~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

日帰りで

2010年11月20日 22時17分12秒 | 雑感
朝8時少し前の新幹線で上京しました。


13時からの恩師の葬儀・告別式と、
18時からの友人(とそのお嬢さん)のお通夜に参列するため。

どちらも大学関係で、ほんとに不義理に不義理を重ねた挙げ句の今日という日になってしまいました。


恩師の遺影は、髪は白くなっていらしたものの、笑顔で煙草をくゆらすお姿は、記憶にある恩師そのもの。
現学長による弔辞には、在りし日の恩師のあたたかさを思いだして胸がつまり、
初期の教え子で今は同じ道を歩かれている方(男性)の弔辞には、私の知りえなかった研究者としての厳しさを垣間見た気がいたしました。

教え子には平等に接し、親身になってくださる先生でしたが、ましてご家族のことは大変案じておられたようで、喪主であるご長男によると、さまざまなことが書き残されていたそうです。

悲しみの中にも笑いを誘ったのは、(喪主の)挨拶についての「亡者の見解」が残されていたこと。
「まずは、『本日はご多忙中のところを~』という」をはじめとして、
「自分も親の葬儀のとき(の挨拶)は失敗もあったが、こういうことは回数を重ねればうまくなるものだ」(笑)などなど。

ご長男がそれをそのまま語られるさまが、なにか明治の文豪の書簡を朗読しているかのような味わいで、
最終講義に接したような懐かしさと同時に、ああやはり先生は逝かれてしまったのだ、という思いも押し寄せてきました。


同じクラスだった友人三人と20年ぶりくらいに話をしましたが、長く会ってなくても話題ってあるものなんだ、話って尽きないものなんだ~とちょっと驚き。


18時からは駅にして、2~3しか離れてないところでの友人のお通夜。
参列者がほんとに多く、驚くばかり。
でもそのなかで、知人数人に奇跡的に会えました。こちらも20年以上は会ってませんので、お互いよくわかったなあ、と思うのですが…、やはり故人のなにか意思によるものでしょう。

のこされたご家族にご挨拶するのは本当につらかったですが、一度しかお会いしたことのないご主人が、私の名前を(それも下の名前で)呼び掛けてくださり、やはりきてよかったのだ、……でもほんとにこんな形での再会って……
とただただ思うばかり。


今は帰りの新幹線です。

最新の画像もっと見る

8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
昨日も今日も読んでます ()
2010-11-20 22:33:38
こんにちは。
仕事の合間に昨日も今日もこのブログ読んでますが
音楽ネタも生活日記もネット動画も充実。大変にいいです。
いろんな楽器の人と共演しているんですね。
今日は葬儀の事で大変でしょうけど。また訪問します。
「ひ」でした。
返信する
A先生を偲んで (PIO)
2010-11-20 22:48:55
先生の告別式のご様子を知ることができて、大変にありがたく思います。
そうだった、洒脱な先生でいらした、といろいろな思い出が浮かんできました。
在学中は、こちらの無知さ加減を見透かすような先生の視線がとても苦手で、近代文学の授業から逃げまくっていた情けない学生が私だったのですが。。。

今日はある研究会と日程が重なっていたこと、上記のように先生とはさほど近しい関係ではなかったことから、失礼させていただきました。
返信する
接点 (華音)
2010-11-21 00:24:00
わたくしも、遠方ゆえ(とはいえ、新幹線の駅でいえば仮装さんよりは東京に近いのですが・・・)お葬儀式、不義理にも失礼してしまいましたが、同級生よりお式の様子早速にご報告頂き、先生の洒脱なお姿を懐かしく思い出しておりました。

また、M子先輩の訃報については、仮装さんのブログで拝見し、驚いたすぐ後に、同じ寮に入っていた高校の後輩からもお知らせいただきました。
私自身はM子先輩とは面識もなく、なのですぐにお顔も思い浮かばなかったのですが、後輩のメールに「美人で有名だった」とありましたので、もしかしてあの方かしら???と・・・
お嬢様の年齢もうちの愚娘と同じでしたので、胸が詰まります。。。。

『佳人薄命』『鬼才夭折』とはよくいったもの。
不器量凡才の身がのらりくらりと永らえているのは、せめて生きている間に身を粉にしてささやかながらも何か世のためになることをせよとの天命なのだろうな・・・と
返信する
「ひ」さまへ (仮装ぴあにすと)
2010-11-21 11:49:20
連日お読みいただいているとのこと、恐縮です。
もともとこのブログは軽い読み物が主で、ときどき真面目な音楽の話、・・で、めったに深刻な暗い話題はないのですが、ここ一週間はちょっといろいろありまして、ご覧のとおりになっております。
「ひ」さまお弁当の写真満載のブログ、ときどき拝見しております。またお邪魔いたしますね。
返信する
PIOさんへ (仮装ぴあにすと)
2010-11-21 12:10:57
昨日深夜帰宅いたしました。

私は、卒業して6年くらいのちに、また聴講生として先生には2年間お世話になりました(2年目の後半はお腹も大きくなっていたのですが・・・)。
先生には「奥様のカルチャースクールじゃないんだから、しっかり勉強するように!」と最初に釘をさされ、ゼミも「最初に当てるから、あとに続く学部生の模範になるような発表をしなさい」とハッパをかけられました。
2年間で論文を書くつもりでいたのですが、それも果たせず、昨日はご霊前で「お約束を果たせず・・・でも、いつか書きます」とお話してまいりました。


>こちらの無知さ加減を見透かすような先生の視線がとても苦手で、

はい、昨日友人たちと話していて思い出したのですが、先生のゼミは怖かった。
2度目に学んだときはそうでもなかったですが、学部生のときは、院生がずら~っと並んでいらして(おもにPIOさんの学年の方々です)、先生のコメントの前に、鋭いご指摘が飛び、震え上がったものでした。
先生ご自身も、私たちより上の学年のときは、もっともっと厳しかったと噂にきいておりますので、PIOさんの「・・・苦手」も、もっともなことでいらっしゃったのかもしれません。

ご自身のことを「研究者としては二流、教育者としては三流。どんなにほめても『ふつう』以上の人間ではない」と「亡者の見解」(?)で述べておられましたが、
私は、「先生あってのその後の自分」という思いがとても強いので、少なくとも私にとっては先生は「超一流の教育者であった」との思いでいっぱいです。
返信する
華音さんへ (仮装ぴあにすと)
2010-11-21 12:38:20
華音さんもいろいろと接点がおありでしたね。

A先生はもしかして担任でしたか?
昨日の弔辞で古い教え子さん(担任だったそうです)は、「卒業してから専門の畑に進んでからはもう先生が怖くて怖くて、・・・・」とおっしゃっていました。論文を送っても送ってもお返事をいただけなかったそうです。
・・・・たしかにそういう怖さはありました。私自身は学問ではそこまでの学生ではなかったのでそういう怖い思いはありませんでしたが、世間常識の点などで、穏やかにしかしビシッと叱られたことは何回もあります。

M子さんのことですが・・・(私は姓のほうでKとよんでいました)

Kは目鼻立ちのくっきりした、美人でした。
高校時代はセーラー服の美少女でひときわ目立っていたそうです。
お子さん方もそれぞれ、国立附属の学校に進まれ、昨日はそこの小中高の制服で斎場は埋め尽くされておりました。
報道によると、お嬢さんを助けるために火の中に戻ったそうです・・・・
言葉がありません。


(こういうのは、残ったものの勝手な感慨だということは承知の上でのことなのですが、)
昨日伺い、この上なく美しく施された祭壇とそのなかに掲げられた一対の見目麗しい母娘の笑顔に、「がんばって生きてよ!」と背中を押される気持ちがいたしました。
返信する
Unknown (華音)
2010-11-21 21:39:15
私たちの学年担任は、今もお美しいH先生。
ゼミに関しては、私は専攻は同じでしたが、私たちの卒業年次に入っていらした新任の先生にお世話になりました。
私はPIOさん、仮装さんお二方の先輩以上に、学究面では勿論、何の期待もされていない学生でしたので、厳しくもありませんでしたし、叱られた記憶もありません。先生には大恩はありますが、多分、先生は数多い優秀な学生さん方の中で、私のことを覚えてはいらっしゃらないと思います。

私にK先輩の悲報を伝えてくれた後輩は、B棟にいたので(私は新入の時には部屋の空きがなく来訪者宿泊室が仮の部屋で、その後C棟→A棟と移動したため、B棟の方とはまったく面識がありませんでした)多分K先輩のことをよく知っていたのだと思います。
彼女は東京在住ですので、もしかしたら、悲報を知らせてくれたと言うお部屋のお友達と一緒にお通夜かお葬式に参列したかもしれません。
みんなの心に大きなものを残す方が、早くに逝ってしまわれるのは本当に辛いものですね

けれども、祖母を亡くした時に実感し、義母を亡くして改めて痛感したのですが、亡くなった方は、いつでも会える、と思っていた生きていらっしゃる間よりも、常に身近に感じるようになりました。
仮装さんが感じられたような”背中を押される”気持ちのような、見守られているような・・・


返信する
ああそうでした (仮装ぴあにすと)
2010-11-21 23:26:42
華音さんの学年はH先生でしたね。
昨日お見かけいたしました。お姿というより(もちろんお変わりはないのですが)、お声がまったく昔のままで、遠くからもすぐ気がつきました。お声はかけそびれましたが・・・・。


寮関係、かなり連絡回ったようですね。
下の学年の方がたもけっこう来ておられました。
Kは面倒見のいいヤツだったので、たぶん後輩たちが来てくれたことを大変喜んでいると思います。
返信する

コメントを投稿