フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

ブッダと子捨て POURQOUI BOUDDHA A QUITTE SON ENFANT (2)

2006-12-19 19:50:08 | 科学、宗教+

ブッダがなぜ家出をしたのかに続き、なぜ子を捨てたのか、という問題について考える時、山折氏の頭に浮かぶのが最近の自然災害時に見られた子供の姿だという。彼らは自然災害がもたらした現代の捨て子と写り、彼らに未来はあるのか、という問いかけにもなった。そう考えた時にシッダールタも捨て子ではなかったのか、という事実に行き当たる。親鸞も道元も幼時に母を亡くし、謂わば 「捨て子」 の状態で、それぞれ9歳、13歳で出家している。

ブッダの誕生は、母親マーヤー (摩耶) の脇の下から生まれたと伝えられている。しかし、誕生7日目に生母を失い、その後は母の妹マハーパジャーパティ (摩訶波闍波堤:まかはじやはだい) によって育てられることになる (彼女は、後にブッダのもとに入り最初の尼僧になっている)。それから昨日触れたように、16歳でヤソーダラー (耶輸陀羅:やしゆだら) と結婚。13年後の29歳の時に子供が生まれる。ここで問題になるのが、その息子につけたラーフラという名前である。これは、古代サンスクリット語のラーフ (もともとは日蝕の意味) に由来し、障碍 (しょうげ) を指すラーフラになり、光を遮るような悪魔的存在という意味が派生してきたという。つまり、自分の息子に 「悪魔」 という名を付けたことになる。なぜそんなことをしたのだろうか。

仏教の基本認識に人間の苦悩の根本には欲望がある、とされるように、彼は自分の息子の誕生が愛欲の結果としてしか見えなかったのではないかとも推測される。その欲望を制御するための家出であり、息子に 「悪魔」 と名づけることにより子を捨てたと考えられないだろうか。捨て子であるシッダールタが、自らの子を捨てることになったわけである。

山折氏はここで現代のブッダも同じような境遇にあったことを指摘する。それはガンディーである。マハトマ・ガンディー(1869-1948)は、「非暴力」 を掲げてイギリスからの独立を勝ち取ったが、その非暴力はブッダの 「アヒンサー (非殺生)」 によっている。つまり、ヒンドゥー教徒のガンディーがブッダの教えを受け継いだことになる。そのガンディーは、13歳でカストルバーイと結婚、19歳で長男ハリラール、続いて23歳、28歳、31歳で男子が生まれている。しかし、長男が生まれた直後、イギリスの留学、3年で弁護士資格を取りインドに帰るも職がなく、24歳の時に南アフリカに渡る。そこで10年以上アパルトヘイト反対運動に関わり、非暴力の手法と禁欲 (ブラフマチャリヤ) の誓いを立て、37歳の時に大衆運動を始める。ここで家族との関係を断ち切り、運動のための同志と考えるようになる。そして、長男が再婚を希望した時、ガンディーは子どもを生むことが原罪に当たり慎むべきとして、猛烈に反対する。それから長男はおかしくなる。

一方、ブッダの息子は後に父の教団に加わり、釈迦十大弟子の一人に数えられるまでになっている。ガンディーの息子との違いはどこから来るのだろうか。十大弟子と言えば、今年青森で棟方志功の板画を見ている以下の十人である。

一、 舎利弗 (しゃりほつ:サーリプッタ) 知恵第一
二、 <摩訶>目犍連 (まか もくけんれん:マハー・モッガラーナ) 神通第一
三、 <摩訶>迦葉 (まか かしょう:マハー・カッサパ) 頭陀第一
四、 須菩提 (しゅぼだい:スブーティ) 供養第一
五、 富楼那 (ふるな:プンナ) 説法第一
六、 <摩訶>迦旃延 (まか かせんねん:マハー・カッチャーナ) 論議第一
七、 阿那律 (あなりつ:アヌルッダ) 天眼第一
八、 優波離 (うはり:ウパーリ) 持律第一
九、 羅睺羅 (らごら:ラーフラ) 学習第一
十、 阿難 (あなん:アーナンダ) 多聞第一

仏陀の息子は9番目に控えていて、最後のアーナンダの横にいることに山折氏は意味を見出している。ラーフラは入門後、サーリプッタの教えを受け、不言実行を旨として学習を積み重ねてきた。アーナンダは25年もの間、ブッダに仕えてその教えを聞いてきた。父に捨てられたラーフラが最も近づきやすかったのがアーナンダではないか、父の教えをよく飲み込んでいるアーナンダを介して父の声を聞いていたのではないか。二人が寄り添うように並んでいるところにそんな意味はないのだろうか、そういう人が息子の周りにいたのかどうかがその後の運命を決めたのではないか、などと思いを巡らせている。

「林住期」 において、人間の世俗的な欲望を制御しようと努めていたはずだが、究極的には 「自己を捨てる」 ということにつながることであった。その旅のなかで家族という血縁を捨て、村という地縁を捨てていったのだが、そのはじめの行為が子を捨てるということではなかったのか。異文化のなかを自分の足と眼だけで遍歴し、自分との絶え間ない会話をしながらブダガヤでの悟りに辿りついた。その思考過程から、「縁起」 の理、「四諦八正(聖)道」 (したいはつしょうどう)、輪廻、五蘊(色・受・想・行・識)などが結晶する。

「縁起」とは、この世にあるものはすべて相対的な存在で、永遠に続くものは何もない、一切は「空」であるという認識である。「色即是空」、形あるもの「色」、すなわちこの世にないもの「空」、ということになる。

「さとれる者 (=仏) と真理のことわり (=法) と聖者の集い (=僧) とに帰依する人は、正しい智慧をもって、四つの尊い真理を見る。――すなわち(1)苦しみと、(2)苦しみの成り立ちと、(3)苦しみの超克と、(4)苦しみの終滅におもむく八つの尊い道 (八聖道) とを (見る)。」
(ダンマパダ・14-190~1、中村元訳『ブッダの真理のことば 感興のことば』)

四つの尊い真理とは、「苦・集・滅・道」 からなる 「四諦」 のことで、人生は苦だ、人生が苦なのはものにこだわる執着の欲望があるから (集)、その欲望を消し去ることが悟りへの境地であり (滅)、そこに至るには修行が必要になる (道)、という意味。そのための方法として八聖道があるということになる。ここで重要なのは四諦の順番で、滅が最終目的ではなく、あくまでもそこに向けて絶えず修行することこそ求められている。

今この世界がまさに 「林住期」 にあると見ている山折氏は、この本を次のことばで始め、そして同じことばで締めくくっている。

「ひとり坐し、ひとり臥し、ひとり歩み、なおざりになることなく、わが身をととのえて、林のなかでひとり楽しめ。」
(ダンマパダ・21-305、中村元訳 『ブッダの真理のことば 感興のことば』)

-----------------------------------------------
話は外れるが、先日取り上げた京都タワーを山折氏はポジティブに捉えているようだ。

「旅先から新幹線に乗って京都に近づいてくると、まず京都タワーの白い、細い塔が視界に入ってくる。夜など桃色に輝いている。そして、柳腰の色気をたたえている。
 眼を転ずると、東寺の黒ずんだ五重塔も見えてくる。こちらのほうは歴史のかなたから静かに上半身をもたげてくるような感じである。この五重塔と、さきの京都タワーが新装なった京都駅をはさんで、黒と白の見事なコントラストを見せて、空に浮かんでいる光景である。」

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブッダと子捨て POURQUOI BOUDDHA A QUITTE SON ENFANT

2006-12-18 21:17:18 | 科学、宗教+

今年9月、空港で出会いパリに向かう機内で途中まで読みそのままになっていた本を読み終える。

山折哲雄「ブッダは、なぜ子を捨てたか」(集英社新書)

2005年には、この国において106万7000人が生まれ、107万7000人が亡くなっているという。すなわち、1899年に統計が始って以来、敗戦の年を除いて初めて死亡者数が出生者数を上まわった年であることを知る。今後この傾向は益々強まるであろう。なぜなら、若い世代の中に、子供から自由でありたい、子供にわずらわされたくない、子供をつくるまいという、謂わば 「子捨て」 の心情を著者は見ているからである。同時に、親の最後を社会に任せようとする 「親捨て」 の時代の足音も聞いている。

歴史的に見ると、このような状態を真面目に受け止めようとしたのが宗教者であったという。しかもブッダにしてもイエスにしても、その人生は親捨て子捨てで彩られている。その過程で彼らは何を捨て、何を得ようとしたのか。その疑問に答えるべくこの本を書き始めたようだ。神話化されたブッダではなく、人生の原点に立ち返ることによって見えてくるものはないのか、そんな思いが著者を突き動かしている。したがって、ブッダの人生を次の三期に分けて考える。紀元前5世紀の誕生から結婚し家を出る前後までの 「シッダールタ (悉達多:しつだつた)」、家を出てブダガヤで悟りを開くまでの 「シャカ (釈迦、釈迦牟尼)」、悟りを開いて以降の 「ブッダ (仏陀)」 である。 

「こころをとどめている人々は努めはげむ。
 かれらは住居を楽しまない。
 白鳥が池を立ち去るように、
 かれらはあの家、この家を捨てる。」
 (ダンマパダ・7-91、中村元訳『ブッダの真理のことば 感興のことば』)

当時のインドではヒンドゥー教が力を持っていた。その教えなかに人生の理想的なあり方を四期に分ける考え方があった。「四住期」 という。すなわち、第一住期は、師について勉学に励み、禁欲生活を送る 「学生期 (がくしょうき)」、第二住期は、結婚し、子供をつくり、神々を祀って家の職業に従事する 「家住期」、第三住期は、妻子を養い家が安定した段階で家長が一時的に家を出て、これまで果たすことのできなかった夢を実行する 「林住期」、そして最後はほんの一握りの人が到達できるステージで、彼らは家族のもとには帰らず、たった一人で遊行者の生活を送り、聖者への道を目指す 「遊行期 (ゆうぎょうき)」 あるいは「遁世期 (とんぜいき)」 と言われる。

ブッダの人生を簡単に見てみたい。シッダールタ16歳(あるいは19歳)の時に、ヤソーダラー(耶輸陀羅:やしゆだら)と結婚。13年後、29歳の時にラーフラ(羅睺羅:らごら)が生まれる。その夜(あるいはその一週間後)にシッダールタは家を出たといわれている。それとは別に、シッダールタの家出後6年でラーフラが生まれたという、常識では考え難い言い伝えもある。前者は南方系の伝承で、後者は北方仏教の流れから生まれたという。後者はどちらかというとブッダを神聖化しようとする傾向が強いようだ。

こどもが生まれたことを見届けて家を出たとするシッダールタの行動を、どう理解したらよいのだろうか。それまでに生活するなかから、自分の理想のようなものがどんどん成長していって、その実現のためには今しかないと考えたのだろうか。あるいは、性愛に没頭していた生活に自己嫌悪を覚え、その結果としての罪の子誕生が彼を苦しめたのではないかということも考えられるという。ブッダの家出には、生・老・病・死という苦しみから自己を解放する「四門出遊:しもんしゆつゆう」のお話があわせて語られる。それは、シッダールタが宮殿の東の門から出て老人に会い、南門では病人に、西門では死人に、北門では出家者に会った。この世には悲惨な生活があり、そこを逃れ隠遁生活をする人間がいることを知る。シッダールタのなかに、このまま妻子と一緒に過ごすことになれば、世俗の中に取り残されてしまうのではないかという焦りの中にいたのではないか、今やらなければならないことが自らの前にあるという自己中心的な考えが彼を捉えていたのではないか、と山折氏は想像している。そして、6年に及ぶ「林住期」がどのようなものであったのかが鍵になると考える。

「林住期」とは、自由な時間と生活を求めて一時的に妻子、家を捨ててひとり遍歴の旅に出るもので、一人瞑想してもよし、巡礼の生活を楽しんでもよし、宗教や芸術の仲間との交遊に使ってもよい。この時期にシャカは再び「家住期」に戻るべきか、「遊行期」に進むべきか悩んでいたのではないかという。心を酔わせる自由と家を捨てる良心の呵責の間で悩み、そして決断した時期がシャカの人生にとってきわめて重要だったのではないかという。このことは同時に、父スッドーダナ(浄飯王:じようぼんのう)を捨て、継母マハーパジャーパティ(摩訶波闍波堤:まかはじやはだい)を捨てたことになる。血縁のわずらわしさからの逃避をも意味していたかもしれない。仏教の歴史には、脱血縁の思想が見られると山折氏は言う。

ブッダがなぜ子を捨てたか、については明日以降に。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

井上陽介を聞く ECOUTER YOSUKE INOUE

2006-12-17 10:06:29 | MUSIQUE、JAZZ

トリオを聞く。

井上陽介 (b)
海野雅威 (p)
小山太郎 (ds)

井上さんの演奏は何回か聞いている。以前にも少しだけここで触れたことがある。彼は10年以上ニューヨークで演奏されていたとのこと。いつも感じることだが、ユーモアたっぷりの演奏で、音楽だけではなく人生を楽しんでいる様子が滲み出ている。同じような印象は他のメンバーからも伝わってくる。そのせいかどうかわからないが、女性ファンも多いようだ。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エリック・エマニュエル・シュミット ERIC-EMMANUEL SCHMITT

2006-12-16 10:03:56 | 海外の作家

数日前だっただろうか。哲学の先生AHさんをネットで探している時に、この作家に出会った。

エリック・エマニュエル・シュミット Éric-Emmanuel Schmitt (28 mars 1960 à Lyon -)

AHさんがこの作家について研究しているとわかったところで通り過ぎようとした。時間があったのでその内容を読んでいるうちに、この作家のことを知りたくなっていた。さらに調べてみると、世界で最も読まれているフランスの作家ということになっている。amazon.fr でその作品について見てみると、いずれの作品も成功を収め、いくつかは映画化もされている。日本でも紹介されていて、映画も上映されていたことを知る。

簡単に彼の人生を見てみる。大学で哲学 (「ディドロと形而上学」 で学位) を修めた後、哲学を大学などで数年教える。1990年から書き始め、2作目のフロイト、神?が出てくる戯曲 "Le Visiteur" で成功を収めて以来、次々に作品を発表。始めは不可知論 agnosticisme の立場をとっていたが、最近キリスト教徒になる。そのためか宗教にまつわる作品が多い。また歴史上の人物 (フロイト、ディドロ、ヒトラー、キリスト、ポンティウス・ピラトゥスなど) についても書いていて、興味をそそられる。ブリュッセル在住。

まず次の三冊から読み始めることにした。
Monsieur Ibrahim et les fleurs du Coran (こちらは映画も)
Oscar et la dame rose
Ma Vie avec Mozart (CD付)


-------------------------------
2007-01-14 イブラヒムおじさんとコーランの花たち M. IBRAHIM ET LES FLEURS DU CORAN

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

科学すること、賢くなること FAIRE DE LA SCIENCE OU DEVENIR SAGE

2006-12-15 20:26:18 | 哲学

長い間、科学の分野で生活をしてきた。しかし、始めた当初に比べてどれだけ賢くなっているだろうか。どれだけ考えが深まったであろうか。残念ながら、答は芳しくない。科学するという中には思想性、哲学性などを入れる余地はないのか。歴史的には、形而上学的なものから決別するかたちで科学が離れていったと理解しているので、その経緯を考えれば当然のことなのかもしれない。思想に盲目的に従ったがために科学を歪めた例も知っている。ただ最近になり、この両者が離れたままでいる状態に満足できなくなっている。2つの相対する領域が融合できないのだろうか。ある意味、文理の融合を目指すのに近いのかもしれない。

科学を自らの全存在にとっての学問として考え直したとき、どれだけの位置を占めているのだろうか。少なくとも私は、科学をすることにより全存在に関わる問題について考えることには至らなかった。遠くから科学を見る眼を得た今、これまでの自らの仕事がペットを育てる程度の意味合いしか持っていなかったように感じられる。そもそも科学にはそれを要求するところがないのだろうか。それとも私の科学に対する態度に未熟なものがあったのだろうか。

もしそれが科学に内在する性質であるとすれば、全存在についての理解に辿り着こうとするとき、問の出し方を変えなければならないのではないか。方法を変えなければならないのではないか。そんな思いに取り憑かれている今日この頃である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

堂本印象美術館にて AU MUSEE INSHO DOMOTO

2006-12-14 20:32:07 | 展覧会

雨の中、先日のアンリ・ルソー展で発見した堂本印象の作品を見るために美術館に向かう。

立命館の真ん前にある。この美術館は府立だが、今年6月から立命館が指定管理者という立場になり、今回が最初の展覧会になるという。

印象さんの物語絵

まず歴史上の文人を描いた絵を見る。ゆったりとした人柄や彼らの生活が滲み出ていて楽しくなる。そういう文人がいたということ、そして彼らに思いを馳せている印象さんを思いながらじっくりと時を過ごす。

松花堂昭乗 (1584 - 1639): 真言宗の僧侶で文化人。絵画、茶道、それに書道は近衛信尹 (のぶただ)、本阿弥光悦とともに 「寛永の三筆」 と言われる。彼の草堂 「松花堂」 には小堀遠州、石山丈山、狩野山雪などが集った寛永の文化サロンだったという。

明恵上人 (1173 - 1232): 鎌倉前期の僧。鳥羽上皇から山城国栂尾 (とがのお) を下げ渡され、高山寺を開山。紅葉の名所。学問研究と実践修業の統一をはかったと説明には書かれてあったが、その意味するところを知りたくなっている。本棚には
白洲正子の 「明恵上人」 と河合隼雄の 「明恵 夢を生きる」 があるのだが、未だ意識的には読んでいない。

石山丈山 (1583 - 1672): 江戸初期の文人。もとは武士だったが、大阪夏の陣で軍律を破ったため妙心寺に入る。漢詩の代表的人物にして、儒学、書道、茶道、庭園設計にもその才能を発揮した。「詩仙堂」 の主。1641年に建てたもので、90歳で亡くなるまでの31年間ここで生活。その名は、狩野探幽に描かせた中国の詩家36人の肖像が掲げられている 「詩仙の間」 から採られた。

松尾芭蕉 (1644 - 1694): 金福時は天台宗の寺として始るが、元禄年間に鉄舟和尚が再興し臨済宗の寺となる。芭蕉が和尚を訪ねている。

池 大雅 (1723 - 1776): 江戸中期の文人画家。漢学、南宋画。「真葛庵」。

以上の日本の文人は1930年に描かれている。いにしえびとの中に身近な人の表情を見出すとき、思わず笑みがこぼれる。

------------------------------------
さらに、仙人図 (1922年) へと続いている。こちらの絵は、色使いといい、顔の表情、目の表情といい、どこか西洋を感じていた。仙人に纏わるお話と名前の発する音を楽しみながら見る。

「黄初平」 (こうしょへい): 葛洪 「神仙伝」 に出てくる仙人。少年の頃、羊を牧していたが、ある時道士と出会い、長い間姿を隠していた。その兄が山中で再会し、羊がいるという場所に行ってみると、そこには白石だけがあった。黄初平が 「羊よ起て」と声を掛けると白石が全て数万頭の羊になったという。長谷川等伯や小川芋銭なども描いている。

「陳泥丸」 (ちんでいがん): 内丹派の南宋五祖のひとり。唐代までの外丹術 (炉などでを使う) を用いた道教に代わり、宋代では神仙道教と禅宗が融合した内丹術 (人体内の呼吸法で丹を練る) が発達した。  

「西母王」 (せいぼおう): 中国で古くから信仰された女仙の統率者。道教では長寿の仙桃を管理する艶やかにして麗しい天の女主人。孫悟空が西母王の目を盗んで仙桃を食べている。

「老君」: 春秋時代の思想家。老子、李耳。唐の皇帝から宗室の祖と仰がれた。老子の思想が道教に発展するとともに、老子は道教の祖と崇められるようになる。唐代には道教の最高神である三清の一柱、「太上老君 (たいじょうろうくん、だじょうろうくん)」、別名、「道徳天尊 (どうとくてんそん)」 となっている。

東王公」 (とうおうこう): 東王父とも言われる。西母王が女仙を統率していたのに対して、こちらは男仙を統率。

「鬼谷子」 (きこくし): 秦、楚、趙など7国が天下を争った時代に、権謀術数の外交策を説いた縦横家である蘇秦張儀の師とされる。

「藍菜和」 (らんさいわ): 破れた藍色の長衣をまとい、片方は裸足で歌いながら物乞いをしていたという、人間から仙人になった道教八仙のひとり。

「孫子貌」 (そんしぼう):唐代の医学者。没後、「薬王」 と讃えられる。「人命の重さは千金の貴さがあり、医者の方剤がこれを救うのは徳高きことである」、「病苦にて救いを求められたなら、その貴賎貧富、幼若、美醜、敵味方、同族異族、愚智なるを問うてはならない。普く至親の感情をもって自己の身命を惜しむことなく、病者の苦悩を己の苦として深く同情し、一方に救済に当たれ。為にする心や人に身せる心があってはならない 」

「玄真子」 (げんしんし): 唐代、水辺の仙人。

「李鐡拐」 (りてっかい): 本名、李玄。太上老君(老子)から仙術を授かったという。彼が太上老君に会うために天宮に赴いた時に弟子がその肉体を誤って焼いてしまい、片足の不自由な乞食の遺体にもぐりこんで甦ったという。乞食が持っていた竹の杖を仙術で鉄の杖に換え持ち歩いていた。

「許宣平」 (きょせんへい): 唐の隠士。李白とも面識があり、彼の来訪に答えて詩を残しているという。太極拳の創始者とも言われる。

「東方朔」 (とうほうさく): 機知とユーモアで武帝に愛されたが、はっきりものも言った。西母王の仙桃を盗んで食べたため長寿を得ていたという。

------------------------------------
余りお客さんがいない美術館とのお話だったが、この日は中学生の団体が模写をしていたり、あとからは中高年の団体が入ってきたりで、結構賑わっていた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

タワーのある景色 LE PAYSAGE AVEC LA TOUR KYOTO

2006-12-13 21:55:51 | 映画・イメージ

大阪出張の折、堂本印象さんの絵でも見て帰ろうかという気になり、京都に立ち寄る。いつものように突然であった。こういう心の動きから出てくるものにしか感じなくなってきているような節がある。

京都駅に降り、エスカレータで地上に昇っていくとき、何気なく右側の雨空を見上げる。そのとき、灰色の空を背景に駅ビルの黒に縁取りされている京都タワーが目に入った。それは今までに気付かなかった姿で、ほんの一瞬のことであったが、大げさに言うと美しいと思った。以前に同じ場所で駅ビルの天井に美しさ (どう表現したらよいのかわからないが) を感じたことがあったので、何かが飛び込んでくることを待っていたのかもしれない。

京都タワーはすでに何度も見ているが、なぜ不評なのかということはよく理解できていた。しかし、その日はまわりとの関係においてタワーが別の意味を持ったようだ。 「タワーのある風景」 に硬質の美しさを見ていた。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長田弘 「記憶のつくり方」 HIROSHI OSADA : ORGANISER LA MEMOIRE

2006-12-12 00:33:07 | 俳句、詩

仕事の帰りに大型書店に立ち寄る
詩と哲学の棚で長い時間を過ごす
余りに長すぎて哲学本を読む気が失せてしまった

そこで手にしたのは
最近文字を書く時に好んで使うようになった色と
同じ色の活字で埋められている
長田弘の 「記憶のつくり方

書店の椅子を占めるのは ご老人ばかり
疲れてうとうとしている人もいる
少し気が重くなり 近くのカフェに入る

すわり心地のよいソファに腰を下ろし
シナモン・ミルクティーを口に運びながら
長田氏の記憶のつくり方に耳を傾ける

スティービー・ワンダーが 歌いはじめた

この詩集は 著者50代後半の作
脳の奥に詰まっている 記憶の断片を引き出し
その時間をもう一度生き直しているかのようだ

過去との付き合い方に どこか近いものを感じていた

-----------------------------------
芸術家が何人も出てくる。

フェルメールの蝋燭

与謝蕪村
「月天心貧しき町をとおりけり」

小川未明 『金の輪

山本周五郎 『さぶ』
 「小雨が靄のようにけぶる夕方、両国橋を西から東へ、さぶが泣きながら渡っていった」

『老子』
 「人が生まれるときは柔らかで弱々しく、死ぬときは堅くこわばっている。草や木が生きているあいだは柔らかでしなやかであり、死んだときは、くだけやすくかわいている。だから、堅くこわばっているのは死の仲間であり、柔らかで弱々しいのが生の仲間だ」

木下杢太郎 『それが一体何になる』
  ただ自分の本当の楽しみの為に本を読め、
  生きろ、恨むな、悲しむな。
  空の上に空を建てるな。
  思ひ煩ふな。
  かの昔の青い陶の器の
  地の底に埋もれながら青い色で居る――
  楽しめ、その陶の器の
  青い 「無名」、青い 「沈黙」。

アイリーン・バウア 『中世に生きる人々』

ジョン・フィッシャー 『キャロル大魔法館』

森鴎外 『椋鳥通信』

ルドウィク・J・ケルン 『すばらしいフェルディナンド』

マルクス・アウレーリウス 『自省録』
 「そう考えない自由が私にあるのだ」

 「ここで生きているとすれば、もうよく慣れていることだ。
  またよそへゆくとすれば、それはきみののぞむままだ。
  また死ぬとすれば、きみの使命を終えたわけだ。
  そのほかには何もない。だから、勇気をだせ」


-----------------------------------
2006-03-22 本日も詩歌 ・・・ 長田弘 「死者の贈り物」 LES POÈMES D'HIROSHI OSADA

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京駅にて A LA STATION DE TOKYO

2006-12-11 00:08:45 | 

普段は新幹線の切符を地元の駅で買うのだが、その日は列が長く全く流れていなかったので、東京駅に出てから買うことにする。東京駅では列はあるものの、まさに流れる如く捌かれていた。私が行った窓口は若い化粧気のない小柄な女性が担当している。その作業を見ている時、私の中で何かが起こっていた。

行き先のキーを叩くところから乗り継ぎ駅をチェックし、チケットが出てくるのを待って私に渡してくれるところまで、体全体が小気味よいリズム感に溢れていて、普段の窓口では感じたことのない心地よさを覚えていた。彼女の注意がそのすべてに途切れることなく向けられて、彼女の全霊を傾けてのプロフェショナリズムを見たように感じたからだろう。それと同時に、余りにも機能的に体を動かしているので少し気の毒にも思えてきた。何か機械の一部のように見えたからだ。もっとゆっくりやっていただいてもいいのですよ、と心の中では言っていた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「あの人に会いたい」 JE VOUDRAIS REVOIR CETTE PERSONNE

2006-12-10 00:19:27 | 日本の作家

土曜の朝、NHKテレビをつける。「あの人に会いたい」 という番組が流れていた。調べてみると、2年ほど前に始まっているので、今までにも見ている可能性がある。それにしても、このタイトルをじっくり反芻すると心が締め付けられるようだ。

その日の会いたい人は野上弥生子 (1885年5月6日 - 1985年3月30日)。99歳まで活動をつづけた彼女は、最後まで自らを作家ということに躊躇していた。彼女の人生は、作家とは何かを問い続けたものと言えるだろう。そして、誰にも頼ることなく書くのが作家であるという結論に至ったようだ。この結論を人間が生きることに置き換えてみると、私にはそれが一つの理想にも思えてくる。

この番組が終わってネットをサーフしている時、彼女の最高傑作について松岡正剛氏が書いているエッセイ 「秀吉と利休」 に突き当たった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

すべての人間の不幸は・・ TOUT LE MALHEUR DES HOMMES VIENT DE..

2006-12-09 11:02:18 | 哲学

    "...j'ai dit souvent que tout le malheur des hommes
       vient d'une seule chose, qui est de ne savoir pas
        demeurer en repos dans une chambre."

     「・・私がよく言ったことだが、すべての人間の不幸は
         ただ一つのことから来る。それは部屋で静かに
           休んでいることができないということである。」

これはパンセの "Divertissement" 「気晴らし」 の中にあるパスカルの有名な言葉である。 この言葉に初めて触れたのは Bruce Chatwin の "Anatomie de l'errance" という本の中であった。仏版ブログにこのことは書いた。その時は深く考えもせずに、チャトウィンの人生のことも頭にあったせいか、人間は好奇心旺盛な存在で、黙って部屋にいることができず、常に旅に出て新しいことを知らずにはいられない存在である、というようなことを言いたいのだと思っていた。

しかし原典に当たってみると、それはとんでもない思い違いであることがわかる。人間の不幸の原因をさらに深く考えたパスカルが見つけたものを次のように書いている。

    "... j'ai trouvé qu'il y en a une bien effective, qui consiste
        dans le malheur naturel de notre condition faible et mortelle,
          et si misérable que rien ne peut nous consoler
            lorsque nous y pensons de près."

    「・・私は、はっきりとした理由が一つあることを発見した。それは
        弱い、死すべきわれわれの存在に宿る本来的な不幸に存り、
         そのことをじっくり考える時、何ものもわれわれを癒してはくれないほどに
           悲惨なものである。」

つまり、部屋に一人でいると死に至るべき弱い存在である自らの状態を考えざるを得なくなり、人間はそれに耐えられないのだ、ということになる。その弱さから逃れるために人間は気晴らしを求める。賭け事や狩猟をするのは、儲けるためでも獲物を捕まえることでもない、やっている間は自らの悲惨な状態を忘れることができるからだとパスカルは言う。他に戦争や高い地位などをあげている。戦争は人間の退屈のなせる業ということをどこかで読んだことがある。また栄職に就くと取り巻きが自らの存在の惨めさを忘れさせてくれるからだという。

コンテクストから抜き出して読むと、作者の意図を超えた意味を持つことがありうることを体で理解する。また今日のお話は、先日の 「考える葦」 とどこかで繋がっているようだ。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

脳血管発作 ACCIDENT VASCULAIRE CEREBRAL

2006-12-08 22:15:54 | 科学、宗教+

今週の Le Point の社会欄に脳血管発作についての記事があった。医学フランス語の勉強に読んでみることにした。

Accident vasculaire cérébral (AVC)

« attaque cérébrale » とも言われる。

そのメカニズムについての説明から。
----------------------------------
Aux origines de l'AVC
1) Infarctus cérébrale (80% des AVC): Un caillot bouche une artère cérébrale et empêche le sang d'irriguer une partie du cerveau.

2) Hémorragie méningée (5% des AVC): Irruption brutale de sang dans les méninges, le plus souvent après une rupture d'anévrisme (hernie de la paroi artérielle).

3) Hémorragie cérébrale (15% des AVC): Après la rupture d'une artère cérébrale, le sang se répand et endommage les tissus avoisinants.
----------------------------------
脳血管発作の原因
1) 脳血管の梗塞が80%を占める。血栓が脳血管に詰まり、脳の一部への血液の供給を阻害する。
2) 髄膜下出血は全体の5%。髄膜下腔への急激な出血による。動脈瘤 (小動脈壁のヘルニア) 破裂に続発するものが最も多い。
3) 脳出血が15%を占める。脳動脈破裂後、出血が広まり周辺組織を傷害する。


危険因子もいくつかあげられている。
----------------------------------
Les facteurs de risque d'AVC (Risque multiplié par)

1) Antécédent d'AVC (x 9)
2) Hypertension artérielle (x 5)
3) Diabète (x 3)
4) Tabagisme (x 2)
5) Surpoids (x 1,5)
----------------------------------
発作の前歴のある人はない人に比べて9倍、高血圧では5倍、糖尿病で3倍、喫煙で2倍、肥満は1.5倍となっている。


この病気にかかった有名人として、

ヘンデル Haendel
ボードレール Baudelaire
パスツール Pasteur
グレース・ケリー Grace Kelly
リチャード・バートン Richard Burton
シャルル・トレネ Charles Trenet
ジャン・ポール・ベルモンド Jean-Paul Belmondo
ジャック・シラク Jacques Chirac
アリエル・シャロン Ariel Sharon
レイモン・ドボス Raymond Devos

などがあげられていた。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

考える葦 ROSEAU PENSANT

2006-12-07 21:21:52 | 哲学

今朝方 ある考えが巡る

  人間 すべてを奪われて 自分ひとりになってもできること
    最後までできることは 何だろう

      それは 考えること
        それしか残らないだろう

パスカルが言うように 人間というのはそういう存在なのかもしれない

  L'homme n'est qu'un roseau, le plus faible de la nature;
    mais c'est un roseau pensant.

字面をなぞっていたのと 自分の中でそれを感じられるということの あいだの溝の大きさ

   それを可能にするのは やはり時間なのか

     そう考えると これから何かがわかってくる楽しみが待っていることになる

       考えることしかできなくなる時のために その材料を仕込んでおきたい 
         新たな時を刻んでおきたい という気持ちも出てくる

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

色づく並木 REGARDANT LES FEUILLES JAUNES ET VERTES

2006-12-06 22:39:29 | 映画・イメージ

朝の通勤時、並木の銀杏が黄色く色づいている

昨日よりもいっそう濃くなっている

そこに対側の並木が深々と影を落としている

夢の中のようでもある

それを少し行くと銀杏と常緑樹が交互に並び
 その対比が新鮮で目に焼きつく

それを過ぎると今度は緑の並木が続く

この道を造った人の心が見えるようだ

ところでこの常緑樹は何と言うのだろうか

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

偶然の一致 "THE CELESTINE VISION"

2006-12-05 23:29:12 | 科学、宗教+

先日の夜、何気なく古い本棚を眺めていた。この本棚に詰まっている本は、私が謂わば走っている時に買ったものばかりで、いつどこで買ったものかほとんど記憶に残っていない。私にとっては味気のない本棚である。その中の一冊を手に取ってみた。その心は、新聞を開く時の気持ちに近い。以前にも触れたことがあるが、私にとっての新聞はびっくり箱のようなもの。いつもその中から何が飛び出すのか期待して紙をめくっている。今回は、この本を最初に見た時の自分がどんな存在だったのか、当時の私に会えるのではないかという期待感もあった。

本は James Redfield という人の "The Celestine Vision"。1997年10月の初版。

まず驚いたのは、ページの端をよく折ってあること。読んだ記憶などほとんどないが、その時何かをやっている自分がいたということを確認する。いつどこで買ったのかというメモはない。この時期はほとんどそれをやっていない。どこに行き着くのか気にもせず、とにかく流れに身を任せていたのだからしようがない。そのことは当時でも意識していた。中に思いがけずしおりが入っていた。Iowa City の Prairie Lights という本屋のもの。出張で出かけた時に買ったもののようだ。おそらく向こうで気分にまかせてページをめくってそのままにしていた可能性が高い。

内容のトーンは科学的、理性的なものの見方に偏りすぎて、もっと大きなものに目が行っていない状態から、より霊的なものに目をやり、それを意識することにより人生の意味や宇宙におけるミッションを発見できるのではないか、というようなもの。そのためには、著者の言う "drift time" が必要になるという。要するに閑な時間がなければそこまで目がいかないということで、これはよく理解できる。理と信の対比と理から信へのお誘いが狙いの本だろうか。当時よくこの手の本を買ったものだと感心する。胡散臭いと思っていたはずだから。

その初めの方で、coincidence 「偶然の一致」 について書かれている。それは偶然ではないのですよと言いたいようでもある。私も最近いろいろなもの (出来事) の間でのつながりを見つけようとする精神の動きを感じているので、妙に納得するところがあった。そういう目で見ていて不思議なつながりに出会えば、大きな存在について考えるようなことになるのかもしれない。いずれにしても、毎日何が出てくるのか、それがどういう意味 (何かとのつながり) があるのかについて思いを巡らせながら生きていくのも面白そうである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする