9月27日の記事でマルセル・コンシュさんのインタビューについて書いたが、その中に問と答えとの繋がりがどうしても理解できないところがあることについても
後日触れた。それは以下の部分である。
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Philosophie Magazine : Votre rapport à l'histoire semble contradictoire. D'un côté, vous montrez que c'est la profonde instabilité du siècle qui a orienté votre philosophie. De l'autre, le philosophe doit, selon vous, faire abstraction de son temps. La vrai vie serait-elle anhistorique ?
Marcel Conche : Sur ce point, il me semble qu'il faut distinguer l'action et l'activité. Le philosohpe n'a pas à être un homme d'action. Il n'a pas à agir, il a à penser. On ne peut faire les deux choses à la fois. Dans le Tao Te king, cette difference est fondamentale, car si le philosohpe ne s'engage pas dans l'action, cela n'empêche pas qu'il soit actif. Cette activité consiste en une spontaneité créatrice: lorsque j'étais enseignant, j'étais assujetti à une action, à une emploi du temps. Je ne le suis plus aujourd'hui. J'improvise mes journées. Comme si vivre, c'était poétiser...
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ここを以下のように訳してみた。
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PM: あなたの歴史との関係は、矛盾しているように見えます。一方で、あなたの哲学を導いたのは世紀の極度の不安定さであると言い、他方哲学者はその時代を考慮に入れてはいけないと言っておられます。真の人生は歴史性のないものなのでしょうか。
MC: その点についてですが、行動と活動とは区別しなければならないと思います。哲学者は行動する人である必要はありません。哲学者は行動する必要はありません。考えなければならないのです。一度に両方をやるのは難しい。老子の 「道徳経」では両者の違いが根本的なものとして書かれている。行動に参加しなくても活動的でいることができる。その活動は 創造的自発性からなっている。私が教師をしている時は行動することに縛られていたが、今は一日を即興的に過ごす。まるで生きるということが (日々を) 詩的にすることであるかのように。
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この問とコンシュさんの答えの関係が今ひとつピンとこないままで、気持ちの悪い状態が続いていた。そこで
オリヴィアさんにこのことを聞いてみたところ、以下のような réflexions が届いた。
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「私も最初読んだ時には繋がりがよくわかりませんでした。コンシュの中では論理的な繋がりがあったのでしょうが、読者にはそれが伝わりません。しかし質問の最後の部分、真の人生は anhistorique なのか、というところには彼はしっかりと答えています。彼が区別しなければならないという行動と活動がそれぞれ historique と anhistorique に対応する考えるとよく理解できます。
質問の前半部分に関連して、おそらく彼が言いたかったことは次のようなことではないかと想像します。
『世紀の不安定性が彼の中の行動の部分に影響を与えたが、その行動する人間が哲学者になった時に一時的な行動から得た経験を抽象化し、絶対的な視点を得るように努める、それが一時的で historique な状況の抽象化ということになる。』
いずれにしても、彼が信じていることは哲学者は個々の出来事に対して立場を明らかにするというのではなく、時代を超える視点、絶対的な視点を持つべきだということではないでしょうか。」
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この考察を読んで、私の頭を覆っていた雲が一気にどこかに飛んで行ってしまったような爽快な気分になっていた。この考察に従うと、上の訳で 「他方哲学者はその時代を考慮に入れてはいけない」 というのは言い過ぎで、やはり 「哲学者は時代を超えてそれを捨象しなければならない」 という方が正確であろう。 いかに文章の上っ面だけを読んでいて réflexion という作業をしていないかということを思い知らされる問と答えになった。