世界一健康長寿のニライの風来坊

豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

公僕による不祥事に義憤!当事者 目醒めよ!

2006年06月18日 | Weblog

飽きずに次から次へと不祥事の続出!日本よ!お前は・・・。どうした?!あの武士道の矜持は何処へ。古風めいた精神の復活か?はたまた 腹切り の郷愁か?!否!否!である事は論を待たない。受け止め方は各自、夫々だが、美風精神の復活・復古と反芻は時代を超越する。真の武士道(精神)の真髄には「葉隠」に根拠・論拠を待つまでのなく日本人のアイデンティティ、DNAが色濃く反映している。だからこそ、不正や不祥事、悪の根源には日本人の基層をなす 正義の刃 で一刀両断にしたい衝動に駈られる。しかも日本を代表する公僕たる選良が厚顔を曝け出して平気で遣り済ます。道徳も人倫も正義も地に落ちたものだ。例の防衛施設庁に至っては25ヵ年も前から代々受け継がれ天下りの温床を確保し、しかも 談合 を踏襲してきた、という。もう、何をか言わんや、である。前代未聞の大量処分で恰好を付けたが国民は納得しまい。内部告発する勇気も封じ込められるし(関係者の証言では)氷山の一角だとも指摘する。悪の温床は、この際、一掃したい。すべきである。為政者は与野党を問わず国民の切なる期待に応えてもらいたい。半ば永遠に輪廻・継続する人間の「習性・業」と諦めずに対策を執るべきである。あくまでも人間、本来の善性を信じ良心に訴えて不正・不祥事・悪事を払拭する気概を持つ人間に復帰してもらいたい。その精神の復活を期待する。時代を超越した日本古来の「武士道」(精神)を現代に生かし、世界に冠たる "誇りと矜持を堅持した日本人" の復権を取り戻して羽ばたいていきたい。そういう日本人を自他(特に当事者)共に期待する・・・

付記:◇「武士道」・・・わが国の武士階級に発達した道徳。 鎌倉時代から発達し、江戸時代に儒教思想に裏づけられて大成、封建支配体制の観念的支柱をなした。忠誠・犠牲・信義・廉恥・礼儀・潔白・質素・倹約・尚武・名誉・情愛などを重んじる。葉隠「―と云ふは死ぬ事と見付たり」 (広辞苑より)   

        ◇「武士道」・・・広く武士の心組み、生き方を意味する場合と、狭く心組み、生き方の一つの立場を意味して、士道に対する武士道として用いることもある。江戸時代の武士階級に特有の倫理体系。武士社会の成立とともに<もののふの道><兵の習>といった道徳律が発生、中世を通じて徐々に変容した。江戸時代に入って、儒学が身分制度を理論化するとともに、武士は支配階級にふさわしい精神・行動が要求されるようになり、戦乱を欠いた固定的社会のなかで独自の観念論として武士道が確立された。君主への一方的忠誠、絶対的服従を基本理念とし、尚武、廉恥、剛健などを内容とする思想体系になった。葉隠は狭義の武士道の極致。 (百科事典マイペディアより)   

        ◇「武士道」・・・武士の守るべき道、武士の道徳。平安時代以降荘園を母体に発生した武士集団の中で育った実践道徳。鎌倉時代に「弓矢とる身の習い」といわれ、主君に対する献身と部下への慈愛を骨子に、武勇・廉恥・質素・などの徳目を生んだ。江戸時代に朱子学の大義名分と武士道として理論づけられ、君臣父子の道・仁義の精神として規範化された。のち武士特有の道をこえて農耕商の師表たる人間一般の道となり、実践的性格が失われ形式化した。武士道を説いた文献として『葉隠』、山鹿素行の『士道』『武教小学』などが有名。 (日本史事典より)


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