フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

イヴ・アヤ YVES HAYAT "STATUTS DE FEMMES"

2007-03-25 21:31:56 | 展覧会
その日も朝にホテルを出る。目的地に向かう前に、イタリア広場のカフェで un café を注文、朝の時間を味わう。カフェを出て歩き始めると13区の市役所 Mairie du 13e が見える。なぜか呼ばれているように感じて中に入る。案内所では生涯教育プログラムのパンフレットや図書館案内誌 En Vue に目が行く。En Vue には古代アレクサンドリア図書館を再現したような Bibliotheca Alexandrina が元あった場所に近く建てられているという。その写真を見ているうちに、いずれのその巨大な空間に身を置き、古代に抱かれてみたいものだと思っていた。

ホールに出ると Mairie で行われている展覧会が紹介されている。無料だったので中に入ってみることにした。その会はホールあるいは廊下のようなところの両側に作品が並べられているというこじんまりした、しかし密度の高い展覧会であった。何という幸運だろうか、その場を完全に独り占めにしていた。Yves Hayat 氏のテーマは女性を取り巻く状況と密接に関連していて、"Statuts de femmes" となっている。女性が主人公の名画に現代の世界の情勢を重ね合わせたような写真が多い。そのモンタージュのセンスといい、色彩感覚といい、充分に楽しませてくれた。

思いもかけぬところにこんな世界が広がっているとは、またしても予想を超える出会いとなった。拾い物をしたような幸せな気分でメリーを出ていた。

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ある冬の日の散策 MARCHER SUR BD. RASPAIL & RUE DU BAC

2007-01-16 21:15:13 | 展覧会

冬のある朝、モンパルナスからラスパイユ通りを目的もなく北に向かって歩く。快晴だが微かな風が身に滲みる。風を感じながら歩くのは気持ちがよい。しばらく行くと右側に大学のような建物が見える。L'Ecole des Hautes Etudes en Sciences Sociales: EHESS (社会科学高等研究院) とある。なぜか気持ちが昂ぶっている。門をくぐって中に入り、何が行われているのか尋ねる。受付にいる男数人は非常に愛想がいい。こちらも嬉しくなる。隣にはアリアンス・フランセーズ Alliance Française が見える。こちらにも顔を出し、受付嬢と言葉を交わす。

さらに歩みを進め、リュ・デュ・バック Rue du Bac へ入る。そこにあったギャラリー Galerie Maeght で黒田アキ Aki Kuroda (1944- ) を発見。今年のカレンダーになった。

夜、ホテルのバルコニーに出て外を見る。モンパルナス・タワーが目に飛び込んでくる。今まで美しいと思ったことはなかったが、この日は予想外の姿を見せてくれた。昨年触れた京都タワーではないが、こちらの気分と突然現れる相手の姿によっては化けて見えることがある。私が美を発見する時には、「予想外」 と 「突然」 という要素があるようだ。

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今年の展覧会 LES EXPOSITIONS DE 2006

2006-12-29 00:15:15 | 展覧会

一体、一年のどれくらい展覧会に足を運んでいるのだろうか。今年を振り返ってみた。

2006-01-15 「書の至宝」 展 L'EXPOSITION DU TRÉSOR DE L'ÉCRITURE
2006-01-21 雪を愛で、「植田正治: 写真の作法」 を見て LA NEIGE ET SHÔJI UÉDA
2006-05-23 牧野富太郎を再発見 REDÉCOUVRIR TOMITARÔ MAKINO, BOTANISTE
2006-07-08 ある土曜日 アフリカ・リミックスなど UN SAMEDI -- AFRICA REMIX
2006-07-16 ブリヂストン美術館 - 印象派から21世紀へ MUSÉE BRIDGESTONE
2006-08-07 発見: 野田九浦 J'AI DECOUVERT KYÛHO NODA
2006-08-09 清水登之を見つける RENCONTRER TOSHI SHIMIZU
2006-08-14 浜口陽三に再会 TROUVER YÔZÔ HAMAGUCHI
2006-08-20 棟方志功名品展-神々への賛美 SHIKÔ MUNAKATA
2006-09-02 ケ・ブランリー美術館へ AU MUSÉE QUAI BRANLY
2006-09-10 マルモッタン美術館 AU MUSÉE MARMOTTAN MONET
2006-09-11 アルフレッド・ドレフュス展 DREYFUS - LE COMBAT POUR LA JUSTICE
2006-09-23 青山二郎の眼 "L'OEIL DE JIRO AOYAMA" AU MUSÉE MIHO
2006-11-11 雪舟展に向かう ALLER À L'EXPOSITION "VOYAGE À SESSHÛ"
2006-11-12 雪舟展にて À L'EXPOSITION DE SESSHÛ
2006-11-13 雪舟 山水図 絶筆 LE DERNIER TABLEAU DE SESSHÛ
2006-11-14 記念館にて中也を想う PENSER À CHÛYA AU MUSÉE MEMORIAL
2006-11-23 アンリ・ルソー展 HENRI ROUSSEAU ET LES ARTISTES JAPONAIS
2006-11-27 ベルギー王立美術館展 DES BEAUX-ARTS DE BELGIQUE
2006-11-30 オルセー美術館展 À L'EXPOSITION DU MUSÉE D'ORSAY
2006-12-14 堂本印象美術館にて AU MUSÉE INSHÔ DÔMOTO
2006-12-28 美術館訪問 VISITES AUX MUSÉES

こうして見ると、月に1-2回のペースでどこかに足を運んだことになる。それにしても 「植田正治展」 に行ったのが今年であったとは、、。もう遠い昔のような気がする。ブログに書いていてこの調子である。もしほったらかしにしておいたら、車窓の景色のようにどこかに飛んでいってしまうのだろう。 

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美術館訪問 VISITES AUX MUSEES

2006-12-28 01:24:00 | 展覧会

最近いくつかの美術館を訪ねる機会があった。

ルーブル美術館
Le Point で知ったレンブラントの素描展 Rembrandt dessinateur を見るためにほぼ30年ぶりに訪れた。30年前にはミロのビーナスやサモトラケのニケなどを見た記憶しか残っていないが、今とは全く別の頭で別の場所を歩いていたのだろう。今回駅を降りて歩き始めると、どこかのショッピング・センターに迷い込んだような錯覚に陥っていた。目的の会場に入るつもりが間違えて常設展の方に行っていた。それからレンブラントの会場に入ったので、受付嬢から Vous avez de la chance ! などと言われていた。レンブラントの細かい筆も常設展も素晴らしいものばかりでただただ感動していた。同時に、William Hogarth 1697-1764 というイギリス画家の展覧会も覗いてきた。ところで常設展では、Augustin Pajou (Paris 19 septembre 1730 - Paris 8 mai 1809) のパスカル像に出会う。最近少し読んでいることもあり、その指先に至るまでじっくりと見入っていた。

ザッキン美術館
クリスマス・イブの日、ホテル周辺を散策しているとルクセンブルグ公園に出た。そうすると、これは以前にも来たことがある場所であることがすぐにわかった。1年半前に滞在した時に訪れたザッキン美術館が近くにあることに気付き、休みだとは思ったが行ってみると開いていた。この美術館はこじんまりしていて、彫刻も美しく配置され気持ちが休まるところである。庭に置かれた彫刻など宗教的な雰囲気さえ醸し出している。道に置かれたお地蔵さんのような感じのものもある。

ルクセンブルグ美術館
これも1年半ぶりの訪問になった。前回はマチス展でたっぷりマチスの世界に浸ったことを思い出す。今回はイタリアの画家チチアン Titien (フランス語では、ティシアン) (1490-28 août 1576) の肖像画を取り上げた展覧会で、町中に宣伝されているのを見ているうちに行きくなってきた。会場には日本では感じることのできない非常に濃密な空気が流れて、その空気の中にいることを楽しみながら描かれている人物や当時の生活に思いを馳せていた。好きな美術館になりそうである。

ロダン美術館
こちらは3年ぶりの訪問になった。メトロに彼のエロティックなデッサン展の広告があり、時間が空けば行こうと思っていたもの。もう5-6年前になるのだろうか、NHKのテレビでこれらの作品群が彼の家(アトリエ?)の屋根裏から出てきたという話を見ていたので、いつか触れてみたいとは思っていた。今回行ってみて、建物が現代的に大改造されていることを知る。1年ほど前に全面改築されたそうだ。団体客が結構たくさん訪れていた。作品についてはいずれ画集でゆっくり見てみたい。

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堂本印象美術館にて AU MUSEE INSHO DOMOTO

2006-12-14 20:32:07 | 展覧会

雨の中、先日のアンリ・ルソー展で発見した堂本印象の作品を見るために美術館に向かう。

立命館の真ん前にある。この美術館は府立だが、今年6月から立命館が指定管理者という立場になり、今回が最初の展覧会になるという。

印象さんの物語絵

まず歴史上の文人を描いた絵を見る。ゆったりとした人柄や彼らの生活が滲み出ていて楽しくなる。そういう文人がいたということ、そして彼らに思いを馳せている印象さんを思いながらじっくりと時を過ごす。

松花堂昭乗 (1584 - 1639): 真言宗の僧侶で文化人。絵画、茶道、それに書道は近衛信尹 (のぶただ)、本阿弥光悦とともに 「寛永の三筆」 と言われる。彼の草堂 「松花堂」 には小堀遠州、石山丈山、狩野山雪などが集った寛永の文化サロンだったという。

明恵上人 (1173 - 1232): 鎌倉前期の僧。鳥羽上皇から山城国栂尾 (とがのお) を下げ渡され、高山寺を開山。紅葉の名所。学問研究と実践修業の統一をはかったと説明には書かれてあったが、その意味するところを知りたくなっている。本棚には
白洲正子の 「明恵上人」 と河合隼雄の 「明恵 夢を生きる」 があるのだが、未だ意識的には読んでいない。

石山丈山 (1583 - 1672): 江戸初期の文人。もとは武士だったが、大阪夏の陣で軍律を破ったため妙心寺に入る。漢詩の代表的人物にして、儒学、書道、茶道、庭園設計にもその才能を発揮した。「詩仙堂」 の主。1641年に建てたもので、90歳で亡くなるまでの31年間ここで生活。その名は、狩野探幽に描かせた中国の詩家36人の肖像が掲げられている 「詩仙の間」 から採られた。

松尾芭蕉 (1644 - 1694): 金福時は天台宗の寺として始るが、元禄年間に鉄舟和尚が再興し臨済宗の寺となる。芭蕉が和尚を訪ねている。

池 大雅 (1723 - 1776): 江戸中期の文人画家。漢学、南宋画。「真葛庵」。

以上の日本の文人は1930年に描かれている。いにしえびとの中に身近な人の表情を見出すとき、思わず笑みがこぼれる。

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さらに、仙人図 (1922年) へと続いている。こちらの絵は、色使いといい、顔の表情、目の表情といい、どこか西洋を感じていた。仙人に纏わるお話と名前の発する音を楽しみながら見る。

「黄初平」 (こうしょへい): 葛洪 「神仙伝」 に出てくる仙人。少年の頃、羊を牧していたが、ある時道士と出会い、長い間姿を隠していた。その兄が山中で再会し、羊がいるという場所に行ってみると、そこには白石だけがあった。黄初平が 「羊よ起て」と声を掛けると白石が全て数万頭の羊になったという。長谷川等伯や小川芋銭なども描いている。

「陳泥丸」 (ちんでいがん): 内丹派の南宋五祖のひとり。唐代までの外丹術 (炉などでを使う) を用いた道教に代わり、宋代では神仙道教と禅宗が融合した内丹術 (人体内の呼吸法で丹を練る) が発達した。  

「西母王」 (せいぼおう): 中国で古くから信仰された女仙の統率者。道教では長寿の仙桃を管理する艶やかにして麗しい天の女主人。孫悟空が西母王の目を盗んで仙桃を食べている。

「老君」: 春秋時代の思想家。老子、李耳。唐の皇帝から宗室の祖と仰がれた。老子の思想が道教に発展するとともに、老子は道教の祖と崇められるようになる。唐代には道教の最高神である三清の一柱、「太上老君 (たいじょうろうくん、だじょうろうくん)」、別名、「道徳天尊 (どうとくてんそん)」 となっている。

東王公」 (とうおうこう): 東王父とも言われる。西母王が女仙を統率していたのに対して、こちらは男仙を統率。

「鬼谷子」 (きこくし): 秦、楚、趙など7国が天下を争った時代に、権謀術数の外交策を説いた縦横家である蘇秦張儀の師とされる。

「藍菜和」 (らんさいわ): 破れた藍色の長衣をまとい、片方は裸足で歌いながら物乞いをしていたという、人間から仙人になった道教八仙のひとり。

「孫子貌」 (そんしぼう):唐代の医学者。没後、「薬王」 と讃えられる。「人命の重さは千金の貴さがあり、医者の方剤がこれを救うのは徳高きことである」、「病苦にて救いを求められたなら、その貴賎貧富、幼若、美醜、敵味方、同族異族、愚智なるを問うてはならない。普く至親の感情をもって自己の身命を惜しむことなく、病者の苦悩を己の苦として深く同情し、一方に救済に当たれ。為にする心や人に身せる心があってはならない 」

「玄真子」 (げんしんし): 唐代、水辺の仙人。

「李鐡拐」 (りてっかい): 本名、李玄。太上老君(老子)から仙術を授かったという。彼が太上老君に会うために天宮に赴いた時に弟子がその肉体を誤って焼いてしまい、片足の不自由な乞食の遺体にもぐりこんで甦ったという。乞食が持っていた竹の杖を仙術で鉄の杖に換え持ち歩いていた。

「許宣平」 (きょせんへい): 唐の隠士。李白とも面識があり、彼の来訪に答えて詩を残しているという。太極拳の創始者とも言われる。

「東方朔」 (とうほうさく): 機知とユーモアで武帝に愛されたが、はっきりものも言った。西母王の仙桃を盗んで食べたため長寿を得ていたという。

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余りお客さんがいない美術館とのお話だったが、この日は中学生の団体が模写をしていたり、あとからは中高年の団体が入ってきたりで、結構賑わっていた。

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オルセー美術館展 A L'EXPOSITION DU MUSEE D'ORSAY

2006-11-30 00:38:53 | 展覧会

北浪良佳さんのコンサートまでの時間、三ノ宮駅から街ゆく人を見ながら、ぶらぶらと神戸市立博物館へ向かう。
オルセー美術館展を覗くために。

中では食事ができないようなので、博物館裏にあった趣のあるレストランで腹ごしらえをしてから館内へ。
絵のタイトルを見ていると、フランス語の新しい言葉が入ってきて楽しめる。例えば、

ほたる   La luciole
月の光   Le clair de lune
妄 想   La hantise
外 港   L'avant-port
満 潮   La marée haute (干潮 La marée basse)
堤 防   La berge
日 傘   L'ombrelle (Bretonnes aux ombrelles)
船着場   Le bassin (d'Argenteuil)
温室の中で Dans la serre
揺り篭   Le berceau
セーラー襟 Le col marin (Portrait d'Ari Redon au col marin)

col marin という言葉を目にした時、この9月にパリでM/Lご夫妻と夕食をご一緒させていただいたが、私を見た途端に奥様のLは 「その col mao、いいですね」 と言って、私のシャツを指したのを思い出していた。毛沢東が着ていた服にあやかっての名前らしい (英語では mao collar)。

絵の方は、肖像画、人物画がよかった。またマラルメの言葉も印象的であった。


                     "Fuir ! Là-bas, fuir !"
                      Stéphane Mallarmé
                   (遠い彼方へ 逃れよう 彼方へ)

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ベルギー王立美術館展 DES BEAUX-ARTS DE BELGIQUE

2006-11-27 23:02:07 | 展覧会

フランス人の哲学の先生がベルギー王立美術館展で説明をしてくれるとのことで、上野まで出かける。少し早く着いたので文化会館の中に入り、本屋の辺りをうろうろしているとドナルド・キーン Donald Keene さんが通りかかる。見間違いでなければ、日本人の中でも小柄と言ってよいような方であった。

今回は、大きい景色の中に描かれている人や動物をじっくり見ている時、今までに感じたことのないほどの喜びが襲ってきていた。それは何時間見ていても飽きないほどのもので、そこに描かれている時と場所に完全に入り込んでいた。このような経験は図版集では絶対に得られないもので、実物に触れるしかない。例えば、

デニス・ファン・アルスロート (1568-1625)
「マリモンの城と庭園」 (1620年)
Denijs van Alsloot
"Vue à vol d'oiseau du château et du parc de Mariemont"
この中で動いている人々をすべて見ているうちに17世紀に生きているような気分になる。

ヤーコブ・ファン・スワーネンブルフ (1571-1638)
「地獄のアイネイアス」
Jacob Isaacsz van Swanenburg
"Enée aux enfers"
これも登場人物をすべて見ようとするが、成らず。

ペーテル・スネイエルス (1592-1667)
「イザベラ王女のラーケン巡礼」 (1623年)
Peter Snayers
"Le pèlerinage de l'infante Isabelle à Laeken en 1623"

ジャック・ダルトワ (1613-1686)
「冬景色」
Jacques d'Arthois
"Paysages d'hiver"

ヴィルヘルム・シューベルト・フォン・エーレンベルク (1630-1676)
「アントウェルペンのシント・カルロス・ボロメウス教会内部」 (1667年)
Wilhelm Schubert von Ehrenberg
"Intérieur de l'église Saint-Charles Borromée à Anvers"

ヤン・ブリューゲル (1568-1625)
「アブラハムとイサクのいる森林風景」 (1599年)
Jan Bruegel
"Bois avec Abraham et Isaac"
この中に描かれている動物を探すことだけでも大いなる楽しみであった。


予定が詰まっていたのですべてを堪能するところまではいかなかったが、これからの新しい楽しみが現れてくれたのは大きな収穫であった。この日、残念ながら先生のお話を聞くことはできなかった。

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(décembre 5 2006)
後日、先生に大きな絵の中に入り込んでしまったこの日の経験をお話したところ、"Vous êtes transporté !" という反応が返ってきた。transporter とは何かを運ぶということだが、想像上でもどこかに運ぶ、どこかに行った気にさせる、という意味があるようだ。さらに進むと、「ある激しい感情のために我を忘れる、興奮する」 となることを知る。このように適切な言葉に出会うと本当にすっきりする。

辞書の例文から。
Le rêve nous transporte dans une autre planête.
Cette nouvelle m'a transporté de joie.

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アンリ・ルソー展 HENRI ROUSSEAU ET LES ARTISTES JAPONAIS

2006-11-23 22:27:06 | 展覧会

昨日の疲れが少し残っていたが、アンリ・ルソー展に世田谷美術館まで出かける。

開館20周年記念 「ルソーの見た夢、ルソーに見る夢」 
アンリ・ルソーと素朴派、ルソーに魅せられた日本人美術家

用賀の駅からの道すがらが楽しい美術館である。美術館は砧公園にある。その林を歩いている時、写真を撮ろうとしたその瞬間、これまでに見た誰かの絵の世界と全く重なってしまった。これはあの絵の中だ!と叫んでしまった。ほんの一瞬の出来事であった。

この美術館にはゲント美術館名品展で一度来たことがある。館内に入ってまず人の多さに驚く。休日ということもあるのかもしれないが、ルソーがこれほどの人気画家だとは知らなかった。肝心のルソーの作品が人の波でほとんど見ることができない。集中力を完全に失ってしまった。お陰さまで後半に展示されていた多くの日本人画家と初めて対面するという皮肉な展覧会となった。その中では、松本竣介 (例えば、「Y市の橋」、「並木道」、「議事堂のある風景」)、俣野第四郎が印象に残った。印象といえば、堂本印象という人の 「坂 (京都)」 という作品は、登場人物を詳しく見ていくと結構楽しめる。他の作品も見たくなる画家である。 
 
京都府立堂本印象美術館

またいくつかの再会もあった。その中には、清水登之、有元利夫、植田正治、それから 「雪の発電所」 以来の岡鹿之助などがいる。岡の作品をこれだけまとめて見たのは初めてである。例えば、「信号台」、「ブルターニュ」、「古港」、「窓」、「入江」 など。好きな画家の一人になりそうだ。

素朴派の画家として、アンドレ・ボーシャン、カミーユ・ボンボワ、セラフィーヌ・ルイ、ルイ・ヴィヴァンの4人が紹介されていた。特に、カミーユ・ボンボワ Camille Bombois (1883-1970) の作品が面白かった。例えば、「池の中の帽子」、「三人の盗人たち」、「森の中の休憩」、「活気のある風景」、「池のほとりの女性たち」 など。

帰りに、岡谷公二著 「アンリ・ルソー 楽園の謎」 を手にしていた。

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雪舟展にて A L'EXPOSITION DE SESSHU

2006-11-12 22:28:48 | 展覧会

土曜の朝、山口駅からゆっくりと歩いて県立美術館へ。雪舟という名前は知っているが絵を真面目に見たことはないので、どんな世界が待っているのか楽しみにしながら。会場に入ると、雪舟晩年の肖像画が4枚ほど出ている。71歳の時の有名なものもあるが、見かけないものもある。特に、琵琶を抱えた髭もじゃの雪舟像。どういうわけか、その右手小指が上に立てられている。その姿を見て、急に親しみを覚える。

雪舟 (1420 - 1506)

当時としては長命になるだろう87年の人生を生きた。備中赤浜 (現在の岡山県総社 [そうじゃ] 市) に生まれ、地元の臨済宗・宝福時に入る。その後、京都の臨済宗・東福寺や相国寺 (しょうこくじ) で接客係をしながら絵を学ぶ。当時は 「拙宗」 を名乗っていたらしい。

30代半ば、京都から山口に移り40歳後半まで留まる。応仁の乱の始まった1467年、雪舟48歳の時、庇護を受けていた大内氏の出した遣明船で画家として始めて中国に渡る。そこで本場の絵や風物に触れる。数年後帰国し、九州を遍歴。1486年、大内氏に呼び寄せられ、再び山口に落ち着き、終生その地をベースに傑作を作り続ける。

会場に入ってすぐに目に付いたのは、壁に張り付くように流れる長蛇の列。これは16メーターに及ぶ国宝 「四季山水図卷 (山水長巻とも言われる)」 (67歳の作) に並んでいる人。待ち時間20分。列の外側から観て歩く。春夏秋冬の景色と人々の生活が描かれている。他の絵もそうだが、第一印象は全体に暗く、やや型にはまり、自由に羽ばたくというところがないというもの。ただ、普段見ている景色がよく捉えられていて、これはどこかで見た景色だ、というようなものがあったり、景色に隠れるように描かれている人間が何とも言えず、よい。当時の人の生活を想像させる。どんな話をしあっているのか、彼らの心にどんなことが去来しているのか、想像を掻き立てる。

達磨の絵は以前にも何かの本で見たことがあるが、達磨の顔の印象しか残っていなかった。今回、その 「慧可断臂図 (えかだんぴず)」 (これも国宝) の前に立ってみて、感動すると同時に、この絵の物語をはじめて知ることになる。説明によると、修行中の達磨に入門を頼み続けている慧可が、全く反応のない達磨に対して自らの腕を切り取って差し出し、その意思の固さを示している、というようなところらしい。よく見ると切断面に微かに赤い線が見える。それぞれの表情が素晴らしく、これほどの場面ながら動きがなく静かだ。

他にも人物像があったが、昔の人の表情や姿を見るとなぜか落ち着く。彼らと同時代人になったような気分になり、話しかけたくなる。その異空間に紛れ込んでいるような感覚がひょっとすると頭の中を爽快にするのかもしれない。小錦そっくりの 「韋駄天図」、雪舟が中国で見た人たちを描いた 「国々人物図卷」、草木をなめて薬となるものを探し出したという中国伝説上の医薬の神様を描いた 「神農図」、鯉の上に乗って空を飛ぶご老人 「琴高仙人」 など、など興味が尽きない。

晩年になると、形がはっきりしなくなり墨の濃淡だけで山水を表現するようになる。最初はこちらの方が私にぴったりきたが、いろいろ見直しながら歩き回っている間に、形のはっきりした物語がある山水も捨てがたいと思うようになっていた。

今回その実物に出会うことで、雪舟に興味が湧いてきている。最初に図版集を見ていたら、おそらく見に行こうという気にはならなかっただろう。常に白紙の状態でいて、まずそのものに出会うという姿勢のよい点が今回は出た格好だ。

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雪舟展に向かう ALLER A L'EXPO "VOYAGE A SESSHU"

2006-11-11 23:32:20 | 展覧会

先週の新日曜美術館で雪舟展が山口で開かれているのを知る。何気なく聞いていたが、山口の地図を見ると中原中也記念館も近くにある。さらに手帳に目をやると金曜が大阪出張になっているのを知る。ここまでそろうと、いつもの通り衝動的に決めてしまった。大阪の後、山口に立ち寄ることにした。

今朝は雨模様。雪舟、中也に触れるには案外ぴったりの天候かもしれないと思いながら、没後500年を記念した 「雪舟への旅 Voyage au monde de Sesshû」 を観るために山口県立美術館へ。駅構内で前売り券が売られていたので、早速仕入れる。何と地元企業 (豆子郎) のお菓子付きというお買い得。町をあげてのイベントのようだ。

国宝6点を一人で持つのは雪舟だけと言われる。今回そのすべてが集まっているとのこと。

山水長巻(毛利博物館)
秋冬山水図(東京国立博物館)
山水図(東京国立博物館)
慧可断臂図(斉年寺)
天橋立図(京都国立博物館)
山水図(個人蔵)

詳細は明日以降にまとめてみたい。

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生誕400年記念レンブラント展 EXPOSITIONS DE REMBRANDT A PARIS

2006-10-31 22:54:58 | 展覧会

今日届いた Le Point によると、今年生誕400年を迎えたレンブラントの展覧会がパリで開かれている。

レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン
Rembrandt Harmenszoon van Rijn (15 juillet 1606 - 4 octobre 1669)

絵画展はアムステルダムとベルリンに任せて、デッサンや版画を中心にした展覧会が4ヶ所、そのうち来年初めまで見られるものが3ヶ所もある。

ルーブル美術館 Musée de Louvre
「素描画家レンブラント」 "Rembrandt dessinateur" (- 8 janvier 2007)

プティ・パレ Petit Palais
「レンブラント:エッチング」 "Rembrandt, eaux-fortes" (- 14 janvier 2007)

国立図書館リシュリュー Bibliothèque nationale, site Richelieu
「レンブラント.陰影の光り」 "Rembrandt. La lumière de l'ombre" (- 7 janvier 2007)


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青山二郎の眼 "L'OEIL DE JIRO AOYAMA" AU MUSEE MIHO

2006-09-23 22:38:52 | 展覧会

パリに向かう機内だろうか。雑誌の広告にあった写真に惹きつけられた。その美術館は山奥の森に埋もれるように写っていた。その設計者が I.M. Pei さんということで、一体どんな美術館を創っているのかに興味が湧いた。彼はルーブルのピラミッドの設計もしている建築家であるが、私がニューヨークにいた20年ほど前に、アヴェリー・フィッシャー・ホール Avery Fisher Hall であったニューヨークフィル演奏会の中休みにワイングラス片手に取り巻きと話しているのを見かけ、アジア系で活躍していたということもあり、親近感を覚えていた人でもある。

今回京都に来た目的の一つは、その美術館を訪れることであった。未だに疲れが抜けないせいか、午後から出かけることにした。出る前に近くのカフェに寄り、予定を立てる。お勘定をした後、レジの女性が私の手の甲を支えるように軽く触れておつりを渡してくれた。不思議な感じがしたが、何かが通じた。その時、同じ経験を5-6年前鹿児島でもしていることを思い出した。マニュアルでもあるのだろうかとその時に思ったが、どうなのだろう。東京では、触るのも汚らわしいとでもいうように、手のひらの上から落とすようにおつりを渡されることが少なからずある。今日はなぜか心が和んでいる。

石山からバスで小一時間揺られる。川に白鷺?を見かける。渓谷を抜けるように登っていく。対向車が来ると止まって待ったりしながら。「体」 の感覚が蘇ってくるようだ。大脳皮質のコントロールから少しだけ解き放たれるようである。深山幽谷にその美術館はあった。紅葉がほんの少し始まっているのを見つける。バスが止まったところから、なだらかな坂道を登っていくと山をくり貫いたトンネルがある。その形と中の照明を楽しみながら10分ほどゆっくりと歩く。先日訪れたケ・ブランリー美術館のジャン・ヌヴェル氏ではないが、建物を取り巻くすべてが建築になっているということを感じながら。

Miho Museum
(novembre 1997 -)

建物もしっかりとした立派な美術館である。中高生の団体がいてにぎやかである。南館は常設の展示のようだ。エジプト、西アジア、南アジア、中国、ペルシャなどの彫刻・絵画・織物などが置かれている。数は多くないが、仏像や古代の人の表情などを見ていると何か大きな心に触れたような印象を受ける。北館では秋季特別展の 「青山二郎の眼」 が行われていた。

青山二郎 (1901年6月1日 - 1979年3月27日)

入り口にあった 「眼は言葉である」 というフレーズを見て、その心がまさにこのブログにぴったりであることを悟る。集めたものをいろいろ見させていただいた。目利きではないのですべてがピンと来るわけではなかったが、見ながら青山二郎という人の生き方に思いを馳せていた。中に本阿弥光悦の 「山月蒔絵文庫」 と 「鹿図蒔絵硯箱」 があったが、その構図 (デザインと言ってもよいだろう) の斬新さに驚いた。今作られたと言ってもおかしくないほどである。北大路魯山人の食器も展示されていた。私の好みではなかったが、美味いものを人に食わせるために焼物を始めたという彼の心には感じるものあり。

仏語版ブログに、木喰 Mokujiki の彫刻がいいという Aurele 様のコメントが最近入っていたが、その一つ 「地蔵菩薩像」 が集められていた。何とも幸せそうな、嬉しそうなお顔で手を合わせている像で、確かに親しみが持てる。

また、今回彼が本の装丁にも手を出していたことを知る。その装丁もさることながら、当時の作品が今ほとんど読まれていないものも含めて並べられているのを見て、懐かしさを禁じえなかった。

小林秀雄 「無常といふ事」
ランボオ 「Bateau ivre (酩酊船)」 (小林秀雄訳)
小林秀雄 「ドストエフスキイの生活」
アラン 「精神と情熱に関する八十一章」 (小林秀雄訳)
河上徹太郎 「道徳と教養」
ギュスタァフ・フロオベル 「ジョルジュ・サンドへの書簡」 (中村光夫訳)
中村光夫 「文學論」
アンドレ ジイド全集
中原中也 「在りし日の歌」
北條民雄 「いのちの初夜」
大岡昇平 「俘慮記」
・・・

いくつかの言葉が紹介されていたが、メモにあるものの中から。

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優れた画家が、美を描いた事はない。
優れた詩人が、美を歌ったことはない。
それは描くものではなく、
歌ひ得るものでもない。
美とは、それを観た者の発見である。
創作である。
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帰りがけに、彼の生き方に触れたくなり、白洲正子の 「いまなぜ青山二郎なのか」 を仕入れる。その帯には 「俺は日本の文化を生きているのだ」 とある。早速、バスを待つベンチで読み始める。装丁が気が利いているので後ろを見てみると、「装画・題字 青山二郎」 となっていた。

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アルフレッド・ドレフュス展 DREYFUS - LE COMBAT POUR LA JUSTICE

2006-09-11 02:12:07 | 展覧会

メトロのポスターでドレフュスの展覧会があることをパリ初日に知る (彼については一度触れています)。それが頭にあったのだろう、会議最終日に会場にあった本屋に立ち寄った時に、彼の人生を大きく変えることになった5年間の記録 "Cinq années de ma vie 1894-1899" に手が伸びる。そして展覧会場に足を運ぶことになった。

行く前に彼の本を四分の一ほど読み、その肉声に触れていたので、会場でもすんなり入ってきた。いつでもどこでも起こりそうなことだ。そしてさまざまな理由から真実を語らない人間が出てくるということを知る。しかしそれに立ち向かう勇気ある人もいるということを教えてくれる。

今回、エミール・ゾラ Émile Zola (1840-1902) の本を2冊手に入れた。一つは Librio の2ユーロシリーズにあった "J'accuse ! et autres textes sur l'affaire Dreyfus" と憂国の書と思われる "Lettre à la jeunesse - Lettre à la France"。

当日、会場のユダヤ教芸術歴史博物館 Musée d'art et d'histoire du Judaïsme では、最近亡くなったばかりの画家ボリス・タスリツキー Boris Taslitzky (Paris, 30 septembre 1911 - Paris, 9 décembre 2005) という人の作品も展示されていた。この人も若い時に収容所を転々とさせられ、人間の極限を見てきている。その間に隠れて周りの状況を写していた作品が展示されている。また彼が描いた4-5枚の肖像画がそれぞれの人生をまとめた文章とともに展示されているのを見ている時、その人物の人生が確かに写し取られていると感じ、肖像画の意味が初めて迫ってきた。

"Si je vais enfer, j'y ferai des croquis. D'ailleurs, j'ai l'expérience. J'y suis déjà allé et j'ai dessiné."

「もし地獄に行くとしてもそこで私は描くだろう。第一私にはその経験がある。すでにそこに行って描いていたのだ。」

また彼は次のようなことも言っている。

"Je marche dans les rues, j'en vois le spectacle, j'y participe et en même temps, je suis ailleurs, revivant ce que j'ai déjà vécu...[...] Je suis simultanément deux conversations, les voix du passé se mêlant à celles du présent, sans confusion, dans une impossible unité."

「私は道を歩き、その光景を見る。そこに参加し、同時に別のところにいて、これまで生きてきたものを生き直す。・・・私は同時に過去と現在の声が交じり合った、混沌のない、成し得ない調和の中にある二つの会話である。」


展覧会の帰り、近くの Rue Rambuteau にある本屋に立ち寄る。極細のタバコをふかしながら本を読んでいる年季の入ったパリジエンヌと若い男がいる店に。数日前に別の本屋で面白いことを言っている人がいるので気になっていたその本のことを聞いてみた。書いているのはジョルジュ・ピカール Georges Picard という人で、タイトルは "Tout le monde devrait écrire" 「みんな書くべきだ」。まずそのタイトルに惹かれる、その中に翻訳で読むのはガラス越しに絵を見るようなもの、作家、翻訳者、そして読者が反映するという表現があり、最近美術館のガラスが気になっている私としてはすべて読んでみたくなっていた本だ。

"..lire une traduction, c'est un peu regarder un tableau à travers une vitre où se mêlent les reflet de l'auteur, du traducteur et du lecteur."

なかなか見つからないのでこの作家の名前をしつこく言っていると、若い男はもうわかったと言わんばかりに吹き出していた。しばらくすると、その本はショーウィンドーにあることが判明。彼の作品は他にもあるといって教えてくれた。その中にあった "Du bon usage de l'ivress" 「酩酊の効用について」 という本を、これもまたタイトルに惹かれて手に入れる。読書の秋に向けての蓄えだろうか。

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(version française) 7 octobre 2006

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マルモッタン美術館 AU MUSEE MARMOTTAN MONET

2006-09-10 23:12:04 | 展覧会

休みを利用して、モネ美術館に行くことになった。最初からそのつもりではなかったのだが、歩いているうちにその気になってきた。日本から持っていった地図では地下鉄の乗り継ぎをうまく見つけられずよく歩いていた。数日前にホテルの人にある場所への行き方をこちらのメトロ地図で調べてもらったところ、ほとんど歩かずにつながりを見つけることができることがわかった。もう少し早く聞いていればとんでもない駅で降りて道に迷うこともなかっただろうにと反省するが、後の祭り。

とにかくミュエット駅で降り、ゆっくりと公園を抜けていく。空が高く、雲も美しい。秋のひんやりとした空気の中を歩くのはこんなに爽快だったろうか。

最初は1階にある18-19世紀の肖像画、風景画を見る。展示されていた当時の時計がお昼の時を告げている。それからモネのある地下に向かう。とにかく感激したのは、ガラスなしで手の届くところに絵が飾られていて、しかもボールペンでメモを取ろうがここぞとばかりに誰も寄ってこないことだ。彼の絵を遠くから、あるいは近寄って見ていると、一つの絵が全く違った印象を与える。そこで時間が消えてしまうような時を過ごしていると、まるで彼の体の中にいるような錯覚に囚われる。心が洗われるようであった。

パイプをふかしながら新聞を読むモネを描いたルノワールの "Claude Monet lisant" 「新聞を読むクロード・モネ」 の雰囲気は気に入った。モネの皮肉たっぷりのデッサン "Dandy au cigare" 「葉巻をくわえた紳士」 も面白く、忘れないようにメモに構図を書き込んでいた。

2階には他の印象派の画家の作品があり、いくつかの発見があった。一つは、マネと関係があったというベルト・モリゾー Berthe Morisot (1841-1895)。まず彼女の絵がある部屋に入ると、どこか新鮮な空気に包まれているように感じた。画家が女性のような気はしたが、それは解説を読んで知った。さらに見ていくとマネを尊敬していて、マネによる彼女の肖像画も飾られていてなかなかよかった。

二つ目は、以前にパリのレストラン 「ステラ・マリス」 について書いた記事に使ったギュスターヴ・カイユボット Gustave Caillebotte (1848-1894) の絵、"Rue de Paris. Temps de Pluie." 「パリの通り、雨」 がここにあるのを知ったこと。心のどこかにいた人に、ばったり会うような喜びがあった。

それから印象派による雪景色はどれもしっとりと心に入ってきた。今回、カミーユ・ピサロ Camille Pissarro (1830-1903) の "Les Boulevards extérieurs. Effet de neige." に、雪の街路を背を丸めて小走りに行く紳士を見つけ、ピサロの人柄が感じられて思わずにんまりしていた。

他にも多くの作家の作品があり、印象を書き出すとキリがなくなる。今回の訪問で、印象派が少し近く感じられるようになっている。その世界に浸っていると、現実から離れて夢の世界に遊ぶようでもある。

階段の踊り場に飾られた睡蓮の絵には、次のような言葉が添えられていた。

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Etonnante Peintre. Sans dessin et sans bord...Cantique sans paroles...ou l'art...Sans le secours des formes. Sans vignette...sans anecdote...sans fable...sans allegories...sans corps et sans visage...par la seule vertu des tons...n'est plus qu'effusion...Lyrisme. Ou le cœur se raconte...se livre...chante ses emotions.

Louis Gillet (1876-1943) "Les Nymphéas"

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驚くべき画家。素描もなく縁取りもない・・・言葉のない聖歌・・・あるいは芸術・・・形に頼ることなく。作品を飾る装飾もなく・・・逸話も・・寓話も・・寓意もなく・・・体も表情もなく・・・色調という効果だけで・・・もはや心情の迸りでしかない・・・叙情性。あるいは、心が語り・・打ち明ける・・・その感情を詠う。

ルイ・ジレ 「睡蓮」 より
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リブレリーではサン・サーンス Saint-Saëns のバイオリン・コンチェルト第三番が流れている。今までに何度も聞いているが、この日は特に心に滲みた。そのCDを見てみると、偉大な画家の音楽 La Musique des Grands Peintres "Monet" とあり、ほかにラベル、フォーレ、リスト、ドビッシーなどが入っている。普通はこのようなコンピレーションものには全く手が出ないはずなのだが、この日は違っていた。早速聞いてみたが、ディーリアスのカッコーの鳴く曲が20年ぶりくらいに飛び出したりして、結構楽しめる。これも、この美術館がゆっくりと心を開いてくれた効果だと思っている。

(version française)

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ケ・ブランリー美術館へ AU MUSEE QUAI BRANLY

2006-09-02 23:49:52 | 展覧会

9時前にホテルを出て歩き始める。近くに公園があるので入る。Parc André Citroën とある。 土曜の朝のためか、静かで人影がほとんどない。たまにジョギングをする人、早足で歩く人、ゆっくり歩いている年配の2人連れなどを見かける程度。なぜか違う土地に来ると朝から歩きたくなる。おそらくそれが非常に気持ちのよいことだということを覚えてしまったからだろうか。

しばらく歩くとエッフェル塔が見えてきた。これほど意識してみることは今までなかった。じっくり見てみるとやはり美しい。今までは何気なく日本にあるタワーと同類と思っていたが、今回全く別物であることに気づく。もともと名所見物には興味がなかったのでわかったつもりになっていたが、最近形に興味が湧いてきて、じっくり見るようになっていることが大きいようだ。

セーヌ川に沿ってエッフェル塔を少し過ぎると今日の目的地、ケ・ブランリー美術館である。この美術館については以前に何回か触れているので (123)、初めてのような気がしない。しかしなぜか有名人にでも会うような緊張感をわずかに感じていた。

中に入り螺旋状?に感じた登りの道を歩いて行くと、壁や床に映像が映されていて集中力を喚起される。展示場は全体に暗く、アフリカ、アジア、オセアニア、アメリカなどの地域別になっている。メインの会場から外に突き出るように小さな部屋がいくつも並んでいて、秘密の部屋に入るようで面白い。装飾品、織物などもあったが、今回興味を引いたのは木製のマスクや彫刻の類であった。こちらの肌に近く迫ってくるように感じたせいだろう。

この美術館でも展示はほとんど反射するガラスの中で行われていた。これは致し方ないことなのだろうか。一時間ほどで出て、リブレリーを覗く。アフリカ音楽とシュテファン・ツヴァイクが亡命し命を絶った土地について書いた "Le Brésil, terre d'avenir" (「ブラジル、未来の土地」) に手が伸びた。この作家とは数年前空港でバルザックの伝記 "Balzac: Le roman de sa vie" を買って以来のご縁である。なぜかパリで目の前に現れる。カフェで休んでから会場を後にした。

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