フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

7月の記事

2007-07-31 20:26:14 | Weblog
2007-07-31 あみん、あるいは地上に舞い降りる
2007-07-29 再びハンモックから DU HAMAC DE TÔKYÔ
2007-07-15 パリから DE PARIS
2007-07-14 記憶する水 LA MÉMOIRE DE L'EAU
2007-07-13 上には上
2007-07-12 フランスの大学危機 UNIVERSITÉS : AUTOPSIE D'UN GÂCHIS
2007-07-11 生存可能な最初の星 ? LA PREMIÈRE PLANÈTE HABITABLE ?
2007-07-10 雨の東京 TÔKYÔ PLUVIEUX
2007-07-09 チャールズ・テイラーと共同体主義 CHARLES TAYLOR - COMMUNAUTARISTE
2007-07-08 共同体主義の大御所 LE PAPE DU COMMUNAUTARISME
2007-07-07 英語だけでいいのか? とフランス語教育界 POURQUOI LE FRANÇAIS ?
2007-07-06 大岡昇平 「スコットランドの鷗」 MOUETTE DE L'ECOSSE
2007-07-05 フランスからのメール UN EMAIL D'UN PHILOSOPHE FRANÇAIS
2007-07-04 アメリカの恩師のこと MON MENTOR AUX ÉTATS UNIS
2007-07-03 バス停で蟻 DES FOURMIS AU ARRÊT D'AUTOBUS
2007-07-02 促す言葉 LES MOTS QUI NOUS POUSSENT
2007-07-01 少し早めの退職、そしてこれから EN PRENANT LA RETRAITE ANTICIPÉE

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あみん、あるいは地上に舞い降りる

2007-07-31 02:44:02 | Weblog

時差ぼけの夜。テレビをつけると SONGS という番組で岡村孝子さんと加藤晴子さんのデュオ、あみんが出ている。これまで真面目に聞いたことのないグループである。大学生の時に1年半ほどあみんとして一緒にやっていたが、加藤さんの方が違和感を感じ始めそれ以来別々の道を歩む。しかし40代に入って再び一緒に歌い始めるようになったと、何の衒いもなく自らを見つめ、淡々と語っている。そういう人生の歩みにある味を感じていた。

彼女たちの話や歌を聞きながら、長い間外国に滞在した後に日本に帰ってきて日本のものに触れた時、しばしばある変化が起こっていることを思い出していた。それは、そう実感していたわけではないのだが、それまで宙に浮いていた、あるいは天を舞うような感覚で生活していたところから、地上に降り立ったという感覚に陥ることである。これは特に時差ぼけの夜に訪れる。今日はそれを懐かしく感じていた。あみんの中にそう感じさせる何かがあったのかもしれない。

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再びハンモックから DU HAMAC DE TOKYO

2007-07-29 19:24:07 | Weblog

少し秋の気配を感じるパリの風であった。行きの飛行機は台風にもかかわらず定刻に出たのだが、パリでは機体の不調 (ドアを閉めたことがコックピットでは表示されないというのである) により2時間以上機内で待たされた。こちらに着いてまず驚いたのは湿気と暑さ。これから一月もこの状態が続くのかと思うと、憂鬱である。特にからっとした秋風の中から帰ってくるとそう感じるようだ。

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パリから DE PARIS

2007-07-15 22:12:40 | Weblog

2週間ほど、A VIEW FROM PARIS からの観察になります。


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記憶する水 LA MEMOIRE DE L'EAU

2007-07-14 20:29:16 | 俳句、詩

台風が関東にも接近している。このまま行くとフランスへの旅が危なくなる。その旨パリの友人に伝えると、直ちに次のような反応があった。ところで、ジョゼフ・コンラッド Joseph Conrad (3 décembre 1857 - 3 août 1924) の "Typhon" を読んだことがあるか、アンドレ・ジードが訳している素晴らしい小説だ、というもの。こういうやりとりは、いつも私に爽快感をもたらしてくれる。早速何軒か巡ってみたが残念ながら見つからなかった。向こうに行ってからということになりそうだ。

本屋巡りの中、あるタイトルに目が引き付けられた。

記憶する水」 (新川和江という方の詩集)

このお話もパリの友人から昨年聞いた。フランスの免疫学者ジャック・バンヴェニスト Jacques Benveniste (12 mars 1935 - 3 octobre 2004) は、アレルギーを起こす元になる抗体 (IgE) を含む血清をどんどん薄めていき、その中に抗体の一分子も含まないところまでもっていく。その上でこの希釈された血清を用いてアレルギー反応が起こるかどうか調べたところ、彼の手によると反応が見られたとして、1988年に雑誌 Nature に発表した。この現象をマスコミは、水には記憶する力があるとしてセンセーションを巻き起こした。その後、公開実験までやったらしいが再現性は見られず、バンヴェニスト事件として記憶に留められている。

この話を聞いた時に、うまく説明できないが不思議な気分が私を襲っていた。まだ詳しく読んでいるわけではないので確かではないが、こういう実験は偶然驚くべき事実を見つけたというよりは、最初に水には記憶があるはずだ、そのためにはどのような実験をすればよいのか、という思考の流れがあったのではないかと想像される。もしそうだとすれば、彼がなぜそのような考えを抱くに至ったのか、そこに強い興味が湧いていた。

今日手にした本のタイトルは、まさにバンヴェニストの考えに触発された詩 「記憶する水」 から取られている。そこには次のような一節がある。

  覚えていておくれ
  地上のすべてがわたしを忘れても
  わたしがわたしを忘れてしまっても
  おまえだけは記憶にとどめておいておくれ
  今度会うときは
  ぼうと霞んだ向う岸かも知れないが


 「はげしく生きてきた者だけが・・・ ―― 故矢川澄子さんに」

   恋も愛も名声も富も (おお自分さえ)
   こわれやすい 移ろいやすい あてにならぬ不確かなものばかりが
   溢れている地上は永住に価しない
   死の中にしかゆるがぬ実在は無い
   はげしく生きてきた者だけが
   やはりはげしく わが手でそれを獲得するのだ


  「あんかおろして ―― 川崎洋さん追悼」

    あったかい血の通った
    ことばを求めて蒐められた方言の中でも
    釧路の漁港の居酒屋で耳にしたという
    <あんかおろす> が私は好きだ
    つまり 錨 (アンカー) をおろす
    あんかおろして いっぱいやっか
    板子一枚下は地獄の荒海で
    体を張って漁をする男たちが
    陸へあがってほっとひと息
    仲間の肩を叩いて いかにも言いそうなことば


    「良寛 ―― 組曲」
     
     五合庵
     
     みなもとを求め
     川上へとさかのぼって行ったが
     みなもとと呼ぶたしかな場所は
     どこにも無かった
     ひとあし ひとあし 踏みしめる足もとから
     水が湧いて
     <今 ここ> がつねにみなもと ―― そうと知った
     世を捨て 名利を捨て
     国上山のふところに身を寄せた
     冬の庵の
     はらわたも凍える寒さ
     薪も尽きたが 雪が止めば
     こうこうと月が 冴えわたる
     さしこむ光に
     書を読み 詩歌をつづるのだ
     諸国をめぐり 修行も積んで
     悟りを得たが
     それさえももう 超えてしもうたよ
     あるがままに生きる  
     <今 ここ> で
     自然と共に あるがままに




    
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上には上

2007-07-13 23:41:27 | Weblog

アメリカ時代以来の友人と私の渡仏を餌に杯を酌み交わした。どうしてそうなるのか、信じられないというのが彼の第一印象。しかしその宇宙人的人柄を考えればどこかで納得、ということらしい。なぜ哲学なのかということになり、ピエール・アドーさんの言葉を紹介する。目の前にあった花を指しながら、これを最初に、そして最後に見るものとして観ることが大切であるなどと話した時、彼は今頃そんなことに気付いたのか、と反応。その時初めて、15年以上前に肺癌で肺を三分の二も摘出していたことを知る。それ以来、いつ死んでもよいように、今日が最後だと思って生きているという。

私の 「100歳から現在を見る」 という考え方についても甘いと言う。私の視点は、別に100歳まで生きることを前提にものごとをやりましょう、ということではなく、(とりあえず) 100歳から見ることにより、現在がより立体的に捉えられるというところがポイントなのだが、そんな余裕は不要ということらしい。ところで、翌日何気なく新聞を読んでいたら、選挙報道があり、その中でドクター・中松氏が次のようなことを語っていた。すなわち、自ら考案 (発明) した健康法を実行すれば144歳 ? まで生きられるはずで、彼は未だ折り返し点にしかいない、というもの。台風を前になぜか元気が出てくる。

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フランスの大学危機 UNIVERSITES : AUTOPSIE D'UN GACHIS

2007-07-12 20:20:12 | Weblog

新たに届いた LE POINT の特集が、大学危機の解剖記事になっている。今回は人ごとではなくなっているので、じっくり読んでみようという気になっている。この問題は先日フランスからのメールでも取り上げられていたので、その大雑把な (相当に酷い) 状況は頭に入っていたが、解剖記事だけあってもう少し詳しい情報が聞けそうだ。以下に、気が付いたところから。

フランスの高等教育は最早社会や経済の要求には答えられない状況に陥っている。登録料が国により決められ、大学に入るための競争はない。世界レベルで比較すると無残な状態が明らかになる。登録料に手をつけずに改善が可能なのだろうか。どうしたら信じられないくらいに劣化した建物、貧弱な図書館、年に3ヶ月も締まっていて夏には実質的に入ることができない大学、管理サービスの貧弱さなどを終わりにできるのだろうか。

年間に大学生に充てられる予算 (7200 E) は、高校生 (10170 E) や中学生 (7400 E) よりも少ない。高等教育にこのような金の使い方をしている国はない。高等教育に充てる額が高いほどイノベーションの戦いに勝つ傾向が明らかになる中で、フランスがまだ世界第6位の位置にいるのは奇跡に近い。

Paris-IV-Sorbonne の名前は世界に轟いており、26000人の学生 (うち博士論文準備者 thésards が2400人) を受け入れ、3200万ユーロの予算と給料分5400万ユーロが国から出ているので、学生一人当たりには3300ユーロしか返ってきていないことになる。この額は、フランスの学生平均の半分、幼稚園の小児より少なく、高校生の三分の一、メキシコの学生よりも少ない。

これに比べて米国のプリンストン大学の年間予算は7億3000万ユーロで、学生数が6677人。したがって、プリンストンの学生には年間11万ユーロ、すなわちソルボンヌの学生の実に33倍もの金が使われていることになる。ハーバード大学の資本は290億ドル。この数字は、アメリカの一大学がフランスの高等教育の国家予算を使える状況にあるということを意味している。さらに、図書館の状況を見てみると、1席当りの学生数はフランスで18人、ドイツやイギリスは5人。米国、カナダでは朝8時から夜11時まで開いていて、ウィークエンドにも使用可能であるが、フランスは週平均50時間しか開いておらず、日曜は閉館している。

ヨーロッパ並みの状況にフランスの大学をもっていくためには、さらに100億ユーロが必要になる。大学登録料が年180ユーロという携帯より安い状態のままでよいのだろうか、と指摘している。


------------------------------------
(13 juillet 2007)
私の学費が年1万2千円程度だったことを思い出した。まさに古き良き時代であったが、今のフランスの学費は当時の日本と余り変わっていないと言うことだろうか。私にとっては朗報なのだが、、

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生存可能な最初の星 ? LA PREMIERE PLANETE HABITABLE ?

2007-07-11 21:11:35 | 科学、宗教+

予想外の盛り上がりを見せたチャールズ・テイラー氏の記事と同じ LE POINT の科学欄に興味深い記事が出ていた。地球に似た大きさで、地球のように水があり、したがって生命の存在が期待される星が見つかったという。太陽に当たる星 (ホスト) からの距離から計算すると地表の温度が0-40℃で、われわれのような生命が生れるために必要となる水が液体として存在しうる温度である。

ホストの星 Gliese 581 は、われわれとは20光年位しか離れておらず、太陽の1/3の体積で1/50の光しか発していない。そこを13日で巡る、半径が地球の1.5倍の惑星が、Gliese 581 c と名付けられた今回の主役である。スイス、フランス、ポルトガルのチームがチリにあるヨーロッパ天文学研究機構 (ESO) の望遠鏡で発見した。もし本当にわれわれのような生命体がこんなに近くにいることになれば、われわれのものの考え方にも計り知れない影響を及ぼすものと予想される。天文学者たちは空のクリストファー・コロンブス Christophe Colombeを目指して凌ぎを削っているというが、今後の進展を興味を持って見守りたい。

発見者の話は以下のサイトで聞くことができます。
European Organisation for Astronomical Research in the Southern Hemisphere (ESO) のビデオ

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雨の東京 TOKYO PLUVIEUX

2007-07-10 23:35:21 | 俳句、詩


    雨ふるふるさとははだしであるく (山頭火)

     la pluie tombe
      dans ma ville natale
       je marche pieds nus  

     (Santôka; traduit par paul-ailleurs)



      酒がうますぎる山の宿にゐる  (山頭火)

       saké est trop savoureux
        je reste
         dans une auberge de montagne

       (Santôka; traduit par paul-ailleurs)


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チャールズ・テイラーと共同体主義 CHARLES TAYLOR - COMMUNAUTARISTE

2007-07-09 00:12:53 | 哲学

昨日の続きをもう少し。

Vous vous êtes rendu célèbre en 1989 en publiant « Les sources du moi », un livre où vous analysez les motivations de l'individu dans la société moderne et démontrez en fait qu'une seule chose l'intéresse : lui-même. On est loin du lien social...

LP : あなたは1989年に出版した "Source of the Self: The Making of the Modern Identity" 「自己の源泉: 現代のアイデンティティの形成」 で有名になりましたが、その中であなたは現代社会における個人の動機付けについて解析し、個人を惹き付けるものは自分自身だけであることを示しました。われわれは社会的なつながりとは遠いところにあることになりますが、、

Il faut bien l'accepter : l'individualisme a évolué. Aux XVIIe et XVIIIe siècles, à l'époque de John Locke ou d'Adam Smith, il s'agissait pour l'individu de se définir et d'acquérir des droits par rapport à la société, aux Eglises, au pouvoir. Dans le même temps, sous l'influence de la Réforme, s'est développé un individualisme de responsabilité : l'homme libre face à Dieu. Depuis les années 60 se développe un troisième type d'individualisme : l'individualisme identitaire. Le sujet revendique le droit d'être lui-même, quel que soit l'objet de son désir (être artiste peintre, moine, homosexuel...) et le chemin pour aboutir à son accomplissement. Comme l'écrivait déjà au XVIIIe le philosophe allemand Herder, chaque être humain veut vivre en fonction de sa propre mesure. C'est ce que j'appelle la « quête d'authenticité ». C'est un véritable idéal moral, et à mon sens, une forme authentique d'exigence éthique. Non seulement elle crée de nouvelles valeurs pour la société, mais elle est devenue une source de revendication sociale. Si je revendique le fait d'être homosexuel ou musulman, je donne les clés pour expliquer comment je conçois le monde. Et je veux être reconnu en tant que tel. Ma quête personnelle d'authenticité ne vise pas l'exclusion, mais la reconnaissance sociale.

CT : 個人主義が変化してきたことは認めなければなりません。17-18世紀、それはジョン・ロック John Locke やアダム・スミス Adam Smith の時代ですが、個人が自らを定義し、社会、教会、権力側から権利を獲得することでした。同時に、宗教改革の影響下、責任を伴った個人主義 (神の前での自由人) が生れたのです。60年代から第三の個人主義、アイデンティティを求める個人主義 l'individualisme identitaire が発達します。個人が自分自身であるための権利を要求するのです。願望の対象 (例えば、画家、僧侶、ホモセクシュアルなどでありたいという望み)が何であれ、自己実現への道が何であれ。18世紀にドイツの哲学者ヨハン・ゴットフリート・ヘルダー Johann Gottfried von Herder (25 août 1744 - 18 décembre 1803) が書いているように、それぞれが自らが存在するその範囲で生きることを求めているのです。それを私は、"la quête d'authenticité" 「真正の探求」 と呼んでいます。それは、真の道徳的理想で、私には倫理的要求の真の姿に見えます。それは社会のための新たな価値を創造するだけではなく、社会的要求の源泉になります。もし私がホモセクシュアルであるとかイスラム系であると主張するとすれば、私が世界をどのように見ているかを説明するための鍵を与えることを意味します。そして、私は私のあるがままとして認められたいと念じているのです。私の個人的な真正の探求は排除を目指すものではなく、社会的認知を求めているのです。

Cette quête de soi n'est-elle pas pur narcissisme ?

LP : この自己の探求は完全なナルシシズムではないのですか。

Le problème n'est pas de juger mais d'être réaliste. Ma thèse est que, si l'on veut comprendre nos sociétés, il faut faire référence à ce besoin d'authenticité. Prenons encore une fois le cas des homosexuels : le problème n'est pas de savoir s'il est bien ou mal qu'un homme aille jusqu'au bout de son désir pour un autre homme. L'important, c'est qu'il réclame le droit d'être reconnu en tant que tel. Il ne veut pas que la société l'entrave dans sa quête identitaire et il est prêt à se battre pour cela au sein de sa communauté.

CT : 問題は判断することではなく現実的であることです。私の考えでは、もしわれわれの社会を理解しようとしたら、この真正の必要性を参照しなければなりません。もう一度、ホモセクシュアルを例に取りましょう。問題は、ある男が別の男へと最後まで行ってしまうのが良いのか悪いのかを知ることではなく、その男をあるがままに認められる権利を要求することが重要になるのです。彼は、社会が自己の探求を妨害することを望まず、共同体の中でその権利のために戦う用意があるのです。

Vous défendez le principe communautaire. Mais la communauté peut aussi être perçue comme une entrave, non ? Que faites-vous de ces jeunes musulmanes mariées de force ou obligées de se voiler ?

LP : あなたは共同体の原則を擁護しましたが、共同体を一つの障害として見ることもできるのではないでしょうか。強制結婚をさせられたり、ヴェールを被らなければならないイスラム系の若い女性にあなたは何をしますか。

Bien sûr qu'il existe des communautés oppressives. C'est justement le rôle de l'Etat libéral de défendre les individus contre celles-ci. Mais il est absurde de penser que toutes le sont. C'est s'aveugler devant le fait que la solidarité communautaire sert souvent d'appui à la liberté des particuliers.

CT : もちろん抑圧的な共同体もあります。このような体制に対して個人を守るのが、まさにリベラルな国家の役割なのです。しかしすべての共同体が抑圧的だと言うのは理に叶っていませんね。それは、共同体の連帯がしばしば特定集団の自由を支えるという事実の前に目をつぶるものです。

Comment analysez-vous le désengagement politique que l'on constate dans beaucoup de pays démocratiques ? Est-ce une conséquence de cette quête d'authenticité ?

LP : 民主国家で見られる政治的離脱をどのように分析しますか。それは真正の探求の一つの帰結でしょうか。

Marcel Gauchet l'a bien montré : dans une société où la recherche d'authenticité devient la grille avec laquelle on voit le monde et la manière de coexister, on constate une perte d'engagement envers la chose commune, que ce soit au niveau des partis politiques, des syndicats ou de l'Etat. Il n'est donc pas surprenant de constater que dans nos sociétés, les taux de participation aux votes tendent à diminuer. Les Etats-Unis sont très en avance sur ce sujet puisque le taux d'abstention aux grandes élections nationales se rapproche de 50 %. Il est donc important de développer d'autres modes de fonctionnement sociaux. Jusqu'ici, nos sociétés reposent sur la loi, les coutumes, les codes. La négociation n'était qu'un ajustement pour éviter les blocages. Aujourd'hui, elle est obligatoire.

CT : マルセル・ゴーシェ Marcel Gauchet (1946- ) がすでにそのことを示しています。真正の探求が世界を見るための枠組みや共存の方法になる社会では、それが政党であれ、労働組合であれ、国家であれ、共通の価値に向かうことがなくなっています。したがって、われわれの社会において投票率が低下しているのも驚くにあたりません。米国では棄権が半数に達しようとしています。社会が機能するためには別の方法を開発することが重要になるのです。今日まで、われわれの社会は法律、習慣、約束事に依存してきました。交渉は行き詰まりを避けるための調整にしか過ぎなかったのが、今では必須になっています。

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共同体主義の大御所 LE PAPE DU COMMUNAUTARISME

2007-07-08 13:28:37 | 哲学

最新の LE POINT の 「哲学思想」 の欄から。今日の主人公は、次のように紹介されている。トニー・ブレアやビル・クリントンに影響を与えたアメリカ側で (outre-Atlantique) 生存する最も偉大な哲学者の一人。御年75歳のチャールズ・テイラーは、まだフランスではよく知られていない。しかし、彼の共同体主義に関する考えは、北アメリカの思想を一新した。

  Charles Taylor (5 novembre 1931, Montréal - )

モントリオールにあるマギル大学の政治学、哲学の名誉教授。現在はイリノイ州のノース・ウェスタン大学で哲学を教えている。メルロ・ポンティ、ハイデッガーの現象学にも興味を示している。この度のテンプルトン財団からの受賞 (賞金120万ユーロは個人に与えられる賞の最高額とある) の機会に彼の考えを聞こうということらしい。

Le Point : Le communautarisme vise à promouvoir la représentation et les droits de groupes culturels ou ethniques. Cette reconnaissance ne conduit-elle pas inéluctablement à l'éclatement de la communauté nationale et à la violence ?

LP : 共同体主義が文化的、人種的グループの存在や権利を促進しようとするものだとしたら、それは必然的に国家主義的共同体や暴力につながることはないでしょうか。

Charles Taylor : Vous avez en France une vision caricaturale du communautarisme. Si je me définis comme communautariste, ce n'est pas parce que je veux développer une floraison de communautés différentes à l'intérieur d'un Etat, si c'est cela auquel vous faites allusion. Je suis communautariste dans le sens où je pense que la solidarité entre les individus est importante et que la société n'est pas un ensemble indifférent d'individus : elle est un ensemble de communautés, visibles ou non. Le mouvement communautariste est né dans les pays anglo-saxons en réaction aux thèses néolibérales qui voulaient réduire l'intervention de l'Etat et remettre en question les mécanismes collectifs de solidarité. C'est une réplique à ceux qui, comme Mme Thatcher, pensent que « la société n'existe pas, il n'y a que des individus ». Or cela ne correspond ni à la réalité ni aux problèmes auxquels sont confrontés les individus d'une minorité, par exemple les Maghrébins victimes de discrimination à l'embauche.

CT : フランスでは共同体主義を戯画化する見方がありますね。私が共同体主義者という場合、それは国家の内部に異なる共同体を盛り上げたいためではありません。私が共同体主義者であるということは、個人の間の連帯が重要であり、社会は個人の無関係な集合ではなく共同体であると考えるからです。この運動は、国家の関与を減らし、連帯の全体的なメカニズムを再検討しようとしたネオリベラルな考えに対抗するためにアングロサクソンの国で生れたものです。サッチャーのように、「社会は存在しない。個人がいるだけだ」 と考える人たちと同じ考えです。そうしなければ、現実に対応しませんし、マイノリティーが直面している問題、例えばマグレバンの就職差別問題などにも答えることにならないでしょう。

Le communautarisme est donc par définition antilibéral ?

LP : そうすると、共同体主義は定義上アンチリベラルなのですね。

Non, dire cela, c'est encore une fois caricaturer ce mouvement de pensée. Je ne suis effectivement pas d'accord avec les libéraux américains qui dans la foulée de John Rawls, l'auteur de « La théorie de la justice » qui a lancé le débat dans les années 70, assurent qu'une société peut fonctionner en reposant uniquement sur la liberté de l'individu et une redistribution des richesses considérée comme juste. Je pense, au contraire, comme Alexis de Tocqueville, l'un des grands penseurs du libéralisme politique, que tout pays a besoin d'une certaine cohésion et même d'un certain patriotisme : une société ne peut vivre harmonieusement sans l'engagement des individus dans des corps intermédiaires actifs qui les rassemblent autour d'un même idéal. Le lien social est essentiel pour éviter que la société ne succombe, victime d'un repli de ses communautés sur elles-mêmes : c'est quand elles se sentent délaissées et exclues du débat politique qu'elles peuvent devenir violentes.

CT : いいえ。そう言って、またこの考えを戯画化しようとするのですね。私はアメリカのリベラリズムには同意できません。そこでは、「正義の理論」 "La théorie de la justice" (A Theory of Justice) の著者ジョン・ロールズ John Rawls (February 21, 1921 – November 24, 2002) が、社会は個人の自由と正当な富の再配分によってのみ機能し得るものと説いている。私は逆に、リベラリズムの偉大な思想家の一人であるアレクシス・ド・トクヴィル Alexis de Tocqueville (29 juillet 1805 - 16 avril 1859) のように、すべての国はある種の統一感、もっと言うとある種の愛国心がなければならないと考えています。一つの社会が調和を持っていくためには、個人が理想のもとに集まることがなければならない。社会的な結びつきは、政治的議論から排除されたり無視されたと感じる時に暴力へと走るのを避けるうえで必須のことです。

Si elle est justement appliquée, la loi de la République ne suffit-elle pas à assurer l'égalité de tous ?

LP : その考えを公式に実行する段になれば、共和国の法律によってすべての人の平等が確保できるのではないでしょうか。

C'est ce que pensent les libéraux : l'égalité devant la loi est la solution à tous les problèmes. Un individu victime de discrimination à l'embauche parce qu'il porte un nom musulman vous répondra que son souci est de trouver du travail, et non d'engager des poursuites devant les tribunaux. Les communautés doivent disposer d'autres mécanismes de défense et de reconnaissance.

CT : リベラルの人は、法の下での平等がすべての問題の解決であると考えています。イスラム系の名前のために就職できない人は、こう言うでしょう。私の悩みは、仕事を見つけることで、裁判所の手続きに関わることではない、と。共同体は他のメカニズムを用意する必要があるのです。

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英語だけでいいのか? とフランス語教育界 POURQUOI LE FRANCAIS?

2007-07-07 20:56:24 | フランス語学習

私のフランス歴はわずかに6年程度である。それまでどっぷり浸かっていた英語圏から紛れ込んだので、フランス語界 (確かではないが、どうもありそうである) を少しは客観的に見ることができるつもりだ。今日、フランス語界を覗くために日仏会館であった以下のコロックに出かけた。日本でフランス文化を広めるための名案や何か刺激的なお話が聞けるのかと思って出かけた。

  外国語教育ターブルロンド 「英語だけでいいのか?―フランス語教育と人文社会科学

その答えは、「いいはずがない。フランス語 (外国語) を学ぶことにより複眼的な視点を得、それが新しい価値観に目を開かせ、寛容や明確にものごとを把握することに導く」 というようなことになるのだろう。それは、ある意味で教科書的な回答で、想像できることである。今回の会でも、ほぼ同様の意見が多かった。

私の属していた学会でも似たようなテーマのシンポジウムやワークショップが開かれたことがある。どうすれば・・・ができるようになるのか、という手のテーマが公開で取り上げられるようになるとほぼ末期症状であると言って間違いない。おそらく、フランス語界においても同じようなテーマがこれまで何度も論じられてきたと想像できる。私の独断で結論から言わせていただくと、フランス語が日本で優位になることは当分ないだろう。人が生きていく上で必要なものに皆さん飛びつくのは当たり前で、それが今のところは英語になっているからだ。これは致し方ないが、現実である。その上で、フランス語界の人たちは、この状態を変えようという強い意志のもとに、これからを模索しているのかと思った。前半だけの聴講になってしまったので正確ではないかもしれないが、その難しい状況に踏み込み、模索の状況が語られるのかと思ったが、むしろこの状態を分析しながら楽しんでいるように私には見えた。

現実のシステムとして英語優位の状態を変えられない以上、フランス界にいる方が自らの存在に照らして、フランス語や文化との関わりとその意味を主観的に語る以外に人を促しフランスに目を向けさせる名案は今のところないように思うが、いかがだろうか。私自身のことを振り返っても、よっぽどのことがなければフランス語などに入り込まないのが普通だと思うからでもある。如何にそれが人間にとっての高邁な意味があろうが、人を促すことはないだろうというのが私の直感である。ここでも何度か取り上げたことがあるが、知識で人を動かすことはできないのである。

フランス語界の中でいつまでもこのようなお話をしているのではなく、その外に出て積極的に働きかける時期に来ているのではないだろうか。そんな印象をもって会場を後にした。

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大岡昇平 「スコットランドの鷗」 MOUETTE DE L'ECOSSE

2007-07-06 23:53:44 | 日本の作家

このところ古本200円シリーズに縁がある。今日は、大岡昇平著 「スコットランドの鷗」 に行き当たった。神田の三月書房から昭和52年 (1975年) 12月に出ている。千円也。神田の、と断ったのは、同名の会社が京都や福岡にもあるらしいので。三月書房のHPによると絶版。

この本は小型で手に取った感じがよく、かわいらしい。最近では見かけないサイズだ。これもまた箱入り。丁度 「レイテ戦記」 を書いていた時期に一致しているようで、その話がよく出てくる。例えば、1967年2月の 「冬にいて夏を思う」 はこのように始っている。

 「何年か暖かい冬が続いた。どうやら地球全体が暖かくなっているのではないか、北極の氷も薄くなって来ているそうだ。なんていっているうちに、今年は厳しい寒さが来た。」

もう40年も前から温暖化のうわさ話は出ていたらしい。私の記憶にはないが、、。その冬にあって、レイテの夏を思って書いていたようだ。また、「六十三、四の正月」 (1972年1月) には、次のような話が綴られている。

この前年10月に 「レイテ戦記」 が出版され、毎日芸術賞を授かった。さらに11月には芸術院会員に推薦されたが、辞退した。その理由として、先の戦争で捕虜になったことが一つ。さらに、死んだ戦友に申し訳ないと思って生きた来た。ここまで生きてきたことだけでも充分なのに、国から名誉と年金などもらうことはできないということらしい。これは国との縁を切ることであると認識している。老後の不安定な生活を周りの人が気遣っての配慮ではないかと推測しつつも、一兵卒として戦地で死と向かい合ってきた経験が根にあるようだ。安らかな死など求めず、死ぬまで働き、苦しみ続けて死にたいと締めくくっている。

若き日の特別な経験が、後に決定的な影響を及ぼすこともあるのだろう。今回の私の道も、ひょっとすると20代のアメリカでの経験が何らかの作用をしていなかったとは言えないような気もしていた。また、日付入りのエッセイを読みながら、これは今で言えば推敲されたブログに当たるのではないか、などと考えていた。

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フランスからのメール UN EMAIL D'UN PHILOSOPHE FRANCAIS

2007-07-05 23:48:17 | Weblog

新しいサイト A VIEW FROM PARIS で取り上げたが、強く感じるところがあったのでこちらにも書いておきたい。

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思いがけないことがたまに起こるものである。先日、フランスからメールが入っていた。メールの主は、大学で哲学を修めた後、哲学教師をされていた方で、これまでも私のフランス語版ブログにいくつかの貴重なコメントを残している。

今回届いたメールは、パリの大学に書類を出したことをフランス版ブログに書いたことに対するものである。A4に移すと2ページになるそのメールは、次のように始っている。

「今あなたの決心を知ったところです。それは非常に崇高な (noble) もので、あなたにとって重要な生命科学とフランス語の分野を発見しようとする意思の表れです。心から真摯な激励を贈りたいと思います。少し前に私の "友人" バシュラール Bachelard についてお話しましたが、科学哲学を学ぶことは素晴らしい旅になるでしょう。私はあなたが単なる目撃者 (le témoin) としてだけではなく、その当事者 (l'acteur) として積極的に働きかけることを願っております。そうすることにより、常に霊感を与えるような活力 (すなわち目覚め) が得られるでしょう。あなたを取り巻き、そして呼び覚ますものによってあなたが外に開かれるようになり、人間としての勤めを追求しようと冷静に結論を出されたことに心からの喜びを感じています。しかもあなた自身のものである考え方、尊厳をもって生きるという考え方を失うことなく。」

  この中の 「単なる目撃者ではなく、当事者として」 というところは、私に迫るものがある。

しかしその後には、悲観的な見方に許しを請いながら、フランスの現状を分析している。例えば、フランスは崩壊しかかっている。1992年以来哲学や古典 (ラテン・ギリシャ) 研究へのグラントはなくなっている。フランスは大学の学生・研究者よりも初等教育に金を使っている唯一の国である。科学哲学の領域にも、大きな変化が起こっている。フランスの大学は昔に比べると相当に酷い状態である。フランスはもはや文化の国でも知の国でもなく、没落する過程にある。むしろドイツの大学の方が大学の名に値する内容を持っている。そして、誤った現状認識のもとに今回の決断をしたのではないか、もしそうだとしたら "理想の国" フランスでの生活に落胆するのではないかという危惧が綴られている。さらに必ずしも学生になる必要はなく、むしろ大学というフィルターのない遊歩者として、旅行者として直接フランスを経験する方が多くのものを学び、より大きな喜びを得るのではないかと助言までしてくれている。

最後のところは私も同感であるが、如何せん遊歩者としての滞在期間に限りがある。ある程度の滞在を望む場合には、このようにせざるを得なかった。このメールで彼は本名を名乗り、フランスを善き方向に導くためにある政党の候補として国政を目指していると告白している (ネットで調べてみると、今回はその望みを満たすには至らなかったようだ)。見ず知らずの者に対して、これだけ真摯に声をかけてくれる人がいるということに感動している。生きることが確かに旅で、今その道行きにあるという実感が湧いている。

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アメリカの恩師のこと MON MENTOR AUX ETATS UNIS

2007-07-04 00:23:51 | Weblog

20年以上前のニューヨークのことになるが、イギリス人のEAB先生の研究室で5年もの間スタッフとして時間をともにさせていただいた。振り返ってみると、現在の私のベースができたのも彼の研究室で感じ取ったものによるところが大きい。それを一言で言うと、外のことは気にせず (邪心を捨て)、そのもののためにだけ黙々と打ち込む、ということになる。この原則は仕事だけに限らず、この人生を生きるうえでの指針にもなるものであった。それ以来、はっきりと意識していたわけではないが、「生きることが仕事」 という私の内なる理想ができあがることになった。その意味で、私にとって貴重な5年間であった。

先日、同じ研究室で研究され、今もなおアメリカで研究を続けられているY先生に連絡をしたところ、先生がアルツハイマー病で入院中であることがわかった。23年生れなので今年で84歳になる。先日のカンデルさんのお話によれば、70歳代の人の30%はこの病気になるというので驚くにはあたらないのかもしれない。しかし、人生が味い深くなるであろうこれからの時期に意思の疎通ができなくなるのは、やはり寂しい。

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