フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

11月の記事

2006-11-30 17:56:53 | Weblog
2006-11-30 オルセー美術館展 DES OEUVRES DU MUSEE D'ORSAY
2006-11-29 北浪良佳イン神戸 CONCERT DE YOSHIKA KITANAMI À KOBE
2006-11-28 大竹伸朗という芸術家 SHINRÔ ÔTAKE
2006-11-27 ベルギー王立美術館展 DES BEAUX-ARTS DE BELGIQUE
2006-11-26 ある週末 UN WEEK-END
2006-11-25 小室等、中原中也を歌う HITOSHI KOMURO CHANTE CHÛYA NAKAHARA
2006-11-24 吉田拓郎が美空ひばり? YOSHIDA TAKURÔ ET MISORA HIBARI
2006-11-23 アンリ・ルソー展 HENRI ROUSSEAU ET LES ARTISTES JAPONAIS
2006-11-22 カナダからの友人 MES AMIS DE MONTRÉAL
2006-11-21 P協会のW氏のこと - 科学哲学 ÉPISTÉMOLOGIE
2006-11-20 浦上玉堂という人 URAGAMI GYOKUDÔ
2006-11-19 仏検を終わって APRÈS LE DERNIER FUTSUKEN
2006-11-18 イヴ・ボヌフォワ 「ヨーロッパ精神と俳句」 YVES BONNEFOY SUR LE HAÏKU
2006-11-17 ボージョレ・ヌーボ解禁 LE DÉBLOCAGE DU BEAUJOLAIS NOUVEAU
2006-11-16 「私は虫である」 JE SUIS UN INSECTE
2006-11-15 山口を振り返って EN ME SOUVENANT DE YAMAGUCHI
2006-11-14 記念館にて中也を想う PENSER À NAKAHARA CHÛYA AU MUSÉE MÉMORIAL
2006-11-13 雪舟 山水図 絶筆 LE DERNIER TABLEAU DE SESSHÛ
2006-11-12 雪舟展にて À L'EXPOSITION DE SESSHÛ
2006-11-11 雪舟展に向かう ALLER À L'EXPOSITION "VOYAGE À SESSHÛ"
2006-11-10 人類の遺産 ? L'HÉRITAGE DE L'HUMANITÉ ?
2006-11-09 ポール・クローデルの人生 PAUL CLAUDEL SELON SEEGAN MABESOONE
2006-11-08 昼の月 LA LUNE DE JOUR 
2006-11-07 小泉淳作という画家 QUI EST DONC JUNSAKU KOIZUMI ?
2006-11-06 小川洋子 「ブラフマンの埋葬」 YÔKO OGAWA "L'ENTERREMENT DE BRAFFMAN"
2006-11-05 駄句数句 MES QUELQUES HAÏKU
2006-11-04 マブソン青眼 - 風韻 SEEGAN MABESOONE "FÛ-IN"
2006-11-03 マブソン青眼 「一茶とワイン」 "UN VERRE DE VIN AVEC ISSA "
2006-11-02 テレビでトルコ語 LE TURC À LA TÉLÉ
2006-11-01 良寛の漢詩 POÈMES CHINOIS DE RYÔKAN

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オルセー美術館展 A L'EXPOSITION DU MUSEE D'ORSAY

2006-11-30 00:38:53 | 展覧会

北浪良佳さんのコンサートまでの時間、三ノ宮駅から街ゆく人を見ながら、ぶらぶらと神戸市立博物館へ向かう。
オルセー美術館展を覗くために。

中では食事ができないようなので、博物館裏にあった趣のあるレストランで腹ごしらえをしてから館内へ。
絵のタイトルを見ていると、フランス語の新しい言葉が入ってきて楽しめる。例えば、

ほたる   La luciole
月の光   Le clair de lune
妄 想   La hantise
外 港   L'avant-port
満 潮   La marée haute (干潮 La marée basse)
堤 防   La berge
日 傘   L'ombrelle (Bretonnes aux ombrelles)
船着場   Le bassin (d'Argenteuil)
温室の中で Dans la serre
揺り篭   Le berceau
セーラー襟 Le col marin (Portrait d'Ari Redon au col marin)

col marin という言葉を目にした時、この9月にパリでM/Lご夫妻と夕食をご一緒させていただいたが、私を見た途端に奥様のLは 「その col mao、いいですね」 と言って、私のシャツを指したのを思い出していた。毛沢東が着ていた服にあやかっての名前らしい (英語では mao collar)。

絵の方は、肖像画、人物画がよかった。またマラルメの言葉も印象的であった。


                     "Fuir ! Là-bas, fuir !"
                      Stéphane Mallarmé
                   (遠い彼方へ 逃れよう 彼方へ)

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北浪良佳イン神戸 CONCERT DE YOSHIKA KITANAMI A KOBE

2006-11-29 21:03:48 | MUSIQUE、JAZZ

先月、北浪さんの歌を聞かせていただき、その記事を書いた。そこに "fund money じゃん"様からコメントが残されていた。神戸での縹 (はなだ) 賞受賞記念コンサートにお越しくださいというもの。その中にあった 「・・・神戸空港もできましたので・・」 というところに反応。とんぼ返りを決めてしまった。

コンサートは 「JAZZと武満徹の歌と北浪良佳」 と題されていた。初めての神戸空港から三宮に出るのは確かに便利だ。会場は兵庫県立美術館のミュージアムホール。

ジャズのスタンダードで始まる。しかし、彼女の場合は日本語の歌が圧倒的によいのだ。ジャズも日本語で歌ったらどうかと思うくらいに。

「街の人」 の詩は、彼女が新宿の人の波を見ている時にできたという。以前にも聴いたことがある。

当日歌われた武満の曲は以下の通り。

「小さな空」 (Small Sky, 1962年)
「さようなら」 (Sayonara, 1954年)
「◯と△の歌」 (A Song of ◯'s (Circles) and △'s (Triangles), 1961年)
「めぐりあい」 (The Encounter, 1968年)
「恋のかくれんぼ」 (The Game of Love, 1961年)
「燃える秋」 (Glowing Autumn, 1978年)
「見えないこども」 (Unseen Child, 1982年)
「雪」 (La Neige, 1963年)

この中の 「雪」 という曲。前回失礼にも 「今の歌は何語ですか」 と思わず聞いてしまった。今回もその印象は拭えなかった。フランス風の音が聞こえてくると、もっと魅力的になると思うのだが、、。いっそフランス人に発音をみてもらった方がよいのでは、と余計なことまで考えていた。

暖かい雰囲気の中でコンサートが終わる。会場を出ると、外は雨。タクシーがすぐにつかまると思い傘を置いてきてしまった。つかまるまでの30分ほど、コンサートの残り香を味わいながら冷たい雨に打たれていたが、傘を差し出してくれる年配のファンもいて心温まる滞在となった。

----------------------------------
(1 décembre 2006)
本日、北浪さんの歌を再び聞く機会に恵まれた。会場によって全く違った印象を受けるが、私にはライブハウスの方が魅力的に感じる。今回は初めての曲ばかりで存分に楽しむことができた。例外として「雪」があったので、終わってから楽譜を見せていただいた。そうすると、私の耳の方が間違っていたことが判明。彼女にその旨お伝えしておいた。お話してみると若い時に (今でもお若いが) フランスに滞在されたこともあるようで、フランス語は私の先輩に当たる。今回のことで改めて、特に聞き取りがなっていないということを実感する結果になった。

コメント (4)
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大竹伸朗という芸術家 SHINRO OHTAKE

2006-11-28 21:04:50 | Qui suis-je

先週の新日曜美術館で興味深い人が紹介されていた。

   大竹伸朗 (1955-)

基本的な姿勢が paul-ailleurs と余りにも共通点が多いのに驚きながら見る。以下、殴り書きのメモからランダムに。

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目的のないものが面白い。
  (昔から何かのためにやると言った途端に、やる気が失せるようなところがある。どこか訳も分からないところに辿り着きたいとでも思っているかのようだ。)

役に立つものは面白くない。

偶然を生かすのが好き。

日常のすべてを記録に留める。
  (彼は身の回りで見つけたものを拾ってはスクラップブックに貼り付け、自分なりに手を加えている。それ自体が作品になっているのだが、彼は自分の存在を確かめるためにやっているような印象がある。まともに買ったものよりは、その辺にある何気ないもの、注意していないと見逃してしまうようなものの方が味があるという感じ方。)

描くということは、対象を観察してそれを分かろうとする作業。
  (書くと置き換えても、観ると置き換えても、対象を理解しようとする方向に向かうようだ。あくまでも向かうだが。)

どこかオリジナルなところに行き着いたというのではなく、いつも何かが進行していないとつまらない。何かが化学反応で起こるかもしれないということが楽しい。

主張がはっきり分かるような作品は、いや。

ヒトには五感ではなく、万感があるのではないか。
  (本当は万感どころではないのだろう。書くとか観るという作業を意識的にやるだけでもその途方も無さがぼんやりと周りに広がる。)

-------------------------

抽象絵画という範疇に入る作品の中でも絵の具を撒き散らしたようなものは、以前は全く受け付けなかった。今回、全くの偶然の中で作業を進め、その中に自らの求めるもの、美に辿り着いたと感じた時にその作業を止めるという彼の制作過程を見ながら、この手の作品の美しさに対する目が少し開かれてきているのがはっきりと意識できた。

大竹伸朗 「全景」 1955-2006 (東京都現代美術館)

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ベルギー王立美術館展 DES BEAUX-ARTS DE BELGIQUE

2006-11-27 23:02:07 | 展覧会

フランス人の哲学の先生がベルギー王立美術館展で説明をしてくれるとのことで、上野まで出かける。少し早く着いたので文化会館の中に入り、本屋の辺りをうろうろしているとドナルド・キーン Donald Keene さんが通りかかる。見間違いでなければ、日本人の中でも小柄と言ってよいような方であった。

今回は、大きい景色の中に描かれている人や動物をじっくり見ている時、今までに感じたことのないほどの喜びが襲ってきていた。それは何時間見ていても飽きないほどのもので、そこに描かれている時と場所に完全に入り込んでいた。このような経験は図版集では絶対に得られないもので、実物に触れるしかない。例えば、

デニス・ファン・アルスロート (1568-1625)
「マリモンの城と庭園」 (1620年)
Denijs van Alsloot
"Vue à vol d'oiseau du château et du parc de Mariemont"
この中で動いている人々をすべて見ているうちに17世紀に生きているような気分になる。

ヤーコブ・ファン・スワーネンブルフ (1571-1638)
「地獄のアイネイアス」
Jacob Isaacsz van Swanenburg
"Enée aux enfers"
これも登場人物をすべて見ようとするが、成らず。

ペーテル・スネイエルス (1592-1667)
「イザベラ王女のラーケン巡礼」 (1623年)
Peter Snayers
"Le pèlerinage de l'infante Isabelle à Laeken en 1623"

ジャック・ダルトワ (1613-1686)
「冬景色」
Jacques d'Arthois
"Paysages d'hiver"

ヴィルヘルム・シューベルト・フォン・エーレンベルク (1630-1676)
「アントウェルペンのシント・カルロス・ボロメウス教会内部」 (1667年)
Wilhelm Schubert von Ehrenberg
"Intérieur de l'église Saint-Charles Borromée à Anvers"

ヤン・ブリューゲル (1568-1625)
「アブラハムとイサクのいる森林風景」 (1599年)
Jan Bruegel
"Bois avec Abraham et Isaac"
この中に描かれている動物を探すことだけでも大いなる楽しみであった。


予定が詰まっていたのですべてを堪能するところまではいかなかったが、これからの新しい楽しみが現れてくれたのは大きな収穫であった。この日、残念ながら先生のお話を聞くことはできなかった。

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(décembre 5 2006)
後日、先生に大きな絵の中に入り込んでしまったこの日の経験をお話したところ、"Vous êtes transporté !" という反応が返ってきた。transporter とは何かを運ぶということだが、想像上でもどこかに運ぶ、どこかに行った気にさせる、という意味があるようだ。さらに進むと、「ある激しい感情のために我を忘れる、興奮する」 となることを知る。このように適切な言葉に出会うと本当にすっきりする。

辞書の例文から。
Le rêve nous transporte dans une autre planête.
Cette nouvelle m'a transporté de joie.

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ある週末 UN WEEK-END

2006-11-26 00:12:57 | 俳句、詩

               冬を前にした ある晴れた週末の朝
                   静かに葉巻を燻らす
               ゆるやかに流れる時を 味わいながら
                  去来するものを 観つめる


先日 アフリカの中で住んでみたい国はありますか と問われる
  咄嗟に マグレバン と答えていた
    それはなぜですか とさらに問いかけてくる
      なぜか分からないけれど 惹きつけられるのです

  小鳥のさえずりの中 その問が もう一度聞こえてきた
    ひょっとすると こんな願いがあるのだろうか
      歴史の過去に舞い戻って その中に身を置いてみたい 
        そこにある時の流れを 感じ取ってみたい

       
先日 Unknown 様から 素晴らしい句をいただいた
    いつかフランス語で と思っていた
      ことが 蘇ってきた
      
         青にとけ 空に散りゆく 昼の月  Unknown

           dissoute dans le bleu
             se dispersant dans le ciel
               la lune de jour

            (Unknown; traduit par paul-ailleurs)  

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小室等、中原中也を歌う HITOSHI KOMURO CHANTE CHUYA NAKAHARA

2006-11-25 10:11:36 | 俳句、詩

  先日、中原中也記念館で彼の詩に歌をつけている人がいることを知った
  その一人が小室等
  「宿酔」 と 「曇天」 を歌っている
  それが心に滲みる


        宿 酔

     朝、鈍い日が照つてて
       風がある。
     千の天使が
       バスケットボールする。

     私は目をつむる、
       かなしい酔ひだ。
     もう不用になつたストーヴが
       白つぽく銹びてゐる。

     朝、鈍い日が照つてて
       風がある。
     千の天使が
       バスケットボールする。


             曇 天

          ある朝 僕は 空の 中に、
         い 旗が はためくを 見た。
          はたはた それは はためいて ゐたが、
         音は きこえぬ 高きが ゆゑに。

          手繰り 下ろさうと 僕は したが、
         綱も なければ それも 叶はず、
          旗は はたはた はためく ばかり、
         空の奧處 (おくが) に 舞ひ入る 如く。

          かゝる 朝 (あした) を 少年の 日も、
         屢々 見たりと 僕は 憶ふ。
          かの時は そを 野原の 上に、
         今はた 都會の 甍の 上に。

          かの時 この時 時は 隔つれ、
         此處と 彼處と 所は 異れ、
          はたはた はたはた み空に ひとり、
         いまも 渝 (かは) らぬ かの 旗よ。


  小室の歌をこの際まとめて聞いてみることにした
  やはり秋なのか

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吉田拓郎が美空ひばり? YOSHIDA TAKURO ET MISORA HIBARI

2006-11-24 20:57:49 | MUSIQUE、JAZZ

先日、死について語る寺山修司を読みながら養老孟司を思い出していた。つい最近、吉田拓郎とかぐや姫の嬬恋コンサートのドキュメンタリーがテレビで流れていた。拓郎の歌を意識して聞いたのは初めてである。そしてコンサートの最後、頭を深々と下げ挨拶をしている時の吉田拓郎の顔を見ながら、美空ひばり、あるいは美空ひばりの母親と余りにも似ているのに驚いていた。

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アンリ・ルソー展 HENRI ROUSSEAU ET LES ARTISTES JAPONAIS

2006-11-23 22:27:06 | 展覧会

昨日の疲れが少し残っていたが、アンリ・ルソー展に世田谷美術館まで出かける。

開館20周年記念 「ルソーの見た夢、ルソーに見る夢」 
アンリ・ルソーと素朴派、ルソーに魅せられた日本人美術家

用賀の駅からの道すがらが楽しい美術館である。美術館は砧公園にある。その林を歩いている時、写真を撮ろうとしたその瞬間、これまでに見た誰かの絵の世界と全く重なってしまった。これはあの絵の中だ!と叫んでしまった。ほんの一瞬の出来事であった。

この美術館にはゲント美術館名品展で一度来たことがある。館内に入ってまず人の多さに驚く。休日ということもあるのかもしれないが、ルソーがこれほどの人気画家だとは知らなかった。肝心のルソーの作品が人の波でほとんど見ることができない。集中力を完全に失ってしまった。お陰さまで後半に展示されていた多くの日本人画家と初めて対面するという皮肉な展覧会となった。その中では、松本竣介 (例えば、「Y市の橋」、「並木道」、「議事堂のある風景」)、俣野第四郎が印象に残った。印象といえば、堂本印象という人の 「坂 (京都)」 という作品は、登場人物を詳しく見ていくと結構楽しめる。他の作品も見たくなる画家である。 
 
京都府立堂本印象美術館

またいくつかの再会もあった。その中には、清水登之、有元利夫、植田正治、それから 「雪の発電所」 以来の岡鹿之助などがいる。岡の作品をこれだけまとめて見たのは初めてである。例えば、「信号台」、「ブルターニュ」、「古港」、「窓」、「入江」 など。好きな画家の一人になりそうだ。

素朴派の画家として、アンドレ・ボーシャン、カミーユ・ボンボワ、セラフィーヌ・ルイ、ルイ・ヴィヴァンの4人が紹介されていた。特に、カミーユ・ボンボワ Camille Bombois (1883-1970) の作品が面白かった。例えば、「池の中の帽子」、「三人の盗人たち」、「森の中の休憩」、「活気のある風景」、「池のほとりの女性たち」 など。

帰りに、岡谷公二著 「アンリ・ルソー 楽園の謎」 を手にしていた。

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カナダからの友人 MES AMIS DE MONTREAL

2006-11-22 23:52:30 | 出会い

モントリオールから10年来の友人MT氏と5-6年前に一緒に仕事をしたことがあるNUさんが立ち寄ってくれた。台湾での会議に向かう途中とのこと。彼らの仕事の話をしてもらった。Mは熱烈なフランス系でそれを隠さない。エネルギッシュで人生に常に前向きに立ち向かうその姿にはいつも感動する。人生の一瞬一瞬に全力をつぎ込むという感じである。それとちょっとしたところから彼の心の優しさが垣間見え、嫌いになれない人である。今、脂が乗り切っている40代後半。最近Uさんと一緒になったという。夜はI氏も加わって、お祝いのソワレになった。久しぶりにフランス語を使う。お酒が入ると間違いが全く気にならないので哲学的な話もしていた。最初はやや別世界の人を見るような感じであったが、しっかりと聞いてくれていたようである。子供の心をいっぱいに持っているM。Uさんの父親に挨拶に行く前夜でやや緊張気味ではあったが、その幸せいっぱいの様子が素直に発散されていて、われわれにもそれが感染していた。

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P協会のW氏のこと - 科学哲学 EPISTEMOLOGIE

2006-11-21 20:05:34 | 科学、宗教+

先日、P協会の会長をされているWさんが訪ねて来られた。本題が終わった後の雑談で、フランスとの関わりが長いWさんから興味深いお話を聞くことができた。最近、お仕事の関係でフランスに行き、Paris、Dole、Arbois、P研が持つシャトー、葡萄園などを訪れて帰ってこられたとのこと。感激の出会いが幾つもあったようで、是非機会があれば、とその訪問を薦めていただいた。

その中で、フランスと日本の科学の話が出て、芸術を愛し、哲学者とも交わる文人科学者と言ってもよいPCさんが話題になった。結局のところ科学も神や哲学の領域を無視しては先がないというような話をPCさんがしているということを聞いた時、なぜか非常に元気が出てくるのを感じた。そういう問題をこれから考えていきたいとでも思っていたのだろうか。そこへ足を踏み入れる勇気を与えられたと言ってもよいのかもしれない。日本ではそういう話はほとんど聞かない。技術に追われてそこまでの余裕がないのかもしれない。

Wさんは今の仕事を無給でやられている。青年の気概をいまだ失わないそのボランティア精神には、いつもながら感心させられる。Wさんが自分のことを 「私のような 『おっちょこちょい』 がこの協会の為には必要なんですね」、あるいは 「だからこんな仕事を始めたんでしょう」 というようなことを言っておられた。

フランスの視座から科学と哲学という問題を扱おうなどとずぶの素人が考えることこそ、真性の 『おっちょこちょい』 かもしれない。ただ、私がそのようなことに興味が湧いているという話をWさんにすると、それは面白そうだ、科学の外の人間にはそういうことは理解できそうだ、というような反応が返ってきた。いつになるかわからないが、遠い夢として温めておきたい。

パスツールの言葉が思い出される。

   "Un peu de science éloigne de Dieu,
       mais beaucoup y ramène."
   
        (Louis Pasteur)

「科学を少しやっただけでは神から遠ざかることになるが、科学を極めると神を意識せざるを得なくなる」 という意味に理解しているが、、

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浦上玉堂という人 URAGAMI GYOKUDO

2006-11-20 23:01:43 | 日本の画家

昨日の新日曜美術館で素晴らしい人が紹介されていた。

浦上玉堂 (1745年 - 1820年10月10日)

一言でまとめると、武士から文人へ、役人から芸術家へ、50歳という人生の半ばでギア・チェンジした人、あるいはすることができた人ということになるだろう。

若い頃から芸術 (書画、琴、詩) に打ち込み、35歳の時には明からの名琴 「玉堂清韻」 から玉堂の名前を取る。自ら琴を演奏するだけではなく、琴を製作したらしい。そのせいか、仕事もままならず、50歳の時に脱藩・出奔する。当時岡山だけでも2,000人ほどが出奔しており、彼もお咎めなし。二人の子供を連れ、琴・絵を友として、それまでに築き上げていた人的ネットワークを頼りに諸国を渡り歩き、晩年は息子を頼って京都に落ち着いたという。

その間の彼の姿勢には見習いたいものが多い。とにかく、気ままに描く、人に見せるためではなく、自分の喜びのためにだけ描く。自由に伸びやかに。生涯に300点ほどの絵をものしている。彼は中国の文人にその理想の生き方を見ていたようで、深山幽谷に庵を結び、心静かに生きること。また、万巻の書を読み、千里の道を辿るという生き方。

玉堂の生き方には深く共鳴するものを感じる。一つの行き先を指し示しているようにさえ思える。

彼の絵には、小ざかしさがなく、ほがらで、おおらかで、素朴な絵心が表れているという。彼の絵はまだ千葉市美術館で見ることができる。是非彼の作品に直に触れておきたいと思っている。

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仏検を終わって APRES LE DERNIER FUTSUKEN

2006-11-19 21:55:34 | フランス語学習

今回は、全く準備なしの受験となってしまった。その気にならなかったことが大きな理由だ。雨の中青山学院まで出かけたが、今までのような高揚感は全く感じなかった。内容はこれまでも書いているようなもので、DALFのように一つのテーマについてじっくり考えさせるということがないため、精神が開くという喜びは得えられない。頭の一部を使う小手先の作業に終わってしまう。さらにあのような頭の使われ方がフランス語を使う生活でされるのだろうか。問題になった文章も答えを出すための材料に過ぎないので、ほとんど頭に残らないという構造になっている。今回は流石に途中で気がそれてしまった。さらに、書き取りという作業があるが、耳が遠くなっていることと反射神経が鈍ってきているということを意識させてくれた点以外は余り得るところはなかった。というわけで、フランス語の試験は今年が本当に最後になるだろう。

帰りの道すがら、久しぶりに鬼束ちひろの 「the ultimate collection」 を聞いてみた。以前に一度聞いた時にはしっくり来なかったのだが、今日は冬に向けての寒い雨の夜、その透明な歌声が意外にすんなり入ってきた。

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イヴ・ボヌフォワ 「ヨーロッパ精神と俳句」 YVES BONNEFOY SUR LE HAIKU

2006-11-18 09:16:18 | 俳句、詩

このブログへアクセスのあったキーワードを頼りにネットを歩き回っている時、イヴ・ボヌフォワさんが2000年、正岡子規国際俳句大賞受賞の際に行った記念講演が目に飛び込んできた。演題は、以下のようになっている。

「俳句と短詩型とフランスの詩人たち」
"Le haïku, le forme brève, et les poètes français"

Yves Bonnefoy (Tours, 24 juin 1923 -)

そこでは、フランスにおける俳句の受け止められ方や東洋と西洋のものの見方の違いなどが鋭く語られている。俳句はフランスでも関心を寄せる人が多く、大体50年ほど前からその傾向が顕著になってきたという。それは彼らの世界観を見直すことにもつながっているようだ。

フランス語における分析的な語法に対して、日本語は具体的な概念や情報から意味を紡ぎだすというやり方の隔たりがある。また日本語にある表意文字には物の面影が残っていることがある。それをひと目で見ることができる。しかしフランス語に訳されたものでそれが伝わるだろうか、と自問している。

「なぜなら、アルファべット表記が極度に恣意的、抽象的な性質を持つため、われわれの言葉は、その指し示す事物の具体面から切り離されているからです。われわれの文字は、世界との直接的な関係を棄てました。だからこそ、物質の科学については無類の強みを発揮するのですが、だからこそ、詩を書くことが難しくなるのです。」

文字の中に見られる囲まれた空間 (例えば、「間」 には6ヶ所) があり、そこに 「無」 の体験を見ている。それがうらやましいという。なぜなら、「『無』 と 『無』 の体験こそ、あらゆる詩的思考の最大の関心事」 だから。

さらに、短詩型の特徴を次のように語っている。

「詩的経験そのもの、詩以外の何者でもないような独特の経験に向かって、身も心も開くという能力を増大させることです。(・・・)短詩型の言葉は、出来事や物事に対するある種の姿勢に縛られないですむということです。」

物語の場合には、人生の出来事や物事を認識する際に、分析的な思考、一般化へ向かう思考という回り道をしなければならないが、詩の場合はその必要がない。

「だから、他のどのような詩形よりもずっと自然に、ある生きて体験された瞬間と、ぴったり一体化することができるのです。・・(・・・)・・抽象的、概念的な思考に縛られていないだけに、なおさらよく耳に聞こえるのです。そのようにして、長たらしい弁舌の陰で見失われていた魂の故郷 ― あの合一感、あの一(いつ)なる感情に、われわれは帰り着くのです。」

その体験こそが、詩であるが、西洋ではそのことは忘れがちになると言っている。

「というのは、われわれの宗教的伝統 ― 世界を超越する人格神の伝統のために、絶対なるものと、あるがままの現実とが切り離されているからです。」

「ヨーロッパでは長い間、現実は単なる神の創造物であって、それ自体に神が宿るものではないと感じられてきたからです。ヨーロッパ人の精神は、風の音に耳を傾けたり、木の葉の落ちるのを眺めたりするよりも、神学的な、あるいは哲学的な思考をめぐらすことの方に、ずっと忙しかったのです。だからわれわれの詩は、そこである思考をきちんと展開するために、十分な長さを必要とします。比較的短いように見える詩、たとえばソネット (十四行の定型詩) の場合でも、その事情は変わりません。」

「キリスト教的な世界観の一種の衰退とともに、神秘的な生命に満ちた自然という観念が、詩人たちを促して、自然から得たさまざまな印象を重んじさせるようになりました。そして詩の論説的な面よりも、本来の詩的経験そのものがきわ立つことになった結果、短詩型の価値や可能性がよりよく理解されたばかりでなく、これこそが求めるものの核心かもしれないというわけで、意識的に短詩型が用いられることにさえなったのです。」

ただヨーロッパ人がキリスト教の伝統を忘れ去ることはないだろうから、二つの伝統の板挟みになりながら進むだろうという。

「フランスの詩人が、仏教に強く染まった日本の詩から学ぶ教訓 ― 個性を没し自我を去れという教訓が、どれほど当然かつ明々白々であろうとも、一個の人格としての彼の自意識は、けっして弱まることがないでしょう。個人そのものが現実であり絶対的な価値を持つというキリスト教の教えを、西洋人が忘れ去るのは容易なことではありません。フランスにおける詩的感性は、いつまでも詩人の自己省察に縛りをかけられたままであり、したがって、その偉大な詩はいつまでも、ある両面性の板ばさみになり続けることでしょう。その両面性の一方には、個人の運命への強い関心があり、他方には、そうした運命がもはや意味をなさないような自然界・宇宙界の深みに没入したいという欲求があるのです。 」

    (ボヌフォワさんの言葉は、川本皓嗣訳による)

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(version française)

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ボージョレ・ヌーボ解禁 LE DEBLOCAGE DU BEAUJOLAIS NOUVEAU

2006-11-17 21:16:33 | 出会い

ブルゴーニュのボジョレー地区で収穫された葡萄からの新酒は、11月の第3木曜日に解禁される。日頃から世の盛り上がりとは無縁で生きているのだが、昨日はフランス人御夫妻からお声がかかり、神楽坂のフレンチレストランまで出かけた。日本の方も二人同席されていた。一人はお仕事仲間で、もう一方はお寿司屋さんで隣り合わせた仲とのこと。そのお話を聞いた時、偶然の出会いを楽しんでいる姿勢は私と通じるものがありそうだと思っていた。私にはわかりにくかったが、お店の方によるとバナナ banane の香りがするというそのワインは飲みやすく、久しぶりにリラックスした一夜となった。

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