てすさび日誌

哀しき宮仕えを早期リタイアし、“サンデー毎日”のomorinが生活の一コマや雑感を認めた日誌です(2005/4/20~)

夢のやまなみハイウェー

2019-03-07 10:22:00 | 暮らしと生活
東京オリンピックの翌年1965年、高校の修学旅行先は4泊5日の九州でした。肝心の旅行中のことは殆ど記憶にありませんが、車中ガイドさんから教わった「夢のやまなみハイウェー」の歌だけはすぐに覚え、今でも知らず知らずに口ずさむことがあります。これまた懐かしい梶光夫さんの歌でお聴きください。(お断り:facebookに同文掲載)


いずれ劣らぬキレイなガイドさんばかりでした

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3 コメント

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Unknown (美っ湖)
2019-03-09 14:47:13
こんにちは。すっかりご無沙汰しております☺
私も九州方面でしたがバスガイドさんに教わったのは…🎶岬の風に咲いて散る~の南国情話でした。今でも覚えています。
梶光夫さんの「夢のやまなみハイウェイ」は教わらなかったですが良い歌ですね☺
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Unknown (omotann)
2019-03-09 15:27:30
>美っ湖さん
こんにちは。こちらこそ、大変な無沙汰をお詫びいたします。
本文より長くなって恐縮ですが、この修学旅行では忸怩たる思い出があります。
故あって親友S尾と共謀してこの旅行ボイコットを担任に申し出ました。担任の原野先生から欠席の理由を尋ねられ、咄嗟に「経済的理由」と答えると、全てを見透かした先生から「お金のことならワシが用立ててあげる」の一言で慰留されました。S尾は初心を貫き独り留守番でした。
後年原野先生の温かく大らかな心に感銘を受け、学友数名で定年退職の先生を訪ねました。先年奥さんを亡くされ意気消沈している先生に激励の言葉を贈りました。その後、奥さんの写真を胸に四国巡礼の旅に出られました。ほどなくして奥さんの後を追うようにして先生も亡くなられました。
金八先生のような原野先生との一枚を追加でアップしておきます。
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Unknown (omotann)
2019-03-09 17:03:25
>エンピロさん
舟木一夫の「♪修学旅行」のフレーズ通り“二度と帰らぬ思い出”の一頁です。昔を懐かしがるようでは、歳をとった証左でしょうか。
この修学旅行の締めくくりは、まさに「青春の城下町」の舞台となった城山公園で集合写真を撮りました。
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