世界一健康長寿のニライの風来坊

豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

実状は タクシン首相の更迭劇 タイ民主主義 健在!

2006年09月22日 | Weblog

タイのクーデター、タクシン首相が国連総会出席のためニューヨーク滞在中に起きた。ソンティ陸軍司令官率いる 国軍反タクシン派 による転覆を狙う軍部の仕掛けである。理由は「タクシン首相一族の株式売買の汚職」、「強権統治、金権体質」に対する反発である。反面、タクシン首相は地方・東北部農村に根強い支持があり貧困対策を前面に掲げて人気を得ている。その支持層は不変である。タイ政局の今後を見極めたい。詳細はマスコミ・新聞等で報じられているので割愛するが タイ国内は到って平穏で市民は通常の生活を営んでいる。在留現地邦人、曰く。「過剰なマスコミの報道に戸惑いを感じている。タイの<民主主義>は<健在>ですよ」と。・・・翻って過去の日本の類似事件を省みるのも歴史を逆転させない為に必須。 温故知新的 に紐解いてみたい。・・・

●「戒厳令」・・・――戦争や内乱の非常時に全国、一部地域において立法権、行政権、司法権の行使を軍部に委ねる非常法――起源はフランス革命中の1,791年である。フランス、ドイツは憲法中に制定されたが英国、米国は制度化された「成文法」として存在しない。日本は1,882年、「太政官布告」として制定された。「戒厳宣告」は天皇の権能(旧憲法=明治憲法=大日本帝国憲法14条)。戒厳が宣告されると、その地域における立法、司法、行政事務は戒厳司令官の権限に移され、住民の憲法上の自由・権利は制限されることが認められた。 「現行日本国憲法」では認められない。ただし、 「警察法」は内閣総理大臣に緊急事態の布告を発する権限を認めており、<解釈上の問題>となっている。

○「日比谷焼打事件」・・・ポーツマス条約(日露講和条約)反対の民衆暴動。内容が報道されて以降、世論は20億円の償金、沿海州の割地などを求める論調が強まった。条約締結日の1,905年9月5日、対露同志会、黒竜会を中心とする対外硬派9団体主催の東京日比谷公園の国民大会(座長―憲政本党 河野広中 )に参集した民衆は打ち続く 戦勝報道 による過大な講和条件への期待を裏切られ、しかも多大な犠牲を生んだことへの不満を爆発させた。自然発生的に 桂 太郎内閣 の御用新聞「国民新聞社」、「内閣官邸」、「警察署」、「交番・派出所」の7割を焼き打ちした。暴動は翌日まで続き、地方にも波及した。軍隊が出動し「戒厳令」が敷かれた。負傷者2,000人、死者17人、被検束者2,000人を数え、大部分は職人、職工、車夫など都市下層民であった。

○「クーデター」・・・急激な非合法的手段に訴えて政権を奪うこと。通常は支配層内部の「政権移動」をいう。革命と区別する。1,799年、ナポレオン一世が、1,851年にナポレオン三世が敢行した類。 (百科事典マイペディアより引用)

 


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