これまで述べてきたハイデッガーの明るい面と暗い面の関係はどう考えたらよいのだろうか。彼は暴力と死の教義を唱えたナチそのものだとするエマニュエル・フェイ Emmanuel Faye のインタビューと、彼は不等に非難されているとするハイデッガーの擁護者フランソワ・フェディエ François Fédier の著作からの引用が Le Point には掲載されている。
両者の主張を聞いてみると、同様の状況は日本でも見られる。フェイによると、ハイデッガーはガス室についてはほとんど語っていない。強制収容所についてにおわすような発言をする時もユダヤ人という言葉は一切使わない。歴史的真実を否定する彼の態度は、修正主義 révisionnisme の父といってもよい。その流れから全否定主義者 négationniste も出てきている。これからは、彼の思想 heideggérianisme を否定するのではなく、彼の作品を批判的に読むこと、その中にある哲学と哲学ではないところをはっきり区別することが重要になると結んでいる。
フェディエの話は、ポイントとなる 1942-44年におけるハイデッガーの直接の証人 になる Walter Biemel の証言を元に構成されている。例えば、ハイデッガーは、フライブルグ大学でナチ式の挨拶をせずに講義をした唯一の教授であった。「ナチズムの信奉」 "Adhésion de Heidegger au nazisme" という場合、ユダヤ人虐殺、下等人種の奴隷化、将来のための優秀人種の選択を意味しているはずだが、彼がこの犯罪的なイデオロギーに同意しただろうか。彼が学長の時には、ユダヤ人を中傷するビラを禁止したり、ユダヤ人やマルクス主義者の著作の焚書 autodafé を禁止している。これらの事実は、彼が学長として求められている責任をしっかりと理解していたと考えた方がよいのではないか。彼は1934年2月に辞意を表明し、4月27日に承認されている。
ハイデッガーの中でどういうことが起こっていたのか。それを知ることは彼の100巻を超えるとも言われる全集は勿論だが、それよりもむしろまだ手が加えられていない未発表の生の声や彼との接触のあった証人の声に耳を傾ける方がより示唆に富む情報が得られるのかもしれない。ただ、ハイデッガー・アーカイブスはどんな研究者にも開かれていないようだ。
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体制に阿る学者はどこの世界にもおり、自らの中にその要素を否定することは難しい。進んでお抱え学者の道を選ぶ者もいるのがこの世である。しかし彼らの軽さは目を覆うばかりだ。問題は身を委ねるところが、心の底からの信念と一致したものであるのか、自らそこに寄り添おうとしたのか、あるいはそこに巻き込まれたものなのかということだろう。
彼の生きた時代にどれだけの人が体制に異を唱えていたのだろうか、私は知らない。最近の東アジアの情勢を見ていると、一瞬にして空気が変わりうる瞬間がある。緊急事態にあるとして、それまでの積み重ねなどあっという間に吹き飛んでしまってもおかしくないと思わせる瞬間がある。本当に微妙なことで大きく変わるのではないか、と思わせることがある。呑気な状態での正義を気取る発言をしている言論人の真価が問われるのは、話すことが憚られる状況でそれができるかどうかだろう。言論人を見る時、そこまでの気骨が本当にあるのかどうかを一つの基準にして見極めることにしている。頼りになりそうな人はそれほど多くないというのが今の印象である。