ホルモン屋徒然草~珍しホルブロだ

新米ホルモン屋の親爺の日々。ホルモンのこと、店の出来事、周辺の自然や話題。

時を忘れ、ボク達は高校生に戻った

2013-01-30 12:54:29 | 第1紀 生きる
またかと思われるだろうが、
楽しかった。
いや~、素晴らしく楽しい時間だった。
もう、やんたぐらい(方言!)楽しくて、もう、ホントに。。。。



毎年のことだが、12月はお互いの日程が合わず、2ヶ月ぶりの「29日会」。

花巻一日市「小ぎく」主役は今日は「鮟鱇鍋」である。
こりゃ、うれしい。
お供の主役は「ひれ酒」「どぶ6」「バランタイン30年」。
久し振りに定例メンバーも全員揃った。

酒がススムとともにカウンターの、「そろそろ還暦の準備をしなきゃね」なんて言っていた五十代後半瀬戸際のおじさん達は、例のごとく18歳の高校三年生に戻っていく。

珍しく双葉町でここしか混まないというスナックに寄り道し、カウンターで焼酎のボトルを開け、
例のごとくK家御用達の同い年熟女バーへ向う(まぁ彼女も呑みながらまもなく十代後半に戻ってしまうのだが)。



もう、唄う唄う。
カラオケの画面を見れば、「お~、1967年、おいら12歳だ」などと。
「喝采」を唄えば、亡き同級生のぼろアパートで打った麻雀のことを想いだし、
拓郎を唄えば高校生一大イベント体育祭の後夜祭を想いだし少し頬が赤くなる。

もうこのまま朝までと思ったが、お互い自営業、25時半で高校生は卒業した。

来月は28日までしかないのに、いったい何時やるんだと。

あぁそういえば、M中学校は来年の7月20日に還暦の同級会が決定したようだ。
そんな話題が続き、大中年と高校3年生を行ったり来たりの酒宴であった。

読了 家族のもとへ、あなたを帰す

2013-01-28 12:04:58 | 第1紀 をかしら屋
日曜日。
花巻の自宅は雪に埋もれ、
ワタシは青いソファーに埋もれる。

リュートの奏でるバッハや、久しぶりのヨーヨーマのルベルタンゴや、山本剛と若いサックス奏者の熱い演奏や、マイルスとゲッツの珍しいトリオ盤などをピックアップして開いたのは前日の夜、友人からあずかった一冊の本。

「家族のもとへ、あなたを帰す」
~東日本大震災犠牲者約1万9000名、歯科医師たちの身元究明~

発行元のWABE出版による紹介文

東日本大震災が1年経った時点で約1万6000人にのぼる犠牲者が身元を確認されている。膨大な数の犠牲者が名前を取り戻し、家族のもとへ帰ることができたという事実の裏側には、さまざまな立場の歯科医師たちによる献身的な身元確認作業があった。
遺体安置所での苦闘、津波によるカルテ流出の混乱、いまなお続けられている照合作業、そして身元究明システムの問題点……歯科医師たちの生々しい証言によって明かされる「3・11 身元究明」を記録したノンフィクション。

著者は、 柳原三佳(やなぎはら・みか)。



章だては次の通り。

プロローグ
第1章 遺体の「歯」が語るもの
    歯科法医学者・斉藤久子の証言
第2章 凍りついた口を開いて
    岩手県警察歯科委員・菊月圭吾、熊谷哲也の証言
第3章 泥まみれのカルテ
    釜石市 ささき歯科医院 院長・佐々木憲一郎の証言
第4章 名前を取り戻した遺体
    岩手県警察歯科委員・狩野敦史の証言
第5章 ”原発下”という戦場で
    福島県歯科医師会・工藤祐光、
    千葉県警察歯科医師会・大森基夫の証言
第6章 遠く離れた場所で闘うものたち
第7章 「使命」と「責任」の原点
エピローグ
取材を終えて

第4章の歯科医がワタシの友人であり、この本をねだったワタシに持ってきてくれた本人。
震災後はこの本にあるように、平日は毎日盛岡でカルテの照合をし、休日は被災地の安置所に向かい不明者を調べるという苦労をされた。
大切な仕事(といってもこの本によれば全てボランティアである)ではるが、彼はもともと体調もいい方でないので、ワタシタチ友人は心配したのであるが、落ち着くまで半年間以上も使命感に基づいた仕事は続いた。


さて、一日で読み終えようと眼鏡と壊れた蛍光管の取り替えと何枚かのCDを準備したのであるが、最初の一時間は40頁しか進まなく、さらにティッシュと目薬を必要とした。
津波の襲った沿岸地区ではないが、やはりあの大きな震災の記憶が心に傷跡をつけているのか、頁をめくり行を追うごとに想いが込み上げてきて、文字はかすみ、時として慟哭が襲う。

この本にある歯科医師たちの活躍、というより誠意のある使命感に燃えた行動や、被災者の親族達の辛い想いなどは先程の紹介文にゆだねる。
読後感想は、まだいまは書けない。
ただ、歯科医師達への感謝だけは忘れまい。


そんな感じで、なかなか進まないながら夕方に読了。

今回は震災に関わる身近な想いが頁をくくる手を遅くさせた。
まぁしかし、考えてみれば若いころの速読癖というか、ある意味での特権はもうない。
高校生のころは、授業中に一冊、放課後の図書館か本屋の立ち読みで一冊(足も丈夫だった)、家に帰って勉強したふりでパックインミュージック聴きながら一冊ってのが習いだった。
 (だいたい一冊2時間平均だったと思う)
勤め人になって本を買う小遣いは増えたが時間が減り、あれも読みたい、これは読まなきゃという感じで何冊かを同時に読み進めるという形に読書が変わり、そかし確実に読むスピードは遅くなった。

ある頃から本や新聞を読むのがなにか辛くなり、一・ニ年してそれが視力の弱りが原因であったと気づいたときには、もう眼鏡をする暇もなかなか見つけれない自営業になっていた。

読みたい本はまだまだある。
相方に言わせりゃ、書斎中、買っただけで読んでいない本ばかりじゃない!!
ということになるが、半分以上はその通りである。


それでも読書好きの母から、本はあげたり捨てたりしちゃいけないと、その事ばかりは守っている。

あぁ、早く隠居して、朝から晩まで本漬けの毎日がこないかなと思うが、証書を見ればまだまだ十数年後まで休む時間がないよと借金と利子の額がそう言っている。

次長課長 わたしゃ 無化調

2013-01-26 12:41:14 | 第1紀 食べる・飲む
昨夜の大通は今月最高潮の人出だったか。

給料日と週末が重なり、今年は長い正月休みで透けそうになった財布に久しぶりの補充で、街行く人はみな笑顔だった。

23時過ぎ、お客様の要望でタクシーを呼んだが、一時間待ち。
代行ならわかるがタクシーがね~。

そんな大通店も大賑わい。
高校の先輩の一人席が確保できず、ゴメンナサイ。
そして高校の同級生。
座って話す場所も無く、包丁も放せない。

本を一冊いただいて、また来週会おう。
待つにもどこの駐車場も一杯みたいだ。



そんな彼からいただいたのがこの本。

「家族のもとへ、あなたを帰す」

震災の津波などでお亡くなりになった方々の身元を歯形で判明するためにかけつけた歯科医達のドキュメント。

彼も歯科医師会の担当として毎週のように休日返上で被災地にでかけた。

明日の休みにでもじっくり読みたい。


閑話休題

話をワタシの本質の「食べる」ことに向けよう。
なにせお前の食べる話を読みたいという、ありがたい読者の方がいる。

ここのところ決算や(さきほど税理士に渡してこちらの仕事はやっと開放された)通常業務で外に食べにいく時間がなかったが、だからって食べていないわけじゃない。

ここ数日でラーメン屋を3軒廻った。

その一つは日曜日に娘といった花巻の南のちょっとわかりづらい場所にある店。
ワタシは3回目の来店、つまり、お気に入りだということ。

なぜお気に入りかというと、一人で店を廻している研究熱心な若者の店主が好ましいからだ。

無化調の店でありながら、かなり材料を贅沢に使っているようで、ワタシ好みのしっかりした個性のある味に仕上げている。

そして行くたびに新しい試みに挑戦している。

常連さんに今日のスープはどうとか、この新メニューはどう思うなどと反応を確かめているのも微笑ましい。

場所さえかわれば相当のファンを獲得すると思う。

若くて研究熱心で謙虚できびきびした情熱を秘めた店である。


一昨日は「テイクアウト」をテーマに矢巾あたりを廻る。

さて飯はと「たかのはし」に向うが木曜日は定休日だった。

気を取り直して向ったのは久しぶりの「横屋食堂」。
知る人ぞ知るの名店で、乙部街道のチェーン店から信号を曲がり少し行ったところにある農家の一軒家を改装したような感じの、なにかナツカシサを感じる店構え。

ときどき無性に食べたくなる縮れ麺のラーメン。
そして、パラパラの炒飯。

どちらもなつかしい味、そして食べて心も暖かくなる。
いまならオープンカウンターというのだろうか、ときどき難しい顔をしてチャーシューの糸を縛っている親爺さんと、いい感じの若夫婦の作業を見ているだけでおいしさが伝わってくる。

昔味だから少しあとにグルソーの味が残るが、いいじゃないか、これぞ昭和の味じゃい。
自分的には最近はできるだけ使わないが、子供の頃はどの家庭の台所にも一瓶あったろう。
いや田舎のちゃぶ台には常備してあって、親父は漬物にさっと振りかけていたっけ。

うん、そして三軒目は、やはり無化調。
おまけに久しぶりに寄ったら麺までつくり始めている。

鶏だしは終了で出来立ての魚介スープしかないよとつくり始めたが、そのぶっきらぼうに見える太いの蕎麦のような麺が自慢の魚介スープにあうね~。

理論家だからスープや麺の説明を細かくしてくれる。

後輩なのだろう先客が居たから、久しぶりの訪問も手短にすませたが、小さいながら一人で切り盛りしているのに、少しうらやましさを感じて店を去る。

ラーメン、ラーメンといえど、常に進化なのか新しい方向を拡げているラーメン界の躍進はしばらく続くだろう。
一過性のものと思っていたつけ麺もまだまだ人気なようだし、無化調、家系、汁無しなど進化の方向も多岐にわたってファンを飽きさせない。
それだけに競争も激しいだろう。

当面は喰う側に潜むかと。

しかし、俺という人類は、実は麺類なのだ!!

削る、削る

2013-01-25 11:43:27 | 第1紀 をかしら屋


写真は短角牛の三角バラ。
いいところは上カルビになる。
短角牛だから上カルビといってもサシっけだけじゃない、しっかりとした赤身が身上なのでサシとのバランスがとてもよく、和牛と比べると、つまり食べ飽きないおいしさ。
短角牛はアミノ酸も多く、和牛の「食べた瞬間にオイシサを感じる」というより、「ミシミシと食べながら、あぁオイシイという満足感が持続する」のだ。

しかしこの「バラ」という部位は歩留り(原体からいくらメニューにできる部分がとれるか)が悪い。
この三角バラも結局、7.2kgから脂やスジを削って削って、結局たった2kgとゲタ0.6キログラムしかとれない。

ふ~、

スジは「牛すじ煮」に使うが、脂はどうしたものか。
洋食屋ならこの良質の脂を混ぜて「メンチカツ」を作ると、なんともよい脂の甘い香りがするのだが。

さて、そういうことで本日から「大通店限定」のお得なメニューが続々と登場。

其の一 「青森産短角牛の上カルビ」 当店の短角牛カルビ(並)と同じ一皿945円で。

其の二 「国産牛の牛タン」 三本分限定 特価1260円 なかなかいいよ

其の三 「和!牛丼」 これは和牛の三角バラの整形ででた端を使用した贅沢なもの。
      もうアリャリャの大特価  550円、 半丼 400円
      まぁ、オイシイコトこのうえ無し!!  です。

さて給料日の週末。

昨夜の雪で足元は悪いが、どうぞ、おでんせ。

喫茶店が「世の中」だった時代

2013-01-24 09:35:38 | 第1紀 読書・JAZZ
今夜まで厳しい寒さも一休みとなりそうですが、週末からまた心底、冬に戻りそう。
昨夜は太股に湿布を貼って、石油ストーブも炊いたまま、(ついでにピッチャー満タンのキリン一番搾りとコンニャクパスタでよれよれになり)万全の体制で寝たせいか、朝方も足がつることは無かったです。
どうも寒暖差が大きいのも足がつる要因になるそうで、これは喘息にもいえることで、少し贅沢ですが寝る時もストーブはつけている次第です(3時間タイマーで切れちゃいますが)。

さて、朝からいつもの伝票整理。
店のオーダー表を一枚一枚、一行一行丁寧にみて、お客様の様子を想像するのも大事なこと。

そういえば、松園店の最近のオーダー表に「松園定食」が増えています。
今月からはじめた「松園定食」(ランチタイム)。
日替りでホルモン・焼肉の定番メニューではなく、ちょっとした一品を中心にお出しするもの。
牛スジハヤシやしょうが焼き、時にはF中華名人直伝の中華や魚料理も出ます。
「まかない料理」をきっかけにしたこの「松園定食」は料理のバランスもよく、外食の多い会社員やお昼をゆったり食べたいという奥様方に好評なわけです。
お近くにお越しの際は、ぜひこの「松園定食」をお試しください。


さて、昨日、ネットでニュースを見ながら、そうそう常磐新平さんがお亡くなりになったんだと、しみじみ。

常磐さんは水沢市生まれで早大大学院を修了後、早川書房で編集長などを歴任。
退社後もミステリーの翻訳や小説、エッセイ、評論などを執筆。
直木賞作家でもあります。
ワタシは彼の本を数冊もっていますが、いずれもエッセイ本。
時代を慈しみ、多方面の作家や著名人との交遊のあった常磐さんの肩の凝らない文章が好きでした。

さて、昨日の常磐さんからぐぐって行き着いたページの中で、たいへんおもしろく読んだものがあります。

「slow net」のインタビュー、題して、喫茶店が「世の中」だった時代 。

歳を重ねてわかる楽しい世界
名誉や権力よりも性愛、山の手よりも下町――
一貫して市井の人の視点から世界を描いてきた
直木賞作家が語る自らの人生とこれから。

常磐さんが69歳の時のインタビューです。

うん、ひと言でいえば、いい歳のとりかたをされているな~。
いや、枯れているわけじゃない、まだまだ燃え盛るものを持ちながら、少し離れた目線でものごとの本質をしっかりとらえている。
そんな感じで、微笑みながら読みました。

喫茶店に通いつめ、その空間をこよなく愛している。
「喫茶店のコーヒーでずいぶん時間を無駄にしてきた」といいながら、その時間を慈しむ。
学生の頃から喫茶店に入り浸っていたそうだが、そうなれば割と豊かな学生生活だったのか。
二廻りちょっと年下のワタシも「喫茶世代」ではあったが、珈琲代もない貧乏学生だった。
ただ当時は、いや今でも時間の狭間や心が落ち着く場所として、喫茶店を利用した。
もっとも、じゃぁ行こうと思っても、その喫茶店を探すのに苦労する昨今であるが。

常磐さんは「歳をとってわかること」の一つに、若いころ読んでわからなかった小説が歳をとって再読すると入り込める場合があるという。
うん、そうですよね。
まるで歯が立たなかった本を租借するように読めたり、若いころと違った読後感を持ったりする時があります。
だから、本は棄てれない。

そして「歳を重ねてわかる楽しさ」もあるとな。

うん、まだまだその境地には達していないが、ものごとや人、ある局面にであったときに、若い頃と違った距離感で接する自分がいて、そんなことも楽しみといえるのかどうかわからぬが歳をとるということのありがたみを知る時がある。

このインタビューは、こちらから覗いてください。
  http://www.slownet.ne.jp/sns/area/life/reading/interview/200602161346-1000000.html

枕元には毎日ラジオ番組の声を楽しみにしていた小沢昭一さんの本が何冊かある。
そして、これも大好きな作家、田中小実昌さんもここ数年はまっている。
色川武大さんには心酔しているし。


あ~、おまえ、ひょっとして歳喰って「力」がなくなったな?
なんて悪口を言われそうだが、

いやいやゼンゼン、
若い時から好きなんだよ~



朝からとじそば

2013-01-23 17:50:31 | 第1紀 生きる


朝から手作りとじそば。
たっぷりのつゆに前沢牛の整形くずと今は野菜が高い高いけど白菜の4/1のを田清マートで買ったので、その薄い葉のところを入れたら、たっぷり野菜のとじ蕎麦、溶き卵も入って、少しだけあんかけよになった。
そうそうネギの青みも入れてね。

な~んだ、たっぷり野菜があればそば一輪でもおなかポンポコリンじゃないかと、少し得した気分。

昨夜は1時近くまで松園店で松園商工会飲食部会の新年会。

先輩ばかりなので生2杯とハイボール1杯に抑え、座りっぱなしで真剣にお話を聞いていたせいか、今朝は久しぶりに布団の中で右太股がつりそうになり、脇に常備しているサロンパスのスプレーでなんとかその場をしのいだ。
太股がつりそうになるのは、ホント、恐怖である。
単身であるから助けを呼べないし。
足がつりそうになるのはたいがい朝方で、頭は起きそうで体はまだ寝ているという感じのときにおきるそうだ。

なにはともあれ、毎日飲むサプリメントのカリームを摂る。
この頃は症状がなかったから朝二錠であったが、いきなり六錠。

昨日は一日、早朝から新年会の始まる二十二時までずっと、そして今日も日中は非番だったので、なんとか集中して決算の書類を仕上げた。
もともと企画肌なので集中すれば何時間でも書類の前にいれるが、その集中することができないのを齢のせいにしてはいけない。
PCのエクセルで簡単な数式なんかを作ったりするのは、確かに楽しいが、最近は出てくる数字におののくのである。

嗚呼、数字は正直だな。


そして、また、寒い冬がやってくるそうだ。

稲荷

2013-01-22 11:02:56 | 第1紀 生きる


ポットにたっぷりの湯とティーパック2個、珍しく砂糖を入れたのは寒いからか。

実は雪の朝、思い立って神社に行ったあとなのだ。


花巻人のワタシは確かに盛岡に弱い。
土地柄も歴史も情報も人のネットワークも土地勘も弱い。

店の神札は住吉さんからいただいている。
もっとも無心教か多神教か、いずれにせよ神は八百万(やおろず)と道すがらの鳥居を見るたびに車中から手を合わせ都合のいいお願いをする、まぁ罰当たりな人である。

盛岡人の知人から、あれっ商売の神様はお稲荷さんだから、そこは行ったよね?
という言葉にひっかかり、あららなんにも知らないはとネットで調べて、今朝ひと仕事終えてから行ったわけだ。

榊山稲荷神社

説明によると:榊山稲荷神社の創建は慶長2年(1597)で元々盛岡城の榊山曲輪に鎮座していました。明治維新後、盛岡城は廃城になり榊山稲荷神社は遷座先がなく一時廃れてしまいます。城内には他に2社(桜山神社、鳩森八幡宮)ありましたが、それぞれ遷座先が見つかりました。その後、榊山稲荷神社は荒川清次郎氏が明治30年に再興し、現在地である北山に遷座し初代宮司となりました。妻側が正面の神社山門を潜ると、両側に桜並木が続く長い参道があります。境内には対馬藩士で朝鮮通信使をめぐる国書改竄の罪により南部藩に配流された方長老の屋敷跡を整備した庭園が広がり通常の神社の境内とは趣きが異なります。

意外に近くにあり、気にはなっていたが無学浅学の身でなんとはなしに通りすぎていた。



坂を上って、さすがに厳かな構えと広大さに少しびっくり。
参道の灯籠には盛岡の主な企業の名前がある。
なるほどなるほど、浅学無知、あららららと頭(こうべ)は少しずつ傾く。





先ずは参拝。





雪景色もいいが、新緑の季節や秋深き頃もなかなかだろうと思われる。
山向こうに渡れば高松の池に続く散策路となっているそうなので、雪解けの頃に再訪したいと思う。

雪道に他に足跡は無かったが、立派な社務所から巫女さんがでてきた。


さて、何を祈ったのか。
商売の神様であるから、やはり商売のこと。

祈るにはこの細雪はちょうどいい風情の日であった。

たましいの場所

2013-01-21 11:50:22 | 第1紀 読書・JAZZ
「歌いたいから歌うのではない。歌いたい事があるから歌うのだ。自分を歌うのだ。」と早川義夫は「たましいの場所」でいう。



日曜日の昼下がり。

お気に入りの自宅の青いソファーに横たわり、バッハなどを聴きながら気になってようやく手にした早川義夫の本を読み始める。

ワタシタチの年代なら早川義夫の名を聴いたことがあるだろうけど、わかりやすくいえば女性デュオがカバーした「サルビアの花」をつくった人。
あるいはワタシより少し上の人なら一世代を風靡した和製ロックの創世紀のジャックスのメンバーといえばおわかりか。

本人によれば23歳でうたをやめ、早くおじいさんになりたくて本屋さんをはじめ、四十代後半にまたうたいはじめた。

(本文より)
歌っていいのだ。
歌いたい事があるのだ。


で、じゃぁ、その四十半ばを過ぎた早川義夫の歌を聴きたくなった。
世の中は便利なもので、10数年前のVAIOでも「このブラウザはもうサポートしていません、どうのこうの」とでるが、なんとか You Tube を見るとこができ、ワタシはしばしその早川義夫の歌に聞きほれたのだ。

HONZIという早世した女性奏者も知った。

ついでに「その頃」のロックとかフォークとかそういう曖昧な狭間のものとか、自分の十代後半から二十代前半の日本の歌も聴いたのだが、いやいや早川の歌を聴きながら、その詩を食みながら本を読み進めるというなにかもどかしい時間を、しかし少しの幸せ感に浸って過ごした。


余談である。

この早川義夫の「たましいの場所」はちくま文庫の12月新刊であり、いつもの大通店ランチ業務後の散歩のときにさわや書店の書棚で見つけたのだ。
その時は読書している場合でないなどと少し悟ったふりをして見逃したのだが(こういう欲しい本を我慢するときは売り場から逃げ去ったという方があっている)、いや先々週の朝日新聞の書評欄に取り上げられていて、こりゃいかん、店頭からなくなると急いで駆けつけたのだ。
さわやの新刊文庫コーナーにはすでになく、狭い、しかも新店長になって歩くのもままならぬ狭い仕掛けの店内をグルグル廻り、あきらめかけた二巡目あたりに少し山積みにされたこの本を見つけた。
売らんかな魂そのものの売り場に変わり、相当頭に来ていたが、手書きPOPも添えられた段積みに、まぁ少し許してやるかという気分になった。

でもね、
ただただ売れる本を通路の邪魔になっても目立たせて売り上げをあげようという最近の姿は、哀れじゃよと、まだ腹立たしいのはおさまらぬが、何年か前は本店の横でまんがや音楽本や映画・演劇などの専用おたく別館があったことのお釣りで許してあげようよ。
ワタシは本を買いに行くのではない。
買いたい本に出会い、あるいは見つけ、探しに行くのだよ。
そういう本屋であってほしい。

じゃなきゃ、Amazonda!!

この早川さんの本に歌手再デビューにさいし二十数年続けた本屋をやめるときの常連さんの言葉がある。

早川書店は決して「本を買いに行く」ところではなく、「本に会いに行く」場所でした.(H・K)

というのがあり、なるほどなと思いながら少しウルッとしました。
高校生のころの花巻上町「誠山房」は、古典に埋もれる学校の図書館と違い、新しい事やものの見方、知らない世界と出会う知識の探検の場所であり、初心者マークの本好きの居心地のいい場所でした。
学校で授業を受けながら一冊、図書館で一冊、誠山房の立ち読みで一冊という今思えばたいそう恵まれた時期だったのです。
  (本屋のおばちゃんの険しい、時にあきらめ顔で覗く姿も思い出します)


うん、いろんなことを思い出しながらの読書。

本文の中から気に入った一節をもう一つ。

歌謡曲は過去を歌い、フォークは未来を歌い、ロックは今を歌う。歌謡曲は絶望を歌い、フォークは希望を歌い、ロックは欲望を歌う。

彼はロックを歌いたかったのだ。

そしてボクは高校時代、従兄弟から借りていた12弦ギターでフォークを掻き鳴らしていた。

キク

2013-01-19 11:45:28 | 第1紀 食べる・飲む
(しょうもない話題なので忙しい方や神経質な方はすぐページを閉じて下さい)

さきほど松園店の釣りきち三平こと常連マーシャくんにメールした。

「今年はまだキクを食べていない。
 真っ白なキクと、小骨のない分厚い身だけのタラを釣ってきてくれ
 
 ワガママな店主より」


相当ワガママ、勝手、気ままだ。

常連とはいえ、お客様だ、失礼にもほどがある。

しかしキクを食べたい。

塩揉み洗い、軽く霜降りにして、氷でしめてよく水を切り、ほんの少しの酢あるいはポン酢とネギだけでデロデロと食べたい。

豆腐とネギと青物だけのタラチリにさっとキクを入れて、タラ&キク鍋を喰いたい。

キクは真っ白、純白に限るが、今年は今のところまだ高い。

ケチが身に沁みている貧乏者だから、この値段ではまだ睨むだけで手がのびない。

ときどき魚売場の前でじっと立ち止まるが、値切りの札を持った店員がタイミングよく来るわけもない。

いるのは怖い顔をして少し離れたところから早く来なさいと促す相方と娘だけだ。


あ~、そういえば「タチ蕎麦」もまだ喰っていない。

「一幸庵」もないいま(昨日みたらなんか工事がはじまっていた)、やっぱ「直利庵」かな?

うん、腹が鳴ってきた。

ほんの2時間前、水もろくに出ない台所で蕎麦を茹で、暑い夏に喰うはずだったH社の「冷しカレーうどんのもと」(商品名はいいかげんな記憶に基づく)と数種のカレー粉・スパイス・麺つゆで仕上げた「自家製カレー蕎麦」を喰ったばかりなのだが、いや、うん、なんとも「タチ蕎麦」!!

シンタマ

2013-01-17 12:34:04 | ホルモン・肉
昨夜、正月代休開けの大通店。

なぜか仕込みに熱が入る。
  (いい事なのだろうか。はたまた・・・)



先ずは和牛と短角の牛タン3本。
中村さんの「もりおか短角」の牛タンはサシの入り具合が非常にいい。

焼肉店の中にはサシの入り具合のいいタンモトだけを「上タン」として区分けするところもあるだろう。
当店は「舌の先から尻尾まで食べ尽くす」がモットーであるから、一皿分にタン先・タン中・タン元を組み入れる。
また舌の下の部分も使用している。
  (かなり下の赤い部分は煮込めばいい味を出すのでテールスープに入れたり、趣味の煮込みを作ったりもする.)

少しおこぼれをお出ししたいつものカウンターひとり宴会(この日は「鍋コース」)中の常連N氏は短角の牛タンを気に入ったみたいだ。


さて、次はシンタマ。



最上級のA5の岩手県産のものが入った。



「シンタマ」はモモ肉のもっとも柔らかく脂身の少ない部位で、一昔は多くの焼肉屋では「上ロース」として出されたのではないか。
特に関西系では「ロース」は「赤身肉」を指すという事でメニュー名に「ロース」として使用されていたが、「おかみ」の指導もあって是正された(はずですね)。
まぁしかし、その赤身はとても上品で柔らかく、お年を召した方にも好評である。

大通店限定で特価の(すこしばかりお安く仕入れた)一皿1260円で今日からお出しします。





最後は「前沢牛」の「上カルビ」。
三角バラのいいところが入ったので、しばらく品切れだったが、今日から再登場。
このところ、年末年始でもあるの、いい前沢牛を仕入れるには当店のような小さな店ではたいへん苦労する。

上品に削っていったら、相当に歩留りが悪く(なんと原料1.8キログラムで7皿分のみ!!)、一皿破格の1890円でも利益がとれないが、まぁ正月なのだからいいだろう。

いい脂はそのうちハンバーグのネタに混ぜ込み、香りを引き出すのもいい。
筋っぽいところや端材はワタシの夕餉に使う。
少し入れただけで野菜炒めもモヤシ炒めも豆腐炒めも相当にオイシサ倍増、三倍増なのだ!!

ゲタの部分が一人前だけでたが、これはこのブログの愛読者、先着一名様にお安くお出ししたい。
「ヤマ」「カワ」「ゲタ」   
という合い言葉ではいかがであろうか。
早い者勝ちである。


そして写真はないが今日から「和牛切り落としカルビ」をお安く提供する。
切り落とし材が大量に入荷したので、ど~んといこうという感じ。

いずれも大通店で、一部は松園店でも実施予定。

そして切り落としを使った「和牛丼」が、なんと・・・・・
  (考え中)