フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

INSIDE THE ACTORS STUDIO

2007-05-11 00:05:35 | 映画・イメージ

先日のらっこ様とのコメントのやりとりで、アメリカのトーク番組、"Inside the Actors Studio" のことを思い出していたが、この連休に衛星放送で偶然に見ることができた。この番組はいろいろな俳優が出てきて、それまでの人生や仕事のことを対談で語るというもの。なぜデビューできたのか、どのような経過でその映画に出るようになったのか、その後のアップ&ダウンなどの話を聞いている時、人生の不思議な縁を感じることがある、その人の底にあるものを覗く瞬間がある、いろいろなユーモアのセンスを見ることができる。さらに、有名な俳優の逸話を直接聞くことができ、彼らがわれわれの日常に舞い降りてくる。司会者が持ち出している sense of humor が私のそれとよく合うので、気持ちが晴れることが多い。ということで、アメリカにいる時からの好みの番組であった。この番組の出演者が来日した時に、このようなお話を聞くことができないは残念である。おそらく、日本では彼らを人間扱いしていないのだろう。そう疑わずにはいられない。

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パラダイス・ナウ PARADISE NOW

2007-04-15 21:08:51 | 映画・イメージ

昨日の解放感を引きずりながら、先日ミコ様から教えていただいたこの映画を見てみようという気になり、恵比寿まで出かける。

パラダイス・ナウ」 "Paradise now"

自爆テロを命じられた二人の幼馴染がテロ実行に至るまでに潜る心の葛藤を描いている。その過程で、組織の一員としてしてしか機能していないかに見えるテロを命じる側の人間の本質をも垣間見せる。迷いながらも最後まで行ったサイードは、おそらくその最後の日にこの世の人たちとの折り合いを彼の心の中でつけることができ、決心したように見えた。希望を失った人間には未来はない。未来がないと感じた人間の取る行為としてはサイードの最後を理解できるところもある。太平洋戦争時の特攻隊にも通じるものかもしれない。最初はむしろ積極的だったハーレドが踏みとどまったのは、どこかに希望を見出だしたからだろう。見終わって、私の中にある 「組織」 に対する不信は強まるばかりであった。

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黒いヘアバンド UN BANDEAU NOIR

2007-04-13 23:40:27 | 映画・イメージ

数日前の通勤時、結び目が見える何の変哲もない細いゴム製の黒いバンドが道端に落ちているのが目に入り、駅の構内でも同じものを見つけ気になっていた。そして今日、同じ道端で少し位置はずれているもののそれがまだ残っていることを発見。それを見た時、ある若い女性のことが頭に浮かんできた。まだ大学生だった彼女は私の部屋に時々顔を出していた。黒いバンドを左手の手首につけていたり、長い髪を束ねるのに使ったりしていた。ある時、その黒いバンドが部屋に落ちているのを見つける。それを見た時、彼女の命の欠片がそこにあるように感じ、なぜか切なくなったことが私の中に残っていたのだろう。今日、道端の黒いものを見て、その記憶が蘇ってきた。しかしこれは実際に起こったことだろうか。一体何年前のことだろうか、あるいはすべては夢の中の一シーンだったのだろうか。今となってはわからない。


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本日Rさんから最近のフランス語タイトルとコメントにあった俳句の仏訳についての校正が入った。早速、彼の意見に則って修正を加えてみた。コメントにまで目を通していただき、感謝に耐えない。

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赤い靴の男 L'HOMME AVEC DES CHAUSSURES ROUGES

2007-04-10 21:01:54 | 映画・イメージ

今朝の通勤時、下を見ながら降車した。その時、深紅の革靴が目に入った。男物だったので視線を上げると、その靴を履いている主は口髭に白いものの混じった中年男性で、まさにこれから仕事だ、という感じの普通の印象の人である。この方、一体何をどのように考えて生活しているのだろうかという思いが巡り、なぜか心が躍っていた。シャッフルで聞いていた iPod からは、Diam's が流れ出していた。

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映画三題、そしてフランス語 TROIS FILMS ET LE FRANCAIS

2007-03-27 22:50:02 | 映画・イメージ


Angel

その日、カフェを出た後ホテル近くのシネマへ。丁度始る5分前のAngelに入る。客は10人前後か。フランソワ・オゾン François Ozon のイギリス映画。作家を夢見る野菜屋の少女が作家として成功し、零落れるまでを描いている。以前に Sous la sable, Swimming Pool, Huit Femmes などを見ているが、今回の作品は無理をして作られた物という印象が拭いきれず、全く楽しめなかった。

Les Témoins
先日、丁度よい時間にやっていた映画を見た。エマニュエル・ベアール (Emanuelle Beart) が出ている。私にとっては印象的な筋書きではなかったので今となってははっきり覚えていない。主人公の同性愛の若者が出てきて、警官の男と絡んでくる。そのパートナーがべアール演じる作家で不思議なカップルだ。それに若い女性、同性愛者の医者などが出てくるよく理解できない映画であった。ただ、人間という生き物は一体どこまでのことをやりうる存在なのか、フランスで見ているとそういうことを考えさせられる。自分の身を安全なところに保っておき、どこか遠くの出来事として見る場合と違い、見ているところにしか自分の生きる場所がないという精神状態で見ている時とでは受ける印象がまるで違う。

Nue Propriété
この映画も空き時間にやっていたものである。今は離婚している中年女性の母親 (イザベル・ユッペール Isabelle Huppert) と一緒に暮らす二人の息子 (20代か?) を中心に、今は若い女性と結婚して子供も生まれている元夫、母親の男友達、息子の女友達などが出てくる。長い間暮らした家を母親が売りに出そうとする。それを機に息子との関係が崩れ始める・・・それにしてもこの二人の息子、いい大人なのだがよく取っ組み合いの喧嘩をする。そして最後を迎えるのだが、、、

フランス映画を見ていつも感じるのだが、この二つも何気ない日常を何気なく撮っている。その姿勢は嫌いではないのだが、なぜこれが映画になるのか残念ながら全く理解できなかった。面白さをなかなか見つけられなかった。フランス人でなければわからないのだろうか。向こうの文化や社会を体で理解するのは至難の技だな、という絶望的な気持ちである。

絶望的と言えば、今回強烈に感じたことに映画に出てくるフランス語が全くわからないということがある。この二つの映画に限って言えば、ほとんどわからなかったといってもよいくらいだ。簡単な単語しか使っていないと思われるが、その組み合わせたるや今まで耳にしたことのないものばかり。本当に厭になってしまった。

全く厭になったと言えば、先日触れた Phillipe Murray という人の短い本を買って読んでみたが、こちらもほとんど何を言っているのかわからない。これはフランス語という問題もあるが、それ以上にその背景になっているものが頭に入っていないためだろう。つまり、ほとんどすべての文章に何かについての仄めかしがあり、その何かとはフランス文化、社会、それをなしている人、出来事などと関係してくるので全くわからないのである。その昔、アメリカでテレビニュースやお笑い番組を見ていて全くわからず数年間歯がゆい思いをしていたことを思い出していた。当然のことながらそれが理解できるようになるとその面白さに慣れ、日本に帰って数年間は逆に日本のものに全く感じなくなり辛い時期を過ごしたことも蘇ってきた。

それにこれも今回初めて気付いたことだが、私がフランス語を話し始めると相手の眉間に微かな皺が寄ることである。怪しげなアクセントで始まるその言葉に聞き耳を立てなければよく理解できないかも、と体が反応しているかのようであった。体は嘘をつかない。

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他人の人生 LA VIE DES AUTRES

2007-03-13 22:23:20 | 映画・イメージ

こちらに来る機内でLE POINTを見つけ読む。文化欄で Ulrich Mühe ウルリッヒ・ミューヘという東ドイツ出身の男優が紹介されている。彼は、すでに50万のフランス人が見たというアカデミー賞最優秀外国語映画賞に輝いた « La vie des autres » (原題 "Das Leben der Anderen") で、Stasi のスパイを演じている。皮肉なことに、1984年から1990年まで彼の妻であった女優 Jenny Gröllmann が 1979年から Stasi のために働いていて、自分の妻に裏切られていたことである。彼は鬱状態の危機にあり、LE POINTのインタビューをすべて断っている。昨年 Gröllmann は癌のため亡くなるが、その前に競演しているという歴史の不思議。


街を歩いていて映画のポスターを見た時、このエピソードが蘇ってきて、早速見ることにした。東ドイツの作家・演出家と女優、それに Ulrich Mühe 演じる Stasi が軸になるお話。彼が盗聴を続けていくうちに、芸術家の心に触れてしまい、彼らのためになるように気付かれないように僅かながらの力を添える。共産主義国、全体主義国ではどこでも行われているだろうことが大げさになることなく、坦々と描かれている。それだけにその恐ろしさが強調される。ただ、その中に微かな変化が見え始め、それが次第に希望に変化していく時、見ている方もそこに参加せざるを得なくなる。そういう力を持って迫る秀作であった。


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今ネットで調べていて、またしても何という発見、あるいは物忘れ。この映画の邦題 「善き人のためのソナタ」 を見てはっとした。この映画は日本でもやっていて、見たいリストに入れていたものであった。こんな形でそれが実現するとは、しかも終ってからでなければそれに気付かないとは、、、

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バス停の空 LE CIEL A L'ARRET DE BUS

2007-01-27 00:19:04 | 映画・イメージ
ある週末の朝 バス停でバスを待つあいだ ふと空を見上げる

  二つの家の間に挟まれたところに 空とゆったりと流れる雲 

   そして木の緑と電燈がみえる

     この空間をつつむ朝の空気が心地よい


その姿をみた時の気分を記憶に留めておきたいと思い 写真に収める

  撮り終わったらどうだろう 

     心を鎮めるような (apaisant, lénifiant) 静かな満足感が押しよせてきた

        初めてのことである


写真を撮るということに そんな効果があったとは 

   誰が想像できたろうか

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オマー・シャリフ語る ENTRETIEN AVEC OMAR SHARIF

2007-01-15 23:10:34 | 映画・イメージ

昨日見たDVDに、英語で行われたオマー・シャリフのインタビューが入っていた(同様の内容はこちらで見られます)。その中で印象に残ったことをいくつか。

彼が指摘するイスラム圏の問題は、貧困とそれに伴う教育の不足にある。その上、イスラムは部族社会で、部族間の争いが絶えない。この貧困の問題が解決されないうちは、世界で繰り広げられている衝突はなくならないだろう。まず貧富の差をできるだけ少なくすること。富める者は貧者の怒りを鎮めるようにしなければならないはずだが、、

今日、映画とは比べものにならないほどテレビの影響は大きい。ほとんど絶対的と言ってもよいくらいだ (しかし、その内容の何と貧しいことか)。今度の 「イブラヒム・・」 もよい映画ではあったが、普通の人は映画館では問題を感じ取るがすぐに日常に埋もれて忘れていく。もしテレビで一日に1-2時間でも啓蒙的な優れた番組が流れたならば、人々の意識はどれだけ変わるだろうか。心を開いた人間がどれだけ増えていくだろうか。

全く同感である。特にテレビは何とかならないものだろうか。

彼は、この映画の前の4年間は何もしていなかった。最近では心から求める仕事以外はしないようにしているという。そうでなければ満足できないし、幸福にもなれない。金だけのための仕事は、そもそもやる価値がないということなのだろう。

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イブラヒムおじさんとコーランの花たち IBRAHIM ET LES FLEURS DU CORAN

2007-01-14 23:53:59 | 映画・イメージ

映画 「イブラヒムおじさんとコーランの花たち」 Monsieur Ibrahim et les Fleurs du Coran を見る。

この原作は、先日取り上げたフランスの小説家エリック・エマニュエル・シュミット Éric‐Emmanuel Schmitt さんの同名の小説 (邦題は 「モモの物語」)。

まず配役を見て嬉しくなった。その昔、映画 「アラビアのロレンス Lawrence of Arabia」 が出た頃、学校の仲間からこの俳優に似ているといって冷やかされて以来、他人には思えなくなっているからだ。その俳優はオマー・シャリフ Omar Sharif。フランス語で語りかけてくれる。彼の役どころは、パリのユダヤ人街 Rue Bleue で雑貨屋を営むイスラム教徒の老人イブラヒム。

Arabe, ça veut dire "ouvert de huit heures du matin jusqu'à minuit et même le dimanche" dans l'épicerie.
「アラブというのは、朝の8時から真夜中まで仕事をして日曜も休まない雑貨屋のこと」

その街に住むユダヤ人のモイーズ (モモ) という大人になろうとしている少年の心の友になる。モイーズは母親が家を出て父親と二人で暮らしているが、やがてこの父も家を出て列車に飛び込み自殺する。一人なったこの少年と私の頭では想像もできないようなやり方で友になり、血のつながらない親子になる。

そしてパリからオープンカーでイブラヒムの故郷トルコの山あいにある家に向かう。途中、その場所が裕福なのか貧しいかはゴミ箱を見ればわかるというイブラヒムのこんな言葉がある。

「ゴミ箱はあるがゴミがなければ裕福、ゴミ箱の横にゴミがあれば裕福でも貧しくもない、それは観光地、もしゴミはあるがゴミ箱がなければ貧しいところ。」

 -- Lorsque tu veux savoir si tu es dans un endroit riche ou pauvre, tu regardes les poubelles. Si tu vois des poubelles et pas d'ordures, c'est riche. Si tu vois des ordures à côté des poubelles, c'est ni riche ni pauvre : c'est touristique. Si tu vois les ordures sans les poubelles, c'est pauvre.

というわけで、 スイス Suisse - riche   アルバニア Albanie - pauvre  

それから何かが匂うだろうと言って車を止める。それが幸せの匂い漂うギリシャ。
  "Ça sent le bonheur, c'est la Grèce."

  廃墟となった神殿でイブラヒムが語る。
     "La lenteur, c'est ça, le secret du bonheur"
     「ゆっくり生きること。それが幸福の秘訣だ。」

そしてトルコに着く。ボスポラス海峡から眺めるイスタンブールの景色が素晴らしい。また旅心がくすぐられる。この町ではモモに目隠しをさせて、宗教を匂いで当てるというゲーム (?) をやらせる。
     蝋燭・・・・カトリック
     香・・・・・ギリシャ正教
     足の匂い・・イスラム教 (本当に悪臭を発している・・・)

   -- Ici ça sent le cierge, c'est catholique.
   -- Là, ça sent l'encens, c'est orthodoxe.
   -- Et là ça sent le pieds, c'est musulman. Non, vraiment là, ça pue trop fort...

イスタンブールを離れると、広がる視界に空と雲。こういうシーンに以前ならばもっと感動しただろうと考えていた。ここ1-2年で、このような美しさはいろいろなところで発見しているので、以前のような感動は訪れてくれない。途中の町で、自分の体を回転させて祈る宗派に出会う。外から見ていると何であんなことを、という踊りなのだが、回っているうちに自らの体から解放されて空に昇っていくような、自分が自分でなくなるような感じになるのかもしれない。

それから山道を登って彼の家に向かうが、途中でなぜかモモを車から降ろす。Je reviendrai très vite. と言い残して一人で去る。・・・ 
イブラヒムは彼の家で死の床についている。モモが家に着くと彼はこう言って自らの人生に別れを告げる。
"J'ai pas peur. Je sais ce qu'il y a dans mon Coran. ... Moi, j'ai bien vécu."
「死ぬのは怖くない。コーランに書いてあることを知っているから。・・・私はよく生きた」
 
そして画面がパリに戻ると、モモがイブラヒムの後を継いで雑貨屋を。そこでは人こそ違え、以前と同じ時間が流れている。

映画の中に流れる60年代の音楽がよい。45回転のドーナツ盤も久しぶりに見ることができた。原作者が愛しているモーツアルト (バイオリン・コンチェルト第一番) も流れていた。少しだけ齧ったことのある懐かしいトルコ語の音も聞けた。

この映画には、異教間の融和を願っているような、親子・家族のつながりを見直そうとしているような、この世界に生きていることや人の一生の意味をどんなところに見つけるのかを静かに語っているような、そんな思いがあるような気がしていた。一見の価値がある映画、一読の価値があるお話。

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「大いなる沈黙」 "LE GRAND SILENCE" DE PHILIP GRONING

2006-12-25 00:13:04 | 映画・イメージ

数日前、Le Figaro の文化欄を開くとドイツ人の映画監督が撮影の許可を取るまでに15年を要した映画が始まったことを知る。フランス語を完璧に話すその監督は、科学の教育を受け、天体物理学者を目指していたというPhilip Gröning。映画は “Le Grand Silence” (「大いなる沈黙」) という2時間40分におよぶ僧院 La Grande Chartreuse の日常の記録。彼は語っている。

 "Je me suis dit que j'allais faire un film qui ne raconterait pas un monastère mais serait le monastère lui-même."

 「僧院についての映画ではなく、映画が僧院そのものであるようなものを創ろうと自らに言い聞かせた。」

彼の次の言葉に反応していた。

 "Pour moi il y a une parenté évidente entre le moine et l'artiste. Ils partagent l'idée que chercher une vérité est plus important que posséder et consommer."

 「私にとって修道僧と芸術家のあいだに明らかな血のつながりを感じる。ひとつの真実を探ることが、それを所有し消費するより重要であるという考えを共有している。」

以前、「生きることは哲学すること、哲学することは真実を見つけてそれを使うことではなく、永遠に真実を見つける試みをすること」 というマルセル・コンシュの言葉に強く反応していたので、この監督の見方が手に取るようにわかる。彼はさらに続ける。

 "Beaucoup de choses dans la société occidentale viennent du monachisme, comme l'organisation du temps, entre travail et loisir, avec l'idée que l'action doit être efficace pour libérer le temps de la contemplation. On a oublié ce but pour ne garder que l'efficacité, mais cela ne fait que trios cents ans que le travail est devenu central, et on arrive à la fin de cette époque. Fonder la réussite sur le travail, l'argent, la situation, ne correspond plus à la société actuelle. La vie des moines nous rappelle d'autres valeurs. On les admire volontiers dans le bouddhisme, mais elles sont là depuis toujours, en Occident."

 「西洋社会の多くのものは修道士の規範からきている。例えば、瞑想の時間から解放するために行動は有効であるという考えのもとに、仕事と余暇の時間を割り振りすることなど。しかし、効率だけを維持するために、私たちはこのことを忘れてしまった。しかし仕事が中心になったのはわずか300年くらいのもので、今その時代の終わりを迎えている。仕事、お金、社会的地位による成功は、現代社会には対応しなくなっている。修道僧の生活は私たちに他の価値を思い出させてくれる。私たちは仏教の中にある価値に心からの賛美を贈っているが、それは西洋に昔からあるものである。」

これまで、研究か瞑想か、あるいは生きることと哲学することというような行動と沈思の対比について触れてきた。生きる意味、生きるための価値をどのように見出していくのか、という問題が頭をもたげてきている証拠だろう。そんな中での彼の言葉には強く共振するものがある。また仏教を西洋人がどのように捉えているのかという問題につながる紐の端を捕まえたようにも感じる。

そして、次のように締めくくっている。

 "Le Grand Silence est un voyage vers la meilleure part de nous-même."

 「この映画は、われわれ自身の中にある最良の場所への旅である。」

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レンヌ街のシネマに出かける。映画館がたくさんの人で埋まるとは限らないのだが、この日は年齢層は高いものの多くの人がつめかけていた。監督が言うように、この映画には語りが一切ない。時に聖書の一節が文字で示されるが、最後まで沈黙の時間を過ごす。

アルプスの懐深く隔絶された自然の中にその僧院はある。規則正しい生活をゆっくりと送っている姿が季節の移り変わりを背景に映し出される。薪を割る、鐘を鳴らす、自然を見る、食事を受け取る、パンを切る、黙々と噛む、スープを啜る、水を汲む、布で手を拭く、写経をする、祈る、・・・。年配の人が多い30人ほどの仲間とも言葉は一切交わさない。日常のすべての行為を意識し、時間をかみしめながら生きているように見える。ただ、休みには自然の中に出て、仲間と談笑したり、冬には体だけで雪の斜面を滑り降りたりして気晴らしをする。楽しむのに道具立ては何も要らないのだ、ということに改めて気付かされる。それが終わると外からは単調で味気ないものに見える日常の中に戻っていく。週末に羽根を伸ばした後、仕事に戻るというわれわれの生活と余り変わりないのかもしれない。

途中、見学者のような一団が少しだけ映し出される。その時、外の世界との大きな隔たりが一層はっきりとする。パスカルの言う divertissement に生きているわれわれの世界が際立って見える。彼らはなぜこのような生活を選んだのだろうか。彼らの一人ひとりの顔だけが大写しにされる。何も語らない。何を考えているのか想像もできない。それほど幸福そうにも見えない。最後に盲目の老僧が語っていた。神の存在を考えない人生など生きる価値がありますか・・・私の人生は幸福なものでした、と。

「生きるために生きる」 ということが人生の意味なのかもしれない、そんな思いを抱きながら僧院を出ると、そこは年の瀬で賑わう街であった。

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映画三題 SUR LES TROIS FILMS

2006-12-20 23:41:12 | 映画・イメージ

先日街を歩いていると映画館が立ち並ぶ地区に来る。そのなかにこの映画を見つける。

Lady Chatterley et l'homme des bois (2006) 「チャタレー婦人と森の男」

原作はDH ロレンスの小説だが、この映画は Pascale Ferran によるフランス版。私自身は小説をまだ読んだことはないので、興味を持って見始める。2時間半を超える大作にもかかわらず、その時間を感じさせないものであった。静かに自然を撮っているがどこか意味ありげな感じがする。その色あいやさりげない音にも意味を持たせているような。この映画の主題である男女の複雑な心の揺れ、そして交わりのシーンもきれいに美しく仕上がっていて、気持ちよく見ることができた。以前はまどろっこしくて全く感じなかったフランス映画だが、このところこの手のフランスものでなければ反応しなくなっている自分がいる。時の流れを静かに追っているような、人生の意味を建前ではないところで考えているような、日常そのものを撮っているような映画でなければ満足できなくなっている。フランス語を始めたせいなのか、人生のステージのせいなのか。

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「チャタレー婦人」 の1週間ほど前、この映画を見る。

敬愛なるベートーヴェン
 Copying Beethoven (2006)

ベートーヴェンの曲を写譜する女性を絡ませた映画である。まずベートーヴェンの余りにも芝居がかった仰々しさが気になり、その印象を最後まで引きずったまま見終わった。それとこの映画で使われている英語にほとんど反応しなくなっていることをはっきりと感じていた。これまで長きに渡って捉え続けていたあの歯切れのよい、あるいは威勢のよいあの音にどういうわけか心が躍らなくなっていることを。あるシーンで、artist とはどういう人間かと問われたベートーヴェンは、「それは自分を信じる人だ!」 と答えていた。

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知らない街に来て散策し、眼に入った映画館のポスターの中からよさそうな雰囲気を放っているものを見る。その内容については詳しく調べないで。それが一つの楽しみになっている。その日、若き女性がやや虚ろに写っているポスターに惹きつけられて中に入ってしまった。

Requiem (2006)

詩的な映画ではないかと思って入ったが、その予想は完全に裏切られた。ドイツの田舎町出身の女子大生ミカエラ Michaela がてんかん (epilepsie) のため1年休んだあとにチュービンゲンの大学に戻ってくるところから始る。最初は治療のために薬を飲んだり、あるいは牧師による祈りなどをするが、全くよくなる気配はない。それどころか、ますます悪くなってくる。牧師や両親とのやりとりを聞いているとき、科学と宗教の対立を扱った映画になるのでは、とも思ったが、最後は悪魔 (exorciste) にとりつかれたようになり、消耗のため亡くなった実在の女性を題材にした映画であることを知る。字幕フランス語のドイツ映画であったが、宗教が日常に深く入り込んでいるドイツの生活の一部を覗くことができ、またラストシーンの郊外の風景も素晴らしく、満足して映画館を後にしていた。

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タワーのある景色 LE PAYSAGE AVEC LA TOUR KYOTO

2006-12-13 21:55:51 | 映画・イメージ

大阪出張の折、堂本印象さんの絵でも見て帰ろうかという気になり、京都に立ち寄る。いつものように突然であった。こういう心の動きから出てくるものにしか感じなくなってきているような節がある。

京都駅に降り、エスカレータで地上に昇っていくとき、何気なく右側の雨空を見上げる。そのとき、灰色の空を背景に駅ビルの黒に縁取りされている京都タワーが目に入った。それは今までに気付かなかった姿で、ほんの一瞬のことであったが、大げさに言うと美しいと思った。以前に同じ場所で駅ビルの天井に美しさ (どう表現したらよいのかわからないが) を感じたことがあったので、何かが飛び込んでくることを待っていたのかもしれない。

京都タワーはすでに何度も見ているが、なぜ不評なのかということはよく理解できていた。しかし、その日はまわりとの関係においてタワーが別の意味を持ったようだ。 「タワーのある風景」 に硬質の美しさを見ていた。

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色づく並木 REGARDANT LES FEUILLES JAUNES ET VERTES

2006-12-06 22:39:29 | 映画・イメージ

朝の通勤時、並木の銀杏が黄色く色づいている

昨日よりもいっそう濃くなっている

そこに対側の並木が深々と影を落としている

夢の中のようでもある

それを少し行くと銀杏と常緑樹が交互に並び
 その対比が新鮮で目に焼きつく

それを過ぎると今度は緑の並木が続く

この道を造った人の心が見えるようだ

ところでこの常緑樹は何と言うのだろうか

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映画 「薬指の標本」 "L'ANNULAIRE" DE DIANE BERTRAND

2006-12-04 00:48:07 | 映画・イメージ
              (オルガ・キュリレンコ Olga Kurylenko)

最近、このブログへアクセスされたキーワードをもとに、ネットをサーフするということをやるようになっている。今回、小川洋子原作の小説 「薬指の標本」 が映画化されていたことを clair-de-lune 様のブログで知る。"Épistémologie" からここに辿り着くから面白い。

   L'Annulaire (邦題は小説と同じ 「薬指の標本」)

ディアーヌ・ベルトラン Diane Bertrand という方が監督をしている。原作は読んでいないのだが、予告編を見た限りでは非常に面白そうである。paul-ailleurs の標的にぴったり来そうな映画である。調べたところ、もう東京ではやっていない。見ようと思ったら岡山か沖縄まで行かなければならない。もし先週知っていれば神戸で見ることができたのに、、という思いである。アマゾンに当たってみたが、DVDは手に入らないようだ。

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(version française)

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譜めくりの女 LA TOURNEUSE DE PAGES

2006-09-05 00:23:32 | 映画・イメージ

雑誌で目に留まったある映画を見に行く予定で出かけたが時間帯があわず、結局その時間にやっていたフランス映画ということで、これになってしまった。しかしこういう偶然が、時には思わぬものに出会わせてくれる。

"La Tourneuse de Pages" (2006)

筋をどこまで言ってよいものかわからないが、日本ではまだだと思うのでこの程度にとどめておきたい。同様の内容の物語は日本でも作られているが、出来上がりがこうも違うものか思っていた。音楽がかなりの時間流れていて、それが映画の重要な要素になっている。日常の何気ない音が効果的に挿入されている。背景も美しい。譜めくりの若き魔性の女性と中年の女性ピアニストを通して、人間の奥に潜む感情の複雑さを思い知らされることになる。譜めくりの Mélanie を演じた俳優 Déborah François はなかなか魅力的であった。この映画、私は充分に楽しむことができた。

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