先日の会議で飛び出したこの言葉にどうして反応したのだろうか。それを考えていた。
"Traduire, c'est comprendre."
フランス語を始めてから曲がりなりにも原典を読むようになり、日本語に翻訳する過程で、日本語だけを読んでいた時と明らかな違いを感じるようになったからだろうか。それまで何気なく見ていたものに新しい光が当てられるようになり、無意識に済ましていたものが今までとは違う新鮮なものとして写るようになってきたからだろうか。
翻訳する場合、すでに理解していると思っているものでも新たに日本語に置き換えなければならない。その行為は対象をいろいろな角度から眺めることになり、これまで知ったつもりになっていたものが少し違って見えるようになる。見えなかったものが見えてくるという経験を翻訳の過程で感じ始めている。
ひょっとすると、これこそ外国語学習の重い意味なのかもしれない。物事をより深く理解できるようになるということこそ、外国語習得において強調されなければならないのかもしれない。そして、理解するためにはいくつかの視点を入れ直すことが不可欠であるという意味で、今日の言葉の逆もまた真かも知れない。
"Comprendre, c'est traduire."
いずれにしても、フランス語を始めた当初には予想もできなかったところに導かれているようで、私にとってはこの上ない経験になっている。