フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

12月の記事

2005-12-31 00:00:26 | Weblog
2005-12-30 太陽のもと新しきもの・・・ RIEN DE NOUVEAU SOUS LE SOLEIL ?
2005-12-29 年の瀬の音楽 LA MUSIQUE QUE J'ECOUTE A LA FIN D'ANNEE
2005-12-28 マルティン・シュタットフェルト GOLDBERG-VARIATIONEN
2005-12-27 今年を振り返って EN REFLECHISSANT A CETTE ANNEE
2005-12-26 年の瀬の散策 「国家の品格」 LA BASE DE L'ETAT
2005-12-25 ひとつの終わり LA FIN DE QQCH
2005-12-24 再びPB氏と DEJEUNER AVEC M. PB
2005-12-22 スピノザを外から COMMENCER A REGARDER LE SPINOZA DE LOIN
2005-12-21 パリ数理(純粋)科学愛好協会?? SOCIETE PHILOMATHIQUE DE PARIS
2005-12-20 歩く人とダイアナ・クロール L'HOMME QUI MARCHE ET DIANA KRALL
2005-12-19 DALF-C1の結果 RESULTAT DE L'EXAMEN DALF-C1
2005-12-18 フランス人とのソワレ UNE AUTRE SOIREE AVEC UN FRANCAIS
2005-12-17 科学あるいは事の進め方 COMMENT PROCEDER A LA SCIENCE
2005-12-16 横浜での3日間 QUELQUE TRANSFORMATION A YOKOHAMA
2005-12-15 仏検の結果 RESULTAT DE FUTSUKEN
2005-12-13 出会いの不思議 UNE HEUREUSE RENCONTRE
2005-12-12 久しぶりのジャズ SOIREE AVEC BOSSA NOVA
2005-12-11 五十、六十鼻垂れ小僧 - 「独特老人」 NE COMMENCE PAS ENCORE
2005-12-10 朝、林の中を LA PROMENADE MATINALE DANS LA FORET
2005-12-09 翻訳者鴎外 OHGAI MORI - TRADUCTEUR CULTUREL
2005-12-08 オーディション審査員として COMME UN JURY D'UNE AUDITION
2005-12-07 夜、空を見て MARCHER DANS LA NUIT EN REGARDANT LE CIEL
2005-12-06 神楽坂で焼き鳥 YAKITORI A KAGURAZAKA
2005-12-05 ショーペンハウアーと現代 SCHOPENHAUER ET AUJOURD'HUI
2005-12-04 ショーペンハウアーとは(II) SCHOPENHAUER LE PESSIMISTE (II)
2005-12-03 ショーペンハウアーとは(I) SCHOPENHAUER LE PESSIMISTE (I)
2005-12-02 トマス・ヤング THOMAS YOUNG - POLYMATH (ESPRIT UNIVERSEL)
2005-12-01 三浦カズを見て LE SECRET DE KAZU MIURA

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太陽のもと新しきもの・・・ RIEN DE NOUVEAU SOUS LE SOLEIL ?

2005-12-30 08:50:10 | Schopenhauer

ショペンハウアーの 『パレルガとパラリポメナ』 (『付録と補遺』) の抜粋 「知性について」 という小編をパラパラとめくっていて気づいたことがある。今の人の発見であるかのように思っていたものが、実は昔から考えられていたのか、という感慨である。感慨自体はありふれているが、個々のものに自分で気づくということには、仄かな喜びがある。

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以前に触れたことのある 「哲学者 vs 哲学研究者」 の問題 (12) にしても、ショーペンハウアーの時代から哲学者は少なく、彼の絶賛の対象であり、後者は厳しく批判されている。おそらく古代からある問題なのだろう。


先日アインシュタインの言葉を紹介した中で、ルイ・パスツールの 「少しだけ科学をやっただけでは神から遠ざかる、しかし打ち込むと神に近づく」 という言葉を書いた。ショーペンハウアーの本の中に 「わずかの哲学は人を神からひき離すが、すすんだ哲学は神へ連れもどす」 というのが出てくる。


考えることはものごとを関連づけることとして丸谷才一が 「考えるヒント」 の中で語っていた 「見立て」。これに関連したことも、「知性について」 では扱われている。

精妙な判断力をもつ頭脳の二つの長所として、第一に経験した中から重要な意義深いものを記憶に定着させ、いつでも引き出すことができること、第二に 「関連づけ」 をあげ、次のように続く。

「問題の要点とか、それと類比的な事柄とか、その他何かそれと縁のある事柄を、なかなか他人の気づきにくいことでも、好機に思いつくこと。・・・一見きわめて離れ離れな物事においても、同一のもの、従って互いに連関するものを、ただちに見分けられる、ということ」

第一の点については、ブログが非常に有効であることを今年発見


「政治家は嘘をつく存在」 という鶴見俊輔の発言 (28 mai 2005) は面白いと思ったが、その後ジョージ・オーウェルを読んでみて、その響きがあることを感じた。これもそれ以前から言われていることなのかもしれない。

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誰もが古典を読むわけではない。むしろ極めて少ないと思われる。先日の話ではないが、クラシックの演奏家のように、昔の人の考えを今に蘇らせてくれる人が必要なのだろう。それは 「太陽のもと新しきものなし」 ということでもあり、昔の人の声を直接聞くことの重要性を改めて感じた年の瀬となった。

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年の瀬の音楽 LA MUSIQUE QUE J'ECOUTE A LA FIN D'ANNEE

2005-12-29 22:55:57 | MUSIQUE、JAZZ

年末になると聞きたくなる音楽がある。広大な無限とも思える空間を見晴らすような音楽。その中を飛んでいるような気持ちにさせてくれる音楽。どこまでも透明感を感じる音楽。この時期、そんな音楽に惹かれるようだ。

去年は、サラ・ブライトマン Sarah Brightman の Classics

1. Ave Maria (Franz Schubert)
2. La Wally (Alfredo Catalani)
3. Winter Light
4. Adagio (Remo Giazotto; not by Albinoni)
5. Alhambra (Francisco Tarrega)
6. Rinaldo (George Frideric Handel)
7. Etude for piano in E major, Op. 10/3, CT 16 (Fryderyk Chopin)
8. Serenade : How fair this spot (Sergey Rachmaninov)
9. Gianni Schicchi (Giacomo Puccini)
10. Rusalka : La Luna (Antonin Dvorak)
11. Pie Jesu (Andrew Lloyd Webber)
12. Symphony No. 7 : Figlio Perduto (Ludwig van Beethoven)
13. Turandot, opera Nessun Dorma (Giacomo Puccini)
14. Time to Say Goodbye (Francesco Sartori)

そして今年はエンヤ Enya の Amarantine であった。

1. Less Than A Pearl
2. Amarantine
3. It's In The Rain
4. If I Could Be Where You Are
5. The River Sings
6. Long Long Journey
7. Sumiregusa
8. Somebody Said Goodbye
9. A Moment Lost
10. Drifting
11. Amid The Falling Snow
12. Water Shows The Hidden Heart

いずれもその時に売れている CD になる。店で流れているものを衝動買いするからだ。来年は誰のものを聞いているのだろうか。

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マルティン・シュタットフェルト GOLDBERG-VARIATIONEN

2005-12-28 18:35:30 | MUSIQUE、JAZZ

先日、仕事場の N 氏に頼まれたダイアナ・クロールの Christmas Songs のお返しにドイツの若手によるゴールドベルグ変奏曲の CD をプレゼントされた。この曲はグレン・グールドの2つのバージョンを始め、レコードや CD で多くの人の演奏で聞いている。何度聞いても飽きが来ない。神の手による作品と言ってもよく、ショーペンハウアーではないが、この世がなくなっても残るものだろう。

マルティン・シュタットフェルト Martin Stadtfeld GOLDBERG-VARIATIONEN

普段グレン・グールドを聞いているためか、この演奏には力みや哲学臭?はほとんど感じず、軽やかで新鮮である。同時代の空気を吸っているかどうかで、演奏は目に見えない変化をしていて、それを聞き手が敏感に感じ取るのだろう。グールドは素晴らしいが、それとは違った味がある。残る演奏かどうかはわからないが、それが同時代感なのだろう。古い名演奏家も大切だが、この時代に生きる演奏家も我々を刺激してくれる。

来年3月9日、Sumida Triphony Hall でこの曲を演奏するようだ。

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バッハに吸い込まれる (2006-02-03)

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今年を振り返って EN REFLECHISSANT A CETTE ANNEE

2005-12-27 18:38:47 | Qui suis-je

そろそろ今年を振り返る時期となった。私にとって今年は画期的な年で、ブログが大きな影響を及ぼしていることは間違いなさそうだ。今年の記事のリストを作りながら、こんなにいろいろなことが起こっていたのかと驚いている。その地下に眠っているものを思い出しつつ、書いてみたい。

1) ブログを始めた。これは将来を考えるようになったことと関連が深く、多くの思索を誘った。考えをまとめて文章にすること、あるいは書く過程で考えをまとめていくことを学びつつあるようだ。

2) そのお陰で、ものを意識的にじっくり見るようになった。哲学的に?なった。それは私の devise になった « J'OBSERVE DONC JE SUIS » にも表れている。

3) それは時間を止める(留める)ことにもつながった。意識や考えの写真化である。

4) 一ヶ月のパリ滞在の見えざる効果が至るところに表れている。空や雲の美しさを向こうで発見してから、自然や身の回りに転がっている美を見つけようとする心の動き、何事もできるだけ深く考えようとする心の動きなどなど。さらに、新たな人とのつながりもいろいろできた。そのひとつとして、IP協会の広報のお手伝いもするようになっている。

5) 親しくなりたい芸術家が増えた。これからのために種を蒔いたと言ってもよいかもしれない。例えば、ショーペンハウアーについての記事を読んだお陰で、彼を非常に近く感じるようになった。実際に 『パレルガとパラリポメナ』 (『付録と補遺』) の 「読書について」 という本を最近読み始めているが(「意志と表象・・」は後ほど)、不思議なくらい自然に私の中に入ってくる。彼の声が聞こえるようでもある。驚くべき効果である。

6) 美術館に行くようになった。今まではむしろ音楽会の方であったのが、考えられない変化である。おそらく、鑑賞している間、自分の体が自由であり、そのため頭も自由に働くということを感じたせいではないだろうか。映画からも遠ざかっているのはそのためかもしれない。

7) フランス語の基礎がそれなりにできつつあり、一段落した。その上、思いもつかなかったフランス語でのブログまで始めた。フランコフォンにすれば、フランス語のようだがどこかおかしい、exotique なフランス語ということになるのだが、気にせずに続けている。これからも自らの思索の糧とするべく、読み、そして書いていくのだろう。面白い展開である。

8) フランスの雑誌 LE POINT を購読するようになった。この雑誌や読書雑誌 LIRE などは視点が新鮮で、大きな影響を受けた。また TV5 のドキュメンタリーにも触発されている。

9) 今日、ドイツの若手ピアニストの演奏に触れ(近いうちに書きます)、その人となりをネットで調べていたら、まだ国際的ではないのだろうか、まともな記事はすべてドイツ語だった。学生時代に2年ほどやったのだが、ほとんど残っていない。わかりたいという欲求の芽生えを一瞬だが確かに感じた。

10) これらすべての活動を通じて、これから進むべき方向性や観察し考えるべき対象などが少しずつ見え始めているようだ。

2005年は大きな節目の年、何かの始まりの準備期間であったような、そんな気がしている。

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(version française)

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年の瀬の散策 「国家の品格」 LA BASE DE L'ETAT

2005-12-26 21:21:25 | Qui suis-je

週末の散策。途中本屋に寄り、立ち読み。その日は藤原正彦著 「国家の品格」。

目に見えないもの、美しいもの、役に立たないこと、惻隠の情、卑怯なことをやらない、などなど。そういうわれわれが教わったことで失われつつある価値をもう一度大切なものとして取り戻そう。何かのためというのではなく、それ自体のためにやることに価値を置く。

国家としては真のエリート(高度の、幅広く奥深い教養の持ち主で、総合判断に優れ、自己犠牲の精神に溢れる集団)の養成が急務。以前はいたようだが戦後にアメリカの陰謀によるのか、その養成制度ががたがたにされたと考えている。

効率優先主義が今や大学にも押し寄せてきている。そういうところから本当に後々残るものが出てくるだろうか、尊敬を集めるものが出てくるだろうか、と疑問を発している。目が行っているところは私と共通する。問題は美しいものや役に立たないものを大切になどという考えが実際に物事を動かしている人や若い人から出てこないということだろう。

人間というもの、生物学的にそうなっているのではないか、それが私の感である。生物の持つ生存本能、sex drive と関連があるようにも感じている。経験に照らしても、生きるのに必死の時、盛んな時にはそんなところに目は行かないのが普通だろう。余裕を持った人からしか美を愛で、無益なものを大切にする気持ちは生れないのではないか。

子供の残酷さは目に余るものがある。それが表に出なくなったことをはっきりと感じた時があった。教育・経験によりコントロールすることを学習したためだろう、とその時は考えていた。しかし残酷さがなくなるのではなく、それを抑える術を覚えた、あるいは社会性を獲得しただけで、状況によっていつでも噴き出すものなのだ。

昔からこういうやり取りが年長者との間で繰り返されている。若者(現役世代)はこの手の話に対して、そんなことでは生き残れない、と余り耳を貸さない。こういう考えに至らないのだ。ある意味当然で、この関係は永久に変わらないだろう。彼らはこれから生き残らなければならないのだから。自らを振り返っても思い当たる節がたくさんある。ただ、おそらく年寄りは話し続けなければならないだろう、たとえ若者が聞いていないように見えても。

人間がそうであるように、機能体となると国でも会社でも生存が至上命令になる。そこでどれだけ余裕を持てるのか、美しいもの、目に見えないもの、役に立たないものにその心が向くかどうかが品格の決定要素になるような気がする。

そんなまとまりのないことを考えながらの散策となった。

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ひとつの終わり LA FIN DE QQCH

2005-12-25 22:58:24 | フランス語学習

先日久しぶりに近くのフランス語学校に顔を出す。この学校では、生徒のレベルを10段階に分けている。私のレベルは Niveau 4 であったが、Niveau 3 への試験をするという。1時間程度の比較的簡単な試験であった。初心者の Niveau 9 から始めて4年目の出来事である。

現在のレベルを他の試験で見れば、
TEF Niveau 4 (中の上)
DALF-C1
仏検準一級

すべてが一応のレベルにたどり着いたという感じで、フランス語はこの年末に一気に収まりを見せている。これから深める段階に入るのだろうか。

話は飛ぶが、以前に話題にした居酒屋Bが店を閉じたようだ。なぜか寂しいものである。このお休みに年末のご挨拶にと思っていたのだが、遂に果たせなかった。

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(version française)

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再びPB氏と DEJEUNER AVEC M. PB

2005-12-24 11:27:05 | 日仏のために

今週、ハノイのIPにお勤めのPB氏とお会いする機会をIP協会のW氏、O氏の紹介で与えられた。今年二度目のことである(前回は9月)。今回はN大学のI氏とともに。彼とお話しているといつも刺激を受ける。公衆衛生的視点で世界を見ていてなかなか面白い。その現場にいるので話に臨場感がある。

東南アジアや中国はいわば何でもありの世界のようで、新興感染症が出てくる素地があり、要注意とのこと。特に、動物との接触、動物の摂取が重要な役割を担っているようだが、まだ多くの謎があり想像を刺激する。最近のトピックスは、こうもり chauve-souris (= 禿のマウス) がいくつかのウイルスの溜まり場になっているというお話。こうもりなど、病気との関連ではまだまともに研究がされていないと思われるので、これからいろいろなことが飛び出してきそうだ。地球は本当に広い。いろいろと見てみたいものである。

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スピノザを外から COMMENCER A REGARDER LE SPINOZA DE LOIN

2005-12-22 21:04:54 | Spinoza

先日の週末、何気なく入った本屋でスピノザの解説書に目が行く。スピノザについては、最近読んだアインシュタインの本で、科学を突き詰めていくとどうしても科学では説明のできない宗教性のようなものに突き当たる。ただそれは一般に信じられている神ではなく、スピノザの言うところのそれである、という言葉を読んでいたこと(23 novembre 2005)が背景にあるのだろう。ただそれだけではなさそうだ。家の本をひっくり返してみると、スピノザに関する本が出てきた。以前に科学雑誌で紹介された時に興味を持ったようだ。

Roger Scruton  "Spinoza: A Very Short Introduction"
Antonio R. Damasio "Looking for Spinoza: Joy, Sorrow, and the Feeling Brain"

今回手に取った本は、上野修著「スピノザの世界 神あるいは自然」(講談社新書 2005)。

暇を見つけて読み始めているところで確実なことはまだ言えないが、彼の世界観に非常に近いものを感じている。彼の原典とともに手元にある本をもう少し読み進んでみたい。彼もしばらくは私の周りにいそうな予感がする。

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パリ数理(純粋)科学愛好協会?? SOCIETE PHILOMATHIQUE DE PARIS

2005-12-21 21:10:37 | 科学、宗教+

昨日、パリの友人 MD から年末のご挨拶のメールが届いた。私のフランス版ブログを読んだようで、冬に外でカンギレムを読むのはどういう感じかと聞いてみたり(本当に知りたいのは彼が紹介してくれたカンギレムの考えをどう受け止めているかということなのだが)、DALF-C1合格おめでとうと言ってくれたりしていた。

その中に、彼が Société Philomathique de Paris という何と訳してよいのかわからない (ご存知の方がおられれば是非教えていただきたい)、1788年に創設されたフランス最古の会に属していて、つい最近 「物理学に見る時間の概念」 という Colloque (シンポジウム) に出かけたことが書かれてあった。大体75-80歳の人の集まりらしいのだが、ニュートンやアインシュタインなどを堂々と論じる頭のしっかりした人ばかりだという。冗談だとは思うが、50代の彼よりよっぽど優れていると書いている。面白い!人間はこんなこともやっているのだ、できるのだ。

今度パリに来た時にはその会を紹介してくれるとも書かれてあった。これまでに経験したことのない空間にいて、よぼよぼの爺がしっかりしたことを話すのを聞くことを想像しただけでワクワクしてくる。最近、年寄りの話をじっくり聞いてみたいという強い欲求が出てきている。それぞれの生涯を語りつくしてくれ、という感じである。

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21 février 2007
この日、気持ちの悪いままになっていた "Société Philomathique de Paris" の"philomathique" が、数学や科学に限らず学ぶこと、知識を求めることを愛するという意味であることをひょんなところから知ることになった (詳細はこちらで)。日本語にするのは難しいが、「パリ求知愛好協会」 とでもいうような集まりのようである。

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歩く人とダイアナ・クロール L'HOMME QUI MARCHE ET DIANA KRALL

2005-12-20 23:48:05 | MUSIQUE、JAZZ

今日はフランス語版「フランスに揺られながら」でのお話。

そこでブックマークしているブログにJRさんによる "L'homme qui marche" (歩く人) がある。私はこのブログで谷口ジローの世界を知り、大いなる楽しみを覚えた (18 mai 2005)。今朝、そのJRさんからコメントが入っていた。DALF-C1 の記事について「心からおめでとう」と短く。そして驚いたことに、彼のリンク先に私のブログが出ていたのである。フランコフォンにどの程度わかってもらえるのだろうか??疑問符が続く。

少し気になったので、フランス版にリンクしているブログがあるのか調べてみたところ、いくつか見つかった。例えば、

ASHITA
Sophil de l'eau
Printemps Été
all-zebest
VOX POPULI
Douze Lunes

など。世界が広がるのはよいのだが、大丈夫かなと少々心配にもなってくる。

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最近手に入れた Diana Krall の CD "Christmas Songs" を寒い朝、歩く人になり聞いていた。その時、"Let it snow" が聞こえてきた。彼女が let it snow と歌った時、成るようになれ、私は知ったことじゃない、降りたいだけ降れ、とやや投げやりな雰囲気を少しだけ感じた。ほんの一瞬である。その途端、妙に解き放たれた軽い気分になった。その朝はなぜかこだわりが消え、楽しい気分のまま過ぎていった。たまには解放(どうなってもよいという気持ち)が必要、ということだろう。

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DALF-C1の結果 RESULTAT DE L'EXAMEN DALF-C1

2005-12-19 22:36:43 | フランス語学習

先月13日に DALF-C1 なるフランス文部省ご推薦の試験を受けてきたが、その日の充実ぶり(?)は記憶に残るものであった(13 novembre 2005)。本日その結果が届いた。予定では来年1月中旬くらいに来ることになっていたが、受験者が少なかったのだろうか、ひと月ほど早まったようだ。こちらは仏検とは異なり、予想に反して合格であった。全精力を使いきった試験であっただけに充実感がある。

(1) Compréhension de l'oral (録音した内容についての質問で、聞き取れたという感触はなかった): 10/25
(2) Compréhension des écrits (文章を読んでの読解で、今回はポール・バレリーのエッセイが出た): 21/25
(3) Production écrite (2つの文章を読んで synthèse をするのとそのテーマについて自分の考えを交えながら書くもので、それぞれが220-250字程度): 21/25
(4) Production orale (上の試験の口頭版。2つの文章を読んで synthèse のようなことやる exposé 15分とその後の質疑応答 15分): 21/25

全体では 73/100 で、自分にとっては驚きの成績である。あの過酷な試験を来年も味わってみたいという気持ちもあったので、その意味では少し寂しいというのが正直なところ。

バレリーの言ではないが、資格に拘っていると碌なことはないので、これからはフランス語を使って実質的なところに入っていきたいものである。

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フランス人とのソワレ UNE AUTRE SOIREE AVEC UN FRANCAIS

2005-12-18 00:44:15 | 出会い

先日居酒屋Kで偶然に会ったフランス人Pとともにお食事することになった。また神楽坂であった。この方、私のアメリカ時代からの銀行を傘下に持つアメリカの金融会社にお勤めで、この日はフランス語のお上手な日本女性のフィアンセを伴って現れた。すでに4年ほど日本に滞在しているとのことで、話題は奔放に飛んで楽しい時を過ごした。

例によって私のフランス語との出会いを話すと、これまでと同様に信じられないという反応。フランス語を学ぶことにより、この世には自然に興味が湧いてくることが山ほどあり、全く努力しているという意識なしにできることがあるということを遅まきながら知ったことを話す。その中の一つに生命の哲学があり、これから少しずつ調べながら自らも考えていきたい、というような話もした。そうするとPは哲学者を紹介してくれた。René Girard (1924- ) と Gaston Bachelard (1884-1962)。本当に不思議で意味深い出会いが続いている。

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(version française)

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科学あるいは事の進め方 COMMENT PROCEDER A LA SCIENCE

2005-12-17 08:59:01 | 科学、宗教+

今回の横浜の会合で友人の科学者と興味深い対話を持つことができた。科学者、特に最先端にいる人は技術がそこにある場合、それを使って事を前に進めようとする。ここで話題になったのはクローン人間などを含む生殖医学の分野だが、どの分野でも同じだろう。それに対して科学の外 (哲学など) にいたり、いわば普通の感覚で生活している人は純粋に疑問を感じてそれにブレーキをかけようとする。日本の場合は、両者がぶつかり合っていて前に進めない状況にあるという。その夜、私はどちらかというと後者の立場で話をしていた。これはこの一年の影響だろう。

話をしながら、科学者の方には哲学的な思考が欠如しているし (一般的に天真爛漫。極言してしまうと、役に立つことをして何が悪いというところがある)、それに対する方には科学に対する認識が不足しているように (科学者からの説明では) 感じた。さらに先日話題にした synthèse の重要性を両者がどの程度深く理解しているのかが鍵になると思うのだが、少なくとも科学者の方にはその形跡はなかった。むしろ事を進めるための理論構築に終始している印象さえあった。

同様の対立からくる大論争は脳死問題でも見られたし、科学の進歩とともにこれからも出てくるだろう。それは、いわば科学と哲学の境界にまでくる問題でもある。その時には両者の折衷ではなく、二つの異なるものから新しい何かを生み出そうという精神の動きが必要になり、このことを理解しているかどうかで多くのことが変わってくるはずだ。これを可能にするのは、個人の科学者として深く考えるかどうかだろう。あるものを背負ってしまうとそれに沿った安易な思考に流れてしまうからだ。

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横浜での3日間 QUELQUE TRANSFORMATION A YOKOHAMA

2005-12-16 23:36:17 | フランス語学習

3日間横浜へ出張。この間、仕事仲間の発表を聞き、会って四方山話をし、いろいろなサジェスチョンをもらう。次第に現世に引き戻されてくるようだ。

フランス語を始めた時に決めた執行猶予の4年が終わる。試験も最上級のところを受けるところまで来た。最早資格を取ることは、自分にとって意味を持たなくなってきている。自らフランス語について学ぶことに問題を感じなくなってきたばかりではなく、フランス文化を通して人間について見直す視点まで芽生えてきている。予想もしなかった展開である。

このブログももう少しで300の記事を書いたことになる。フランスの中に遊ぶ(フランス文化の中に潜る)という境地から一度出て、これまでの蓄積を感じつつ新たな歩みを始めてみるのもおもしろいのではないか。そんな心境にもなりつつある。もう少し様子を見てみたい。

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