フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

本文か注釈か LE TEXTE OU L'ANNOTATION

2006-05-25 00:46:06 | Schopenhauer

ショーペンハウアーの言葉に 「人は、先の40年で本文を記し、続く30年で注釈を加える。」 というのがあるという。この言葉を聞いた時、私も1年ほど前から注釈を加え始めたのか、と感じた。それは何かが終わりつつあるという感触を得て、意味付けを求めたからだろうか。

この言葉は同時に、以前に考えたことのあるサルトルの "vivre ou raconter" 「生きることか語ることか」 にも少し通じているような気がしてきた。

それにしてもこれから30年もの間、注釈だけでは疲れそうだ。再び注釈を加えるべき本文を書いてみては、という声も聞こえる。

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ショーペンハウアーとフランス語 SCHOPENHAUER ET LE FRANCAIS

2006-01-06 00:53:17 | Schopenhauer

昨日取り上げた 「読書について」 の中で、ショーペンハウアーはドイツ語の文体を論じ、言葉の乱れを厳しく指摘している。いつの時代も同じだな、というのが率直な印象。その語り口を聞いていると彼が蘇ってくるようだ。辛辣なことをずけずけという親爺が。その中に、フランス語について触れているところが出てくる。以下にその抜粋を。

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「さらにまた "Diese Menschen haben keine Urteilskraft" (この人々は判断力をそなえていない) と言わずに "Diese Menschen, sie haben keine Urteilskraft" (この人々はすなわち彼らは判断力をそなえていない) というような言い回しをしたり、一般に、フランス語、つまり膠(にかわ)でつないだような卑しい言語の貧しい文法をはるかに高貴な言語であるドイツ語の中に取り入れたりすることも、退廃的なフランス趣味である。」

(最初に出てくる文体、確かにフランス語に特徴的ではないかということには気づいていた。まず問題を投げ掛ける、そしてその後に説明を始めるというやり方。これが以外に便利な言い回しなので、しばしばお世話になっている。)


「たとえばヴォーヴナルグが "ni le dégout est une marque de santé, ni l'appétit est une maladie." (食欲不振も健康のしるしにあらず、食欲旺盛も病気にあらず) と記しているのを見るとただちに ni…est ではなく ni…n'est でなければならないと注意する。我が国ではだれもが勝手な意志で書いているではないか。ヴォーヴナルグが la difficulté est à les connaître (むずかしいのはそれを知ること) と記していると校閲者は注意する。『à les connaître ではなくて、de les connaître でなければならないと思う。』」


「・・・野放し教育の中で育った無知な子どもが、国語の改悪的改善を試みて、『当世風』を誇っている。・・・句読法もすでに彼らの毒牙にかかり、今ではほとんどの人が故意に、かってにいいかげんな扱い方をしている。・・・おそらくその愚かな頭の中でフランス語の愛すべき légèreté (軽快さ) でも考えているのだろう。」


「句読法をいい加減にしておくと言っても、フランス語の場合は語の配列が非常に論理的で、文が短くまとまっているためであり、英語の場合は文法がはなはだなしく貧困で、複雑な文章を作ることができないためであることは明らかである。」


「フランス語の散文ほどすらすらと気持ちよく読める散文はないが、それというのもフランス語はおよそこういう誤りを犯せないようにできているからである。フランス人はできるだけ論理的な秩序、要するに自然の秩序を守って、考えていることを一つずつ並べて行く。つまり読者が考えやすいように、その考えを次第に提示していく。・・・ところがドイツはそれとは逆に、いくつかの別の考えを編みこむので、よじれよじれ、もつれにもつれた一つの文章ができあがる。」

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彼の面目躍如といった風情で、痛快である。
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ショーペンハウアーと読書 SCHOPENHAUER ET LA LECTURE

2006-01-05 21:06:23 | Schopenhauer

昨日はパスポートの更新に出かけた。正月からものすごい人出で、午後が完全につぶれてしまった。このような状況になっても最近は全く苛立たない。むしろ、お陰様でショペンハウアーの 「読書について」 を読み終えた、と言えるような境地に至っている。

相変わらず辛らつな面が至るところに見える本書も、あっという間に読み終えた。本だけ読んで一生を暮らす学者、哲学研究者を罵倒し、現実の世界を読み、自ら思索する人を賞賛している。考えるというのは待たなければならない、その時が来るのを。考えようという意志があっても駄目のようだ。これは全く納得である。あるとき突然、思索が自然に流れ始めるのだ。自分の頭から出てくるものでなければ身につかない、新鮮ではない。

読むのはよいのだが、読みすぎると人の頭で考えることに慣れきってしまって危険だという。権威になびかない、自分自身が真と認めたものだけに頼る、そういう独立の精神が大切。自分自身のために思索した思想しか価値はない。「独立の思索者」。思想家と思われることが目的で、その名声に幸福を見出そうとするソフィストは糾弾の対象。書く対象のために書く人と書くために書く人との間にある大きな溝を見逃さない。

新刊書を追い求める人々を諌め、古典に集中せよという。学問がそんなに進歩することはない、真理は昔にすでに発見されている。現代の著述家は生存のための相互依存の機構を上手に編み出している。そんなものに操られる必要はない。それに関わっていれるほど人生は長くない。今も昔も変わらないのかという思いと、本屋に溢れる本の中で読むに値するものがどれだけあるのか、という思いに至る。彼の言うところは、ほとんど理解できる。今までとは違って、実行しなければ、という気持ちになるくらいに。


それにしても、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルは罵倒の対象以外の何物でもない。ヘーゲルに対する感情はすでに理解しているのだが。

曰く、「フィヒテやシェリング、ヘーゲルのように知らないことを知っているように偽装したがり、考えも言いもしないことを、考えたり言ったりしているように見せかけたがる。」

曰く、「つまらないことをわずかしか考えていないのに、はるかに深遠なことをはるかに多量に思索したかのように見せようとして懸命である。したがって彼らはその主張を表現しようとして、不自然、難解な言いまわしや新造語を、だらだらとした文章・・・を使う。・・・時にはこれ、時にはあれといろいろな手法を試み、精神をよそおう仮面としてそれをつけてみる。・・・ドイツにこの仮面を紹介したのはフィヒテであり、シェリングがそれを完成し、ついにヘーゲルの力でこの仮面は流行の最盛期をむかえた。」

曰く、「人類の知識の進歩を、惑星の軌道になぞらえて考えるのが得策である。人類は、めざましい進歩をとげると、その後まもなく、ほとんど決まったように迷路に陥る。(その迷路を周転円になぞらえた後) さてこのような周転円の一例は、フィヒテが始め、シェリングがうけつぎ、最後にヘーゲルが戯画化して仕上げた哲学である。」

曰く、「フィヒテ、シェリングの哲学は、哲学史上その比を見ないこのみじめな似而哲学の先駆をつとめたが、・・ついに信用失墜の憂目を見ることになったのである。」

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太陽のもと新しきもの・・・ RIEN DE NOUVEAU SOUS LE SOLEIL ?

2005-12-30 08:50:10 | Schopenhauer

ショペンハウアーの 『パレルガとパラリポメナ』 (『付録と補遺』) の抜粋 「知性について」 という小編をパラパラとめくっていて気づいたことがある。今の人の発見であるかのように思っていたものが、実は昔から考えられていたのか、という感慨である。感慨自体はありふれているが、個々のものに自分で気づくということには、仄かな喜びがある。

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以前に触れたことのある 「哲学者 vs 哲学研究者」 の問題 (12) にしても、ショーペンハウアーの時代から哲学者は少なく、彼の絶賛の対象であり、後者は厳しく批判されている。おそらく古代からある問題なのだろう。


先日アインシュタインの言葉を紹介した中で、ルイ・パスツールの 「少しだけ科学をやっただけでは神から遠ざかる、しかし打ち込むと神に近づく」 という言葉を書いた。ショーペンハウアーの本の中に 「わずかの哲学は人を神からひき離すが、すすんだ哲学は神へ連れもどす」 というのが出てくる。


考えることはものごとを関連づけることとして丸谷才一が 「考えるヒント」 の中で語っていた 「見立て」。これに関連したことも、「知性について」 では扱われている。

精妙な判断力をもつ頭脳の二つの長所として、第一に経験した中から重要な意義深いものを記憶に定着させ、いつでも引き出すことができること、第二に 「関連づけ」 をあげ、次のように続く。

「問題の要点とか、それと類比的な事柄とか、その他何かそれと縁のある事柄を、なかなか他人の気づきにくいことでも、好機に思いつくこと。・・・一見きわめて離れ離れな物事においても、同一のもの、従って互いに連関するものを、ただちに見分けられる、ということ」

第一の点については、ブログが非常に有効であることを今年発見


「政治家は嘘をつく存在」 という鶴見俊輔の発言 (28 mai 2005) は面白いと思ったが、その後ジョージ・オーウェルを読んでみて、その響きがあることを感じた。これもそれ以前から言われていることなのかもしれない。

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誰もが古典を読むわけではない。むしろ極めて少ないと思われる。先日の話ではないが、クラシックの演奏家のように、昔の人の考えを今に蘇らせてくれる人が必要なのだろう。それは 「太陽のもと新しきものなし」 ということでもあり、昔の人の声を直接聞くことの重要性を改めて感じた年の瀬となった。

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ショーペンハウアーと現代 SCHOPENHAUER ET AUJOURD'HUI

2005-12-05 00:22:38 | Schopenhauer

彼は誰に影響を与えたのか? Qui a-t-il influencé ?

19世紀の思想家で後世に絶大な影響を与えた2人を挙げるとすれば、政治の領域ではカール・マルクス (1818-1883)、文化面ではショーペンハウアー (1788-1860) になる。誇張だと言う人がいるかもしれないが、哲学の分野を見てもショーペンハウアーがいなければ作品は違ったものになっていたか、ひょっとすると作品さえ書けなかったかもしれない人たちがこれだけいる。

ニーチェ Nietzsche (1844-1900)
キルケゴール Kierkegaard (1813-1855)
ベルクソン Bergson (1859-1941)
カミュ Camus (1913-1960)
ウィトゲンシュタイン Wittgenstein (1889-1951)
カール・ポッパー Karl Popper (1902-1994)
カール・ユング Carl Jung (1875-1961)

文学の分野を見てみよう。以下の人たちの作品には彼の考えの痕跡が見て取れる。

モーパッサン Maupassant (1850-1893)
トルストイ Tolstoï (1828-1910)
プルースト Proust (1871-1922)
クヌート・ハムスン Knut Hamsun (1859-1952)
カフカ Kafka (1883-1924)
ストリンドベリ Strindberg (1849-1924)
ムシル Musil (1880-1942)
ジョイス Joyce (1882-1941)
イプセン Ibsen (1828-1906)
フリードリッヒ・デュレンマット Friedrich Dürrenmatt (1921-1990)

音楽、絵画でもその影響は絶大であった。ワグナー Wagner (1813-1883)、マーラー Mahler (1860-1911)、シェーンベルグ Schönberg (1874-1951)、カンディンスキー Kandinski (1866-1944) などは、言ってしまえばショーペンハウアーの子供である。「街の灯」 « City Lights (Les lumières de la ville) » を撮る前の若きチャップリン (1889-1977) がロンドンで読んでいたのは「意思と表象としての世界」であった。

こうしてみると、ショーペンハウアーを知らずして、19-20世紀の芸術を理解することすらできないということがわかってくる。


なぜ今彼なのか? Purquoi revient-il aujourd'hui ?

1850年から1920年にかけて彼は最も読まれて影響力があったが、第一次世界大戦以降は忘れ去られていた。歴史の進歩を認めない、人類が向上するなどということをひと時も信じていない人の作品を共産主義者やヒトラー・ユーゲントやムッソリーニのファシストたちが取り上げただろうか。それに、大量殺戮など悲惨な現実を前にして彼の暗い作品など誰も読もうとしなかったということがあるのだろう。

今日、過去の大量虐殺の時代が遠のいているように見えること。政治的にもベルリンの壁崩壊以降、境界がぼやけていること、mondialisationなど。進歩がすべての処方箋ではなくなってきていること。快適に暮らしているようではあるが将来に対する不安に溢れていること。科学が問題の解決に寄与するよりはわれわれの生活を脅かすような問題を生み出しているように見えること。さらに付け加えれば、クローン人間、人間性喪失、愛の不毛、確かさのない幸福感、地球温暖化、エネルギー源の枯渇、狂信主義の復活、などなど。

このような背景が、schopenhauerisme が第三千年紀に復活してきた理由になるのだろうか。それだけではないかもしれない。彼は音楽家で、東洋と西洋の橋渡し役で、スケールの大きな文章家でもあった。しかも彼の冷酷さの裏側には限りない優しさがあった。深いところで心の友となる人なのである。

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フランス人の将来に対する感情を代表するのがペシミズムだとする調査結果がある。ショーペンハウアーが最悪を哲学した人だとすれば、フランス人にとっても大切な人になるだろう。

科学の分野ではその人がいなくても誰か別の人がやったであろうと思われるものが多い。しかし、芸術の世界ではその人でなければならないというところがあり、人間の凄さが出てくる。それに目を見張る。芸術家を愛する所以である。

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ショーペンハウアーとは(I)
ショーペンハウアーとは(II) 

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ショーペンハウアーとは(II) SCHOPENHAUER LE PESSIMISTE (II)

2005-12-04 00:19:09 | Schopenhauer

彼はどんな本質的なものを発見したのか? Qu'a-t-il découvert d'essentiel ?

彼は現代哲学において非常にユニークな位置を占めている。第一に、彼は人間存在の重要な問題に取り組んだ。愛、死、苦悩、幸福の可能性など、人間を捉え続けてきた問題に。しかも真実を理解することを求めた。そのためにすべての作りごとや人間の悲惨さを覆い隠すすべてのことに対し、ある時は理論的に、またある時には怒りをもって真っ向から戦いを挑んだ。

そこから明らかになったものには、耳に心地よいものは何もない。耐え難いくらいである。曰く、愛は束の間の幻想に過ぎない。曰く、死こそわれわれの地平にある唯一のもの。幸福は虚構。われわれの存在は苦しみと不安の間を揺らぎ続けるもの。曰く、人間は残酷で、自己中心的で、偏狭で、悪意に溢れるもの。そしてこう言い放つ。

「今日は酷い。そして一日一日どんどん悪くなるだろう、最悪が訪れるまで。」
« Aujourd'hui est mauvais, et chaque jour sera plus mauvais - jusqu'à ce que le pire arrive. »

人を刺激し苛立たせる人間嫌いの考えだけでは文学の世界に留まり、哲学者にはなれない。しかし彼の背後に人間性の進歩についての考えがあるのだ。歴史、政治、束縛からの解放、革命、ユートピアなど当時のヨーロッパに沸き起こっていたものとは異質な考えが。人類は本来的に苦悩と破滅が運命付けられている。したがって、明日がよりよいものだなどという考えは無益。発展もなければ、幸福もない。聖書の神も。彼は断固とした無神論者であった。もちろん聖人、神秘的なもの、インド、仏陀には興味を示したが、誰かがこの世を創ったとは信じていなかった。

工業化が始まったその時に古代に知恵の必要性を再発見したのである。人間は苦渋と孤独の中にあり、慰めの言葉に助けを求めることなく、それに耐えなければならない、と。しかし彼の思想のもうひとつの核心は「意志と表象としての世界」にある意志(ドイツ語でWille)である。それは意図や意識とは何の関係もない。生命や物質を存続させるものである。したがって、それは絶対的で、無目的で、発展するものでもない、われわれの中に体現されている純粋な力 pur force である。

表象(ドイツ語で Vorstellung)はこの意志の反映で眼に見えるもので、われわれが語る歴史、世界がどのように構成されているのかを理解する理性から成っている。しかし、理性の力には限界があり、それを超える意志により囲い込まれている。彼にとって、われわれの知識、欲望、計画はすべて体、本能、われわれの中で知らぬ間に静かに蠢く自然により縁取られている。この考えがニーチェやフロイトへの道を開き、多くの芸術家に影響を与えた。

最後に、彼が見つけたものは一般に信じられているようなペシミズムでも軟弱な精神を挑発するニヒリズムでもない。それは芸術による救済や禁欲主義への関心である。芸術家や聖人こそ人間に運命付けられた悲惨な運命から少しでも逃れることのできる人である。結局のところ、禁欲主義は限られた人にしか割り当てられていない。彼は知性の最高の現れは生の放棄であり、隠遁者や僧を賛美していた。芸術に関しては、イタリアを真に愛し、味覚や絵画を愛し、毎朝フルートを吹く情熱を持っていた。音楽は彼にとって特別の意味を持っていた。このように書き残している。

« La musique ... est complètement indépendent du monde phénoménal ; elle l'ignore absolument, et pourrait en quelque sorte continuer à exister, alors même que l'Univers n’existerait pas. »

「音楽は現象としての世界に全く依存しない。それとは全く関係がなく、言ってみればたとえ世界がなくなろうとも存在し続けるであろう。」

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ショーペンハウアーとは(I) SCHOPENHAUER LE PESSIMISTE (I)

2005-12-03 00:18:07 | Schopenhauer

Le Point の文化欄にはしばしば哲学の特集がある。日本やアメリカの一般の週刊誌では余り印象がないので、いかにもフランスらしいと勝手に思っている。日米とも今どき哲学でもないだろう、というようなところがあるのだろうか。先週の特集はショーペンハウアー Schopenhauer。その昔、名前を聞いた程度だが、現代のすべてに渡って見られる不安(定)な状況に対応する哲学を展開し、今その重要性が増しているというような件があったので読んでみた。

Arthur Schopenhauer (1788-1860)

この特集では、彼がどういう人で、何を見つけて、誰に影響を与え、今なぜ彼なのか、というテーマで7ページに渡って紹介されている。3回に分けて書いてみたい。

彼は何ものなのか? Qui donc était-il ?

彼はダンツィヒ Dantzig (現在のポーランドのゲダニスク Gdansk)に成功した商人の息子として生まれる。父親は息子に Arthur と名づけた。ヨーロッパのどこの国でも通用するというただひとつの理由から。このことはショーペンハウアー家がドイツ人である前にヨーロッパ人であることを示している。父親は Times 紙を購読し、10歳の息子を Havre に出してフランス語を習わせている。母親はゲーテの友人。

息子の教育には、外国語、音楽、劇場、オペラ。しかし息子を捉えたのは思想の世界。親爺は金と縁のない生活を心配して勉学を止めさせようとするが無駄。もし学問の世界を諦めるのであればヨーロッパ一周旅行へ連れて行くという話に16歳の息子はその条件を飲み、オランダ、イギリス、フランス、スイス、オーストラリアなどを巡る2年間の旅に出る。その結果、父親が望んだ通り、世界という本を読むことを学ぶ。この間に決定的な経験をする。

« Dès ma dix-septième année, avant d'avoir reçu aucune culture supérieure, je fus saisi de la misère de la vie comme le Bouddha dans sa jeunesse, quand il aperçut la maladie, la vieillesse, la douleur et la mort. »

(私は素晴らしい文化に触れる前の17歳の頃から、若き仏陀が疾病、老い、苦痛、死を見た時のように人生の悲惨さに囚われてしまった。)

同年代の若者の誰よりも目覚めてハンブルグに帰ってきて、約束どおり商売をすることにする。本を隠し持ちながら。しかし、父親が屋根から落ちて亡くなる。これにはさすがの彼も落ち込み、自殺を考える。最初の欝である。その後、ラテン語、ギリシャ語を始め、医学、哲学に夢中になる。

母親の遺産が入り、彼は一生働かずに過ごすことができるようになると、23歳の時に、世界を理解しようという仕事に一生を費やそうと決心する。30歳で大著「意志と表象としての世界」を完成させ、1819年に出版している。それ以後の作品はすべてこの焼き直しや敷衍であると言ってもよい。若くしての成功は彼を高慢にし、ベルリン大学では20歳ほど年上の大家ヘーゲル Hegel と同じ時間帯に自分の講義を設定する。しかし、超満員のヘーゲルの講義とは対照的にほとんど一人の学生も集められないという屈辱を味わう。第二の欝の始まりになる。

30年の沈黙を経た1851年、« Parerga et Paralipomena » (=A-côtés et omissions) 『パレルガとパラリポメナ』 (『付録と補遺』) で再び世に出る。すでに60歳を越えていた。数年で彼のペシミストで人間嫌い misanthrope の考えがヨーロッパを魅了するようになる。人生は苦しみ、と唱える彼はドイツの仏教者 bouddhiste allemand と呼ばれる。1860年、フランクフルトの居間で心筋梗塞のため72歳の一生を終える。

彼は人生の最高の目的に掲げたことを最終的に達成した。それは哲学者であること、それは取りも直さず存在について理解すること、それ以外はすべて付録。結局、この自己中心的なブルジョアは、考え、作品を書くためにだけ人生を送ったことになる。だから、満たされなかった愛情生活、頑なな独身主義者、パラノイア、フルート演奏、東洋趣味、人間嫌い、反動主義、犬好きなどはほんの逸話にしか過ぎないことになる。彼は自分自身を次のように定義していた。

« Mais qui suis-je donc ? Je sui celui qui a écrit "Le monde comme volonté et comme représentation" et qui a donné du grand problème de l'existence une solution qui remplacera peut-être les solutions antérieures et en tout cas occupera les penseurs des siècles à venir. »

「では一体私は何ものか。『意志と表象としての世界』を書いた人。存在の重大問題について過去の解答に代わる、来るべき世紀の思想家を捉えることになるだろうひとつの解答を与えた人。」

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