3月の異動シーズンは、悲喜こもごも至る。その去就が注目されていた知人が二人、今月末をもって辞するとの報が届いた。
一人は高校、大学が同窓のK内。地元企業の役員を務め、まだまだ将来を嘱望されていたが、昨年7月に一緒に飲んだ際、「春先に脳梗塞の手術をやり回復はしたものの、3月の区切り時にはリタイアも視野に入れている」と聞かされた。
やはり健康を優先しての今回の決断か。病死した親父の歳をやっと越したところなので、様々な思いが交錯し遅疑逡巡もあったようだ。昨日、得意先の一人であるM田から、「K内が後任者を連れて挨拶に来た。また近にお疲れさん会をやろう」とのことなので、一も二もなく快諾した。
いま一人は義妹の旦那。千葉に居を構え、秋田と岡山の工場を掛持ちで任されていた。39年の在職中には単身赴任を20年も経験するなど家庭を犠牲にして、文字通り会社のため粉骨砕身してきた企業戦士である。そのツケがまわり、やはり一昨年の秋に心筋梗塞を起こし施術で難を逃れ、以来再手術を受けながもどうにか激務をかわしてきた。この度任期満了に伴い、職を辞することになった。既の所で命拾いをした。
今日は義父のもとへ報告に帰ってくる。心尽しの「ちらし寿司」で労を労ってやりたい。かみさんは朝から義弟のために、腕に縒をかけて料理を作っている。
一人は高校、大学が同窓のK内。地元企業の役員を務め、まだまだ将来を嘱望されていたが、昨年7月に一緒に飲んだ際、「春先に脳梗塞の手術をやり回復はしたものの、3月の区切り時にはリタイアも視野に入れている」と聞かされた。
やはり健康を優先しての今回の決断か。病死した親父の歳をやっと越したところなので、様々な思いが交錯し遅疑逡巡もあったようだ。昨日、得意先の一人であるM田から、「K内が後任者を連れて挨拶に来た。また近にお疲れさん会をやろう」とのことなので、一も二もなく快諾した。
いま一人は義妹の旦那。千葉に居を構え、秋田と岡山の工場を掛持ちで任されていた。39年の在職中には単身赴任を20年も経験するなど家庭を犠牲にして、文字通り会社のため粉骨砕身してきた企業戦士である。そのツケがまわり、やはり一昨年の秋に心筋梗塞を起こし施術で難を逃れ、以来再手術を受けながもどうにか激務をかわしてきた。この度任期満了に伴い、職を辞することになった。既の所で命拾いをした。
今日は義父のもとへ報告に帰ってくる。心尽しの「ちらし寿司」で労を労ってやりたい。かみさんは朝から義弟のために、腕に縒をかけて料理を作っている。