無性に蕎麦を喰いたくなるときがある。
それも温かい蕎麦汁をたっぷりと飲み干したくなる時も。
別な用件があったから一度は店の前を通りすぎたのだが、その沸き上がる欲求と、暖簾の奥の未練が信号を渡ったときにワタシを引き戻した。
たどり着く何歩かの間に、頭の中は、もちろんつゆだくなのだが、その主役を天ぷらにするか、それともいっそ汁をカレーにするかしばし迷った。
天ぷらならいつでも喰える。
だいたいが、大好きではあるけど昭和のワタシには少しブルジョワ感があって、どうも「天麩羅蕎麦を」なんて口に出すのが小恥ずかしい。
カレー南蛮はやはり今の季節ものだろう。
いや暑い夏に熱いカレーが効くという御仁もいらっしゃるに違いないし、それはそれでたいへん魅力的なのだが、ワタシにはやはり冬のものだ。
というのも、ワタシは相当な汗っかきであるからその姿をあまり人様に見せたくないからである。
しかし冬のものだとはいいながら、食べる条件があって、それは自身の体調によるものである。
アレルギー性の鼻炎が年中おかまいなしに何かの拍子に出てくるので、その間隙をぬってお鼻の通りがいいときでないと、恥ずかしくて喰っていられない。
そして昨秋から続いた鼻炎が、皮膚科の点鼻薬のおかげでおさまっている今こそ、あこがれのカレー南蛮の日なんだと意を決して暖簾をくぐった。
店はいつもの映画館通り「一幸庵」である。
あとで店に戻り昼まかないもあるので、珍しく魅力的な「定食」仕立てではなく、力強く「カレー南蛮」(単品!!)と注文する。
かなりしばらくたって来たのは、トロトロとろみのカレー汁たっぷりのものであった。
具はタマネギと鶏肉。
カレー南蛮の王道であるが、ワタシの調査によると(真面目な調査で商品開発のレポートまで書いたのでござるよ)東京の蕎麦屋ではこの「タマネギと鶏肉」派と、「ネギと豚肉」派が競っているわけです。
カレー南蛮の「南蛮」は大阪の「難波」の事で、一昔のこの地域はネギの産地であったそうだから、本来はタマネギでなくネギなのかもしれないが。
いらぬ講釈はこれくらいにして、この「一幸庵」のカレー南蛮はすっきりとしたスープ、強めのとろみ、蕎麦汁が強くそうカレーの香りは高くはないが、後味すっきりの調和のとれたものであった。
肝心の蕎麦はカレー汁に主役を奪われそうに底に沈んでいる。
早く引き出してやらないと、「もう僕はだめだめ」とむずがって伸びてしまいそうだから、カレー汁に感心してすすってばかりいないで、時には蕎麦もすくってあげないといけない。
そうこうするちに丼の底まで見えるように汁をすすって満足にたいらげる。
はなたれ小僧はティッシュ一枚使わずにカレー南蛮をご馳走になり、満足。
一つだけ難を言えば、終わりかけに入ってきた三人組の若い女性お二人。
予期していたようなおしゃべりが始まったが、相手の言葉が終わらないうちに、かぶさるように話し始め、それが連唱する女性特有の会話で、そりゃあ本人たちも楽しいだろうし、これが他のジャンルのお店なら全く気にならないのだが、やはりワタシ的には蕎麦屋ではこの手は慎んでいただきたいのであった。
最もまことに勝手な言い分であるので、世の淑女たちは、なにいってんのこの中年親爺とお怒りにならないでほしいのであるが。
カレーのスパイスは薬である。
しかし体調が整っていないとこの刺激的なお薬も時には毒に化すので、全くカレー南蛮って奴は体調のいいときの食べ物だと改めて思いながら、ニコニコと店を後にした。
それも温かい蕎麦汁をたっぷりと飲み干したくなる時も。
別な用件があったから一度は店の前を通りすぎたのだが、その沸き上がる欲求と、暖簾の奥の未練が信号を渡ったときにワタシを引き戻した。
たどり着く何歩かの間に、頭の中は、もちろんつゆだくなのだが、その主役を天ぷらにするか、それともいっそ汁をカレーにするかしばし迷った。
天ぷらならいつでも喰える。
だいたいが、大好きではあるけど昭和のワタシには少しブルジョワ感があって、どうも「天麩羅蕎麦を」なんて口に出すのが小恥ずかしい。
カレー南蛮はやはり今の季節ものだろう。
いや暑い夏に熱いカレーが効くという御仁もいらっしゃるに違いないし、それはそれでたいへん魅力的なのだが、ワタシにはやはり冬のものだ。
というのも、ワタシは相当な汗っかきであるからその姿をあまり人様に見せたくないからである。
しかし冬のものだとはいいながら、食べる条件があって、それは自身の体調によるものである。
アレルギー性の鼻炎が年中おかまいなしに何かの拍子に出てくるので、その間隙をぬってお鼻の通りがいいときでないと、恥ずかしくて喰っていられない。
そして昨秋から続いた鼻炎が、皮膚科の点鼻薬のおかげでおさまっている今こそ、あこがれのカレー南蛮の日なんだと意を決して暖簾をくぐった。
店はいつもの映画館通り「一幸庵」である。
あとで店に戻り昼まかないもあるので、珍しく魅力的な「定食」仕立てではなく、力強く「カレー南蛮」(単品!!)と注文する。
かなりしばらくたって来たのは、トロトロとろみのカレー汁たっぷりのものであった。
具はタマネギと鶏肉。
カレー南蛮の王道であるが、ワタシの調査によると(真面目な調査で商品開発のレポートまで書いたのでござるよ)東京の蕎麦屋ではこの「タマネギと鶏肉」派と、「ネギと豚肉」派が競っているわけです。
カレー南蛮の「南蛮」は大阪の「難波」の事で、一昔のこの地域はネギの産地であったそうだから、本来はタマネギでなくネギなのかもしれないが。
いらぬ講釈はこれくらいにして、この「一幸庵」のカレー南蛮はすっきりとしたスープ、強めのとろみ、蕎麦汁が強くそうカレーの香りは高くはないが、後味すっきりの調和のとれたものであった。
肝心の蕎麦はカレー汁に主役を奪われそうに底に沈んでいる。
早く引き出してやらないと、「もう僕はだめだめ」とむずがって伸びてしまいそうだから、カレー汁に感心してすすってばかりいないで、時には蕎麦もすくってあげないといけない。
そうこうするちに丼の底まで見えるように汁をすすって満足にたいらげる。
はなたれ小僧はティッシュ一枚使わずにカレー南蛮をご馳走になり、満足。
一つだけ難を言えば、終わりかけに入ってきた三人組の若い女性お二人。
予期していたようなおしゃべりが始まったが、相手の言葉が終わらないうちに、かぶさるように話し始め、それが連唱する女性特有の会話で、そりゃあ本人たちも楽しいだろうし、これが他のジャンルのお店なら全く気にならないのだが、やはりワタシ的には蕎麦屋ではこの手は慎んでいただきたいのであった。
最もまことに勝手な言い分であるので、世の淑女たちは、なにいってんのこの中年親爺とお怒りにならないでほしいのであるが。
カレーのスパイスは薬である。
しかし体調が整っていないとこの刺激的なお薬も時には毒に化すので、全くカレー南蛮って奴は体調のいいときの食べ物だと改めて思いながら、ニコニコと店を後にした。