ブッダがなぜ家出をしたのかに続き、なぜ子を捨てたのか、という問題について考える時、山折氏の頭に浮かぶのが最近の自然災害時に見られた子供の姿だという。彼らは自然災害がもたらした現代の捨て子と写り、彼らに未来はあるのか、という問いかけにもなった。そう考えた時にシッダールタも捨て子ではなかったのか、という事実に行き当たる。親鸞も道元も幼時に母を亡くし、謂わば 「捨て子」 の状態で、それぞれ9歳、13歳で出家している。
ブッダの誕生は、母親マーヤー (摩耶) の脇の下から生まれたと伝えられている。しかし、誕生7日目に生母を失い、その後は母の妹マハーパジャーパティ (摩訶波闍波堤:まかはじやはだい) によって育てられることになる (彼女は、後にブッダのもとに入り最初の尼僧になっている)。それから昨日触れたように、16歳でヤソーダラー (耶輸陀羅:やしゆだら) と結婚。13年後の29歳の時に子供が生まれる。ここで問題になるのが、その息子につけたラーフラという名前である。これは、古代サンスクリット語のラーフ (もともとは日蝕の意味) に由来し、障碍 (しょうげ) を指すラーフラになり、光を遮るような悪魔的存在という意味が派生してきたという。つまり、自分の息子に 「悪魔」 という名を付けたことになる。なぜそんなことをしたのだろうか。
仏教の基本認識に人間の苦悩の根本には欲望がある、とされるように、彼は自分の息子の誕生が愛欲の結果としてしか見えなかったのではないかとも推測される。その欲望を制御するための家出であり、息子に 「悪魔」 と名づけることにより子を捨てたと考えられないだろうか。捨て子であるシッダールタが、自らの子を捨てることになったわけである。
山折氏はここで現代のブッダも同じような境遇にあったことを指摘する。それはガンディーである。マハトマ・ガンディー(1869-1948)は、「非暴力」 を掲げてイギリスからの独立を勝ち取ったが、その非暴力はブッダの 「アヒンサー (非殺生)」 によっている。つまり、ヒンドゥー教徒のガンディーがブッダの教えを受け継いだことになる。そのガンディーは、13歳でカストルバーイと結婚、19歳で長男ハリラール、続いて23歳、28歳、31歳で男子が生まれている。しかし、長男が生まれた直後、イギリスの留学、3年で弁護士資格を取りインドに帰るも職がなく、24歳の時に南アフリカに渡る。そこで10年以上アパルトヘイト反対運動に関わり、非暴力の手法と禁欲 (ブラフマチャリヤ) の誓いを立て、37歳の時に大衆運動を始める。ここで家族との関係を断ち切り、運動のための同志と考えるようになる。そして、長男が再婚を希望した時、ガンディーは子どもを生むことが原罪に当たり慎むべきとして、猛烈に反対する。それから長男はおかしくなる。
一方、ブッダの息子は後に父の教団に加わり、釈迦十大弟子の一人に数えられるまでになっている。ガンディーの息子との違いはどこから来るのだろうか。十大弟子と言えば、今年青森で棟方志功の板画を見ている以下の十人である。
一、 舎利弗 (しゃりほつ:サーリプッタ) 知恵第一
二、 <摩訶>目犍連 (まか もくけんれん:マハー・モッガラーナ) 神通第一
三、 <摩訶>迦葉 (まか かしょう:マハー・カッサパ) 頭陀第一
四、 須菩提 (しゅぼだい:スブーティ) 供養第一
五、 富楼那 (ふるな:プンナ) 説法第一
六、 <摩訶>迦旃延 (まか かせんねん:マハー・カッチャーナ) 論議第一
七、 阿那律 (あなりつ:アヌルッダ) 天眼第一
八、 優波離 (うはり:ウパーリ) 持律第一
九、 羅睺羅 (らごら:ラーフラ) 学習第一
十、 阿難 (あなん:アーナンダ) 多聞第一
仏陀の息子は9番目に控えていて、最後のアーナンダの横にいることに山折氏は意味を見出している。ラーフラは入門後、サーリプッタの教えを受け、不言実行を旨として学習を積み重ねてきた。アーナンダは25年もの間、ブッダに仕えてその教えを聞いてきた。父に捨てられたラーフラが最も近づきやすかったのがアーナンダではないか、父の教えをよく飲み込んでいるアーナンダを介して父の声を聞いていたのではないか。二人が寄り添うように並んでいるところにそんな意味はないのだろうか、そういう人が息子の周りにいたのかどうかがその後の運命を決めたのではないか、などと思いを巡らせている。
「林住期」 において、人間の世俗的な欲望を制御しようと努めていたはずだが、究極的には 「自己を捨てる」 ということにつながることであった。その旅のなかで家族という血縁を捨て、村という地縁を捨てていったのだが、そのはじめの行為が子を捨てるということではなかったのか。異文化のなかを自分の足と眼だけで遍歴し、自分との絶え間ない会話をしながらブダガヤでの悟りに辿りついた。その思考過程から、「縁起」 の理、「四諦八正(聖)道」 (したいはつしょうどう)、輪廻、五蘊(色・受・想・行・識)などが結晶する。
「縁起」とは、この世にあるものはすべて相対的な存在で、永遠に続くものは何もない、一切は「空」であるという認識である。「色即是空」、形あるもの「色」、すなわちこの世にないもの「空」、ということになる。
「さとれる者 (=仏) と真理のことわり (=法) と聖者の集い (=僧) とに帰依する人は、正しい智慧をもって、四つの尊い真理を見る。――すなわち(1)苦しみと、(2)苦しみの成り立ちと、(3)苦しみの超克と、(4)苦しみの終滅におもむく八つの尊い道 (八聖道) とを (見る)。」
(ダンマパダ・14-190~1、中村元訳『ブッダの真理のことば 感興のことば』)
四つの尊い真理とは、「苦・集・滅・道」 からなる 「四諦」 のことで、人生は苦だ、人生が苦なのはものにこだわる執着の欲望があるから (集)、その欲望を消し去ることが悟りへの境地であり (滅)、そこに至るには修行が必要になる (道)、という意味。そのための方法として八聖道があるということになる。ここで重要なのは四諦の順番で、滅が最終目的ではなく、あくまでもそこに向けて絶えず修行することこそ求められている。
今この世界がまさに 「林住期」 にあると見ている山折氏は、この本を次のことばで始め、そして同じことばで締めくくっている。
「ひとり坐し、ひとり臥し、ひとり歩み、なおざりになることなく、わが身をととのえて、林のなかでひとり楽しめ。」
(ダンマパダ・21-305、中村元訳 『ブッダの真理のことば 感興のことば』)
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話は外れるが、先日取り上げた京都タワーを山折氏はポジティブに捉えているようだ。
「旅先から新幹線に乗って京都に近づいてくると、まず京都タワーの白い、細い塔が視界に入ってくる。夜など桃色に輝いている。そして、柳腰の色気をたたえている。
眼を転ずると、東寺の黒ずんだ五重塔も見えてくる。こちらのほうは歴史のかなたから静かに上半身をもたげてくるような感じである。この五重塔と、さきの京都タワーが新装なった京都駅をはさんで、黒と白の見事なコントラストを見せて、空に浮かんでいる光景である。」