ホルモン屋徒然草~珍しホルブロだ

新米ホルモン屋の親爺の日々。ホルモンのこと、店の出来事、周辺の自然や話題。

JAZZをすすりながら、ほっぺたを張られたこと

2017-02-16 23:13:24 | 喰う、呑む
何やらわからんようになって、ちょっと自分の頭では処理できそうも無いときは、時の過ぎ行くのを待つか、あるいは過去とか経験というものをひもといて見るとか、いいやそんな立派な成り立ちではありませんよと気がつけば、やはり大げさに言えば歴史とか偉人とかそういうものを参考にして我が身を振り返るという手もある。

そういう訳で先ずはどん詰まりのぼさぼさ頭を切りに、いつもの緑が丘の店でシルバー割引のカットを願う。
頭の外見はさっぱりしたんで(お客様カードによると前回は10月だったらしい)、本筋の気合の入れ直しというか、先達の教えを請うというか、ホントに全く面識は無いのだが盛岡ではこの人でしょうと勝手に決め込んでいて、数年に一度、やっぱり後の無い狭間に陥ったときに、自ら頬を張られに行く店に向かった。

御方、社長業を息子に譲り本店からアネックスカワトク(正式には同じ敷居のアスティ)の支店に移ったという。
入口のメニューボードで見慣れた「キムチ納豆」や「岩手山」「姫神」などというネーミングの他に、500円なりのこのショッピングセンターにふさわしいやさしい価格帯の「中華そば」というのを見つけ、ほぼ決めかかったのだが(納豆は服用している薬のせいで禁じられている)、食券機にある「JAZZ」という名前にひっかかり、あぁまたまたやりやがるなと大枚を突っ込む。

幸い、厨房前のカウンターに陣取れた。
目的はあのご主人の気合を聞きたいだけのことなのだ。
「や~」とも「イェヤ~」とも麺の湯を切り、鍋を振り、丼を飾るときの気合い。
「らっしゃいませ~」「ありがとうございました~」の声も腹からどすんと響きわたる。

この声を、この気合いを聞きに来たのだ。

たぶん、創業時からの掛け声。
料理に向かい、客と相対する、真剣な場合に自然と出る気合い。
いつものように、たぶんいつものように、その姿勢はゆるがない。
対して、自分よな~。
 (あめゆきじゅとてちてけんじゃ。トホホのホ。首傾げてばかりじゃ誰も寄らぬべ。)

で、その気合いに、勝手に両頬を引っぱたかれる。
マゾじゃないが、何往復か引っぱたかれて、自分を見る。
やっぱり、来た甲斐があったよな。



あとは、まず、食べるか!

「JAZZ」。
まさに「JAZZ」。
例によって大振りの丼には、見た目でカオス、食べて混沌。
オールスターズだ、B♭だ、シンコペーションだ。
BGMもJAZZ、ここはラーメンのニューオリンズか。
ビッグバッドが奏でる。デュークエリントン楽団か。

混濁の味噌ベースのスープに浮かぶのは、モヤシ・白菜当たり前。
ミカン2切れ、ミニトマト、青紫蘇の立派な葉っぱ、カイワレ。ナンジャカリャの面子がみなソロを取っている。
おそるおそるミカン(日本のミカン、こたつの上にいつもある日本の風景、温州ミカン、マンダリンだな)を口に入れるが、不思議なことにミソスープにあうんだな。
洒落たラグビーボールの小型ミニトマトもおすまし顔だが、ラーメンにあうのは、ミソスープに隠れたレアチーズとの相性か。
ミソスープだってありきたりじゃない。あれやこれやが、ワタシもワタシもと入っていて主張する混濁スープなのだが、見事に立派なパーソナリティーとして調和している。

麦の香るみっちり歯ごたえの極太麺も、やはり真の主人公は俺だろうと皆を引っ張っている。

楽しいのだ。

一時の創作料理流行りみたいに出ては凹むオリジナルメニューと称するびっくりラーメン屋の出没に、すっかり外食でラーメンを摂らなくなっていたが、この元祖オリジンラーメンは「気を抜くなよ。常に進化せよ。追い詰めよ。」と尻を叩いてくれる。

カオスが体の中に取り込まれうっすらと心地よい汗とともに、期待通りの冷や汗も交えながら店を後にした。

かなわぬものはある。
しかし、しっかりとしたゆるぎなき目標、あるいは道しるべともなる。

しょげてゆがみかけた肩と背を、少しは伸ばして帰途についた。
2月中旬。
春はすぐそこにある。

だって、あちこちで花粉症のくしゃみがきこえるではないか。