てすさび日誌

哀しき宮仕えを早期リタイアし、“サンデー毎日”のomorinが生活の一コマや雑感を認めた日誌です(2005/4/20~)

空っ風

2010-11-19 13:08:00 | ビジネスと社会
 「息子のクリスマスプレゼントにせがまれ、さっきハ○ータウンに寄っても売り切れでした。ネットではプレ値が付いて定価の4倍です」と、某さんが困り果てた様子でこぼす。

 いま「仮面ライダーオーズ変身ベルト」が子どもの間で大人気で、バカ売れし過ぎて、何処にも売っていないという。

 たかがおもちゃでそんなに手に入れ難いもの?そういえばかつて「たまごっちブーム」で、孫のために大騒ぎしたことがあったっけ。
 某さんの息子さんの夢を何とか叶えてあげたいという思いから、「あてにせず待って」と前置きして心当たりを次々にあたってみた。

 40年来懇意にしている近所の玩具屋を手始めに、玩具の問屋まで数店に電話で問い合わせたが、噂に違わずいずれの店にも在庫はなく、入荷も未定とつれない返事。

 クリスマスまでには生産が追いつくのではと希望を託す一方、或いはプレミヤ値段を目論んで転売屋が買い占め、なかなか市場に出回ることはないのかもと、つい懐疑的になる。
 意図的に需給バランスを崩し、価格操作をして儲けようという醜い商魂は許されない。ましてや無垢な子どもの夢を踏みにじるようなことがあってはならない。
 今年も余日を数える候となり、空っ風がしみる時節であるが、同時に何とも世知辛い世の中になったものだ。
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初収穫みかん

2010-11-17 19:40:00 | 農事


 我が果樹園の1本の温州みかんを収穫した。柿については散々だったが、みかんは小さい木なりに30個ほど実をつけた。

 早速に味見をしたところ、若木にも拘らずすっぱ味が少なく、甘くてとても瑞々しかった。そこでブログネタに値すると思い立ったのだが、ただ普通に写真を撮ったのでは面白くも何ともないので、いつぞやエンピロさんが収穫した実で“梅文字”と洒落ておられたのをヒントに“ミカン文字”をマネた次第。敢えてカタカナに置き換えたのは収穫数が僅か足りなかったからに他ならない。

 このみかんの木は、我が庭の植木鉢で育てていたものを、みかんが大好きの孫のために、倅が新築時に庭の隅に植え替えていた。ところが霊能力の働く方から「庭に果樹を植えるのは良くない」との指摘を受け、先年我が果樹園に舞い戻って来たという曰く付きのもの。

 毎シーズン取寄せる亀ちゃんみかんに比べて姿形こそ劣るが、味では決して引けを取らない。この後は礼肥えをしっかり木に施してやらねばと思っている。
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経木流し供養

2010-11-16 13:22:00 | ノンジャンル
 菩提寺脇田山安養寺では毎年秋の恒例行事として経木流し供養がある。行き先は、岡山を中心に時計回りに南西北東と変えて営まれている。
 私が寺総代を仰せつかった平成18年には高知・琴ケ浜、以後同19年広島・生口島、同20年島根・弓ケ浜、同21年兵庫・應聖寺、そして今年は香川・小豆島と会場を移している。

 “晴れの国”どおり雲ひとつない秋晴れの16日、賢信住職夫妻と賢明副住職を先達に、檀家55人はバス2台に分乗して小豆島へと向かった。
 一行は真っ先に小豆島南海岸にあるヘルシービーチを目指した。はるか対岸には香川・高松の屋島やそれに続く五険山の稜線がまるで弘法大師の寝姿のように広がる。

 砂浜には総代の手によってコンパクト祭壇がしつらえられ、ねんごろなる塔婆供養を行なった。本来ならば塔婆(経木)に戒名を記して川や海に流すところだが、環境美化(保護)のため、砂場に穴を掘って塔婆を燃やし、その炎に願いを委ねた。


新岡山港にて

フェリーの窓から眺める小豆島

ヘルシービーチにて塔婆供養

対岸には左から五険山の稜線と屋島(長い顔の弘法大師の寝姿)


 メーンイベントを済ませた後は、小豆島観光のハイライトともいえる寒霞渓での紅葉狩り。寒霞渓の麓にある紅雲亭と山頂間(917m)を結ぶ寒霞渓ロープウェイは繁忙期とあって1時間待ち。それでも待った甲斐があり、「表十二景裏八景」からなる切り立った深い谷間をすり抜けるように通る5分間の空中紅葉狩りはスリル満点の絶景であった。



寒霞渓山頂から瀬戸内海を望む





ロープウェイ乗り場からの眺望

ロープウェイからの空中紅葉狩り

ロープウェイからの空中紅葉狩り


 小豆島とくれば通り過ごせないのがオリーブ公園。エーゲ海を思わせる瀬戸内海の青とオリーブの緑のコントラストがひときわ美しい。「平和の象徴」ともされるオリーブは地中海地方が原産とされ、小豆島に初めてオリーブがやってきたのは明治41年で、その原木も拝見した。


エーゲ海を思わせる瀬戸内海とオリーブ園

1908年(明治41年)小豆島に初めて導入された原木

一見美味しそうな完熟オリーブの実(実はとても渋い)




 今回の旅の土産は2つある。一つは、車中でメンバーの一人A木さんが認めた水彩画を絵葉書にして全員に2枚ずつ(それぞれ違う絵)頂いた。彼女が長年にわたり描き溜めたものである。
 もう一つは、小豆島は近世まで備前国(津山藩)に属していたということで、歴史に疎い小生は恥ずかしながら初めて知った。


A木さんが描いた「野ばら」

A木さんが描いた「ほうずき」
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裏作の柿

2010-11-15 17:37:00 | 農事

裏庭の西条柿の老木



沢田の柿を求めて長蛇の列

 今年の我が家の柿は酷い裏作で、富有柿はたったの2個を家内と分け合って食べた。西条柿に至っては1つだけだったので鳥に譲った。

 あちらこちらで凶作の声を聞き、店頭に並ぶ西条柿は数が少ない上に、値段も富有柿以上の高値が付いている。

 県内有数の富有柿の産地として知られる岡山市中区沢田地区だが、恒例の「沢田柿まつり」が今年は11月21日に開かれる。果たして十分に柿は揃うのだろうかと要らぬ心配をしている。昨年の柿まつりの様子はこちら

 沢田のJA集荷場では特定の日に、規格外の『訳あり商品』が売り出され、隠れた人気を呼んでいると聞いたので過日の午後1時前、通りがかりにのぞいてみた。
 1時半からの売出しを前に、既に長蛇の列が出来ていたので、ひとまず後尾に並んだ。前の人は98番の整理札を持っている。更に後にも続々と詰め掛ける有様。5分ばかり待ったのだが、風邪っ気な当方は冷たい風にが体に障っても高いモノにつくと思い直し、せっかくの買い得の甘~い柿を目前にしながら断念して渋々列から離れた。

 我が家の柿は05年、07年、09年という具合に、成り年と不作が交互に巡ってくる。昨年などは大豊作で、とても我が家だけでは処理しきれず、方々で食べ助けをして頂いた。その時の干し柿はまだ沢山冷凍庫の中を占拠している。
 毎年満遍無く成らせるには“一枝一果”というが、来年からは早春に木の剪定に始まり、摘蕾、摘果などしっかりと手をかけてやらなければと思っている。
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公民館活動総決算

2010-11-14 21:08:00 | 舞台、ライブ




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 西大寺公民館には90講座に及ぶクラブが活動を続けている。その総決算ともいうべき平成22年度(第38回)西大寺公民館文化祭が13日~14日の2日間に亘り、岡山市東区向州の西大寺公民館・同市民会館を会場に開かれた。

 過ぎてみれば早いもので、ギタークラブの一員として3度目のステージに立った。初舞台では、強烈なスポットライトの逆光を受けて、客席がよく見えないことが幸いして上がることもなく、結構平常心で臨むことが出来た。とはいえ何が何やら分からぬまま無我夢中のうちに終わった。

 昨年のステージは、出だしで一人が「あっ、間違えた!」との一声を発し、お陰で当方すっかりリラックスし、要らぬ肩の力が抜け無難に弾き果せた。

 そして迎えた今回、舞台から客席に目を配るほどの余裕があった。ところが持ち時間9分の中で、自らの手で小走りに椅子を並べなければならず、これだけでも息があがり、演奏が始まっても我を取り戻すまでにしばしを要した。
 演奏曲目は、元気良く軽やかに「ふじの山」、とても難しいが美しいメロディー「雪の華」、悲しいまでに美しい旋律「四季の歌」の3曲があっという間に終わった。合奏だから取り巻きに助けられどうにか事なきを得た。
 来年5月には新堀ギター音楽院の発表会で、初めての独奏に臨まなければならないが、やはりまだまだ荷が重い。
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