曜美術館でその経歴を知り、非常に興味を引かれたためだろう。今年は生誕 100年。

節子の夫は画家の三岸好太郎(札幌出身)。31歳で亡くなったので、結婚生活は僅か10年で終わる。それから65年生きたことになる。40代中頃には日本を代表する女流画家になっていたらしい。丁度その頃(1954年)息子黄太郎が留学していたパリを訪れている。彼女のどこかに何かを感じたのだろう。1968年、63歳の時にひたすら絵を描きたいという一心で日本を脱出、フランスへ向かう。言葉が通じない孤独の中、作品だけによって償われるという求道的な生活を続ける。途中迷ったこともあったようだが、結局20年もの間、緊張感の中若い時と同じように一生懸命に描いたそうだ。日本に帰れば得られるであろう老後の栄誉、お金、平和な生活が何だ、と思いながら。今、澤地の本を読み始め、結婚に至るところまで来ているが、その印象では子供の時からの反骨の精神が最後まではっきりと宿っていたことを感じる。それにしても、その精神力には感動させられる。

テレビで息子黄太郎は母親を次のように評していた。「向こう見ずで、やりたいことをやる人」と。またその時の私のメモには以下のような書き込みがあった。

何のために描くのか?神を見るためか?「人間を完成させるために描くのです。」


高齢 - Activite (IV) - リズ・スミス
高齢 - Activite (III)
高齢 - Activite (II)
高齢 - Activite (I)

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日々新た (II)

2005-05-19 22:32:54 | ブログの効用

以前に「日々新らた」の題で書いたことがある(11 avril 2005)。最近はほぼ毎日ブログを書いている。これはなかなか大変な作業である。しかし、毎日書くということに意義を見出すようになってもいる。ブログを始める前を振り返ると、漫然と(=現実・現在だけに身を置いて)生きていたように感じる。外の出来事のみならず、自分の中で起こったことも流れ去ってしまったように感じる。中で起こっていた変化も真実として重要な意味を持っているのだ、ということに気付き始めているようだ。

自分の頭の中を曲がりなりにも公表するためには、一日一日を新しい目で見るように仕向けなければできない、ということも意識するようになってきた。そうすることによって自分の中に溜まっていく真実(=人生)も豊かになるということも。今になって、サルトルの言葉の重さをひしひしと感じる。「どんな些細なことも見逃さないように。観察、分類せよ。見え方の日々の変化を書き記せ。」(11 avril 2005)。

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谷口ジロー

2005-05-18 20:12:53 | 出会い

ブックマークしているサイトに、パリジャンが創っている L'homme qui marche (歩く人) というのがある。一瞬、ロダンに関係があるのかと思ったが、自己紹介を読んでいて、谷口ジローの漫画に捧げたのだということを知った (Le titre "L'homme qui marche" est un hommage au manga de Jiro Taniguchi.)。漫画は子供時代の「サザエさん」以来目にしていなかったので、早速ネットで調べたところ (「ジロー」に行き着くまでに少々時間がかったが)、彼の世界が何となくよさそうなので、「遥かな町へ」、「父の暦」、「凍土の旅人」、「孤独のグルメ」 を仕入れた。

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「遥かな町へ」を読んでみた。何とも切ない、懐かしい思いを呼び起こしてくれる。時間、空間による絶対的な制約を越えて数日(現実では。過去においては、中学生の一時期を)生きた主人公、夢か現実かわからない、おそらく、すべて頭の中で起こったことだろう、これらすべてが真実 la vérité であると言っているようでもある。最後はカタルシスで終わるこのお話に、完全に引き込まれてしまった。著者は団塊世代。人生をある程度歩み、振り返る余裕ができた年代でなければ書けなかったであろう珠玉の作品に出会うことができた。

このお話は、Paul Auster の小説でも取り上げられていたテーマにも通じるものがあるようだ (15 avril 2005)。今いるところが現実なのか、現在なのか過去なのか、時間を越えて飛び回る想像、どこかに紛れ込む感覚。時間とともに人は老いてゆくが、われわれの中にある子供は変わらずにそこにある。

また、「ここではないどこか」、「自分の心の奥にある本当の欲求を満たすために」というテーマも出てくる。こちらがメインか。父がなぜ失踪したか、という疑問を心のどこかに引きずって暮らしていた中年の主人公が、過去に戻って生き直すことでそれを知ろうとする。そして本当の理由を父から聞かされる。自分を取り巻く状況のために心の奥底に潜む欲求を抑えて暮らしていた父が、ついにそれを抑えきれなくなり、すべてを捨てて旅に出た、ということを。子供の時には理解できなかったであろうその答えを、現実に戻った主人公は自分に重ねて納得しようとしているようでもある。似たようなテーマを先日 (13 mai 2005) も触れていた。このように事が繋がってくるのは不思議な感じがする。

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続けて 「父の暦」 も一気に読んでしまう。脱故郷、父親との緊張関係(確執)、守られて、幸福だった子供の頃の思い出。父親の葬式で知る故郷のやさしさや父親の知らなかった素顔に触れる。そして今はいない父親を近くに感じ、主人公の中でわだかまりが消えていく。現在と過去が交錯して語られるこの物語を読みながら、自らの経験が頭を駆け巡る。身につまされる。

谷口の漫画は、ある程度人生を歩んだ人であれば、どこかに共感させられるところがあるように思う。お勧めしたい。

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