世界一健康長寿のニライの風来坊

豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

子供の観た史跡旧跡「悲運 真玉橋 」

2006年07月21日 | Weblog

真玉橋(まだんばし)は、なかなか立派な名橋だったそうです。那覇港の奥の漫湖(まんこ)の、ずーっと奥の方にあります。昔の真珠湊(まだまみなと)に架けられた有名な橋で、1,718年尚敬王(しょうけいおう)の時に石橋になったという記録があります。橋の長さは約40メートル、巾は約2メートル、その形が、たいへん美しく、下には3つのアーチ門があり、上には、かんたんな欄干(らんかん)が架けられただけですが何ものにも例えようのない位の芸術品だったそうです。でも去る第二次世界大戦・沖縄戦で破壊されてしまい、その面影は残っていません。戦後コンクリートの橋に変わり昔の名橋の姿は、なくなってしまいました。戦災前の真玉橋(まだんばし)は、めがね橋 のように丸みを帯びていたそうです。また、昔は、きれいだった川沿いも今ではセッケンの泡や空箱やらビニール袋などが、いっぱい浮いて、よごれてしまいました。こんなにも昔と今が変わるとは、驚くべき事なのです。でも、この様な建造物の保護に、あたってくださる教育委員会の方々や文化財の保護に努めていらっしゃる方々には、とても感謝しなければいけないと思います。 (6年 H)

「真玉橋由来記」(まだんばしゆらいき)とか「ナナイルムーティー」の話などは、子供の頃、よく聞かされたものです。だから、誰でも知っていたのです。テレビがなかった頃だから夕食を済ませてから祖父から、その話を聴くのが何よりの楽しみの一つだったのです。その頃が今でも懐かしく思い出されます。 (父 H)

<学習の手引き>・・・「ナナイルムーティー」の話を資料から調べてみましょう。「人柱」の事も調べてみると、案外、当時の人々が、どんな願いを持っていたかが分ると思います。

 


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