フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

4月の記事

2006-04-30 09:48:04 | Weblog
2006-4-30 アート・バックウォルド再び INTERVIEW AVEC ART BUCHWALD
2006-4-29 PRIMROSE
2006-4-28 イメージ、時間、現象学 L'IMAGE, LE TEMPS, LA PHENOMENOLOGIE
2006-4-27 「熱狂の日」音楽祭2006 再び LA FOLLE JOURNEE AU JAPON (2)
2006-4-26 正当性 LE BIEN-FONDE
2006-4-25 DNA 記念日 NATIONAL DNA DAY "LE JOUR D'ADN"
2006-4-24 「熱狂の日」音楽祭2006 LA FOLLE JOURNEE AU JAPON
2006-4-22 春と俳句と LE PRINTEMPS ET LE HAIKU
2006-4-21 萩原朔太郎による蕪村 BUSON SLEON HAGIWARA SAKUTARO
2006-4-20 融通無碍 ESPRIT SOUPLE
2006-4-19 フランス大使館へ A L'AMBASSADE DE FRANCE A TOKYO
2006-4-18 「O嬢の物語」の著者 "HISTOIRE D'O" ET SON AUTEUR
2006-4-17 インターネット・エクスプロ-ラとファイアー・フォックス IE VS MOZILLA FIREFOX
2006-4-16 ガルブレイス伝記 "JOHN KENNETH GALBRAITH: HIS LIFE"
2006-4-15 パリジャンと話した後に赤ワインを買う
2006-4-14 マクサンス・フェルミーヌ 「雪」  ROMAN DE FERMINE "NEIGE"
2006-4-13 モーリス・アンドレ MAURICE ANDRE, UN QUART DE SIECLE APRES
2006-4-12 プロクルステスの寝台 LE LIT DE PROCUSTE
2006-4-11 中沢新一 「芸術人類学」  "ANTHROPOLOGIE ARTISTIQUE"
2006-4-10 アート・バックウォルド ART BUCHWALD EST SUR SON LIT DE MORT
2006-4-09 年を重ねるということ VIEILLIR C'EST ORGANIZER ...
2006-4-08 さあ見て、少しだけ見て ALORS REGARDE, REGARDE UN PEU... 
2006-4-07 自由人ジャン・フランソワ・ルヴェル (II) REVEL L'HOMME LIBRE
2006-4-06 自由人ジャン・フランソワ・ルヴェル (I) REVEL L'HOMME LIBRE
2006-4-05 車内音楽の模様替え LA NOUVELLE MUSIQUE DANS MA VOITURE
2006-4-04 誰に権利が? QUI A LE DROIT ? 
2006-4-03 パトリック・ブルエル、ジャン・フランソワ・ルヴェル P BRUEL ET JF REVEL
2006-4-02 曽我蕭白 SHOHAKU SOGA - PEINTRE HERETIQUE ET ...
2006-4-01 円山応挙 OKYO MARUYAMA - ESPRIT DE LA RENAISSANCE

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アート・バックウォルド再び INTERVIEW AVEC ART BUCHWALD

2006-04-30 00:49:53 | 年齢とヴィヴァシテ

先日アート・バックウォルド (1925-) が死の床にあることを書いた。本日、ホスピスでのインタビューを見る (こちらから)。いくつか印象的な話があった。

彼が生まれた直後、母親が精神病院に入ったため、彼は母親を知らない。里親に育てられ、6-7歳の時に孤独を味わい、混乱した。そんな時に、人を笑わすことを覚えた。後年、人を笑わすことでお金が取れることを知り、New York Herald Tribune の仕事をフランスで始めて以来、半世紀以上もの間この仕事を続けてきた。これまでに8,000のコラムを書いているという。

ワシントンに帰ってからは、民主党、共和党のどちらかの立場に立つのではなく、権力にあるものに対する立場で、正義と悪の対比で言えば、正義の立場 (side of good) でものを書いてきた。なぜなら、"I'm a good person." だから。

書く時に参考にするのは、新聞記事。特に、怒りに震える時の方がユーモア溢れる記事が書けるという。ここでも政治家の本態が語られているが、彼らはいつも物事を捻じ曲げて、真実を語る以外は何でもやる。だから彼は真実 (彼から見える、と断っているが) を語ってきた。

彼は透析を断りホスピスに入ったが、その前に壊疽で足を切断している。これには本当に頭にきたという。死については、皆怖がって語ろうとしない。しかし彼は、われわれがどこに行くのか、そんなことは問題じゃない、問題なのは今ここで何をするかだろう、ときっぱり。

ホスピスに入る決断をしたことは正解であった。ここにはわれわれが死に向かう存在であることを知っている仲間がいるし、これまでに出会った人々や友人がいろいろなところから私を訪ねてきてくれ、今一番幸せなときを過ごしている。家にいたならばそんなことにはならなかっただろう。

最後に、どのように記憶されたいかと問われて、皆を笑わせた人、そして私が good guy であったことと答え、今葬儀を計画しているが、素晴らしいセレモニーになるだろうと結んでいる。

彼の底にある善意のようなものがあふれ出たインタビューが、最後までユーモアと活力を失わない彼の人生を照らし出しているように感じた。

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PRIMROSE

2006-04-29 00:18:07 | 映画・イメージ

昨年暮れ、20代前半の若者が作る映画のオーディションに審査員を頼まれたことを書いた。その結果選ばれた人と今年の初めに最後のセッションを撮影するとのことで、現場まで招待された (今日の写真)。何と言うこともない路上で撮影しているところ見ている時、これで映画になるのだろうかと心配になった。

今回久しぶりに彼らに会ったところ、その作品をネットで見ることができるというので、早速完成作品を見てみた。撮影時にはどういう流れなのかもわからず、ピンと来なかったが、実際に見てみるとあの場面が映画ではこうなるのか、ということを発見して少し驚いた。出演者の高校生も実物で見ている時と画面の中では全く違って見える。確かに現実とは違う世界がそこに表現されている。

さらに、この映画が15分程の長さだと聞いた時には、正直短いな、という印象を持った。しかし、高校生の淡い、屈折しているが一途な恋愛感情を描いたこの作品を見ていると、自分の中にいろいろな感情や記憶が誘発される。物語はたわいのないものかもしれないが、何かが呼び起こされたことだけは間違いない。このように切り出された15分が、見ている側を揺さぶるに充分な長さであることに驚いていた。

作品 "Primrose" はこちらから見ることができます。

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イメージ、時間、現象学 L'IMAGE, LE TEMPS, LA PHENOMENOLOGIE

2006-04-28 00:20:17 | Qui suis-je

先日、このブログの仏語版へ今までで最長のコメントが届いた。長い間哲学を教えていたという Liguea 様からである。私のブログを最初からじっくり読んでいただいたようで、私について次のような分析がしてあった。

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あなたのブログを特徴付けているのは la dynamique (活力に溢れていること) です。あなたはこの世に生きている人たちの仲間で、そこに参加することを知っています (これは意外だった。この世の外に生き、その視点から書いていたつもりだったが、、)。あなたのフランス語への思い入れの強さに驚いています (私の中では力みは全くなく、極自然の営みであったが、、)。言語は人間が住む家です。もし薦めるとすれば、マルティン・ハイデッガー Martin Heidegger (1889-1976) の "Lettre sur l'Humanisme" (「ヒューマニズムについて」) などはよいでしょう。あなたは多くの点で "très japonais" であることを知るべきでしょう (おそらく感受性の面でも、間違いなくフランス語でも)。

あなたはイメージに惹きつけられています。それから時の流れに身を委ねることが気に入っています。
 "Vous êtes attaché aux images, mais vous aimez subir l'écoulement du temps."

そこにはすでに亡くなっている人と同時代人であろうとする意思が感じられます。あなたの天性の活力は現象学 la phénoménologie と結びついていて、エドムント・フッサール Edmund Husserl (1859-1938) やハイデッガーを愛するために生れてきたのです。そして、さらに Kandinski (とあるが、画家の Wassily Kandinsky (1866-1944) だろうか) へと繋がるでしょう。
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ぼんやりとではあるが、イメージに興味があり、過去に目が行っていることには気付いていたが、こうもはっきり言われると妙に納得できるところもある。私の書くものの中にそれが現れているのだろうか。それからフッサール、ハイデッガー、カンディンスキーを読み、愛するためにこの世に生れてきた、というようなお告げをいただいたが、現象学の何たるかも知らない身にとって、大きな驚きである。今しがた、私のパワーポイントの Artists のファイルを開けてみて、マルティン・ハイデッガーが最初に顔を出したのにはさらに驚いた。

また、カンディンスキーについては、昨年ロンドンの Courtauld Institute of Art Gallery という素晴らしい美術館で、彼の同志であったガブリエル・ミュンター Gabriele Münter (1877-1962) の展覧会に偶然に触れ、その隣の部屋にあった彼の作品もじっくり見る機会に恵まれている。しかしフッサールとの接点は全くない。運命論者の私としては、これからぼちぼちと直に彼らの声に耳を傾けて、Liguea 様のお告げの意味を探ってみたい衝動に駆られている。

以前にも感じたが、自分の評を人から聞く時、目の前に現れた自分の姿を外から眺めているような不思議な感覚が生れ、興味深いものがある。ブログなしにはありえなかった出会いでもある。

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(version française)

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「熱狂の日」音楽祭2006 再び LA FOLLE JOURNEE AU JAPON (2)

2006-04-27 00:57:00 | MUSIQUE、JAZZ

先日書いたばかりのテーマだが、"La Folle journée au Japon" という名前の由来などについて、日仏のコメントをいただいているうちに私自身でも調べてみたくなった。いろいろなサイトを読んでみると、ぼんやりとだがこの音楽祭の生い立ちや成り立ちが浮かび上がってきた。これまで抱いていたイメージと違うこともあるので、もう少し書いてみたい。

最初の印象は、日本産の音楽祭でフランスの名前を付けるのは、なかなか粋な計らいだな、というものだった。ところがこの音楽祭、もともとはフランスはナントで René Martin により1995年から始められたもの。最初の狙いは、クラシック音楽を広めるためにできるだけお祭り気分の中で短いコンサートをする、同じ曲を何度でも演奏する、というようなところにあったらしい。

その効果なのか、思わぬ発展振りを遂げているようだ。最初の年 (1995年) には180人の音楽家が行った35のコンサートに1万人が駆けつけたのが、2004年には1800人の芸術家が260のコンサートを行い、11万人が訪れたというから、この10年で10倍になったことになる (Wikipédiaによる)。

2003年にはロワール地方の4都市 (ChallansCholetLavalSablé-sur-Sarthe) が加わり、2005年には5都市 (La Roche-sur-YonFontenay-Le-ComteFontevraudSaumurLa Flèche)、さらに今年は2都市 (Saint-Nazairel'Ile d'Yeu) でも演奏会が開かれた。この路線上に海外での音楽祭もあるようで、2002年からポルトガルのリスボン Lisbonne、スペインのビルバオ Bilbao、2005年からは東京に輸出され、近い将来ブラジルのベレム Belém でも開かれるようだ。もの凄い勢いである。フランスの優良輸出品のひとつに数え上げてもよいだろう。

ところで、Lys 様からこの音楽祭の名前についてのご意見をいただいた。この本家本元はモーツアルトの歌劇 「フィガロの結婚」 の原作、ボーマルシェ Beaumarchais という人の "La Folle journée ou Le Mariage de Figaro" (1778年) にあるのではないかとの推論である。素人ながら、そのあたりが本当のところかな、という気がしている。

少しずれるが、ナントと言えばこのブログでも話題にしたバルバラの "Il pleut sur Nantes ..." で始まる "NANTES" 「ナントに降る雨」 という心に迫る歌を思い出す。

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正当性 LE BIEN-FONDE

2006-04-26 19:09:28 | 日仏のために

"Il viennent de démontrer le bien fondé d'un modèle qui avait été proposé dans ... "

今日はこの文章の "le bien fondé" に四苦八苦した。「モデルに基づいている le bien 、、」 としても意味が通じない。いろいろ組み合わせてみたが駄目なので、ネットにかけてみた。そうすると出てきたサイトはすべて "le bien-fondé" と trait d'union (ハイフン) がついている。どうしてハイフンを付け忘れたのだ、という思いとともにパッチリと目が覚めた。一塊で 「正当性」 という意味で、「・・・で提唱されたモデルの正当性を彼らは示した。」 というような流れになる。その間の苦しみが嘘のように飛んでいった。

人の意識は不思議なものだ。何かを決め付けていると、見えるものも見えなくなる。ちょっとした視点の変化で、今まで見えなかったのが嘘のように見えてくる。今日は少し大げさなまとめになった。

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DNA 記念日 NATIONAL DNA DAY "LE JOUR D'ADN"

2006-04-25 19:52:01 | 出会い

最近、迷惑メールが押し寄せる。コンピュータ・ソフト、各種薬品、交際関係、などなど。一日の初めはメールの除去から始まる。そんな中、暇に任せてアメリカの会社からのものを開いてみた。そこには、今日4月25日は National DNA Day です、遺伝学や遺伝子について学びましょう、というようなメッセージが添えられていた。

1953年4月25日のワトソンとクリックによるDNAの二重らせん構造の発見とその50周年に当たる2003年にヒトの全遺伝子が解読されたのを記念して制定されたらしい。半世紀を経てまた歴史的な出来事が起こる、何と言うタイミングだろうか。

アメリカ国立ヒトゲノム研究所 National Human Genome Research Institute のホームページにある教育ビデオを見てみる。ヒトの遺伝子の中で、個人と個人の間で違っているは0.1%で、残り99.9%は皆同じ。遺伝子一つの異常で病気になることがある事実を、R&B歌手の T-Boz (鎌状赤血球症の患者さんでもある) を例にして話を進めている。またほとんどの病気は複雑で、多くのまだよくわかっていない遺伝子の仕業であることも。また遺伝子診断の問題点や遺伝カウンセラー genetic counselor という仕事の意義についても触れられている。お話をしている人がこの仕事についているせいか、そのやりがいを強調している。

きびきびとポイントを付く、遊びのほとんどない、機能的な話し方に久しぶりに触れ、現実に呼び戻されたようでなぜか緊張していた。

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「熱狂の日」音楽祭2006 LA FOLLE JOURNEE AU JAPON

2006-04-24 21:08:07 | MUSIQUE、JAZZ

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 
"LA FOLLE JOURNÉE au JAPON"
「熱狂の日」音楽祭2006
~モーツァルトと仲間たち~

と銘打った音楽祭あることを、はろるど・わーどさんのブログで知る。モーツアルト生誕250年を記念しての大音楽祭なのだが、その名にフランス語がついていることに驚いている。音楽祭の監督がフランス人ということも影響しているのだろうか。ネット上の宣伝も心なしか弾けているような印象を受ける。

ところで、これに気付いたのが今朝。チケットを手に入れようとしてホームページを見てみたがほとんど完売。今ごろごそごそやり始める人など相当遅れているのだろう。面白いことに 「ぴあ」 では売り切れのコンサートが e-plus では問題なく手に入った。一日を完全に潰して、3回のコンサートに行くことになった。最近音楽会にはご無沙汰しているので、どんな音楽祭なのかも含めて、楽しみになってきた。

(version française)

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(25 avril 2006)

私の仏語版のブログに、Bashôan 芭蕉庵?を営んでいる Haikai 様からコメントが届いた。そのコメントによると、このお祭りの名前の由来は、おそらくフランスはナントの音楽祭 La Folle Journée de Nantes あたりにあるのではないか、とのこと。

(27 avril 2006) 「熱狂の日」音楽祭2006 再び LA FOLLE JOURNEE AU JAPON (2)
(4 mai 2006) 「熱狂の日」音楽祭での出会い RENCONTRES A LA FOLLE JOURNEE

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春と俳句と LE PRINTEMPS ET LE HAIKU

2006-04-22 01:03:45 | 俳句、詩

昨日のお昼、散策に出る。空を見上げてまず気づいたのは、沢山できていた雲の中に入道雲 (正式には積乱雲か) が出ていたこと。夏も近いのか、時の流れは早いものだ、という感慨であった。それにしても雲を見ながらの散策は気持ちがよい。全く飽きが来ない。

  「昼下がり
    ふと見上げれば
        夏の顔」
    (paul-ailleurs)

  「黒々と
    した骨格に
       緑吹く」
    (paul-ailleurs)


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(version française)

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萩原朔太郎による蕪村 BUSON SLEON HAGIWARA SAKUTARO

2006-04-21 21:35:57 | 俳句、詩

帰りに本屋に立ち寄る。俳句の棚の前にいた。作り方を書いた本を眺める。最近の本は読者に媚びるような感じがあったり、無理矢理やさしく書いてあったりするので、今ひとつぴんと来ない(テレビでも本でもこの傾向が強いが、その必要はあるのだろうか)。そんな中、水原秋櫻子 (1892-1981) の 「俳句のつくり方 ― 初歩から完成まで」 を読んでみると、著者の考えがきりりと立ち上り、よいのである。

季節の移ろいに目が行くようになると俳句の世界だというようなことがあった。その教えの中には、俳句の雑誌に投稿する場合、滑り止めを兼ねて同じ句を複数の雑誌に出すようなことはすべきではない、駄目であってもじっくりと臨むべきである。同じ句が違う雑誌に出ているのを見ると、その作者の心の中が見え、そのような人は以後省みられなくなるだろう、と言っている。

また、芭蕉 (1644-1694)、蕪村 (1716-1784)、子規 (1867-1902) は基本中の基本で絶対に避けて通れない。その順にやさしくなるので、やさしい方から子規、蕪村、芭蕉と読み進むのがよいとのこと。近くにあった岩波文庫を探すと、萩原朔太郎 (1886-1942) による蕪村と芭蕉論の入った 「郷愁の詩人 与謝蕪村」 が見つかった。「子規句集」 と一緒に仕入れる。

朔太郎の詩は昔よく読んだが、この文章もなかなか味がある。特に、彼の好き嫌いがはっきり書かれ、年齢による嗜好の変化も素直に認めているところが何とも面白い。

--------------------------
「僕は生来、俳句と言うものに深い興味を持たなかった。興味を持たないというよりは、趣味的に俳句を毛嫌いしていたのである。何故かというに、俳句の一般的特色として考えられる、あの枯淡とか、寂とか、風流とかいう心境が、僕には甚だ遠いものであり、趣味的にも気質的にも、容易に馴染めなかったからである。」

「しかし僕も、最近漸く老年に近くなってから、東洋風の枯淡趣味というものが解って来た。あるいは少しく解りかけて来たように思われる。そして同時に、芭蕉などの特殊な妙味も解って来た。昔は芥川君と芭蕉論を闘わし、一も二もなくやッつけてしまったのだが、今では僕も芭蕉ファンの一人であり、或る点で蕪村よりも好きである。年齢と共に、今後の僕は、益々芭蕉に深くひき込まれて来るような感じがする。日本に生まれて、米の飯を五十年も長く食っていたら、自然にそうなって来るのが本当なのだろう。僕としてはなんだか寂しいような、悲しいような、やるせなく捨鉢になったような思いがする。」
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全く同感である。俳句を味わおうなどという時間のかかることはやってられない、趣味的に俳句をやるなどということは気色?悪くて、気恥ずかしくてやってられない、という領域であった。しかし、少し変化が起こっているようにも感じられる。

俳句嫌いの若き朔太郎の唯一の例外が蕪村で、その 「詩趣を感得することが出来た」 ため好きだったようだ。蕪村の特異性は、まず 「浪漫的の青春性に富んでいる」 ため、「どこか奈良朝時代の万葉歌境と共通するもの」 があり、色彩に富み西洋絵画を髣髴とさせるため、特に侘び寂びを解さなくとも理解できるとある。

「即ち一言にして言えば、蕪村の俳句は 『若い』 のである。・・・この場合に 『若い』 と言うのは、人間の詩情に本質している、一の本然的な、浪漫的な、自由主義的な情感的青春性を指しているのである。」

文章の流れがよく、主張もしっかり出ていて読んでいて気持ちがよくなる。これを入門書として少し読み進みたい。

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融通無碍 ESPRIT SOUPLE

2006-04-20 21:27:55 | Qui suis-je

先日友人のI氏と食事をしていた時のこと。私のことを 「・・さんは融通無碍 (ゆうずうむげ) だから・・・」 と評した。この言葉の私の中での印象は、余りうるさいことは言わずに、なるようになれというやや楽観的な、やや無責任な傾向を言っているのか、という程度の漠然としたものであった。しかし、ネットを眺めていると松下幸之助による素晴らしい定義が現れた。

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松下幸之助は、“素直な心”の働きの一つを“融通無碍”という言葉で説明することがあった。融通無碍とは、「五条の橋のうえで弁慶が長刀を振り下ろすと、牛若丸はヒラリヒラリと身をかわしつつ、スキを見つけてピシャリと一撃、見事に降参させた。この牛若丸の身のこなしのようなものだ」という。つまり、一つの見方、考え方にとらわれるのではなく、自由自在にものを見、考え方を変え、よりよく対処していく。「流れる水は、いかなる障害物に出会おうとも少しも苦にせず、サラリと回って流れ続けます」。素直な心をもてば、これと同様、どんな困難に直面しても融通無碍に対処して、自らの歩みをスムーズに進めていくことができるという。
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I氏がどのような意味で言ったのか確かめようもないが、良きにつけ悪しきにつけ自分のある部分を言い当てているのかもしれない。ところで、これにぴったりのフランス語はあるのだろうか。専門家のご意見をお聞きしたい。

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(21 avril 2006)
Lys 様から、融通無碍に当たる言葉として souple, souplesse があるとのコメントをいただいたので、早速 Grand Robert にあたってみた。人や精神のあり方について言う場合には、以下のような説明がある。

Qui est capable de s'adapter adroitement à la volonté d'autrui, aux exigences de la situation

Qui n'est pas systématique ni uniforme ni rigide

融通無碍にぴったりの言葉のようだ。早朝から大いに勉強させられた。Lys 様の的確なコメントに感謝したい。この記事のフランス語タイトルにも使わせていただくことにした。ところでこの定義に従うと、I氏の言いたかったところは pas systématique のあたりにありそうな気がしてきた。

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フランス大使館へ A L'AMBASSADE DE FRANCE A TOKYO

2006-04-19 23:48:32 | 日仏のために

パリのP研究所の所長と研究者5-6名が東京を訪れたのを機に、フランス大使公邸でソワレがあった。私はP協会の広報をお手伝いさせていただいているご縁で、初めて大使公邸に入ることができた。会場にはフランスと関連ある仕事をされている方、P協会の会員の方、研究関係の方々など。皆さんの背景を探ってみると多様なフランスとの繋がりが浮かび上がるのだろう。その中にパリの日本館長をされていたI氏、P協会の会員で現在浪人中のK氏、日本に長いフランス人女性タレントMさんなどの顔も見えた。

私自身は相変わらず間違いを気にせずいろいろな方々と言葉を交わした。滞日7年のフランス製薬会社の責任者は、私がフランス語を始めた経緯を話すと、にんまりしてそれほんと?という表情 (いつも受ける反応)。以前にP協会を通じてこの方のお世話をしたことがあることが判明。

日本滞在2年で大使館勤務 (生命科学担当) 半年の方は、いずれ科学関係のジャーナリストになりたいとのこと。彼からは、「怠け者」という意味の feignant という言葉を教えてもらう。また彼の上司であるアタシェの方は日本に来てまだ半年なので印象を聞いてみた。普通の道に何気なく神社のようなところがあり、この国の精神性を感じ、心地よいという返答。私も最近やっと街中に隠れるようにあるお寺や神社の存在に気付くようになってきたが、おそらくフランス語を始めてからものを見る余裕ができたためではないかと反応すると、眉を上にあげて瞳を輝かせていた。

上海で研究所を始めたVD氏からはブルーノ・ガンツ Bruno Ganz (1941-) というドイツ語圏の俳優 (フランス語も話すらしい) を教えてもらう。調べたところ、最近の映画では 「ヒトラー 最期の12日間 Der Untergang (la Chute)」 でヒトラーを演じている。この他、日本の大学関係の方々とも。またこの夏にP協会のフェローシップでパリに向かうことが決まっている若い研究者の方も紹介された。フランス語の方も合わせて、活躍を期待したい。

春の宵、フランスの香りの中に身を委ねる贅沢を味わわせていただいた。

        春の宵
          仏蘭西の香に
            時忘る 
          (paul-ailleurs)

     "au crepuscule de printemps
       mêlé avec des francophiles
         j'étais perdu dans le temps"
             (paul-ailleurs)

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「O嬢の物語」の著者 "HISTOIRE D'O" ET SON AUTEUR

2006-04-18 23:32:11 | 海外の作家

今週の Le Point から。1954年の名作 「O嬢の物語」 (Histoire d'O) について話を聞いたことはあるが、残念ながら本を読んだことも映画を見たことはない。この著者についての本 "Dominique Aury" が出たのを機会にその紹介記事が文学欄に出ていた。

この著者は3つの名前を持っていたようだ。Dominique Aury、O嬢を出した時の名前は Pauline Réage、そして生まれた時の名前が Anne Desclos。どうしてこれだけの名前を持っていたのか。この記事のタイトルが La clandestine となっているところから予想されるように、自らの正体を明らかにしたくなかったのだろうか。少なくとも名前を2つ持つ身としては、その複雑な人となりが想像される 「O嬢・・」 の著者に興味が湧く。

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インターネット・エクスプロ-ラとファイアー・フォックス IE VS MOZILLA FIREFOX

2006-04-17 21:48:53 | Weblog

何も考えずにインターネット・エクスプローラ (IE) を使っていたが、最近ファイアー・フォックス Firefox なるブラウザを紹介された。文字サイズが簡単に変えられ、いろいろなサイトを同じページ(?場所)で見ることができるタブ機能がついていたりで、非常に便利である。それとIEからこのブログを見て気付いたことだが、goo でのフランス語表示が文字化けを起こしている。以前はなかったように思ったが、、。それが Firefox では全く問題なく見ることができる。このブログへのアクセスを見ても、まだ半数には達していないが増えつつあるようだ。少し反応は遅いが、Firefox に完全移行しようかと考えている。

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ガルブレイス伝記 "JOHN KENNETH GALBRAITH: HIS LIFE"

2006-04-16 22:24:33 | 年齢とヴィヴァシテ

はっきりしないお天気の日曜日。最近届いたガルブレイスの伝記を読み始める。この方、1908年生まれというから御年98。ハーバード大学を退官してすでに30年が経っている。日本のマスコミにも人気があるのだろう、テレビでも取り上げられている。

"John Kenneth Galbraith: His life, his politics, his economics" by Richard Parker

2メートルを超える身長なので、まさに towering figure である。最近私が抱いている思いの一つは、長生きをすること自体が一つの大きな才能。その上に仕事を続けている人を見ると憧れに似た気持を抱かざるを得ない。元気が出てくるのだ。

彼はエリー湖のほとりのカナダの小さな町に生まれ、地元の農科大学で畜産を学び、バークレーで経済学に初めて触れるという、所謂アメリカのエリートとは異なるバックグラウンドの持ち主。20代半ばにハーバードの一年契約のインストラクターとして仕事を始める。そこに向かう時に他の誰もしなかったやり方、大西洋を見るために Acadia という船でボストンに向かう。その船旅で彼は将来の大きな可能性に思いを馳せていたことだろう。それから彼自身も予想もしなかったような人生を歩むことになる。専門領域からの批判はあるようだが、20世紀で最も有名な経済学者として、大きな絵を描きながらこれまで来たと言えるだろう。

この本の最初に出てくるボストンに向かう彼の様子を読んでいるうちに、自らの30年前の姿が鮮やかに蘇ってきた。また Acadia という名前を聞いただけで、その名の付いたメーン州の国立公園に紅葉狩りに足を伸ばしたこと、その鮮やかな景色とともに当時抱いていた将来に対する思いなどが呼び起こされてくる。時の流れを味わう贅沢な時間を過ごす。800ページに及ぶ大著だが、読み進むうちにいろいろなことが呼び覚まされる予感がして、これからの週末の楽しみになりそうだ。

この本の邦訳が全三巻で最近出版されたようだ (「ガルブレイス 戦う経済学者」)。

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