ホルモン屋徒然草~珍しホルブロだ

新米ホルモン屋の親爺の日々。ホルモンのこと、店の出来事、周辺の自然や話題。

太鼓の音が

2008-07-31 00:04:59 | 第1紀 をかしら屋
このところ、夜になると「をかしら屋盛岡大通店」の開け放した入り口玄関から太鼓の音が聞こえてくる。

今日は浴衣姿の女性も、夕方ちらほらと。

盛岡の夏の夜を華やかに彩る「さんさ踊り」の練習だ。

8月1日(金)から4日(月)まで4日間行われる。
  詳しくは「こちら

さて、当店も何らかの形で参加をと考え、お誘いがあったので「プラザおでって」前の広場に出店することとなった。
さんさの会場からは少し離れるが、見に訪れる人の行き交う道筋にある。
さんさの開催される4日間、私もここで販売にたずさわることになる。

内容は・・・・。
まだ未定ですが、例によって「モツ焼き」「モツ煮」といきたいところであるが、やはり私の性格のうえ、ちょっと前回の松園祭とは一捻り。
考え中である。

実は「コプチャンカレーチゲ」を少し変えて、ホルモンでと思っている。
夏らしく、汗をかいていただこうかなと。

怖いもの見たさの方は、ぜひいらしてください。
私が大通店に戻るのは10時過ぎになると思います。
ああ、それから、日曜日は定休日となります。
松園店はいつも通り。月曜日が定休日です。

では。

カブトの角合わせ

2008-07-30 00:17:08 | 第1紀 生きる
当店のメインバンクである銀行の支店に両替に出向く。
用事は両替であるが、やはり「顔出し」という重要な意味合いもある。

「メインバンクさん。時々、店に来て様子を見ないと、貸し倒れになるかもしれませんよ。」と半ば脅しながら来店を促すのである。
強引な客引きであるが、しかしまた重要なコミュニケーションでもあると勝手に思い込んでいる。

窓口に両替をお願いし、しばらくたつと応接室から来客を終えた次長さんが席に戻る。
というか、もどかしく戻る。
というか、カニの横ばいみたいに戻る。
何か顔をしかめて戻る。

こちらをちらりと見るが、見たことを隠そうと見知らぬふりをする。
するんだけど、根が明るく正直な次長さんなんで、顔をしかめながらどうもと挨拶をする。

はは~、ここにも仲間が。
それも私より「しんどそうな」仲間が。

まあ、いつもはこれで応接室で談話といくとこだが、相手も私もあのゆったりとしたふわふわソファーは避けたい。
起き上がれないのだ。

あうんの呼吸でご相談窓口の椅子へ。

そう、彼も私と同じように痛いのだ。
腰が。
そうとう。
いつも笑顔なのだが、今日は痛さにゆがんだ笑顔なのだ。

聞くと、今朝やったらしい。

いや、仲間と同病あい哀れむ話をするのは楽しい。
それも、相手の方がひどいのだ!!
(ククッ)

まあ、例のごとく腰をさすりながら軽い話題にはさんだきわどいやりとりなどして、さてと「腰」をあげる。

あげるのだが、何度かの辛い教訓を経てようやく学んだあがりかた、そっとそっと優しく腰を上げる。

そして、相手も。

どっこいしょっと。

自然に前かがみの前傾姿勢。
あやうく頭のてっぺんとてっぺんがぶつかりそうになりながら。
それは、まるでかぶと虫の雄の角合わせのようであったのだ。

いつぞ現れた支店長も苦笑しながら見守る。
なごやかに、そして腰をさすりさすり支店を後にした。

さあ、全国の腰痛持ちの皆さん。
今日も元気に、無理せず行きましょう。
(仲間がいると思うと楽になるワタシは卑屈なのかしら)

PS:そういえば、先日お客様がお出しになったあちこち欠けたり焼けたりした紙幣。業務課長さんがおっしゃるには三分の一だか以上欠けていなければ使えるそうで、無事100円玉と両替と相成りました。お札も硬貨も銀行などを経由して新しいものに変わっていくんだろうと、その輝かしくもうらやましい流通を考えてみたり、まあ、つくづくお金は大事にするものだと実感しましたね。

さてさて、お祭りの感想をひとくさり

2008-07-29 00:18:15 | 第1紀 をかしら屋
ご報告通り、26日(土)・27日(日)と「をかしら屋松園東黒石野店」の地元、松園祭に松園商工会の一員として参加しました。

一日目の後にこのブログで詳しく報告していますので、私なりの感想を。

まず、前にも書いたように全国各地の「ニュータウン」に共通するように、人口減が進み、親の世代(60代以上)が残り、子の世代(3、40代)が離れていくなかで、小中学校もクラス減となるなど普段は若い世代の見えないこの地区に、多くの若者・お子さんがいるんだなあという実感をもたせてくれたこと。

人口減とはいえ、開会の挨拶に訪れた谷藤盛岡市長の言葉ではないが、小さい町と同じくらいの2万人もの人がひしめき合い、住む地区であるのだ。
一昔の「ニュータウン」政策で、「寝に帰る」住まいだけがあるためわからないのだが、衣料や食品、雑貨などの購買や、外食・レジャーなどは商店が立地できない仕組みにしているために、地区外で行うという生活パターンになっている事が、地区の衰退につながっていると感じさせられる。

住宅以外の商工の規制もそろそろ緩和し、「普通の」町のように生活圏の中で住み、学び、憩い、食べ、遊べる環境に変えてはどうなのだろうか。
かなりの住宅が売りに出されているが、一戸65平米くらいの面積では子供が大きくなり一人一台の自家用車需要にはかなわずに、この世代が外に出てしまう結果となる。
増築もままならないのだ。
結婚し、子供が手を離れる時期に、さらに上の学校にやろうと奥様方が働き口を見つけようにも、住宅専用地区で商工の事務所がないというのも地区離れの要因であろう。
この事は店の従業員の採用のときに、必ず耳にすることだが、司る行政の方々や議員の皆さんは実態を目に耳にしているのだろうか。

話はそれてきた。
それに同じことを前にも書いている。
もとに戻そう。

その元気な若者たちや子供たちが大勢集まった松園祭。
みんな楽しそうだった。
こちらもおかげさまで忙しかった。

花火の打ち上げの頃には、店の前の列が二列で50人以上にもなり大慌てであった。
他の素人さんのお店より数時間早く、正午ころから現地で仕込み始めたが、それでも間に合わず、ほとんどが売れ切れ状態になってしまった。
長い時間並んでいただいた方には申し訳ない。

なんとか一年数ヶ月立ち、この地区の一員として受け入れてもらおうとこの祭に参加したわけだが、やはりお客様に聞くと、噂には聞いていたがまだお邪魔していませんという方が多かった。
そういう意味でも、狙い通りの告知ができたと思う。

そして多くの常連さんたちが来てくれた。
普段はお店に無い、串焼きや焼きそばを珍しそうに買って行ってくれた。
なにより、この多くの方の中で常連さんに声をかけられるのは嬉しいことなのだし、店も従業員もなんとかお客様に愛されているのかなと感じたり、ほめたくなってきたわけです。

思い立ってはじめてトライした「モツ焼き」が好評だった。
「をかしら屋」の辛味噌で鉄板焼きをしたのだが、熱い鉄板にホルモンを投入したときの蒸気、そしてたちこめるカプサイシンの香りがお客様の目を引きたちまち売れ切れという状態。
作るたびにすぐ無くなる好調さでした。

そして、ホッピーを売ってみたり、豚のオッパイ串を売ってみたりのお遊びもしながらの催事でした。

残念なことは花火終了後も長い列で行列をしていただいたお客様の前で、実行委員会の人や警備の人が、「もうお祭りは終了の時間だからだから、販売は止めなさい」としつこくまわっていたこと。
毎年のことなそうです。
せっかくお祭りや花火を楽しんで、その後の余韻を仲間と一緒にすごそうという若者たちのことなんか、これぽっちも考えていない。
早く警備を終わらせ帰りたいという幹事諸君の考え方だと商工会の方から聞いたが、これではいけない。
こちらもお店の名前ででているわけで、祭の幹事の方が終わりだといっているから待っている人たちの帰れとは言えない。
お客様があっての私たちなのだ。

お祭りの幹事さんたちは、この祭に何をもとめているのだろうか。
警備や照明の経費もあるだろうが、やはりこの祭でこの松園地区を盛り上げていこうというなら、やはり考えを改めるべきであろう。
これが、さらに幹事さんたちと離れていく世代のジェネレーションギャップにも見える。

周りの一般の方も、多くのお店の方も驚く、異様な幹事さんたちの言い方と態度に、「やはりな・・」と感じた私でした。
先週のお手伝いに行った矢巾のお祭り。
こんなことは無かった。
終わって私たちが後片付けをし終わる約一時間半の間、まだまだ会場は家族連れや若者や子供たちで賑わっていたし、ここは商工会が幹事なのだが、彼らと溶け合って余韻を楽しんでいたように思えた。

矢巾と松園。
町が勢いよく発展している地区と、ある意味で最初の目的が終わり居住者の要求に沿わなくなってきた地区の違いがまざまざと感じられる。

その中で、最近加入した商工会の皆さんも苦闘しているんだなあと思う。
地区を代表する方々も、そろそろ世代交代しないと、次の世代がすっぽ抜けてしまうんじゃあないか。
地区を代表するおじ様、おば様達が通うテニスコートの存続の話題も大事だろうが、もっともっと大事なことが隠され、手を付けられていないような気が、まだまだ新米の私には見える。
商工会長さんなんかは、すごく頑張って鋭い見識を持たれているんだけどな。

なんて、花火の後に少し寂しい思いをした私でした。

今日は「辛口」です。
間違い、偏見はご容赦を。

松園祭 顛末 (写真編)

2008-07-28 08:51:38 | 第1紀 をかしら屋
顛末なんてのは難しい言葉で、まあ今ではほとんどお役所言葉。
一般企業では「顛末書」があるくらいだから、悪い意味でとらえられているだろう。
私も30代後半で第三セクターの「固い」会社に入った時に、「顛末を報告しろ」なんていわれて「固く」なったことを想い出す。
まあ顛末(てんまつ)なんて、「あれこれどうしてどうなった」みたいな意味で、なんて事はないのである。

という前書で、昨日・一昨日行なわれた松園祭の顛末報告をしようと思うのだが・・・・
疲れ切っている。
今朝も4時半起きで会場清掃。
帰って来て40分寝て、7時から商工会の片づけ。
途中土砂降りであった。
そして、今からまた寝て、正午から店の片づけ。
そうそう、「をかしら屋盛岡大通店」はこのため、本日お昼だけ臨時休業します。
ごめんなさい。

ごめんなさいついでに、顛末報告はあとからとして、写真だけのせます。
いろいろ書きたいことがありますが、まずは床に就きたいのであります。
では・・・。








へえ~

2008-07-27 00:46:56 | 第1紀 をかしら屋
26日(土)・27日(日)の両日、「をかしら屋松園東黒石野店」のある盛岡松園地区のお祭りに参加することとなり、先ほど一日目を終わりました。

朝7時半から、松園商工会のテントたて。
ついでに商工会の物置の移転の手伝いなどと、腰をこわした私にはつらいスタート。

それでも、昼からようやく出店場所に陣取り、準備開始。
先週の経験もあり、早めに焼き物を始めましたが、結果的には目標の1300本を焼くには至らず、100本ほどを残しました。

逆に100㎏準備した焼きそばや、二店舗の製氷機4台を駆使したかき氷は時間前に氷が無くなり品切れ。
モツ焼も80ℓ準備したモツ煮も早々に完売。
催事もいろいろ経験しながら、毎回新しい発見が続きます。

さて、松園祭。
前回も書いたように、ニュータウン政策によってできた街も、世代交代により人口減、特に若者が流出と思いきや、この祭にはざわざわとその若者が参加してきます。
あらためて、この地区の不思議を体感しました

何が街を衰退させているのか。
新聞上でも議論を沸かせてる、一昔前のニュータウンの現在のあり方を問う時期であります。
住宅専用地区という不自由な地域が、人工的で不自然だという確証を得ているのに、街づくりの政策が変わらない情況がより現状を悪くしているような気がします。

さてさて、余りこの議論には入らないとして、日曜日の花火の松園祭を終わってから、いろいろと分析したいと思います。
この街に生き残れるのか。
冷静な判断をする材料の一つがこの祭に参加する意味でもありますから。

PS:今回は頑張って、「国産」焼鳥に固守しました。一串150円と、隣のPTAのテントではあちらさんを50円くらいで売っているのを横目にやってみましたけど、なんとかご理解を得たようです。
こういう祭にはPTAや飲食店以外の地域の法人も参加し、採算度外視の価格で販売されますが、私たちのような飲食店では自分の店のアイデンティティーを外すような事はできません。
なかなか難しいことだと思います。
しかし、普段は難しいことを言うPTAさんが平気で安物の販売をするなんて、私には理解できないような気がします。
売れればなんでもいいなんて、とても私たちにはできませんから。

いよいよ、「松園祭」

2008-07-26 00:00:48 | 第1紀 をかしら屋
さて、この土日は「をかしら屋松園東黒石野店」のある、地元、松園地区のお祭りである。

今年は、松園商工会の一員としてこのお祭りに参加する。
昨年は近くで花火が上がるのを、厨房の窓やテラスから眺めていた。

「ニュータウン」造成期から一世代経て、人口減少が進む松園地区であるが、このお祭りのときは大変な賑わいになるそうである。

私たち、「をかしら屋」も商工会のテント内で販売することになり、何日も前から準備をしているのだが、規模が規模だけに戸惑う事ばかり。
さあどうなることやら。

明日は朝7時からテント設営準備。
昼前から会場に入り、整いしだい販売開始。
といっても店を開けるのは4時過ぎかな?

夜は9時まで。
後片付けの後、「をかしら屋盛岡大通店」の営業に。

翌朝は朝5時から会場の清掃。
そして、また午後から出店を開け夜まで。
終了後は「をかしら屋松園東黒石野店」で後片付け。

そしてその翌朝、5時から会場清掃なそうだ。

今夜はこれからPOPづくり。
先週のお手伝いで行った矢巾夏祭で学んだ、「手作りPOP」の効果を確かめようと材料を買ってきたが、やはり作るのは直前。

もう一頑張りしますか。

松園祭、お待ちしています。

地震2

2008-07-25 00:01:55 | 第1紀 をかしら屋
さて、昨日の地震。
「をかしら屋大通店」の被害は、蚊とり線香が落ちただけ。
「をかしら屋松園東黒石野店」はさすがに4階にあるだけに、少し物が落ちました。



と言っても、写真のように食器類のほんの少しが割れただけ。

保険屋さんからどうだったのと電話。
しかし、考えてみればこの保健、地震には対応していない。
あれっ?!

前回の地震のときに、ご丁寧にお見舞いをいただいた東京の恩師には早朝に心配ありませんと電話した。
何年ぶりかの声を聞く。
元気だ。
まだ母校(私の母校でもある)の女子バスケのコーチかなんかをやっておられるらしい。
あのファイトでやられたら、そりゃあ気合いが入るさな!!

ビールメーカーや取引先、遠くの親友達の問い合わせもあった。
とりあえず、「をかしら屋」は地震の被害無し。
ありがとうございます。

まあ、地震前の昨夜は久しぶりに平日の賑わいだったが、こんやはやはりちょっと寂しいくらいが地震の余波か?
それでも高校の同級生が来店したり、新メニューの「コプチャンカレーチゲ」を絶賛していただいたお客様がいたり、それなりのありがたさをいただいた日です。

さて、ただいま従業員を募集しているんですが、なかなか集まらない。
男運の悪さは有名な(?)私ですが、面接のアポイントを取って来なかったのも男。
それも二日続けて、二人に。

まあ、しがない店であるが、約束は守るもんだよ、諸君!!
そんなんじゃあ、いつまでたっても就職なんかできないぞと悪口の一つも言いたくなるが、まあ雇う前にこういう素性が割れただけでもいいんじゃないかなと前向きにとらえる。

どなたか、小さい店で厨房からフロアまで働ける明るい人材はいませんか。
小さいけど、思うこともできるし、経営の勉強にもなるし、なんせ大変なオーナーの下で人生修行ができるのが一番じゃあないですかね。
そうそう、まかないも豪華ですよ。

お問い合わせは、
「をかしら屋盛岡大通店」019-651-7111まで。

地震

2008-07-24 01:59:15 | 第1紀 自然・季節
車が突然揺れる。
パンクか?
それとも、とうとう23万キロ目前に、愛車レガシーがいってしまったか。

とっさにそう思った。
まずは路肩に止まる。
ホームセンターで腰をやってしまった今日、昨日と違い、わりと混み合った店を12時過ぎに早仕舞いし、松園店に向かう途中、岩手大学の横を走っている時だった。

車を降り、まずはタイヤを点検しようと窓越しに電柱を見ると揺れている。
これはやばい。
前にも書いたが、約三十年前の仙台の地震の時の電柱の振り子のような揺れがよみがえる。

まもなく、カーラジオから地震速報が流れる。
「起きてからでは遅いよ!!」。
まあ、こんな感じ。
鳴り物入りの警報体制も、今回は起きたあとの情報でした。

すぐに、携帯電話を出す。
つながるのは今しかない。
まもなく、携帯はつながらなくなる。
優先順位はやはり自宅だ。
つながった。
相方の話では、棚から落ちたものがけっこうあるらしい。
いつもは落ち着いている彼女の声の気配が、やはり緊張しているのを感じながら、次の連絡は当分とれないよと伝える。

次の優先順位は店の従業員だ。
先ほど帰ったT嬢の実家が震源地に近い。
しかし、わずか数十秒で携帯がつながらない。

連絡をあきらめ、大通店に引き返し、店内を点検。
ここは地盤がいいのか、建物がいいのか、被害無し。
蚊とり線香が落ちていたのみ。

近所の飲食店に声をかける。
ボトルが落ちた店が多く、ビルのエレベーターも止まっている。
ビルの上階の店舗はかなりの揺れだったみたい。

次に、松園店に向かう。
四階だけに心配だ。

玄関、外ぼうきが落ちている。
暗い入口のドアを開ける。
入口前の書棚から本が数冊落ちている。

灯をつけ店内を見る。
ワイングラスなどが落ちて割れている。
厨房も食器が落ち割れている。

ガス・水道は大丈夫のようだ。
冷蔵庫も動いている。
(もっとも直接的な被害を被るのは停電による冷蔵庫の停止だ)

大通店よりは被害が多いが、しかし軽微だ。

事務所に向かう。
やはり、本や書類が落ちている。
そしてラジオも。
電池が散乱している。
こういうときに役に立つラジオ。
しっかりした場所に置いておかないとなと反省。

いまだ、携帯はつながらない。
従業員が心配だ。
それぞれに家族や大切な人を抱えている。

とりあえず、テレビの情報では震源地もそう被害はないと伝えているが、これは情報自体が少ないので鵜呑みにできないのは過去の経験から察せられる。

しばらく時間がかかろうが、待つしかない今。
午前2時。
不安な夜である。

PS:AM2時、従業員のT嬢と電話がつながる。震源地に近い実家は大丈夫とのこと。震度の割りには被害が少なそうかなと、今のところ、安心。また、東京の恩師や全国に散らばっている友人には心配をかける。朝になったら、連絡をしよう。

2008-07-23 00:10:36 | 第1紀 食べる・飲む
父が鰻を好きだと知ったのは、彼の晩年である。
私が生地へ帰ってからだ。

もともと父が食べ物で好き嫌いを言ったのを聞いた記憶はない。
昔の男で、出されたものにあまりケチをつける方ではなかった。
あれを喰いたい、これが好きという言葉も無かったように思う。

ただ、私の子供の頃、父が「きりこみ」という瓶詰めのイカの塩辛がとても好きだったのを想いだす。
子供心にはとても「不可解」で「奇妙」な食べ物を、喜んで食べているのが印象的だったのかもしれない。

あまり親孝行はしなかった。
温泉も一度きり一緒に行っただけだ。

鰻が好きとわかってから、ときどきスーパーの鰻を買ってお土産にした。
父は喜んだ。
しかし、やはり昔気質なのか、「鰻」のような「高価」な食べ物を、そう頻繁に食べることはよからぬという雰囲気はあった。
そういう時代の人だった。

関西だったか名古屋だったか出張のときに、「うな玉」というものに出くわした。
(たぶん、最初の会社の本社があった東大阪駅の近くで、会議前の腹ごしらえに特に選ばず入った店だったような、かすかな記憶がある。)

帰省したおり、その「うな玉」を作って父に出した。
本当に口に合ったかどうかは知らないが、たぶん喜んだ表情をしたと、これもかすかで都合のいい記憶が片隅にある。

そういう「血」の関係で、私も鰻は大好物である。

ただ、最近は中国産がどうのこうのと、食い意地をそがすニュースばかりで、スーパーで見ても敬遠してしまう。
確かに大量生産でベルトコンベアで焼かれた鰻を、スーパーのバックヤードでリパックし、さも焼きたてですみたいに出された特売品の、あのぬるっとした感触は嫌いである。

わたくし的には、いま焼き上げましたというような、少し表面のぱさっとした感じの方が好みである。

最初の会社の東京本部勤めのときに、部内の会議の後や昼食の接待に、日本橋の老舗の鰻屋を使った。
名は忘れた。
「大江戸」みたいな名だったような気がする。

大広間に通され、焼くまで数十分待たされた後の鰻は、やはり格別においしかった。
その店は、女中さんが(言い方がおかしいかな?)江戸の昔のお着物を着て運ぶのがなかなかにおもしろかった。

鰻の名店には、そんなくらいかな。
夏になれば、営業さんがあちこちのスーパーやお店から押しつけられる鰻を買うのも、クリスマスのケーキのときのような楽しみであった。
今年は生協さんのがいいとか、私はやはり鮮魚の強いAスーパーのがいいとか、お隣の鰻を身ながら評価し合ったものだ。

でも、繰り返すが昨今のニュースで、今年はそうでもないんだろう。
まもなく「丑の日」。
さて、当店でも「牛」の特売でもしますか。

ネット接続不調につき

2008-07-22 12:12:00 | 第1紀 生きる
ブログの更新をしようと思うのだが、「をかしら屋盛岡大通店」のネット接続が不調で、つながったりつながらなかったりである。

ADSLの回線か、モデムか、DELLというわりと人見知りするパソコンとモデムの相性の問題か、いつもそうであるのだが、今日は特に悪い。
わかる方、詳しい方はな~んだという事だろうが、モデムの一番上のADSLランプが断続的に点灯・点滅を繰り返すので、たぶんモデム自体の問題かなと素人目に考えている。

従って、今日はここまで、更新はモデムのご機嫌を伺いながらやってみます。

そういえば、昨夜の祝日は混み合いましたが、最近の平日のお客様の入りようも、点灯・点滅を繰り返すモデムのようで不規則であります。
店の至らなさはその通りでありますが、ぜひご機嫌を直して、遊びに来てください。
お待ちしております。