フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

少し早めの退職、そしてこれから EN PRENANT LA RETRAITE ANTICIPEE

2007-07-01 01:00:41 | Qui suis-je

長い間重ねてきた生命科学の世界での生活に終わりがあることを意識した時、初めて自らの終わりについても考えざるを得なくなった。それは、これからどう生きるべきなのかという古くて新しい究極の問として、2年程前から私の頭を悩まし始めた。私はこの問を、どのように生きれば満たされて自らを終ることができるのか、と読み変えて考え、いくつかの試みを行ってきた。その結果、このブログでの観察の助けも借りながら一つの結論に達することができた。

それは、残りの時間をこれまでの継続に使うのではなく、人類がこれまで何をどのように考え歩んできたのかという、私が今まで先送りにしてきた問題を顧みながら過ごすこと、そしてその対象として自らの歩んできた道をも取り上げながらその意味を探ることこそ最も満足をもたらしてくれるのではないかというものであった。ビリー・ジョエルの言葉を借りれば、こうなるだろう。

     "You may be right, I may be crazy" (Billy Joel)

その第一歩として、この秋からパリにある大学で学びを始めることにした。そこには私が望むプログラムがあり、幸いにも私を受け入れると判断してくれたからである。これから留学を目指している方の参考になるかもしれないと思い、ここに至る不思議の糸に導かれた経過をすでに公開している。

     A VIEW FROM PARIS パリから観る

  興味をお持ちの方の訪問をお待ちしております。

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ブログ2年を経過して REFLEXIONS APRES 2 ANS

2007-02-17 00:43:14 | Qui suis-je

2005年2月16日からこのブログを始めているので、早2年が経過したことになる。私の独り言に多くの方が耳を傾けて下さったことにまず感謝したい。最初は頭の隅の方にあったものを穿り返すことから始めたが、その作業を続けているうちに paul-ailleurs 的なるものが自ら成長を始め、私の中で非常に大きな存在になりつつある。彼とともに歩みたいとさえ思うくらいに。

以前に、「生きることが私の仕事」 と書いたことがある。自らの根幹に触れるところで生きることができれば最高である、あるいは自らの求めるところにしたがって生きるために仕事をすると意識できれば素晴らしいという意味である。ニューヨークにいた当時、町に出てお店で働いている人とよく話をしたが、彼らは自分のやりたいこと (例えば、ブロードウェーに出る、作家や音楽家になる) をするための手段として仕事をしていた。もちろん、日本でも同じような理由で仕事をしている人に会う。以前は余り望ましくない生活スタイルに見えていたが、最近これは理想の仕事の仕方に近いのではないかとも思えるようになっている。

われわれはいつしか仕事を目的と捉えるようになってしまった。私もそうやってこれまで来たのかもしれない。ただ心の底には、これは社会の中でひとつの役割を演じているにしか過ぎないという思いがあることを、社会に出る前の学生時代から意識していた。今振り返ると、社会での仕事は自らの求めるところがどこにあるのかを探るひとつの試みだったのかもしれないとさえ思える。

ところで、これまでやってきた仕事を永遠に続けることができればどれだけ幸せだろうかとつい最近まで考えていた。つまり定年について否定的に考えていた。ただその時期が近づいてくると、それは必ずしも悪いことではないのかもしれないという思いが芽生えている。自らの求めるものに気付き、それが社会の制約の中で抑圧されていたとすれば、定年は何ものにも囚われず自らの歩みを始められることを意味しているからだ。

ブログの2年を経過したこの日は、仕事とは何か、なぜ仕事をするのか、生きることとどういう関連があるのか、最高の仕事とは何なのか、など仕事を巡る瞑想の機会を与えてくれた。これまでこのブログをやめて現実にどっぷり浸かってみようかと考えたこともあった。しかし、結局今まで続いている。私の中に、ここでの観察を 「生きる」 と同義に捉えようとする動きが出始めているのを感じる。それが 「仕事」 になりつつあるということだろうか。

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今日のお話、どこかで先日の 「全的に考える」 にもつながっているようだ。

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それとともに生きる LIVE WITH IT !

2007-02-05 00:34:12 | Qui suis-je

20-30年前の日付が必要になり、昨日の朝、昔のノートや日記を倉庫から出して調べていた。それを見た途端に当時の自分が蘇ってきた。ここに書かれているものを詳しく読み返していくと当時の生活が再現できそうなくらいである。当時の自分は意外に真剣に人生に向かっていて、そこでの悩みや意気込みが綴られていることに驚くと同時に、眼の付け所の原点のようなものも見て取れる。

探していた日付を見つけた後さらに読み進んでいると、現在の記憶に基づいて当時を再現して書いた昨日の記事を確かめるような書き込みが見つかった (それにしても不思議と事がつながるものである)。その時はこういう風に感じていたのか、という思いである。気恥ずかしいが、原文のまま引用してみたい。

"Dr. EAB showed me how the life should be spent as a scientist or the fact that science is a life-long struggle....I finally came to realize the basis of my life, life in a pure form." (January 15, 1981)

「EAB先生は科学者として人生をどのように送ればよいのかを、そして科学は一生続く戦いであることを教えてくれた。・・・僕はついに自分の人生の基礎となるものに気付くこととなった。(それは、余分なものを削ぎ落とした) 純粋な人生である。」

それから、EAB先生とのディスカッションの後と思われる書き込みも見つかる。仕事を成功させるためには重要な問題を常に自分に引き付けて考え、それに基づいて実験をしなければならない、というようなことを言われたのか、自分で感じ取ったのか、"LIVE WITH IT" と大文字で書かれてある。そのしっかりとした筆跡から当時の決意のようなものが伝わってくると同時に、何か別人を見る趣である。現在のフランス語との関係のように、当時は英語から何らかの霊感を得ていたのかもしれない。この "LIVE WITH IT" という言葉、どんな状況にも当てはまりそうである。そして、それを声に出してみると、不思議としゃきっとしてくる。

ニューヨーク時代につけていた、どこをどれだけの時間で走ったのか、腹筋や腕立てをどれだけやったのか、などが書いてある "Running Diary" なるものも出てきた。その中に、朝の6時くらいに起きてからすぐにアパートを飛び出し、イーストリバー沿いを走って帰ってきたのはよいが、余りに急激だったせいか、アパートに戻ると激しい吐き気を催し (何も出てこないので) 悶絶したなどという記述もある。何という無茶をやっていたのかという思いであるが、こういう昔の姿が飛び出してくるのも楽しいものである。

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昔の自分と対面している間、周囲の音が全く聞こえなくなり、時間が完全に止まっていた。異次元に運ばれているという感じである。不思議な、大げさに言えば豊穣の時間を過ごした。やはりメモは残しておくべき、と改めて言い聞かせている。

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タオからの連想 "TAO" ME RAPPELLE DE...

2007-02-04 00:21:13 | Qui suis-je

昨日の朝、加島祥造著 「タオにつながる」 を読んでいる時、昔のことが甦ってきた。それは、ひょっとすると今の自分のある部分の源になっているかもしれないという思いでもあった。

学生時代に3年余り師事していた IK先生、ニューヨークで5年間師事していたイギリス人の EAB先生。お二人とも何が楽しくて研究をしているのかというくらいに、仕事に打ち込まれていた。社会的な何かを求めるための研究というところは微塵も感ぜず、とにかく全霊を傾けて。最初は何か空しい人生のような気がして見ていた。しかし、ニューヨークの3-4年目くらいからだろうか、「そのもののためだけに打ち込む」 ということがどれだけ自分にも喜びをもたらしてくれるのかということに気付き始めたのだ。

もともとアメリカにしばらくいようと決めた背景には、外の影響を受けることなく自分の中のモーターで自分が動けるようになるまで、自分の中から生れた規範のようなものが掴めるまで待とうという気持ちがあった。それが実はこのことであったのである。そのことに気付いてしまうと、この世の大勢の同業者の中にあって、彼らは選ばれた非常に幸福な人たちに思えてきた。

タオの最初のところを読んでみると、この思想は 「無」 を基本においているらしいことがわかる。無になることによって、無限の可能性に辿り着く、目に見えなかったものが見え始め、自然の秘密が目の前に現れるようになる、自由になる。そんな境地に辿り着くことができるのだろうか。

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過去の自分を現在に引き戻す VIVRE AVEC LE MOI DU PASSE

2007-01-30 00:24:33 | Qui suis-je

週末の電車の中 あることに気付く

今を生きている自分 そこに至るまであったいろいろな自分
普通は昔の自分を遠くに置いたまま 時には捨て去り それとは別の自分を生きている
少なくとも私の場合はそうであった 
それが忙しく現実を生きるということかもしれない

最近 それが少し違ってきているのではないだろうか 
一瞬 そんな思いが過ぎった

それは これまでに在った昔の自分のすべてを現在に引き戻して 
彼らと話をしながら生きている 生きようとしている という感覚である

そのすべてを引き受けて 彼らの求めるところに従って進むのも面白いのではないか
そうした方が より満ちた人生になるのではないだろうか
そんな思いが静かに溢れてきているようだ

そのせいだろうか 最近もやもやしたものの存在に気付いている
彼らの不協和音のためだろうか
それが何なのか まだ掴めていない

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今日のお話、昨日パスカルと接触したことが影響しているのは間違いなさそうだ。

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2006年を振り返って EN CONTEMPLANT L'ANNEE 2006

2007-01-07 00:03:17 | Qui suis-je

新年を実質的にスタートする前に、2006年について振り返っておきたい。

(1)2006年は、これまでの人生を振り返り、これからどこに向かうのが自分の中で一番自然なのかということを、ほとんど無意識のうちに考えていたようだ。具体的には、これから今までの仕事を継続していくのか、今までの蓄えを生かしながら方向を変えるのか、あるいは全く新しい道を探るのか、という問題である。そしてその基本になるのが、自分の心から求めるものがそこにあるのか、自分がそこに立った時に芯から違和感を感じないで自然な感覚を抱けるのかなどであった。その試行錯誤の中から、少しずつ形が見え始めてきた年だったように感じる。

(2)フランス語を始めて、2006年で5年が経過した。この間、何かの目的のためではなく、ただフランス語に触れることに満足を覚えながら過ごした。そのためか苦痛を全く感じることなく、2006年もいろいろなものや人に会うことができた。世界が徐々に広がっていることに大きな喜びを感じているが、このような経験は今までにはなかったことである。余談だが、年末のMD宅で彼の父親から、お前の中にはひょっとするとフランスの血が混じっているのではないか、とのお言葉をいただいた。この世にありえないことはない、Tout est possible ! だと。現実に戻って私のフランス語を見てみると、そのレベルは相変わらずではあるが、どのようにやっていけばよさそうかという感触は得られたように感じている。昨年11月に受けた仏検1級は予想通りの結果であった。この試験には準備が必要なのだろうが、その気にならないので困っている。同じく10月に受けたDALF-C2の方は、いまだ結果が届いていない。

(3)新しいブログを4つも立ち上げてしまった。それは科学と哲学に関連するもので、考える場所を別々に用意したためこの数になってしまった。こちらは気が向いた時に書いているので、メモを取るといった感覚である。特にマルセル・コンシュさん (関連記事) を読み始めたことで、生きるということは哲学することを実践していきたいと思うようになっている。それしか残されていないという感覚が押し寄せてきているようだ。フランス語との出会いとこのブログがもたらしてくれた変化であろう。もう少し様子を見てみたい。

(4)2006年も日仏の方々から hamac で揺れているこの観察者に多くのコメントをいただいた。フランス語版にはしばしば忌憚のないご意見があり、自らを振り返る貴重な時間を過ごすことになった。ここでは特にLiguea 様からのコメントについての記事と Christian 様の俳句論についての記事をあげておきたい。このようなやり取りはブログの醍醐味かもしれない。

(5)実際にお会いした方々としては、一昨年の暮れに街で知り合いになって以来定期的にお付き合いいただいているフランス人ご夫妻D&Cさん。2006年秋のパリ滞在時には、ブログを通じて知り合いになった公務員をしながら作家活動をされている Olivia Cham さんに会うことができた。その後もメールでお話をさせていただいているが、日常的にフランス語を使う環境にいない者にとって非常にありがたいことである。またパリの友人M&Lご夫妻には2006年もお世話になりっぱなしであった。

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今年もこの海図のない旅にお付き合いいただければ幸いです。また積極的な参加も歓迎いたします。

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大竹伸朗という芸術家 SHINRO OHTAKE

2006-11-28 21:04:50 | Qui suis-je

先週の新日曜美術館で興味深い人が紹介されていた。

   大竹伸朗 (1955-)

基本的な姿勢が paul-ailleurs と余りにも共通点が多いのに驚きながら見る。以下、殴り書きのメモからランダムに。

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目的のないものが面白い。
  (昔から何かのためにやると言った途端に、やる気が失せるようなところがある。どこか訳も分からないところに辿り着きたいとでも思っているかのようだ。)

役に立つものは面白くない。

偶然を生かすのが好き。

日常のすべてを記録に留める。
  (彼は身の回りで見つけたものを拾ってはスクラップブックに貼り付け、自分なりに手を加えている。それ自体が作品になっているのだが、彼は自分の存在を確かめるためにやっているような印象がある。まともに買ったものよりは、その辺にある何気ないもの、注意していないと見逃してしまうようなものの方が味があるという感じ方。)

描くということは、対象を観察してそれを分かろうとする作業。
  (書くと置き換えても、観ると置き換えても、対象を理解しようとする方向に向かうようだ。あくまでも向かうだが。)

どこかオリジナルなところに行き着いたというのではなく、いつも何かが進行していないとつまらない。何かが化学反応で起こるかもしれないということが楽しい。

主張がはっきり分かるような作品は、いや。

ヒトには五感ではなく、万感があるのではないか。
  (本当は万感どころではないのだろう。書くとか観るという作業を意識的にやるだけでもその途方も無さがぼんやりと周りに広がる。)

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抽象絵画という範疇に入る作品の中でも絵の具を撒き散らしたようなものは、以前は全く受け付けなかった。今回、全くの偶然の中で作業を進め、その中に自らの求めるもの、美に辿り着いたと感じた時にその作業を止めるという彼の制作過程を見ながら、この手の作品の美しさに対する目が少し開かれてきているのがはっきりと意識できた。

大竹伸朗 「全景」 1955-2006 (東京都現代美術館)

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時空を超えたやり取り ECHANGE AVEC MOI DU PASSE OU FUTUR MOI

2006-10-14 08:46:50 | Qui suis-je

いつからかその時々に過ぎる思いをメモに書いていたようだ。それを机の上に置いていた。今では英語で言うところの Mess ! になっている (フランス語では何というのだろうか)。しかし時とともにそれがいつもの景色になって、その酷さに気づかなくなっていたことに気づく。最近間違ってシャッターを押し、写っていた自分の手を見て驚いた。自分がいつも見ている手とは異なり、ご老人の手なのである。今回の乱雑な状況に気付いたのはそのカメラの眼と同質のものだったかもしれない。

今までであればその時に不要なものはすぐに捨てていたのだが、暇だったのだろうか、いくつかに眼を通してみた。そうすると、それを書いた時のことが鮮やかに蘇ってくるのである。そういう自分がいたなどということさえ忘れている、思いもよらない姿が蘇ってくる。ほんのちょっとしたことで記憶が蘇ってくる。確かにこの脳にはそれが残っているということを改めて確認する。以前にも触れたが、時空を超えたやり取りが脳内で起こる時、なぜかいつも爽快な気分になるのだ。それは懐かしさとは違う感情である。

1年ほど前から意識的に写真を撮るようになっている。このブログに写真を載せているからだろう。その過程で気づいたことがある。以前は、写真を撮る時に感動したり気になったものを意識せずに撮っていた (今にして思えばなぜ撮っていたのかさえわからないくらいである)。フィルムの制限もあり、対象を選んでいた。ところが最近では、写真を撮る時の自分はそれほど重要ではないという考えになっている。それを意識したのは、ブログに載せる写真を選ぶという作業が入ったからだろう。その時には写真を撮った時の自分は余り関係がなくなっている。もちろん撮った時の感動は残っているが、出来上がった写真をよいと思うかどうかは選ぶ時の自分にかかっている。つまり、写真を撮る時には将来の自分を予想することができないということに気付いたのである。そうすると、写真を撮る時の自分はそれほど問題ではなくなり、とにかく撮ることが重要になるのだ。カメラがデジタルになったこともそれを後押ししている。未来の見知らぬ自分に向けて、気楽にたくさん撮るというのが私の原則になってしまった。

そんなことを考えながら、過去の一時期の一瞬に出てきたものを殴り書きしてあるメモは、昔の自分を垣間見る触媒として捨てがたいものではないか、という思いに至る。今回、その辺に散らかっているメモを選別せずに取っておくことにした。将来どんなメモが爽快さをもたらしてくれるのか、今はわからないのだから。

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禁欲主義者あるいは快楽主義者 SUIS-JE ASCETIQUE OU HEDONISTE ?

2006-08-06 11:52:56 | Qui suis-je

フランス人ご夫妻の D & C と食事に出た。昨年初めてお会いした飯田橋で新しいレストランを紹介していただいた。最近は、簡単なお話をした後、直ちに生のお話へと進むようになっている。昨日話題にした日本の高校には哲学という教科がないという話を出した。大学で哲学に興味を持った人だけに哲学を教えるのではなく、一つの基本的な素養として哲学的なものの見方を教えることの大切さについては彼らも全く異議を挟まなかった。

その話をしている時、哲学研究者はいるが哲学者は極めて少ないという日本の哲学の状況を思い出していた。私が調べているわけではないが、そういう意見が哲学者の側から出てきているので、おそらくそこにはある真実が含まれているのだろう。哲学的にものを考え、新しい境地を開くという歩み方をしている大学の教師が皆無に近い状況では、哲学の持つ重要性にはひょっとすると気づいていないのかもしれない、などと不遜にも思っていた。哲学者や哲学の流れを解説する人も必要だろうが、営みとしてはサラリーマン的にも感じる。

何かの拍子に、私には禁欲的なところがある (ascétique; acète; ascétisme) と言ったところ、D はお前はむしろヘドニスト hédoniste だと言い出した。快楽主義者という訳語しか知らないのだが、人生に気持ちのよさを求めているというようなところがあることは感じていたので、それほどの違和感はなかった。

ウィキペディアの "hédonisme" 中に次にような一節がある。

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L'hédonisme (du grec hèdus, « agréable, plaisant ») est une doctrine philosophique qui fait du plaisir le but de l'existence.... beaucoup de philosophes hédonistes ont tenus des postures athées ou agnostiques (Epicure), matérialistes (Démocrite), voire aussi libertaires, anarchistes (Michel Onfray, revendiquant l'anarchie comme la modalité politique de l'hédonisme).

ヘドニズム (ギリシャ語の「気持ちがよい」、「快適な」 を意味するヘドゥス hèdus に由来する) は喜び・快楽を存在の目的とする哲学の教えである。…(しかし)… 多くのヘドニズムの哲学者は無神論、不可知論の立場 (エピキュロス)、物質主義の立場 (デモクリトス)、あるいは完全自由主義、無政府主義の立場さえ採っていた。ミシェル・オンフレは無政府主義をヘドニズムの政治形態と主張している。
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この文章を読んだ時、以前に D から 私は fataliste で anarchiste だと指摘されたことを思い出していた。この文章の最後のところで anarchiste と hédoniste とが繋がっているのを見て、不思議な気持ちにさせられた。本当にそうなのだろうか。それに対して積極的に否定できるだけの材料は多くは見つからないようだ。ミシェル・オンフレという人にも興味が湧いてきている。いつものことながら、何かが出てくるお食事となった。

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100歳から現在を見る VIVRE EN REGARDANT DE 100 ANS

2006-07-22 01:18:21 | Qui suis-je

50歳を過ぎたあたりからだろうか。これまでにも書いているが、できるだけアクティブに人生を終えたいという気持ちから高齢で元気のよい人に目が行くようになった (「年齢とヴィヴァシテ」 参照)。その時から、100歳あたりから現在を見るという視点にゆっくりと変わってきたようだ。50歳を迎えるまではただただ先を見て進んでいくという感じで来たことがわかる。それが最近では100歳から今の自分を見ている。そのため、まだまだ人生の半分ではないか、何を年寄りじみたことを言っているのか、というような声が聞こえる。必死に生きてはいるのだが、なぜか安心感がある。100年の時の流れの中で自分の歩みを眺めることができるようになったからかもしれない。

いつまで生きるのかはわからないが、この視点に立つと別の意味で自分を叱咤でき、同時に余裕を持ってものを見ることができる。先日触れたマルク・フュマロリさんの視点ではないが、時の流れの中に今をはめ込むことができるようになるからだろう。大げさに言うと、今を歩んでいる時にそれがただちに自分の中で歴史的な意味を持つようになるという不思議な感覚なのだ。新しい世界が開けてくるようで面白い。

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意識のずれを意識する CONSCEIENT DU FOSSE DE LA CONSCIENCE

2006-07-04 00:39:04 | Qui suis-je

あることに気づくとする。その翌日にはそのことをずっと昔から知っていたような気になっている。それはそれでよいのだろうが、感動がなくなる。そのためにも、日々の小さな発見を書いておくことは重要であると思う。そうしたちょっとした意識のずれを記録しておくと、後で読み返した時生きていることを実感できる。ずれを意識するという活動をしていた自分がそこにいたことを確認するからだ。そうでもしないと、これから“のぺらーっとした”人生になりそうな予感がする。

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これまでに訪ねた町 LES VILLES ETRANGERES QUE J'AI VISITEES

2006-06-30 00:33:10 | Qui suis-je

今日は不思議と内省的で、これまでを大きく振り返ってみようという気持ちになる。それでこれまでに生活したり、訪ねて時間を過ごしたりした外国の町を思い出してみた。それらの町はほとんどすべてが仕事で訪れたところである。以下に書き出してみる。

États-Unis:
New York (5 ans), Cold Spring Harbor, Stony Brook, Montauk, West Point, Buffalo, Pocono Mountains, Adirondack Mountains, etc.;
Princeton, Atlantic City;
New Haven; Philadelphia, Hershey, Pittsburgh;
Boston (2 ans), Worcester, Plymouth, Woods Hole, Martha's Vineyard;
Concord; Bar Harbor, Bangor, Portland (ME);
Washington, DC; Chicago; Minneapolis, St. Paul, Rochester (MN);
Ann Arbor, Detroit; Houston;
Miami, Key West; Saint Petersburg, Tampa, Orlando;
Atlanta, Savannah; Hilton Head Island (NC); La Nouvelle-Orléans;
Iowa City, Des Moines, Cedar Rapids; Indianapolis;
Denver, Keystone, Copper Mountain, Aspen;
Los Angeles, Anaheim, Santa Ana, Long Beach, San Franciso, Monterey, Palo Alto, San Jose, Fresno, San Diego, La Jolla;
Las Vegas; Salt Lake City; Albuquerque, Santa Fe, Taos;
Anchorage; Hawaii

Canada:
Montréal, Toronto, Québec, Halifax (Nouvelle-Écosse)

Europe:
Paris, Chevreuse, Saint-Germain-en-Laye, Montpellier, La Grande Motte, Strasbourg;
Rome, Milan, Bressanone, Verona, Trieste;
Londres, Oxford, Cambridge;
Saint-Pétersbourg, Moscou;
Oslo; Helsinki; Stockholm, Uppsala; Copenhague, Arhus; Amsterdam;
Bonn, Berlin, Francfort-sur-le-Main, Heidelberg, Fribourg, Tübingen, Munich, Stuttgart, Mainz, Hambourg, Marbourg, Wiesbaden;
Bâle, Genève, Zurich;
Madrid, Toledo, Barcelone, Figueras; Lisbonne;
Rijeka, Opatija; Budapest, Debrecen

Asie:
New Delhi; Singapour; Bangkok

Afrique:
Nairobi (Kenya), Lusaka (Zanbie)

こうして見ると、これだけの町を訪れることができるだけの時間が経ってしまったということと、アジア、アフリカが少なく、中南米、南アメリカには全く足を踏み込んでいないことがわかる。これら未踏の土地に強く惹かれ始めている。

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頭に血を巡らせながら PENSANT AVEC UNE TELLE CONCENTRATION

2006-06-15 20:49:54 | Qui suis-je

最近書き物をしているが、さっぱり捗らない。そのため頭を使い、集中するようになっている。頭に血が上っているような感覚、頭の外側が脈を打っているような感じである。この感覚を味わい続けていると、以前にも感じたことがあるような気がしてきた。それが今日やっとわかった。昨年秋にフランス語の試験 DALF-C1 を受けた時に味わったものと同じ感覚である。あの時も、必死に頭を、頭だけを使っていたが、流石に疲れきってしまった。今まさにその状態の真っ只中にいる。

普段如何に必死に考えていないかを痛感させられる。そのせいで仕事が捗らないのだろう。いつでもこの状態にスイッチ・オンされるようになっていないということになる。今回、この状態は何か精神が高められていると錯覚するような状態で、なかなかよいことがわかった。この感覚を覚えておいて、これからの足しにしたいものである。

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沈思の海から DE LA PENSEE PROFONDE

2006-06-06 22:31:54 | Qui suis-je

ある状態が永遠に続くような、終わりがないような感覚を持ちながら (それが錯覚であることも気付かずに) 仕事ができる時期がある。そういう時は、丁度海に潜っているように、地上の出来事をどこか現実感のない別世界のこととして捉えながら仕事に溺れることができる。幸せな時である。しかし、それが終わりに近づくことを薄々感じるようになると、今まで潜っていた幸せの海から顔を出さざるを得なくなる。その時初めて、周りの状況も分からずに、ただひたすら自らの道を歩んでいたことの幸せを感じるのだ。海から出て上の方から人ごとのようにものを見るようになる時、幸福感は消えていく。

そういう感覚が襲う時は、今までもあった。デジャヴューである。その後にはいつも、どこかでこれまでの関係を拒否するような、全く新しい始まりの時が待っていた。

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「先送り」 再考 ATTENDRE JUSQU'A CE QU'IL MURISSE

2006-05-05 18:51:39 | Qui suis-je

昨年、「先送り」 について触れたことがある。それまで何事かが目の前に現れると、後で始末しましょう、後でじっくり調べましょう、後で読みましょう、という態度できたことを批判的に考え書いたものだ。

昨日、モーツアルトのお祭りで友人と話している時、これは必ずしも悪いことではなかったのではないかという思いが浮かんだ。先送りするということは、その時点で判断を下さないということでもある。ただただいろいろなものにわが身、わが心を晒して、そこから言葉にならない何かを受け止めていたのではないか、ということに気付いたのだ。先日の現象学ではないが、まずものがある。そこから受ける何かを長い間静かに蓄積していたのでは、という思いである。

その蓄積が徐々に発酵して、ある日突然はっきりとした言葉になって目の前に現れることだってあるのではないか、との考えが浮かんだのだ。これまでの批判的な考えは、対象に向かってその場で判断することなく、自らの中に去来する何かをひたすら言葉にするという作業が意外と何かをもたらすのではないのか、という期待に変わっていた。その時の言葉が未熟なものでもよい、本当のところを捕らえきれてなくてもよい、そういう体験をしたということを記憶するための一つの手段としてあればよい。そんな中から自分でも気付かなかった何かが将来浮かび上がるかもしれない、という夢のような期待が、酒を酌み交わしながらのある瞬間、頭をよぎった。


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先送り - Esprit critique 2005-06-04
「先送り」再々考 2007-09-24
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