世界一健康長寿のニライの風来坊

豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

世界的食糧不足の現状と減反政策との関わり!

2008年06月26日 | Weblog

石油高騰に端を発し諸物価が軒並み値上がりした。そういう現状に追い

打ちを掛ける様に食糧も世界的に高騰した。トウモロコシはバイオ燃料として

使用され小麦も絶対量が不足した。食と飼料の両面で痛手を被った。アフリカ

では飢餓が蔓延し子供を始め多数の餓死者が続出した。穀物輸出国は自国

の需要を優先し輸出を制限した。そういう諸々の煽りで世界的に食糧が逼迫し

た。わが国を省みるに食糧自給率は先進国の中では最下位である。39パー

セントの低迷ぶりである。自給率がかつては70パーセント強だったのが年月

が経つにつれ4割を割った。・・・米国にせよオーストラリアにせよ輸出国は天

災に会い農業に多大な被害を被った。ハリケーン、竜巻、大洪水、大旱魃が人

に穀物に甚大な被害を与えた。輸出が減少するのは当然である。絶対量の不

足している国々は飢えに喘ぎ、食料の確保に血眼をあげている。わが国はどう

か。生活の末端では石油高騰及び諸物価の値上がりで悲鳴をあげている。食

糧の自給率向上は国家の至上命令になった。そういう現状に鑑み“減反政策”

との関わりはどうなっているのか、矛盾してはいないのか。・・・政府は分かりや

すく説明してほしいと思う。因みに「減反政策」の大まかな意義と経過を辿って

みよう。・・・

『<米の強制的一律減反>は1970年頃から始まっている。特に減反が強化

されたのは1997年~1998年の2年間で田圃総面積<267万9000ヘクタ

ール>の36パーセントに当たる<96万3000ヘクタール>が減反総面積で

ある。

―ミニマムアクセス米による過剰在庫感から減反目標面積が割り出された―

減反農家には米の値下がり分の8割を<米政策>によって補填した。・・・

減反政策の意義は・・・

1. 稲作経営安定対策・・・

2. 米需給安定対策 を<基軸>に 具体策をたてた・・・

○減反拡大で対応

○減反農家に減収補償金

※「減収8割補填財源」は・・・

1.農家が米の基準価格の2パーセント(60キロあたり383円)、政府は6パ

ーセント(60キロあたり1150円)拠出・・・それを<基金>に補填

2.加算金5000円(10アール当たり)と50000円(転作補助金)も補償つま

り農家の受取額の2分の1を政府が助成

ー 注ぎ込んだ金額は下記の通りー

※5000億円の税金の投入(2年間で)・・・「稲作放棄」の施策に対して・・・

●各地域農家と単位農協の声(本音)・・・「稲作放棄」の施策対して「農家の食

糧供給の観点から<作れる田ぼ>を無理やり潰させ食料の安全保障と自給

の大切さを国内外に向けて主張する政府の姿勢からも矛盾しているし、人道的

立場からも逸脱した無責任な政策だ」と。

・・・そういう声に対して政府は封じ込めを図った。政府の声(主張)・・・

■「逆らうと他の地方行政をめぐる補助金配分にも影響を与える」、「全国とも

補償なのだから、一個人や一単位農協の否定的な見解や協調性のない動きな

どが、全国の農家の足を引っぱることになる」と。・・・

□本来なら「自主選択の減反」がうたわれているのだが・・・補助金で従わせて

いるのが、これまでの実態。・・・さて、その後は・・・

▲「市場原理」が導入されると1999年4月から<米輸入の関税化>が政府決

定。市場メカニズムで「減反政策」そのものが、つじつまが合わなくなり矛盾が

露呈した。毎年10月末(米穀年度末期)に 米の持ち越し在庫を減らし<150

万トン~200万トン>(2000年)にする計画も頓挫した。何故なら<ミニマム

アクセス>が足かせになったから・・・。

それは「減反政策」の限界を露呈した。1970年以来、農業政策に君臨した

「減反政策」も30年を経過して時代に波に取り残されマッチしなくなり疲弊し

た。・・・

△「減反政策」は・・・

○そのまま時代の波に翻弄され「自然消滅の道」を辿るのか

○地方自治体の組織の利害で強制的な要素を残したまま「残存する道」を歩

むのか

○本来の在るべき農家による「自主選択の減反」の道を辿るのか、はたまた、

◎麦の「転作誘導」に道を拓くのか(新たな補助金誘導で)、日本農業の前途

は茨の道で今後も紆余曲折の道を歩んでいく道程(みちのり)は長い。・・・

●付記:「ミニマムアクセス」・・・最底輸入枠。1980年代までコメなど食料は

国家安全にかかわるとみなされ、各国で輸入制限措置がとられていた。その

後、各国政府間の通商交渉では、自由貿易促進の立場から輸入制限を撤廃

し、関税による調整に切り替えるべきとの声が高まった。関税化への移行措置

として、あらかじめ最低輸入枠を設定し、徐々に輸入量を増やす方式が採用さ

れた。93年末のガット・ウルグアイ・ランドの農業分野の決着を受けて、長くコ

メの輸入を制限してきた日本でも95年からミニマム・アクセスに基づき、コメの

輸入が始まった。95年の約38万トンから2000年には約77万トンと輸入枠

が拡大するとともに、中国などからの輸入米が増加し、日本国内のコメ価格の

低下につながっている。ミニマム・アクセスの交渉が、ガットから世界貿易機関

(WTO)に引き継がれている。・・・

○この付記:は(経済・ビジネス用語辞典)から引用した。


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