フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

10月の記事

2005-10-31 20:54:04 | Weblog
2005-10-31 ロン・ティボーの松田理奈さん RINA MATSUDA DE LONG-THIBAUD
2005-10-30 なぜあるのか? POURQUOI Y A-T-IL QUELQUE CHOSE ?
2005-10-29 現実の外との付き合い UNE SOIREE AVEC DES SCIENTIFIQUES
2005-10-28 マチュピチュ MACHU PICCHU
2005-10-27 バルガス・リョサ再び LA PENSEE LITTERAIRE DE VARGAS LLOSA
2005-10-26 バルガス・リョサによる小説家 ROMANCIER: QUEL TYPE DE PERSONNE ?
2005-10-23 少数派から日本を見れば LE JAPON VU PAR UN MINORITAIRE
2005-10-22 曇天の週末に想う LE WEEKEND NUAGEUX, REFLECHISSANT LA VIE
2005-10-21 ミハイル・ブルガーコフ BULGAKOV - ECRIVAIN RUSSE WELLSIEN
2005-10-20 マリオ・バルガス・リョサ VARGAS LLOSA - ECRIVAIN VOYAGEUR
2005-10-19 もう一つの展覧会 L'EXPOSITION "MELANCOLIE" A PARIS
2005-10-18 数ヶ月ぶりの居酒屋にて LA BEAUTE JAPONAISE DANS UN IZAKAYA
2005-10-17 小さなフランス語ガイド UN PETIT GUIDE POUR LE FRANCAIS
2005-10-16 ヘンリー8世と6人の妻 THE SIX WIVES OF HENRY VIII
2005-10-15 荒木経惟 (II) NOBUYOSHI ARAKI - LECON DE PHOTO
2005-10-14 荒木経惟 NOBUYOSHI ARAKI - UN PHOTOGRAPHE ROMANTIQUE
2005-10-11 アンヌ・ルイ・ジロデ ANNE LOUIS GIRODET - UN ELEVE DE DAVID
2005-10-11 雨の休日、イタリアを旅する UN VOYAGE EN ITALIE DANS LA TELE 
2005-10-10 オルハン・パムク ORHAN PAMUK - CONFRONTATION CULTURELLE
2005-10-09 マルクス・アウレリウス MARC AURELE SE MET A ECRIRE A 50 ANS
2005-10-08 連休初日 CONGE DE TROIS JOURS - DOMINIQUE AUVRAY
2005-10-05 意外なパリ案内書 DAVID - MARAT - A PARIS (CIDEB)
2005-10-04 ウィーンの4人展 KLIMT, SCHIELE, MOSER, KOKOSCHKA
2005-10-02 杉本博司 - 方丈記 HIROSHI SUGIMOTO - PHOTOGRAPHE SONGEANT
2005-10-01 フランス語でブログ COMMENCER UN BLOG FRANCAIS

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ロン・ティボーの松田理奈さん RINA MATSUDA DE LONG-THIBAUD

2005-10-31 07:02:55 | 出会い

松田理奈さんのことが気になり、ロンティボーコンクールのサイトをチェックしてみた。demi-finaliste まで行ったが、最終選考には残らなかったようだ。残念ではあるが、まだ若いのでじっくりと成熟に向けて歩んで行っていただきたい。優勝したのはフレデリーケ・サイス(?)というオランダ女性(26歳)。彼女は他の賞も貰っているようなので、素晴らしい演奏家なのだろう。

C'est la jeune violoniste néerlandaise
FREDERIEKE SAEIJS (26 ans)
qui a obtenu le premier grand prix lors de l'édition 2005 du Concours international Marguerite Long-Jacques Thibaud.

Frederieke Saeijs a également obtenu le prix de l'Orchestre national de France, le prix de SAS le prince de Monaco, le prix Nicole Henriot-Schweitzer et le prix des élèves des conservatoires de la Ville de Paris.

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なぜあるのか? POURQUOI Y A-T-IL QUELQUE CHOSE ?

2005-10-30 22:32:11 | 科学、宗教+

今日は、若い時の一時期をともに過ごした人びとと一堂に会する機会があった。中には20年以上ぶりの人もいた。まさに自分の過去が蘇るという時間であった。自分にはこういう面もあったのか、あるいは昔の自分はこうだったのか、と言い換えてもよいかもしれないが、新鮮な驚きがあり、頭の中をそよ風が吹き抜けるという感じで、楽しい時を過ごした。現実との付き合いも貴重なものである。

人類の始まりは2人だけ。その始まりを数か所とする考えがあるにしても、そこから人類の歴史が始まったとしたら、本当に今のわれわれはどこかで繋がっているのだ、という話をしている人がいた。昔であれば、頭では理解できても通り過ぎていたが、今回はそれが少し実感に近いところまで来ているように感じたのにはやや驚く。

今読んでいる « Dieu et la science » (Jean Guitton, Igor et Grichka Bogdanov) 「神と科学」 の中での疑問は、なぜ何もないのではなく何かがあるのか、なぜ宇宙は生まれたのか、最初に何が起こったのか、それから生命がどのように生まれたのか、ひとつの細胞から人間までどのように、そしてこれらは偶然の出来事なのか、何ものかの仕業なのか (プログラムされているのか)、などについて。いずれも答えを見つけることができるのかという疑問ばかりでなかなかついていけないのだが、すべての始まりには興味が湧く。そこに答えの糸口でもつかむことができれば、今の状況に対する見方も変わってくるのかもしれない。

今の科学は 「どのように Comment ?」 に対しては答えをある程度用意できるが、「なぜ Pourquoi ?」 になると哲学の領域に入ってくるのだろうか。その問いに対して答えようとする意識が弱いか、その問いを発することさえ無意識のうちに抑えているような気がする。自らを振り返っても 「どのように」 に対応するのに精一杯で、とてもそこまで行っていない。そこまで行かなければ面白くないようにも感じてきている。

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現実の外との付き合い UNE SOIREE AVEC DES SCIENTIFIQUES

2005-10-29 19:28:40 | 出会い

昨日は久しぶりに仕事関係の人と会い、話をする機会があった。最近、ブログを初め、芸術的、あるいは哲学的なものに興味を覚えているというような近況を話したところ、その中の一人は、少し枯れてきたのではないかという反応。やや驚いたが、昔の自分であればそういう印象を持っただろうな、と考えてその反応を理解した。また学生時代に哲学を専攻した後に科学の分野に入ってきた人は、やっと目覚めましたか、目覚めてしまいましたか、僕なんかもう30歳からそうです、というお言葉。

立場によって人の見方は180度変る。この現実 (これも極めて曖昧で、ある意味そんなものはないとも言える) に加えて幻想の世界を持っているかどうかで、ものの見え方が大きく変わってくるのか、などと考えさせられることしきり。仕事に生きているほとんどの人は現実の中に身を置いていて、その裏側に世界があることを考える余裕がないか、考えていると現実の中でうまく対応できなくなるのでそれを拒否しているのか。私の場合、ひょっとすると、現実との対応に少し余裕が出てきたと感じているだけなのかもしれない。

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マチュピチュ MACHU PICCHU

2005-10-28 23:15:35 | 

バルガス・リョサを読んでいたせいだろうか。昨日のテレビでやっていたペルーの世界遺産、マチュピチュ Machu Picchu に見入ってしまった。どこかでは目に入っているのだろうが、意識的に見たのはこれが初めて。

アンデス山中の標高2000メートルを越えるところにある9ヘクタールに及ぶ石の空中都市。
1533年にスペイン人のフランシス・ピサロにより第13代皇帝アタワルタが処刑されるまでの500年ほど続いたインカ帝国の建造物。
太陽を神として崇めていた当時の人々の自然への、神への捧げもの。
人々の祈りの産物。

ところどころに石の段々畑 (アンデネス) が見える。トウモロコシを栽培していたところらしい。トウモロコシを乾燥し、磨り潰し、熱湯を加えて小麦粉とともに二晩発酵させて、チチャと呼ばれる酒を作るのだという。今でも作られていて飲む前に大地に数滴たらして自然への感謝を示す。

100体以上の骨を調べた文化人類学者の話では、男女比は1:1で、10‐50歳位の人から構成され、女性には出産の形跡もあるという。また骨に傷や重労働の跡はなく、武器なども見つかっていないので、争いのない穏やかで豊かな生活を営んでいたようだ。また頭蓋骨を変形させる風習の人が混じっており、ペルー南部からこの都市の建設のために来ていた人ではないかと推測している。

マチュピチュは野生のランの宝庫でもあるとのこと (400種もあるようだ)。それにしても空と雲の美しさが目に染みる。テレビでこれだけの美しさである。自然と溶け合っているこの町をこの目で見てみたくなってくる。

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(9 juillet 2007)
今晩もマチュピチュのドキュメンタリーがNHKで流れていた。今回聞いた新しい名前は、パチャクティ Pachacuti あるいはパチャクテク Pachacutec

Tour virtual を楽しめます: MachuPicchu360.com


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バルガス・リョサ再び LA PENSEE LITTERAIRE DE VARGAS LLOSA

2005-10-27 23:22:50 | 海外の作家

マリオ・バルガス・リョサの 「若い小説家に宛てた手紙」 から再び。

第三章以降は技法から小説を眺めるという構成。例えば、「文体」、語り手を変えることにより醸し出される異なる「空間」、「時間」、メインの流れの中に別の話を組み込む「入れ子箱」(マトリョーシュカのように)の手法などなど。その上で、偉大な小説がなぜ偉大なのか、偉大でない小説がなぜそうなのかが、具体的に書かれている。取り上げられている小説はほとんど読んでいないので、理解するところまではいかないのだが。しかしこれから読んでいく時には参考になるのだろう。それ以上にこの本を頼りに、ここで取り上げられている小説を読んでみたいという気にさせられた。偉大な小説家ばかりではなく、彼の出身でもあるラテン・アメリカ文学なども。

読んでいて、はっとしたのは D.M. トマスというイギリスの作家が書いた 「ホワイト・ホテル」 が取り上げられているところ。時間的視点では、過去、現在、未来と三つの 「転移」 を持っており、さらに時間的な転移だけではなく現実から幻想的な世界にまで移行するという構造を持っているという。その時、この本を20年ほど前に買ってそのままにしていたことを思い出したのだ。探してみると見覚えのある表紙 (The Viking Press の 1981年版) が出てきた。その昔が蘇るようで少し嬉しくなる。近いうちに中身に触れてみたい。

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バルガス・リョサによる小説家 ROMANCIER: QUEL TYPE DE PERSONNE ?

2005-10-26 23:46:55 | 海外の作家

今週のお昼の読書は、先週話題にしたマリオ・バルガス・リョサの 『若い小説家に宛てた手紙』(原題: Cartas a un joven novelista)。

若き小説家志望の人に書いた手紙の形式を取っている。最初の方で、小説家というのがどういう人種なのか、どういう職業なのか、ということについて書かれてあり、目を開かせてくれた。予想はついていたが、なかなか大変な仕事である。

いやしくも文学を志す人はそもそも報われることなど考えてはいない人種だ。結果ではなく、書くこと自体がいいものだと感じていてそこに歓びを見出すことのできる人。そこから生まれるであろう社会的、経済的、政治的なものなど全く期待していない人。もしそうだとすると、発禁処分にあっていた先日のミハエル・ブルガーコフは、そういう状況にあってもひょっとすると満足していた人なのかもしれない。

作家というのは、ごく少数の例外 (ランボーなど) を除いては、長い気の遠くなるような研鑽を積んだ結果はじめて生まれるもの。そういう人の心のどこかに現実に対する違和感・不信があるはず。現実に満足している人が空想の世界を構築しようとするだろうかというわけである。

フローベールは、「ものを書くのはひとつの生き方である」 と言っているという。書くことが人生と考えていた人としては当然だろう。その結果、自分の人生のすべてを書くことに捧げることになる。自分の中にあるものを漁りまわすのだ。プルーストが記憶の襞の中まで分け入り、壮大なドラマを紡ぎ出したように。その姿は、生きるために自分の足から食い始める神話の動物を想起させる。その結果、作家がテーマを選ぶのではなく、テーマが作家を選ぶことになる。自分の奥深くから出てくるものを拾い上げ、これだけは書かなければならないと考え、それ以外を排除する人こそ真の小説家ということになる。

まだ読んでいる途中だが、とにかくいろいろな小説と小説家が出てくる。これから小説に対する彼の考えが披瀝されることになる。

(à suivre)

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* リョサに関連して *
先日、リョサが現状を見るためにガザへ出かけたということを書いたが、その報告が Le Monde に出ていることをウニさんからのTBで知る。このようなタイムリーなTBは本当にありがたい。

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少数派から日本を見れば LE JAPON VU PAR UN MINORITAIRE

2005-10-23 23:44:31 | 哲学

中島義道は初めてではない。1年ほど前、ある焼き鳥屋で隣に居合わせた20代の女性二人と話をしている時に、「中島義道読んだことありますか?」 と聞かれたことがある。名前も知りませんと答えると、「『不幸論』 でも読んでみたらいかがですか、面白いですよ」 と勧められたのだ。私と話していて何かを感じ取ったのだろうか。実際に読んでみて、この人が感じ考えていることを私も感じていることを知り、その女性の感覚の鋭さに驚いたものだ。

昨日、今日と彼自ら言うところの「くだらない本 (大学に勤めているものとして本来書かなければならない専門論文ではないという意味だろう)」、同僚からの羨みも混じった忠告では 「ビラ配り」 のビラにあたる 「哲学の教科書」 と 「私の嫌いな10の言葉」 に目を通す。前者については後ほど書いてみたい。

「私の嫌いな・・・」 では 「相手の気持ちを考えろ!」、「一人で生きてるんじゃないからな!」、「おまえのためを思って言ってるんだぞ!」 など10の言葉を吐き出す多数派 (著者言うところの善人、あるいはそこにある正義を押し付ける人) の頭の中を解剖した本と言ってもよいかもしれない。同時にこの本は、そこから浮かび上がる少数派から見た日本社会の問題点を指摘しているようにも見える。

多数派が繰り出すこれらの言葉の裏に、議論を打ち切る、言葉を否定する、善意の衣をかぶった暴力的なものを見ているようだ。自分と向き合って出てきた言葉ではなく、出来合いのものを正義として相手に押し付けている。社会で定型として認められていると考えているものを振りかざす。少数派にはそう写る。そこに少数派を自任する著者は息苦しさを感じ、嫌悪感を催す。その前に、言葉を尽くした議論をしましょうよ、ということになるが、多数派はそれを拒否する。日本社会の至る所に見られる現象かもしれない。

一般的に少数派は多数派をよく観察しているが、多数派は少数派には鈍感である。少数派は現実を生きていく上ではそうせざるを得ないが、多数派にはその必要がないのでセンサーがどんどん退化していくし、言葉を発する必要もなくなるのだ。このことを理解したのは、7年ほど滞在したアメリカから帰ってそれまで自分の中にあった少数派に対する感受性が急速に失われているな、と自覚した時である。努めなければ感受性は戻ってこないな、と感じた時である。

日本の大半の親が子供に自分の意見を余りはっきり言わないように育てるのも、その方が日本社会では生きやすいということを知っているためだろう。しかし、そうする過程で自分と向き合うことを止め、自分の言葉を持つ機会を次第に失っていくのだ。著者が大学で学生に質問をしてもニヤニヤ笑っているだけで答えが返ってこないと言って嘆いている。私も同様の経験をして、いつも物足りなさを感じている。日本社会では真の会話が成り立ちにくく、取り留めのないことに終始するのは、こういう背景があると思われる。

昨日だったか、ETVで日本章受賞作品の再放送があり、丁度レオナルド・ダヴィンチの 「最後の晩餐」 を巡る問題についてニューヨークの専門家と高校生が考えるという番組が流れていた。高校生はそれぞれの考えを自分の言葉を探すように表現していて、彼らの周りに広い空間が広がっていた。また柔軟で大きくものごとを捉えようとしている姿の中にある種の成熟を見たようで、すがすがしい気持ちにもなった。もちろん、専門家がダイナミックで挑発的だったことも大きいのだろうが、、。ふと日本の高校生ではどんな番組になっただろうか、などと考えていた。

仕事の関係でアメリカやヨーロッパの人と話をする機会があるが、その時にいつも感じるのは、彼らの独自の世界を上手に外に出す術を知っていることだ。その世界は人によって大きく異なってくるので、その空間を共有することは為になるという前に楽しめるのである。最近、この種の接触が無上の歓びをもたらしてくれるということに気付きつつある。

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曇天の週末に想う LE WEEKEND NUAGEUX, REFLECHISSANT LA VIE

2005-10-22 16:25:02 | 

肌寒くなると、家でもコーヒーを挽きたくなる。今朝外が騒がしくなったと思ったら通り雨であった。先日の居酒屋の帰り、やや浮かれながら本屋VVに入った。若者向けなのだろうか、煩雑に物が並べられている。芸術関連の本が独特のセンスで選らばれ、他の本屋さんでは目がいかないような本にまで手が伸びる。

この日はお酒の影響だろうか、大脳皮質の抑制がなくなりその奥底に潜んでいるところが本を選び取って行ったようだ。バッグに入っていた本を翌日出してみてそう思った。

藤原新也 「メメント・モリ」 (情報センター出版局)
チャールズ・ブコウスキー 「死をポケットに入れて」 (河出文庫)
チャールズ・ブコウスキー 「詩人と女たち」 (河出文庫)
中島義道 「哲学の教科書」 (講談社学術文庫)
中島義道 「私のきらいな10の言葉」 (新潮文庫)
植草甚一 「ぼくの東京案内」 (晶文社)
ジューン・ローズ 「モディリアーニ」 (西村書店)
Taschen の画集が2冊
ドーリス・クリストフ 「アメデオ・モディリアニ」
Luigi Ficacci "BACON"
それに「Coyote」 という旅の雑誌まで入っていた。この頭の中には何が入っているのだろうか。

今日、その中のいくつかをゆっくりと眺める。まず藤原新也の 「メメント・モリ」 について。

「メメント・モリ」は Mémento Mori。"Souviens-toi que tu es mortel." 「死する存在であることを想え」 という意味のラテン語とのこと。体を動かして、それにより頭も刺激されているかのように見える人から出る (机の上からは決して出てこないような) 言葉が添えられたこの写真集にはインドが溢れている。4-5年前に仕事で訪れたインドの景色と時間の流れが蘇り、じっくりと見る。原始の世界を垣間見るようなところもあり、興味をそそられる国である。

他のものについてもいずれ触れてみたい。買った時の精神状態がその後の意欲に結びつく。その時に盛り上がっていれば、その記憶のため時間が経ってからでも気持ちよく読み進むことができるという傾向があるようだ。

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ミハイル・ブルガーコフ BULGAKOV - ECRIVAIN RUSSE WELLSIEN

2005-10-21 23:58:47 | 映画・イメージ

今週のお昼の読書は、ブルガーコフという20世紀初頭のロシア作家の 「運命の卵」 になった。

ミハイル・ブルガーコフ Михаил Булгаков (Mikhail Bulgakov) (1891-1940)

ウクライナのキエフに神学教授の長男として1891年に生まれる。1916年、キエフ大学医学部を卒業。5年後にはモスクワに移る。スターリンの体制を支持しなかったばかりではなく揶揄したため、彼の作品は長い間発禁処分になっていたらしい。スターリンに亡命あるいは西側にいた弟に会うことを求めたが拒否され、50歳を迎える前に亡くなる。

作品を発表することが仕事の作家が日の目を見ないことを承知のうえで書き続けるという状態は、どのようなものなのだろうか。袋小路に入ってしまったという感覚は常につきまとっているだろう。絶望に近いものがあるかもしれない。修行として受け止めることができるのだろうか。ただ書くこと、息をするのと同じように書くこと、そのことだけに意味を見出すことができるのだろうか。

考えようによっては、人生とはそんなものかもしれない。結果を期待するのではなく、ただ生きていることに意味があるという立場。生きて、五感を通して見たり、聞いたり、触れたり、感じたりすること、そのこと自体が素晴らしいという考えに達することができればの話だが、特に若い時にはなかなか難しいだろう。

この作品は1924年に書き終えたことになっているので、33歳の時の作品。ただ物語はその4年後から始まっている。主人公はモスクワ動物学研究所長のウラジミール・イパーチェヴィッチ・ペルシコフ教授 58歳 (4ヶ国語に通じる)。彼は自分の専門領域以外には興味を示さないため奥さんにも逃げられてしまう、偏屈な科学者の趣を持っている。マッド・サイエンティストとまでは言わないが。

ある日のこと、ペルシコフは赤色光線なるものでアメーバが異常増殖することを見つけ、対象を蛙のおたまじゃくしへ。最後に、ドイツから受けとるはずの鶏、ダチョウ、蛇、ワニなどの卵が何かの手違いでソフホーズに送られる。そこで大変なことが起こる。その有り様はまさに Sci-Fi、ハリウッドのパニック映画 (ジュラシックパークなど枚挙にいとまがない) と言ってもおかしくないような展開。どこかのんびりしたところも感じられるので、最初に頭に浮かんだのは子供の頃に見た怪獣が町で暴れる白黒のテレビドラマだった。娯楽作品として結構楽しむことができることに驚いた。

中に、ペルシコフと助教授のイワノフとの間に次にような会話がある。
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 「教授」 とイワノフはつづけた。「あなたは世界的な名声を獲得されることでしょう・・・頭がくらくらしそうです。おわかりでしょう」 と熱っぽく語りつづけた。「ウラジーミル・イパーチイチ、これに比べると、ウェルズの小説の登場人物たちなどはまったく荒唐無稽なものにすぎません・・・わたしだって、あんなものはとるにたりぬ作り話だと思っていたのですが・・・ウェルズの 『神々の糧』 を覚えていらっしゃいますか?」
 「ああ、あれは小説だよ」 とペルシコフが答えた。
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当時彼は H.G.ウェルズ (Herbert G. Wells, 1866-1946) を読んでいて、ウェルズに触発されてこの小説を書いたことを想像させる。当時のロシアには意外に情報が入っていたのだな、というのが読んだ時の印象。

それから学生時代にロシア語を一年だけ齧ったことがあったので、その音を久しぶりに聞く楽しみを味わうこともできた。

助教授 「ピョートル・ステパーノヴィチ・イワノフ」
家政婦 「マリア・ステパーノヴナ」
新しい守衛 「パンクラート」
問題のソフホーズの所長 「アレクサンドル・セミョーノヴィッチ・ロック」

研究所のある 「ゲルツェン通り」
所長の自宅のある 「プレチステンカ通り」
「トヴェルスカヤ通り」
「エカテリノフラフ市」
「コンツォフスカ村」

などなど。

ETVのロシア語講座にチャンネルが合った時に文学作品の朗読が流れていたりすると、なぜかわからないが感じる郷愁のようなものも蘇ってきた。この不思議な感覚も、ペルシコフのお話を読み進むのを後押してくれていたようである。

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(version française)

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マリオ・バルガス・リョサ VARGAS LLOSA - ECRIVAIN VOYAGEUR

2005-10-20 23:57:18 | 海外の作家

今週の Le Point に興味深いインタビューが出ていた。今回も初めての人で、ペルー生まれの行動する作家、マリオ・バルガス・リョサ。最近、ラテンアメリカについての本を出したのを機にインタビューを試みたらしい。彼の話を読んでみて、その生き方には大いに魅かれるものを感じた。

Mario Vargas Llosa (1936 Arquipa, Péru -)
Dictionnaire amoureux de l'Amérique latine (Plon, le 17 octobre 2005)

ほぼ70年に及ぶこれまでの人生を外から簡単に見てみると、1936年南米はペルーの生まれだが、法学と文学をマドリッドの大学で修める。20代前半に小説を発表し、パリに移り住む。20代後半には小説 「都会と犬ども」 (La ville et les chiens) を発表。イギリスで数年過ごした後、ガブリエル・ガルシア・マルケス Gabriel Garcia Marquez (1928 Aracataca, Colombia -) についての仕事で30代前半に哲学と文学の博士号をスペインで得る。1990年 (50代半ば) にはペルーの大統領選に出て、アルベルト・フジモリに敗れる。その後、次のような本を出す。
1993年 Le poisson dans l'eau
2002年 La fête au bouc 
2003年 Le paradis - un peu plus loin

彼は一箇所に留まることなく、リマからマドリッド、ロンドン、パリと生活の場を変えている。どこが住まいなのかの問いに、「ポイントは、今いるところに住んでいるということ」 と答えている。「リマは若き日の思い出のため、パリとマドリッドはヨーロッパの鼓動を感じるため、そしてロンドンは仕事をするため」 とのこと。

Pour l'essentiel, j'habite où je suis.....Lima, c'est pour les souvenirs de ma jeunesse. Paris ou Madrid, c'est pour sentir le pouls de l'Europe qui bouge. Mais Londres, c'est l'idéal pour travailler.

非常に規則正しい日常のようで、朝起きて、散歩してから新聞を読んでシャワーを浴び、執筆後は図書館かカフェ、それからまた執筆。毎日がこの繰り返し。ただ時として閉所恐怖症になるので、そんな時には特派員として飛ぶようだ。長い間自分に閉じこもるのは不健康と考えている。

Je suis très organisé : réveil, promenade, lecture des journaux, douche, écriture, bibliothèque publique ou café, puis encore écriture. Toujours la même chose, le même rythme....De temps à autre, je deviens claustrophobe, et, alors, je me transforme en envoyé spécial ici ou là....Un écrivain ne doit pas s'enfermer trop longtemps avec ses fantômes. Ce serait malsain....

彼はフローベールの賛美者であるが、フローベールのように修道者、引きこもり、文学的なばか騒ぎの信奉者として生活する (空想の世界に閉じこもる) ことは好きになれないらしい。精神の健康を維持するためにはフローベール的な要素とジャーナリストの (現実を見る) 側面を持つ必要があるのではないかと考えている。

そういう生き方をしているので、世界中のすべてのことに興味があるという。イスラエルがガザから撤退した直後に様子を見に行っている。ラテンアメリカのスラムよりもひどかったらしい。イラクについても、独裁者がいなくなるのはよいが、それが戦争に値するものだったのかと考えている。フランスについてもなかなか厳しい。伝統的な反アメリカ主義 antiaméricanisme が今でも根強く残っていて、さらに反自由主義 antilibéralisme (と anti-globalisation の感情) が加わり、それだけが今日のフランス人の唯一のコンセンサスになっていないか。フランスの反アメリカ主義はラテンアメリカよりも強いのでは。フランスはいつまでこの状態を続けるのだろうか。ナショナリズムに対してフランスをこれまで偉大にしてきたユニバーサリズムを蘇らせるようにしなければならないのでは、、。

左の知識人として生きているように見えるが、との問いには、次のように答えている。
「インテリは一般的に理想的な世界を求める。それは現実よりはユートピアで出会うもの。民主主義はより悪くならないようなシステムなので本来的に不完全なもの、理想的なものではない。私は今でも utopiste。政治の世界以外では。」

フランスでは、フローベール/マラルメの系統 (lignage Flaubert-Mallarmé) とシャトーブリアン/バレス/マルローの系統 (lignage Chateaubriand-Barrès-Malraux) があるそうだ。前者は 「象牙の塔の中で書き、人生を忘れる (j'écris dans ma tour d'ivoire et j'oublie ma vie) 」 というもので、後者は 「作品を書くために冒険に満ちた人生を送る (la vie aventureuse comme prétexte de l'œuvre) 」 と考える。日本でも 「小説を書くことが人生」 に対して 「人生の中で小説を書く」 という分け方で小説家を見る話を聞いたことがあるが、人間の生き方にも通じるだろう。その中で彼はどこにいるかというと、片足をフローベールに、もう一方をマルローに置いているという。ジャーナリストが本を書くというのではなく、あくまでも作家が旅をしているという感じなのだろうが、。

精神のダイナミズムを適度にバランスをとりながら、あらゆるものに興味を示し、動き、観察し、そして発する。素晴らしい人生を送ってきたように思えるのだが。作品にも近いうちに触れてみたい。

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もう一つの展覧会 L'EXPOSITION "MELANCOLIE" A PARIS

2005-10-19 23:11:14 | 展覧会

今週届いた Le Point によると、 « Mélancolie » という展覧会がパリのグラン・パレで開かれている。この展覧会では、メランコリーの暗い面だけではなく、メランコリーの芸術の創造に与える影響をギリシャ時代から現代に至るまで検証する形でさまざまなタイプの作品が250点展示されているという。会期は来年1月16日まで。

この記事で紹介されている中で私の知っているものは、かの有名なアルブレヒト・デューラー Albrecht Dürer (1471-1528) の Mélancolie (メランコリア) という銅版画 (今日の写真。サルトルの「嘔吐」に繋がる) と100億円以上 (?) で落札されたというゴッホ Vincent van Gogh (1853-1890) の Portrait du docteur Paul Gachet (ガシェ博士の肖像)、それにエドワード・ホッパー Edward Hopper (1882-1967) の Une femme au soleil くらいである。が、少し覗いてみたい気はする。実現するのだろうか。

この展覧会にあわせて、関連本がいくつか紹介されている。

« Mélancolie », le catalogue (Gallimard/RMN, 2005)
« La Vie et l'Art d'Albrecht Dürer » Erwin Panofsky (Hazan, 2004)
« Mélancolies », Yves Hersant (Robert Laffont, 2005)
« Anatomie de la mélancolie », Robert Burton (Folio/Classique, 2005)
« Malinconia », Jean Clair (Gallimard, 1996)

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数ヶ月ぶりの居酒屋にて LA BEAUTE JAPONAISE DANS UN IZAKAYA

2005-10-18 23:55:45 | 出会い

今日は久しぶりに居酒屋に行く機会に恵まれた。このお店はもう10年以上前にご主人が Tokyo Journal という雑誌の表紙を飾った時に顔を出して以来、年に数度お世話になり、楽しいお話を伺っている。今日お店に入ってみて中をじっくり見わたしてみて、絵になるところに溢れているのに驚いた。これだけの長い間気付かなかったとは、今まで何をしていたのだろうか。写真をとるようになり、ブログを書くようになって、注意深くものを見るようになったせいだろうか。今晩は充分に堪能させていただいた。

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(version française)

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小さなフランス語ガイド UN PETIT GUIDE POUR LE FRANCAIS

2005-10-17 20:32:01 | フランス語学習

この6月にパリの FNAC で仕入れた本がなかなかよい。暇を見て電車の中などで目を通しているが、表現を整理するのに重宝している。

Guide pratique de la communication (Didier, 1991)

それに普通の辞書のサイズなので手の中での収まりもよい。本の中には状況にあわせた文型が溢れているので、少しアレンジすればすぐにでも使える表現をつくることができる。問題はその文型の中に入れる材料をどれだけ蓄えることができるのか、ということになるのだろう。

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ヘンリー8世と6人の妻 THE SIX WIVES OF HENRY VIII

2005-10-16 09:01:34 | 出会い

  "DIVORCED, BEHEADED, DIED, DIVORCED, BEHEADED, SURVIVED"

ヘンリー8世の6人の妻の運命を歌った RHYME だという。この話を知ったのは、先日杉本博司のエッセイ集 「苔のむすまで Time exposed」 の中にあった 「不埒王の生涯」 を読んだ時 (2 octobre 2005)。そして数日前に、juil さんに何と 「ヘンリー八世の六人の妻」 という音楽まであることを教えていただいて、少しまとめてみようという気にさせられてしまった。向こうの人にとってはおそらく常識なのだろうが、。

Henri VIII (1491-1547)

(1) キャサリン・オブ・アラゴン Catherine of Aragon (1485-1536) [married 1509- divorced 1533]
(2) アン・ブリン Anne Boleyn (1500?-1536) [married 1533-1536 executed]
(3) ジェーン・シーモア Jane Seymour (1509-1537) [married 1536-1537]
(4) アン・オブ・クレヴス Anne of Cleves (1515-1557) [married January 1540-divorced July 1540]
(5) キャサリン・ハワード Katherine Howard (1521-1542) [married 1540-1542 executed]
(6) キャサリン・パー Katherine Parr (1512-1548) [married 1543-widowed 1547]

(1) スペインの王室出身のキャサリン・オブ・アラゴンは、1501年16歳でヘンリー7世 (ヘンリー8世の父親) の長男アーサーと結婚するが半年後にアーサーが死亡。その後、1509年にアーサーの弟ヘンリー8世と結婚。しかし男児には恵まれず(死産流産を繰り返す中、生き残った子供は後のメアリ1世 = Bloody Mary だけ)、その理由を自らが兄の妻と結婚したためだとして離婚を決断。ローマ教皇の許可なく離婚できるようにするためローマと決別し英国国教会を設立 (国教会は基本的にカトリックの伝統を維持しているが、ローマからは独立した存在と捉える方がよいのか。歴史はこの程度のことで大きく動くようだ)。1533年離婚成立。彼女はその3年後失意のうちに亡くなる。

 結婚期間: 24年 (ヘンリー8世、17歳-41歳;キャサリン、24歳-48歳)

(2) アン・ブリンは14歳から6-7年フランスの王室で働きイギリスに戻る。彼は王宮で働いていたアン・ブリンを見初め、妊娠を機に1533年秘密裏に結婚。エリザベス (後のエリザベス1世) を生む。その後二度妊娠するも死産で、ついに男児は得られず。彼女と離婚するのではなく、不貞や王殺害を計画した罪などをでっち上げ、彼女は裁判の後1536年に処刑される。

 結婚期間: 3年 (ヘンリー8世、41歳-44歳;アン、33歳-36歳) 

(3) アンの処刑後11日で結婚したジェーン・シーモアはこれまでの妻とは異なりおとなしい女性だったようだ。結婚1年後に男子、エドワード (後のエドワード6世) を生むが、お産の合併症で亡くなる。彼女は王妃になることはなかったが、ヘンリー8世は彼女を心から愛していたようで、ウィンザー城の聖ジョージ教会の墓地で彼女の横に眠っている。

 結婚期間: 1年半 (ヘンリー8世、44歳-46歳;ジェーン、27歳ー28歳?)

(4) ローマとの決別もあってヨーロッパから孤立していたイギリスの状態を改善するため、側近たちはドイツとの連携を画策する。ジェーンの死後、2年ほど独身を通していたヘンリー8世を政略結婚させようというのだ。宮廷画家のハンス・ホルバイン Hans Holbein をドイツに派遣してクレヴス公爵の二人の娘の肖像を描かせる。王が選んだのは姉のアン。しかし実物を見て愕然とし、結婚をやめようとするが時すでに遅く、結婚はするものの半年後に離婚。

 結婚期間: 半年 (ヘンリー8世、48歳-49歳;アン、25歳)

(5) アンと結婚しているうちから5番目の妻となるキャサリン・ハワードを見初めていたと思われる。アンとの離婚後16日でアン・ブリンの従妹でもあった彼女と結婚。王は肥満と死ぬまで苦しむことになる脚の潰瘍で歩くこともままならなかったという。一方キャサリンは若く活動的。結婚前から付き合いがあったという男との関係を理由に処刑される。

 結婚期間: 2年 (ヘンリー8世、49歳-51歳;キャサリン、19歳-21歳)

(6)前妻の処刑の1年半後にヘンリー8世の最後の妻となったのは、すでに2度結婚して夫を亡くしていたキャサリン・パー。メアリ、エリザベス、エドワードの3人の子供を、メアリより4歳だけ年上であったにもかかわらずよく育て、王の看病にも尽くした。晩年の王にとっては最良の妻であっただろう。ヘンリーの死後、結婚前からの意中の人 (?) トマス・シーモアと結婚するが、お産の肥立ちが悪く亡くなる。1年半ほどの結婚生活だった。

 結婚期間: 3年半 (ヘンリー8世、52歳-55歳、キャサリン、21歳-25歳)

まさに人間の欲望が生の形で表れていた時代。当時の医学のレベルを垣間見ることもできる。事実は小説よりも奇なりで、今でもひとびとの想像を掻き立てているようである。

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リック・ウェイクマンの音楽も聴いてみた。70年代のプログレッシブ・ロックとのことだったので、耳に入ったことがあるかもしれないという期待も込めて。しかし、初めての曲で、この主題とどのように繋がるのかをつかむのは難しかった。いずれ、先入観なしに場所を変えて聞いてみたい。

コメント (5)
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