フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

8月の記事

2005-08-31 23:56:19 | Weblog
2005-08-31 われ観察す 故にわれあり J'OBSERVE DONC JE SUIS
2005-08-30 「美しきもの見し人は」  YOSHIE HOTTA - UN ECRIVAIN MEDITATIF
2005-08-29 ブリューゲル - 古気候学 BRUEGEL - PALEOCLIMATOLOGIE
2005-08-28 モディリアーニ MODIGLIANI - UN PEINTRE AUTODESTRUCTEUR
2005-08-27 DES LIVRES ANCIENS - THE NINTH GATE
2005-08-26 台風一過 AU LENDEMAIN D'UN TYPHON
2005-08-25 日仏のために (II) POUR LA RELATION FRANCO-JAPONAISE
2005-08-24 ISAMU NOGUCHI - UN ARTISTE NOMADE COMBATTANT
2005-08-23 ジョン・ケージ JOHN CAGE - UN ESPRIT LIBRE
2005-08-22 鬼束ちひろ CHIHIRO ONITSUKA - CHANTEUSE INDEPENDANTE
2005-08-21 ギリシャ哲学者と現代 LES PHILOSOPHES GRECS ET AUJOURD'HUI
2005-08-20 ギュスターヴ・モロー展覧会 GUSTAVE MOREAU A TOKYO
2005-08-19 イサム・ノグチ - モエレ沼公園 ISAMU NOGUCHI - PARC MOERENUMA
2005-08-18 ジダン復帰 ZIDANE - UNE EXPERIENCE MYSTIQUE
2005-08-17 ブログの効用 (II) BLOG COMME UN APPREIL PHOTO
2005-08-16 山端庸介 - さりながら SARINAGARA - YOSUKE YAMAHATA (VI)
2005-08-15 研究者の定年 (II) BREAKING THE AGE BARRIER
2005-08-14 山端庸介 - さりながら SARINAGARA - YOSUKE YAMAHATA (V)
2005-08-13 おおたか静流 SIZZLE OHTAKA - CHANTS DE LA TERRE
2005-08-12 山端庸介 - さりながら SARINAGARA - YOSUKE YAMAHATA (IV)
2005-08-11 オリヴィエ・アサイヤス OLIVIER ASSAYAS - AUTOBIOGRAPHIE
2005-08-10 風車 - 美を壊す罪  L'EOLIENNE - UN CRIME ESTHETIQUE
2005-08-09 山端庸介 - さりながら SARINAGARA - YOSUKE YAMAHATA (III)
2005-08-08 山端庸介 - さりながら SARINAGARA - YOSUKE YAMAHATA (II)
2005-08-07 山端庸介 - さりながら SARINAGARA - YOSUKE YAMAHATA (I)
2005-08-06 ゲント美術館名品展 MUSEE DE BEAUX ARTS, GAND
2005-08-05 猛暑の日本 CANICULE AU JAPON
2005-08-04 パーソナル・タッチ LES CONTACTS HUMAINS
2005-08-02 秋田に向かう空の上で DANS L'AVION A AKITA
2005-08-01 覚醒-睡眠-夢-記憶 VEILLE - SOMMEIL - REVE- MEMOIRE

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われ観察す 故にわれあり J'OBSERVE DONC JE SUIS

2005-08-31 19:22:37 | Qui suis-je

最近、先日のフランス滞在についての印象記を書くように依頼された。特にフランスの科学を日本やアメリカの科学と比較した場合の特徴についてどう思うかについても知りたいという。一月の滞在で見えてくるものがどれだけ的を得ているのかわからないが、敢えて振り返ってみた。その過程で過ぎったことを書いてみたい。

偶然だが、昨日のブログにはヨーロッパを特徴付けるものとして、「ギリシャ」、「キリスト教」、「科学精神」があげられている。それほど科学という営みが東洋には根付いていないということなのだろうか。

まず彼らと話していて感じたのは、自分の仕事に哲学的な意味を与えようとしていることであった。仕事の中身を他の諸々のことと照らし合わせながらじっくり考えて、そのことを楽しんでいるようにも見えた。現在の科学の中心はアメリカと言ってもよいであろう。そのアメリカでも、哲学的視点から執拗に考えている人は以外に少なかったように思う。中心からの距離感がフランス人をそうさせているのだろうか。あるいは、フランス人には自分と向き合い、自分の声を聞き、自分から発するものを大切にする、議論好きな、疑ってかかる哲学的な要素が長い歴史の中で備わってきたのだろうか。アメリカにいた当時は少しのんびりしているようにも見えた彼らのその姿勢こそが、ひょっとするとフランスの科学の基礎にあるのかな、というようなことを考えていた。

話は少しずれるかもしれないが、私がパリに滞在した時にサルトルの展覧会が国立図書館 François Mitterrand で行われていた。その会場の感想ノートに、デカルトの 「Je pense donc je suis. われ思う故にわれあり」 をもじった 「Je nie donc je suis. われ否定する故にわれあり」 という書き込みがあり、いずれもフランス精神の一端を表しているように感じたことを思い出す。

ところで、自分ならばどう定義するだろうか、とお昼に散策をしながら考えてみた。最近の自分の様子を見ると、今日のお題にした 「J'observe donc je suis. われ観察す 故にわれあり」 というのが当たっているような気がした。こう考えると、それまでは存在していなかったようにも感じて愕然としたが、おそらくそれまでは別のあり方で存在していたのだろうと思い、自らを安心させていた。

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「美しきもの見し人は」  YOSHIE HOTTA - UN ECRIVAIN MEDITATIF

2005-08-30 21:06:04 | 日本の作家

本日、お昼の散策を再開。バスを待つ間にちょっと寄った古本屋で最初に目に入ったのが、堀田善衛氏の「美しきもの見し人は」 (朝日選書、1995年) であった。美術評論のような感じで、ジョルジュ・ラ・トゥール、ガウディ、フランシスコ・デ・スルパラン、La Douce France (美し、フランス)、ワットオ、など今までに触れたことのある芸術家やお話が出ていた。ラ・トゥールのところを読んでみると、これまでとは違い、自分でも美しきものを少しだけ見ることを始めていたせいか、話の内容がどんどん入ってくる。迷わず買ってしまった。400円也。

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「トリスタン Tristan」

美はしきもの見し人は、
はや死の手にぞわたされつ、
世のいそしみにかなはねば、
されど死を見てふるふべし
美はしきもの見し人は。

愛の痛みは果てもなし
この世におもひをかなへんと
望むはひとり痴者ぞかし、
美の矢にあたりしその人に
愛の痛みは果てもなし。

げに泉のごとも涸れはてん、
ひと息毎に毒を吸ひ
ひと花毎に死を嗅がむ、
美はしきもの見し人は
げに泉のごとも涸れはてん。


 アウグスト・フォン・プラーテン
 August von Platen (1796-1836)
  (生田春月訳)
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東が西を理解できるのか?という問題はわれわれの前に大きく横たわっているのだろう。ヴァレリーの言うヨーロッパを構成する 「ギリシャ」、「キリスト教」、「科学精神」 の三大要素が、日本には、東洋には揃っていないと感じる時、この問題が壁のように立ちはだかる。揃っていないので、勉強しなければならない。美に出会った時の感動が努力の報酬という構造になっている。

しかし堀田は、できるだけ努力しない、勉強しないで、その場に身を置いた時にそれまでに蓄積されているもの(東であろうが西であろうが)から湧き出てくるものを、彼が言うところの「現場の思想」を再構成しようとした試みが本書になったという。

この姿勢が大いに気に入った。言葉として意識はしていなかったが、最近始めた、敢えて言えば「美との出会い」で、私が取ってきた姿勢と重なるものがあったから。まず出会いありき、その時に生まれる自分の中の揺らぎをじっと観察するという。

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ラ・トゥールに関する章から

「絵を見る、あるいは見た、ということは、実はそういう自分一個では処理も始末もしかねる部分を、相手によって、自分の内部にもたされることをいうのである。芸術経験とは第一義的にも最終的にもそういうものなのであって、何でもすぐに処理し始末し、説明までをし出す三文評論家のようなことになってはならないのである。」

「この一枚の絵 (新生児 Nouveau né) を見るためにパリから汽車に乗ってレンヌまで行き、さして大きくもない、タテ76センチにヨコ92センチのこの絵の前に立って、私はやはり来てよかったと思ったのであった。
 はじめにも言ったように、私は漠然とした関心をしかもっていなかったのであるけれども、現物の前に立って、やはり心を動かされた。キリストを心にもちながらも、新生児というものを医学的なまでにもレアルに描いているその嬰児像、目を伏せて見守る若い母親、それと右手をあげて蝋燭の光りをさえぎっている女との、この三つの存在をじっと見詰めていて私は、ああ人間が生まれるとはこういうことだったのか! とつくづくと思いあたったという思いにうたれた。」

「ところで、ここで一つ申し添えておかなければならぬことは、先述のル・マンの『聖フランシスの法悦』に、またルーヴルの『夜伽をするマドレエヌ』にも見みられるように、聖フランシスもマドレエヌも人間の骸骨をなでまわしている。これは、ラ・トゥールやレンブラントなどの同時代人であるイグナチオ・デ・ロヨラの教えによって、個室に閉じこもって瞑想に沈み、深き真理に到達するために、光りによって気を散らさぬよう骸骨をなでている、という、当時の宗教的流行に従ったからのことであるらしい。」

「彼の蝋燭や炬火の光りを中心として描かれた作は、パン屋の息子として育った少年時代の、パン焼竈の火の色が原記憶となって生成してきたものではなかったかと、というのも私の想像の一つである。」

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール
ラ・トゥール展にて

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本棚に目をやると、彼の本がまだ手付かずで長い眠りについている。いずれ時間をつくって読んでみたい。

「ミシェル城館の人」 (集英社)
「ラ・ロシュフーコー公爵傳説」 (集英社)

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ブリューゲル - 古気候学 BRUEGEL - PALEOCLIMATOLOGIE

2005-08-29 23:23:20 | 科学、宗教+

最近、ピーテル・ブリューゲルの 「雪中の狩人たち」 (ここで取り上げている絵) について、Floral Musée さんとこんなやり取りがあった。

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P-A: 画集で見る限り、確かに暗い色調が全体を包んでおりますが、氷の上で戯れる人々の何と生き生きしていることか、と驚いています。自然を描いていることは間違いないのですが、当時の人の活力が溢れている絵とも言えるように感じました。

この絵はアメリカの科学雑誌の表紙になったことがあります。そのことは覚えていたのですが、どういう意味で取り上げられていたのか、当時は気にもかけていませんでしたので思い出せないのが残念です。おそらく、何らかの寓意を引き出していたのだと思います。

Floral Musée: ブリューゲルと少し離れましたが、この時代は小氷河期に当たるらしく相当寒いフランドル地方の冬景色の中にも、ブリューゲルは人間の営みを愛情を持って生活をしている人たちを称えているいるかのようですね!

アメリカの科学雑誌というのは、「SCIENCE」か何かでしょうか?どんな内容でこの絵を取り上げたのか知りたいですよね!? 
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そこで終わっていたが、気になったので雑誌 Science を今日調べてみた。そうすると2001年4月の号で、Floral Musée さんのご指摘のように、気候に関連するお話であった。表紙の説明は、以下のようになっている。

「1565年、ピートル・ブリューゲル父が 『雪中の狩人たち』 のなかで厳寒の北ヨーロッパの風景を描いた。この年は、ヨーロッパの冬が特に厳しかった16世紀の中で特別の年ではなかった。世界各地の歴史的・物理的な記録を見ると、1400年から1900年の間の大部分の年よりも気温が低かった。」

この年は、小氷河期 (Little Ice Age) と呼ばれていた500年にわたる時代で最も厳しかった年であったということのようだ (この事実には、正直なところ目を開かされた)。

Science 誌は、この絵をもとに 「古気候学 paleoclimatologie」 なる学問についての特集を組んでいた。ざーっと目を通しただけなので間違いもあると思うが、この学問は計器での観測結果が残っていない時代の気候を研究して、地球温暖化や温室効果というような今後の問題の解決に資するもののようだ。具体的には、地形、化石、年輪、堆積物、北極・南極の氷の核、さんご礁などを時に放射線同位元素を使って、「地質学的に」 解析する。

この学問のお陰で、5万年前まで遡ると、北アメリカ、北ヨーロッパ、北アジアの大部分は氷河で覆われていたし、5千万年前になると地球の気温は高く、氷河は全くなかったということがわかってくる。さらに、こういう大きな変化は徐々に起こるのではなく、僅か10年単位の間に急激に起こってしまうことも最近わかってきたとのこと。その変化を詳しく理解するためには、過去の気候の変化を長いスパンで、地理的にも広い範囲で再現して研究することが重要になるようだ。

気候の変化により人間の活動は影響されるが、同時に人間の活動が気候の変化をもたらすことも忘れてはならない。他の領域と同様に、将来を占うには過去を研究するしかないというわけである。

自分の絵が古気候学の資料になろうとは、ブリューゲルも思いもよらなかったであろう。

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モディリアーニ MODIGLIANI - UN PEINTRE AUTODESTRUCTEUR

2005-08-28 21:36:40 | 映画・イメージ

今日は、時間と場所が丁度都合がよく、「モディリアーニ ~真実の愛~」 を見る機会に恵まれた。

アマデオ・モディリアーニ Amedeo Modigliani (1884-1920)

この画家に特に興味を持ったことはないのだが、偶然の出会いになった。この映画は、彼の妻になったジャンヌ Jeanne との愛の奇跡を縦軸に、当時のパリに集ったキラ星のような芸術家の醸し出す熱を横軸に描かれている。ピカソ、ディエゴ・リベラ、ジャン・コクトー、モーリス・ユトリロ、ルノワール、モイース・キースリング、ガートルード・スタイン、ハイム・スーチンなどが顔を出している。

特に、成功と金と長寿を求めるピカソがモディリアーニの compétiteur として、彼の立場からすると厭なやつとして描かれている。本当のところはわからないが、彼らの生々しいやり取りを見るにつけ、これまで漠然と持っていたイメージが覆される思いであった。しかし、ピカソは死の床でジャンヌの予言通り、「モディリアーニ」 と呟いて逝ったらしい。摩擦が強いほど、あるいはそうでなければ心には残らないということなのだろうか。

面白かったのは、ピカソがモディリアーニをルノアールに引き合わせるところ。ルノアールが人生を充分に生きた、やや皮肉家の爺として出てきて、「お前は mad dog か」 とモディリアーニに何度も聞く。彼の本質を見抜いているような口調で、しかしこの若造に敬意を抱いているような様子で。なかなか味のあるシーンであった。ルノアールの絵はどうも好きになれなかったが、この映画で描かれているこの爺には興味が湧いてきている。

当時のパリの芸術界が一つの領域に閉じこもることなく、横断的に人が交わり合い、それが熱狂と同時に競合を生む一方、深く激しい友情(例えば、モディリアーニとユトリロの) をも育んでいた様子が伝わってきた。充分に生きるには、恵まれた世界でもあったのではないだろうか。

首の長い女性を描く画家としての印象しかなかったモディリアーニであるが、彼の激しい生き様 (ユダヤ人としての自虐も含めて) を垣間見る機会に恵まれ、その短い生涯に生み出された彼の静かな絵がその血のほとばしりのようにも感じられ、何ともいとおしくなった。

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DES LIVRES ANCIENS - THE NINTH GATE

2005-08-27 10:12:13 | 映画・イメージ

昨日久しぶりに、ロマン・ポランスキーの "The Ninth Gate" を見る。古本に纏わる映画なのだが、最近のパリ滞在の折に、古本に思い入れが生まれているせいか (1234)、以前とは違って見えた。ある人にとっての宝物を追いかける物語として、そういう世界もあるのかと漠然と遠くから見ていたが、今回は古本の世界として、こういうことも現実に起こりうるのでは、という想いで見ていた。その中にいるような感覚を覚えながら。

古本を巡るどろどろとした、ある意味で弱肉強食の世界が横たわっていることは、92歳の本屋さん Pierre Berès の紹介記事でも感じ取られたが、おそらくこの映画はその根にあるところを捉えて、さらに想像を羽ばたかせているのだろう。そうなるのは、古本を単に利益の対象としてみるというよりは(そういう要素もあるのだろうが)、古本の持つ甘美な魔力に引き付けられた人が折りなすドラマに満ちているからではないのだろうか。そこに人間の生の欲望が出てくるからではないのだろうか。

パリの街並みが出てくる場面もあり、映画 Frantic を見た時にも感じたのだが、新旧大陸の文化の違い、感受性の違いが滲み出るポランスキーならではの視点と映像で、今回も充分に楽しませてもらった。

25 février 2005

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台風一過 AU LENDEMAIN D'UN TYPHON

2005-08-26 13:34:46 | 映画・イメージ

どうなるかと思った台風も去り、蒸し暑い夏の一日。
今日から3日間は、この夏最後のお休み。
今年前半を振り返り、これからに向けての英気を養いたい。

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日仏のために (II) POUR LA RELATION FRANCO-JAPONAISE

2005-08-25 22:38:05 | 日仏のために

一月ほど前に、私がフランスに滞在した施設の支援組織が日本にあり、そのお手伝いができるようになるかもしれない、というようなことを書いた (25 juillet 2005)。今週初め、そのP協会の責任者で会長のMW氏から再び連絡が入り、今日その事務局長MO氏と一緒にお会いしてきた。MW氏はフランス関連のお仕事を30年以上(滞仏15年、フランス関連企業の日本のトップとして15年)され、今フランスへの恩返しを考えておられる奉仕の精神に溢れた方である。

お話によると、P協会はこの4月に特定非営利活動法人になり、その目的を日仏の交流に置き、これから本格的な活動を始めようという状況にある。具体的には、日本の若手の研究者をパリに送り込むこと、パリの研究者を招聘し講演会やシンポジウムなどを開催しその内容を出版すること、さらにホームページおよび機関紙発行による普及事業などを行い、その目的を果たそうとするものである。基本になるのは財政的な支えとのことで、大変なご苦労をされている様子であった。

4年前に francophile (フランス好み) になり、先月パリで予想だにしなかった歓迎を受けたこともあり、何らかの形で是非お手伝いしたい旨を伝えた。財政的な面でのサポートは難しいと思われるが、出版物作成の過程や講演会の開催などにはお力になれるように感じた。最初からフランスに魅せられ打ち込んでこられた方とは異なり、私のようにアメリカという別の文化を潜り抜けている人の視点は日仏を考える上で重要であるというMW氏のご指摘も私を後押ししてくれているようである。

日仏交流のために微力を尽くしたいという気持ちが改めて生まれてくるのを感じながら、台風が近づいている新宿の空の上でお別れした。

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ISAMU NOGUCHI - UN ARTISTE NOMADE COMBATTANT

2005-08-24 21:52:52 | 自由人

先日のモエレ沼公園訪問時、2000年の春に読んだドウス昌代の「イサムノグチ - 宿命の越境者」()を思い出す。一気に読んだせいだろうか、ほとんどマークがついていない。その中から当時印象に残ったと思われるところを以下に。

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『人が月へ旅したいという思いにも似て、何としても他の領界へ飛び発ちたかった』
イサムは「大地を彫刻する」という思いつきに、『頭が燃えているような感じで、いろいろな大構想がどんどん出てきた』。

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タラは、イサムの天性の鋭い直感と、物事を見つめる観察力につねに驚かされた。イサムは内心の葛藤をたえず抱えていたが、切ないほどに心やさしく、思いやりにみちていた。彼は天与の才能とともに、物事を見極める鋭い観察力と、忍耐力をもちあわせた。どんなことでも当然なものとは受けとらず、いつもその背後にある意味を読み取ろうとした。

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『私についてしばしば指摘されることは、一つの様式が成功裡に成就してしまうと、すぐにそれを放棄するということだ。疑いもなく私には、様式とその様式から生じる成功に対する不信の念があるのだ。さらにもう一つの要因としては、ある自己反省の時期―このときには六年間―がすぎると、脱出の衝動が起きるのだ。』

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『ぼくは新しい仕事のたびにいつも、それを次なる仕事の稽古としてきた。仕事に導かれながら、ひとつずつ誤りを取り除き、いつか最後には偉大な創造に達しようとぼくは願ってきた』

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「イサムの性格は底知れなく複雑で、同時に子供みたいに純粋で、単純です。これ以上ないと思われるほどやさしいかと思うと、次の瞬間には、竜巻か瞬間湯沸かし器みたいにすぐ爆発する、手のつけられない癇癪もちです。でもイサムはアーティストとしての矜持の高さ、それに人間としての正直さで際立って輝いていた。」

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山本から、「イサム・ノグチ」と紹介されても、目の前の人物の風貌はあきらかに外国人のものであった。その外人は、和泉がそれまで見たことがないほど強い眼光で、射すくめるように和泉を見据えた。禿げあがっていても、六十歳を目前にした年齢とは想像もできなかったほど、「イサム・ノグチ」は全身からぎらぎらした活力をみなぎらせていた。

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芸術家としての信条を問われて

『意外性が大事だと思う。創作するときに起こる予期せぬハプニングだ。私にとって意外性のないものは芸術ではない。芸術とは自己の外部から刺激を受けてもたらされる変革であり、芸術家はその変革に形を与える道具にすぎない』

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「どんなに居心地よくても、ここに長居しては、ぼくはだめになる」
 イサムは、仕事以外に気をわずらわさずにすむ配慮に心を癒される反面、尊敬を込めて仕えられて少しでも気がゆるむことを極度に恐れた。無意識にも心をゆるませ、それと同時に顔を出す老いの影こそ、イサムが恐れたものであったのかもしれない。

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ISAMU NOGUCHI
The Noguchi Museum

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ジョン・ケージ JOHN CAGE - UN ESPRIT LIBRE

2005-08-23 23:57:21 | 自由人

一週間ほど前の日曜日に Bunkamura でジョン・ケージのCDの衝動買いをした。

John Cage: Early Piano Music
John Cage: The Works for Violon, Vol. 3

どうして手が彼のCDに向いたのか考えていた。70年代後半に初めて長期滞在したアメリカのボストンにいて、体の周りがすべてアメリカの空気に包まれ、ある種の恍惚感に浸っていた。この街に行って1週間のうちに見つけた書店で買った本のひとつに彼の « M: Writings 67-72 » があった。その時も気になる存在であった彼の考えを知るべく買ったものと思われるが、じっくり読んだことはなかった。その余裕がなかった。おそらく、記憶のどこかに軽い罪悪感のようなものがあり、彼の名前を見た時に何かを刺激したのかもしれない。

彼は現世に適応できなかった Erik Satie に共感を持っていたという。彼も時代の流れを横目に見ながら、自由な心で独自の歩みを続けたようだ。どこか何か違うな、と思って生きている人は哲学者になるのだろうか。古代ギリシャ人のように、物事の本質を見極めようとするのだろうか。

彼の音楽をこの夏休みに初めて意識的に聞いてみた。コンサートホールや部屋で聞いてもおそらく自分の中には入っては来なかったであろう。人の溢れているところや人工的なところには馴染まないような気がした。大自然の中に身を置いて、囚われのない心でいる時に彼の音楽がすんなりと入ってくる。沈黙を通して時間や自然を音楽にしたようにも感じた。

今回、彼の音楽をゆっくりと時の流れるお休みに、しかも自然の中で聞いたということは、私にとっては幸運であった。彼の音楽をさらに聴いてみようという気にさせてくれたのみならず、彼の考えを、彼の人生をもっと知りたいという欲求が湧いてきている。同じ日に Brian Eno に目が行ったというのもなぜか不思議なつながりを感じる。

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話は少しずれるが、John Cage の本 "M: Writings 67-72" をパラパラとめくっていると、買った当時のレシートが出てきた。本屋は Paperback Booksmith、日付は 28 July 1976 で、$4.25 になっている。ちなみにアマゾンで見ると今では $18.95。さらに、bookmark まで挟まっていて、そこには吉田兼好の次の言葉が引用されている。

"To sit alone in the lamplight with a book spread out before you, and hold intimate converse with men of unseen generations -- such is a pleasure beyond compare. (Yoshida Kenko "Essays in Idleness" 1340 A.D.)

こんな小物が何とも言えない懐かしさといとおしさを呼び覚ます。

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(PS)兼好の文章をフランス語で読むと、

Solitaire, sous la lampe, c'est une joie incomparable de feuilleter des livres et de se faire des amis avec les hommes d'un passé que je n'ai point connu. (Urabe Kenkô « Les Heures Oisives » Gallimard/Unesco)

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鬼束ちひろ CHIHIRO ONITSUKA - CHANTEUSE INDEPENDANTE

2005-08-22 09:53:48 | MUSIQUE、JAZZ

20年ほど前、アメリカから日本に帰って最初に買った CD は新井由美の 「VOYAGER」。日本語の持つ優しさと日本女性の持つ柔らかさを初めて意識した。彼女の歌の世界にノスタルジーを感じたこともあり、しばらくの間聞いていたことを思い出す。そのユーミンの30周年トリビュートアルバム 「Queen's Fellows」 を数年前に聞いた。なかなか聞き応えのあるアルバムだったが、その最初の曲 「守ってあげたい」 を自分の世界として歌っている歌手がいて、すぐに興味を持つ。それが鬼束ちひろとの出会いであった。他には 「翳りゆく部屋」 を歌っていた椎名林檎が強い印象を残した。いずれも初めての歌手。

それと前後して新年のNHK-TVの番組だったと記憶しているが、彼女が取り上げられていた。彼女は現実にうまく対応できないところがあるようだった。それと関係あるのかどうかわからないが、お客さんに媚びるところが微塵も感じらず、自分のやることはこれ、と決めて打ち込んでいるように見えた。自分の求める音楽をただただ追求しているその姿を見せているようでもあった。そこに求道の姿勢を感じたことを思い出す。

半年ほど前に出たアルバム 「THE ULTIMATE COLLECTION」 を車で聞きながら、久しぶりに彼女の世界に触れる。

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ギリシャ哲学者と現代 LES PHILOSOPHES GRECS ET AUJOURD'HUI

2005-08-21 08:02:27 | 古代・中世

先週の Le Point はギリシャ哲学者を特集 (En Couverture) で取り上げている。
キャプションは、「彼らがすべてを創った」 « Ils ont tout inventé. » 。

紀元前7世紀から紀元3世紀に活躍した哲学者として以下の名前が出ていた。

Thalès (タレス:625-547 av. J.-C.)
Pythagore (ピタゴラス: 570-480 av. J.-C.)
Héraclite (ヘラクレイトス: 550-480 av. J.-C.)
Socrate (ソクラテス: 470-399 av. J.-C.)
Platon (プラトン: 427-348 av. J.-C.)
Diogène (ディオゲネス: 410-323 av. J.-C.)
Aristote (アリストテレス: 384-322 av. J.-C.)
Epicure (エピキュロス: 341-270 av. J.-C.)
Chrysippe (クリシプス: 281-205 av. J.-C.)
Plotin (プロティヌス: 205-270 après J.-C.)

その中に、Jacqueline de Romilly という歴史学者とのインタビューが載っていたので読んでみた。 

彼女は 1913 年生まれとのことなので、今年 92 歳である。1973 年に女性初のコレージュ・ド・フランス教授になり、1988年にはアカデミー・フランセーズに選ばれている。最近、« L'élan démocratique dans l'Athènes ancienne» (De Fallois) という本を出している。これまで高齢でアクティブな人を見ると感嘆していたが、最早それほど驚くべきことではない時代が近づいているのかもしれない。

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Le Point (LP): われわれがギリシャ人に負っているものの中で、現在のわれわれにとって何が最も重要だと思いますか。
De tout ce que nous devons aux Grecs, quel élément vous paraît le plus important, pour nous, aujourd'hui ?

Jacqueline de Romilly: 政治状況が難問を抱えている時代において、やはりギリシャの政治思想(la pensée politique grecque) でしょう。人や共同体同士の協定や市民意識 (le civisme) が失われている現在において。

一般的な側面で忘れてはならないことがあります。それは、物事の本質を炙り出し、それを普遍的で具体的に説明する必要性(le besoin de dégager clairement les notions principales, de les exprimer sous une forme assez universelle et assez concrète)を示したこと。単にある概念や価値観を見出しただけでなく、それらを力強く表現したこと。それ以後これを越えるものは出ていない。

LP:それではギリシャ人の主な貢献は明晰な表現と正確な思考ということでしょうか。
L'apport essentiel des Grecs serait donc la clarté de l'expression et la précision de la pensée ?

JdR: 正確さも勿論ですが、表現の力強さと具体性です。それが私を惹きつけるの(Voilà ce qui me passionne)。

LP:アテネは言葉の都市だったのですか。
Athènes était-elle une cité de mots ?

JdR: 都市のことに直接関与していると感じる時にアテネ人をとらえる民主主義の迸りは、すべてのことを討論するという事実と関係している。市民は理解しようとする強い欲求のなかで共に生活していた。ギリシャ社会に共通の精神が宿っていた。

LP:その中に非暴力が含まれているとお考えのようですが、ホメロスを読んでみると驚かされる。アキレスの殺意ある怒り、血塗られた歴史を考えると、ギリシャ人は好戦的(belliqueux)で戦争に明け暮れていたという印象を受けるのですが。

JdR: 確かにギリシャ人は暴力を使い、市民戦争までした。それは事実だが、暴力の中で生活することはおぞましい、戦争は止めなければならないという言葉も残っている。今日の戦争糾弾の原型になっている。

LP:民主主義、討論、非暴力のほかに重要なことがあるでしょうか。
Démocratie, débats, non-violence, qu'ajouteriez-vous d'essentiel à cet héritage ?

JdR: それは美意識です。ギリシャ人の生活にとって、芸術は非常に重要だった。
(Le sens de la beauté. Dans la vie grecque, l'art était très important, il était lié à l'amour de la vie.)

LP:最後になりますが、ギリシャ人を無視した場合に何を失うでしょうか。
Finalement, que perd-on si l'on ignore les Grecs ?

JdR: それは深い意味での人間性の発見(un sens profond de la découverte de l'humain)で、今日においても最も有用な役割を持っていると思います。最近ヨーロッパの価値をテーマにした会議で、ギリシャ人、特にアテネ人の生活を特徴付ける言葉として、「民主主義」、「哲学」、「劇場」の3つを選びました。

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最後の「劇場」の意味するところがピンと来なかったのだが、パリ第一大学とミュンヘン大学の哲学教授、レミ・ブラーグ Rémi Brague という人の発言を読んで、理解できたような気がした。ブラーグは同様の質問に次のように答えている。

ギリシャ人はわれわれに理論的な姿勢、ものを見るということ (l'attitude théorique : regarder, ne faire que cela) を教えている。Theôreinというギリシャ語は、劇場などの見世物に行き、そこで語ることなくただただ見ることを意味している。より正確に言えば、それは何かを見に行くために移動すること(Plus exactement encore, c'est se déplacer pour aller voir quelque chose.)。この理論的な視点から見るためには、日常性から脱却しなければならない (Pour voir de ce regard théorique, il faut se dépayser, quitter ses habitudes.)。われわれの存在とは無関係にすでにそこに在る (déjà là) もの、彼らはそれを Phusis (= nature) と名付けたのだが、その自然をわれわれ自身の眼で見ることが重要。

人はよく 「それは何?」 (Qu'est-ce que c'est ?) という疑問を発するが、ギリシャ人はさらに 「それは本当は何なの?」 (C'est quoi, vraiment, au fond ?) と問う。そこにあるように見えているものは実際には違うものではないのか、という問である。見掛けに騙されることがあるので、より深く掘り下げてみる必要がある (Les apparences peuvent nous tromper. Il faut creuser plus profond.)。うわべではなく、真実を突き止めようとする時、われわれは皆ギリシャ人になるのだ (Nous sommes tous grecs dans la mesure où nous situons la vérité ailleurs que dans l'apparence immédiate.)。

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夏休みの一日、示唆に富むお話を読みながら、ギリシャ人が私の中にも生きているような気がしてきた。

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ギュスターヴ・モロー展覧会 GUSTAVE MOREAU A TOKYO

2005-08-20 08:23:16 | 展覧会

7月はじめにパリでモロー美術館を訪れる機会があった(2 juillet 2005)。その時、日本でも展覧会があることを知る。この日曜日に渋谷 Bunkamura のギュスターヴ・モロー展に出かける。パリで見た時とどのような違いがあるのか、また 「アレクサンドロス大王の勝利」 を詳しく見てみようという想いもどこかに持ちながら。

展覧会場に入る前に、librairie に入る。このような専門店では普段見ないような配置がされているので、それまで意識されなかった興味をかき立てられることがある。まずモロー関連の本を実際に見てみた。いくつか気に入ったものがあったので、先日の « Errance...ecumes des jours » さんの推薦本と合わせて、ネット注文することにした。それから何気なくCDのセクションを眺めているうちに、John CageBrian Eno をそれぞれ数枚衝動買い。このうちの一枚、Eno の Apollo については昨日触れた(19 août 2005)。

今回残念ながら、「アレクサンドロス大王の勝利」 は来ていなかった。大きな絵はいくつかこちらに飛び込んでくるものがあったが、ひとつひとつの絵を見るとどうなのかなと思うものもあった。ギュスターヴ・モローという画家は、どういう世界を描こうとしていたのかという全体を捉えると個々の作品の意味がよりよくわかってくるという性格があるような気がしてきた。画集を詳しく眺め、その背景の物語を調べてからもう一度鑑賞に出かけてみたい。

展覧会場のお店では、Pieter Bruegel l'Ancien の画集が目に入る。ある意味では、「眼に見えるもの、触れることのできるものを信じない」というモローとは対極にある画家かもしれない。16世紀の庶民の生活を生々しく描いた画家のようだ。人々の生き様が時に真剣に、時にユーモアを交えながら絵の中に広がり、興味が尽きない。雪景色の中の当時の人々の生活も、懐かしさを呼び覚ます。この画家もこれからじっくり見てみたい一人となりそうだ。

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会場を出た後、近くのTカフェのベランダに座り、街行く人を観察。自分の根を切り離して束の間を楽しむ人、元よりとんでいる外国からの旅行者や短期滞在者、そして不思議なことに、ここの景色に溶け込むことのない地元の人など様々な人間が交錯。蒸し暑い夏の昼下がりを味わう。

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イサム・ノグチ - モエレ沼公園 ISAMU NOGUCHI - PARC MOERENUMA

2005-08-19 08:29:43 | 自由人

先日の NHK-ETV 「新日曜美術館」でイサム・ノグチ (1904-1988) のモエレ沼公園が完成したことを知る。夏休みを利用して、その公園を体験しに出かけた。

1933 年にひらめき、そのアイディアを 55 年間暖め、死の直前に具体化への道をつけて逝ったノグチ。その壮大な快挙を眼にするということで、私の心は勇み立っていた。公園に行くタクシーの中で、三日月湖になっていたモエレ沼周辺がごみの堆積場として使われ、それが限界になった時札幌市が動き出したことを知る。どういう過程でイサム・ノグチに接触があったのかはわからないが、両者にとって幸福な出会いになったことは想像に難くない。

イサム・ノグチには20年以上前から興味があった。その頃私はニューヨークにいたが、世界を又にかけ、その道の人から尊敬の念で見られている日本人の血が混じったノグチに、彼のようにありたいという願望のようなものが宿っていたのかもしれない。彼のことを調べた記憶がある。また当時よく行っていた一番街69丁目のレストランで、彼と遭遇したこともあった。少し暗かったせいもあったのだろうが、風采のあがらない小柄な親爺という印象であった。しかし、鋭い目が造っている精悍な顔は今でもはっきりと思い出すことができる。

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モエレ沼にかかった橋を渡り、普通の公園と言うには少し広い (170ヘクタールとのこと。ニューヨークのセントラルパークの半分くらい)、抜けるような空間に足を踏み入れる。まず、ガラスのピラミッド Hidamari という、遠くから見るとルーブルのピラミッドを思い出させる建物に入り、公園の全体像を掴む。そこでは坂田栄一郎の「天を射る - Piercing the Sky」 という写真展が開かれていた。白黒の肖像とカラーの自然が組み合わされた38組。一年前に東京都写真美術館でも開催されたらしい。われわれの知っている(見たり聞いたりしたことのある)人がほとんどで、その選択には正直なところやや現世的なきらいも感じたが、大きなパネルに映し出されていた映像は美しかった。

青木玉(随筆家)、野口健(アルピニスト)、磯崎新(建築家)、渡辺貞夫(ジャズミュージシャン)、色川大吉(歴史学者)、吉田美和(シンガー)、室伏広治(陸上選手)、勅使河原三郎(舞踏家)、梁石日(作家)、徳山昌守(ボクサー)、中川幸夫(いけ花作家)

フィデル・カストロ・ルス(キューバ国家評議会議長)、ヒクソン・グレイシー(格闘家)、イブリー・ギトリス(ヴァイオリニスト)、ダライ・ラマ(宗教家)、エフゲニー・キーシン(ピアニスト)、イアン・ソープ(水泳選手)、ミーシャ・マイスキー(チェロ奏者)、ケント・ナガノ(指揮者)、シャルル・デュトワ(指揮者)、エマ・トンプソン(女優)、パトリス・ルコント(映画監督)、エディー・プー(自然保護活動家)、など

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ガラスの休息所を出た後、風が強い中、モエレ山に登る。標高62メートルとのこと。15分くらいで頂上につく。下には野球場やテニスコート、テトラマウンドや海の噴水などが一望される。この公園の中を歩き回ることで、自分のいる位置によって生まれる景色の変化を充分に楽しむことができる。空と雲も含めて。2-3時間その楽しみを味わう間に、200枚近い写真を撮っていた。見直してみるとすべてが美しく感じられ、満足のいく散策となった。

この間、先日 Bunkamura の librairie で、Olivier Assayas 繋がりで衝動買いをしてしまった Brian Eno の CD の中から偶然に持っていった Apollo を聞きながら歩いていた。街中で聞いても今ひとつピンと来なかったこの音楽が、ノグチの広大な空間に身を置いた途端に自分を大きく包んでくれていることに気付く。Apollo の音楽がこの空間に漂う空気のようにも感じられ、感動する。このような空間を経験しなければわからない音楽かもしれない、などと思っていた。

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「子供の心を失った者は、もはやアーティストではない」 イサム・ノグチ

先日のパリでマティスの同様の言葉を知る。

Il faut regarder toute la vie avec les yeux d'enfants
 「一生、子供の目で見なければならない」

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ジダン復帰 ZIDANE - UNE EXPERIENCE MYSTIQUE

2005-08-18 10:54:05 | 自由人

今週の Le Point (LP) に興味深い記事があった。

フランス代表に Zinedine Zidane (”Zizou”) が復帰すること (un come-back: un retour en équipe de France) を明らかにしたという。それだけでは余り興味を引かないのだが、その理由にLPも驚いたようだ。

記者会見で彼は次のように語っている。

Je me suis réveillé à 3 heures du matin et là j'ai parlé avec quelqu'un. ..... C'est une enigma, oui, mais ne cherchez pas, vous ne trouverez pas. Cette personne existe, mais ça vient de tellement loin. .... Et là, durant les heures qui ont suivi, j'étais tous seul avec elle et, chez moi, j'ai pris la vraie décision de revenir.
(私は朝の3時に誰かと話した。不思議な出来事である。でも詳しく聞かないでください。何もわかりませんから。その人は遠くから来ました。その後、私一人でその人といて復帰の決断をしました。)

彼のような普通の人がこのような「見えざる抑えられない力 」« force irrépressible » について語ったことにLPは驚いている。彼のスポンサー(Orange France、Adidas、Danone など)からのプレッシャーではないか、あるいは弱くなったチームを立て直すために国からの働きかけがあったのではないかなどの推測も呼んでいる。首相になったばかりの Dominique de Villepin も早速政治家らしい結論を導いている。

Cela veut dire que quand les choses sont difficiles tout le monde se mobilise et chacun prend sa part. C'est un beau symbole.
(今回のことは、難局に当たっては、すべての人が参加し、それぞれの役割を担うということを意味している。彼は素晴らしい模範を示した。) 

外からの圧力で彼が復帰の決断をしたのかどうか、それはわからないし興味はない。私が興味を持ったのは、LPはやや懐疑的に見ているようだが、その理由であった。今こうしてフランス関連のブログをやっているのは、彼の経験に似たような出来事 (avril 2002) から始まっているので、同じようなことがあるのかというのが読んだ第一印象であった。

人間は心も体もいつも同じ状態でいることはありえない。そのバランスが崩れた時に、普段表に出ていないが心のどこかにあったことが現れることはあるような気がしている。彼の中にそのような変化が起こった可能性は否定できないのではないだろうか。

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もう一つの記事。この6月にパリを訪れた時に、Le Petit Journal というジャズクラブに行ったことを書いた (24 juin 2005)。そこのオーナーのアンドレ・ダモンとお話をして、彼の回想録 « Memoires du Petit Journal » にサインまで頂いた。その本のことが « Je me souviens du Petit Journal » というタイトルで紹介されていた。何となくうれしい気分である。

コメント (2)
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