フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

6月の記事

2006-06-30 01:09:06 | Weblog
2006-6-30 これまでに訪ねた町 LES VILLES ÉTRANGÈRES QUE J'AI VISITÉES
2006-6-29 最初から国際基準で (II) À LA NORME INTERNATIONALE DÈS LE DÉBUT
2006-6-28 最初から国際標準で (I) À LA NORME INTERNATIONALE DÈS LE DÉBUT
2006-6-27 ブルース・チャトウィン BRUCE CHATWIN
2006-6-26 風の旅人 VOYAGEUR DU VENT
2006-6-25 北浪良佳を聞く ÉCOUTER YOSHIKA KITANAMI
2006-6-24 旅への招待 INVITATION AU VOYAGE
2006-6-23 夏至音楽祭 LA FÊTE DE LA MUSIQUE
2006-6-22 あたかも森の中を行くがごとし COMME SI J'ALLAIS DANS LA FORET
2006-6-21 新しい美術館 LE MUSÉE DU QUAI BRANLY
2006-6-20 仏版ブログでは CE QUI SE PASSE DANS LE HAMAC DE TOKYO
2006-6-19 仏検の日のブログ ACCÈS À MON BLOG AU JOUR DE L'EXAMEN FRANÇAIS
2006-6-18 イサム・ノグチ展に立ち寄る A L'EXPOSITION D'ISAMU NOGUCHI
2006-6-17 横浜での散歩 LE PROMENADE APRES LE DÉJEUNER
2006-6-16 横浜で英語の世界へ PENSER EN ANGLAIS A YOKOHAMA
2006-6-15 頭に血を巡らせながら PENSANT AVEC UNE TELLE CONCENTRATION
2006-6-14 ミハイル・カンディンスキーさんのサイト SITE DE MIKHAIL KANDINSKY
2006-6-13 梅雨の読書 LECTURE POUR LA SAISON DES PLUIES
2006-6-12 サン・テグジュぺリと空を飛びながら REGARDANT LA TERRE AVEC SAINT-EX
2006-6-11 フランスな週末 LE WEEK-END FRANÇAIS
2006-6-10 ナントからの贈り物 UN CADEAU D'UN NANTAIS
2006-6-09 梅雨始まる LA SAISON DES PLUIES COMMENCE
2006-6-08 エイズのもたらしたもの SIDA A 25 ANS 
2006-6-07 松田理奈さんをテレビで RINA MATSUDA À LA TÉLÉ
2006-6-06 沈思の海から DE LA PENSÉE PROFONDE
2006-6-05 TV5でサンクト・ペテルブルグ ST-PÉTERSBOURG AU TV5
2006-6-04 ある門前にて DEVANT UNE PORTE ...

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これまでに訪ねた町 LES VILLES ETRANGERES QUE J'AI VISITEES

2006-06-30 00:33:10 | Qui suis-je

今日は不思議と内省的で、これまでを大きく振り返ってみようという気持ちになる。それでこれまでに生活したり、訪ねて時間を過ごしたりした外国の町を思い出してみた。それらの町はほとんどすべてが仕事で訪れたところである。以下に書き出してみる。

États-Unis:
New York (5 ans), Cold Spring Harbor, Stony Brook, Montauk, West Point, Buffalo, Pocono Mountains, Adirondack Mountains, etc.;
Princeton, Atlantic City;
New Haven; Philadelphia, Hershey, Pittsburgh;
Boston (2 ans), Worcester, Plymouth, Woods Hole, Martha's Vineyard;
Concord; Bar Harbor, Bangor, Portland (ME);
Washington, DC; Chicago; Minneapolis, St. Paul, Rochester (MN);
Ann Arbor, Detroit; Houston;
Miami, Key West; Saint Petersburg, Tampa, Orlando;
Atlanta, Savannah; Hilton Head Island (NC); La Nouvelle-Orléans;
Iowa City, Des Moines, Cedar Rapids; Indianapolis;
Denver, Keystone, Copper Mountain, Aspen;
Los Angeles, Anaheim, Santa Ana, Long Beach, San Franciso, Monterey, Palo Alto, San Jose, Fresno, San Diego, La Jolla;
Las Vegas; Salt Lake City; Albuquerque, Santa Fe, Taos;
Anchorage; Hawaii

Canada:
Montréal, Toronto, Québec, Halifax (Nouvelle-Écosse)

Europe:
Paris, Chevreuse, Saint-Germain-en-Laye, Montpellier, La Grande Motte, Strasbourg;
Rome, Milan, Bressanone, Verona, Trieste;
Londres, Oxford, Cambridge;
Saint-Pétersbourg, Moscou;
Oslo; Helsinki; Stockholm, Uppsala; Copenhague, Arhus; Amsterdam;
Bonn, Berlin, Francfort-sur-le-Main, Heidelberg, Fribourg, Tübingen, Munich, Stuttgart, Mainz, Hambourg, Marbourg, Wiesbaden;
Bâle, Genève, Zurich;
Madrid, Toledo, Barcelone, Figueras; Lisbonne;
Rijeka, Opatija; Budapest, Debrecen

Asie:
New Delhi; Singapour; Bangkok

Afrique:
Nairobi (Kenya), Lusaka (Zanbie)

こうして見ると、これだけの町を訪れることができるだけの時間が経ってしまったということと、アジア、アフリカが少なく、中南米、南アメリカには全く足を踏み込んでいないことがわかる。これら未踏の土地に強く惹かれ始めている。

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最初から国際基準で (II) A LA NORME INTERNATIONALE

2006-06-29 00:44:59 | 科学、宗教+

ところで、国内にあって意識の上で (!) 世界レベルを維持することは相当に難しいように感じている。国内でどうにかしようという空気をどうしても感じてしまい、がっかりすることが多い。そういう色気を振り払うことができないようなのだ。もしこの点だけでも解決されると、国内の空気ももう少しすっきりしてくるように思う。例えば、会議などでも 「国際・・」 とは銘打っているが、非常に閉鎖的に感じることが多い。空気に閉塞感があるのだ。そう感じるのは私だけだろうか。その傾向は研究者の年とともに加速するので、ことを動かしている人たちが最も注意しなければならないのだが、現実にはなかなか難しそうだ。若い時から国際舞台を経験し、そのことに気付き、それを内なる基準に据えるということが必須になるような気がする。最初からそこに向かうという精神構造があれば、達するかどうかは別にして、もう少し解放感のある場所になるのではないだろうか。

若者が最初から大樹に寄りかかろうという精神構造になりがちな日本においては、香り立つような惚れ惚れする研究者がなかなか育ってこない (という印象を持っている)。ノーベル賞受賞者のSB氏が 「日本ほど人材を無駄にしている国はない」 と話していたということを最近聞いた。科学も芸術と似たところがあり、結局は個人が香り立たなければ意味がないと感じているので、そういう意味での発言だとすれば全く同感である。

最近の予算の集中的配分などは、その意味ではこの傾向を加速するもので甚だ疑問に感じている。未だに後進国の発想でやっているとしか思えない。むしろ個人研究支援のサイズを増やし、独立心旺盛な小さなユニットが群生するようにしなければ裾野のしっかりした長期的な発展はないのではないだろうか。自由で闊達な科学精神やそれが生み出す環境がなかなか得られないように感じるのだが。

今回のサッカーを見て感じたのは、このことと通じているように思えてきた。日本の状況を目の前に突きつけられたように感じた。マスコミの姿勢にしても子供じみた盛り上がり方で、いつものことながら冷静にものを見ようとしたり、外国の状況を的確に掴もうとする姿勢が感じられない。科学的な分析なしに自分に都合よく考えるという癖は、昔から治っていないようだ。この地理的な状況を考えるとほとんど絶望的にも感じる。おそらく、外国人の積極的な登用も含めて外の空気が自然に流れているような環境を整える以外に方法はないのかもしれない。最初から世界標準でものが動いていれば、もう少し気持ちよく仕事ができるように思うのだが、、。

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最初から国際標準で A LA NORME INTERNATIONALE DES LE DEBUT

2006-06-28 20:11:04 | 科学、宗教+

先日のフランス語クールで、マジョリテの年齢を下げることについての議論があった。フランスでは18歳だが、これをさらに15歳まで下げてはどうかという意見があるという (フランス語では年齢を進める "avancer cet âge à 15 ans" と言うらしい)。この考えに対して、"pour" の立場から考えを述べた。

今回の日本サッカーを見ていて、あるいは最近参加した会議などを見て感じていることと絡めたものなので、一面しか論じていないのだが。そのポイントが今日はタイトルになってしまった。

今回の敗退はすでに言われているように技術不足もあるのだろうが、それよりもその技術を発揮させるところの精神面での不足が大きな要因ではないかと思っている。所謂スポ根ではなく、目指すレベルを最初から世界基準に置くということだ。日本にいると日本の中で何とか、という安易な考えに陥りがちで、そこで満足しがちである。そこに目の高さがあると海外では辛くなり、特に状況が厳しくなると力を全く発揮できなくなる。そのためには最初から世界のレベルに自分の目の高さをあわせておくことが不可欠になる。そのことをわからせることが指導する側には求められるのだろう。

そのためには、若い時から海外に活躍の場を求めること、そこで世界のレベルを体で覚えること、その上でその基準を日本の環境でも維持していくこと、自分がそのレベルに達するかどうかは別にして、その基準を自分の中に持っていることが重要になる。それがあるかないかで全てが変わってくるような気がする。そういう人たちが集まれば、そこに向けて技術や体力を鍛えていくのではないだろうか。

最初のテーマに戻ると、ワールドカップに勝つためには精神的自立が重要になるので、マジョリテを早めるのには賛成だ、というむちゃくちゃな議論を展開した。しかしフランス人から見るとそれほど無茶なお話ではなかったようだ。むしろ、日本の日常から感じていることは "infantilisation, infantilisé" (子供じみていること) とのことなので、私の論点には理解を示してくれた。

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ブルース・チャトウィン BRUCE CHATWIN

2006-06-27 00:29:31 | 海外の作家

Bruce Charles Chatwin (13 mai 1940 - 18 janvier 1989)

ブルース・チャトウィンの本をサーチしていたところ、興味ある言葉を見つけた。ニューヨークタイムズのブック・レビューにあなたの職業は、と問われて次のように答えたという。

"Raconter des histoires est la seule occupation concevable pour un être aussi inutile que moi"
(嘘をつくことは、私のように役に立たない人間に考えられる唯一の仕事だ)

そして死ぬまでボードレールの言うところの 「家 (一ヶ所に留まること) の恐怖という大病」 を治すことができなかった。
"Jusqu'à son décès, il n'a pas guéri de ce que Baudelaire appelle "la grande maladie de l'horreur du domicile"."

同じような意味合いで次のような言葉も見つかった。

ブルース・チャトウィンは、アンチ・パスカルである。「人間のすべての悲しみは一部屋に静かにしていることができないことから生まれる」 というパスカルの考えを受け入れない。
"Bruce Chatwin est l'anti-Pascal qui affirme que toute la tristesse de l'homme découle de son incapatcité à rester calmement dans une pièce."

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風の旅人 VOYAGEUR DU VENT

2006-06-26 00:17:21 | 

先の週末、カフェに入る。本棚に置かれていた 「風の旅人」 という雑誌に目が行く。写真とその名前が気に入ったからだろう。去年のものだった。表紙を捲るとその裏には白川静氏の永劫についてのエッセイが自筆で出ている。この学者もいまや90歳を越えているが、未だにその歩みをやめようとしていない。地道に、人に気づかれることなく、まさにその名の通り静かに歩みを続けているうちに、大学者になってしまった。そういう風に高みに辿り着くこともあるということを知ることは、大きな力になる。

それからページを進めると、インドのバナーラスの写真が出てきた。バナーラスと言えば、この地から私のところに来ていたPがいるので、非常に近いものを感じている。彼女は着いた時に "Banaras: City of Light" という本を渡してくれた。この時初めてこの聖地のことを知った。もう5-6年前のことになる。

この雑誌にあった写真の中で、心を落ち着かせてくれるものが見つかった。90歳を越えた老母が死の床にいる。まさに床に布団のようなものが敷かれ、そこに寝ている老母に横にいる者が何かを口に含ませている。彼女の周りの床には7-8人が座って、静かに、すべてを運命に委ねるような表情で、永遠に帰還していく母を見守っている。時の流れをじーっと見守っている。動きがほとんどない。あるのは静寂だけだ。その写真には、こういう風に人を送りたいものだ、と思わせるものがあった。

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(version française)

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北浪良佳を聞く ECOUTER YOSHIKA KITANAMI

2006-06-25 10:21:26 | MUSIQUE、JAZZ

神戸出身の北浪良佳さんのジャズを聞く。ステージが始まる前、席が彼女のすぐ横だったので言葉を交わす。つながりを求めているような発散するエネルギーを感じ、好感を持つ。歌は劇場的でダイナミック。体がしっかりしていることもあり、存在感がある。最近日本の歌がどのようなジャズになるのかに興味が出てきている。この日は北原白秋・山田耕作の 「この道」 が歌われていた。乾燥したリズムには緊張感があり、彼女の声にどこか搾り出すようなところがあるのだが、この歌でもそれが切なさを感じさせ楽しむことができた。最後の方の歌詞は原作と違うように聞こえたが、自作なのだろうか。疲れから来る錯覚だったのだろうか。

その次に歌われた自作の 「光る道」(?) を聞いていると、何気ない日常の少し奥にあるだろうことに思いを働かせているようで、外からは察することのできない北浪さんの奥にある詩情を感じることができ、今日の発見となった。ピアノは伊藤志宏さん。北浪さんと馴れ合うことなく、最後まで緊張感を保ちながらの演奏。それが歌を引き立てていてよかった。

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この道はいつか来た道
ああ そうだよ
あかしやの花が咲いてる

あの丘はいつか見た丘
ああ そうだよ
ほら 白い時計台だよ

この道はいつか来た道
ああ そうだよ
お母さまと馬車で行ったよ

あの雲もいつか見た雲
ああ そうだよ
山査子(さんざし)の枝も垂れてる

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旅への招待 INVITATION AU VOYAGE

2006-06-24 23:27:31 | 

今日の午後、久しぶりにIFJの図書へ。いつものように読書雑誌 LIRE を手に取る。季節柄ヴァカンスに持っていく本100冊が特集されていた。フランス国内のみならず、いろいろな国が取り上げられていて面白い。扱われ方を見ているだけで心が広がるのだ。

今日特に目が行ったのは、「ある作家の世界 L'Univers d'un Écrivain」 で紹介されていたスコットランド出身で現在ブルターニュに移住しているケネス・ホワイト Kenneth White という詩人。旅人の心を持っているが、動き回らない人。好きな作家、ウォルト・ウィットマン Walt Whitman、ニーチェ Nietizsche、ランボー Rimbaud、ハーマン・メルヴィル Herman Melville、ヘンリー・デイヴィッド・ソロー Henry David Thoreau など。ソローよろしく、森の中で生活している。かすかな憧れを感じる。

別のページでは、3人の旅行好き、放浪癖のある人 trois bourlingeurs が紹介されていて、自分の中にあるノマドの声を聞きながら記事を読む。その3人とは、ジャック・ロンドン Jakck London、ブルース・チャトウィン Bruce Chatwin、ベルナール・ジロドー Bernard Giraudeau。彼らのほか、Bouvier なども含めていずれ触れてみたい。ここで紹介されていた本は以下の通り。

Matthias Debureaux "De l'art d'ennuyer en racontant ses voyages"
Jack London "Smoke Bellew"
Bernard Giraudeau "Les hommes à terre"
Bruce Chatwin "Anatomie de l'errance (Anatomy of Restlessness)"

Chatwin に関しては、昨年パリに滞在した時に出たばかりの全作品集が本屋の棚を飾っていたのを思い出した。

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夏至音楽祭 LA FETE DE LA MUSIQUE

2006-06-23 20:56:31 | MUSIQUE、JAZZ

日仏学院からのメールで LA FETE DE LA MUSIQUE がこの週末にあることを知る。そう言えば、去年のこの時期はパリでこの音楽祭の雰囲気を少しだけ味わっていた。いつものことながら、もうかなり昔のことのように感じる。時間が許せば日本の雰囲気にも触れてみたい。

今回のメールには他にも興味深いニュースが出ていた。ジョルジュ・バタイユ Georges Bataille (10 septembre 1897 - 8 juillet 1962) の 「ママン」 (原作 「わが母」 Ma mère ) が来月から始まるようだ。来週火曜には主演のイザベル・ユペール Isabelle Huppert が日仏学院での先行上映の後に顔を出すという。近くで見てみたいものである。入るのは難しそうだが。

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あたかも森の中を行くがごとし COMME SI J'ALLAIS DANS LA FORET

2006-06-22 19:39:11 | 

今朝、車を運転して並木道に入った時、周りの樹が緑をたわわにして生い茂っていて、あたかも森の中をドライブしているような錯覚に陥る。秋から冬にかけて緑が失われ、裸になった骨格を初めてじっくり確認し、その上に雪をのせた趣きある姿まで味わわせてもらった。そして春に入るとその黒々としたところから徐々に緑が噴き出してくるのを時を追って見ていると、彼らが確かに生きていることを実感し、ある種の感動を覚えていた。この時期に外国出張などから帰ると緑が濃くなっていて、違う町に帰ってきたように感じることは以前からあったが、それは彼らの営みのほんの一瞬を捉えていただけに過ぎない。その頃に比べると、随分周りに目が行くようになっているようだ。

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新しい美術館 LE MUSEE DU QUAI BRANLY

2006-06-21 23:50:01 | 展覧会

今週の Le Point は芸術欄が充実している。その中にあった、アフリカ芸術を中心にした新しい美術館が開館するというニュースに引き込まれる。以前から興味があった分野で、20年ほど前にアフリカ (ケニア、ザンビア、マラウィのあたり) を訪れた時に数点仕入れてきたこともある。オリヴィアさんにこのことを話すと美術館のサイトが送られてきた。建物の色使い、組み合わせが得も言えず気持ちよい。いずれ訪れてみたい。

Le Musée du Quai Branly

2006-7-3 ケ・ブランリー美術館の哲学 MUSEE DU QUAI BRANLY ET JEAN NOUVEL
2006-7-5 ケ・ブランリー美術館再び LA DOUBLE MISSION DU QUAI BRANLY
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仏版ブログでは CE QUI SE PASSE DANS LE HAMAC DE TOKYO

2006-06-20 21:30:41 | ブログの効用

フランス語版ブログを始めてから、すでに9ヶ月以上経過していることを確認する。まさに予想もできなかったことで、大きな驚きである。フランス語で綴るのはなかなか大変なのだが、どういう訳か何人かの方がいつもコメントを入れてくれるのでどうしても返事を書かなければならないという状況に追い込まれ、それが励みになっている。訪問者数は多くないのだが、日本版に比べて発言する方の割合が高いようだ。最近では私のブログでフランス人同士がやり合う(冗談混じりだろうが)場面に出くわし、興味深く眺めていた。また数日前には作家のオリヴィアさんからコメントをいただいた。何年か前に2週間ほど日本に滞在し、最近日本を知るために日本語を勉強したくなっているという。拙いフランス語に対して真剣なコメントをいただくと、このような日本に興味のあるフランコフォンのためにも、これからも頭を絞っていかなければならないな、と感じている。

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今、リンクがうまくいっているか確かめるためにオリヴィアさんのサイトに行ってみて驚いた。昨日の出来事として、私のサイトを訪れたことが以下のように記されている。どこかと繋がっていることを実感させてくれる不思議な感覚が襲ってくる。

"Pour découvrir les pensées d'un observateur dans le hamac de Tokyo et voir de très belles photos du Japon"
(「東京のハンモック」 にいる観察者の考えを発見し、日本の美しい写真を見るために)

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仏検の日のブログ ACCES A MON BLOG AU JOUR DE FUTSUKEN

2006-06-19 22:28:21 | フランス語学習

昨日のアクセスが普段より多いので不思議に思っていたら、仏検関連のサーチで辿り着いた方が多かったようだ。この週末が試験だったことを知る。昨年暮れに受けた時に試験は最後になるだろうという予感がしていた。試験に向かっていた頃がすでに大昔のように感じられる。

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イサム・ノグチ展に立ち寄る A L'EXPOSITION D'ISAMU NOGUCHI

2006-06-18 21:55:50 | 展覧会

今日は会議の最終日で、午前中で閉会。朝、会場の扉が開くと同時に入場。近くのK氏に冷かされる。午前中の話を聞きながら、お話に一本のしっかりした背骨が通っている人とそれがふにゃふにゃしている人にはっきり分かれていることに気づく。前者は、問題意識がはっきりしていて焦点が絞られ、話がわかりやすい。後者は話が拡散しがちで、印象も薄くなる。今朝話していた中では、アメリカで活躍しているフランス人 JPK が出色であった。この分野の流れには目もくれず、超然として重要な問題について立ち向かっている。やや皮肉家の雰囲気を漂わせながら、聳える感じである。彼の話は以前にもきいたことがあるが、年とともにその印象が強くなる。こうありたいものだと思わせてくれた。

会が終わった後、初日に町で見かけた広告 (上の写真) を頼りに、「イサム・ノグチ 世界とつながる彫刻展」 を経験するために横浜美術館に向かう。雨の日曜日の昼下がり。人も多くなく、気持よい。館内のホールではアトラクションをやっていた。このスカートの中に入って歩き回ることができるという作品のようだ。


ノグチの作品はそれほど多いとも思われなかった。ただいずれの彫刻も輪郭、線がはっきり、しっかりしていてすんなり入ってきた。出張疲れもあったのか、これは!という感じで迫ってくるものはなかったが、会場の空間を十分に楽しむ。ノグチ展を出た後、常設展にも立ち寄る。クールベ、マティス、ブラッグ、ポール・デルヴォー、ダリ、マグリット、ダリ、ハンス・アルプ、マックス・エルンスト、キリコ、カンディンスキーなどの作品が目に入る。ホールに面した壁には、ナイクサタム Naik-Satam という人のタペストリー?が数点かけられていた。


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(version française)

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横浜での散歩 LE PROMENADE APRES LE DEJEUNER

2006-06-17 21:03:33 | 

今日も朝8時半から会議があった。仕事に追われていない状況で研究の現場を見ると、これまでの自らの歩みがこれでよかったのだろうかという思いが強い。最近、他の人の仕事を見る目もその影響を受けているようだ。そうすると感心する仕事が極端に少なくなる。ただ、今日は一つだけ今までとは違う発想で仕事をしている人がいた。そういう方向性で自分ができるかということはさておき、面白かった。

お昼は梅雨が明け、夏が来たかと思わせるような天候の中、桜木町から何気なく横浜方面へ歩き始めると気持ちがよく、結局横浜まで行ってしまった。その道すがら撮った写真を以下に。お楽しみください。

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