世界一健康長寿のニライの風来坊

豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

上手な死に方・逝き方 を考える!(上)

2011年02月02日 | Weblog
生きとし生ける物(あらゆる生物)、人も例外ではない。誰でも死ぬ。生と死は表裏一体である。その自覚から、上手な生き方、上手な死に方も生まれると思う。先達から学んだ知見を基に愚見を述べたい。・・・
古来、哲学者は、生とは何か、死とは何か、全知全能を絞って思索し続けて来た。<死後の世界は有るのか無いのか>、<来世を信じるか、信じないか>、と延々と模索し続けて来た。何れにせよ心が休まるのであれば、「来世は有る」と信じた方が、有限のこの世を<上手く生きる>事に繋がるのではないのか、と考えた。自分の死は体験できないし、自覚も出来ない。死んで見ないと分からない?(妙な論理で整合性がないが・・・)と巷では、よく口にする。そういう意味からも生前に<死の意味?>を考えておくのも強ち、無意味ではないだろう。<上手い生き方>に繋がるからである。・・・
・「おひとりさま」(孤独な老人・身よりのない老人)問題
・無縁社会
・葬式の在り方(実情)・エンバーミング
等々を考えてみたい。・「おひとりさま」は、現実の切実な社会問題である。物が巷に溢れ社会保障も先進国では日本はトップクラスである。でも、飢え(餓え)で死者がでる。介護士の努力も空しく逝く人が続出する。家族から見放された?孤独老人も数多いる。<天涯孤独>(良き意味の文言で精神的孤独を意味した)という文言には、ある種の救いが感じられたが時代背景(金銭的、物質的側面)が違う。現今の<孤独老人>は“無縁社会”が生み出した必然の産物であり成り行きである。社会保障云々は金銭や物質的面では片付けられない側面を持つ。為政者は、キメ細かい配慮と対策を講じる必要がある。共同体、コミニュッティーの喪失は爾来、言われてきたが、今日まで空回りの感がする。しかし、ある地方の山間部の小さな集落では、行政に頼らない小さな実践、心の通い合う「共同体」の創出に成功した事例を生み出している。日本各地で、そういう取り組みの総和が、人間信頼の輪・環・和を広げ再建に向かって立ちあがる。私は日本人のそういうDNAを信じたい、信頼する。


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