盛岡から遠野へ向かう国道の乙部にあるチェーン店のラーメン屋の角を左に曲がる。
あるいは国道4号線から黒川、乙部方面に入り白石パンの工場を過ぎて、この遠野街道と交わる交差点を直通し、急に細くなった道を少し過ぎたところに、「よこや食堂」はある。(地図はここクリック)
昔は農家だったのか、あるいは、よくある田舎の酒屋または万屋だったのか、5、6台は止まれる駐車場があり、そして店に入る暖簾がある。
こんな場所なのに、車はひっきりなしに入る。
店内は厨房を囲むカウンターと、小上がり3席、テーブル席3席かな。
これもよくある昔の居酒屋風。
小上がり席の上にテレビがある。
カウンターにセルフの給水機がある。
久しぶりの来訪だ。
前の会社にいたころ、10回ほど通ったろうか。
後輩が好きな店で、どこへ行くかと聞けば、まずこの店を指した。
農家の長男である彼は、なにを食べるにもご飯がないといけない。
だから、ラーメンにも必ずライスが必要であり、ラーメンというよりライスの有無が店選びの最低限の基準だった。
しかし、もう一つ理由があったように思う 。
私たちが通ったころは、若い夫婦が店を切り盛りしていた。
少し顔だけぷっくらした色白の言葉の少ない旦那と、この田舎にはあわない、南国的なふくよかな顔だちの、しかしなかなか色気のあるほくそ笑いのステキな美人のカミサン。
そう、彼女の存在が、なかなかポイントではなかったろうか。
しかし、久しぶりの「よこや」は、その美人のおかみさんではなく、かわりに彼とその両親くらいの老夫妻がカウンターのなかに陣取っていた。
いつも通り、「チャーハンセット」を頼む。
ラーメンと半チャーハンにお新香がついてくるセットだ。
ラーメン単品は380円。
チャーハンセットは700円である。
目の前で調理される様子を見ながら、まなくラーメンと、そしてチャーハンがカウンター越しに運ばれる。
ラーメン丼は今風ではなく、昔ながらのもので小ぶりである。
麺は縮れ麺でスープをうまくすくいとる。
しなちくは細い。
最近は幅広が流行りだから、この細いのはなかなか見かけない。
海苔とナルト。これがいい。
そして、たっぷり味が沁みたチャーシュー。
決して大きくはないが、小さな丼には程よい大きさである。
スープは、やはり昔食べた味のすっきりした醤油味のものである。
適度に脂も浮かび、まことに懐かしい。
「無化調」などという言葉はいつから流行っているのだろう。
確かにワタシもグルソーは好みでないので、厨房にも置かないが、それは単なる嗜好の問題であって、いま言われている思想の問題ではない。
それはそれでいいのであって、ここのラーメンのような味には必要な構成物質であり、味をこしらえている誠にいい役者なのである。
ワタシは好きである。この味が。
チャーハンもこぶりの、例の八角の中華のお皿に丸い山で盛られてある。
塩加減もほどほどで、やはりチャーシューの刻んだのが味のポイントになっている。
誠に、ラーメンにぴったしのチャーハンであり、それ単品としても優秀な一品である。
セットとしてのバランスの良さはこのうえなく、やはり郷愁とともに味わってしまうのだ(涙)。
母方の実家のある(花巻)宮野目には小さいころから良く通った。
年上の従兄弟たちが近所の食堂でラーメンをおもってくれた。
その味は、これよりは少し薄かったと思うが、ワタシがラーメンを自覚した味であって、従ってワタシのラーメン基準線となるものである。
だから、ここのラーメンは郷愁のラーメンなのである。
さらさらっと喰って、さらりと帰る。
途中で入ってきた人も皆そうである。
いい「食堂」である。
ここ「よこや食堂」に無性に通いたくなるのには、こんな訳があるのかもしれない。
お金を支払に、給水機のある厨房との出入り口に向かうと、若旦那がチャーシューを巻いていた。
なにか確かなものを見た感じで、充分な満足感とともに店を出た。
あるいは国道4号線から黒川、乙部方面に入り白石パンの工場を過ぎて、この遠野街道と交わる交差点を直通し、急に細くなった道を少し過ぎたところに、「よこや食堂」はある。(地図はここクリック)
昔は農家だったのか、あるいは、よくある田舎の酒屋または万屋だったのか、5、6台は止まれる駐車場があり、そして店に入る暖簾がある。
こんな場所なのに、車はひっきりなしに入る。
店内は厨房を囲むカウンターと、小上がり3席、テーブル席3席かな。
これもよくある昔の居酒屋風。
小上がり席の上にテレビがある。
カウンターにセルフの給水機がある。
久しぶりの来訪だ。
前の会社にいたころ、10回ほど通ったろうか。
後輩が好きな店で、どこへ行くかと聞けば、まずこの店を指した。
農家の長男である彼は、なにを食べるにもご飯がないといけない。
だから、ラーメンにも必ずライスが必要であり、ラーメンというよりライスの有無が店選びの最低限の基準だった。
しかし、もう一つ理由があったように思う 。
私たちが通ったころは、若い夫婦が店を切り盛りしていた。
少し顔だけぷっくらした色白の言葉の少ない旦那と、この田舎にはあわない、南国的なふくよかな顔だちの、しかしなかなか色気のあるほくそ笑いのステキな美人のカミサン。
そう、彼女の存在が、なかなかポイントではなかったろうか。
しかし、久しぶりの「よこや」は、その美人のおかみさんではなく、かわりに彼とその両親くらいの老夫妻がカウンターのなかに陣取っていた。
いつも通り、「チャーハンセット」を頼む。
ラーメンと半チャーハンにお新香がついてくるセットだ。
ラーメン単品は380円。
チャーハンセットは700円である。
目の前で調理される様子を見ながら、まなくラーメンと、そしてチャーハンがカウンター越しに運ばれる。
ラーメン丼は今風ではなく、昔ながらのもので小ぶりである。
麺は縮れ麺でスープをうまくすくいとる。
しなちくは細い。
最近は幅広が流行りだから、この細いのはなかなか見かけない。
海苔とナルト。これがいい。
そして、たっぷり味が沁みたチャーシュー。
決して大きくはないが、小さな丼には程よい大きさである。
スープは、やはり昔食べた味のすっきりした醤油味のものである。
適度に脂も浮かび、まことに懐かしい。
「無化調」などという言葉はいつから流行っているのだろう。
確かにワタシもグルソーは好みでないので、厨房にも置かないが、それは単なる嗜好の問題であって、いま言われている思想の問題ではない。
それはそれでいいのであって、ここのラーメンのような味には必要な構成物質であり、味をこしらえている誠にいい役者なのである。
ワタシは好きである。この味が。
チャーハンもこぶりの、例の八角の中華のお皿に丸い山で盛られてある。
塩加減もほどほどで、やはりチャーシューの刻んだのが味のポイントになっている。
誠に、ラーメンにぴったしのチャーハンであり、それ単品としても優秀な一品である。
セットとしてのバランスの良さはこのうえなく、やはり郷愁とともに味わってしまうのだ(涙)。
母方の実家のある(花巻)宮野目には小さいころから良く通った。
年上の従兄弟たちが近所の食堂でラーメンをおもってくれた。
その味は、これよりは少し薄かったと思うが、ワタシがラーメンを自覚した味であって、従ってワタシのラーメン基準線となるものである。
だから、ここのラーメンは郷愁のラーメンなのである。
さらさらっと喰って、さらりと帰る。
途中で入ってきた人も皆そうである。
いい「食堂」である。
ここ「よこや食堂」に無性に通いたくなるのには、こんな訳があるのかもしれない。
お金を支払に、給水機のある厨房との出入り口に向かうと、若旦那がチャーシューを巻いていた。
なにか確かなものを見た感じで、充分な満足感とともに店を出た。